健康や生死の問題、そして世界の注目を奪っている病気への新しい対処方法の模索に関連して、ベンジャミン・クレームの師による二つの記事を提示する。こうした記事は、病気の原因と治療に関わる非常に複雑な問題を取り上げている。クレームの師は世界が大いなる発見の寸前にあると指摘しており、幾つかの記事がこのような発展を示唆している。新しいエネルギー形態に関する先駆的な科学的研究を扱った「空間からエネルギーを捕らえる」や、エーテルの性質についてのアート・ユリアーンスによる詳細な描写に加えて、ベンジャミン・クレームによる回答もこのエーテルの性質について説明している。異なった観点からアプローチをしているものの、これらすべての記事は、世界が受け入れ始めている「新しい」事実を指摘している──つまり、世界は一つであり、分離の終わりは良好な健康状態の始まりだという認識である。
今月号の選集は、霊的な心が生きる上で中心的なものであることを強調する一方、スワミ・ニリプタナンダは、平和の基盤としての真理や、真我との結びつきを意図的に保持することの重要性、真我についての知識の増大、奉仕の重要性を指摘している。
それとは際立って対照的に、グラハム・ピーブルズによる「富裕層、貧困層、そして気候変動」は、人々が知っていること、つまり、なぜ世界の3分の2の人々は、気候変動が世界規模の緊急事態であると考えているかを裏づけている。2020年の状況により、民衆や各国政府は、条件を平等にする措置について考えることを強いられている。これまでのところ実験的でしかないにしても、ますます多くの人や国がそれについて考えている。債務救済はそのような措置の一つの可能性である。
芸術は、アイディアや志向を目に見えるものにする──今月号の場合はカンディンスキーである。彼は不朽の知恵の教えの教義によって影響を受けていた。人類と地球に利益をもたらすために活用することが比較的早く期待できるという意味で、今月号では、目に見えないエネルギーが見えるものになる。そして、私たちを結合させる目に見えない驚嘆すべきエネルギーにより、マイトレーヤはこう語ることができる。「あなたの心のうちに感じられる愛の律動の一つ一つが、わたしの心に記録される。これがわたしとあなたがたとの関係を表す端的な真理である」。さらに、驚くべき簡潔さにより、彼はすべての人を抱きしめ、ご自身に引き寄せる。「あなたがたとわたしとは、同じ目的のために共にここに居る。あなたがたは、心の裡にすべての人を愛し、世のために責任を感じ、人間の要求に反応し、奉仕することを願うからこそ、ここに居るのである」
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ハート――選集
The heart ── a compilation
「ハート」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。
あなたの心のうちに感じられる愛の律動の一つ一つが、私の心に記録される。これがわたしとあなたがたとの関係を表す端的な真理である。だから、我が友よ、あなたの期待の思いを感じ、あなたが恐怖の思いから解放されるのを感じるとき、あなたの信頼の思いを知るとき、それがわたしにとって、どれほどの喜びであるかを知ってほしい。わたしの道は整えられつつある。我が兄弟姉妹よ、この重荷を分かち持つことをあなたがたの任務となしなさい。あなたがたの周りに信頼と希望の風潮を創りなさい。その中にわたしはまもなく入っていく。わたしを信じなさい、我が友よ、これはまさに大いなる仕事である。多くのことが、この信頼の盛り上がりと希望の風潮にかかっている。
(『いのちの水を運ぶ者』第73信より)
まさに彼の単純さこそはびっくり仰天させるだろう。にもかかわらず、ほとんどの人は彼らが聞く教えを新しい方法で、突然悟ったような真理として、新しく彼らのより深いレベルに触れる真理として経験するだろう。アイディア(理念)は単純かもしれないが、それは人々の心(ハート)に共鳴し、新鮮で活気あるものとして感じるだろう。そのようになるだろう。そのようにして、マイトレーヤは人間の心(ハート)に触れて、世界中の兄弟姉妹たちを援助することによって自分たち自身を助けるように懇請するだろう。人々がマイトレーヤの呼びかけを聞くとき、彼が言うことを深く熟慮し、しばしば聞かれたそれらの言葉に不思議なくらい感動するだろう。彼らの心(ハート)はかつてないほどに反応するだろう。そして新しい理解と緊急性が彼らの反応を強化するだろう。
(『覚者は語る(2)』─最初のステップ─より)
あなたがたとわたしとは、同じ目的のために共にここに居る。あなたがたは、心の裡にすべての人を愛し、世のために責任を感じ、人間の要求に反応し、奉仕することを願うからこそ、ここに居るのである。同様に、それが今日のわたしの目的である。わたしもまた、人間の要求を感じる。到るところに住むすべての人間が、尊厳と信頼のうちに生活し働くことを願うのを感じる。奉仕への欲求が、わたしの存在を規定する。わたしの心の愛が、わたしをあなたがたに引き寄せる。だから、わたしたち、つまりあなたがたとわたしとは奉仕することにおいて一緒である。
(『いのちの水を運ぶ者』第102信より)
マイトレーヤを見るとき、あなたは彼がハートから直接あなたの心(ハート)に語りかけるのを聞くでしょう。あなたの心(ハート)が彼の言葉に反応して共振するでしょう。その言葉は非常に純粋で、絶対的に、本質的に真実に思えるので、それを受け入れるのに何の困難もないでしょう。なぜならその言葉はあなたの存在の核心へ届くでしょうから。
(『大いなる接近』)
……マイトレーヤは、いかにして変化の方向に向かうのに必要とされる非常に大勢の人々の心(ハート)に触れることができるのか。その答えはマイトレーヤのエネルギーの力(効力)にある。そのようなパワー(力)を備えた大教師が世界の前に立たれたことは、これまでかつてなかった。マイトレーヤが発する一言一言に乗って、彼の情け深いフォース(エネルギー)がハートからハートへと流れ込む。議論や討論は役に立たず、不必要である。彼の真理が聞く者たちの心(ハート)に真理を呼び起こし、彼らの共有する神性のるつぼの中で真理そのものとして認知される。
(『覚者は語る(2)』─人間の神性─より)
人類の歴史の中で、兄弟たちを愛し、そして奉仕することを望む者たちの存在を、わたしがこれほどまでに必要とした時は、かつてなかった。その奉仕と愛の炎が、まさに今日多くの者の心に明るく燃えている。この理由だけで、わたしの使命は勝利すると確信をもって言える。
(『いのちの水を運ぶ者』第122信より)
彼[マイトレーヤ]はあなたの愛を世界に与えて欲しいのです。それを鼓舞するために、すべての人間の心(ハート)に本来備わっているけれども、私たちを取り巻く不公正な政治的、経済的、社会的状況によって表現が押さえられているその愛をあなたの裡に目覚めさせるために、マイトレーヤはやって来るのです。その不公正な状況が変えられる時、マイトレーヤによって鼓舞された人類の愛が、今日想像することもできないような方法で顕され、世界を変換するでしょう。
(『大いなる接近』)
至るところにいる人々は変化を感じており、その呼びかけに彼らの声を添えている。また彼らは、行動することへの自分たちの力(パワー)を感じており、そして多くの者たちがそれを証明するために死ぬ。昔のようなやり方はほとんど終わっており、それらのフォース(エネルギー)は使い果たされたことを感じる。彼らは、他に、より良い生き方があることを感じており、明日を期待している。まさに古いやり方は廃れつつあり、人類種族を阻害している。車輪は回り、大ローマは再び崩壊しつつある。マイトレーヤの火は数え切れない何千万の人々の心(ハート)に灯され、彼らは反応し、正義と調和が支配する新しい世界を築くことを願っている。マイトレーヤの約束はこの新しい世界がやって来る途上にあるということである。
(『覚者は語る(2)』─マイトレーヤの約束─より)
兄弟たちを愛する者たちすべてを、わたしのもとに招く。彼らはあらゆる党派から、あらゆる国家から、わたしの周りに集い来るだろう。わたしは彼らの心を希望と愛で満たす、そして彼らはその数を増し、勢いを増して、世界を征服する。この過程は始まった。すでに人々の声は聞かれ始めている。ますます声を大にして、彼らは正義と平和を求める。新たな希望が人類をとらえ、わたしの心を喜ばせる。
