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愛と平和の道

 シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって、毎月記事を提供してこられた。2006年に書かれたこの記事は多くのテーマを扱っているが、そのうちの一つは、人間が孤独であったことは決してなく、私たちが望めば案内(ガイダンス)が得られるという再保証である。まるで2020年に書かれたかのように、クレームの師はこう書いておられる。「われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である」

愛と平和の道
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 幸いなことには、助けが必要なときに人間が放っておかれたことは決してない。どんなに困難な状況だろうが、どんなに直面する危険が大きく深刻なものであろうが、人は一つだけ確信がもてる──すなわち彼の兄たち(覚者たち)から見放されることはない、ということである。人間の長い歴史において幾度も幾度も、すべてが失われて、人間の未来が危険なほど不確かになったとき、いつでもわたしたちの救助が手近にあり、人間の前進への道は再び復活されたのであった。そして今日、相容れない様々な勢力の大渦巻きの中に立ち、次のステップについて確信がなく、前方にある仕事の巨大さにほとんど圧倒されているこの荒々しいときにあって、然りである。
 わたしたちは古の隠遁地から出て来て、わたしたちの思考とステップを苦闘する兄弟たちの援助に向け直す。すべてが失われているのではないことを、人間が彼らの生活を組み立てるために他のより良い方法が存在することを、和合と幸福は正義と自由から生じることを、分かち合いは和合の自然な行為であり、すべての人間の苦しみへの単純な答えであることを、模範によって示すために。
 人類はわたしたちが与えねばならない叡知の贈り物を欲しなければならない。偉大なる法がそれの強制を許さない。であるから、人類は彼らを取り囲む危険をはっきりと見て、決断と選択をしなければならない。
 人類に案内(指導)が必要なことは議論の余地がない(多くの者がそのことを否定し、あるいはそれを見つけることができるということを否定するのだけれど)。そしてこの案内(指導)を、マイトレーヤ御自身が人類に提供されるであろう──彼らに考慮し、賢明に分別してもらうために。
 それに応えて、人類は彼ら自身をひとつとして見なければならない。自由と正義を阻む古い障害物は捨て去られねばならない。すべての者が地球の豊かな贈り物を分かち合わねばならない。すべてが信頼という言語を学ばねばならない。われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。
 これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である。一旦それらが採用されたならば、もはや過去の無秩序に戻ることは決してないだろう。人間は、貧困や戦争、搾取や残酷さ、腐敗や不正義に別れを告げるだろう。
 人類は彼らの兄たちを熱心に見習い、そして愛と平和の道を歩むだろう。
 今のこの時を決断の時と見なしなさい。すべてが、マイトレーヤの勧告に対する人間の反応にかかっている。あなた方の兄であるわたしたちは心配しているわけでも、悦に入っているわけでもない。マイトレーヤと人類の両方が直面する巨大な仕事をわたしたちは知っている。わたしたちはまた「いのちのしるし」の読み方を知っており、恐れてはいない。これを読んでいるあなた方は恐れることなく、地球の復興がすぐ近くにあるという事実を、過去の不正は衰え、それとともに古い統治法が衰えつつあるという事実を、広く知らせなさい。新しい案内は人間のための道を示すためにここにある──古の、しかしいつも新しい指導が人間を山頂へと連れて行く。
(SI誌、2006年7-8月号)

マイトレーヤのメッセージ:彼は私たちに何を求めているのか

パトリシア・ピッチョン

1977年9月6日から1982年5月27日まで、ベンジャミン・クレーム氏は、ロンドンのフレンズ・ハウスでの毎週の講演中に、メンタル・オーバーシャドウの過程を通して、マイトレーヤから合計140信のメッセージを受け取った。

