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2019年5月号目次

 

ー覚者より
責任に目覚めて
ベンジャミン・クレーム筆記

視点
気候と生態系の崩壊から「自然は私たちを救うことができる」
ジェシカ・コルベット

子供たちを解放する:子供の投獄を廃止する取り組み
シェリーン・アブデル-ハディ・テイルズによるデイビッド・スコット博士へのインタビュー

クリシュナムルティと覚者方
フィリス・パワー

民衆の声
100万人以上の若者が気候変動に対する抗議行動を続ける

S.O.P. (Save Our Planet) -われわれの惑星を救え!
ドイツのアンゲラ・メルケル首相「未来のための金曜日」ストを支持する

サウジアラビアに武器を販売する政府に「平和について語る資格はありません……他国で戦争を煽っているからです」―フランシスコ教皇
アンドレア・ゲルマノス

時代の徴
奇跡が世界に溢れる
スワミ・プレマナンダの寺院に現れたリンガム/
奇跡のミルラ樹脂

子供たちに投票権を与え、民主主義を強化するグラハム・ピーブルズ

惑星を気づかう―選集
Caring for the planet —a compilation

チャールズ・アイゼンシュタイン氏が深く語る(第2部)
「心を通して働く調整する力」
フェリシティ・エリオットによるインタビュー

昼間に世界の平和を説き、夜に破壊的な武器を売る
タリフィディーン

編集長への手紙
信念 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

責任に目覚めて

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。以下の記事は、最初1989年5月号に掲載されたものである。

責任に目覚めて
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 以前には、変化はゆっくりと起こった。何世紀もの長い間、社会の構造や活動は比較的停滞したままであった。さらにまた、世界の大部分の地域が互いに知られていなかった。近隣の間でさえも通信は途切れがちであり、ほとんどが貿易商や軍隊がもたらす通信に限られていた。
 今日、これはすべて変わった。世界中ほとんどすべての地域に通信網が発達し、一日一日の出来事をあらゆる人々にもたらすことができる。世界中どこにいようと、迅速でしばしば残虐な出来事に気づかないでいることは不可能である。それは毎日、何十億の人々の目と耳に攻め寄せてくる。非常に実際的な意味において、世界は村落の大きさに縮小したのである。そして村落の生活のように、一人の行動はすべての者の利害に影響する。もはやどの国も、脇によけて、己の過った行為の結果から免れようとすることはできない。ますます多くの国家が彼らの相互依存性と責任に目覚めつつある。この事実は世界にとって良い前兆である。
 国民の圧力のもとに、ようやく政府は、すべての生命が依存する環境を尊び育成することの必要性を受け入れつつある。そのような賢明な育成なしには、人類の未来は実に荒涼としたものであろう。時勢はもはや、この惑星を汚し毒する者たちの側にないことを、資源は無尽蔵でないことを、自然は略奪と暴行で萎縮することを、政策決定者は認識しはじめている。人間の無知と貪欲がもたらした自然の秩序に対する多くの反則行為を正すことができるのは、世界的規模の注意深い協調した行動のみであるという意識が高まっている。スタートは切られた。しかし今、人類を脅かす汚染や略奪行為の脅威を止めるだけでも、何年にもわたる献身的な行動が要求されるだろう。
 幸いに、未来にあるものすべてが、そのような暗い調子ではない。人類はいつもながら独りではない。そして、エネルギーを発生させるための新しい、きれいな、安全な様式に関する知識を人間に解き放つステップが取られた。まったく新しいテクノロジーが日常生活を変容させるだろう。そして人間は、己の真の存在と目的を探究するための時間と刺激を得るだろう。
 そのようにして支度を整えて、人間は自然との調和のうちに働くことを学び、人間が欲するものあるいは必要とし得るものすべてを満たす溢れるばかりの豊饒の角〔*〕を、自然からうまく引き出すだろう。
 人類がキリストを見るとき、問題点は彼らの前に明確に提示されるだろう──人間は、今すべての者の福利のために共に働くという挑戦に面と向かい、充足を鍵とする生活様式につくり直すか、あるいはすでに痛ましく抑圧されているこの惑星に死を告げる鐘を鳴らして、人類の未来を最大の危機に陥れるかである。
マイトレーヤご自身は、人間が彼の呼びかけに耳を傾け、それに応えることを、疑っておられない。

〔*〕豊饒の角=ギリシャ神話にある、ゼウスに授乳し、果物、穀物があふれ出たと伝えられる山羊の角。

 

 

子供たちを解放する:子供の投獄を廃止する取り組み

 

 

「私たちの刑務所は人道的危機であり、私たちの子供たちは、非人道的で品位を傷つけるような方法で扱われている」── デイビッド・スコット博士
デイビッド・スコット博士は、イギリスのオープン大学に勤務しており、カナダ、トロント大学の客員教授でもある。彼は100以上の本の章や記事を発表し、5冊の著書を出版し、運動組織『エンド・チャイルド・インプリズンメント(子供の投獄をやめよ)』の創設メンバーである。彼は、『Justice, Power and Resistance(正義と権力と抵抗)』誌の共同創刊者であり、独立系出版社、EG プレスの創設者でもある。スコット博士は、以前は「逸脱と社会支配の研究のためのヨーロッパグループ(European Group for the Study of Deviance and Social Control)」の調整官であり、INQUESTの学術的顧問団の 一員である。彼は、数多くの短編ドキュメンタリーを製作し、2018年には、英国のドキュメンタリー映画フェスティバルで、映画(Hamlett Filmsと共同で)『グレンフェル塔と社会的殺人(Grenfell Tower and Social Murder)』で、ライフチェンジング賞を受賞した。シェリーン・アブデルーハディ・テイルズが、本紙のために、スコット博士にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): あなたは、刑務所制度を廃止するための運動をいつ始めたのですか。そして伝えたいメッセージは何でしょうか。
デイビッド・スコット:私は過去13年間、この問題に関する運動に専念してきました。2006年ごろに、イギリスの「刑務所は要らない(No More Prisons)」と呼ばれる小さな圧力団体に関わった時、私はこの運動に関わり始めました。私は現在、子供の投獄を終わらせる運動に関わっており、それは2018年11月に国会議事堂で始まりました。子供は傷つきやすく、非常に大きな必要を持っており、子供たちが成長し発達できるようなシナリオを作る必要があることを、私たちは伝えようとしています。子供は間違いを犯します。それは、すべての人が間違いを犯すのと同じです。人生で最悪の出来事が起こってしまった子供は、すでに悪いスタートを切っており、すべての困難を経験しており、すでに暴力や乱用や危害や負傷に直面していて、彼らは司法制度に巻き込まれてしまったように思われます。本質的に、私たちがしようとしているのは、心理戦に勝つことです。罪と罰はすでに深く確立されたアイディアであり、私たちは、このようなアイディアを変えようとしているのです。イギリスでは、数え切れない数の傷つきやすい人々を投獄しているようであり、その中にはもちろん子供もいます。そして、このような子供たちは、しばしば人生の早い時期に大きな困難に次々と遭遇します。小さな時から施設に入れられていた子供たちの多くは、家族の愛やケアや愛着を一度も経験したことがありません。彼らは、コミュニティーの一員であるときにどのように感じるかを、全く知りません。彼らには、機会が与えられたことがありません。子供たちは子供たちであり、彼らを刑務所に送るのではなく、彼らにチャンスを提供すべきだと、運動では訴えています。また、このような子供たちの背景は、黒人やアジア系の少数民族系に偏っています。彼らは、すでに危害を受けており、人生で機会がほとんどなく、非常に困難な状況で成長してきました。そのため、彼らは、より深く傷つきやすく、人生のスキルを持たないため、人生に対処するメカニズムがないだけなのです。そして、このような恐ろしい子供の拘留中の死や、または子供の自傷行為や、薬物や他の活動に手を染めたりする状況があります。なぜなら、彼らは、普通の生活をこれから送ることはできないと思っているからです。刑務所は非常に有害であり、彼らは非常に有害な考えや行動を生み出します。

