愛と平和の道

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって、毎月記事を提供してこられた。2006年に書かれたこの記事は多くのテーマを扱っているが、そのうちの一つは、人間が孤独であったことは決してなく、私たちが望めば案内(ガイダンス)が得られるという再保証である。まるで2020年に書かれたかのように、クレームの師はこう書いておられる。「われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である」

愛と平和の道
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 幸いなことには、助けが必要なときに人間が放っておかれたことは決してない。どんなに困難な状況だろうが、どんなに直面する危険が大きく深刻なものであろうが、人は一つだけ確信がもてる──すなわち彼の兄たち(覚者たち)から見放されることはない、ということである。人間の長い歴史において幾度も幾度も、すべてが失われて、人間の未来が危険なほど不確かになったとき、いつでもわたしたちの救助が手近にあり、人間の前進への道は再び復活されたのであった。そして今日、相容れない様々な勢力の大渦巻きの中に立ち、次のステップについて確信がなく、前方にある仕事の巨大さにほとんど圧倒されているこの荒々しいときにあって、然りである。
 わたしたちは古の隠遁地から出て来て、わたしたちの思考とステップを苦闘する兄弟たちの援助に向け直す。すべてが失われているのではないことを、人間が彼らの生活を組み立てるために他のより良い方法が存在することを、和合と幸福は正義と自由から生じることを、分かち合いは和合の自然な行為であり、すべての人間の苦しみへの単純な答えであることを、模範によって示すために。
 人類はわたしたちが与えねばならない叡知の贈り物を欲しなければならない。偉大なる法がそれの強制を許さない。であるから、人類は彼らを取り囲む危険をはっきりと見て、決断と選択をしなければならない。
 人類に案内(指導)が必要なことは議論の余地がない(多くの者がそのことを否定し、あるいはそれを見つけることができるということを否定するのだけれど)。そしてこの案内(指導)を、マイトレーヤ御自身が人類に提供されるであろう──彼らに考慮し、賢明に分別してもらうために。
 それに応えて、人類は彼ら自身をひとつとして見なければならない。自由と正義を阻む古い障害物は捨て去られねばならない。すべての者が地球の豊かな贈り物を分かち合わねばならない。すべてが信頼という言語を学ばねばならない。われわれの住処である地球という惑星を大切に看取り健康を取り戻さねばならず、その空気と土壌と水を浄化し、再び人間にとって安全なものにしなければならない。
 これらが惑星の安定とその住民の健康にとって緊急に必要な条件である。一旦それらが採用されたならば、もはや過去の無秩序に戻ることは決してないだろう。人間は、貧困や戦争、搾取や残酷さ、腐敗や不正義に別れを告げるだろう。
人類は彼らの兄たちを熱心に見習い、そして愛と平和の道を歩むだろう。
 今のこの時を決断の時と見なしなさい。すべてが、マイトレーヤの勧告に対する人間の反応にかかっている。あなた方の兄であるわたしたちは心配しているわけでも、悦に入っているわけでもない。マイトレーヤと人類の両方が直面する巨大な仕事をわたしたちは知っている。わたしたちはまた「いのちのしるし」の読み方を知っており、恐れてはいない。これを読んでいるあなた方は恐れることなく、地球の復興がすぐ近くにあるという事実を、過去の不正は衰え、それとともに古い統治法が衰えつつあるという事実を、広く知らせなさい。新しい案内は人間のための道を示すためにここにある──古の、しかしいつも新しい指導が人間を山頂へと連れて行く。
(SI誌、2006年7-8月号)

霊性―第二部

1982年1月に発行されたシェア・インターナショナル誌創刊号のためにベンジャミン・クレームによって書かれたこの記事に回帰することによって、新年と本誌第40号を始めることは適切であるように思える。以下はその記事の第二部である。この記事は、今日緊急に必要とされる霊性(スピリチュアリティ)の統一的で広範囲にわたる定義を提供している。霊性は、世界が現在直面している多くの危機を解決するにあたっての鍵を握るからである。ベンジャミン・クレームは記事の中で、霊性についての私たちの理解を広げ、そうすることで人類のための前進の道を指摘している。霊性についてのこの新しい見方は、私たちが創造する必要のある新しい公正な世界の実際的な基盤となることが期待される。

霊性ー第二部
ベンジャミン・クレーム

三重のリアリティ=霊と魂と肉体人間=としての人間の本当の特質について、そして再生誕の法則との関連における原因と結果の法則について、人類を再教育することによってのみ、魂としての人間の本当の表現が可能となる。

