ニュージーランドの水危機を解決する

グンダ・テンテとスティーブン・ロビンソンによる
マイク・ジョイ博士へのインタビュー

Mo tatou, a mo ka uri a muri ake nei
私たちと後に続く子供たちのために
(マオリ族のことわざ)

マイク・ジョイ博士は、ニュージーランドの尊敬されている水資源生態学者、環境科学者、教育者、活動家である。彼は、水資源の品質低下と生態系について、国内で積極的に発言している。ジョイ博士は、ヴィクトリア大学ウェリントンの統治および政策研究所で上級研究員を務めている。グンダ・テンテとスティーブン・ロビンソンが、本誌のために彼にインタビューを行った。

概要

 ニュージーランドは、数十年にわたり進展してきた水資源の危機に直面している。農業、園芸、森林管理、都市開発、他の人間の活動における土地と水の使用方法の変化の結果として、そして断固たる規制と執行の欠如のため、この国の水資源は憂慮すべき水準にまで悪化した。
 多くの河川が水泳には安全ではなく、74%の淡水魚が絶滅の危機に瀕しており、90%の湿地が農業や開発が原因で枯渇した。ニュージーランドの乳牛数は、過去20年の間に全国で69%(6,500万頭に)増加し、ある地域では最大で500%にまで増加した。気候変動や干ばつの増加により、河川の流量が減少し、汚染が激しくなり、状況は悪化している。
 近年の科学調査のデータ、証拠、報告書にも関わらず、最近ようやく、行動への呼びかけが必要な変化につながるだろうと考えられている。ニュージーランド政府は現在、水資源の現行の管理方法を改善する手段を検討している。2019年9月、政府はデイビッド・パーカー環境大臣とダミアン・オコナー農業大臣が発表した行動計画、「健康な河川のための行動(Action for healthy waterways)」に着手した。この行動計画は「我が国の河川や湖の悪化を止め、5年以内に目に見える改善を達成し、一世代以内に我が国の河川を修復することを目指している」。ジョイ博士は、この計画に関して政府と密接に協力している淡水科学技術諮問グループに任命されたメンバーである。

シェア・インターナショナル(以下SI):あなたはどうして生態学者や環境学者になろうとされたのかを、お話しいただけますか。
マイク・ジョイ: 私は、33歳のときに大学に入学しました。以前は、タクシー運転手、トラック運転手、酪農家をしていました。私は太平洋を渡り、オーストラリアの大牧場で仕事をしました。水資源や環境科学や生態学の勉強を始めたとき(本当に印象的な講座が幾つかありました)、状況がいかに悪いかということを、地球に何が起こっているのかを理解し始めました。水資源に関して修士論文の準備と大学院の研究をしていたとき、その数年で状況は急速に後退しました。このような(灌漑と化学肥料の増加による単位面積当たりの放牧動物数の上昇などの)農業の大幅な大規模化と、都市化の進展による河川への大きな影響が分りました。私が環境保護主義者となったのは、怒りが主な理由でした。

SI:あなたのお考えでは、ニュージーランドの水資源危機の解決に必要な最も重大な変化は何でしょうか。
ジョイ: 私たちは、農業の規模を抑える必要があります。私たちは工業化された農業に完全に入り込んでしまい、それは環境、特に水資源にとって有害です。私たちが及ぼした危害を覆すために、牧場の動物数を大幅に減らし、小規模農場では森林管理と農業を混合するように多様化することで、大きく前進することができます。それは農業システムを完全に変えることであり、持続型で再生的な農業※の線に沿ったものにし、その結果、すべての産業的な化石燃料と化石燃料ベースの化学合成肥料を私たちの食物システムから追い出すのです。これを素早く行う必要があります。

SI:主な汚染源は何でしょうか。
ジョイ:本当に大きな汚染源は栄養素(大部分が硝酸塩)と堆積物であり、間違った場所での悪い土地管理、農業、森林管理によるものです。土地の土壌を維持することは非常に大切であり、土壌を管理し、土壌の健康を取り戻すこと、土壌の踏みしめを止めるために動物の侵入を防ぐことなどです。元々、ほとんどの窒素は人工的な肥料が由来です。現在、私たちは基本的に化石燃料から牛乳をつくっているのです。

SI:有害物質について、さらに説明していただけますか。
ジョイ: 私たちは牧草を育てるために牧場に窒素をまき、牛は牧草を食べ、ほとんどの窒素は尿で外に出ます。(南島の)カンタベリー地方は良い例です。軽い浸透性の土壌によって、大部分が窒素である尿は地下水に入ります。地下水は河川とつながっているため、窒素と尿は地下水に入ります。カンタベリー地方のほとんどの人が地下水を飲みます。硝酸塩の水準は、カンタベリー地方の農村部に住む、ほとんどではないとしても多くの人の大腸癌リスクが高まる水準にまで、今では上昇しています。研究により、硝酸塩と癌は連動していることが証明されています。ニュージーランドは世界で大腸癌の発生率が最も高く、ニュージーランドで発生率が最も高いのはカンタベリー地方です。
 もう一つの問題は、抗生物質耐性菌に関係しています。なぜなら、今では本当に多くの抗生物質が畜産農業で使われているからです。集約農業地域に近い河川の多くで、抗生物質に耐性を持つ菌株が発見されています。そのような菌株は人間の健康に対して副作用を持っています。
 生態系の健康を考慮すると、こうした硝酸塩は、それらが草や牧草を育てるのと同様に、流れや湖や河口や海洋で藻類を育てます。その影響は藻類が成長し過ぎることであり、それは酸素濃度の変動のきっかけとなります。それは、窒素による有毒な致死的な影響ではなく、生物が呼吸する酸素がないために二次的な致死的影響につながる可能性があります。堆積物による生息地への直接の影響など、環境への影響が始まるのはその時点からです。菌類は、ほとんどの生命が生息するすべての石や岩を埋めているのです。このような石や岩の割れ目の空間は大切な生息地なので、もし細粒堆積物がそのような空間を埋めると生息地が失われます。ですから、人間の健康と生態系の健康の両方の問題があるのです。どちらか一方ではありません。

政府と企業に変化を起こさせる

SI:環境変化について責任ある行動をするように、政府や企業をどのようにしたら動かすことができるのでしょうか。
ジョイ: 政府は単に票を集める可能性を最大化するだけであり、企業は、私たちが止めるまで利益を最大化するでしょう。現在の例ですが、政府がよく引用する統計は、ニュージーランド人の80%が水資源を最大の環境問題だと考えているというもので、政府は水資源の保護の大幅な変更を提案しています。そのようにして政府は変化を起こしますが、そのようにしてのみ、私たちは政府に変化を起こさせることができます。
 企業についても同様です。現在のところ、環境を破壊する企業に助成金が出されています。例えば酪農業では、観光シンボルであるタウポ湖とロトルア湖の二つの湖で、これらの湖を保護するために、湖の近くの農場を耕作しないように農場主に農場一カ所当たり何百万ドルも支払われています。しかし、彼らは環境に及ぼす損害に対して支払いを受けているのではありません。それは、現在と未来の世代に託されています。今では私たちは水を汚染してしまい、何百何千もの人々のために別の水の供給源を探さなければなりません。