(『いのちの水を運ぶ者』第131信より)
世界中の民衆の心(ハート)に希望と歓びが同じように持ち上がるにつれて高まっていく彼らの声を見守り、耳を傾けなさい。そのとき、あなたは車輪が回転したことを知るだろう。貧困と不正義の苦痛はもはやなくなることを、戦争の冒涜は永遠に放棄されることを、愛の法則が、このわれわれの世界の至るところに住む男女の心(ハート)の中にその正当な位置を見いだすことを、知るだろう。
(『覚者は語る(2)』─民衆は目覚める─より)
感情の特性を変質させるとき、アストラル界のエネルギーはみぞおちからハート(胸)に持ち上げられるのです。そうするとそれは自動的に起こるのです。努力せずに、自然に起こります。一大決心をするようことではありません。恐怖心は入り込みません。なぜならそれは容易な過程であり、ある意味ではすでにそこにあるのです。できる時が来ればできるのです。つまりあなたはみぞおちのチャクラから機能しているのか、ハートのチャクラからなのか、そのいずれかです。これは長い動揺の激しい過程ですが、徐々にハート・チャクラの中に統合されていき、変質は完了します。そうすると、恐怖は問題とはならないのです。なぜならそれは生じないのですから。……
恐怖そのものは誰もが経験する感情ですが、それはみぞおちのチャクラの感情であり、人々が口にするようなハートの感情ではありません。それをハートに向けて移動させなさい。そうすると、その反対は愛であることが分かります。愛があれば、恐怖心はありません。恐怖心があるところには愛はほとんどないか、全く存在しないのです。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)
人々は尋ねる、『どうして始めればよいのか。いかにして誠実さを実践すればよいのか』。例えば、『腹を割って話をする』というような、しばしば使われる表現を考えなさい。これは何を意味するのか? あなたが本来のありのままの自分を表現することを、中心から──あなたの中心──真我から、交信することを意味する。これを実践しなさい。それはあなたとあなたの周りにいる人々を変容させるだろう。
(『いのちの法則』)
人々に自分を良く見せたい、立派な人間、善良で、正直な人間だと思ってもらいたい。自分が人に示そうと思っている理想のような人間だと考えて欲しいと思っています。正直に、そして誠実に、自分自身である人間を見つけることは稀です。そうすると心(ハート)から心(ハート)へと語りかける状態を生み出します。それは直接的です。このようにして、その人の霊性が他の人に伝わり、人はそれに感応します。確立すべきことは心(ハート)と心(ハート)の関係です。その時、あなたはあるがままのあなたです。それはあなた自身のアイデンティティーを誠実に完全に感知し表現するようなものです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)
マイトレーヤは人間から、正義と分かち合いと平和を求める彼ら自身の心(ハート)を呼び起こすだろう、それはすべての人間の心(ハート)の裡にある永遠の宝石である。人間が過去の過ちと不適切さを再考するにつれて、これらの聖なる属性のさらなる開花の時がやって来る。マイトレーヤと彼のグループ(覚者たち)の指導の下に、人間の生活はかつてないほどに繁栄するだろう。それが人間を、過去の無知と恐怖の状態から、今はほとんど知られていない神聖の表明へと持ち上げるのである。
(『覚者は語る(2)』─人間の生活は繁栄するだろう─より)
直観は全く直接的です。即座に識るのです。決して間違うことはありません。それは、感情的エネルギーの混ぜ合わせなしに、ハートを通して機能します。憐憫の情と慈悲の心との違いは、グラマーと本当に直観的ハート=ブッディの反応との違いです。自分のエネルギーセンター(チャクラ)に敏感であれば、感じ分けることができます。あなたのみぞおちの活動が、あなたの体験を満たしている時は必ず、それはグラマーです。それが純粋にハート・センター(右側の胸にあるのがスピリチュアル・ハート・センター)からであるならば、信用できます。
(『伝導瞑想』)
今、すでにわたしに耳を傾ける者が大勢いる。わたしの言に聞き入り、熟考する。何故なら、彼らがすでに心の裡で知っていることを、わたしは語っているのだから。わたしは正義が神の法であることを告げる。愛が本源へ還る道であることを告げる。愛と正義とがなければ、人類は消滅することを示す。わたしの兄弟たちはこの真理を愛する。これがすべての生命の背後に存在することを認めるからである。
(『いのちの水を運ぶ者』第32信より)
勇気を得て、新しいより良い時代が来つつあることを知りなさい。今この世界をしっかりと捉えている変化の勢いを止めることは誰もできないことを知りなさい。以前には、人々は受動的に運命を受け入れて、出来事が起こるのを待った。今日、新しい意識が人間の心(ハートとマインド)を活気づけ、生来持っている正義と自由への要求に目覚めさせる。それらが拒否されることはないだろう。
(『覚者は語る(1)』─拒否されることはないだろう─より)
キリストの再臨とは本質的に人間の心(ハート)に、このグループの個人を含むあらゆる個人の心(ハート)にキリスト原理が顕現することです。このエネルギーがあなたのハート・チャクラの中に錨を下ろしている限り、マイトレーヤはあなたを通して働くことができ、あなたを通してある程度世界を変えることができます。彼はそのようにして働くでしょう。キリスト原理があなたの中で活動的で、強力であるときにのみそれは可能になります。あなたのグラマーが弱まれば弱まるほどに、あなたの反応はより純粋になり、ハートからの愛の波動がより純粋になるほどに、あなたはより有益になるでしょう。それと共に、望むべくは、あなたがこのようなミーティングや教えについての書物から長年にわたって受けてきた教育を役立てることができるようになるでしょう。
(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌2001年1月号)
心(ハート)は決して汚されることなく、触れられることもない。それは魂の座である。われわれを迷わせるのはマインド(識心)である。和やかさ、喜びに満ちた感覚、幸福感、優雅さはハートの特質である。『心(ハート)の感覚』に波長を合わせることによって、あなたは自分の自然な無邪気さを経験することができる。あなたが子供のときに持っていたあの無邪気さである。ハートを“心象”してはいけない。なぜならそれはマインドが松明をかざして、光の源を探そうとしているにすぎないのである。
(『いのちの法則』)
質問 (1)ハートを開発することは可能ですか。(2)他者に対して、世界に対して、もっとハートから反応できるためにはどうすればよいですか。
答 (1)はい。(2)もっと瞑想しなさい。もっと奉仕しなさい。感情的な(みぞおちの)反応と、霊的なハート・センター(右の胸にあるチャクラ)の反応の違いを認識できるようになりなさい。後者への感受性を養いなさい。包括性を養いなさい。不快で苦痛のある事実から目をそらさないようにしなさい。自己満足しないようにしなさい。愛を体験したとき、それを表現するのを恐れたり恥ずかしがらないようにしなさい。
(『多様性の中の和合』)
これは今までに決してなかった時である。このような時は決して繰り返されることはないだろう。あなた方の心(ハート)の中を深く見つめなさい。そして選択をしなさい、光と愛に浴する未来か──あるいはあなたの運命の否認か。マイトレーヤは、変化への時は熟していることを知っている。人類はテストを受ける準備ができていることを知っている。彼はまさに出現して、ご自分の任務を始めようとしておられる。
(『覚者は語る(1)』─マイトレーヤへの反応─より)
人はもはや恐れる必要がないことを、光と真理のすべては人の心の中にあることを示すことが、わたしの目的である。この簡単な事実を悟るとき、人は神となるであろう。神の本質は愛することである。神の目的は奉仕することである。分かち合いと正義を通して神を識る。この簡単な真理を広めなさい、我が友よ、そして偉大なる行為をなしなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第98信より)