 これがわれわれの新しい機構を条件付ける。すべての人間が聖なる存在であることを把握するまでは、内的神性を堕落させずに十分にそれに応じることのできる制度を、築くことはできないだろう。今日、教会は、大体において、彼らが自ら語っている神性を堕落させた。なぜなら、彼らは非常に独断的、教理的になっており、その教義や教理において非常に分離主義的になってしまったので、神についての宗教的概念の基礎── 共通の父を認める故に、すべての人間の友愛の必要性── であるべき寛容と善意、兄弟愛の感覚を失ってしまった。これが政治の分野に適応されたとき初めて、われわれの機構はこのリアリティを反映するだろう。
 同様にして、経済の分野において、至るところに住むすべての人民が地球の物資を共に分かち合うことができるような原理を設けなければならない。今日の世界の最大の分割は産業国の北半球と第三世界の南半球の間にある経済的格差である。世界の3分の1の人口が世界の食糧の3分の2と、世界資源とエネルギーの少なくとも80%を乱用し消費し、他方第三世界はその残りで賄わなければならない。この不均衡の中に潜む緊張がわれわれを容赦なく破局に追いやる。これらがブラント委員会の調査結果の中心的なものである。この報告書『北と南 生存のための戦略』は、経済の不均衡の中に潜む危険を認知する。至るところに住むすべての人間が、人間家族の完全に受け入れられたメンバーとして自由に食べて生きることができるまで、世界に正義はないだろう。正義がない限り真の平和はない。もし今日世界に真の平和がなければ、世界に未来はない。
 今、われわれは本質的に霊的危機に直面しているのだが、それは政治や経済の分野を通して表面化している。であるから、マイトレーヤは政治と経済の領域内で働く決意をされ、そして分かち合いの原理を強調され、それが人間の未来のすべての進歩への鍵であると言われた── 「分かち合うとき、あなたは兄弟の中に神を認める」。「人間は分かち合うか死滅するか」。分かち合いは聖なる原理である。すべての機構はその内的神性を反映しなければならないことを認めるまで、われわれは進化の旅路において一歩も先へ進めないだろう。われわれがそれを認識するや否や、全く新しい状況への扉を開く。
 偉大なるスペインの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカが飢餓の終止について述べた素晴らしい声明がある。「飢えが地上から除去される日には、世界がかつて知ったことのない最大の霊的爆発があるであろう。その偉大なる革命の日に世界中にどっと沸き上がる喜びを、人類は想像できない」
 これは非常に大胆な主張に思えるかもしれない。しかしこれは、豊かなる世界において飢餓を除去することが人間の神性への最初のステップであることを認識したものであると信じる。なぜなら、それは人と人との間の正しい関係への最初のステップであるから。人類は一つであることを認めて、世界の資源をすべての人間の間で分かち始めるや否や、われわれは神となる道への最初のステップを踏む。
 そこに新しい経済機構の本質的な霊性が横たわる。それは分かち合いに基づかなければならない。なぜならそれは人間の神性に基づかなければならないから。分かち合いは聖なる活動であり、世界の資源の分配よりもさらに先へつながる── われわれは皆、神性を分かち合う。われわれは実にすべてのレベル── 肉体、感情、識心、直観、社会── において一つである。これらのすべてのレベルにおいて分かち合うことができる。
 政治的経済的活動は人類の再生誕のために重要であるのみではなく、偉大なる霊的運動であると考える者たちと、政治は汚らわしい言葉であり、経済は貧しい者たちのみが扱うことであると思う者たちとの間に、非常に大きな分割が存在する。今日の「ニューエージ」のグループの中にさえ存在する。いわゆる「霊的」な人々の、世界の何百万の飢えたる人々に対する見方の無神経さに、私はしばしばぞっとさせられる。奪われたる者たちの苦境は彼らの「カルマ」であり、彼らはレッスンを学んでいるという言い逃れを非常にしばしば聞く。単純な、真っ直ぐな、普通の人間の思いやりが彼らの福利に関心を持たざるを得なくすると、私は思うのだが。
 政治、経済、科学、文化、教育は、精神生活のすべての面を宿すものとして、間もなく人類の基本的霊的努力となるだろう。宗教集団やいわゆる「霊的」集団や「ニューエージ」グループは霊性の独占権を持たない。実際、いわゆる密教やオカルトのグループは、すべてのグループの中で最も惑わされたものであると、ジュワル・クール覚者は言われた。私も、これらが最も効果の少ないグループであることを知った。世界における本当の変化は、意識の本当の転換は、政治経済前線で行われている。政治的、経済的変化を通してこそ、すべての人間に内在する霊性の反映を可能ならしめる制度が再建されるだろう。精神生活の道はすべての人間が歩むことのできる広く多様なものであることを、マイトレーヤが示されるだろう。人間生活のあらゆる努力の中に、あらゆる分野の中に、神についての認識と知識が感じられ、表現されるだろう。すべての者が一瞬一瞬のこの体験についての彼らの認識を、分かち合われた体験の結果として生み出される多彩な模様の中に、貢献することができる。

表紙の絵── ベンジャミン・クレーム

「ビジョン」(1961年)

「この絵は、オランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が述べたことに基づくインスピレーションの結果である。ファン・ゴッホは素晴らしい手紙を書いた。絵を1枚も描かなかったとしても、彼は手紙だけでも人類史において地歩を得ていたであろう、と私は考える。彼の手紙は、特に弟のテオに宛てたものは、私が読んだことのある手紙の中で最も雄弁なものの部類に入る。そうした手紙は人類への愛や深い内面の探究心を伝えているほか、自分自身や自分の行動、自分の生活を通して、そして何よりも自分の作品の中で、キリスト原理を表現したいという切望を伝えている。彼が絵画にたどり着いたのは後年になってからである。わずか10年で全作品を完成させており、途方もない集中力をもって制作に励んだ。
 彼は未来の芸術について考え始めていた。それについて彼が書いたものを読んだとき、私は未来の芸術についてのイメージを得た── これ[絵画]は、私が見たビジョンである。中心には宇宙の火、内的な霊的火があり、卵の形をした宇宙の形態、つまり「宇宙の卵」がそれを体現している。その宇宙の卵は、私が祭壇の形と考えるものの上にあり、ある媒介を通して人類に捧げられているかのようである。それはたぶん、宗教という媒介かもしれないが、この場合は芸術という媒介である」
──ベンジャミン・クレーム

(編注:これは、新しい作風を模索する、ベンジャミン・クレームの最も初期の作品の一つである)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

