新しいテクノロジー —— 選集

New technologies ── a compilation

「新しいテクノロジー」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

「新しいテクノロジー」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第(Ⅰ)巻と第(Ⅱ)巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

この来るべき時代は「光の時代」として知られるだろう。そしてあらゆる意味と顕現を含めた「光」が人間の起源となるだろう。見る目のある者にとって、人間が「光の部屋」に通じる扉を叩き始めている徴はすでに見えている。人間が、新しい洞察とテクノロジー(科学工業技術)が意味するものに取り組むにつれて、古くからの闇と無知は消え去っていく。間もなく、「光の科学」が、「聖なる科学」が、人間の驚嘆した凝視の中に明かされるだろう。そうして人間の進化の旅路における一つの重要な目標が達成されるだろう。(『覚者は語る 第1巻』ー光の時代ーより)

この惑星の周り、いやすべての惑星の周りには磁場があります。互いに交差するフォース(エネルギー)のラインからなっています。それが何度も交差するところに渦ができます。それはチャクラのようであり、パワーの渦です。宇宙人がこれらのパワーの渦を物質界につくっているのです。ミステリーサークルは実際、その渦の外的なしるしであり、しかしそのような渦は至るところにあるのです。この惑星の磁場の複製が物質世界のあらゆるところに置かれています。それは惑星自体の磁場ほど巨大で強力ではありませんが、光のテクノロジーの基礎となるには十分なだけ強力で広範囲にわたっています。その光は直接太陽からきて、磁場の磁力と融合されるでしょう。それが人類に必要なあらゆる形のエネルギー(動力)を提供するでしょう。太陽からの光と惑星の磁場の磁力を使った光のテクノロジーによって、すべての機械的なもの、熱、光、交通手段、料理、機械類に必要な動力が提供されるでしょう。(『光の勢力は集合する』より)

太陽エネルギー ──これが新しい時代のエネルギーである──核エネルギーの必要はないだろう。太陽の力が加熱や交通や自動車産業に利用されるだろう。現在、「宇宙の兄弟たち」が技術者たちに太陽エネルギーを貯蔵する方法を教えている。(『いのちの法則』より)ますますロボットが人間に取って代わる。作業のスピードと正確な繰り返し作業において、人間は現在使われている精密な機械の比較にならない。これはそうであるべきである。長い間の見習い修業と訓練を通して勝ち得た人間の技術の喪失を嘆く者は多い。しかし、人間はより高度の、より価値ある達成のために生まれている。なにゆえ、人は単なる機械と競争する必要があろうか。人間は神へと進化しつつある存在であり、人間の創造的可能性を限定するのは愚かなことであろう。(『覚者は語る 第1巻』ー余暇が鍵であるーより)

光のテクノロジーが 21世紀のわれわれすべての必要を満たしてくれる。これを維持するために巨額の予算は必要とされないだろう。なぜなら、それは自己の欲望を満たすために何十億ポンドもの利益を求めることを望まない知識人によって創案され、コントロールされるからである。それはひとたび建設されれば2,500年間持続できるだろう。次の進化の周期まで長持ちするだろう。環境とエネルギーが新しい時代の最優先事項となるだろう。一番最後が防衛である。なぜなら防衛するものは何もなくなるだろうから。(『いのちの法則』より)

宇宙の兄弟たちは、光の科学という彼らの知識を惜しまずに与えてくれます。この知識は新しい科学であり、すべての必要に対して尽きることのないエネルギーを与えてくれるでしょう。彼らはその科学を持っています。私たちが、共に、正義を伴った平和と分かち合いと正しい関係性の中に生きることができ、戦争を永久に放棄するや否や、その科学を私たちは自由に用いることができるでしょう。そうなるとき、彼らは本当に私たちの同胞であることを知るでしょう。(『光の勢力は集合する』より)

わたしの計画は速やかに進み、人類を活気づかせる。今日、世界中どこを見回しても、変化が起こっている。上部から下部まで、古き腐った秩序の綾はほころびている。わたしたちは、これを見て大いに満足することができる。この過程において痛みはあるけれども、新しいより良い世界が出現するのであるから。だから、我が友よ、この事実に励まされて、希望を持って未来を見つめなさい。(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第130信より)

核エネルギーの果たす役割はあります。しかし、今日のようなタイプではありません。それは、非常に危険です。近い将来は、原子核の融合のプロセスを利用したものが開発されます。それはこの国(イギリス)でも、アメリカやその他の国でも探求され始めています。水の同位元素から引き出される原子核エネルギーの形態を使用するでしょう。安全であり、世界の海や川の水分に豊富に存在します。核融合は、熱を使うのではなく、冷却プロセスであり、……非常に近い将来、……この方法が使われるようになるでしょう。……これが、この惑星のエネルギーの需要をすべて満たします──世界中のすべての村に、すべての町に、すべての都市に。結果を想像することができますか。人類は、その他の形態のエネルギー源(すなわち、ある国々には豊かにあり、ある国々には少ないエネルギー源)を使う必要がなくなり、人間を、骨折り仕事から解放するでしょう。(『世界教師と覚者方の降臨』より)

防衛はもはや国家の優先事ではなくなるだろう。さらに、新しい光のテクノロジーが、現在の武器をもはや時代遅れのものにするだろう。光のテクノロジーを使えば、地球という惑星上の一本の針の位置をも厳密に判定することが可能である。光は、われわれが“作る”エネルギーではない。単にそれを利用するにすぎない。さらに加えて、安価なエネルギー源が発見されるだろう。これが多くの国家の窮状を緩和するだろう。(1989年4月)(『いのちの法則』より)