SI:地元自治体、地方自治体、政府などが方向を変えるように説得する上で、あなたはどのような活動に関わりましたか。
ジョイ:第一に、すべてのことをできる限り公にすることです。新聞やソーシャル・メディアに科学的な記事や意見を出したり、一般の人を動かすために可能なあらゆる手段を取ります。私はまた、水の品質と河川の汚染に対する同意申請に関する多くの計画変更の鑑定人も務めていました。私は現在、このような変更提案に関わる環境省の作業グループにおり、変更の実現方法に関して、委員会と中央政府のために100近くの技術レポートを作成しました。

SI:政府の環境政策を改善させることに関して、何か達成の事例はありましたか。
ジョイ:私たちは達成を望んでいます。それは、ニュージーランドのデイビッド・パーカー環境相による、この国の水資源を浄化するために彼が何か行うという約束に関してです。彼は、私がメンバーであったこれらすべての作業グループを設置しました。今では私たちは彼にアドバイスを与え、承認の課程を経て、2020年の初めに彼が新しい政策(淡水管理のための国家政策綱領)を打ち出すことを期待しています。

SI:人々の力はどのような役割を持ち、このような環境政策の改善を達成する上で、どのような役割を演じているのでしょうか。
ジョイ:人々の力は、すべてが、浄水活動家のマーニー・プリケット氏のような人々からの支援活動であり、水資源問題を強調するChoose Clean Water(学生主導の強力な水源政策のための運動)やForest & Birdのような非政府組織です。人々は投票によって、水資源への関心を明確に表明しました。私は何百回も講演を行い、パネル・イベント、テレビやラジオの番組、ポッドキャストを主催し、一般からの理解を深め、政府への一般の圧力を高めようとしました。

SI:地球規模の気候変動の大局的な視点で見ますと、最近の報告書には「第二次世界大戦の緊急動員のスケールでの地球規模の反応が必要である」と書かれています。この点について、あなたはどのような意見をお持ちですか。
ジョイ:真剣に改善するためには、私たちが引き起こした破壊的な出来事を終わらせたときと規模や決意が似ており、問題の修復に集中する必要があることに、私は同意します。現在の経済制度では、国内総生産(GDP)のあらゆる金銭が化石燃料のエネルギーと連結しており、そしてもちろん、排出量、化石燃料の消費量とGDPは互いに絡み合っています。それは単に、生き残る希望を持つためには、私たちにとって変化がいかに徹底的である必要があるかを示しているにすぎないのです。1992年に発表された「人類への警告」という文書には、最低でも3万人の科学者が署名しました。気候変動は、成長の制限の単なる一つの兆候にすぎません。若い人々が現在行動を起こしているのは嬉しいことですが、私たちすべて、地球上のすべての人が変わる必要があります。母なる地球は、私たちに知らせてくれています。必要なことは、現在の制度の完全な逆転です。

※「再生的手法は、本質的に改良された有機的で持続型農業の生産手法であり、殺虫剤、GMO種、工場式農場の技法を排除するものである。再生的手法は、土壌の健康や保水と降雨の保持を改善すること、そして輪作、混農林業、計画された輪換放牧を使用することに焦点を当てており、大気から余分な炭素を隔離することを意図している」
「再生的な食品および農業はアメリカ大陸での地方の貧困と強制移住をいかに逆転させられるのか(How regenerative food and farming can reverse rural poverty and forced migration in the Americas)」
ロニー・クミンズ、本誌2017年12月号より

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

まだここに

編集長殿
 この出来事は2020年2月27日の朝早く、毎土曜日に伝導瞑想をしている私の家の一室で起こりました。毎朝夜明けの陽が差す前に一人で瞑想をするのが好きなのは、陽が昇るのを待ちながら、鳥たちが新たな1日を告げるさえずりのシンフォニーと、共に瞑想する大変に静かな時間だからです。
 陽の光が見えるので、グループで瞑想をする同じ場所で、普通は朝の瞑想をしますが、太陽が目の前の大きな木々の枝の間まで昇ってくると、私は素晴らしい平安を感じ、人々はまだ眠っていて、物音もしないのです。
 その木曜日に、私は少し気持ちが落ち込んでいて、自分の内面に援助を探さなければならないと感じたので、いつもよりもっと深く瞑想していました。スミレの香りがし始めましたが、エーテルの香りがするのは私には普通のことなので、必要以上の注意を払わず、瞑想を続けていました。
 突然、最初の太陽光が目に入り、部屋の中の私から3mの所に差し込んだ時、驚くような荘厳な金色の光の中に、善良そうに微笑むベンジャミン・クレーム氏の顔が浮かんで見えたのです。ここではっきりさせておきたいことは、それは「ビジョン」ではなく、肉体レベルでの三次元の「聖なる出現」だったのです。彼の顔は善良さに満ちていて、博愛というものが溢れていました。それと同時に「私はいなくなっていない、ここにいる」という声が心の中に聞こえ、同時にエネルギーで満たされましたが、それはクレーム氏が存命中で、私たち皆が集中していた(オランダでの)ヨーロッパ研修会の、瞑想の時に感じたエネルギーと同様のものでした。その間スミレの香りが部屋に充満していました。私はそうした柔らかで力強く心地よいエネルギーを体験していたので、動くことができませんでした。目に涙が浮かんできましたが、泣いてはいませんでした。それがどのくらい続いたのかわかりませんが、クレーム氏が消えて、私には深い感動と多くの疑問が残りました。
 翌日、再びスミレの香りがしましたが、おそらくその朝不快な医学治療に直面しなければならないストレスを感じていたためでしょう。今ではこうした瞑想の間、私が自分自身に生涯問い続けてきた数々の質問への明快な答えを受け取っています。
 私は心から慎ましやかな気持ちで、ベンジャミン・クレーム氏に対して聖なる出現によって私を祝福してくださったことに、大いなる感謝を捧げ、私がそれを受けるに値するとは思われないことから、大変驚いているのです。
匿名希望
フランス