SI:あなたが子供のことを話されたとき、イギリスのどの世代のことを指しているのですか。
スコット: 現在、イングランド、ウェールズ、北アイルランドにおける刑事責任年齢は10歳です。スコットランドにおける公的な刑事責任年齢は、世界でも最低水準の8歳ですが、実際は12歳以上を対象としています。スコットランドでは、公的な刑事責任年齢の引き上げを計画しています。もちろん、刑事責任年齢を巡るこうした問題について考え始めると、少しおかしなことになります。子供は10歳の時に、同意の下でも性的関係を持つことが許されない、お酒を買うことが許されない、ペットを買うことすら許されないという事実があります。つまり法律のどこかに、子供は実際には責任のある個人ではない、まだ発達途中である、まだ学んでいる最中であり、間違いを犯すという考え方があるのです。理想的には、刑事責任年齢は18歳であるべきです。ですから、刑事責任年齢を14歳に、そして16歳に引き上げた場合、実際には特定の年齢グループの刑事責任を廃止することになり、その結果、刑務所の子供を減らすことになります。

SI:子供の実刑判決は、イギリスで特に問題となっていますか。
スコット:はい。イングランドとウェールズでは、途轍もない数の子供の終身刑があります。2006年から2016年の間に、197件の子供の終身刑がありました。イギリス普通法では、共同事業法としても知られているものもあります。この法律では、ある子供のグループが犯罪のことを知りながら止めるために何もしなかった場合に、起訴されます。つまり、非常に多くの子供たちが、文字通り何百人もの子供たちが、近年に終身刑の判決を受けましたが、実際には何も違法なことはしていないのです。彼らは、重大な犯罪を犯した人物を知っていただけなのです。欧州連合の他の国々では、子供の終身刑で収監されている子供は、合計で5人ほどです。つまりイギリスでは、おかしな状況になっているのです。

SI: あなたとあなたの団体は、政府に対して運動を行いましたか。何か反応はありましたか。
スコット:私たちは、2018年11月に国会議事堂で運動を開始し、刑法分野から多くの人が参加しました。そして私たちは、継続的に参加を行い、ロビー活動をしようとしており、それはイギリスの廃絶論者が長年してきたことです。廃絶論者に刺激を受けたもう一つのINQUESTという団体は、継続的に情報を提供し、国会や教会に対してロビー活動しようとしています。私たちは継続的に、人々が刑務所や刑罰に対して持っている情熱を挫こうとしており、それは人々や政治家に事実を知らせることなのです。刑務所の廃絶に関して、私たちはかなり過激なアイディアを提唱しています。このように子供たちに生じている損害をなくすためには、刑務所制度を完全に廃止する必要がありますが、とりあえず何かを始めなければなりません。ですから、私たちは、これらすべての問題について政府と関わりを持っています。それは労働党の政治家や影の閣僚と話をし、聞く準備のできているあらゆる人と関わりを持つことを意味します。

SI:政府と関わる上で、労働党の政府と保守党の政府で何か違いはありますか。いつも同じような反応でしたか。
スコット:若年層の司法を巡っては、二つの支配的な物語があり、これらは懲罰的、および非懲罰的なアプローチに関係しています。あるいは福祉、および正義です。それらは実際には完全に相反するものであり、関わる政治家によって異なり、政党の方針に必ずしも沿うものではありません。例えば、最近の保守党政権の下では、子供の収監者数の大幅な減少がありました。しかし、子供の収監者数が減少したとしても、黒人、アジア系、少数民族系の子供の数は実際には増加しており、彼らは、刑務所の子供の約46%を占めています。訓練請負センター(Secure Training Centres)や少年犯罪者施設のような、様々な施設があります。私たちは、それらを子供の刑務所とは呼びませんが、もちろんそれらは子供の刑務所です。そして、1990年代の労働党政権の下では、実際には、刑務所に送られる子供の数の増加がありました。現在の(保守党の)大法官デイビット・ガウキ氏が、刑務所が上手く機能するとは思わないと断固として語ったことは皮肉ですが、彼は代替案を持っておらず、彼らは今では刑務所の拡大運動をしていて、何年もそうしています。彼らは巨大刑務所を新たに建設しようとしています。現在の刑務所担当相は、6カ月以内の実刑判決を廃止するなどして、刑務所の削減を望んでいると発言していますが、そうした結果をもたらすような法律上、政策上の変更は、現在まで何も行なっていません。

SI:少年刑務所に対する代替案のアイディアは、何かありますか。
スコット:私たちは、戦略的に考える必要があります。第一に、子供の刑務所人口の削減の要求を試み、小さな成果を勝ち取ります。部分的、選択的な廃絶に集中するのです。次に、薬物使用の犯罪化に関連する特定の法律の廃絶を行ったり、子供の終身刑の廃絶などをしてみると良いかもしれません。しかし、代替案に関しては、教育的なアプローチや霊的なアプローチなど、別のアプローチがとても役に立つかもしれません。子供の熱意を育てたり、子供を魂を持つ存在として、可能な限り最高の人間になりたいと思う存在として理解するような、教育的なアプローチが、この場合、本当に価値があります。一つには、収監された子供の多くは、比較的軽微な窃盗犯が理由であることがあります。彼らが刑務所に入ったのは、本当に困難な人生を送っていたことが原因であり、もし私たちがそれに対処するとしたら、非懲罰的なアプローチを、したがって刑務所のないアプローチを取る必要があります。私たちは、このような子供たちの生活援助をどのようにつくり上げるかを考えていく必要があります。彼らは人生で援助をあまり得られなかったので、彼らに与え、肯定的な人生体験を与えることで彼らの人生をつくり上げたいと思います。たとえ、ある時点である種の国家のケアを必要とする子供たちがいたとしても、こうした子供たちをどのように扱うかに関して、基本的な基準があるべきです。子供たちが援助、愛情、ケアに関して満たされるような『子供が第一』というアプローチが必要です。子供たちをどのように扱うかについて基本的な基準があるべきであり、それはケア、愛情、援助などによるものであり、子供たちが対応に失敗するような障害をつくることによるものではありません。

SI:つまり、あなたの言葉では、すでに不足している子供たちが、間違った決定を行ったか、もしくは犯罪のことを知っていた状況があり、その結果、刑務所に入れられてしまい、そこで彼らはより良い未来への希望を失い、そして進み続ける意欲を全く持っていません。そのようなことでしょうか。
スコット:あなたは、私が正に同意するような「希望の終わり」という言葉を使いました。そして実際には、それが刑務所で供給不足になっているものなのです。そして刑務所は、実際には、この希望のない感覚を生み出す場所のようです。より良い道などない、物事は変わらない、永遠に今のままだろうという感覚です。もちろんそれは、大人と子供の両方にとって、自殺観念作用をつくり出す最大の要因の一つです。子供たちが愛されていると感じ、必要が満たされていると感じることは、極めて大切です。一方でまた、彼らはお返しに愛することができ、お返しに何かを与えることができると感じられるべきです。それは、子供たちに投資することを意味し、彼らを援助することを意味します。収監された子供たちのほぼ半数が、子供たちに無料の学校給食の資格のある家庭から来ているので、それは貧困化した子供たちの問題なのです。ですから、彼らに何かを与えてください。彼らの才能は何か、彼らは何を与えられるのか、彼らは何ができるのかを見つけてください。ただ単に彼らを切り捨てることはしないでください。