永遠に続く

編集長殿
 2002年9月11日の朝8時から9時半の間に、仕事の前半分を終えたので、バック通りから、よく訪れている聖母聖堂の奇跡のメダル礼拝堂まで、散歩することにしたのです。私は38番バスに乗って、ポール・ロワイヤル天文台バス停まで行き、そこで91番バスに乗り換えました。ラッシュ時だったのでバスは満員でした。バスに乗り込む時、3メートルほど離れた別の乗客と目が合いました。
 私はドキッとしました。次に思ったのは「何てこと、あの男性はすごくきれいだわ!」ということでした。息が止まるほどの美しさだったのです。その男性はパキスタン出身のようでしたが、服装はヨーロッパ風でした。彼は黒いスーツに白いシャツを着て、ネクタイをしていました。タイの色は覚えていません。非の打ち所がない装いで、頭には黒いターバンを巻き、正面に白い小さなバッジが付いていました。
 その出会いは5分から10分程度のものでした。私は一度ならず、二度、三度彼を見ていました。彼はじっとまっすぐに私の目を見たことはありませんでした。私に向かって何か言ったりもしませんでしたが、彼の眼差しは強烈で鋭いものでした。
 私はついに目を伏せて、バスから降りる準備をしました。通りで一人になると、この朝の絶世の美男子に有頂天になりました。つかの間の予期せぬ出会いでしたが、一日中頭を離れず、その姿について手紙を書いている今でもなお心に残っていて、私の記憶に刻まれているのです。「ああ、彼はとても美しかったわ、あの見知らぬ人、厳格さを帯び、慈悲の合わさった恩寵あふれる姿だったわ」と言い続けていました。この並外れた男性はどなたでしたか。
マリー・ジョゼ・ヌクアヤ
フランス、イブリー=シュル=セーヌ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

動物の魔法

編集長殿
(1)数年前に私の現在(*)の仕事に関係のある夢を見ました。その当時、3年半の間無職で、子供たちと私は金銭的に非常に困窮していました。
 夢の中で私は動物園にいて、大勢の人々と一緒に立ってヒヒの群れを見ていました。一匹のヒヒが他のものより目立っていて、彼はテレビの私の好きなアニメの一つに出てくる、ヒヒのキャラクターにそっくりだったのです。
 近くにいた人たちは、そのヒヒを滑稽だと思い笑っていました。私はなぜ笑っているのか彼らに尋ねました。彼らにはそのヒヒがマイトレーヤだとわからないのでしょうか。
 まるで私がテレビのクイズ番組で賞金を勝ち取ったかのように、そのヒヒが勝利のポーズを取って、毛皮の中から一通の封筒を取り出して私に手渡してくれました。その封筒を受け取った時、開けなくても私にはお金が入っていることがわかり、正確な金額も知っていました。
 その翌日、ある団体から電話があり、そこは半年前に私が仕事の応募をしたところでした。電話の女性が言うには、彼女が自分の机を片付けたところ、私の履歴書が見つかり、ユトレヒトにある人権団体での、私に良い仕事を知っているということでした。彼女は面接委員会のメンバーで、その仕事のための面接に私を呼んでくれました。私は出かけていき、仕事を得たのです。二度目のミーティングで私の給与について話し合われ、頑張ってみましたが、私が封筒の中に『夢見た』金額の給与を、新しい雇い主から引き出すことはできませんでした。私たちは100ギルダー(2002年までの通貨、約12,000円)少ない金額で同意しました。
 最初の1カ月の終わりに、私の最初の給与小切手を受け取る時、計算を間違えたため、初めの同意額よりも100ギルダー多い額を受け取ることになると、上司から伝えられました。夢の中で、『ヒヒの』封筒にあったとわかっていた、きっかり同じ金額だったのです。
 信頼はしばしば報われるという、私の考えは正しいでしょうか。この夢はマイトレーヤによって与えられましたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、両方の問いがそのとおりであると確認した】
(*編注:この手紙は2004年10月に受け取ったものである)

高揚感

(2)2004年11月の嵐の金曜夜に、私はユトレヒト中心部の職場から夜遅く帰りました。私の車を駐車した郊外までのバスに乗るため、バス停まで歩いていましたが、バス停に着くとバス運転手がドアを閉めて走り去ったのです。私は疲れていたので、これはひどい出来事でした。私はすっかり参ってしまいました。
 その時、赤のオペル・カデット(私の家族はしばしばこの類の車の冗談を言っています)が止まりました。運転手が窓を開けて、一部始終を見ていたと言い、車に乗っていくか尋ねられました。一瞬の躊躇もなく、私は彼の隣に乗り込みましたが、彼は作業服を着た建設業者でした。彼はその道を毎日車で通っていると言い、すぐの角を曲がった所に住んでいると言っていました。それから私たちは、ほとんどの人々がいかに配慮に欠けるかについて話して、人が他の人々の必要について考え、共感を持ったなら、苦しみはもっとずっと少なくなるだろうという話をしました。
 その夜の夕食の間、私がこの体験について子供たちと話をすると、彼らの反応(彼らは赤の他人の車に乗ってしまった私を怒っていました)を目の当たりにして初めて、それがとても奇妙なことだったとわかったのです。
その『建設業者』はマイトレーヤでしたか、なぜ私はあれほど怖くなかったのでしょうか。
エレン・ベルナルズ
オランダ、ブラリクム
【ベンジャミン・クレームの師は、その『建設業者』がマイトレーヤであったこと、そしてそのために手紙の筆者が怖くなかったことを確認した】