迷いと発見

編集長殿
 2016年2月に、突然兄が亡くなり、葬儀で私たちは皆、非常な悲しみとショック状態でした。バンドの仲間のミュージシャンたちが墓地で演奏を行う、熱烈なお葬式を終えて、来客に昼食も出し終えた午後に、私は電車に乗る息子を車で駅まで送りました。そこまで1時間かかったと思いますが、私はすっかり疲れ果てていました。
 帰りの運転中には目を覚ましていられないほどで、突然道に迷ってしまいました。完全に迷子になってしまったので、ガソリンスタンドにいた人に主要道路について尋ねました。暗くなっていて、私は主要道路から遥か彼方の田舎の方へ来てしまい、明かりもなければ、人もおらず、何もありませんでした!
 さらに1時間間違った方角へと運転していくと、完全に疲労困憊して途方に暮れていました。携帯電話に電波が入らず、森や穀物畑が続くだけで、道路脇に車を止めると涙がこぼれました。
 すべてのことが酷すぎたので、私は心の内に覚者方に向かって「もう本当に助けてください!」と言いました。
 夜空を見上げました。星の一つがだんだんと大きくなり、突然消えました。それは私の想像にすぎないと思いました、私の疲れてかわいそうな脳の。再び輝く星が現れ、それが3回続きました。私はびっくりして、星の出現に感謝しながら、戻る道を見つける手助けも得られるかどうか尋ねました。
 ちょうどその時、1台の車が私のすぐ横に止まりました。女性が窓を開けると、「あなたをガソリンスタンドで見かけて(20分ほど前)、あまりにも疲れて打ちひしがれて見えたので、あなたを追いかけてきたのです!」と言いました。ああ何てこと! それから彼女は私にゆっくりと主要道路までついてくるように言って、10分間の運転の後、彼女がお別れの手を振ってくれて、私は幸せな感謝の気持ち一杯で両親の家に戻りました。
ドゥーニャ・ミュラー
ドイツ、レーゲンスブルク

生きる喜び!

編集長殿
 2004年9月に、オランダのケルクラードでのヨーロッパ研修会に向かう途中の、どんよりとした雨の朝、デュッセルドルフの中央鉄道駅で列車を待っていた時、突然二人の若いアフリカ人の女性が階段を上ってきて、その姿でどんよりとした雰囲気を一掃してしまいました。二人共が大変美しく、(外見には)アジア風なところがあり、姉妹のように見えました。年上の方はもの静かで控えめな女性で、長い黒いコートにエレガントなブーツ姿でした。若い方の人は、本当に息をのむほどの美しさで、おそらく18歳くらいで喜びとエネルギーに溢れていました。彼女は短いミニスカートとタイトなデニムジャケットを着ていましたが、彼女は全くスリムではなく、むしろ身の詰まった身体だったので、着こなすには自信の必要な服装でした。けれども彼女にはすべてがぴったりと似合っていました。彼女は子供のように笑いながら前後に動いて踊ったり、(笑みを浮かべる)姉の前で、飛んだり跳ねたりしていました。それにもかかわらず、彼女の振る舞いに厚かましいところは全くなく、陽気で楽しいもので、それより前にはほぼ無関心そうにしていた他の人々が、微笑み始めたことに私は気づきました。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『姉』がマイトレーヤで、『妹』がイエス覚者であったことを確認した】

H.ディールクス
ドイツ

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q イエスは、彼を神として信じることが唯一の救いであると言っているのに、どうしてすべての教えは新しい時代のメシアへと導くのですか。(1997年11月18日、米国アトランタ州のベンジャミン・クレーム講演)
A イエスが実際そう言ったのかどうか、私には分かりません。ヨハネ福音書14章6節で彼はこう言っています。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」
 マイトレーヤはキリスト原理の体現者です。現在はイエス覚者である弟子イエスをオーバーシャドウすることによって、そのキリスト原理がイエスを通して顕現されたのです。ですから、イエスがそう言ったとき、イエスを通してそれを言っていたのはマイトレーヤでした。
 キリスト原理と呼ばれるものは愛のエネルギーであり、それは意識のエネルギーそのもので、右胸にある中心である(ハート)チャクラの中で目覚めます。聖書では、「賢者の心臓は右側にあり、愚者の心臓は左側にある」と書かれています。
 右胸には霊的なハート・センターがあり、人体における魂の座です。それは濃密な肉体ではありません。エーテル肉体であり、精妙な肉体です。濃密な肉体はエーテル体が凝縮したものです。エーテル体は、それが濃密な肉体として顕現する前に母胎に入ります。
 キリスト原理と呼ばれるものが意識の小さな種子、右胸のチャクラの小さな炎として目覚めるとき、あなたは賢者になります。キリスト原理が内部に宿ることを知り、キリスト原理に出合うたびにそれに反応します。そのエネルギーが目覚めると、より大きな度合いで、より大きな目的と、そのエネルギーに反応します。
 「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。つまり、右胸のハートにおけるキリスト原理が顕現されることなしには。キリスト原理がそこで目覚めると、どんな人生を歩んでいようが、あなたはその霊的生命に方向づけられます。
 それは宗教的になるということでしょうか? 宗教の道は神に至る多くの道の中の一つにすぎません。それらはすべて最後には一つのものに導かれます──唯一なる神です。ひとつの神性、ひとつの神があるだけです。あなたはそれであり、私たちはそれであり、実際のところ、神以外のものは存在しません。それは存在するすべてです。
 私たちはこの肉体が実在のものだと考えています。そうではありません。それは相対的な実在にすぎません。それはあの神性の器ですが、私たちは皆その神性を分かち合っています。唯一の神性があるだけです。だからマイトレーヤはこう言われるのです。「わたしを崇拝してはならない。もしあなたがわたしを崇拝するなら、あなたは自分自身を低めていることになる。わたしはそれを欲しない。わたしはあなたに対等であってほしい。あなたは至高の存在の閃光である。あなたがわたしよりも低いと考えてはならない」
 一つのレベルがあるだけです。それが神性であり、私たちと覚者方との唯一の違いは、彼らはその神性を顕示することができるということです。私たちが進化の過程を辿るにつれて、その神性は肉体を通してそれ自身を表現できるようになります。ですから、すべての生命は進化しており──後退することもありますが──常に前進しているのです。すべての転生があの神性をますます顕示する能力を与え、遂にはマイトレーヤが真我実現と呼ばれる状態になります。
 彼はこう言われます。「わたしは新しい宗教をつくるために来たのではなく」、あらゆる伝統の枠組みの中で進化し続けることができるよう援助するためであると。あなたがキリスト教徒なら、最良のキリスト教徒でありなさい。あなたがヒンズー教徒なら、最高のヒンズー教徒でありなさい。「わたしは人類に真我実現の術を教えるために来た」。そのために私たちはここにいるのです──真我(神)実現を達成するためです。彼は「真我のみが重要である」と言われます。
 「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。キリスト原理が人間のハートの中に目覚めない限り、誰も自分の神性を実現することはできず、真我実現や神実現──それが父のもとに行くことです──に至ることはできない。イエスが意味したのはそういうことです。
 それは、ルネサンス初期の絵画の中で、洗礼を受けるイエスの頭上に黄金の光の中で鳩が下りてくることに示されています。それがキリスト原理です。それがマイトレーヤの意識であり、当時はイエスを通して働いたのです。それが何らかの程度で私たちの中で目覚めると、マイトレーヤか個人的な師によって強化されます。
 奉仕と瞑想を通して、しかしとりわけ人類への奉仕を通して、その目覚め、キリスト原理の強化が進み、それがあなたが誰であるかの目覚めに導きます。「誰も父のもとに行くことはできない」。まず、人間のハートの中にキリスト原理が目覚めなければ、誰もその神性を実現することはできないのです。
 もしそうでないなら、キリスト教徒だけが神のもとに行くことになります。それは現実のあり得ない解釈です──ヒンズー教徒、仏教徒、無神論者、合理主義者、人道主義者、ユダヤ教徒、イスラム教徒などは神のもとに行くことはできないということになります。なんという傲慢さでしょうか! それはイエスを完全に間違って解釈しています。
 イエスが「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」と言われたとき、彼は自分を神の唯一の子として信じなさいと言ったのではありません。イエス覚者に会ったら、あなたはこう尋ねることができます。「あなたは神の唯一の子なのですか?」彼はこう言うでしょう。「馬鹿なことを言わないでください。パレスチナの唯一の神の子なのかですって? そんなことがあり得るでしょうか。誰もが神の子なのです。この世のあらゆる男女が神の子なのです。宇宙全体の中で、唯一の神の子などという存在がいるでしょうか?」