マイクロ・テクノロジーの到来と共に、既に大きな変化が産業国に起こりつつある。ますます高度に発達した機械が生産手段を支配するだろう。今日の失業問題は余暇の問題に代わるだろう。正しい、そして最大限の余暇の利用についての教育が最も重要になるだろう。やがて文明のすべての加工品は機械によって作られ、人間を己の真の特質と目的の探求のために解放する。やがてこれらの機械が人間の創造的意志の行為によって作られる時がやって来るだろう。我々は人間のマインド(識心)の可能性のほんの表面にしか未だ触れていないのである。(『マイトレーヤの使命 第1巻』より)

医者たちがこのテクノロジーを治療に使う訓練を受けるようになると、もはや薬物や手術は必要なくなるだろう。ソ連と米国の科学者はすでに遺伝子工学で実験を行っており、これがさらに開発され、やがて遺伝子情報を、手術を行わずに病んだ器官に伝達し、それを活気づけることができるようになる時がやって来るだろう。やがて、最も深刻な状態でさえも数時間でこの治療を行うことができるようになると、そんなに多くの病院は必要なくなるだろう。(1989年6月)(『いのちの法則』より)

新しい技術は汚染を軽減するもっと洗練された公共交通機関の開発につながるだろう。それは静かで見たところ動きがなく、ほとんど振動しないだろう。旅行疲れはなくなるだろう。それは大量の人間を国家間、都市間で輸送する理想的な交通手段となるだろう。(『マイトレーヤの使命 第3巻』より)

人類はいつもながら独りではない。そして、エネルギーを発生させるための新しい、きれいな、安全な様式に関する知識を人間に解き放つステップが取られた。まったく新しいテクノロジーが日常生活を変容させるだろう。そして人間は、己の真の存在と目的を探求するための時間と刺激を得るだろう。そのようにして支度を整えて、人間は自然との調和のうちに働くことを学び、人間が欲するものあるいは必要とし得るものすべてを満たす溢れるばかりの豊穣の角を、自然からうまく引き出すだろう。(『覚者は語る 第㈵巻』ー責任に目覚めてーより)

私たちが話しているのは、ただコンピューターを操作するだけでその分野にいる人々に閃きを与えることのできる有益な知識、蓄積された諸発見、テクノロジー、諸科学の貯蔵庫のことです。彼らは本を買う必要はありません。自分たちの知識に欠落している部分を誰か他の人が見つけてくれることに希望を託す必要もありません。そこにあるでしょうから。私たちがこの知識体系を分かち合うとき、それに利用価値があると思う人誰でもそれを入手できるとき、発見や科学や技術の全過程が驚くほど早まるでしょう。(『マイトレーヤの使命 第3巻』より)

わたしは、あなたがたを新しい御国へ連れていく。わたしの周りに陣営を固め、あなたがたを待っているあの栄光を示させてください。未来の時の骨組は、今築かれている。未来の青写真は、より明確になってくる。あの未来にあなたがたをお連れしよう。そしてあの機構の輝ける光の中に包まれなさい。わたしの祝福はあなたがたすべてと共にある。(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第48信より)

新しい時代の生活
──覚者よりベンジャミン・クレーム筆記シェア・インターナショナル誌1983年2月号
未来の生活について書かれたものは多い。たくさんの架空物語(フィクション)が空想的な人類の生活の未来図を描くことに専念している。これらの書き物はほとんど例外なしに、テクノロジー(科学技術)と科学的に組織されたシステムに支配された生活と環境を描く。寒々とした機械的な未来図が提供されており、読者が、そのような味気ない展望より、むしろ不確かで危険に満ちたものであっても現在の方を好んだとしても無理はないだろう。しかしながら、未来は架空小説の作家が提示するような、非常に寒々とした人間の温かみに乏しいものである必要はない。科学とテクノロジーが繁栄することは疑いない。科学の発見を通して、生命の神秘が明かされ、宇宙のエネルギーをコントロールする時代に入りつつある。われわれのテクノロジーもまたこれらの発見によってもたらされる挑戦に適応するにつれ、さらに高度なものになるだろう。われわれは、適切なバランスが維持されて、科学の業績と資産が、人類がそれに仕えるものではなく、それが人類に仕えるような線に向けられることを確実にしなければならない。あなた方がこれを成すのを助けてあげよう。わたしたち覚者の仕事は、正しいバランスを維持する道に沿う新しい社会の発展を監督することであり、人間の必要を侵害するものは何であれ、わたしたちの推薦を受けることはないだろう。美と適合感が試金石となるだろう。見苦しくて機械的で人間の精神(スピリット)に害のあるものはすべて避けられるだろう。目標は、人間とその環境との間に正しい関係を完全な自由と調和のうちに維持することであり、そしてテクノロジーと科学の発達すべてが人間の必要によりよく仕え、実在(リアリティ)の特性をよりよく知ることの助けとなることを保証するだろう。このようにして、新しい機構の中に必要な安全装置があらかじめ設置されるのは確かである。いのちの高揚とその形態を美しくすることに関連することはすべて、わたしたちの祝福を受けるだろう。公共の福利に仕えるものはすべて、わたしたちの支持を得るだろう。人間が彼らの環境との新しい関係を築く時がやって来る。人間と自然と神とは一体であるという意識に沿って、その真理の顕現を可能にする形態を人間はつくるだろう。総体のすべての側面との間に密接な接触(コンタクト)と自由な交換が行われるだろう。人生の意味と目的についての確かな知識が現在の混沌に代わり、これまで知られたことのない美の表示につながるだろう。真なるもの、善なるもの、美しいものが人生の中で現実となるだろう。これらすべては、現在の混乱状態から方向転換することを前提にしており、それに依存している。人間の必要により適合する線に沿って社会形態を根本的に再建設することなしに、良きものは何も生じ得ない。人間の天与の可能性が、現在の不浄な社会秩序のためにいかに犠牲にされているかに気づくならば、必要な変化を一刻たりとも遅らせないだろうに。人間がその可能性の栄光をぼんやりとでも感ずることができれば、それを達成するための道を阻むものは何ものも許さないだろうに。未来は、人間の最善の志向と壮大なビジョンを招いている。人間が犠牲にするものは神性ではなく、己の分離した自我であるような、そのような未来を築きなさい。人類同胞を愛において抱擁し、そして完全なる存在となりなさい。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