SI: 少年や大人の刑務所制度を廃絶しようとした国は、どこかにありますか。
スコット:私たちは、改革された刑務所が実際にどのように進化したかを理解する必要があります。もちろん、常に刑務所があったわけではありません。刑務所は19世紀の初期に発明されたもので、イギリスの最初の刑務所は1816年頃のもので、アメリカやカナダでも同時期でした。それは産業資本主義の隆盛と歩調を合わせて登場したものでした。刑務所と不平等さのレベルとの、その共生的関係を見る必要があります。特に経済的な不平等であり、また、認識された民族的アイデンティティー、性別、性的関心、年齢などです。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドなどの国々を見ると、依然として刑務所制度がありますが、より福祉志向のアプローチがあることが分かるでしょう。そして重要なことは、彼らはより社会民主主義的な社会形態を持っており、経済的な不公平への対処に関して、非常に異なったアプローチをしていることです。ですから、刑務所に対する異なったアプローチを取る国を探したら、社会をどのように組織するかに関して異なったアプローチを取る国が多いことが分かるでしょう。刑務所制度の先にあることを探求したいのなら、人々に異なった方法で対処する必要があります。間違いを犯す人々は、しばしば社会の底辺にいる人々であり、必要とされない人々、恵まれない人々、のけ者として見られる人々であり、誰も所有しない人々、社会の周辺にいる人々、そして高度な資本主義の目的の達成に失敗した人々です。彼らは、最終的に刑務所に行ってしまった種類の人々なのです。私たちが刑務所に対して異なったアプローチを取ろうとしたら、人々をどのように扱うかに関して異なったアプローチを取る必要があります。ごく簡単に言えば、私たちは不平等を問題にする必要があるのです。もし、協力を基盤とする社会を持つことができれば、そして、資本家的、家父長的、新植民地主義の人種差別的な国家を越えて移行することができれば、その時にだけ、現在の懲罰的、非人間的な制度から抜け出す道を見つけることができるでしょう。

惑星を気づかう──選集

Caring for the planet ── a compilation 「惑星を気づかう」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これは『いのちの水を運ぶ者』(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人間の無知と貪欲がもたらした自然の秩序に対する多くの反則行為を正すことができるのは、世界的規模の注意深い協調した行動のみであるという意識が高まっている。スタートは切られた。しかし今、人類を脅かす汚染や略奪行為の脅威を止めるだけでも、何年にもわたる献身的な行動が要求されるだろう。幸いに、未来にあるものすべてが、そのような暗い調子ではない。人類はいつもながら独りではない。そして、エネルギーを発生させるための新しい、きれいな、安全な様式に関する知識を人間に解き放つステップが取られた。全く新しいテクノロジーが日常生活を変容させるだろう。そして人間は、己の真の存在と目的を探求するための時間と刺激を得るだろう。(ベンジャミン・クレームの師『覚者は語る(1)』—責任に目覚めて—)

私の師は、資源の再分配の後、第一番の優先事項は世界の環境問題に取り組むことであると言いました。マイトレーヤは、これはすべての人々が関わることであると言いました。これに参加するのに若過ぎる人も年を取り過ぎている人もいないと彼は言います。小さな紙切れを無駄にしているにしろ、食肉用の牛を放牧するために森全体を焼いているにしろ、私たちは変わらなければなりません。(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 第3巻』)

人間の窮乏を知り、そのビジョンを見ていながら、時の緊迫性を知らない者たちが世界に大勢いる。兄弟たちの窮乏を知り、非常に多くの者たちの苦しみに同情の思いを持ち、そしてそれらすべてを変える意志を持つ者たちに、わたしは頼る。わたしが召集する者たちの仲間に、あなたがたも入るように。そして共に新しい、より良い世界を招じ入れることができるように。(『いのちの水を運ぶ者』第46信より)

人間は地球を荒らし、汚染し、そして自分自身の住む環境をひどく破壊した。今人間は自分たちが傷つけたところのものを救済することを最優先と見なし、自分たちの病んだ惑星を健康に戻さなければならない。惑星に対する要求を簡素化し、簡潔さの美を学び、分かち合いの歓びを学ばなければならない。人間はほとんど選択肢を持たない──その仕事の緊急性は即刻の行動を要求する。すでになされたダメージ(損傷)の本当の規模を認識する者はまさにほとんどいない。問われなければならない問題は、地球という惑星を救済することができるか、それはどんな方法によってできるのか、ということである。答えは大きく鳴り響く「然り」であり、その方法には大多数の人間による現在の生活様式の変容が含まれる。(ベンジャミン・クレームの師、『覚者は語る(2)』—地球は産みの苦しみの中にある—より)

わたしは、新しい姿で、人間に、彼らの前にある選択の対象を提示し、未来の可能性を描写し、神の法を明かす。そのようなわたしを、もうすぐあなたがたは見るだろう。我が友よ、神の法は、あなたがたの生活を包むものである。神の計画なしには、人は無に等しい。これをいつも心に留めて、均衡(バランス)を保ちなさい。人間の偉大さと、すべての者との一体感と、そして人間の聖なる目的を、常に心に留めておきなさい。しかしながら、人間は一人では何もできないのである。これを悟り、真の道を抱きしめなさい。(『いのちの水を運ぶ者』第119信より)

地球温暖化によって引き起こされる危難は大きいことは確かだが、残念なことに、これは人間が今日直面している最大の、あるいは最も危険なものではない。知ってか知らずにか、人間はゆっくりと、しかし確実に人類種族と低位王国(動植物界)をますます中毒させる行為に従事している。あらゆる種類の、そうしてすべての分野に存在する毒性、汚染はいまや人間と動物、そして地球そのものにとって最大の危険である。すべてが毒され、それぞれに病んでいる。人間には知られていないが、わたしたち(知恵の大師たち)に明らかなことは、この悲しむべき物語の中で、人間と惑星が被っている最大の害は核放射能によって引き起こされているということである。人間はこの最も危険なエネルギー源の開発において、あまりにも間違った道に進んでしまった。貪欲と、巨大な利潤を求める誤った望みによって邪道に導かれ、彼らは人間によってこれまで発見されたものの中で最も危険なエネルギー源を“手なづける”実験に集中してきた。そしてその一方、原子のエネルギーの完全に安全な別の用い方を無視してきた。低温で無害な原子核融合は、大洋に、海に、河川で、そして雨が降るごとにどこででも入手できる水の簡単なアイソトープから得ることができるのである。……この目に見えない危難を軽減しようと、カルマの法則の許す範囲内でたゆみない努力をしてくれているわれわれの宇宙の兄弟たちの助けがなければ、われわれの窮状は実に危険なものであろう。目覚めよ、人類!(ベンジャミン・クレームの師、『覚者は語る(2)』─目に見えない迫り来る危険─より)