Q マイトレーヤによって特別に磁化されたテキサス州サンアントニオの水はまだ見つかっていないのですか。
A まだ見つかっていません。マイトレーヤがよいと思われるときに見つかるでしょう。

Q 「アンタカラーナ」と呼ばれるあなたの絵画について説明していただけますか。
A 弟子は科学的に瞑想するにつれて、頭脳から魂に向けて光の回路を築きます。その間、魂は同様の光の回路を魂から頭脳に向けて築きますが、さらに明るい性質のものです。瞑想の根本的な目的は人を魂と接触させることです。ほとんどの人にとって魂とは単なる概念にすぎません。信じる人もいるし、信じない人もいます。進化した男女は、魂を信じているだけでなく、魂を真我として知っており、真我とは真の自己であり、何度も転生します。瞑想の実践を始めるや否や必然的に魂と接触するようになり、魂との整列は次第に深まっていきます。この整列は、この絵画が表現しているアンタカラーナの創造を通して形成されます。上部にある明るい黄色の形は魂を表現しており、下部の暗い黄色はパーソナリティーを表しています。パーソナリティー、頭脳と魂との間にこの光の回路(アンタカラーナ)があり、それは瞑想を通して形成されます。

2020年3月号目次

 

覚者より
マイトレーヤの任務
ベンジャミン・クレーム筆記

マイトレーヤからのメッセージ 第120信

今月号の内容概説

視点
国連報告書:不平等の拡大が世界の70%以上に影響を与える

対立する教育観
フィリス・クレーム

教育:目的の拡大
グラハム・ピープルズ

教育
教育——新しい次元(第1部)

時代の徴
世界中の光の現象

気候変動対策の先延ばしの期間は終了した
デビッド・コーテン

S.O.P. -Save Our planet ! (われわれの惑星を救え!)
海洋の温度が歴史的な高温を記録する

世界経済の“日本化”と迫りくる危機
セバスチャン・ヴィルモット

民衆の声
民衆のパワー

編集長への手紙
個人的訪問,他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

マイトレーヤの任務

シェア・インターナショナル誌は創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者から毎月記事を提供してもらった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。覚者によって書かれた記事は常に関連性を保ち時間を超越している。2005年に書かれたこの記事を選んだのは、非常に鮮明に以下に記されているように、それが希望を強く呼び覚ますからである。「マイトレーヤは、彼に反応できる者たちすべての心(ハート)を開くだろう。そして人間を恐怖と分裂の過去に背を向けさせて、未来の栄光を迎える用意をさせるだろう」

マイトレーヤの任務

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 変化の勢いが世界中を通じて着実に増大しているのがますます明らかになっている。次々に出来事が起こり、新しいものが古いものに取って代わるその順序の論理を識別できるものはほとんどいない。あなた方の兄たちであるわたしたちはこの過程の必然性を認知する。そして、すべてが大計画のより完璧な表現に向かって動いているということを知るわたしたちは、それを満足して見守る。
 しかしながら、人間にとっては、彼らが自分たちの行動の結果を理解し、それに対処しようとするにつれて、それは最大限の努力を要求される困難な時期である。様々な出来事の理路が理解できずに、彼らが信頼をおく神(神性)を疑う。人間にとっては、彼らが盲目的に自分たちの意志を強く主張し、あるいは彼らの努力の結果から逃れようとするにつれて、いつもこのようであった。
 時代から時代へと移行するにつれて、そのような緊張とためらいの期間はいつも繰り返されてきた。各々の新しい時代は、新しい馴染みのないフォース(エネルギー)を世界にもたらし、それが徐々に人間にのしかかり、そして反応を呼び起こすのである。かくして今日もまた、人間が、新しい時代のエネルギーが要求する新しい方向をかすかに模索するにつれて、そのようである。ある人々はその方向を感じ取り、要求される行動について、彼らの同胞を教育しようとしている。しかしながら、多くの人間は変化を恐れ、もし“過激派”が彼らの思い通りに行動するならば、差し迫る混乱と破壊のみを見る。
 この分裂した世界に、キリストはやって来られた。彼の任務は、これらの本質的に異なるグループを和解させ、現在の混乱と騒動の中に秩序をもたらすことである。彼の任務が容易なものではないことは誰の目にも明らかであろう。様々なグループの間の溝は広く、深く固められていることも、等しくすべての者に明らかであろう。では彼は、古いそして怯えている者たちと、急速に発展している新しい者たちとの間の深い割れ目に橋を架けるために、どのようにして働かなければならないのか。また、現代の顕著な特徴である極度の物質主義を、彼はどのようにして押しとどめることができるのか。宗教団体の不寛容さに対処して、彼らが和合を体験するのを助けるにはどうすればよいのか。
 マイトレーヤは、人間の中にひとりの人間として御自身を紹介し、何も要求せず、誰の忠誠をも要求しないだろう。彼のアプローチはシンプルで直接であり、彼の挙動は穏やかで落ち着いているだろう。彼のマインドの明晰さは注目を引くだろう。彼の智恵は人間の恐怖を克服するだろう。彼の発言の誠実さは人間の心(ハート)を溶かし、憎悪と貪欲の重荷を取り除くだろう。かくして、人間は新しい神性の出現を体験するだろう。その内に人間を包含し、そこに距離も分離も見ないお方である。
 宇宙のパワーと愛の体現であり代行であるマイトレーヤは、彼に反応できる者たちすべての心(ハート)を開くだろう。そして人間を恐怖と分裂の過去に背を向けさせて、未来の栄光を迎える用意をさせるだろう。

マイトレーヤからのメッセージ 第120信

親愛なる友よ、わたしは再びあなたがたと共に居る。
そしてあなたがたの周りに志向の光を見るのは喜びである。

これは、わたしのために働くあなたがたの心意気について、
わたしが持っている認識が正しいものであることを確認させてくれる。
あなたがたの心の聖杯からこの内面の真理が輝き出づる光景に、わたしの心は喜ぶ。
我が友よ、あなたがたの生活の中に、真理のための道をあけ、未来への扉を開きなさい。
わたしの使命は、人類のためにあの栄光に満ちた未来への径を輝らし、
あなたがたの裡に愛の原理を呼び覚ますことである。
そしてその愛をお互い同士に顕して、
あなたがたを前方へ導き、すべての人間を神に引き寄せることである。