読者質問欄

Q 私は奇跡よりも実用性とロジスティックス(物流)について話したいです。何兆トンもの食料と水を開発途上国にどうやって移動させますか。世界のある地域から別の地域にどうやって動かすのですか。
A 覚者方は、彼らの機関──彼らの弟子たち、経済や経営の分野での多くの経験を積んだ男女──を通して、関連する計画の数多くを長年かけて作り上げました。そのいずれもが世界の再分配の問題を解決するでしょう。世界の問題、経済問題は、実際には分配と再分配の問題です。それ以外ではありません。
 様々な計画がありますが、覚者方が最も望んでいるのはこのようなものです──私たちはそれについて聞いたことがありませんが、このようなものです。国連の新しい機関が設立され、資源の再分配のみを扱い、覚者(または少なくとも第3段階のイニシエート、かなり進化した個人)の監視下で、それが適切に、腐敗などなしに行われるかを確認します。
 それから各国が自国の生産物と輸入すべきものの目録を作るよう要請されます。このようにして、すべての情報がコンピューターに入力され、世界の資源の大きさとそれがどこにあるかという、世界のケーキの大きさが分かるようになります。どの国家が何を過剰に持っているかが分かり、各国が余剰分を世界全体のために信頼して譲り渡すよう要請されるのです。そして大きな余剰を持つ大国はより多くを共同積立に入れることになるでしょう。

Q それにはどのくらいの期間がかかりますか。時間的枠組みはどうなりますか。
A 私の理解では、この過程が完全に終了するには、約3年かかるでしょう。3年間で、世界資源の分かち合いの過程は当たり前のことになるでしょう。

Q 費用についてはどうですか。
A 費用はありません! 特定の物資を輸入する代わりに物資を交換することになります。その経済費用とは何でしょうか。分かち合いの過程においては、相互交換であり、費用の中で与えたり受け取ったりするものではありません。非常に洗練された物々交換の形態が現在の経済制度に取って代わるでしょう。
 私の言うことを信じるならば行動しなさい! 行動の機会は常にあります。デモが行われるたびに参加しなさい。デモを行い、声を上げ、信じることを言いなさい。正義を信じること、正義と平和を達成するための唯一の道は分かち合いであること、平和への唯一の道は正義と分かち合いであると訴えなさい。あなたは行動しなければなりません。人間はそれをしなければなりません。マイトレーヤは以前こう言われました。「新しい時代のすべての煉瓦とすべての石は人間自身によって置かれなければならない。私は計画の設計家にすぎない」。彼は言われます。「我が兄弟たちよ、あなたがたが、真理の宮殿を喜んで築く者たちである」。真理の宮殿とは新しい文明のことであり、私たちはそれを作らなければならず、それを始めるには自分の信じることを伝えることです。私の言うことを信じるならば、それを知らせなさい。それが長年私のしてきたことです──知らせることです。私はそれをするよう求められたのでそれをしました。あなた方が私に求めたので、今私はあなた方に求めます。あなたがこれを可能性としてでも信じるなら、それを伝えなさい。あなたの信じるレベルで──100%、50%、5%だろうが──どんなレベルでもいいから、それを知らせなさい。大切なのはそれを伝えることです。

2020年12月号目次

 

覚者より
大計画は進む
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
「重大なニュース」:
47の信仰団体が化石燃料投資から撤退する
ジュリア・コンリー

『ニワトリはアヒルの卵を産めない』
新型コロナウイルスはどのように気候危機を解決できるのか
グレアム・マクストンとバーニス・マクストン・リー共著
フェリシティ・エリオットによる書評

フランシスコ教皇は市場資本主義を非難し、人間の連帯を要求する
グラハム・ピーブルズ

思いやりと楽観主義
ダライ・ラマ法王の思慮に富む言葉

米国人の半数がマイトレーヤの優先事項を支持する
シェア・ギルモア

「最初の大きな一歩は、ただ目を閉じて想像することでした」
ポーリン・ウェルチによる映画批評

キス・ザ・グラウンド―気候変動の解決策は私たちの足元にある
エリッサ・グラーフ

時代の徴
世界の至るところに光の徴

非暴力コミュニケーション
ドゥニャ・ミュラーによるマーシャル・ローゼンバーグ博士へのインタビュー

霊性――第一部
ベンジャミン・クレーム

弟子の属性
アート・ユリアーンス

バンクローリング・エクスティンクション:生物多様性の破壊に手を貸す銀行
ケニー・スタンシル

編集長への手紙
真の変化を生む力 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

大計画は進む

シェア・インターナショナル誌は創刊以来、クレームの師である覚者が提供された記事を掲載してきた。それは記事が提供されたときのみならず、世界の状況に応じて適切だと思われるときにはいつでもそれを掲載してよいようにである。1992 年10月に書かれたこの記事は多くの複雑な概念を扱っているが、その一つには覚者方はあらゆる事柄を統率しているという誤った考えがある。ベンジャミン・クレームの師である覚者は大計画の展開について概説しながらその中での人類の役割を最終的に再確認している

大計画は進む
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 ハイアラキーは最大の関心をもって、いま世界に展開している出来事を見守っている。これらの出来事はあまりにも多く、あまりにも多様なので、熟練した目と理解ある心(マインド)のみが、それらの関連性を、したがってその底に横たわる論理と必然性を見抜くことができる。そのようなより広い視野なしには、人類は、良くて途方に暮れており、悪くて恐れ、狼狽している。すべてが繁栄と平和に向けて良好に進むように見えたのだが、現在の見通しは荒涼としている――経済的な困難と増大する民族抗争が、長年続く飢餓と不公正にさらに苦痛の日当とも言えるものを加える。一体何が間違ったのかと、多くの者が問う。信仰と勇気がこれらの出来事によって揺さぶられる。約束されたような新しい時代はいつ始まるのだろうか。

 この転換の時期は必然的に困難な時である。われわれが目撃しているものはすべて偉大なるエネルギーとフォース(力)の影響の結果であり、それが人類に働きかけており、様々な反応を呼び起こす。残念ながら、人類の反応は一様に均質なものではなく、個人および国家の、分離した個々の関心や野心や欲望によって条件づけられる。その結果として、国家主義的な運動や民族的な要求が過度に前面に出てきている。