正しい選択

編集長殿
それは2001年のオランダでのケルクラード研修会後のことで、メンバーの友人と私はロンドンに帰る飛行機に乗る前に、アムステルダムで時間ぎりぎりのショッピングをしようと決めていました。私たちの行きたかったデパートは午前11時まで閉まっていたので、コーヒーを飲みに行きました。途中にチベットのお店の前を通りました。友人はチベットにいつも大変興味を持っていたので、入ってみようと私が言いました。店に入ると心の奥深くからどうしても何かを、チベットのものを買いたい気持ちになり、チベットそのものを支援したいような気持ちでした。穏やかで、それでいて厳しい顔つきの、チベット人の店員がカウンターの後ろにいて、私たちが眺めていた物すべてを見ていました。私たちは色について、どの色が自分たちに似合うか話し合っていたのですが、そこのガラスの棚の上に美しいシルクのスカーフがたくさん展示されていました。スカーフは生糸で織られていて高価だったので、私たちの予算を超えていました。それから私たちは実際に店の物を全部見て回り、修行僧の履くような室内履きを見つけた時には、伝導瞑想にぴったりだと思って笑ったりしていました。その間中店員の視線に気づいていて、彼は美しい物を見ていた私たちの喜びを楽しんでいるように見えましたが、彼の様子には何か差し迫ったところがあるように思えて、必ず買い物をしなくてはという気にさせられたのです。最後に私たちは「とても美しい品々がこのお店にはありますね、買い物がしたかったのですが、今ちょうど持ち合わせがないので、ごめんなさい」と言いながら、チベットの景色のハガキを買いました。その店員はただうなずいていました。歩いて行きながら、私は何かを、あるいは誰かを裏切ったというひどく嫌な気持ちになり、店に戻らずには家に帰れない予感がしていました。コーヒーを飲んでいる間、他に何も考えることができませんでしたが、何とか立ち直り、このことすべてがいかに馬鹿げているかを自分に言い聞かせていました。私たちはデパートへと別の道を歩いていたように思いましたが、その後、角を曲がると突然、またあのチベットのお店があったのです! 私たちはすでに遅れていたので、友人は急いで通り過ぎていき、私は彼女の後に続いていたのですが、もちろん私は店の中をのぞかないではいられず、あの男性がやはりカウンターの後ろに立っていたのです。私はもう耐えられなくなりました。私は友人を呼び止めて、この圧倒される感覚の困難な状況を説明しました。もう午前11時だったので、残り時間は多くありませんでしたし、友人がまだデパートで買い物をしたいのはわかっていました。私はどこへ行くべきか板挟みになった気持ちでした。けれども彼女はとても優しく、すぐに理解してくれました。私たちはそのお店に戻り、今度は店員がチベット僧のお経のテープを流してくれました。私が安いTシャツをラックから取ると、彼が歩いてきて試着できる場所を教えてくれました。私はTシャツを着て出ていって、「どうかしら?」と尋ねました。友人もチベット人の店員も二人共が首を振って、「ダメ」と言いました。あらいやだ! それから私はあの高価なスカーフを試してみるべきだと悟りました。時間が無くなっていたので、私はスカーフをつかむと試着室へと走り、友人を意識して、首にさっと掛けました。「そう、それが良い」と彼らは言いました。おかしな話ですが、私は現金で支払えるちょうどのお金を持っていたのです。チベット人の店員はそれを包んで、おまけのステッカー2枚をくれました。彼が小銭のお釣りを渡しながら、ダライ・ラマのバッジを買うように勧めてくれましたが、良心の呵責からこれ以上は買い物ができませんでした。店員は私の友人におまけのバッジをくれました。私たちがお別れを言うと、突然私は幸福と自由を感じ、重荷が無くなったような感じでした。後になって私はその紫色のスカーフを畏敬の念を持って見つめています。チベットのシルクスカーフは体を覆えるくらい大判です。それは本当にきれいで、とても美しい色なのです。あまりにも深遠な体験だったので、手紙を書いてお尋ねしなければと思いましたが、すべて私の想像だったのか、あるいは(1)私はそのお店に行き、スカーフを買うことになっていたのか、(2)その店員はごく普通の店員だったのでしょうか。教えていただけますと大変ありがたく思います。アネット・ポンズフォード 英国、サセックス州フォレスト・ロウ【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)その『店員』がマイトレーヤで、スカーフを祝福されたことを確認した】