わたしは戻ってきた救い主である。
わたしは人々の中の一人の男である。
わたしは希望を体現する者。
わたしは神の法の復興者。
わたしは悟りへの手段である。

わたしはすべての人間に救いをもたらす。
わたしは兄弟たちを愛する。
わたしはすべての人間を一つと数える。
わたしは神の法を教える。
わたしは二つの道を結合させる。
わたしは世に仕えることを願う。
わたしは正義を愛する。

わたしは時間に間に合った。
わたしは世界の均衡を正す。
わたしは任務に専念する。
わたしは自由を尚ぶ。
わたしは、人間が用意の整っているのを感じる。
わたしは何ごとをも偶然に任せない。
わたしは新しいものを喚び起こす。
わたしは過去の病を治す。
わたしは古いものを変容させる。
わたしはあなたのひたいに触る。
わたしは天使の軍勢を指揮する。
わたしは神の大計画に仕える。
わたしは兄弟たちを抱擁する。

わたしと共に新しい夜明けに足を踏み入れ、
すべてのものを新しくしなさい。
わたしであるところのものを、あなたがたを通して顕し、わたしの仕事をなしなさい。
真なるあなたであるところのものを表現し、
新しい世界を創りなさい。
わたしの顕現が、神としてのあなたがた自身を顕させるように。

唯一にして最も聖なる神の光と愛と力とが、あなたがたの心(ハートとマインド)の裡に、今顕されるように。
それによって、あなたの目から無知の曇りがとり除かれるように。

今月号の内容概説

 世界と地球が私たちの誤った選択による衝撃に対処しようとしている折なので、今月号のシェア・インターナショナル誌は、私たちが自らつくり上げた諸問題に根拠を与えている根本的な要因と同時に、今私たちにとって実現可能な変容に向けて希望を呼び起こす機会に目を向ける。マイトレーヤの任務を描写した記事の中で、ベンジャミン・クレームの師は、紛れもないコメントを残している。「人間にとっては、彼らが自分たちの行動の結果を理解し、それに対処しようとするにつれて、それは最大限の努力を要求される困難な時期である。様々な出来事の理路が理解できずに……」
 このことを念頭に置いて、あり方や自分についての理解の仕方を模索する人間の真の必要を検討することにした。現在と将来の教育から始めるにあたり、グラハム・ピーブルズの多岐にわたる記事「教育:目的の拡大」を取り上げ、次に、教育へのアプローチに関するフィリス・クレームによる内省的な記事が続き、そして同じテーマに関する選集が添えられている。
 人間はこれまで自分の真の性質を本当に理解したことがなく、したがって教育的な必要も理解したことがなかったため、社会的な不正義、貪欲、不平等として露顕している深刻な過ちを犯してきた(グローバル経済システムに内在する不安定さに関するセバスチャン・ヴィルモットによる専門的な分析で検討されているように)。その過ちは私たちの惑星の破壊という形でも露顕しており、それはデビッド・コーテンの記事「気候変動対策の先延ばしの期間は終了した」で見事に描写されている。ここで特集されたすべての主題は、解決策を指し示し、新たな可能性にあふれる未来を提示している。
 今月号を貫く糸の一つは、私たちは皆、転生している魂だということである。これは論理的には、すべての社会構造が変化する必要があることと、地球に対してより大きな責任を負うことを意味するはずである。今月号にはマイトレーヤからのメッセージ第120信もすべて掲載されている。心に語りかけてくるそのメッセージは、優しいものであると同時に、同じくらい力強いものである。以下はそのメッセージの一部である。「わたしは世に仕えることを願う。わたしは正義を愛する。わたしは時間に間に合った。わたしは世界の均衡を正す。わたしは任務に専念する。わたしは自由を尚ぶ。わたしは、人間が用意の整っているのを感じる。わたしは何ごとをも偶然に任せない。わたしは新しいものを喚び起こす。わたしは過去の病を治す。わたしは古いものを変容させる。わたしはあなたのひたいに触る。わたしは天使の軍勢を指揮する。わたしは神の大計画に仕える。わたしは兄弟たちを抱擁する」