 私たちは繰り返し、霊的教師や案内者に多くを求めたり、あるいは、私たちが信じる聖なる力が何であれ、その聖なる力に多くを求めたりするが、たとえ不完全であるにしても、私たちに求められているものについてどれほど頻繁に考え、実行しているだろうか。自分自身への言い訳は、「それは難しすぎるし、なぜ私が試さなければならないのか」という疑問から、「ああ、そうね、いつかやってみよう」に至るまでいろいろとあるが、その後、その意図はいつの間にか失われてしまう。
 マイトレーヤのメッセージには幾つかユニークな特徴が見られる。それぞれのメッセージが一定の朗々としたスタイルを持っており、厳粛さに満ちているが、多くの場合は直接的で、ほとんど親密な語り口と、全く尊大さを感じさせない単純さがある。
 最初のメッセージにおいて、マイトレーヤは人々を「兄弟姉妹たち」または「我が友、子供たち」と呼んでいる。彼はまた私たちにこう告げている。「わたしの顕現は完了し、成就した。まことにわたしはこの世に在る」。続けて彼は「しかしなすべきことは多い、世界には変化を必要とするものがあまりにも多い。多くの者が飢え死にし、多くの者が不必要に苦しんでいる」と語り、さらにこう付け加えている。「これらすべてを変えるためにわたしはやってきた。あなたがたに前進への道を示そう、もっと簡素で、健全な、より幸せな生活へ向かって、共に進む道を。人が人に、国が国に相対立することなく、兄弟同胞として、共に新しい御国へと前進しよう」
 2番目のメッセージで、彼は「世界の倉庫で腐敗している食物」について語り、「教師として、守護者として、友として、案内人として」私たちに対して援助を申し出ている。ここではまた、マイトレーヤは、彼と一緒に働く覚者方、知恵の覚者方も私たちの中にいることを公表し、「彼らの仕事を助けなさい」と、私たちに直接呼びかけている。彼はこう説明している。「彼らは、あなたがたを通して、新しい時代を建設するということも知りなさい」
 ただし、これは自然に起こることではない。ほんの少数であっても人々が集まり、他の人々のために働き始めるとき──利益ではなく奉仕によって、個人的な野心や見当違いの競争精神ではなく協力的な精神によって動機づけられ、人々が生き、希望し、繁栄することを可能にする基本的な必要に応えようとするとき──覚者方は、エネルギーを送ることによって私たちの努力を強化する。最も緊急を要するのは、十分な食料と水、そして住居の提供であり、また、それだけでなく、様々な形を取り得る教育や訓練、医療支援の提供である。さらには、人々が出会い、話し、食事を共有し、単純に交際を楽しむことを可能にするプログラムの提供である。これらの取り組みは、多くの場合、より広範な共同体の取り組みへと発展し、それが成功すると今度は、他の人々を鼓舞する青写真となる。現在、多くの人が自分自身の輪を越えて活動を広げており、そうした活動による結果は、非常に寛大な寄付による壮大なものであれ、ささやかな始まりからの発展であれ、深刻な世界規模のパンデミックの最中にあっても喜びと本当の安堵感をもたらしている。
 したがって、救済の仕事は明らかに集合的で協力的なものであり、マイトレーヤと知恵の覚者方が自分たちで成し遂げるものではない。この側面は、私たちを単独で救済する「救い主」を待っている人々にとっては受け入れ難いかもしれない。変化を起こし、その「新しい御国」の創造のために私たちが手を差し伸べ、共に行動しなければならないという認識は、まさしく厳粛なものである。
 マイトレーヤは以下の励ましの言葉を追加している。「心に深く留めなさい、我が友よ。すべては良くなるだろう。あらゆる事柄は良くなるだろう」
 まさにどれだけの責任が私たちの肩にかかっているかを、マイトレーヤは3番目のメッセージで明らかにしている。「わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない。わたしの両手は『法』によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ」
 マイトレーヤが「法」について語るとき、彼は自身が従わなければならない霊的な「法」について述べている。この場合明らかなことは、彼は援助を申し出ているが、行動しなければならないのは私たちだということである。全能の救い主が独りで働いているという、一部の人々が抱くイメージは正確ではない。私たちの協力がまさに要求されている。私たち自身は重要であり、貢献することができ、このようにして新しい世界を構築することができる。
 穏やかに、しかも粘り強く、私たちがどのように彼と一緒に働くことができるかを理解するよう、マイトレーヤは私たちを励ましている。メッセージ第116信で、彼は次のように述べている。「我が兄弟たちよ、世界は愛を切望し、同胞愛と正義の顕現を切望する。
 わたしを援けて、あの聖なる歓びをこの世に創造しなさい。わたしの側にあなたの位置を占め、これまでにないほど働きなさい。我が友よ、わたしを手伝って愛の貯蔵池を非常に深く創り、すべての人間が渇きを癒せるようにしなさい。
私の教えは単純である──正義と愛、分かち合いと平和が、人を神に近づける」
 私たちによる手助けを求め、多くの方法で援助を申し出ていることに加えて、マイトレーヤはこれらのメッセージをマントラとしても創造した。このことが意味するのは、声に出して唱えるとき、彼のエネルギーを呼び起こすということである。実際に、このエネルギーを肉体的に感じるかどうかにかかわらず、このことから恩恵を得ることは可能である。ベンジャミン・クレーム氏の最初の本、『世界教師と覚者方の降臨』をスペイン語に翻訳していたとき、私はこのことに気付いていなかった。翻訳中に、これらのメッセージの特定の質を保持する方法を何とかして見つけようとしていたことを覚えている。この目的のために、私は一日の大部分、両方の言語で何度も何度も声に出してメッセージを唱えていた。午後になってこの仕事を終えた時、私は突然、泣き出してしまった。内奥から涙が込み上げてきて、心臓が破裂するかのようにさえ感じられた。幾分回復した後、戸惑いや驚きを感じながら、ベンジャミン・クレーム氏に電話をかけ、このことの意味について思い巡らしながら、今しがた起こったことについて説明した。彼は、「ああ、それは驚くべきことではありません。あなたは一日中マイトレーヤのメッセージを唱えていたので、彼のエネルギーも呼び起こしていたのです!」と説明した。
 私はためらうことなく、こう言うことができる。彼のエネルギーは愛のエネルギーとして説明することができる、と──通常の愛ではなく、力強く、直接的で、並外れたものとして。それを神聖なる愛として説明する以外の方法を私は知らない。彼の見解によれば、それは私たちが自然に、生まれながらに持っているものであり、私たちの「内なる神」、私たちの真我である「神聖なる自己」の表現である。言葉と行動を通してそれを表現することが私たちの仕事であり、この努力において私たちを援助することが彼の仕事である。
 このように一般の人々に届けられたすべてのメッセージの広がりと深さを一つの記事で正当に評価することはできないが、ここに、少なくともマイトレーヤの一つのメッセージ全体を掲載することは適切だと思われる。そのことは、メッセージすべてを含む書籍(『いのちの水を運ぶ者』)を入手できないかもしれない人々に読む機会を提供し、あるいは声に出して読み、マイトレーヤの言葉の意味を熟考する機会を提供する。こうしたメッセージは、彼の裡にある神性から私たちの裡にある神性へと語りかけているようである。