核放射能やその他の汚染物質は人間(および動物)の免疫組織を破壊し、私たちの生活環境の中に注ぎ込まれているその他の毒素による害に対して無防備にさせます。この問題は、宇宙の兄弟たち(UFO)の仕事の負担が重くなりすぎる前に、速やかに対処されなければなりません。彼らは、核放射能やその他の汚染物質を処理するにあたって、人類のカルマの許す範囲内でしか行うことが許されていません。そうでなければ、私たちの自由意志の侵害になるでしょう。彼らが行っていることに関して、彼らは特別の許可を得なければなりませんでした。彼らは毎日、長時間にわたって、世界中のあらゆる場所で核放射能や大気中に放出されるその他の有毒ガスの影響を中和し、減少させてくれています。私たちは彼らにたくさんのカルマ的な負債を負っており、いつの日かお返ししなければなりません。(ベンジャミン・クレーム、『光の勢力は集合する』)

今ではわたしの周りに、わたしをリーダーとして、未来への案内人としてみる兄弟姉妹たちの集団が存在する。わたしは、人間の苦悩について、人間の不完全さについて、変化の必要について、彼らに語る。同時にまた、人間は神であり、神聖なる光の存在であり、いつの日かそのようなものとしてこぞって立つであろうということも語る。選択は人間のみがなすのである。もしわたしの指す道を選べば、人間の霊性はまことに輝き出でるあろう。さもなくば、我が兄弟姉妹たちよ、人間の未来はきわめて致命的である。しかし我が友よ、あなたがたの答えと選択をわたしは前もって知っている。恐れるでない、わたしの愛しき者たちよ、あなたがたの愛を通して──あなたがたの心に宿る兄弟たちへの愛を通して──あなたがたは正しく選択するであろう。(『いのちの水を運ぶ者』第78信より)

核エネルギーの融合のプロセスがすべての人類の将来のエネルギーの必要を満たすでしょう。これは普遍的に入手可能な水の同位元素を使う安全で低温で廃棄物のないプロセスです。これは、私たちが経済システムに分かち合いを実施するようになるとき、入手できるようになるでしょう。(ベンジャミン・クレームの師とのインタビュー『マイトレーヤの使命 第2巻』)

指導原理は浪費ではなく、充足でなければならない。現在、世界の経済制度は浪費によって支配されている。その浪費の乱行が様々な汚染問題をつくり出し、惑星の健康に対する危害を形成する。これはまだ半分しか認識されていない。持続可能な経済とは、惑星の健康の可能性の範囲内においてすべての者の必要を供給するものである。現在では、それは達成不可能のように見える。しかし光のテクノロジーが人類のためにその状況を変換し、われわれすべての必要を満たすために無限で生態系的に健全なエネルギーを提供する。これがこの需要と供給の問題、したがって市場のフォースの問題に対する人類の対処の仕方を変えるだろう。(ベンジャミン・クレームの師とのインタビュー、『マイトレーヤの使命 第2巻』)

究極的で完全な解決策は覚者方の助言を待たなければならないでしょうが、私たち自身でできることもたくさんあります。とりわけ、土壌や川や海を、私たちの貪欲な成長への欲望のごみ箱として用いるのをやめることです。(ベンジャミン・クレーム、『光の勢力は集合する』)

可能なかぎり最も早い時期に、一刻の猶予も許さず、わたし自身を現し、世界の前にあなたがたの友として、教師として登場することが、わたしの意図であった。あなたがたがわたしをただちに発見してくれることに多くのことがかかっている。なぜならそれによって、わたしは、あなたがたの救世の仕事を、援けることができるのであるから。わたしは援助し、教え、未来への道を示すために、そしてあなたがたに神としてのお互いを見せるために、ここに居るのである。(『いのちの水を運ぶ者』第140信より)

マイトレーヤはすべての人間に彼の救援隊に加わることを呼びかけるだろう──環境を維持し、浄化し、人々を彼ら自身のために行動へと活気づけ、惑星を汚染する毒素を浄化し、そして諸国家の間に融和を再確立するためである。マイトレーヤの任務は小さなものではないが、彼は現在の悪と戦い、そして征服しようとしている。(ベンジャミン・クレームの師、『覚者は語る(1)』─その時は来た─より)

資源の間違った使用、市場のフォースへの盲目的な追従、競争こそが、汚染をつくり出したのであり、それが今、生態系への大きな害となって現れております。私たちはこの惑星を非常に急速に害しているので、ただちに方向転換しなければ、間に合わなくなるでしょう。そうして未来の世代は信じられないほどの苦難を味わうでしょう。幸いなことに、自然は非常に柔軟性を持っており、立ち直るだろうと、私は信じます。様々な国々における種々のグループの力説で、すでに多くの人々が、政府でさえも、汚染の問題を扱い始めております。……しかし製造方法や方針の中に非常な競争意識がある限り、それは止められないでしょう。製造に対する私たちの現在の態度を貪欲や浪費や競争に基づくものから充足に基づくものに変えなければなりません。「どれだけ多くの量を、そしていかに早く製造できるか」と言う代わりに、「必要とされるのはどれくらいか。この商品をどれだけ使わずに済むか。すべての個人が豊かで満ち足りる生活を分かち合うための最小限の量はどのくらいか」という思考をするようにならなければなりません。(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしの心(ハート)はこの大いなる努力を完成するための強い衝動で満ちている。これは人類同胞を愛する人々すべての援助を必要とするだろう。人間は非常に病的な状態にあるこの世界を救わなければならない。世界の一般の人々によって、その努力がすでに始められているのを見て、わたしたちの心(ハート)は喜ぶ。わたしはそのような人々に今語りかけている。あなた方の声を大きく上げなさい。あなた方の必要を世界に告げなさい──平和の必要を、正義と自由の必要を、宗教や皮膚の色や人種が何であれ、すべての人間が調和のうちに生きることの必要を告げなさい。すべての人間は本質的にひとつである。彼らはわたしの兄弟であり、わたしは一人ひとりを愛する。(マイトレーヤ、2008年3月27日、『覚者は語る(2)』)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

編集長殿
『奴隷制度は過去のものではない』(本誌2019年4月号)という記事の中で、シャノン・スクリブナーは数人の世界のリーダーたちによる『他者』への恐怖の宣伝が、市民を移民に対抗させていることを正しく暴露しています。しかし、いわゆる『民主主義』全般に属する、ほとんどすべての政治政党は、民主主義が穏健であるとか、あるいは責任能力があると私たちの多くが思っていることも含めて、『現実の』難民、つまり政治的、社会的、宗教的圧力から逃れ、避難所を求める機会を与えられ、もし幸運であれば新しい未来を築く人たちと、『経済難民』またの名を『幸運希望者』という、私たち自身には当然のこととしている、防衛手段を利用することを許されるべきではないとされている人たちとの間の、誤った区別をしています。私たちがこれらの『穏健な』政治家を、世界人権宣言の第25条の1が明確に、経済的圧力に対しても防護を拡大しているという事実に、取り組ませることに失敗している限り、世界的な社会経済的正義を要求する投票者としての私たちの不活動は、外国人嫌いの恐怖をかき立てる人たちに劣らず、この永続的な人類の悲劇に加担していることになるのです。
敬具
ゲラード・アートセンオランダ、アムステルダム