 わたしたちの観点から見ると、これらの要求は、いま世界に蔓延している自由への欲望を生じさせるエネルギーに対する正当な、しかし歪んだ反応である――それが抑圧的な政権を倒す行為として表現されたときには喝采され、同胞殺しや残虐行為や戦争として表現されたときには、当然ながら非難される。

 この惑星の「内界の政府」としてのハイアラキーが、大小すべての出来事をコントロールするという考え方が存在する。これはまさに誤りである。人間の自由意志を侵すことなしに、それはあり得ない。ハイアラキーの任務は、神の大計画を「我らが人類と呼ぶ中心」を通して実施することである。このことは、人間の神聖なる自由意志を絶えず尊重しながらなされなければならない。かくして、大計画が進んでいく過程の中における一日一日、一年一年ごとの成り行きに完璧さを求めてはならない。長期の目標は保証されている。それについては疑う余地はない。人間のみが大計画の進行していく道が突飛なものになるかどうかを決めるのである。

 間もなく、今日世界を牛耳っている緊張に緩和が見られるだろう。様々な出来事が危機状態に近づいており、これらのまったく異なる諸勢力を解決するだろう、そして人々がより健全な見解に耳を傾けることが可能になるだろう。経済的な必要性が、最も富める国にさえ、より世界的な視点で考え、集団の必要により多く沿った線で考えることを強いている。

 間もなく、貪欲によってつくられた窮境が経済理論とその実施についての再考を強いるだろう。そしてより公正な世界への道を開くだろう。その日は“すぐ近くにある”のではないが、それほど遠い先のことではない。大計画はうまく進んでいないのではないかと恐れることはない。大計画は確実に進んでいる。

今月号の内容概説

 今月号の内容はおそらく、「リアリティ・チェック(現実把握)」や行動への呼びかけ、可能性への指針であると言えよう──このすべてが緊急に必要とされている。今起こっているあらゆることが、私たちに目覚めるよう告げているからである。私たちは事実を直視するよう呼びかけられている。私たちは、そして全世界的な構造とシステムのすべては、厳しいストレステストを受けているところであり、それによって根本的な欠陥が明らかになっている。最近の出来事は政治システムの裂け目と弱点を明らかにした。同じように、政治的な出来事は経済システムがいかに不安定かをさらけ出している。こうしたあらゆる失敗により、各国政府と民衆は、自然界のために行動するよう促されるべきである。
 おそらく、最大のリアリティ・チェックは、世界が二つの主要な事実を認識するよう強いられているということである。つまり、生活のあらゆる構造と分野が相互に絡み合っているということ、そして最も重要なことは、私たち人類が相互に依存し合っている──事実、一体である──ということである。これは必然的に、私たちの心理を変えるに違いない。私たちは自分たちを再創造し、すべての者の必要に仕えるシステムを創造する機会を与えられている。これは完全に、私たち自身の手のうちにある。ベンジャミン・クレームの師が今月号で指摘しているように、「長期の目標は保証されている。それについては疑う余地はない。人間のみが大計画の進行していく道が突飛なものになるかどうかを決めるのである」
 グレアム・マクストン氏とバーニス・マクストン・リー氏は、挑戦しがいがあり、得るところが多く、希望に満ちた本、『ニワトリはアヒルの卵を産めない──新型コロナウイルスはどのように気候危機を解決することができるか』の中で、警鐘を鳴らすだけでなく、未来のための青写真を提供している。ベンジャミン・クレームは霊性(スピリチュアリティ)の定義を拡大している。それは、生活のあらゆる様相を「霊化する」必要性を理解するのに役立つものである。「霊化する」とは、言い換えれば、すべての者が繁栄できるように、生活のあらゆる様相をすべての者の必要に見合うものにすることである。フランシスコ教皇は同じように、新しい回勅──「フラテッリ・トゥッティ(兄弟である皆さん)」──の中で、私たちは「トゥッティ・フラテッリ(皆、兄弟)」であり、皆が一つの存在であるという事実を尊重するよう呼びかけている。そして、それが受け入れられるときは必然的に、実際的な、具体的な変化につながるに違いない。
ジョッシュ・ティッケル氏とレベッカ・ティッケル氏による「キス・ザ・グラウンド」のような映画は、地球と生物多様性を大事にするよう人々を鼓舞することを目指している。アレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏とアビ・ルイス氏、オパール・トメティ氏によって脚本が共同執筆された2本の動画、「未来からのメッセージ」Ⅰ・Ⅱは、私たちが未来を想像し、どういう存在になることができるかを想像するのを助けてくれる。集団全体を抱擁し、そのようにして惑星のいのちを保証する義務が私たちにはある。
 「手紙」の欄では、ある8歳児が世界の指導者たちに大きなリアリティ・チェックを呼びかけている。指導者たち(そして私たち)に、私たちには(まだ)、変化し、惑星を救い、自分たち自身を変容させる力があることを思い起こさせてくれる。

非暴力コミュニケーション

ドゥニャ・ミュラーによるマーシャル・ローゼンバーグ博士へのインタビュー

あらゆる場所の人々が抗議をし、デモに参加し、公民権のために闘っている。ほとんどの人は非暴力で始める。新型コロナウイルスの大流行により、あらゆる場所の人々が人類の直面する現実の問題をより意識するようになった。おそらくこの危機は、意識の転換に向けて世界を導くだろう。衝突、暴力、競争ではなく、世界中での協力の高まりに、人類同胞の基本的ニーズをさらに理解することに導くだろう。