転んでも幸運
編集長殿
2003年1月30日頃、私はエクアドルのビルカバンバのホテルにいて、ピンクのコンクリートの歩道橋から突き出ていた一本の鉄筋(金属で強化された棒)につまずいてしまいました。振り返ってみると、転んだ時に鉄筋が目を突き刺すか、脳に刺さっていたかもしれない危険があったと思います。でも不思議なことにつまずくのと、橋の脇のコンクリートの厚板にぶつかる間に、少しの時間も経っていなかったように思えました。私は腿から転んでものすごい痛みがあり、打ち身が腫れて、広範囲にひどい打撲傷を負い、片手を刺して鎖骨にあざができましたが、それだけで後は順調に回復しています。どなたかがもっとひどい怪我から私を救うために介入されたのですか。
J.D.ラビット 米国、ヴァーモント州ウェスト・ベルリン【ベンジャミン・クレームの師は、よりひどい怪我からイエス覚者によって助けられたことを確認した】

神には十分
編集長殿
2003年8月27日に、友人と私は『シルクロードの仏たち』についての展覧会から出てきたところでした。私たちは東洋風のレストランで食事をすることにして、アルスターアルカデン(ハンブルクのショッピングセンター)の外にあるテーブルを見つけました。数分後、鮮やかな色の服によれよれのジーンズ姿の中年男性が、私たちのテーブルにやって来ました。彼の瞳は真っ青でした(私たちはそれより前に、オペラのアリアを歌っていた歌手に彼が微笑んでいたのを見かけていて、私たちがその歌手にお金を渡すと、彼が左手を胸に当てて私たちにおじぎをしてくれました)。彼はハンブルクでホームレスの人たちによって編集されている、ヒンツ&クンストという新聞を差し出してきました。私は新聞を欲しくありませんでしたが、このような時のために集めていた小銭が入った透明の袋を、彼に渡しました。彼は袋と私を見て、「これは何ですか? このお金は知らないな」と言いました。私は不快に思いながら、この中には10セント硬貨が入っていることを説明しようとしました。彼は微笑んで「ペニー(ユーロが導入される前の貨幣)の方が良いのです」と言いました。それから彼は私の友人を見つめて、「あなたは私たちの仲間です」と言いました。彼は彼女に自分がフィンランド出身だと伝えました。友人はずっと前に1年間暮らしていたことがありました。彼は彼女に「私たちの間では、女性はあなたのように育つのです」と言いました。その後、彼は私を見て、「あなたは一輪の花のようにきれいです。お世辞ではありませんよ……私はあなたを知っています」と言いました。心の中では深く感動していましたが、ほんの少し気まずい思いもありました。それで私は彼に離れて欲しかったので、幸運を祈ると伝えました。彼は「幸運は助けになりません」と返事をしました。すると友人が「時には助けになるわ」と言いました。彼は再び返事をして「私はカトリック教徒です」と言い、彼が首にかけていたロザリオの十字架を見せてくれました。友人が彼の国にはごく少数の人たち(カトリック教徒)しかいないと言うと、彼は私たちに微笑んで「7,000人は神には十分です」と言ったのです。
ヘルガ・プファイファー、レナーテ・シュトルヒ ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

読者質問欄

Q 「霊的王国」とか「この惑星で最も高次の王国」とあなたが言われるとき、それは何を意味するのですか。(2001年9月、アムステルダムでの講演)

A それは人間王国のことではありません。大半の人々は私たち人類が進化の梯子のてっぺんにいると考えています。なぜならそれ以上のものが見えないからです。そして見えないものは存在しません、そうではないでしょうか。それが常識ではないでしょうか。私たちの世界は、見えないものは存在しないという虚構の下に進行しています。私たちが見えないから存在しないと考えるものは、それでも完全な活力と光をもって存在しています。存在するだけではなく、この惑星上で目に見える外見をとって戻っています。言い換えれば、最も高次で、この惑星における最も進化した生命の側面である霊的王国は、人間王国の上位にあり、かつてそのメンバーたちが通常の男女として暮らしていた世界──日常世界──に帰還しつつあります。彼らは私たちの目に見えるようになり、次第に私たちすべてに知られるようになり、人類を現在の水準よりも高く引き上げる用意があり、人類王国のメンバーをますます霊的王国に入らせるための準備をしています。
想像の中で、人々がこのことを考えるとき、彼らは霊的王国を何か漠然とした、アストラル的な、目に見えない星雲状の「固形でない」王国と見なし、死んだときに接触する世界だと考えます。あるいは霊媒を通して接触する世界などと考えます。それが一般的な考えです。実際は全く違います。霊的王国はこの惑星で最も進化した人々からなり、固体の肉体を持ち、ハートに神への愛を持ち、あらゆる時代の叡智を備え、剃刀のように鋭い知性を持ち、人類の問題を知り、実用的で、私たちが現在直面している恐ろしい問題について人類を援助しようと願っています。曖昧模糊としたものではなく、固形で効率的なものであり、実際この惑星で唯一真に効果的な王国です。人類に助言し、教え、問題を抜け出す道を示すことができます。この王国は存在するだけではなく、いまや日常生活の外的な物質界に顕現しつつあります。私たちは皆そのことを知るでしょう。私たちは見て、それゆえに信じるでしょう。