マイトレーヤのメッセージ 第123信 1981年4月23日

親愛なる友よ、再びこのようにしてあなたがたと共に居ることを非常にうれしく思う。
わたしの計画は成功のうちに進む。
わたしの希望は叶えられる。
わたしの出現は法のもとに行われ、すべては順調である。
分離、分裂、無法という罪悪は、この地上から消え去らねばならない。
人間の神性の顕現を妨げるものはすべて、この惑星から追い出されねばならない。
わたしの法が分離に取って代わるだろう。
わたしの法は、愛と同胞愛と正義と真理の法である。
これらのことを知り、私に従いてきなさい。
わたしの法は成功するだろう。
なぜなら愛の法は神の本質から出づるものであり、失敗し得ないのである。
わたしがあなたがたと共に居る間に、
あなたがたが夢見ることもできないような不思議をお見せしよう。
新しい方法で、神の特性を示そう。
あなたがたの心から、死の恐怖やいのちそのものへの恐れと、
あなたの兄弟やあなた自身に対する恐れを取り除いてあげよう。
そのような無知を過去のものとなし、
新しい光の中へ、わたしと共に歩けるように手伝ってあげよう。
これらの仕事のために、わたしはあなたがたの助力を求める、我が兄弟よ、
なぜなら人間自身の努力を通してのみ、人は価値あるものを得ることができるのであるから。
これはいつもそうであった。
わたしの手を取りなさい、我が友よ、神としてのあなたがたの真の特性が栄えることのできる、
あの新しい国へお連れしよう。
そこで、すべての人間が共に兄弟として、いのちの夢を成就するであろう。
多くの者はわたしの到来を、恐れを抱きながら待つ。
わたしが踏みしめるところには、良きものしか生えないであろう。
わたしの約束は守られる──
あなたがたに、あなたがた自身と神の本性を明かそう。
すべての人間にとって、人生は祝福されたものであることを示そう。
あなたがたの中に愛の池を創る。そこからすべてのものが渇きを潤すことができる。
わたしの心はあなたの心に代わり、わたしの舌はあなたの舌に代わって語ろう。
指導者も民も応じ、そしてすべてが新しくなる。
わたしがあなたがたの中に居ることを、我が友よ、心に受け入れなさい。
わたしはあなたがたに仕え、あなたがたと共に住み、
あなたがたを愛し、導き、案内するためにやってくる。
もはや闇を探す必要はない。
わたしの祝福はあなたがたすべてと共に行く。

唯一にして最も聖なる神の光と愛と力とが、あなたがたの心の裡に、今顕されるように。
それによって、神としてのあなたの真の姿に近づくことができるように。

科学・思考・事実――選集

Science, thought and fact ──a compilation

「科学、思考、事実」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 ほどなく、科学に対する新しいアプローチが、われわれがその中に生きるあの実在(リアリティ)に対するわれわれの姿勢を完全に再調整させる道を開くだろう。すべてが一体であり、われわれが知る各断片は他のすべてと密接につながっており、その関係は数学的に決められる特定の法則によって支配されており、各断片の中に総体の潜在力が存在するということを、新しい科学が人類に示すだろう。この新しい知識が、人間の、世界についての体験とお互いについての体験を変え、神と人間が一つであるという真理を確認させるだろう。
(『覚者は語る〔1〕』─新しい文明─より)

 わたしの任務は、あなたがたに神への道を示し、あの単純な径を描き、あなたがたの手を取って、神の聖なる足下に連れて行くことである。そして神の大計画を完了する。わたしの覚者たちもあなたがたと共に居る。あなたがたの中に居る彼らの数は増えていく。あなたがわたしたちを見るとき、神の時が来たことを、理性と愛の時代が始まったことを、いのちの意味が甦り、愛の原理が実践され、神の意志が成就されたことを知るであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第96信より)

 私たちが一般に科学として知っているものは、覚者の観点から見れば、低位マインドの活動です。しかし、低位だからといって劣っているという意味ではありません。それは単にマインドの低位様相であり、頭脳を使って今日の科学を、具体的な科学を創造しています。
 科学には三つのタイプがあります。具体的な科学であるテクノロジーがあり、哲学的、理論的、抽象的な、高位マインドの科学、例えばアインシュタインの科学があります。覚者方が使うサイキの科学、つまりホワイトマジック(白魔術)もあります。それは他の科学と同じように科学ですが、目には見えません。ただし、その結果を見ることはできます。……
 これらすべての科学は、知識と思考を異なったレベルで適用したものです。すべての科学は、顕現した宇宙のすべてのものがエネルギーであり、エネルギーは思考に従うという根本的な原理に関連しています。
(『多様性の中の和合』)

 科学とテクノロジーが繁栄することは疑いない。科学の発見を通して、生命の神秘が明かされ、宇宙のエネルギーをコントロールする時代に入りつつある。われわれのテクノロジーもまたこれらの発見によってもたらされる挑戦に適応するにつれ、さらに高度なものになるだろう。われわれは、適切なバランスが維持されて、科学の業績と資産が、人類がそれに仕えるのではなく、それが人類に仕えるような線に向けられることを確実にしなければならない。
 あなた方がこれを成すのを助けてあげよう。わたしたち覚者の仕事は、正しいバランスを維持する道に沿う新しい社会の発展を監督することであり、人間の必要を侵害するものは何であれ、わたしたちの推薦を受けることはないだろう。美と適合感が試金石となるだろう。見苦しくて機械的で人間の精神(スピリット)に害のあるものはすべて避けられるだろう。目標は、人間とその環境との間に正しい関係を完全な自由と調和のうちに維持することであり、そしてテクノロジーと科学の発達すべてが人間の必要によりよく仕え、実在(リアリティー)の特性をよりよく知ることの助けとなることを保証するだろう。
(『覚者は語る〔1〕』─新しい時代の生活─より)