 マーシャル・ローゼンバーグ氏(1934-2015)は、非暴力コミュニケーション・センター教育サービス(Educational Services of the Center for Nonviolent Communication=CNVC)の創設者であり、理事長であった。CNVCはアメリカ、カリフォルニアを本拠とする地球規模の組織であり、そのビジョンは、すべての人がすべての人の基本的ニーズと生命の価値を認め、普遍的な生命エネルギーとすべての生命の自然な一体性につながる意識から生きる世界である。このビジョンでは、人々は非暴力コミュニケーション(NVC)を使用し、経済、教育、司法、医療、平和維持において、お互いへの思いやりに基づいた世界規模の生命に奉仕する制度のネットワークを創設し、それに参加する。NVCは共通の人間の価値観やニーズに焦点を当て、善意を高めるような言葉の使用を奨励する。マーシャル・ローゼンバーグ氏は臨床心理学者であり、60カ国以上で彼のトレーニングプログラムを提供し、教育者、管理者、心の健康および医療の提供者、弁護士、軍将校、囚人、警官、聖職者、政府関係者、個々の家族などのグループと共に活動した。
 ドゥニャ・ミュラーは、スイスでの国際集中訓練合宿(International Intensive Training)にマーシャル・ローゼンバーグ氏と共に参加し、本誌のために彼にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):ローゼンバーグ博士、あなたは多くの国で何度もトレーニング・プログラムを実施しています。参加者たちは、あなたのトレーニングから何を学びたいと考えているのですか。

マーシャル・ローゼンバーグ: ほとんどの人は、私たちのトレーニングがどのように彼らと彼らの家族をより愛情深く結びつけるのかに興味を持ちます。親たちは、それを子供たちに使用したいと考えます。夫や妻は興味を持ち、人々は親に使用したいと考えます。ある人は私たちのトレーニングを学校で適用することに興味を持ちます。私たちは教師、親たち、子供たちをトレーニングし、私たちが「人生を豊かにする教育」と呼ぶものに彼らが参加するようにします。国によっては、人々は調停に興味を持つ場合があります。例えば、ルワンダ、シエラレオネ、イスラエルとパレスチナ、セルビアとクロアチアなどです。私たちは戦場にいた人々に対して、どのようにしてお互いに調和しながら生きるのかをトレーニングします。国によっては、軍や警察と一緒に活動する場合もあります。
 私たちは彼らに、どのようにトレーニングを行い彼ら自身の中で非暴力コミュニケーションを適用するのか、どのように自己尊重感を失うことなく人間の制限から学ぶのか、どのように他人との関係でこれを適用するのかを示します。国際集中訓練合宿では「社会的変化」というNVCの別の重要な適用にも踏み込みます。私たちは、そのシステムが人々の間の思いやりのある相互作用を支援するためには、構造の変化の過程でNVCをどのように使用できるかを人々に示します。

SI: NVCは、しばしば「ハートの言語」と言われます。どのようにしてハートからコミュニケーションをすることができるのでしょうか。

ローゼンバーグ: 「ハートの言語」によって意味することは、自分自身の中にあるものを表現するということです。私が取り扱うすべての選択肢は、「あなたの中に何がありますか」という質問のあらゆる変化形です。多くの場合、人は異なった価値観を持ち、典型的には「他の人はこうである」と判断できるような言語の形態を使用します。NVCは、私たちのニーズが何であるかを参照しながら、自分自身と他人をどのように評価するかを人々に示す言語です。それは、内面で起こっていることを評価するためにです。ですから、これは「善悪」の観点から他人の行動を判断することとは根本的に異なることです。そのような判断は、あなたがとった行為に関して否定的に判断された場合にあなたが非難され罰を受けるのは当然であるということをほのめかします。つまり、そのような言葉は一種の暴力なのです。NVCは人々を自然なレベルで結び付けます。あなたのニーズは何で、それが満たされたとしたら……?  そしてもしそうでなければ、ニーズをさらに満たすためには何をすることができるのでしょうか。そして私たちは、それに耐えて持ちこたえる方法を人々に示します。たとえ他の人が批判、非難、判断の観点で考えるように教育されてきたとしてもです。

SI: NVCは学校制度でも利用可能です。NVCは、子供や親のニーズを、また教師のニーズをどのように考慮しているのでしょうか。

ローゼンバーグ: 私たちは教師に生徒のパートナーとしての働き方を提示しております。生徒を管理するのではなく、教師が価値があると考えるものを生徒に提供し、生徒が自分自身の人生にもっと積極的に関わるよう助けるのです。私たちは、相互に依存した生徒の委員会をどのようにつくり上げるかを教師に提示します。そこでは生徒たちが、最高の成績を得るために競争するのではなく、自分たちすべてがお互いの仕事に貢献していることを理解します。私たちの学校での調査が受け入れられれば、パートナーシップが高まり、暴力が減少します。しかしながら、問題はそれをどのように維持するかです。従来から、学校は権威に服従し、報酬のために働き、互いに競争することを生徒に教えるように機能しています。私たちは、学校とコミュニティーの人々の両方を変容させようとします。

SI: 家族についてお話ししますと、親は、子供に対する権威や責任を失うことなく、どのようにして彼らの「感情」や「ニーズ」について話すことができるでしょうか。

ローゼンバーグ: そのためには、私たちは、親や教師が彼らの仕事で重大な区別をするのを助ける必要があります。それは、NVCは何もしないことについて話しているのではないと彼らが本当に理解する助けになります。私たちは、権威への尊敬と恐怖の違いを彼らに示します。親たちが「権威を保つために子供を罰する必要があるのです」と言うとき、尊敬と恐怖のどちらを意味しているのでしょうか。私はこう言います。「例えば、今日このミーティングを後にしたら、おそらくあなたは私の権威に対して敬意を持っているでしょう。それは私が何かしら価値のあることを行い、あなたに提供したと思われたからです。ですから、あなたが尊敬から物事を行うためには、私が何か価値のあるものを提供しており、それを強制していないことをあなたが理解する必要があるのです」
 また、私は親たちに子供に自制心を持って欲しいのか、服従して欲しいのかを尋ねます。自制心は人が物事を自発的に行うことを必要とします。なぜなら、それがどのように人生を豊かにするのかを理解しているからです。服従は懲罰を避けたり報酬を得るために行うことであり、根本的に異なるものです。私たちは力を使う必要があるかもしれません。ただしそれは保護するための力の使用であって、懲罰ではありません。小さな子供が道路で走ったとき、その子供を止めるかもしれませんが、それは子供を罰するためではなく守るためなのです。