信念

編集長殿
これは1998年7月に私に起こったことです。私はエクスタシーというドラッグを使用していました。コンサート会場の音楽で意識が吹き飛んでしまったので、回復不能の損傷を負う前にはい出ることができたのを、神に感謝しています。私は完全に意識を失い、気づくと会場の外で群衆が私の周りを囲んでいて、友人たちもそこにいました。女の子が私を助けようとやって来ました。彼女は片手を私の頭に置きました。彼女がそうしていた間、私は心の中で祈りを捧げ始め、助けを求めていました。私はその夜、死にかけていたのだと思います。私は独り言で、こんなふうに死にたくないと言っていました。私は指に十字架の付いた指輪をしていて、それは私がクロアチア(両親の故郷)を離れる1週間前に、祖母がくれたものでした。私はその指輪を握り、助けを祈っていました。私が祈っていると、男性が通りかかりました。彼は私に近づいてきて、医師だと言い、助けを申し出てくれました。私は大丈夫だと答えました。その時、私の心の内に彼は天使だという声がして、実際には声というよりも、パチンと指を鳴らすようにわかったということでした。私は頭に手を当ててくれていた女の子に、彼は天使だから彼を呼び戻すように伝えました。彼は戻ってきて、とても静かに簡潔に語りかけてきました。彼はまさに光を放っているように見えました。それが頭上の灯りなのかわかりませんが、この輝かしい男性は黄色の髪で、顔はキャンドルの火のような色でした。彼は親指と人差し指を、私の目の間に置いて鼻をつかみながら、私に深呼吸をするように言いました。彼はこれで肯定的なイオンと否定的なイオンのバランスが取れると言いました。それから彼は私に彼の目を見るように言って、私がそうすると、それぞれの目に光の十字架が見えました。しばらくの間、私の注意はそこに留まっていました。それからすぐに、私は心の中で彼にごめんなさいと伝えました。私がこの言葉を心の中で繰り返すと、彼は私の母国語で私は良い娘だと言って返事をしてくれました。その瞬間、私は泣き出してしまい、全身が震えていました。すると彼は私の両腕を彼の手でさすりながら慰めてくれて、私の周りにいた友人たちに、私はショック状態だけれども大丈夫だと言っていました。それから彼は私を見て、帰らなければならないと言い、ここまでやって来た車の中で彼の友人が待っているということでした。私が見上げるとその車が見えて、1950年代から60年代の古い車でした。それもまた黄色で、彼の友人も光を放っているように見えて、彼らは似た資質を共有していました。彼の友人を見た時、その人も私を見ましたが、彼はこれまでに会ったもっとも悲しそうな人物に見えて、悲しみと痛みを感じました。彼の顔には両頬に傷跡がありました。このことを先に話すのを忘れていましたが、コンサート会場をはい出た時、左頬に刺すような痛みを感じていました。まるで顔に消えない傷跡が残るかのように思えました。どうやって傷がついたのかわかりませんし、階段から落ちる時に擦りむいたのかもしれませんが、そう思えないので、落ちた時に擦り傷ができたのではなく、誰かに引っかかれたように感じていました。そして彼の友人を見た時、彼の顔の傷は治っても跡が残っていたのです。その後、その医師は去っていき、私は彼が車に乗ったのを覚えていませんが、彼は行ってしまいました。彼が去った後、私はどういうわけか起こったことを忘れ、彼がクロアチア語をどのように話したかも忘れましたが、その後すべて思い出したのです。私は友人たちに彼の言ったことが聞こえたか尋ねました。彼らは何も聞いていなかったので、おそらく私の精神状態のせいで作り上げたことだろうと言われましたが、私は彼が私の母国語で、心の内に語りかけてきたのを知っています。私は心の奥深くから、彼が上(天)から来た人で、その晩、私を救ってくれたのだとわかっているので、その晩のことを思い返すたびに、私は涙を流し、彼に感謝しています。この素晴らしい男性が近づいてくる前に、私に手を置いてくれていた女の子が、そうしていた間、彼女は私のために祈っていると言いました。その後、私は彼が言ったことを彼女に伝えると、彼女も私を信じてくれて何かを感じたとも言っていました。私がこの手紙を送るのは、この男性が覚者かどうか確認するためではなく、私は彼がそうだと知っています。私が手紙を送るのは、何か超越したものがあること、神が実際に存在し、あらゆる所にいる私たちと共におられることを人々に信じてもらうためです。彼は私たちの裡に、あなたのそして私の裡にいます。探すのをやめて、信じ始めましょう、答は裡に存在しています。愛と光を持って。
ミシェル オーストラリア、シドニー【ベンジャミン・クレームの師は、助けてくれた男性がイエス覚者であったことを確認した。車で待っていた男性はマイトレーヤであった】

ロール・プレイ
編集長殿
2003年5月19日の午後10時30分頃、ウィルフレッドと私はトロントの地下鉄フィンチ線に乗って、毎週の伝導瞑想から帰宅するところでした。列車がブロア・ヤング駅を出発するとすぐに、私たちの車両にいた一人の男性が大声で叫び始めたのです。彼は全員にフィンチ駅への正しい列車に乗っているのか尋ねていました。彼は間違って教えられて、それより前に別の駅に着いてしまったため、正しい方向にいるのか確かめたいと、大声で文句を言っていたのです。彼は痩せこけて背が低く、長い髪にあごひげを生やし、緑のTシャツとジーンズを着ていました。手に古いバックパックを持っていました。彼は見るからに、話す様子からも明らかに酔っていましたが、私は彼と関わり合いになる気分ではなく、列車内の他の人たちも皆そうでした。けれどもウィルフレッドは彼に大声で返事をして、今回、彼は正しい列車に乗っていると伝えました。これで彼はとても機嫌が良くなり、誰彼無しにとても大きな声で話し続けていました。彼の話というのは、彼が3日間のバス旅行でサンダー・ベイからやって来て、フィンチ駅近くのティム・ホートンズ(コーヒー店)でのパーティーに行くことになっていて、その後、彼の兄弟が彼を釣りに連れていく予定があるということでした。彼はティム・ホートンズの正確な場所を知らず、何日ではないとしても、何時間約束に遅れているのかもわかっていなかったのです!
彼は騒々しく、制御不能に見えて、そのため車両内のほとんどの乗客は次の駅で降りていきました。するとその男性は私たちの座席の近くにやって来て、ウィルフレッドと話し始めたのです。ウィルフレッドはトロントの公共交通の地図を持っていて、この男性が正しいバスに乗るために向かうべき場所や、どのバス停で降りるべきかという良いアイディアがありました。今や明らかになったのは、彼と私は同じ方向へ向かっていたので、ウィルフレッドが私に向かって、そのご機嫌で酔っ払った男性をバス停まで連れていくことを提案しました(実際に、ティム・ホートンズの店は私の自宅にとても近いのです)。その酔った男性は私が面倒を見ることになって、あまりにも喜んで、『彼の持ち物』をウィルフレッドに売ろうとしました。彼は売りたいものが多少違法な物資であることを、はっきりとは言いませんでしたが、ほのめかしてはいました。もちろん、ウィルフレッドも私も関心を持ちませんでした。彼をバス停まで連れていくというアイディアには、あまり良い気分ではありませんでしたが、それにもかかわらず私は彼に無条件の愛をおくることに決めて、このことが彼を落ち着かせてくれることを願っていました。彼はフィンチ駅に着くまで、彼の話を大変な大声で繰り返していました。けれども地下鉄の車両から降りるや否や、彼はしらふになりました。彼がうっかり階段から転ばないように、私は抱えようとしましたが、列車を降りた後、彼は完全に問題なく、穏やかで状況が把握できていました。バス停では彼は私の親切にお礼まで言ってくれたのです。彼から離れられて喜んでいましたが、彼の行動の変化はいつまでも私の印象に残っていました。どうかこの『ご機嫌な』男性がマイトレーヤだったのか、あるいは他の覚者だったのか教えていただけますか。
A.T. カナダ、トロント【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