絵:「ロータス(蓮華)」は人の霊的ハート・センターを表す。それは縦横同じ長さの十字形を背景としている。
(ベンジャミン・クレーム、1973-74年)
時代の徴
ここに掲載されている「時代の徴」は、過去にベンジャミン・クレームによって確認されたものであるか、または確認されたものに似たもの、あるいはそれ自体が物語っている「徴」として掲載した。それらは多くの人に目撃され、彼らの希望と信の証しとなっている。判断は読者のみなさまにお任せしたい。
空の徴
日本──2021年2月13日午後11時頃、東北地方の沖合でマグニチュード 7.1の地震が発生した。2011年3月11日にマグニチュード9の地震が起こった同じエリアであった。この2月の地震後の数時間に、福島第一原子力発電所に設置された1台のウェブカメラが、発電所上空の低い位置を横切る数機の光る飛行体を映した。
2011年3月に引き起こされた津波は福島第一原発の2基に深刻なダメージを与え、炉心のメルトダウンと放射性物質の放出をもたらした。この災害から数日後、原発上空を飛ぶUFOの編隊が目撃され、ビデオに収められた。ベンジャミン・クレームの師は、被害を受けた発電所の周辺の大気と海を調査している宇宙船であることを確認し(シェア・インターナショナル誌2011年5月号参照)、後に、放出された放射能の多くを「スペースブラザーズ(宇宙の兄弟たち)」が中和したことを確認した。
2月13日の地震後に現れたUFOは原発の状態を調査していた、と合理的に推測することができる。
(Fukushima webcam; youtube.com mavi777)
アメリカ──2020年12月22日、目撃者はフロリダ州タンパで運転中に複数枚の写真を撮影した。そのうちの1枚に、低空にある光る円盤型の飛行物体が写っている。(mufon.com)
スウェーデン──2020年12月31日、ヴィスビューの住人が撮った満月の写真。後に見返すと、半円状の緑色の光が低空に見えた。(mufon.com)
2019年10月11日、フランス、ドローム県デュレフィットの建物で撮影された光の模様。ジェローム・リロイ氏提供。
2019年8月30日、フランス、ドローム県ヴァレンスの建物で撮影された光の模様。ジェローム・リロイ氏提供。
アメリカ──2021年1月9日早朝、ノースダコタ州ファーゴで、目撃者が帰宅途中の車から信号で停止中に撮ったビデオ。霧がかかった低空を点滅せずに眩しく光っていた。その後1回瞬くとその光る球体は何色にも眩しく光る円盤型の物体に形を変えた。「光はそこに静止
していて、1インチ(2.54 cm)も動いていなかった」と目撃者は報告した。
(mufon.com)
トルコ──2019年7月15日、イスタンブールで、「母船」と思われる鉛筆型の光る巨大な物体とその周りを低空で飛ぶ、複数の球体型の飛行物体が目撃され撮影された。
(mufon.com)
フランス──ルヴァロワ=ペレにあるフランソワーズ・ドルト学校の建物上の光のサークル。フランス、MAA提供。
編集長への手紙
シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。
輝き
編集長殿
(手紙は2004年12月着)
ベンジャミン・クレーム氏のミュンヘン訪問の翌日、私は新しい住居での、サイレント・ヨガ呼吸教室を初めて開きました。前日の出来事で頭がいっぱいだったので、湖沿いを散歩することにしました。それは小春日和の日々の終わり頃で、空の晴れ渡った日でした。歩いているとベンチに行き当たり、そこでホームレスの男性が日向ぼっこをしていました。彼は目を閉じて両腕を胸の上で組み、足も組んでいました。彼の顔には穏やかな充足感と陽気さが表れていました。何か心に触れて、思わず笑みがこぼれましたが、私はそのまま歩き続け、この出会いについてそれ以上考えませんでした。
その同じ日の夜、伝導瞑想のためにミュンヘンにいました。帰宅する途中で、長いエスカレーターを上っていくことになり、再びこの数日間の出来事について深く考え込んでいました。見上げると、散歩で見かけたホームレスの男性が反対側を下りてくるのが見えて、自分の目が信じられませんでした。この時も彼は胸のところで腕組みをして、まっすぐに前を見ていました。最初は一瞬、彼は病気かと思いました。けれども彼の瞳を見つめていると、その輝きに深く感動したのです。彼の瞳にどれほど心打たれたかは、とても言葉では言い表せません。心から感動を覚えながら、車で帰宅しました。経済的に非常に不安な時期でしたので、この出会いは私に勇気を与えてくれる、輝かしい祝福であったと感じました。あのホームレスの男性は特別な方でしたか。
アンティエ・シュテルン
ドイツ、トゥッツィング
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】
次の3通は同じ人物からのものです。
内なる美
編集長殿
(1)約半年前(1999年)、カルガリーにある地元のショッピングモールへ、お使いをしに向かっていました。中央の通路へ続く角を曲がった時、一人の年配の女性が反対側に座っているのに気付き、心の中で「とても美しい人だわ。彼女の所へ行って、あれほどお化粧をする必要がないと伝えるべきかしら?」と考えていました。その後、彼女が私を見ると、私は心の奥深くから溢れる愛に包まれたのです。「マイトレーヤ?」と思いましたが、私が歩き続けても、彼女は微笑んでいるだけでした。
帰りがけに、彼女がモールの真ん中の噴水の近くで、ショッピングカートを持った、もう一人の人物と一緒にいるのを見ました。その人は右手を、最初の女性の心臓の辺りに持ち上げていました。その最初の女性は、今度は、私に母のことを思い起こさせました。同じ微笑み、同じエネルギーで、「大丈夫、順調ですよ」と言っているかのようでした。
その二人から流れてくる愛は驚くべきもので、今日に至るまで私を支え、鼓舞してくれているのです。後になって、彼らに近づかなかったことを後悔せずにはいられませんでした。これはマイトレーヤとの出会いでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がマイトレーヤであったことを確認した。もう一人の人物はイエス覚者であった】
一人ではない
(2)私は最近、たくさんの疑問を持っているのですが、特にキャリアでの私の『行き詰まり状態』が保留中、あるいは泥沼化(!)ともいえる状況になっていることについてです。私はサティア・サイババに一通の手紙を書き、この件に関してと、成人後の人生のほとんどの間、私が自分自身に背負わせてきたと思われる個人的問題について、助けを求めました。このことの答えだと思えるのですが、2004年4月にボンベイから一人の男性がやって来て、グルジと名乗りました。神性との直接の接触を求めるべきで、他のグルやアバターと関わるべきではなく、そうした人たちは皆、仲介者を当てにしているとさえ言っていました。さらに、来る時代にますます転生してくることになる、彼のような大勢の人々のうち、彼は最初の人間だと言っていました。彼自身が直接、治癒や祝福を行いますが、彼のエネルギーもやはり喚起することができます。私は彼のことをどう考えたらよいかわからず、それは私の知る『スピリチュアル人名録』の中に、彼が当てはまる『区分』がなかったためでした。あなたの師はこの男性についてご意見がおありですか。彼はアバターですか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が覚者方の一人の『年少の』弟子であったことを確認した】
トライアングル
(3)私たちは自宅で、数名の講演者による、キリストの再臨に関する講演会を開きました。私たちの伝導瞑想への参加者は、その後増えましたが、短期間で元の3人のメンバーに戻ってしまいました。私はある意味、このグループの発展を妨げているのでしょうか。私たちはとりわけ小さなエネルギー的一団なのでしょうか。私の伝導時間は、バカバカしいほどわずかだとわかっていますが、ちりも積もれば山となると思って続けています。私に見えていない、より大局的な視点があるのでしょうか。
E.R.