Q なぜマイトレーヤと覚者方は現代世界に戻ろうと決めたのですか。

A すべての覚者方の師であるマイトレーヤ、偉大なる存在(覚者方は彼を偉大なる主と呼びます)と覚者方は、ある時点で日常世界に戻り、個人としての人生経験を再び行い、今回はグループとして行わなければならないことを知っていました。それは彼らの進化の次のステップです。比較的最近まで彼らは、戻ることができるのは1,200年から1,300年後のことだと考えていました。しかし、1945年6月にマイトレーヤは、人類がその自由意志で「家を整える」最初の一歩を踏み出せば、彼自身が日常世界に戻り、今回は一人ではなく、一緒に覚者方の3分の2も戻って来ると宣言されました。

Q なぜテロリズムがあるのですか。

A アメリカとヨーロッパ、一般に世界の開発国は、正しい質問をしません。彼らは「なぜテロリズムがあるのか」とは尋ねません。テロリズムは症状です。それは、世界の3分の1がすべてを持ち、残りの世界がほとんど何も持っていないという世界の不正義の症状です。それはまるで、あなたが食べる食料のすべてが身体の片側だけに行き、他の半分が飢えているようなものです。それは片側が肥大して他の側が死んでいる妖怪のように見えるでしょう。それが、私たちが世界に対してしていることです。私たちは妖怪を生み出しており、その結果がテロリズムです。テロリズムにはここに述べた以外の原因もありますが、大きな原因は不正義であり、生活水準の格差であり、開発国と途上国の間の考え方と生活と世界観の違いです。
もちろん私はテロを支援したり好んだりしているわけではありません。私はそれを嫌っています。しかし、それは世界の政治の無秩序の症状です。私たちは世界を再建しなければなりません。私たちが学ぶべき最も大切なことは、平和の裡に生きる方法です。そのためには世界に正義を生み出す必要があります。すべての人々にとっての正義がなければ平和は存在しないでしょう。正義を得るためには世界資源を分かち合う必要があります。
私の言うことが気に入らないのなら、あなたはマイトレーヤの言うことも気に入らないでしょう。しかし、彼はあなたに考えさせるでしょう。私があなたに考えさせたとしてもあまり重要ではありませんが、マイトレーヤが話をされるとき、あなたが彼の言うことについて考えるのは重要です。彼は、すべての人が「自分の考えに従う」機会が与えられるだろうと言われます。

Q 私たちが考えるやり方が問題の一部なのでしょうか。

A 私は彼の政治的、経済的、社会的関心事についてだけ話してきました。それが彼らの主な優先的な関心事です。それらは最も重要です。なぜなら私たちは霊的危機を経験しており、それは政治経済分野において集中しており、それらの分野においてのみ解決可能だからです。なぜ重要なのでしょうか。なぜなら危機は、自分が誰なのかを私たちが知らないことにあるからです。人類は、私たちがなぜここにいるのか、どこから来たのか、以前はどこで生きていたのか、死んだらどこへ行くのかについて何も知りません。私たちは自分自身について何も知りません。もし自分が誰なのかを知らなければ、どうして共に生きる方法を知ることができるでしょうか。どうして平和を生み出す方法を知ることができるでしょうか。私たちは自分が誰であるかを知らないので、私たちがつくる仕組みは、とても豊かな人々と、あまり豊かでない人々と、ほとんど生きていけない人々を生み出すのです。そして私たちはそれを正常だと思っています。私たちの態度は、「そういうものだ、それが市場のフォースというものだ」「それが人生だ」というものです。そしてそれが、私たちが陥っている物質主義の病です。マイトレーヤがここにおられるのは、私たちをもっと霊的な状態に持ち上げ、現実を見ることができるようにするためです。それをするためには、物質主義の道は袋小路であると知る必要があります。それは死に至るだけです。市場のフォースは人類の心臓や器官を捕えました。物質主義に囚われて、ほとんど何もすることができません。人類はヒステリックなほど豊かに、もっと豊かになろうとし、それを止めることができるものはほとんど何もありません。それを止めることができる唯一のものは株式市場の崩壊であり、それが私たちを人生の現実に直面させるでしょう。そして私たちはマイトレーヤに耳を傾けるでしょう。他に行く場所が残されていないとき、智恵の源泉である覚者方に目を向けるでしょう。彼らは私たちの問題に対する答えを持っておられます。

2019年5月号目次

 

ー覚者より
責任に目覚めて
ベンジャミン・クレーム筆記

視点
気候と生態系の崩壊から「自然は私たちを救うことができる」
ジェシカ・コルベット

子供たちを解放する:子供の投獄を廃止する取り組み
シェリーン・アブデル-ハディ・テイルズによるデイビッド・スコット博士へのインタビュー

クリシュナムルティと覚者方
フィリス・パワー

民衆の声
100万人以上の若者が気候変動に対する抗議行動を続ける

S.O.P. (Save Our Planet) -われわれの惑星を救え!
ドイツのアンゲラ・メルケル首相「未来のための金曜日」ストを支持する

サウジアラビアに武器を販売する政府に「平和について語る資格はありません……他国で戦争を煽っているからです」―フランシスコ教皇
アンドレア・ゲルマノス

時代の徴
奇跡が世界に溢れる
スワミ・プレマナンダの寺院に現れたリンガム/
奇跡のミルラ樹脂

子供たちに投票権を与え、民主主義を強化するグラハム・ピーブルズ

惑星を気づかう―選集
Caring for the planet —a compilation

チャールズ・アイゼンシュタイン氏が深く語る(第2部)
「心を通して働く調整する力」
フェリシティ・エリオットによるインタビュー

昼間に世界の平和を説き、夜に破壊的な武器を売る
タリフィディーン

編集長への手紙
信念 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

責任に目覚めて

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。以下の記事は、最初1989年5月号に掲載されたものである。