読者質問欄

以下の「代弁者」についての質問は、2013年と2014年にベンジャミン・クレームが答えたものであるが、当時は掲載されなかった。質問者は「代弁者」の特定の体験について述べているが、その人物はベンジャミン・クレームの師によってイエス覚者の代弁者であることが確認されていた。

Q 「代弁者」とは何ですか。その背後にはどんな過程があるのですか。
A 誰かの代わりに話す者です。もし覚者が誰かに何かを知ってほしいとか何かを言いたいと思ったとき、可能ならば自己創造による肉体、マヤヴィルーパによって直接話をされます。そのような形でエネルギーを使うことを望まないときは、ある段階の弟子に頼み──必ずしも彼に密接な者とは限りません──その人物に彼に代わって話をしてもらいます。覚者は情報を出す多くの方法を使われ、後になって正確にどの方法が用いられたのかを言うのはしばしば非常に困難です。

Q「代弁者」は常に「代弁者」であるとは限らないと私は考えています。つまり、あるときには「代弁者」であり、あるときにはアリス・ベイリーやあなたの本を学ぶその人自身であると。それは正しいですか。
A そういうこともあり得ます。それはどの種類の「代弁者」が使われるかによります。覚者により近い場合もあれば遠い場合もあります。私が知っているある場合には、覚者は訪れるグループにとてもよく知られる人を使って、その人自身が話すのですが、時々、直接的あるいは間接的に、ある情報について知らせるように頼まれます。このような弟子の中には秘教の教えにとても詳しい人もいるかもしれませんし、比較的初心者の段階でこの代弁者の役割を初めて演じる人々もいるかもしれません。

Q なぜイエス覚者は代弁者を使うのですか。なぜ彼自身が来ないのですか。
A 彼の時間とエネルギーの節約のためです。平均的なグループ・ワーカーにとって重要な問題のすべてが覚者のエネルギーの多くの消費に値するとは限りません。期待しすぎないようにしなさい!

Q 「代弁者」はかなり進歩した人ですか。それともあらゆる人が「代弁者」になり得ますか。
A 代弁者は覚者によって選ばれます。

Q 「代弁者」は覚者とテレパシー的な接触を持っていますか。
A そうである場合もありますが、常にではありません。

Q 「訪問者」は、イエス覚者が彼を通して語っていることに気づいていますか。
A あなたが考える事例においては、彼は気づいていました。

Q なぜイエス覚者はある時にはご自身で来られ、ある時には弟子が、またある時には「代弁者」が来るのですか。
A 彼がそれを選びます。

Q 何年か前、パトリシア・ピッチョンがマイトレーヤの「代弁者」と話をしました。これらの「代弁者」を比べていただけますか。
A それは非常に異なっています。「側近」と呼ばれたロンドンの人物は、マイトレーヤが知らせたいと思ったことを伝えるために使われました。彼は「代弁者」であると共にマイトレーヤの近しい側近でした。

2013年、ベンジャミン・クレームはアムステルダムとのスカイプ・インタビューで以下の質問に答えた。

Q 「特別な体験」は常に覚者と共にありますか。
A 覚者方は彼ら自身を現すのに幾つかの異なった方法を用います。ご自身で現れる場合には、創造された肉体であるマヤヴィルーパをつくり、男女あるいは子供として、それを通して現れます。
もう一つの方法が代弁者(の男性か女性)を用いることです。マイトレーヤは長年ロンドンにおられますが、決して私たちに直接記事を与えたり予測したり話したりしません。彼は多くの講話をし、私たちがメディアに送った多くの予測を行いますが、それらすべてに彼のために語る代弁者を用いられます。私たちは彼を「側近」、P氏と呼び、彼はマイトレーヤではありません。マイトレーヤが彼を使いました。マイトレーヤは彼に情報を与えて、それを私が掲載できるように私に伝えました。それはパトリシア・ピッチョンに与えられ、それから私に伝えられました。マイトレーヤについて、P氏はパトリシア・ピッチョンに「師はこう言われている」と語りました。幾つかの予測はとても長いものでした。

Q 彼は正確でしたか。
A 予測はとても長いものでした。P氏が彼自身の考えを持っていたことを私は知っていますが、彼は予測を覚えておくように言われていました。彼はロンドンの共同体でマイトレーヤによって開かれている会合に行って、「側近」になったのです。
今では、「側近」は何人もいます。X氏(特定の知られた代弁者)はイエス覚者の代弁者です。彼は初心者ですが、ロンドンのP氏はとても経験を積み、マイトレーヤによって与えられた情報を伝えるに際して、60%は正確で、40%は彼自身の考えです。私の仕事は、本物と偽物を見分けること、つまりP氏から来ているものとマイトレーヤから与えられたものを分離することです。私はそれを私の師である覚者と共に行い、彼はどれが実際に言われたことでマイトレーヤによって与えられたものかを示してくださいます。それで結局、およそ60%は正確でした。ちなみに、60%というのはかなり良好です。
イエス覚者はこのような代弁者を多くお持ちです。X氏だけではありません。他の代弁者との違いは、X氏はわずか25%しか正確ではないということです。つまり彼の言うことの75%は不正確でした。彼は初心者にすぎません。25%というのは良好とは言えません。しかし、彼の言うことはあまり重要な情報ではありません。それはシェア・インターナショナルのためのもの(つまり掲載されるためのもの)ではありませんでした。それは重要なものとは考えられていませんでした。X氏はベストを尽くしましたが、4分の1しか正確ではありませんでした。それは、グループやグループのメンバーが援助を必要としているときにはいつでも援助があることを示すための表敬訪問でした。

 

 

 

2019年4月号目次

 

覚者より
前例のない時
■ベンジャミン・クレーム筆記

メッセージ
マイトレーヤは、あなたがたと共に居る
第86信 1979年10月17日

視点
世界のリーダーたちに向けた若者の気候変動対策運動
あなた方が好むと好まざるとに関わらず、私たちは「人類の運命を変えるでしょう」
ジェイク・ジョンソン

世界人権宣言から70年——一縷の望みを抱く
ヨルダン・ハシミテ王国 エル・ハッサン・ビン・タラール王子殿下

若者たちが世界を変える責任を先導する
グラハム・ピーブルズ

世界情勢
世界の指導者たちがメンタルヘルスの汚名に取り組む
世界的なエイズ蔓延における一里塚/単一細胞解析が画期的な技術革新をもたらす/ホワイトハウスの元シェフがホームレスを支援する/「刺激を与える」:ヴァーチャルリアリティのPTSD/1本数ペニー(数円)で木を植える

S.O.P.(Save Our Planet) -われわれの惑星を救え!)
地球は一つしかない

手遅れになる前にエコロジカルな文明が必要である
ジェレミー・レント

時代の徴
空の徴
空に現れたキリストに似た姿

奴隷制度は過去のものではなく、
現在でも何百万もの人々に影響を及ぼしている
シャノン・スクリブナー

ジミー・カーター著
『信仰――すべての人の旅』
ベッツィー・ウィットフィルによる書評

民衆の声
アラブの春の再燃か?