対立する教育観

フィリス・クレーム

 「私たちは皆、転生している魂です」
 端的に言えば、子供を教育することに関して、長期間にわたって対立してきた二つの態度がある。一つは、概して、子供が成長してから入っていく社会へと子供を適合させるために、徐々に知識と技能を刻み込んでいくための「空白のページ」あるいは「空の容器」と子供を見なすものである。これは古いビクトリア時代の考えだと思われているが、今日の教育へのアプローチの幾つかをいまだに支えている。
 これと対立しているのが、子供は初めから、潜在的にはすでに存在している人物になるために徐々に発達する可能性のある生来の特質を持っているという見方である。もちろん、教室での実践において、「知識と技能を培う」とか「潜在能力を開発する」と言うように、こうした二つの見方は重なり合っているかもしれない。また、教師たちはたぶん、混合したアプローチが必要だと主張するだろう。それでも、こうした二つのアプローチは、人間についての二つの根本的に異なった見方──物質主義的な見方と霊的な見方──を反映している。「発達(開発)」の支持者にとって、子供は肉体以上の何かであり、頭脳も、遺伝的性質も、環境も、全体を構成するには至らない。
 ベンジャミン・クレームが述べているように、「私たちは皆、転生している魂です」。また、グラハム・ピーブルズが今月号で強調しているように、すべてが一つの聖なる全体の一部である。輪廻転生について知っていれば、つまり、私たちは転生している魂であり、この生涯は多くの生涯の一つであり、霊性を完成させる道に沿って少しだけ前進する一つの機会にすぎないということを知っていれば、教育へのアプローチは大きく変わる可能性がある。一例を挙げると、私たちが皆、魂であるという考えは、他の人々への接し方に影響を与え、生徒を判断する──あるいはなるべくなら、判断しない──別の方法を教師たちに与える。生徒ができることや生徒の知識、技能だけというよりはむしろ、生徒のあるがままの姿を基本的に尊重するようになる。多くの教師は、その信条がどうであれ、生徒に対するこうした根本的な敬意を持っているが、持っていない教師もいる。さらに時には、敬意を持っているとしても、実際の場面でそれを維持することがいつも容易なわけではない。
 「発達(開発)としての教育」という考えは、よく引用される(アリス・ベイリーを通して書かれた)ジュワル・クール覚者による『新しい時代の教育』での陳述に照らせば、かなり違った光沢を帯びることになる。「何らかの形の発達──肉体的、情緒的、知的、直観的、社会的な発達──に向けて人間を駆り立てるすべての活動が、もしそれがその人を現在の状態より前進させるならば、本質的に霊的な性質のものであり、内なる神聖な存在が活発であることを示している」。これは、「潜在能力を発達させる」と通常はかなり漠然と表現される発達という考えよりも正確である。それに含まれるのは、例えば、スポーツ選手として達成しようという努力、物質的な状態を改善しようという努力、満足のいく愛情生活を持とうという努力、より多くの知識を得ようという努力、世の中で善を行おうという努力である。この陳述はまた、人々は進化の様々な段階におり、例えば、情緒により焦点を置いている者もいれば、メンタル界により焦点を置いている者もいることを考慮に入れている。「人間を駆り立てるすべての活動」は志向的であり、すべてが「内なる神聖な存在が活発であることを示している」。つまり、その人の魂が存在し、その人に影響力を及ぼしていることを示している。教育は、すべての人に内在する、志向を表現しようとするこうした意欲を促進すべきである。個々の教師はそうしようと努めるが、技能や試験、職業に焦点を置いた、しばしば懲罰的なシステムはそのように努めようとはしない。あるいは、少なくともかなり狭い形でそのように努めている。
 長年、アリス・ベイリーの内的グループの中で働いたロベルト・アサジオリ※は次のように書いている。「他の人々の自己向上を助けることにおいて本当に成功したいと思うなら、……対処したり規律に従わせたりする必要のある諸傾向に、その個人にとっての外的な力(例えば、教師自身の意志の力)で決して対立してはいけません。……むしろ、生徒の中に潜在している高位の力を目覚めさせなければなりません。……」
 「悲しいかな、親や教育者によってあまりに頻繁に採用される第一の選択肢は、個人の中に対立の感覚を喚起します。その人は、あたかも自分の決定的に重要な発達が阻害され抑圧されるかのように感じるからです。そのため、若者たちの中に、権利の拡大や自己主張、頑固な不服従、猛烈な反抗精神の必要性を強く感じる者がよく見られるのです」
 これは、若い人々の明らかに破壊的な傾向を恐れる人々にとって、多くを語る陳述である。こうした傾向は、より良い世界のために闘っていることを十分に自覚している他の若い人々の行動とは著しい対照をなしている。否定的もしくは破壊的である若者は、自分の志向や「拡大と自己主張の必要性」を表現することを許されてこなかったのであると、したがって懲罰的なアプローチは逆効果であると、考えてよいのかもしれない。
 1960年代と70年代のイギリスでは、主流の教育において、「子供中心」のアプローチ──生徒自身の観点や段階、自分の能力や知識、性格を「発達」させようという能力から始めること──に現在よりもはるかに大きな焦点が当てられていた。しかしそれ以降は、教育課程の狭小化、「就職」や「技能」や「説明責任」への焦点化が、多くの場合、創造的な科目の減少や学習への創造的なアプローチの減少につながった。一部の生徒にとって得るところはあったが、画一性が増し、生徒のストレスが増大するという代償を払うことになった。
 教育は再び、その目的に立ち返る必要がある。グラハム・ピーブルズが指摘するように、これは、この惑星の住民としての私たちの目的を再考することを意味する。学校の生徒たち自身が大挙して告げているように、それは、私たちの内的な一体性という認識、一人ひとりが他の人々と、そしてこの地球という惑星と一体であるという認識を取り戻すことを意味する。ジュワル・クール覚者は(先の引用のあとに)次のように続けている。「人間の霊は不滅である。それは永久に存続し、進化の道を点から点へと、段階から段階へと前進し、神聖な属性や様相を着実かつ連続的に展開させていく」

※ ロベルト・アサジオリ(1988-1974)は「サイコシンセシス(統合心理学)」の創設者であり、トランスパーソナル心理学の分野で大きな影響力を持っていた。

アサジオリ「内的生活に関する覚書」、ビーコン誌、1926年と1995年

ベイリー『新しい時代の教育』(AABライブラリー、2004年)

 「第一に、教育が誰のために存在するのか、そして教育がその機能を果たしていく過程が理解されなければならない。これは見かけほど明白ではないかもしれない。なぜなら、人は長い間自分自身の本性と構成について無知であったし、部分にすぎないものを全体であるとして見、己自身の本質的存在を、大体において無視してきたのであるから。
 転生している魂としての人間は生まれつつある神である。そして『再生誕の法則』を通して、その神性をまばゆいばかりに実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育の本当の意味は、個人が意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、その目的に適うようになり、また自分自身をそれに合わせるようにしていく手段である。この過程を助けるものは、その方法が公式だろうが非公式だろうが、すべて教育である。
 今日の感覚では、教育はまさに薄弱である。人間の環境を理解し、コントロールするための最小限の必要条件しか請け合わない。人生の意味と目的について初歩的なこと以上を学ぶ者はなく、ほとんどの人間が生存のための日常の闘いに気を取られている。……」
(ベンジャミン・クレームの師、「新しい教育」より、本誌1988年第1・2号)

教育──新しい次元(第1部)

 「教育」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。(本誌2008年7月号の選集「新しい教育」も参照のこと)

 新しい次元──魂の次元──が子供の必要を満たすための基盤として、もっと受け入れられてくるであろう。このことが起こると、子供はこの与えられた生涯において、自分の潜在可能性の成就へ向けて進む、進化する魂として見られるようになるであろう。新しい科学、すなわち魂の科学は、あらゆる未来の教育努力の基礎となり、子供と教師両方の生活を変容させるものとなろう。
 学校や大学は制度的側面を失い、子供のいる社会ともっと融合したものとなるであろう。したがって、学校と仕事の間のより密接な関係が当たり前となって“壁のない学校”への道を開くであろう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 子供たちは「三つのR」、すなわち読み(Reading)、書き(Writing)、算術(Arithmetic)を教えられる必要がある。しかしこれだけでは十分ではない。彼らは本来どんな存在であるかを教えられる必要がある。今日の子供たちは真我と、心(マインド)、生気(スピリット)、肉体との間の関係を、大人が想像するよりもずっと容易に理解するだろう。
(『いのちの法則』)

 最良の教え(唯一の真の教えだと私は思いますが)は、模範によって与えられます。あなたに与えることのできるアドバイスがあるとすれば、それは、あなたの子供を条件づけや教義、信条などの教え込みから完全に自由にしてあげなさい、ということです。子供があるがままの自分でいられるようにしてやりなさい。彼らを「信条」から遠ざけ、彼らの自発性を決して封じ込めないようにしなさい。そうすれば彼らの魂としてのユニークさが表現されるようになります。
(『光の勢力は集合する』)

 今日のすべての教育制度は、例外なく、程度の差こそあれ、移行状態にある。規律の問題が解決される前に、教育理論や実践において必要な調整が起こるのに相当の時間がかかるであろう。
 若者はどこでも彼らの自由を必要とし、要求する。そして調理済みの知識を追従的に吸収する者としてではなく、彼らの問題への解決や彼らの夢の実現を求める冒険者としての扱いを受ける権利を必要とし、また要求している。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 あなたがたは、意識しようがしまいが、心の中で、わたしの存在の事実に、わたしの呼びかけに応えたからこそ、今ここに集うているのである。それなら、この事実を人に伝え、人類を招いている単純な真理の道を指し示すことを、あなたがたの仕事としなさい。分かち合うことが神聖なることを、愛することが神の特性であることを、共に働くことが人の運命であることを、彼らに教えなさい。未来の光を見ることのできる唯一の壇上に立ちなさい。我が友よ、共にその壇上に立ちて、道を示しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第19信より)