責任に目覚めて
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 以前には、変化はゆっくりと起こった。何世紀もの長い間、社会の構造や活動は比較的停滞したままであった。さらにまた、世界の大部分の地域が互いに知られていなかった。近隣の間でさえも通信は途切れがちであり、ほとんどが貿易商や軍隊がもたらす通信に限られていた。
 今日、これはすべて変わった。世界中ほとんどすべての地域に通信網が発達し、一日一日の出来事をあらゆる人々にもたらすことができる。世界中どこにいようと、迅速でしばしば残虐な出来事に気づかないでいることは不可能である。それは毎日、何十億の人々の目と耳に攻め寄せてくる。非常に実際的な意味において、世界は村落の大きさに縮小したのである。そして村落の生活のように、一人の行動はすべての者の利害に影響する。もはやどの国も、脇によけて、己の過った行為の結果から免れようとすることはできない。ますます多くの国家が彼らの相互依存性と責任に目覚めつつある。この事実は世界にとって良い前兆である。
 国民の圧力のもとに、ようやく政府は、すべての生命が依存する環境を尊び育成することの必要性を受け入れつつある。そのような賢明な育成なしには、人類の未来は実に荒涼としたものであろう。時勢はもはや、この惑星を汚し毒する者たちの側にないことを、資源は無尽蔵でないことを、自然は略奪と暴行で萎縮することを、政策決定者は認識しはじめている。人間の無知と貪欲がもたらした自然の秩序に対する多くの反則行為を正すことができるのは、世界的規模の注意深い協調した行動のみであるという意識が高まっている。スタートは切られた。しかし今、人類を脅かす汚染や略奪行為の脅威を止めるだけでも、何年にもわたる献身的な行動が要求されるだろう。
 幸いに、未来にあるものすべてが、そのような暗い調子ではない。人類はいつもながら独りではない。そして、エネルギーを発生させるための新しい、きれいな、安全な様式に関する知識を人間に解き放つステップが取られた。まったく新しいテクノロジーが日常生活を変容させるだろう。そして人間は、己の真の存在と目的を探究するための時間と刺激を得るだろう。
 そのようにして支度を整えて、人間は自然との調和のうちに働くことを学び、人間が欲するものあるいは必要とし得るものすべてを満たす溢れるばかりの豊饒の角〔*〕を、自然からうまく引き出すだろう。
 人類がキリストを見るとき、問題点は彼らの前に明確に提示されるだろう──人間は、今すべての者の福利のために共に働くという挑戦に面と向かい、充足を鍵とする生活様式につくり直すか、あるいはすでに痛ましく抑圧されているこの惑星に死を告げる鐘を鳴らして、人類の未来を最大の危機に陥れるかである。
マイトレーヤご自身は、人間が彼の呼びかけに耳を傾け、それに応えることを、疑っておられない。

〔*〕豊饒の角=ギリシャ神話にある、ゼウスに授乳し、果物、穀物があふれ出たと伝えられる山羊の角。

 

 

子供たちを解放する:子供の投獄を廃止する取り組み

 

 

「私たちの刑務所は人道的危機であり、私たちの子供たちは、非人道的で品位を傷つけるような方法で扱われている」── デイビッド・スコット博士
デイビッド・スコット博士は、イギリスのオープン大学に勤務しており、カナダ、トロント大学の客員教授でもある。彼は100以上の本の章や記事を発表し、5冊の著書を出版し、運動組織『エンド・チャイルド・インプリズンメント(子供の投獄をやめよ)』の創設メンバーである。彼は、『Justice, Power and Resistance(正義と権力と抵抗)』誌の共同創刊者であり、独立系出版社、EG プレスの創設者でもある。スコット博士は、以前は「逸脱と社会支配の研究のためのヨーロッパグループ(European Group for the Study of Deviance and Social Control)」の調整官であり、INQUESTの学術的顧問団の 一員である。彼は、数多くの短編ドキュメンタリーを製作し、2018年には、英国のドキュメンタリー映画フェスティバルで、映画(Hamlett Filmsと共同で)『グレンフェル塔と社会的殺人(Grenfell Tower and Social Murder)』で、ライフチェンジング賞を受賞した。シェリーン・アブデルーハディ・テイルズが、本紙のために、スコット博士にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): あなたは、刑務所制度を廃止するための運動をいつ始めたのですか。そして伝えたいメッセージは何でしょうか。
デイビッド・スコット:私は過去13年間、この問題に関する運動に専念してきました。2006年ごろに、イギリスの「刑務所は要らない(No More Prisons)」と呼ばれる小さな圧力団体に関わった時、私はこの運動に関わり始めました。私は現在、子供の投獄を終わらせる運動に関わっており、それは2018年11月に国会議事堂で始まりました。子供は傷つきやすく、非常に大きな必要を持っており、子供たちが成長し発達できるようなシナリオを作る必要があることを、私たちは伝えようとしています。子供は間違いを犯します。それは、すべての人が間違いを犯すのと同じです。人生で最悪の出来事が起こってしまった子供は、すでに悪いスタートを切っており、すべての困難を経験しており、すでに暴力や乱用や危害や負傷に直面していて、彼らは司法制度に巻き込まれてしまったように思われます。本質的に、私たちがしようとしているのは、心理戦に勝つことです。罪と罰はすでに深く確立されたアイディアであり、私たちは、このようなアイディアを変えようとしているのです。イギリスでは、数え切れない数の傷つきやすい人々を投獄しているようであり、その中にはもちろん子供もいます。そして、このような子供たちは、しばしば人生の早い時期に大きな困難に次々と遭遇します。小さな時から施設に入れられていた子供たちの多くは、家族の愛やケアや愛着を一度も経験したことがありません。彼らは、コミュニティーの一員であるときにどのように感じるかを、全く知りません。彼らには、機会が与えられたことがありません。子供たちは子供たちであり、彼らを刑務所に送るのではなく、彼らにチャンスを提供すべきだと、運動では訴えています。また、このような子供たちの背景は、黒人やアジア系の少数民族系に偏っています。彼らは、すでに危害を受けており、人生で機会がほとんどなく、非常に困難な状況で成長してきました。そのため、彼らは、より深く傷つきやすく、人生のスキルを持たないため、人生に対処するメカニズムがないだけなのです。そして、このような恐ろしい子供の拘留中の死や、または子供の自傷行為や、薬物や他の活動に手を染めたりする状況があります。なぜなら、彼らは、普通の生活をこれから送ることはできないと思っているからです。刑務所は非常に有害であり、彼らは非常に有害な考えや行動を生み出します。