 メンタルへの極化は、意識を情緒界からメンタル界に徐々に移転させていく結果として起こるのであり、最初の二つの段階のイニシエーションにまたがって起こります。人類の情緒体は最も強力に発達した器です。それを完成させるのに何百万年もかかりました。そして殆どの人はその情緒体の行為によって(または正確には、その器をつくっている情緒界のエレメンタルによって)支配されています。ジュワル・クール覚者は、あなたたちが世界に与えることのできる最大の贈り物は情緒感情の器(アストラル体)を統御することである、と書いています。メンタル界からこの統御が行われるのであり、達成するのに多くの転生(少なくとも数回)を要します。情緒界(全部で七つのレベル、亜界がある)は錯覚やグラマーの界です。グラマーの霧がメンタル界の光によって消散されると、意識の極化がだんだんに移行します。多くの人は感情的過程と知的過程を混同します。実際には感情的反応を情緒的想念のなかに覆っているのに、情緒的想念を思考と間違え、自分は「考えている」と想像するようです。ですからマインド(識心)を集注させるもの、あらゆる状況の中で知性を活動させ、あるいは知性の反応を呼び起こすものは何でも、極性の転移の速度を速めます。瞑想はどんな種類のものであれ(ただし、しばしば瞑想と間違えられるあの消極的な夢想を除いては)いずれもこの方向への主要な動力です。あらゆる状況において、特に最も心を乱されるような状況において、自己の反応をできるだけ非個人的に正直に見つめることを勤勉に行う決意。自分の光線構造の理解──従って自分のグラマーの理解。人類に奉仕するために自己の生涯を捧げること──従ってより大きな非自己集中化につながる。これらすべてが意識を高位の界に移転させる助けとなり、かくして人生のそれぞれの状況に魂の光を持ち込むことができるようになります。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

 ……単科大学(カレッジ)が設立され、最も有能な学生たちに、魂の科学を含めた新しい科学の初歩のレベルが教えられるだろう。この新しい科学は、目に見えるもの見えないもの、亜原子レベルのものからコズミック(宇宙)レベルのものまで、自然環境のすべての面を網羅するだろう。このようにして、見えざる世界の栄光についての新しいビジョンが人間に与えられるだろう。異なった分野の間に協力の精神が育てられ、新しい、より広い、より包括的な見解が現在の断片的なものに取って代わるだろう。このようにして覚者たちは働くだろう──人間のマインド(識心)を刺激し、強化し、さらに新しい高みの探求と達成へと鼓舞する。
(『覚者は語る〔1〕』─覚者たちは世に在る─より)

 人間社会のすべての機構が、聖なる光で輝かねばならない。すべての人間の思考のしかたが、裡なる神を顕さねばならない。この真理が、我が友よ、変化の基礎にある。これを知るとき、あなたがたは喜んでこの必要を受け入れるだろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第96信より)

 将来、人間のマインドの発達とともに(人間のマインドはまだやっと顕現し始めたところです)、私たちは人間のマインドに反応する一段と優れたコンピューターをつくり出すでしょう──科学者たちはすでにこれをつくり始めています。これらは完璧に反応し、私たちが日常生活で使用するすべての加工品を作るようプログラムすることができるでしょう。これは人類に余暇を与え、私たち自身の本質と創造性の探求へと人類を解放するでしょう。今日のロボットは、将来のコンピューターを特徴づける、信じられないような知識とは比べ物になりません。それは私たちが想像する方法で創造することを、思考によってプログラムされるコンピューターです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 ダーウィンおよび彼の考えに正しく従った者たちは、われわれはすべて意識の発達に従事しているということを大体において無視しており、人間の外的な肉体的発達のみを描写する。人間の肉体はほとんど完成の段階に到達しており、さらに成し遂げるべきものはほとんどない。しかしながら、意識という面からは、人間はその開花に向けてほとんど最初のステップすら踏み出していない。その開花は人間がまさに神性を内在させていること、すなわち魂が転生しているということを証明するだろう。いつの日か、魂の事実が科学によって証明され、一般的に受け入れるようになるだろう。そして古い意見の対立は癒されるだろう。
(『覚者は語る〔2〕』─進化論 対 創造説─より)

 すべての知識はコンピューターの中に入力されます。それはインターネットとか、世界知識バンクとか、世界智恵バンクとか呼ぶことができるでしょうが、そこでは、智恵、つまり何千年にもわたる啓発された書物からの思想や知識が入手可能となるでしょう。最新の発明つまり発明の過程を早める科学的知識はこの同じ情報の源に収められて、世界の誰にでも、どこにいても入手可能になるでしょう。……
 研究の一つの分野と別の分野が関係づけられることで、非常に急速な科学的、科学技術的進歩が得られるようになるでしょう。純粋科学と技術分野の科学とを分けることはできますが、その双方が私たちには必要です。両者とも同じ人類の意識の拡大の一部分なのです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 わたしの臨在は人の心に新しい驚異の感覚を呼び起こす。己の裡を、そして周りを見回して、人は、夢見ることも出来ないような知識と、ただ願うことしかできないような知恵と、己自身のものであると知っているあの愛の表現、これらを一望のもとに見渡せるような感覚を得る。これが確かなことを知り、恐れるでない。
(『いのちの水を運ぶ者』第103信より)

 現代の科学は細胞構造を分析して、すべての原子の中心に電子をその周りに持った核があることを示すことができました。そして宇宙にあるすべての原子が同じような方法でつくられていることを示しました。顕現された宇宙にエネルギー以外の何も存在しません。完全に科学的な見解と、秘教学徒がもつものとの違いは、秘教徒はさらにそれを推し進めて、まさにすべてがエネルギーである、しかしエネルギーは思考に従い、思考によって作動される、と言います。思考はそれによって創造が起こるその代理機関です。
(「不朽の智恵の教え」『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 ……正しい判断と反応には、バランスの取れた見解が望ましいのは明らかである。現在の状況の中で、憶測と噂が影響力を持ち、見守る世界の活力を消耗させる。
 第一の優先事は、事実についての本当の知識である。しかしながら、これは見つけることが難しい。非常に多くの声が、様々に矛盾する情報を繰り返し唱え、または叫んでいる。あまりにも多くの意見が、あたかも事実であるかのように扱われており、尊重して耳を傾ける価値のあるもの、信じられるものはほとんどない。そのような状況のもとでは、慎重さと抑制を促すことが賢明である。
(『覚者は語る〔1〕』─権力のグラマー ─より)