カナダ、カルガリー
【ベンジャミン・クレームの師は、この場合が小さなエネルギー的一団であることを確認した】
読者質問欄
世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。
Q 伝導瞑想グループを通してステップ・ダウンされた後で、エネルギーがどうなるのかについて少し説明していただけますか。例えばそれは、マインドベルト(想念帯)にある「高次の」想念をステップ・ダウンして、人類がより容易にそれにアクセスできるようにするのですか。
A いいえ、全くそのようなものではありません。グループを離れたエネルギーは、マイトレーヤによって1922年に形成された「世界奉仕者の新集団」にまっすぐに流れます。(彼らは必ずしもそれに気付くことなくそのエネルギーを使います)約500万人いるこれらの人々は、多くの場合、エネルギーと共に働いていることに意識的に気付くことはありませんが、世界への奉仕の仕事の中でこれらのエネルギーを用います。彼らは様々な奉仕の分野における専門家です。
(シェア・インターナショナル誌2012年5月号)
エーテル物質と現在の科学
Q 『ニューサイエンティスト』という雑誌によれば、空間は未知の放射物によって満たされていることが発見されました。その放射は、すべての既知の周波数帯内の天体を合わせたものの6倍の強さがあります。科学者たちは、ビッグ・バンのマイクロ波のこだまである宇宙背景放射の小さな変化を発見しようとしていました。その代わりに、彼らはもっと興奮させるものを見つけました。それは神秘的な放射であり、その起源は全く不明で、宇宙を満たしているように思われます。 天文学者は、新しいものを発見したと考えています。NASAの科学者を含めた科学者たちによれば、その信号は過去に発見されたことがなく、それは地球の望遠鏡が十分に敏感でなかったからだといいます。
これは何ですか。この発見についてコメントしていただけますか。
A 科学者がその発見を正確に表現しているとすれば、著名な心理分析家で後に科学者となったウィルヘルム・ライヒ(1897-1957)によってすでに発見されていたものを彼らが自分自身で発見したことになります。ライヒは、彼が‘オルゴン’と名づけた原初的エネルギーを発見しました。彼はそれを物質のあらゆる形態に浸透しているエネルギーとして見ました。彼はオルゴンを多くの方法で実験しました。治療や、必要な場所に非常に簡単な方法で雨を降らせるクラウド・バスティングなど。米国食品医薬品局が彼を逮捕し、刑務所に入れ、彼は獄中で死亡しました。
天文学者たちが発見した波動と、ウィルヘルム・ライヒの‘オルゴン’と、高次のエーテル・レベルの物質とは同一のものであると私は思います。今日の科学者は物質を固体、液体、気体と認識していますが、秘教学徒は、気体の上に第4、第3、第2、第1のエーテル物質という四つの物質層があることを知っています。ですから、三つの層ではなく、物質には実際には七つの層があるのです。すべての物質は光の凝縮したものです。ですから、物質の場とは、七つの、多かれ少なかれ物質的な界層に凝縮した光です。
(シェア・インターナショナル誌2009年1月号)
キリストの降臨と知恵の覚者方の出現は、途方もない安心感と世界の緊張緩和をもたらすだろう。肉体と感情の健全性にとってかなりのものが得られるだろう。今日の肉体の病の多くは心理的な原因を持つ。つまり、分断された社会と世界におけるストレス、緊張、恐怖心である。未来への真の希望を与えられて、人類の一般的な健康は改善されるだろう。
これとは別に、病気の原因を発見するための新しいアプローチがなされるだろう。物質のエーテル界層、すなわち気体よりも精妙で見えない物質の存在は、長年仮定されており、秘教家には定理として受け入れられてきた。これは科学者にとって次に調査すべき物質の領域である。キルリアン写真とウィルヘルム・ライヒの仕事が既に道を示している。肉体の健康は、エーテル「複体」または「対となる肉体」に完全に依存することが認識されるだろう。フォース・センター(東洋で「チャクラ」と呼ばれるもの)はエーテルの流れの焦点であり、濃密な肉体の内分泌系の大小の腺の中に対となるものを持っている。内分泌系の相互機能が健康に及ぼす影響について私たちはまだ理解し始めたばかりである。これは、それに実態を与える生きたエーテル体の適切な機能にかかっている。
(ベンジャミン・クレーム、
シェア・インターナショナル誌特別情報号)
Q 科学者たちは、四つの水準のエーテル質料を発見するのに、どれほど近くにいますか。
A 実際、かなり近いです。彼らはすでに「ダーク・マター」と呼ばれるものを仮定しています。それがあることは知っていますが、特定できません。彼らの計算は、何かが欠けていることを示しています。見ることのできない何か物質的基体があります。それが物質のエーテル界層です。エーテルについて知りたければどんな秘教雑誌にも載っています。しかし、彼らは200億ポンドもかけてサイクロトロンを作り、何年も電流を送り続け、この物質が何であるかを見いだすためにその速度を上げています。例えば、H・P・ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』を開きさえすれば、簡単に見つけることができるでしょう。
ウィルヘルム・ライヒの発見について知っている科学者もいます。彼は1939年にオルゴンと呼ばれるものを発見しました。オルゴンとは、四つのエーテル的水準の物質以外の何ものでもありません。ライヒはそれらを物質の一つの場として見ましたが、実際は、四つの界層に分けられる一つの場であり、それぞれの界層はますます微細なものになります。
彼の実験を推し進めた人々もいました。世間的な意味でそれがどのレベルまで達したかについて私は知りません。今日多くの天文学者はダーク・マターについて語っています。彼らは、すべての実験が何かの存在を示していることを知っていますが、それをまだ証明できません。ですから、ダーク・マターはオルゴンと同じであり、物質のエーテル界層と同じです。比較的間もなく科学者はそれを自力で発見するか、彼らにそれが明らかにされるでしょう。そのどちらになるか、私には分かりません。
(シェア・インターナショナル誌2010年3月号)
2021年2月号
マイトレーヤのメッセージ:
彼は私たちに何を求めているのか
パトリシア・ピッチョン
最前線で働く女性たち
プムズィレ・ムランボ=ヌクカ
国際移動通信システム(IMT) と
第5世代 (5G) テクノロジー 一希望と不安
ティム・ウェルチ
人類へのマイトレーヤの接近――第一部
アレクサンダー・ドゥーヴェス・デッカー
ブラジルはファシズムとの闘いを続ける
チアゴ・スタイバーノ・アルベス
時代の徴
溢れる徴
現代美術における霊性 第一部
コルネ・クワーテル
世界情勢
インド――最年少の市長が選出される
ドイツ議会でユニバーサル・ベーシックインカムが議論される/ホームレスのための「シェル タースーツ」
S.O.P. (Save Our Planet) われわれの惑星を救え!