SI:あなたが子供のことを話されたとき、イギリスのどの世代のことを指しているのですか。
スコット: 現在、イングランド、ウェールズ、北アイルランドにおける刑事責任年齢は10歳です。スコットランドにおける公的な刑事責任年齢は、世界でも最低水準の8歳ですが、実際は12歳以上を対象としています。スコットランドでは、公的な刑事責任年齢の引き上げを計画しています。もちろん、刑事責任年齢を巡るこうした問題について考え始めると、少しおかしなことになります。子供は10歳の時に、同意の下でも性的関係を持つことが許されない、お酒を買うことが許されない、ペットを買うことすら許されないという事実があります。つまり法律のどこかに、子供は実際には責任のある個人ではない、まだ発達途中である、まだ学んでいる最中であり、間違いを犯すという考え方があるのです。理想的には、刑事責任年齢は18歳であるべきです。ですから、刑事責任年齢を14歳に、そして16歳に引き上げた場合、実際には特定の年齢グループの刑事責任を廃止することになり、その結果、刑務所の子供を減らすことになります。

SI:子供の実刑判決は、イギリスで特に問題となっていますか。
スコット:はい。イングランドとウェールズでは、途轍もない数の子供の終身刑があります。2006年から2016年の間に、197件の子供の終身刑がありました。イギリス普通法では、共同事業法としても知られているものもあります。この法律では、ある子供のグループが犯罪のことを知りながら止めるために何もしなかった場合に、起訴されます。つまり、非常に多くの子供たちが、文字通り何百人もの子供たちが、近年に終身刑の判決を受けましたが、実際には何も違法なことはしていないのです。彼らは、重大な犯罪を犯した人物を知っていただけなのです。欧州連合の他の国々では、子供の終身刑で収監されている子供は、合計で5人ほどです。つまりイギリスでは、おかしな状況になっているのです。

SI: あなたとあなたの団体は、政府に対して運動を行いましたか。何か反応はありましたか。
スコット:私たちは、2018年11月に国会議事堂で運動を開始し、刑法分野から多くの人が参加しました。そして私たちは、継続的に参加を行い、ロビー活動をしようとしており、それはイギリスの廃絶論者が長年してきたことです。廃絶論者に刺激を受けたもう一つのINQUESTという団体は、継続的に情報を提供し、国会や教会に対してロビー活動しようとしています。私たちは継続的に、人々が刑務所や刑罰に対して持っている情熱を挫こうとしており、それは人々や政治家に事実を知らせることなのです。刑務所の廃絶に関して、私たちはかなり過激なアイディアを提唱しています。このように子供たちに生じている損害をなくすためには、刑務所制度を完全に廃止する必要がありますが、とりあえず何かを始めなければなりません。ですから、私たちは、これらすべての問題について政府と関わりを持っています。それは労働党の政治家や影の閣僚と話をし、聞く準備のできているあらゆる人と関わりを持つことを意味します。

SI:政府と関わる上で、労働党の政府と保守党の政府で何か違いはありますか。いつも同じような反応でしたか。
スコット:若年層の司法を巡っては、二つの支配的な物語があり、これらは懲罰的、および非懲罰的なアプローチに関係しています。あるいは福祉、および正義です。それらは実際には完全に相反するものであり、関わる政治家によって異なり、政党の方針に必ずしも沿うものではありません。例えば、最近の保守党政権の下では、子供の収監者数の大幅な減少がありました。しかし、子供の収監者数が減少したとしても、黒人、アジア系、少数民族系の子供の数は実際には増加しており、彼らは、刑務所の子供の約46%を占めています。訓練請負センター(Secure Training Centres)や少年犯罪者施設のような、様々な施設があります。私たちは、それらを子供の刑務所とは呼びませんが、もちろんそれらは子供の刑務所です。そして、1990年代の労働党政権の下では、実際には、刑務所に送られる子供の数の増加がありました。現在の(保守党の)大法官デイビット・ガウキ氏が、刑務所が上手く機能するとは思わないと断固として語ったことは皮肉ですが、彼は代替案を持っておらず、彼らは今では刑務所の拡大運動をしていて、何年もそうしています。彼らは巨大刑務所を新たに建設しようとしています。現在の刑務所担当相は、6カ月以内の実刑判決を廃止するなどして、刑務所の削減を望んでいると発言していますが、そうした結果をもたらすような法律上、政策上の変更は、現在まで何も行なっていません。