 自然界とその裡に働くフォース(エネルギー)についての古い、機械的な見方は急速に消えつつあり、すべての顕現の基礎にある和合について新しい認識が目覚めつつある。すべてがエネルギーであり、エネルギーと物質は一つのリアリティー(実相)の異なった状態であり、想念によって影響され得るという概念が広範囲に受け入れられつつあり、人々の人生観を変えつつある。人々はますます急速に啓発されており、間もなくこの事実を実演するための方法とテクノロジーが発見されるだろう。これは将来の人類の進化にとって深い意義がある。
(『覚者は語る〔1〕』─意識の成長─より)

 私たちが話しているのは、ただコンピューターを操作するだけでその分野にいる人々に閃きを与えることのできる有益な知識、蓄積された諸発見、テクノロジー、諸科学の貯蔵庫のことです。彼らは本を買う必要はありません。自分たちの知識に欠落している部分を誰か他の人が見つけてくれることに希望を託す必要もありません。そこにあるでしょうから。私たちがこの知識体系を分かち合うとき、それに利用価値があると思う人誰でもがそれを入手できるとき、発見や科学や技術の全過程が驚くほど早まるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 意識してかしないでか、人間は自分たち自身を追い越して、すべての予想に反して、新しい啓示を受け、新しい光と知識を受ける用意ができた。人生に新しい意味と目的を見いだし、その増大する認識をテクノロジー(科学工業技術)や科学やまったく新しい関係の中に実証する用意ができたのである。
 理由なくして、「生徒の用意ができたときに師はやって来る」と言われてきたのではない。このことは個人におけると同じく、集団の規模においても真実である。今日、生徒としての人類は、試され、試練を通過した世界の弟子としての人類は、新しい人生に、人類種族への奉仕の人生に入る用意がある。
(『覚者は語る〔1〕』─新しい光、新しい理解─より)

 いにしえの聖者や覚者方は神性とそれの表現である人間、自然、そして様々なハイアラキーや王国との間にある様々な関係と連結を公理として認識していました。やっと今日に至って近代科学がそれを探求し始め、そしてそれが真理であることを発見しました。そしてそれが人類の意識における変化を起こさせているのです。まず人類の指導的グループの意識に転換が起こった結果、そして彼らの探求や書物や教えの結果として、あらゆる種類の出版社やメディアがこれを取り上げたために、この認識が徐々に世界に流れ出ています。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 レオナルド・ダ・ヴィンチ、シュヴァイツァー、ベートーベン、プラトン、シェークスピア、ガリレオ、アブラハム・リンカーン等々、いくらでもあげられます。これらのイニシエートたちの出現は人間の進化の徴であり、すべての芸術、すべての偉大な科学的発見もそうです。原子の探究、物質がエネルギーであるということの発見、自然界の構成単位そのものからエネルギーを放出することができるということ。これは途方もないことです。偉大な科学です。そしてわれわれが、それを安全に、破壊の目的の代わりに、すべての幸せのために使うことを学ぶとき、このエネルギーは、われわれの想像を超える文明を建設する基礎を与えてくれるでしょう。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

 人類を取り巻く問題を、わたしはよく知っている。多くの変革が必要なことも、よく知っている。しかし同時に、人間の裡に、知ろうとし、意識を高め、くもりをつきやぶって見極めようとする願いも見える。この知ろうとする衝動こそが、人間の最大の才能である。人が神への道を知るとき、この才能が創造的に壮麗に開花するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第9信より)

編集長への手紙

 シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

覚者の魔法

編集長殿
 数年前(手紙は2006年着)、車に姉と、後部座席に横になった甥を乗せて運転をしていました。霧の多い天候で、すでに日が暮れていました。ブレステルニツァからマリボルへ向かっていました。道路の両側にコンクリートの壁かフェンスのある場所を運転していた時、前方の赤い車が別の車を追い越して、私の方へ向かっているのが見えたのです。私はブレーキを踏んで、できる限り壁の方へ寄りました。その道路は3台分の幅がなかったので、赤い車と衝突することになると思いました。すべてはほんの一瞬の出来事で、突然あの赤い車が私の背後に見えました。その車は通り過ぎていきましたが、どうやってかはわかりませんでした。
 覚者のお一人が介入されたのか、どうか教えていただけますか。
マヤ・クラインツ
スロベニア、マリボル
【ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者が介入されたことを確認した】

差し向けられた光

編集長殿
 昨日(2020年の冬)、午後6時半頃、友人と私は車で帰宅していました。私は窓から外を眺めていました。地平線はすでに暗くなっていましたが、突然明るい光がパッと私の顔を照らしました。けれどもそれは柔らかな光で、心地よい感覚に圧倒され、まるで一時休止ボタンが押されたかのようだったのです。どうも友人には何も見えていないようでした。私には見え続けていて、遠くの地平線近くの低い場所に何かが『ぶら下がっている』のが見えましたが、それ以上はわかりませんでした。
 数年前に私はよく似たことを体験しました。その時は朝の出来事でした。列車の客席に座って、やはり窓の外を眺めていました。同じように顔を照らした明るい光に感動しました。そしてその時にも睡眠薬と言えるような効果を私にもたらしたのです。
カリン・マイウ
ベルギー、ルーヴェン