 今日、学校の教師は子供たちに読むこと、書くこと、計算をすることなどを教えるために訓練されています。教師が生徒の内に喚起することを求められているのは、非常に限られた範囲の概念です。大抵の場合それすらありません。教師たちが、反復記憶によって子供たちに教えるように指示されているのは限られた一連の概念です。私の考えでは、それは全く教育ではありません。
 教育は──物質的、情緒的、メンタル的、そして霊的のいずれの場合においても──個々の子供の潜在力を喚起すべきです。
(『光の勢力は集合する』)

 マイトレーヤは期待されるとおり、計画を巧みに敷かれた。それは様々なセンターや機関の設立をも含み、そこで必要な教育が与えられ、体験が得られ、レッスンが習得される。
のようにして、若くて機動性のある先駆者のグループは新しい生き方、関係の仕方を示していくだろう──彼らの人生に宝瓶宮の愛のこもった、ブレンド(混合)させていくエネルギーをしみ込ませることを絶えず求めながら。賢明な実験を通して、彼らは一歩一歩、存続可能な信頼のおける形態の創造へと進み、徐々にそれらはすべての者に採択されるだろう。
(『覚者は語る 1』─宝瓶宮〈ルビ:ほうへいきゅう〉の水─より)

 これからは学校や大学において、思考やアイディアがどこから来るかということを、われわれは皆全能なる神につながっていることを、そしてわれわれの本当の自己(真我)を経験するのに経典は要らないことを、人々は発見するようになるだろう。
(『いのちの法則』)

 世界には教育がほとんど、もしくは全く行われていない地域がありますから、現在教育を受けていないすべての人々が教育を受けなければなりません。世界中の教育水準は高められなければなりません。何の教育も受けていない人々は少なくとも基礎教育を受けなければなりません。基礎教育を受けた人々はより高度な教育を受けなければなりません。社会を変化させる可能性をつくり出すために、世界中で、金銭とエネルギーと努力が教育に注がれなければなりません。教育なしに変化は起こらないでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 教育的なアイディアや目標の革命的変化は世界中で徐々に展開するだろう。各国は進化しつつある子供たちをその思考の中心において、独自の背景や伝統の中から、それぞれアイディアや実験を提供するだろう。……
 教育の意味と目的についての理解の仕方に深遠な変化が生じ、その中で子供たちは進化しつつある魂として個人のユニークさにおいて考慮されるだろう。そしてすべての教育施設および教育技法が、子供の本質的な神性の開花に仕えるように計画されるだろう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 家庭において、学校において、認識が天与の神聖なるものとして尊重されるだろう。認識は創造の母である。認識を分割することは決してできないし、強いることもできない。教科書でそれを描写することもできない。なぜならそれには、始まりもなく、終わりもないからである。認識は体験するのみである。
(『いのちの法則』)

 すべての家庭で子供たちに真の歴史を教えることのできるテレビ画面を想像してごらんなさい。それは全世界的な歴史です。その歴史は民族主義的、好戦的愛国主義的な歴史ではなく、あらゆる時代を通じての人類の歴史であり、子供たちはそれに自分自身を関連づけることができるのです。覚者方はテレビの画面上に、遠い、遠い昔のアトランティス時代の生活の光景と、そして未来に起こり得る未来像を投影することができます。テレビの画面には、覚者方によって投影される子供たちのための素晴らしいプログラムができるでしょう。
(『光の勢力は集合する』)

 媒体としてのテレビは国と国を、兄弟と兄弟を、そして人類をマイトレーヤと彼の一団につなげるのに非常に大きな可能性を持つ。それは情報伝達のための最良の手段であり、それが正しく扱われるならば、新しい教育における主要なカギである。その重要性は強調しすぎることはない。現在は、大きな前進への飛躍と世界中のコミュニケーションの連結の準備段階を歩んでいる時期である。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 多くの国々で争いがあるのは、異なった信仰の代表者が互いに同意できないからである。これが教育制度の中に危機をつくる。マイトレーヤはすべての母親と父親に向かって言われる。「あなたの庭を見てごらんなさい。美しい花々を賞賛しなさい。庭は多様性があるときにのみ美しいのである。創造(被造物)の中には七つの色がある。一色でも欠けるならば光はない。あなたは、信仰を受け入れるために、または拒絶するために、ここにいるのではない。七つの異なった色をすべて経験するためにいるのである。そのようにして、あなたの知識と智恵は増えるだろう」
(『いのちの法則』)

 将来の教育においては、正規の学校の教室と、職場や地域社会一般との間に、より多くのより強い関係が築かれると思います。そして教育の一環として、子供たちを非常に幼い時から地域社会の活動に活発に参加させる必要があると思います。そうすれば、極めて初期のころから、家庭よりも幅広い、そして学校とも異なった地域社会の部分として自分自身を見るようになります。学校と置き換えるのではなく、学校が人生にもたらすものを増大させるためです。
(『光の勢力は集合する』)

 わたしが人類の前に姿を現すのも間近い。わたしのグループはすでに知られている。わたしの在所に通ずる径はたくさんある。軽く戸を叩きなさい、わたしは答える。わたしの教えの断片は明かされた。まだまだ多くのことが明かされていない。わたしの知恵の宝箱を開いて、神に関するすべてのことをあなたがたに教えることが、わたしの願いである。
(『いのちの水を運ぶ者』第139信より)

 教師と言うとき、私たちはクラスの中の教師を考えます。学校や学校制度の中で、より豊かな教育が子供たちに授けられるという理由が、私には全く理解できません。一人の教師の代わりに、外部にも教育者と言える教師がかなりいるはずです。彼らは、芸術家、科学者、警察官、医者であるかもしれません。彼らは生徒たちに生活体験という恩恵を与えるでしょう。それが生徒にとって必要なことなのです。
 生徒は、現在行われている一つの主題に沿った特定の授業だけを必要としません。もちろんそれも必要ですが。しかし、私たちは子供の意識を拡大することができるのです。大抵の子供は、彼らが受けた最高の教育は、人生における彼らの創造力に感化を与えた両親、おじさん、教師、および他の人々の鼓舞であったことに、後で気がつくのです。
(『光の勢力は集合する』)

 最初に単科大学(カレッジ)が設立され、最も有能な学生たちに、魂の科学を含めた新しい科学の初歩のレベルが教えられるだろう。この新しい科学は、目に見えるもの見えないもの、亜原子レベルのものからコズミック(宇宙)レベルのものまで、自然環境のすべての面を網羅するだろう。
 このようにして、見えざる世界の栄光についての新しいビジョンが人間に与えられるだろう。異なった分野の間に協力の精神が育てられ、新しい、より広い、より包括的な見解が現在の断片的なものに取って代わるだろう。このようにして覚者たちは働くだろう──人間のマインド(識心)を刺激し、強化し、さらに新しい高みの探求と達成へと鼓舞する。
(『覚者は語る 1』─覚者たちは世に在〈ルビ:あ〉る─より)