SI: NVCは鬱病の人々にも有効でしょうか。

ローゼンバーグ: 私は何年もの間、専門家により『抑鬱障害』と診断された多くの人々に会ってきました。私のアプローチは、この人物が病気であることをほのめかす診断名は問題の一因になることを示しています。なぜなら、診断名は彼らにどこか悪いところがあると思わせるからです。鬱病であると私に告げる人と仕事をするとき、多くの場合彼らに「あなたのどのようなニーズが満たされていないのですか」と質問します。 しかし彼らは「お伝えしたいのは……私は酷い母親で……」などと言って、この質問にどのように答えてよいかわかりません。私たちは、人々が自分自身とどのように話しているのかを、鬱病の原因は何なのかを突き止め、そしてそれを生活言語で表現するお手伝いをします。

SI:『感情』と『ニーズ』の観点から自分自身の中にあるものを表現するには、自分自身の中で実際に何が起こっているかについてある種の内的な認識が必要です。さて、NVCには霊的な領域があるのでしょうか。

ローゼンバーグ: まさにそのとおりです! NVCは、要するに私たちに自然に沸き起こるもの、思いやりを与える助けになる言語なのです。私たちは人間として、お互いの福利に貢献することに何よりも喜びを感じるという霊的信仰があります。その理由は私たちが聖なるエネルギーによって創造されたからであると私は信じており、生命であるこのエネルギーは生命を豊かにすることで力強くなります。つまり、それがユニークな精神性なのです。私はパレスチナ自治政府の域内で働いていたことがあり、ある若い男性が一日の最後にこう言いました。「マーシャルさん、これは素晴らしいトレーニングで、とても役に立つと思います。これは『応用されたイスラム教』に他ならないですね」。 私は微笑みながらこう答えました。「ちょうど昨日私はエルサレムにいて、伝統的なラビが私にこれは『応用されたユダヤ教』だと言いました」。そしてスリランカの私たちのプロジェクトで働くある神父は、これは『応用されたキリスト教』であると私に告げました。同じことを私たちに告げるヒンドゥー教徒や仏教徒もいます。思いやりをもって与えるという考え方──それこそが私たちが関わっているものです──は、新しい概念ではありません。私たちのトレーニングで、こうした様々な宗教から学べることは、彼らの人生において思いやりを与えるのを実現する方法を、プログラムが人々に提供するということです。

SI: 共感的な傾聴はあなたの概念の一部です。コミュニケーションの過程で、これをどのように統合することができるのでしょうか。

ローゼンバーグ: 私にとって共感は、別の人の中の生命エネルギー、この瞬間にこの人物の中にあるものとつながることです。そしてこの生命エネルギーは聖なるエネルギーであると私は信じていますので、共感的につながることは、この瞬間にこの人物を通してやってくる聖なるエネルギーとつながることなのです。しかし非常に多くの場合、このエネルギーは「あなたは最も利己的な人です…」という他の人物の叫びによって表現されるかもしれません。私たちのトレーニングは、他の人から受け取ることのできるすべてのメッセージはその人物の中の生命から来ていることを示します。そして私たちがこれにつながることができれば、この人物を通して来る何か聖なるものを経験するでしょう。

SI: 私を酷く傷つけた誰かに対して共感を表すことは可能でしょうか。

ローゼンバーグ: 私がそれを行えるようになる前に、非常に多くの場合、私自身に共感が必要かもしれません。この人物の行為の結果として私が経験した苦しみを完全に理解するために、誰かが私には必要かもしれません。私が自分の苦しみに必要な共感を得ることができたら、他の人の中で起こっていたことを私はより良く理解できるようになります。このようにして、私たちのトレーニングは「修復的司法」の考え方に貢献しているのです。私は刑務所で、女性をレイプした男性と働いたことがあります。私たちは部屋の中に一緒にいて、私は彼がその女性が抱える激しい苦しみと向き合うことを助けました。レイプが起こったのはおそらく何年か前のことですが、女性はいまだにそのことに関する悪夢を見ており、その苦痛を表現しています。これは多くの人にとって信じること、もしくは想像することすら難しいものです。なぜなら、私たちは正義と懲罰を助長する文化の中で教育されてきたからです。他の人にとって、囚人が犠牲者とこのような種類の対話をする人間であることを受け入れることは容易ではありません。

SI: NVCは政治的、社会的な衝突にも使用できますか。

ローゼンバーグ: 私が社会的な衝突を調停することを依頼されるのは珍しいことではありません。私はアフリカの部族間の調停を行いました。彼らは戦争状態にあり、互いに殺し合っていました。私は幾つかの政府に招かれ、この手法が政治レベルでどのように適用できるかを政治家たちに示しました。私はまた、イスラエルの外務部門でも仕事をしました。