地球のための想像力
インド農民が歴史的な抗議行動を続ける
ブレット・ウィルキンス
愛と平和の道
シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって、毎月記事を提供してこられた。2006年に書かれたこの記事は多くのテーマを扱っているが、そのうちの一つは、人間が孤独であったことは決してなく、私たちが望めば案内(ガイダンス)が得られるという再保証である。まるで2020年に書かれたかのように、クレームの師はこう書いておられる。「われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である」
愛と平和の道
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
幸いなことには、助けが必要なときに人間が放っておかれたことは決してない。どんなに困難な状況だろうが、どんなに直面する危険が大きく深刻なものであろうが、人は一つだけ確信がもてる──すなわち彼の兄たち(覚者たち)から見放されることはない、ということである。人間の長い歴史において幾度も幾度も、すべてが失われて、人間の未来が危険なほど不確かになったとき、いつでもわたしたちの救助が手近にあり、人間の前進への道は再び復活されたのであった。そして今日、相容れない様々な勢力の大渦巻きの中に立ち、次のステップについて確信がなく、前方にある仕事の巨大さにほとんど圧倒されているこの荒々しいときにあって、然りである。
わたしたちは古の隠遁地から出て来て、わたしたちの思考とステップを苦闘する兄弟たちの援助に向け直す。すべてが失われているのではないことを、人間が彼らの生活を組み立てるために他のより良い方法が存在することを、和合と幸福は正義と自由から生じることを、分かち合いは和合の自然な行為であり、すべての人間の苦しみへの単純な答えであることを、模範によって示すために。
人類はわたしたちが与えねばならない叡知の贈り物を欲しなければならない。偉大なる法がそれの強制を許さない。であるから、人類は彼らを取り囲む危険をはっきりと見て、決断と選択をしなければならない。
人類に案内(指導)が必要なことは議論の余地がない(多くの者がそのことを否定し、あるいはそれを見つけることができるということを否定するのだけれど)。そしてこの案内(指導)を、マイトレーヤ御自身が人類に提供されるであろう──彼らに考慮し、賢明に分別してもらうために。
それに応えて、人類は彼ら自身をひとつとして見なければならない。自由と正義を阻む古い障害物は捨て去られねばならない。すべての者が地球の豊かな贈り物を分かち合わねばならない。すべてが信頼という言語を学ばねばならない。われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。
これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である。一旦それらが採用されたならば、もはや過去の無秩序に戻ることは決してないだろう。人間は、貧困や戦争、搾取や残酷さ、腐敗や不正義に別れを告げるだろう。
人類は彼らの兄たちを熱心に見習い、そして愛と平和の道を歩むだろう。
今のこの時を決断の時と見なしなさい。すべてが、マイトレーヤの勧告に対する人間の反応にかかっている。あなた方の兄であるわたしたちは心配しているわけでも、悦に入っているわけでもない。マイトレーヤと人類の両方が直面する巨大な仕事をわたしたちは知っている。わたしたちはまた「いのちのしるし」の読み方を知っており、恐れてはいない。これを読んでいるあなた方は恐れることなく、地球の復興がすぐ近くにあるという事実を、過去の不正は衰え、それとともに古い統治法が衰えつつあるという事実を、広く知らせなさい。新しい案内は人間のための道を示すためにここにある──古の、しかしいつも新しい指導が人間を山頂へと連れて行く。
(SI誌、2006年7-8月号)
マイトレーヤのメッセージ:彼は私たちに何を求めているのか
パトリシア・ピッチョン
1977年9月6日から1982年5月27日まで、ベンジャミン・クレーム氏は、ロンドンのフレンズ・ハウスでの毎週の講演中に、メンタル・オーバーシャドウの過程を通して、マイトレーヤから合計140信のメッセージを受け取った。
私たちは繰り返し、霊的教師や案内者に多くを求めたり、あるいは、私たちが信じる聖なる力が何であれ、その聖なる力に多くを求めたりするが、たとえ不完全であるにしても、私たちに求められているものについてどれほど頻繁に考え、実行しているだろうか。自分自身への言い訳は、「それは難しすぎるし、なぜ私が試さなければならないのか」という疑問から、「ああ、そうね、いつかやってみよう」に至るまでいろいろとあるが、その後、その意図はいつの間にか失われてしまう。
マイトレーヤのメッセージには幾つかユニークな特徴が見られる。それぞれのメッセージが一定の朗々としたスタイルを持っており、厳粛さに満ちているが、多くの場合は直接的で、ほとんど親密な語り口と、全く尊大さを感じさせない単純さがある。
最初のメッセージにおいて、マイトレーヤは人々を「兄弟姉妹たち」または「我が友、子供たち」と呼んでいる。彼はまた私たちにこう告げている。「わたしの顕現は完了し、成就した。まことにわたしはこの世に在る」。続けて彼は「しかしなすべきことは多い、世界には変化を必要とするものがあまりにも多い。多くの者が飢え死にし、多くの者が不必要に苦しんでいる」と語り、さらにこう付け加えている。「これらすべてを変えるためにわたしはやってきた。あなたがたに前進への道を示そう、もっと簡素で、健全な、より幸せな生活へ向かって、共に進む道を。人が人に、国が国に相対立することなく、兄弟同胞として、共に新しい御国へと前進しよう」
2番目のメッセージで、彼は「世界の倉庫で腐敗している食物」について語り、「教師として、守護者として、友として、案内人として」私たちに対して援助を申し出ている。ここではまた、マイトレーヤは、彼と一緒に働く覚者方、知恵の覚者方も私たちの中にいることを公表し、「彼らの仕事を助けなさい」と、私たちに直接呼びかけている。彼はこう説明している。「彼らは、あなたがたを通して、新しい時代を建設するということも知りなさい」
ただし、これは自然に起こることではない。ほんの少数であっても人々が集まり、他の人々のために働き始めるとき──利益ではなく奉仕によって、個人的な野心や見当違いの競争精神ではなく協力的な精神によって動機づけられ、人々が生き、希望し、繁栄することを可能にする基本的な必要に応えようとするとき──覚者方は、エネルギーを送ることによって私たちの努力を強化する。最も緊急を要するのは、十分な食料と水、そして住居の提供であり、また、それだけでなく、様々な形を取り得る教育や訓練、医療支援の提供である。さらには、人々が出会い、話し、食事を共有し、単純に交際を楽しむことを可能にするプログラムの提供である。これらの取り組みは、多くの場合、より広範な共同体の取り組みへと発展し、それが成功すると今度は、他の人々を鼓舞する青写真となる。現在、多くの人が自分自身の輪を越えて活動を広げており、そうした活動による結果は、非常に寛大な寄付による壮大なものであれ、ささやかな始まりからの発展であれ、深刻な世界規模のパンデミックの最中にあっても喜びと本当の安堵感をもたらしている。
したがって、救済の仕事は明らかに集合的で協力的なものであり、マイトレーヤと知恵の覚者方が自分たちで成し遂げるものではない。この側面は、私たちを単独で救済する「救い主」を待っている人々にとっては受け入れ難いかもしれない。変化を起こし、その「新しい御国」の創造のために私たちが手を差し伸べ、共に行動しなければならないという認識は、まさしく厳粛なものである。