読者質問欄

世界奉仕者の新集団

Q (1)伝導瞑想グループの人々は(自動的に)世界奉仕者の新集団のメンバーでもあるのですか。(2)彼らの奉仕の分野は秘教的なもののみですか。
A (1)必ずしもそうではありません。そうである人もいますが、多くはそうではありません。(2)いいえ、全く違います。彼らはあらゆる分野で働いています。

Q (1)世界奉仕者の新集団は伝導瞑想グループの人々とは完全に分かれていますか、それとも(2)互いに重なり混ざり合っていますか。
A (1)いいえ。(2)はい、重なり合っています。
(シェア・インターナショナル誌1992年9月号)

Q 伝導瞑想グループのメンバーは自動的に世界奉仕者の新集団のメンバーになるのではないとあなたは言われたようです。それはなぜですか。
A 世界奉仕者の新集団は、マイトレーヤによって創造され、組織され、刺激されている特別なグループです。それはあらゆる分野の人々を含み、必ずしも秘教的なものではなく、人間活動のあらゆる部門を含みます。彼らは今ではおよそ500万人からなる巨大なグループを構成し、多くの場合、第1イニシエーションの門口に立っています──彼らが伝導瞑想について聞いたことがあるかどうかにかかわらず。おそらく、彼らはイニシエーションについて聞いたこともなく、看護師やゴルフ選手などあらゆる仕事をしています。あなた方は彼らの大半をイニシエーションの志願者とは認めないでしょうが、マイトレーヤは彼らをそう見ています。彼らは世界の善意の男女であり、あらゆる分野で働き、善意を顕示して人々を結びつけようとしています。それは神秘的なまたは秘教的な組織ではありません。
(シェア・インターナショナル誌2012年4月号)

Q (1)「世界奉仕者の新集団」のメンバーの中には、特別な集団の一部であることを意識している人々もいますか。(2)「世界奉仕者の新集団」のすべてのメンバーは、比較的高度に進化していますか。例えば第2段階以上など。
A (1)はい。(2)いいえ、全くそうではありません。高度に進化し、覚者方と直接共に働く人々もいます。大部分は覚者方について聞いたこともなく、覚者方からのフィルターを通したインスピレーションの下で働きます。
(シェア・インターナショナル誌2013年12月号)

2021年1月号目次

 

覚者より
愛と平和の道
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
2020年の七つの秘密
ヤニス・バルファキス

霊性——第二部
ベンジャミン・クレーム

表紙の絵―ベンジャミン・クレーム「ビジョン」(1961年)

政治犯から人権擁護者へ
ウェイウェイ・ヌー氏の物語
マリヤ・サリム

すべての人にワクチンを、とりわけ最も弱い立場にあり困窮している人に

重要な時代における弟子の責任
アンネ・マリエ・クヴェルネヴィック

時代の徴
溢れる徴

2020年における女性にとっての10の決定的瞬間

2020年ゴールドマン環境賞
6人の地球の擁護者が表彰される

何百万もの人々が飢饉に直面していると国連が警告
タリフ・ディーン

編集長への手紙
永遠に続く他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

今月号の内容概説

 シェア・インターナショナル誌は今月号で40年目を迎える。本誌はこの尋常でない時代において、本誌の主なメッセージもまた常に尋常ではなかったということを思い出させるものとなっている。私たちは真の未来を指摘しているからである。その未来は、とりわけ現状を見れば、達成不可能だと考える人もいるかもしれないが、これほど切実に必要とされたことはかつてない。今月号に選ばれたベンジャミン・クレームの師の記事、「愛と平和の道」には、人類が見放されたことは決してなく、心を開きさえすれば私たちのものになる導き(ガイダンス)もなく放っておかれたことは決してない、とある──まさしく最悪の時代のように見える場合でも。
 年初の本誌は常に合併号であり、それによって非常に広い範囲の話題やアイディアを掲載することが可能になる(訳注:日本語版では1月号と2月号に分けて掲載)。最前線での奉仕における女性の役割から始まって、インドの最年少── 21歳──の女性市長の選出に至るまで、女性の業績に注目している。霊性、責任、奉仕──同胞に対するものであれ地球に対するものであれ──というテーマは、この合併号の至るところで扱われている。パトリシア・ピッチョンは、世界教師マイトレーヤが私たちに求めているものを考察している。「弟子の責任」についての記事もある。ゴールドマン環境賞の受賞者たちは、地球の状況を改善しようというたゆまぬ努力の模範である。
 初代編集長であるベンジャミン・クレームはシェア・インターナショナル誌創刊号で、霊性(スピリチュアリティ)の概念を可能な限り包括的に定義することを読者に求めた(6ページの「霊性 第二部」を参照)。「政治、経済、科学、文化、教育は、精神生活のすべての面を宿すものとして、間もなく人類の基本的霊的努力となるだろう。宗教集団やいわゆる『霊的』集団や『ニューエージ』グループは霊性の独占権を持たない」。彼は「霊性」の中で、マイトレーヤによって直接鼓舞されたヴィリー・ブラントの仕事にも言及した。残念なことに、ブラント委員会が1980年に提示したアイディア(基本的には世界資源の公平な再分配を主張しており本質的にマイトレーヤの導きによっていた)を人類が実施することができていたならば、シェア・インターナショナル誌が2021年になっても依然として、「国連が飢饉について警告する」や「インドの農民たちが歴史的な抗議活動を続ける」のような記事を特集することはなかったであろう。パンデミック(世界的な大流行)の悲しい状況下で、すべての人がワクチンを入手できるよう人類家族全体のことを考えるように、教皇が人々に訴えかける必要を認めたこともまた途方もないことである。もし私たちが霊性についてのこの新しい理解を本当に受け入れるならば、現在の問題の多くはもっと容易に解決されるだろう。
すべてが信頼という言語を学ばねばならない」のは、そして導きに対して心を開き、政治や経済、環境の危機を解決しなければならないのは明らかである。私たちが今、これまでになく、ベンジャミン・クレームの師が言われるように「今のこの時を決断の時と見なす」必要があるのは確かである。