編集長への手紙
植物のパワー 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

前例のない時

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。以下の記事は、最初2003年12月号に掲載されたものである。

前例のない時
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

そのようには見えないかもしれないが、人類はその運命(さだめ)に向かって着実に歩んでいる。現在の状況の緊張や不安にもかかわらず、あなた方の兄たちであるわたしたちは、人間がその危険に目覚め、それらに対処するために時宜(じぎ)を得た行動を取るだろうということに完全な信を持つ。その信の大半は、人間が孤立しているのではなく、まさにわたしたちからの救援と保護の受領者であるという事実についての知識に由来する。わたしたちは人間を別個の存在ではなく、進化の旅路にある弟たちとして見ており、その旅路が愚者にも賢者にも同様に提示する多くの困難や危険に対して、人間はわたしたちの助けを借りて、直面し、解決していくのである。

今この時が尋常な、あるいは通常の時ではないということを、人は理解すべきである。それはまさに規模と性質において絶頂の時であり、前例のない時である。この理由のためだけでも、その問題と危険は拡大されており、人類とわたしたちの両方による最も慎重な扱いを必要とする。わたしたちが、いまだ比較的限られた数ではあるが、人類の中に物理的に存在するために、わたしたちの助けをこれまでになくより大きく人類に提供できることが保証される。それはその任務に相応するものだろう。

わたしたちの自信は、わたしたちの偉大なるリーダーであるマイトレーヤご自身が人類の中におられるという事実によって強められる。彼の供給源は膨大である。いまだ舞台の背後におられるのだが、彼は絶え間なく働き、人事に平和と進歩をもたらし、法の規制の枠の内でたくさんの相容れない利害の糸を解きほぐし、本当の平和が確立される条件をつくりだそうとしておられる。正義(公正)のみが人間が欲する平和をもたらすだろう、そして正義が支配するときにのみ、戦争は褪(あ)せた過去の記憶となるだろう。ほとんどすべての国において、マイトレーヤはあらゆる分野にヘルパー(助け人)たちのネットワークを作っておられる。そのようにして彼は新しい時代の骨組みをつなぎ合わせておられる。これらの選ばれた働き人(ワーカー)は彼らの任務を良く知っている。彼らは間もなく表面に出てきて、新しい思考を世界にもたらし、正義を人間の第一の目標にすることがいかに緊急なことかを示すだろう。このことのみが戦争の災いに、恐怖という疫病に、永久に終止符を打つことを示すだろう。そしてわれわれの経済制度の合理的な再構築のみが正義を可能にし、信頼という基盤に基づいて人類を共に歩み寄らせるだろう。そのようになるだろう。かくしてマイトレーヤの智恵と教訓は人間の思考に浸透し、影響するだろう。

多くの人々が今すでにこの教えに反応しつつある。すべての国において、様々なグループが形成されており、人間のためにより良い生活のためにデモ行進をし、戦争の終結を呼びかけ、すべての者に対する正義と自由を、人類種族の将来を保証するための自然な唯一の方法として分かち合いを、呼びかけている。恐れることはない。人間は召集に目覚めつつあり、そして確実に勝利するだろう。

 

メッセージ

マイトレーヤは、あなたがたと共に居る
第86信
1979年10月17日

親愛なる友よ、再びあなたがたの中に居ることを非常にうれしく思う。

我が友よ、我が愛しき者たちよ、昔のわたしの同志たちよ、
わたしの道を整えるために働くことを、以前に何度も、わたしはあなたがたに勧めた。
もう一度、重ねて言う、この仕事がいかに大切なものであるかを。

わたしが戻ったことを知る者が増えれば増えるほど、それだけ早くわたしの顔は知られよう。
わたしのメッセージが、すべての人に届くように、
わたしの言(ことば)が伝えられていくように、
遠くに近くに住むあなたの兄弟たちに、これを送り、
わたしの臨在に目覚めさせてあげなさい。

わたしの表向きの仕事は進んでいる。
わたしは、一日毎に予定を立て、人間の反応を注意深く見守っている。
このようにして、わたしの出現のリズムは決められる。
だから我が友よ、あなたがたの働きがわたしの計画にいかに影響するか分かるだろう。

あなたがたが試みさえすれば、効果をあげないものはないのである。
このことをわたしの覚者たちが示すであろう。
人間にとって、すべてが可能である。
人間が必要とするものはすべて、本源なる神によって与えられている。
偉大なる供給者は、その子供たちを覚えておられる。
未来の時を怪しんで見るのではなく、同胞愛と信頼が当たり前となることを知り、
両手を広げて喜んで迎え入れなさい。

我が友よ、兄弟姉妹たちよ、あなたが、現在立っている位置を検討しなさい。
あなたは、わたしと共に祝福された愛の島に行く用意がありますか。
あなたが現在持っているすべてのもの、を分かち合う用意がありますか。
人生を勇敢に直視して、我が友よ、
なし遂げるべきチャレンジとして受けとめる用意がありますか。
もしあなたが、わたしと共に行くならば、どどめるものは何もない。
我が友よ、古い惰性は消え、光と愛に包まれて、
父の近くに在る喜びを知ることができる。
その喜びをあなたがたに授けることが、わたしの特典である。
それなら、我が友よ、勇気を携えて、
あなたの本源へ戻るためにわたしに従いてきなさい。
決して誤ることはない、我が友よ、
マイトレーヤがあなたと共に居るのである。

永遠なる神の光と愛と力とが、
あなたがたの心の裡に、今顕されるように。
それによって、あなた自身の魂の目的を果たすことができるように。

 

ジミー・カーター著『信仰──すべての人の旅』

ベッツィー・ホィットフィルによる書評

この最新刊の題名が示唆するように、福音派キリスト教徒であると自称する元米国大統領(任期1977年~1981年)のジミー・カーター氏は、『信仰──すべての人の旅』の中で、一般の人々と聖職者の両方にとっての信仰の意味を探求している。

本書の序文で、カーター氏は政治と宗教の共通部分についてこう語っている。「キリスト教徒は俗世間に飛び込み、信仰の道徳的、倫理的な価値観を政治のプロセスに投入するように呼びかけられている、と私は考えます。同時に、政府が私たちの宗教的自由を支配することは絶対に禁止しなければなりません」
米国憲法修正第1項の中に正式に記されたこの立場は、カーター氏のような大統領がキリスト教の信仰の理想を、個人的なレベルはもちろん国民生活にも応用できる道徳的、倫理的な行動基準として自由に思い描くことを可能にする、と彼は書いている。
1978年に行ったバプテスト派の同胞への講演の中で、カーター氏は大統領として、世界における道徳的な権威と影響力を国家に与えると彼が考える価値観について次のように描写した。
「人間や、宗派や、国家の目標とは何でしょうか。それらはすべて驚くほど似通っています。つまり、平和の希求、謙虚さの必要、自分の欠点を調べてそれに背を向けること、欠乏や憎悪、飢え、肉体的苦痛による苦しみを和らげることに関心を持つ道徳的な社会を基盤とした、広い意味における人権への取り組み、自分の理想、自分の信仰を他者と分かち合い、人間の愛を正義へと転換しようという意欲、もしくは熱意です」
カーター氏にとって、信仰には世俗的な基盤と宗教的な基盤の両方がある。事実、信仰は、確かさや保護、希望に対する必要に基づいた人間的傾向のように思える。彼は信仰を他者への信頼として体験する乳児期について描写している──赤ちゃんが母親の胸で感じる安心のことである。そうした初期の確かさから、信頼し依存する能力が培われる──紆余曲折を経るにしても、人生における究極的な結果は良いものであるという信を持つ能力である。そのような信は、行動の心理的な基盤でもあるし、また、私たちの危険な失敗にもかかわらず神は将来の人類の生存を確実にしてくださるという宗教的な希望もしくは保証でもある。
カーター氏は本書の中でこう述べている。「ルカによる福音書18:8について最初にじっくり考えたときにびっくりしました。実際に次のように問いかけているからです。『人の子が来るとき、はたして地上に信仰を見いだすだろうか』と。この問いかけが、神への私たちの将来の信仰のことなのか、あるいは、お互いへの信や、生活のほとんどあらゆる様相を形作り導く原則への信のことなのかは分かりません。民主主義や自由、正義、平等、慈悲心といった道徳的な価値観は、宗教的な信仰なくして、はたして次の世代へと伝えることができるのでしょうか。そうであってほしいと思いますが、宗教的な信仰はそのように伝えられる可能性を高めるものと確信しています」