マイトレーヤは以下の励ましの言葉を追加している。「心に深く留めなさい、我が友よ。すべては良くなるだろう。あらゆる事柄は良くなるだろう」
まさにどれだけの責任が私たちの肩にかかっているかを、マイトレーヤは3番目のメッセージで明らかにしている。「わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない。わたしの両手は『法』によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ」
マイトレーヤが「法」について語るとき、彼は自身が従わなければならない霊的な「法」について述べている。この場合明らかなことは、彼は援助を申し出ているが、行動しなければならないのは私たちだということである。全能の救い主が独りで働いているという、一部の人々が抱くイメージは正確ではない。私たちの協力がまさに要求されている。私たち自身は重要であり、貢献することができ、このようにして新しい世界を構築することができる。
穏やかに、しかも粘り強く、私たちがどのように彼と一緒に働くことができるかを理解するよう、マイトレーヤは私たちを励ましている。メッセージ第116信で、彼は次のように述べている。「我が兄弟たちよ、世界は愛を切望し、同胞愛と正義の顕現を切望する。
わたしを援けて、あの聖なる歓びをこの世に創造しなさい。わたしの側にあなたの位置を占め、これまでにないほど働きなさい。我が友よ、わたしを手伝って愛の貯蔵池を非常に深く創り、すべての人間が渇きを癒せるようにしなさい。
私の教えは単純である──正義と愛、分かち合いと平和が、人を神に近づける」
私たちによる手助けを求め、多くの方法で援助を申し出ていることに加えて、マイトレーヤはこれらのメッセージをマントラとしても創造した。このことが意味するのは、声に出して唱えるとき、彼のエネルギーを呼び起こすということである。実際に、このエネルギーを肉体的に感じるかどうかにかかわらず、このことから恩恵を得ることは可能である。ベンジャミン・クレーム氏の最初の本、『世界教師と覚者方の降臨』をスペイン語に翻訳していたとき、私はこのことに気付いていなかった。翻訳中に、これらのメッセージの特定の質を保持する方法を何とかして見つけようとしていたことを覚えている。この目的のために、私は一日の大部分、両方の言語で何度も何度も声に出してメッセージを唱えていた。午後になってこの仕事を終えた時、私は突然、泣き出してしまった。内奥から涙が込み上げてきて、心臓が破裂するかのようにさえ感じられた。幾分回復した後、戸惑いや驚きを感じながら、ベンジャミン・クレーム氏に電話をかけ、このことの意味について思い巡らしながら、今しがた起こったことについて説明した。彼は、「ああ、それは驚くべきことではありません。あなたは一日中マイトレーヤのメッセージを唱えていたので、彼のエネルギーも呼び起こしていたのです!」と説明した。
私はためらうことなく、こう言うことができる。彼のエネルギーは愛のエネルギーとして説明することができる、と──通常の愛ではなく、力強く、直接的で、並外れたものとして。それを神聖なる愛として説明する以外の方法を私は知らない。彼の見解によれば、それは私たちが自然に、生まれながらに持っているものであり、私たちの「内なる神」、私たちの真我である「神聖なる自己」の表現である。言葉と行動を通してそれを表現することが私たちの仕事であり、この努力において私たちを援助することが彼の仕事である。
このように一般の人々に届けられたすべてのメッセージの広がりと深さを一つの記事で正当に評価することはできないが、ここに、少なくともマイトレーヤの一つのメッセージ全体を掲載することは適切だと思われる。そのことは、メッセージすべてを含む書籍(『いのちの水を運ぶ者』)を入手できないかもしれない人々に読む機会を提供し、あるいは声に出して読み、マイトレーヤの言葉の意味を熟考する機会を提供する。こうしたメッセージは、彼の裡にある神性から私たちの裡にある神性へと語りかけているようである。
マイトレーヤのメッセージ 第123信 1981年4月23日
親愛なる友よ、再びこのようにしてあなたがたと共に居ることを非常にうれしく思う。
わたしの計画は成功のうちに進む。
わたしの希望は叶えられる。
わたしの出現は法のもとに行われ、すべては順調である。
分離、分裂、無法という罪悪は、この地上から消え去らねばならない。
人間の神性の顕現を妨げるものはすべて、この惑星から追い出されねばならない。
わたしの法が分離に取って代わるだろう。
わたしの法は、愛と同胞愛と正義と真理の法である。
これらのことを知り、私に従いてきなさい。
わたしの法は成功するだろう。
なぜなら愛の法は神の本質から出づるものであり、失敗し得ないのである。
わたしがあなたがたと共に居る間に、
あなたがたが夢見ることもできないような不思議をお見せしよう。
新しい方法で、神の特性を示そう。
あなたがたの心から、死の恐怖やいのちそのものへの恐れと、
あなたの兄弟やあなた自身に対する恐れを取り除いてあげよう。
そのような無知を過去のものとなし、
新しい光の中へ、わたしと共に歩けるように手伝ってあげよう。
これらの仕事のために、わたしはあなたがたの助力を求める、我が兄弟よ、
なぜなら人間自身の努力を通してのみ、人は価値あるものを得ることができるのであるから。
これはいつもそうであった。
わたしの手を取りなさい、我が友よ、神としてのあなたがたの真の特性が栄えることのできる、
あの新しい国へお連れしよう。
そこで、すべての人間が共に兄弟として、いのちの夢を成就するであろう。
多くの者はわたしの到来を、恐れを抱きながら待つ。
わたしが踏みしめるところには、良きものしか生えないであろう。
わたしの約束は守られる──
あなたがたに、あなたがた自身と神の本性を明かそう。
すべての人間にとって、人生は祝福されたものであることを示そう。
あなたがたの中に愛の池を創る。そこからすべてのものが渇きを潤すことができる。
わたしの心はあなたの心に代わり、わたしの舌はあなたの舌に代わって語ろう。
指導者も民も応じ、そしてすべてが新しくなる。
わたしがあなたがたの中に居ることを、我が友よ、心に受け入れなさい。
わたしはあなたがたに仕え、あなたがたと共に住み、
あなたがたを愛し、導き、案内するためにやってくる。
もはや闇を探す必要はない。
わたしの祝福はあなたがたすべてと共に行く。
唯一にして最も聖なる神の光と愛と力とが、あなたがたの心の裡に、今顕されるように。
それによって、神としてのあなたの真の姿に近づくことができるように。
科学・思考・事実――選集
Science, thought and fact ──a compilation
「科学、思考、事実」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。
ほどなく、科学に対する新しいアプローチが、われわれがその中に生きるあの実在(リアリティ)に対するわれわれの姿勢を完全に再調整させる道を開くだろう。すべてが一体であり、われわれが知る各断片は他のすべてと密接につながっており、その関係は数学的に決められる特定の法則によって支配されており、各断片の中に総体の潜在力が存在するということを、新しい科学が人類に示すだろう。この新しい知識が、人間の、世界についての体験とお互いについての体験を変え、神と人間が一つであるという真理を確認させるだろう。
(『覚者は語る〔1〕』─新しい文明─より)