SI: イスラエル・パレスチナ紛争など、本当に深刻な世界の問題を例に取ると、NVCはどのようにしてそうした大きな問題に対処することができるのでしょうか。

ローゼンバーグ: まず初めに、パレスチナとイスラエルの両方の地域から私たちの手法の精神性に共感する人々を探しました。つまり、その精神性は彼らの霊的な信仰に寄与するため、彼らはそれが和平への価値ある貢献であると理解したのです。私は両方の地域に行き、幅広い人々にこの手法を紹介し、次に両方の地域からチームを選びました。それは、彼らがその地域でトレーニングを提供できるように彼らをトレーニングするためでした。数年前にはイスラエルとパレスチナの人々をスイスに連れて行き、彼らを一緒にトレーニングしました。彼らは私に言いました。「マーシャルさん、私たちの歴史からすると、この場所から、このことは昨日始まったのではありません。この苦痛は長い間続いてきました。トレーニングを次の世代の学生に引き継ぐことができれば、異なったものの見方ができるように、彼らを別のやり方で教育することができると私たちは信じています……」。私が一緒に働いていたイスラエル人とパレスチナ人の両方がこれを学校に導入する方法を探し始め、彼らは成功してきました。彼らは私が難民キャンプで働くように調整してくれました。そこには大きな緊張があります。私たちは、医師、警官、イスラエル軍のメンバーと一緒に働きます。私たちは、イスラエルとパレスチナの様々な人々に出会いました。戦争を止めたわけではありませんが、私たちのトレーニングが最高レベルにますます知られるようになり、強力な支持者を得ています。その結果彼らは、通常の『和平協議』ではなく、私たちが提案するような調停を使用するのです。

詳しくは次を参照: www.cnvc.org

霊性ー第一部

1982年1月に発行されたシェア・インターナショナル誌創刊号のために書かれたこの記事は、今日緊急に必要とされる霊性(スピリチュアリティ)の統一的で広範囲にわたる定義を提供している。霊性は、世界が現在直面している多くの危機を解決するにあたっての鍵を握るからである。ベンジャミン・クレームは記事の中で、この雑誌の存在理由の一つを提供している──霊性を再定義することである。それは、困難な時代においてよく考えるための機会を提供するものである。

霊性ー第一部
ベンジャミン・クレーム

「『霊的(スピリチュアル)』という言葉はいわゆる宗教的な事柄を指すものではない。人間を何らかのかたちの成長──肉体的、情緒的、知的、直観的、社会的──に向けるすべての活動は、もしそれがその人を現状からさらに向上させるものであるならば、本質的に霊的な性質のものである……」

 アリス・ベイリー著『新しい時代の教育』の中のジュワル・クール覚者のこの言葉は、我々が世界との関係の中で強調すべき視点を変える必要に焦点を与えているものと信じる。それは厳密に宗教的なもの以外の他の活動に対する完全に新しい対処の仕方を反映する。また彼は、宗教集団によって「霊的」という言葉が独占されたことはこの惑星上の悪の勢力の最大の勝利である、と述べている。「宗教的」なものは何であろうと「霊的(精神的)」であるが、他のすべての活動は世俗的であり、俗事であるというのが、一般的な見方である。毎週日曜日に教会で礼拝さえすれば、週の残りは堕落した、不正直な、不合理な政治的・経済的・社会的構造や条件をつくることに費やすことができる。我々は霊的ということを宗教生活以外の生活のすべてから隔離し、それに「内的生活」として限定してしまった。これが、腐敗した不正直な外的生活を送ることを我々に許し、それが現在の世界に直面する困難を引き起こした。今、我々はボタンを押すだけで完全破壊の可能性に直面している。
 我々は、我々の聖なる特質の正反対の極にある拝金のために聖なる知識のすべての面を売ったのと同じように科学を売った。我々は神性ということを宗教的な意味でのみ、宗教的分野にのみ認めてきたのである。
 教会へ行ったり、何らかの特定の宗教を信奉する以外には、我々は人間を霊的な存在として考えない。であるから、人生への宗教的含蓄を否定するすべての政治、経済、社会構造(例えば、今日の共産主義社会のシステム)は非常に悪であると考える。確かに彼らの社会機構のある面は悪であるかもしれない──全体主義や個人の自由の否定は確実に悪である。しかし大体において彼らの機構は深遠な霊的原理に基づいているのである──自由、正義、平等、同胞愛はフランス革命の根本にあったばかりでなく、それ以後のすべての革命の根本にあったのである。問題は、もちろん、霊的理想が大体において理想のみにとどまることである。
 来るべき時代に我々は意識の転換を行い、「霊的」という定義の中に我々の存在のすべての面を含めなければならない。我々の機構のすべてが、人類の内的一体性に基づき、そしてその現実を反映するものでなければならない。魂として我々は一つである。分離した個々の魂は存在しない。そのような内的神性が表現されることを可能にするような政治、経済、社会のシステムを、我々はつくらねばならない。
 我々は誤った原理──競争、分割、分離主義、不平等──に基づいた機構を築いてしまった。これらはすべて我々の内的リアリティと完全に対立するものである。内的リアリティは人間の一体性であり、すべての人間に潜在する聖なる特質を分かち合う。内的な輝きの表現を可能にする正しい外的形態が必要である。今日の暴力の多くは、聖なる存在として内的に知覚される己自身についての知識と、その認識を外界に顕現することのできないこととの間に生まれる緊張の結果である。人間をはっきりと分割したカテゴリー ──実質上のカースト・システム──にはめ込む政治経済機構に対して、何のコントロールも持たないと感じる。そして聖なる存在としての己自身とは何の関連もない外的環境に逆らって反応する。己自身と戦い、己の延長としての社会と戦う。これが世界における現在の社会緊張と暴力の多くの根源にある。三重のリアリティ=霊と魂と肉体人間=としての人間の本当の特質について、そして再生誕の法則との関連における原因と結果の法則について、人類を再教育することによってのみ、魂としての人間の本当の表現が可能となる。

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。