強固な基盤

人は、信じることのできる安定した強固な基盤を必要としている、とカーター氏は強調する。私たちを相互の信頼と理解のうちに結びつける共通の大義をつくり上げるのは、すべての人が共有するそうした必要性である。キリスト教徒にとって、そうした基盤は何世代にもわたってそのまま継承されてきた「十戒」である、と彼は考えている。しかし、俗世間では、そうした共有された基準の土台はより脆弱であり、それを維持するために必要な犠牲を行おうとする当初の熱意が時間と環境によって損なわれるにつれて崩れていく傾向がある。
例えば、永続的な平和へのインセンティブ(刺激)を創造するために第二次世界大戦の終わりに発表された世界人権宣言は、「世界の偉大な宗教の最高の道徳的、倫理的な理想」を含んでおり、「すべての国家の立法者と一般市民が理解することのできる世俗の言葉でその理想を表現しました」。そうした宗教的な理想とは、恐怖と欠乏からの人間の自由の基礎を形成し永続的な平和を保証する、社会的、経済的、政治的、文化的、市民的な諸権利である、と彼は書いている。
大統領在任中とそれ以降、カーター氏は自分の行動を導くためにこうした原則を活用しようと努めた。人権の領域での業績を称えて授けられた国連人権賞や、地球規模の大義に貢献した立役者を表彰するフーバー・メダルを含めて多数の賞を受賞したカーター氏は、「国際紛争の平和的解決策を見いだし、民主主義と人権を推進し、経済的、社会的な開発を促進するために、何十年にもわたってたゆまず努力した」という理由で2002年度のノーベル平和賞を受賞した。
しかし、カーター氏が大統領職を離れて以来、アメリカは世界のあちこちで絶えず戦争に関与してきた。一方、アメリカ国民は、戦争の経費についてはほとんど知らされず、世界平和の維持という大義には無関心になってしまった。さらに悪いことに、多くのアメリカ人は、選出された指導者と、真理や平等、善意といった絶対不変のものだと教えられてきた原則に対する信頼を失った、と彼は書いている。
もし私たちが信を失えば、信は回復されなければならないものになる。つまり、自分自身への信、他者への信、最高の理想を顕現させる私たちの能力への信である。カーター氏は、自省と想像力という人間の能力によって証明されている意識の進化を信じると記している。そうした認識を踏まえてこう書いている。核戦争と地球温暖化の可能性によって生存が脅かされており、私たち自身がこうした脅威の媒体であることが今や知られている、と。したがって、自己破壊から自分たちを救うことはできるのだという、自分自身への、お互いへの、そして神への信へと、回帰しなければならない。そうした善への信を飛躍的に高めなければならない。なぜなら未来は、お互いと、そして自然界と協力して働くようになる能力にかかっているからである。カーター氏は、世界人権宣言、十戒、コーランつまりイエスの教えにある原則を見返すことを
勧めている。それは正しい人間関係を回復させ、「……お互いへの信に基づいた、平和な共存関係の未来を進化させる」方法を明らかにするからである。

信への挑戦

「信への挑戦」という章で、カーター氏は戦争や人種差別、貧困と人権の動態、攻撃用武器、気候変動、政治や選挙に対する裕福な寄付者の過度の影響力などに関する自分自身の見解を記している。こうした課題はアメリカの民主主義の安定を脅かしている、と彼は書いている。彼はアメリカの強い軍事力を維持することを支持しているが、かつて大将であったドワイト・D・アイゼンハワー元大統領がアメリカの「軍産複合体」がアメリカの政治と外交政策において支配的な力になることについて発した警告にも触れている。カーター氏は世界の警察官としてのアメリカの役割について嘆いている。その主な理由は、次第に危機的になっている国内のニーズから資源を逸らすことになるからである。
キリスト教徒であるからといって平和主義者になることが要求されるわけではないとカーター氏は考えているが、シリアやアフガニスタン、イラク、イエメンでのアメリカの継続的な空爆は罪のない一般市民の死傷を引き起こし、人権のために尽くす平和国家であるというアメリカの主張と矛盾すると書いている。こうした攻撃的な行動はアメリカへの憎悪を助長し、テロに油を注ぐ、と彼は述べている。アメリカ政府は「自国民の間でも国際社会においても自由と人権の揺るぎない擁護者」として見られ得るし、見られるべきだという信念をカーター氏は抱いている。
カーター氏は、基本的な人間の必要は社会的、経済的、政治的な必須事項であり、イエス・キリストは、お互いとの関わり合い方やそうした必要を満たす方法を示すために神が遣わされた模範的な人物である、と個人的に信じている。イエスの熱心で敬虔な信者としての個人的生活についてのカーター氏の記述は、簡単で控え目であり、わずかに個人的である。この本の中に説教は全くない。むしろ、それはアメリカ南部の安定したキリスト教徒の家庭に生まれた人物との体験の共有である。彼は生涯にわたる探求と時おり抱いた疑念を通して神への信を持つようになり、助言者、友、案内人である人物の教えを本当に生きようと意識的に努めている。
イエス・キリストはいつも彼と共にあり、人間の形をとった神として自分の模範になっている、と彼は述べている。カーター氏にとって、信仰は名詞ではなく、動詞である──神への宗教的な信仰であるにせよ、あるいは共通の体験と必要を通した、お互いに対する世俗的な信であるにせよ、人生において前進していくにあたっての基本前提である。彼は聖書のヘブライ人への手紙11-1を引用している。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。……信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造され、したがって見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。私たちがやろうとすることは何であれ達成可能であるという信を持たなければならない──そうでないと、それを達成しようとさえしないだろう。
宗教ニュースサービスの記者、アデル・バンクス氏との2018年4月のインタビューで、カーター氏は未来に関する予測を次のように要約している。これはアメリカにも世界にも当てはまる。
「私たちにとっての次の本当の課題は、調和と相互信頼のうちに、そして意見を異にする人々への愛さえも抱きながら、お互いにいかに生きるかを学ぶ際に、キリスト教や他の宗教の原則をいかに応用するかについて学ぶことです。それは達成することが非常に難しい大きな課題ですが、私たちが今日直視する必要のある最も重要な課題です」
カーター氏は悪化しつつある自分の健康状態と前方にある旅路について書くときは楽天的である。彼は自分の現在の反応と、戦時中に死の可能性に直面した若い潜水艦将校としての反応を比較している。両方の場合に、生活上の多くの心配からの解放、結果を統御できないという事実の受容、日常生活の日課への集中がある、と彼は書いている。個人的には、イエスに対する強い信仰が彼に慰めと強さを与えている。カーター氏は基本的に楽観主義者であり、神が地上において最終的に優位な立場になると信じている。「私の信仰が、私の楽観主義への鍵なのです」と彼は述べている。

ジミー・カーター『信仰──すべての人の旅路(Faith: a journey for all)』サイモン&シュスター社、2018年、180ページ