愛と平和の道

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって、毎月記事を提供してこられた。2006年に書かれたこの記事は多くのテーマを扱っているが、そのうちの一つは、人間が孤独であったことは決してなく、私たちが望めば案内(ガイダンス)が得られるという再保証である。まるで2020年に書かれたかのように、クレームの師はこう書いておられる。「われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である」

愛と平和の道
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 幸いなことには、助けが必要なときに人間が放っておかれたことは決してない。どんなに困難な状況だろうが、どんなに直面する危険が大きく深刻なものであろうが、人は一つだけ確信がもてる──すなわち彼の兄たち(覚者たち)から見放されることはない、ということである。人間の長い歴史において幾度も幾度も、すべてが失われて、人間の未来が危険なほど不確かになったとき、いつでもわたしたちの救助が手近にあり、人間の前進への道は再び復活されたのであった。そして今日、相容れない様々な勢力の大渦巻きの中に立ち、次のステップについて確信がなく、前方にある仕事の巨大さにほとんど圧倒されているこの荒々しいときにあって、然りである。
 わたしたちは古の隠遁地から出て来て、わたしたちの思考とステップを苦闘する兄弟たちの援助に向け直す。すべてが失われているのではないことを、人間が彼らの生活を組み立てるために他のより良い方法が存在することを、和合と幸福は正義と自由から生じることを、分かち合いは和合の自然な行為であり、すべての人間の苦しみへの単純な答えであることを、模範によって示すために。
 人類はわたしたちが与えねばならない叡知の贈り物を欲しなければならない。偉大なる法がそれの強制を許さない。であるから、人類は彼らを取り囲む危険をはっきりと見て、決断と選択をしなければならない。
 人類に案内(指導)が必要なことは議論の余地がない(多くの者がそのことを否定し、あるいはそれを見つけることができるということを否定するのだけれど)。そしてこの案内(指導)を、マイトレーヤ御自身が人類に提供されるであろう──彼らに考慮し、賢明に分別してもらうために。
 それに応えて、人類は彼ら自身をひとつとして見なければならない。自由と正義を阻む古い障害物は捨て去られねばならない。すべての者が地球の豊かな贈り物を分かち合わねばならない。すべてが信頼という言語を学ばねばならない。われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。
 これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である。一旦それらが採用されたならば、もはや過去の無秩序に戻ることは決してないだろう。人間は、貧困や戦争、搾取や残酷さ、腐敗や不正義に別れを告げるだろう。
人類は彼らの兄たちを熱心に見習い、そして愛と平和の道を歩むだろう。
 今のこの時を決断の時と見なしなさい。すべてが、マイトレーヤの勧告に対する人間の反応にかかっている。あなた方の兄であるわたしたちは心配しているわけでも、悦に入っているわけでもない。マイトレーヤと人類の両方が直面する巨大な仕事をわたしたちは知っている。わたしたちはまた「いのちのしるし」の読み方を知っており、恐れてはいない。これを読んでいるあなた方は恐れることなく、地球の復興がすぐ近くにあるという事実を、過去の不正は衰え、それとともに古い統治法が衰えつつあるという事実を、広く知らせなさい。新しい案内は人間のための道を示すためにここにある──古の、しかしいつも新しい指導が人間を山頂へと連れて行く。
(SI誌、2006年7-8月号)

霊性―第二部

1982年1月に発行されたシェア・インターナショナル誌創刊号のためにベンジャミン・クレームによって書かれたこの記事に回帰することによって、新年と本誌第40号を始めることは適切であるように思える。以下はその記事の第二部である。この記事は、今日緊急に必要とされる霊性(スピリチュアリティ)の統一的で広範囲にわたる定義を提供している。霊性は、世界が現在直面している多くの危機を解決するにあたっての鍵を握るからである。ベンジャミン・クレームは記事の中で、霊性についての私たちの理解を広げ、そうすることで人類のための前進の道を指摘している。霊性についてのこの新しい見方は、私たちが創造する必要のある新しい公正な世界の実際的な基盤となることが期待される。

霊性ー第二部
ベンジャミン・クレーム

三重のリアリティ=霊と魂と肉体人間=としての人間の本当の特質について、そして再生誕の法則との関連における原因と結果の法則について、人類を再教育することによってのみ、魂としての人間の本当の表現が可能となる。