 教育においてまず最初に必要なことは、子供たちに自分たちを全体の一部として見るように、様々な国家、肌の色、背景、宗教すべてからなる大きな人間種族の一部として見るように教えることです。すべてが同じ神性を持ち、同じ道をたどり本源へと向かっているのです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 我が友よ、あなたがたも生活の中で分かち合いを具現することができる。この聖なる原則が是非とも支配すべきである。あなたがたの子供たちに、幼き者たちに、分かち合うことを教え、善を啓発しなさい。わたしの任務は、すべての人を啓発し、無知を真の知識に変え、目で見えるすべてのものの背後に唯一なる実在があることを教えることである。そのようにして人間を神のもとに連れていく。
(『いのちの水を運ぶ者』第127信より)

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

個人的訪問

編集長殿
 1982年にキリスト・マイトレーヤがご自身の『霊的体』に輝く白いローブをまとって私の家に現れられて、再び1987年にも、私がハンプシャーのホワイト・イーグル・ロッジを訪れた時、イエス・キリストが洋服を着た『肉体』を持ってその場におられました。
 1990年代後半に私がサイキック・ニュース誌を購入すると、そこに世界教師についての広告が出ていました。その広告を見たのは初めてのことで、その人は私に現れたのと同じ人物でした。その人についてのチラシを配ったのですが、地元で様々なトラブルになりました。トニー・ブレア首相にも世界教師について、また住宅、教育、保健や社会正義についても手紙を書きました。持久戦ですっかり神経が消耗してしまいましたが、世界教師がすべての人々のためのより良い世界に向けた使命を、間もなく開始されることを期待しています。世界教師と皆さんのご多幸をお祈りします。
リリアン・ラング
英国、チェシャー
【ベンジャミン・クレームの師は、『白いローブ姿の男性』がマイトレーヤで、『イエス・キリスト』がイエス覚者であったことを確認した】

船上の出会い

編集長殿
 2003年にフクファンホラント(オランダ)からハリッジ(英国)までのフェリーに乗っていて、自分と友人たちの席を探していました。大変混み合っていたので、明らかに一人旅をしている若い男性との相席になるテーブル席しかありませんでした。私は彼に相席で構わないかどうか尋ねてから、腰を下ろしました。
 私はその若い男性から目を離すことができませんでした。私には同じ年頃の息子がいますが、彼と以前に会ったことがあるかどうかを考え続けていて、船旅の間中ずっと、彼の姿を探している自分がいたのです。彼は多くの様々な人たちに話しかけていて、私たちがデッキから降りて車へ向かっていた時、私は彼の方を再び見て微笑むと、彼が微笑み返してくれて、その様子は私が自分の子供たち(私は里親です)に対してするような、ただ子供たちを気にかけて、大切に思っていることを知らせる仕草で、肩をすくめてにっこりとするというやり方でした。
 私は実際にはそのことについてあまり考えていませんでしたが、出会って目が離せなかった、その男性のことを娘に話していたら、彼女が即座にそれは覚者のお一人かもしれないと言ったのです。大変恐縮ですが、娘が正しいのかどうか教えていただけますでしょうか。もしそうなら、彼はママが『可愛がる男の子』としての役割を大いに楽しまれたように思います。
パット・フォレスター
英国、コルチェスター
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】

知らないまま

編集長殿
 2019年にスピリチュアル・フェアでの1日の活動を終えて、ちょうど片付け始めたところに、一人の女性がやって来て、私たちのブースのポスターのうちの1枚の前に立ちました。彼女はマイトレーヤの出現に関係のある、徴や奇跡の写真を吟味しているようだったので、私が彼女に近づいて、何か特に目を引いたものがあるか尋ねました。彼女はすぐに、「徴を求める者は、それを見つけるであろう。しかし、わたしの顕れ方は、もっと単純である」という引用文を指差しました。彼女はそれを大きな声で読み上げて、「これはどういう意味ですか?」と尋ねてきました。私は気落ちしてしまいました。まさにその日の朝、もし聞かれたら、どう答えたら良いのか自問してきたもので、いまだに答えは出ていないことを、彼女に伝えました。
 彼女は少しイライラとした様子で、私たちのテーブルへ移動していき、資料に向かって腕を広げて、「あら、わかりません。わかりません。何もわかりません。顕れ? どういう意味ですか? 奇術や錯覚がどこにでもたくさんあります。わかりません。わかりません」と言いました。
 彼女の注意を引く方法を何とか見つけようとして、彼女が仏教徒か尋ねました(そのような格好をしていると思いました)。「いいえ! 違います」と彼女はきっぱりと答えました。それから彼女はさらに「顕れ。顕れ。わかりません」と繰り返して、テーブルの反対側に展示してあった『いのちの水を運ぶ者』の本をさっと手に取りました。それを開くと、「ほらここに! 見て! 顕れ!」と勝ち誇って叫びました。それから彼女はまるですべての答えでもあるかのように、メッセージ第83信の終わりの文章を読み上げましたが、その時には私は要点が全くつかめませんでした。彼女は他の箇所を読み上げた時も、彼女の言っていることが理解できませんでした。彼女の熱意と確信のある様子がかえって障害になっていたようでした。けれども彼女が本の他の部分を眺め始めた時、私が納得できる、マイトレーヤの顕れ方についての質問への答えが、突然頭に浮かんだのです! どうしてそうなったかはわかりませんが、『愛』という言葉がパラパラとめくられるページから、飛び出してきたように見えたのです。私はとてもホッとしました。
 それからその訪問者はブースの他の所を見回り始め、ポスターに書かれた様々な引用文を、私にも聞き取れず、まして一緒に読んだりできないほどの速さで読み上げていました。彼女の言う『わかりません』の合間に、読み上げたすべての文章は、まるで言葉が『顕れ』の何か素晴らしい点を、証明するかのような権威の同じ雰囲気を持っていました。けれども私には効果はありませんでした。
 このことで圧倒されるような混乱した気持ちになりました。まるで私が訪問者で、提示された幅広い分野の資料から、一つの単純なつながりを何とか見つけ出そうと苦労している人のようでした。
 その女性は私を連れて、少なくとも20分間はブースにいましたが、それは知らないということの旅をしていたかのようでした。状況が変わったのは、彼女が帰ろうとしていて、彼女が私たちは皆もっと笑うべきだと言った時でした。私たちは心から賛同し、「何よりも、私たちが自分たち自身を笑う(冷静な目で見るの意)必要がありますね」と言いました。彼女はそれに本当にとても賛成だと言い、いきなり爆笑して、お別れの手を振ってくれました。
匿名希望

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。