わたしの任務は、あなたがたに神への道を示し、あの単純な径を描き、あなたがたの手を取って、神の聖なる足下に連れて行くことである。そして神の大計画を完了する。わたしの覚者たちもあなたがたと共に居る。あなたがたの中に居る彼らの数は増えていく。あなたがわたしたちを見るとき、神の時が来たことを、理性と愛の時代が始まったことを、いのちの意味が甦り、愛の原理が実践され、神の意志が成就されたことを知るであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第96信より)
私たちが一般に科学として知っているものは、覚者の観点から見れば、低位マインドの活動です。しかし、低位だからといって劣っているという意味ではありません。それは単にマインドの低位様相であり、頭脳を使って今日の科学を、具体的な科学を創造しています。
科学には三つのタイプがあります。具体的な科学であるテクノロジーがあり、哲学的、理論的、抽象的な、高位マインドの科学、例えばアインシュタインの科学があります。覚者方が使うサイキの科学、つまりホワイトマジック(白魔術)もあります。それは他の科学と同じように科学ですが、目には見えません。ただし、その結果を見ることはできます。……
これらすべての科学は、知識と思考を異なったレベルで適用したものです。すべての科学は、顕現した宇宙のすべてのものがエネルギーであり、エネルギーは思考に従うという根本的な原理に関連しています。
(『多様性の中の和合』)
科学とテクノロジーが繁栄することは疑いない。科学の発見を通して、生命の神秘が明かされ、宇宙のエネルギーをコントロールする時代に入りつつある。われわれのテクノロジーもまたこれらの発見によってもたらされる挑戦に適応するにつれ、さらに高度なものになるだろう。われわれは、適切なバランスが維持されて、科学の業績と資産が、人類がそれに仕えるのではなく、それが人類に仕えるような線に向けられることを確実にしなければならない。
あなた方がこれを成すのを助けてあげよう。わたしたち覚者の仕事は、正しいバランスを維持する道に沿う新しい社会の発展を監督することであり、人間の必要を侵害するものは何であれ、わたしたちの推薦を受けることはないだろう。美と適合感が試金石となるだろう。見苦しくて機械的で人間の精神(スピリット)に害のあるものはすべて避けられるだろう。目標は、人間とその環境との間に正しい関係を完全な自由と調和のうちに維持することであり、そしてテクノロジーと科学の発達すべてが人間の必要によりよく仕え、実在(リアリティー)の特性をよりよく知ることの助けとなることを保証するだろう。
(『覚者は語る〔1〕』─新しい時代の生活─より)
メンタルへの極化は、意識を情緒界からメンタル界に徐々に移転させていく結果として起こるのであり、最初の二つの段階のイニシエーションにまたがって起こります。人類の情緒体は最も強力に発達した器です。それを完成させるのに何百万年もかかりました。そして殆どの人はその情緒体の行為によって(または正確には、その器をつくっている情緒界のエレメンタルによって)支配されています。ジュワル・クール覚者は、あなたたちが世界に与えることのできる最大の贈り物は情緒感情の器(アストラル体)を統御することである、と書いています。メンタル界からこの統御が行われるのであり、達成するのに多くの転生(少なくとも数回)を要します。情緒界(全部で七つのレベル、亜界がある)は錯覚やグラマーの界です。グラマーの霧がメンタル界の光によって消散されると、意識の極化がだんだんに移行します。多くの人は感情的過程と知的過程を混同します。実際には感情的反応を情緒的想念のなかに覆っているのに、情緒的想念を思考と間違え、自分は「考えている」と想像するようです。ですからマインド(識心)を集注させるもの、あらゆる状況の中で知性を活動させ、あるいは知性の反応を呼び起こすものは何でも、極性の転移の速度を速めます。瞑想はどんな種類のものであれ(ただし、しばしば瞑想と間違えられるあの消極的な夢想を除いては)いずれもこの方向への主要な動力です。あらゆる状況において、特に最も心を乱されるような状況において、自己の反応をできるだけ非個人的に正直に見つめることを勤勉に行う決意。自分の光線構造の理解──従って自分のグラマーの理解。人類に奉仕するために自己の生涯を捧げること──従ってより大きな非自己集中化につながる。これらすべてが意識を高位の界に移転させる助けとなり、かくして人生のそれぞれの状況に魂の光を持ち込むことができるようになります。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)
……単科大学(カレッジ)が設立され、最も有能な学生たちに、魂の科学を含めた新しい科学の初歩のレベルが教えられるだろう。この新しい科学は、目に見えるもの見えないもの、亜原子レベルのものからコズミック(宇宙)レベルのものまで、自然環境のすべての面を網羅するだろう。このようにして、見えざる世界の栄光についての新しいビジョンが人間に与えられるだろう。異なった分野の間に協力の精神が育てられ、新しい、より広い、より包括的な見解が現在の断片的なものに取って代わるだろう。このようにして覚者たちは働くだろう──人間のマインド(識心)を刺激し、強化し、さらに新しい高みの探求と達成へと鼓舞する。
(『覚者は語る〔1〕』─覚者たちは世に在る─より)
人間社会のすべての機構が、聖なる光で輝かねばならない。すべての人間の思考のしかたが、裡なる神を顕さねばならない。この真理が、我が友よ、変化の基礎にある。これを知るとき、あなたがたは喜んでこの必要を受け入れるだろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第96信より)
将来、人間のマインドの発達とともに(人間のマインドはまだやっと顕現し始めたところです)、私たちは人間のマインドに反応する一段と優れたコンピューターをつくり出すでしょう──科学者たちはすでにこれをつくり始めています。これらは完璧に反応し、私たちが日常生活で使用するすべての加工品を作るようプログラムすることができるでしょう。これは人類に余暇を与え、私たち自身の本質と創造性の探求へと人類を解放するでしょう。今日のロボットは、将来のコンピューターを特徴づける、信じられないような知識とは比べ物になりません。それは私たちが想像する方法で創造することを、思考によってプログラムされるコンピューターです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)
ダーウィンおよび彼の考えに正しく従った者たちは、われわれはすべて意識の発達に従事しているということを大体において無視しており、人間の外的な肉体的発達のみを描写する。人間の肉体はほとんど完成の段階に到達しており、さらに成し遂げるべきものはほとんどない。しかしながら、意識という面からは、人間はその開花に向けてほとんど最初のステップすら踏み出していない。その開花は人間がまさに神性を内在させていること、すなわち魂が転生しているということを証明するだろう。いつの日か、魂の事実が科学によって証明され、一般的に受け入れるようになるだろう。そして古い意見の対立は癒されるだろう。
(『覚者は語る〔2〕』─進化論 対 創造説─より)
すべての知識はコンピューターの中に入力されます。それはインターネットとか、世界知識バンクとか、世界智恵バンクとか呼ぶことができるでしょうが、そこでは、智恵、つまり何千年にもわたる啓発された書物からの思想や知識が入手可能となるでしょう。最新の発明つまり発明の過程を早める科学的知識はこの同じ情報の源に収められて、世界の誰にでも、どこにいても入手可能になるでしょう。……