 これがわれわれの新しい機構を条件付ける。すべての人間が聖なる存在であることを把握するまでは、内的神性を堕落させずに十分にそれに応じることのできる制度を、築くことはできないだろう。今日、教会は、大体において、彼らが自ら語っている神性を堕落させた。なぜなら、彼らは非常に独断的、教理的になっており、その教義や教理において非常に分離主義的になってしまったので、神についての宗教的概念の基礎── 共通の父を認める故に、すべての人間の友愛の必要性── であるべき寛容と善意、兄弟愛の感覚を失ってしまった。これが政治の分野に適応されたとき初めて、われわれの機構はこのリアリティを反映するだろう。
 同様にして、経済の分野において、至るところに住むすべての人民が地球の物資を共に分かち合うことができるような原理を設けなければならない。今日の世界の最大の分割は産業国の北半球と第三世界の南半球の間にある経済的格差である。世界の3分の1の人口が世界の食糧の3分の2と、世界資源とエネルギーの少なくとも80%を乱用し消費し、他方第三世界はその残りで賄わなければならない。この不均衡の中に潜む緊張がわれわれを容赦なく破局に追いやる。これらがブラント委員会の調査結果の中心的なものである。この報告書『北と南 生存のための戦略』は、経済の不均衡の中に潜む危険を認知する。至るところに住むすべての人間が、人間家族の完全に受け入れられたメンバーとして自由に食べて生きることができるまで、世界に正義はないだろう。正義がない限り真の平和はない。もし今日世界に真の平和がなければ、世界に未来はない。
 今、われわれは本質的に霊的危機に直面しているのだが、それは政治や経済の分野を通して表面化している。であるから、マイトレーヤは政治と経済の領域内で働く決意をされ、そして分かち合いの原理を強調され、それが人間の未来のすべての進歩への鍵であると言われた── 「分かち合うとき、あなたは兄弟の中に神を認める」。「人間は分かち合うか死滅するか」。分かち合いは聖なる原理である。すべての機構はその内的神性を反映しなければならないことを認めるまで、われわれは進化の旅路において一歩も先へ進めないだろう。われわれがそれを認識するや否や、全く新しい状況への扉を開く。
 偉大なるスペインの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカが飢餓の終止について述べた素晴らしい声明がある。「飢えが地上から除去される日には、世界がかつて知ったことのない最大の霊的爆発があるであろう。その偉大なる革命の日に世界中にどっと沸き上がる喜びを、人類は想像できない」
 これは非常に大胆な主張に思えるかもしれない。しかしこれは、豊かなる世界において飢餓を除去することが人間の神性への最初のステップであることを認識したものであると信じる。なぜなら、それは人と人との間の正しい関係への最初のステップであるから。人類は一つであることを認めて、世界の資源をすべての人間の間で分かち始めるや否や、われわれは神となる道への最初のステップを踏む。
 そこに新しい経済機構の本質的な霊性が横たわる。それは分かち合いに基づかなければならない。なぜならそれは人間の神性に基づかなければならないから。分かち合いは聖なる活動であり、世界の資源の分配よりもさらに先へつながる── われわれは皆、神性を分かち合う。われわれは実にすべてのレベル── 肉体、感情、識心、直観、社会── において一つである。これらのすべてのレベルにおいて分かち合うことができる。
 政治的経済的活動は人類の再生誕のために重要であるのみではなく、偉大なる霊的運動であると考える者たちと、政治は汚らわしい言葉であり、経済は貧しい者たちのみが扱うことであると思う者たちとの間に、非常に大きな分割が存在する。今日の「ニューエージ」のグループの中にさえ存在する。いわゆる「霊的」な人々の、世界の何百万の飢えたる人々に対する見方の無神経さに、私はしばしばぞっとさせられる。奪われたる者たちの苦境は彼らの「カルマ」であり、彼らはレッスンを学んでいるという言い逃れを非常にしばしば聞く。単純な、真っ直ぐな、普通の人間の思いやりが彼らの福利に関心を持たざるを得なくすると、私は思うのだが。
 政治、経済、科学、文化、教育は、精神生活のすべての面を宿すものとして、間もなく人類の基本的霊的努力となるだろう。宗教集団やいわゆる「霊的」集団や「ニューエージ」グループは霊性の独占権を持たない。実際、いわゆる密教やオカルトのグループは、すべてのグループの中で最も惑わされたものであると、ジュワル・クール覚者は言われた。私も、これらが最も効果の少ないグループであることを知った。世界における本当の変化は、意識の本当の転換は、政治経済前線で行われている。政治的、経済的変化を通してこそ、すべての人間に内在する霊性の反映を可能ならしめる制度が再建されるだろう。精神生活の道はすべての人間が歩むことのできる広く多様なものであることを、マイトレーヤが示されるだろう。人間生活のあらゆる努力の中に、あらゆる分野の中に、神についての認識と知識が感じられ、表現されるだろう。すべての者が一瞬一瞬のこの体験についての彼らの認識を、分かち合われた体験の結果として生み出される多彩な模様の中に、貢献することができる。

表紙の絵── ベンジャミン・クレーム

「ビジョン」(1961年)

「この絵は、オランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が述べたことに基づくインスピレーションの結果である。ファン・ゴッホは素晴らしい手紙を書いた。絵を1枚も描かなかったとしても、彼は手紙だけでも人類史において地歩を得ていたであろう、と私は考える。彼の手紙は、特に弟のテオに宛てたものは、私が読んだことのある手紙の中で最も雄弁なものの部類に入る。そうした手紙は人類への愛や深い内面の探究心を伝えているほか、自分自身や自分の行動、自分の生活を通して、そして何よりも自分の作品の中で、キリスト原理を表現したいという切望を伝えている。彼が絵画にたどり着いたのは後年になってからである。わずか10年で全作品を完成させており、途方もない集中力をもって制作に励んだ。
 彼は未来の芸術について考え始めていた。それについて彼が書いたものを読んだとき、私は未来の芸術についてのイメージを得た── これ[絵画]は、私が見たビジョンである。中心には宇宙の火、内的な霊的火があり、卵の形をした宇宙の形態、つまり「宇宙の卵」がそれを体現している。その宇宙の卵は、私が祭壇の形と考えるものの上にあり、ある媒介を通して人類に捧げられているかのようである。それはたぶん、宗教という媒介かもしれないが、この場合は芸術という媒介である」
──ベンジャミン・クレーム

(編注:これは、新しい作風を模索する、ベンジャミン・クレームの最も初期の作品の一つである)