研究の一つの分野と別の分野が関係づけられることで、非常に急速な科学的、科学技術的進歩が得られるようになるでしょう。純粋科学と技術分野の科学とを分けることはできますが、その双方が私たちには必要です。両者とも同じ人類の意識の拡大の一部分なのです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)
わたしの臨在は人の心に新しい驚異の感覚を呼び起こす。己の裡を、そして周りを見回して、人は、夢見ることも出来ないような知識と、ただ願うことしかできないような知恵と、己自身のものであると知っているあの愛の表現、これらを一望のもとに見渡せるような感覚を得る。これが確かなことを知り、恐れるでない。
(『いのちの水を運ぶ者』第103信より)
現代の科学は細胞構造を分析して、すべての原子の中心に電子をその周りに持った核があることを示すことができました。そして宇宙にあるすべての原子が同じような方法でつくられていることを示しました。顕現された宇宙にエネルギー以外の何も存在しません。完全に科学的な見解と、秘教学徒がもつものとの違いは、秘教徒はさらにそれを推し進めて、まさにすべてがエネルギーである、しかしエネルギーは思考に従い、思考によって作動される、と言います。思考はそれによって創造が起こるその代理機関です。
(「不朽の智恵の教え」『マイトレーヤの使命 第3巻』)
……正しい判断と反応には、バランスの取れた見解が望ましいのは明らかである。現在の状況の中で、憶測と噂が影響力を持ち、見守る世界の活力を消耗させる。
第一の優先事は、事実についての本当の知識である。しかしながら、これは見つけることが難しい。非常に多くの声が、様々に矛盾する情報を繰り返し唱え、または叫んでいる。あまりにも多くの意見が、あたかも事実であるかのように扱われており、尊重して耳を傾ける価値のあるもの、信じられるものはほとんどない。そのような状況のもとでは、慎重さと抑制を促すことが賢明である。
(『覚者は語る〔1〕』─権力のグラマー ─より)
自然界とその裡に働くフォース(エネルギー)についての古い、機械的な見方は急速に消えつつあり、すべての顕現の基礎にある和合について新しい認識が目覚めつつある。すべてがエネルギーであり、エネルギーと物質は一つのリアリティー(実相)の異なった状態であり、想念によって影響され得るという概念が広範囲に受け入れられつつあり、人々の人生観を変えつつある。人々はますます急速に啓発されており、間もなくこの事実を実演するための方法とテクノロジーが発見されるだろう。これは将来の人類の進化にとって深い意義がある。
(『覚者は語る〔1〕』─意識の成長─より)
私たちが話しているのは、ただコンピューターを操作するだけでその分野にいる人々に閃きを与えることのできる有益な知識、蓄積された諸発見、テクノロジー、諸科学の貯蔵庫のことです。彼らは本を買う必要はありません。自分たちの知識に欠落している部分を誰か他の人が見つけてくれることに希望を託す必要もありません。そこにあるでしょうから。私たちがこの知識体系を分かち合うとき、それに利用価値があると思う人誰でもがそれを入手できるとき、発見や科学や技術の全過程が驚くほど早まるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)
意識してかしないでか、人間は自分たち自身を追い越して、すべての予想に反して、新しい啓示を受け、新しい光と知識を受ける用意ができた。人生に新しい意味と目的を見いだし、その増大する認識をテクノロジー(科学工業技術)や科学やまったく新しい関係の中に実証する用意ができたのである。
理由なくして、「生徒の用意ができたときに師はやって来る」と言われてきたのではない。このことは個人におけると同じく、集団の規模においても真実である。今日、生徒としての人類は、試され、試練を通過した世界の弟子としての人類は、新しい人生に、人類種族への奉仕の人生に入る用意がある。
(『覚者は語る〔1〕』─新しい光、新しい理解─より)
いにしえの聖者や覚者方は神性とそれの表現である人間、自然、そして様々なハイアラキーや王国との間にある様々な関係と連結を公理として認識していました。やっと今日に至って近代科学がそれを探求し始め、そしてそれが真理であることを発見しました。そしてそれが人類の意識における変化を起こさせているのです。まず人類の指導的グループの意識に転換が起こった結果、そして彼らの探求や書物や教えの結果として、あらゆる種類の出版社やメディアがこれを取り上げたために、この認識が徐々に世界に流れ出ています。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)
レオナルド・ダ・ヴィンチ、シュヴァイツァー、ベートーベン、プラトン、シェークスピア、ガリレオ、アブラハム・リンカーン等々、いくらでもあげられます。これらのイニシエートたちの出現は人間の進化の徴であり、すべての芸術、すべての偉大な科学的発見もそうです。原子の探究、物質がエネルギーであるということの発見、自然界の構成単位そのものからエネルギーを放出することができるということ。これは途方もないことです。偉大な科学です。そしてわれわれが、それを安全に、破壊の目的の代わりに、すべての幸せのために使うことを学ぶとき、このエネルギーは、われわれの想像を超える文明を建設する基礎を与えてくれるでしょう。
(『世界教師と覚者方の降臨』)
人類を取り巻く問題を、わたしはよく知っている。多くの変革が必要なことも、よく知っている。しかし同時に、人間の裡に、知ろうとし、意識を高め、くもりをつきやぶって見極めようとする願いも見える。この知ろうとする衝動こそが、人間の最大の才能である。人が神への道を知るとき、この才能が創造的に壮麗に開花するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第9信より)
編集長への手紙
シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。
覚者の魔法
編集長殿
数年前(手紙は2006年着)、車に姉と、後部座席に横になった甥を乗せて運転をしていました。霧の多い天候で、すでに日が暮れていました。ブレステルニツァからマリボルへ向かっていました。道路の両側にコンクリートの壁かフェンスのある場所を運転していた時、前方の赤い車が別の車を追い越して、私の方へ向かっているのが見えたのです。私はブレーキを踏んで、できる限り壁の方へ寄りました。その道路は3台分の幅がなかったので、赤い車と衝突することになると思いました。すべてはほんの一瞬の出来事で、突然あの赤い車が私の背後に見えました。その車は通り過ぎていきましたが、どうやってかはわかりませんでした。
覚者のお一人が介入されたのか、どうか教えていただけますか。
マヤ・クラインツ
スロベニア、マリボル
【ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者が介入されたことを確認した】
差し向けられた光
編集長殿
昨日(2020年の冬)、午後6時半頃、友人と私は車で帰宅していました。私は窓から外を眺めていました。地平線はすでに暗くなっていましたが、突然明るい光がパッと私の顔を照らしました。けれどもそれは柔らかな光で、心地よい感覚に圧倒され、まるで一時休止ボタンが押されたかのようだったのです。どうも友人には何も見えていないようでした。私には見え続けていて、遠くの地平線近くの低い場所に何かが『ぶら下がっている』のが見えましたが、それ以上はわかりませんでした。
数年前に私はよく似たことを体験しました。その時は朝の出来事でした。列車の客席に座って、やはり窓の外を眺めていました。同じように顔を照らした明るい光に感動しました。そしてその時にも睡眠薬と言えるような効果を私にもたらしたのです。
カリン・マイウ
ベルギー、ルーヴェン