SI:少年刑務所に対する代替案のアイディアは、何かありますか。
スコット:私たちは、戦略的に考える必要があります。第一に、子供の刑務所人口の削減の要求を試み、小さな成果を勝ち取ります。部分的、選択的な廃絶に集中するのです。次に、薬物使用の犯罪化に関連する特定の法律の廃絶を行ったり、子供の終身刑の廃絶などをしてみると良いかもしれません。しかし、代替案に関しては、教育的なアプローチや霊的なアプローチなど、別のアプローチがとても役に立つかもしれません。子供の熱意を育てたり、子供を魂を持つ存在として、可能な限り最高の人間になりたいと思う存在として理解するような、教育的なアプローチが、この場合、本当に価値があります。一つには、収監された子供の多くは、比較的軽微な窃盗犯が理由であることがあります。彼らが刑務所に入ったのは、本当に困難な人生を送っていたことが原因であり、もし私たちがそれに対処するとしたら、非懲罰的なアプローチを、したがって刑務所のないアプローチを取る必要があります。私たちは、このような子供たちの生活援助をどのようにつくり上げるかを考えていく必要があります。彼らは人生で援助をあまり得られなかったので、彼らに与え、肯定的な人生体験を与えることで彼らの人生をつくり上げたいと思います。たとえ、ある時点である種の国家のケアを必要とする子供たちがいたとしても、こうした子供たちをどのように扱うかに関して、基本的な基準があるべきです。子供たちが援助、愛情、ケアに関して満たされるような『子供が第一』というアプローチが必要です。子供たちをどのように扱うかについて基本的な基準があるべきであり、それはケア、愛情、援助などによるものであり、子供たちが対応に失敗するような障害をつくることによるものではありません。

SI:つまり、あなたの言葉では、すでに不足している子供たちが、間違った決定を行ったか、もしくは犯罪のことを知っていた状況があり、その結果、刑務所に入れられてしまい、そこで彼らはより良い未来への希望を失い、そして進み続ける意欲を全く持っていません。そのようなことでしょうか。
スコット:あなたは、私が正に同意するような「希望の終わり」という言葉を使いました。そして実際には、それが刑務所で供給不足になっているものなのです。そして刑務所は、実際には、この希望のない感覚を生み出す場所のようです。より良い道などない、物事は変わらない、永遠に今のままだろうという感覚です。もちろんそれは、大人と子供の両方にとって、自殺観念作用をつくり出す最大の要因の一つです。子供たちが愛されていると感じ、必要が満たされていると感じることは、極めて大切です。一方でまた、彼らはお返しに愛することができ、お返しに何かを与えることができると感じられるべきです。それは、子供たちに投資することを意味し、彼らを援助することを意味します。収監された子供たちのほぼ半数が、子供たちに無料の学校給食の資格のある家庭から来ているので、それは貧困化した子供たちの問題なのです。ですから、彼らに何かを与えてください。彼らの才能は何か、彼らは何を与えられるのか、彼らは何ができるのかを見つけてください。ただ単に彼らを切り捨てることはしないでください。

SI: 少年や大人の刑務所制度を廃絶しようとした国は、どこかにありますか。
スコット:私たちは、改革された刑務所が実際にどのように進化したかを理解する必要があります。もちろん、常に刑務所があったわけではありません。刑務所は19世紀の初期に発明されたもので、イギリスの最初の刑務所は1816年頃のもので、アメリカやカナダでも同時期でした。それは産業資本主義の隆盛と歩調を合わせて登場したものでした。刑務所と不平等さのレベルとの、その共生的関係を見る必要があります。特に経済的な不平等であり、また、認識された民族的アイデンティティー、性別、性的関心、年齢などです。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドなどの国々を見ると、依然として刑務所制度がありますが、より福祉志向のアプローチがあることが分かるでしょう。そして重要なことは、彼らはより社会民主主義的な社会形態を持っており、経済的な不公平への対処に関して、非常に異なったアプローチをしていることです。ですから、刑務所に対する異なったアプローチを取る国を探したら、社会をどのように組織するかに関して異なったアプローチを取る国が多いことが分かるでしょう。刑務所制度の先にあることを探求したいのなら、人々に異なった方法で対処する必要があります。間違いを犯す人々は、しばしば社会の底辺にいる人々であり、必要とされない人々、恵まれない人々、のけ者として見られる人々であり、誰も所有しない人々、社会の周辺にいる人々、そして高度な資本主義の目的の達成に失敗した人々です。彼らは、最終的に刑務所に行ってしまった種類の人々なのです。私たちが刑務所に対して異なったアプローチを取ろうとしたら、人々をどのように扱うかに関して異なったアプローチを取る必要があります。ごく簡単に言えば、私たちは不平等を問題にする必要があるのです。もし、協力を基盤とする社会を持つことができれば、そして、資本家的、家父長的、新植民地主義の人種差別的な国家を越えて移行することができれば、その時にだけ、現在の懲罰的、非人間的な制度から抜け出す道を見つけることができるでしょう。

惑星を気づかう──選集

Caring for the planet ── a compilation 「惑星を気づかう」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これは『いのちの水を運ぶ者』(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人間の無知と貪欲がもたらした自然の秩序に対する多くの反則行為を正すことができるのは、世界的規模の注意深い協調した行動のみであるという意識が高まっている。スタートは切られた。しかし今、人類を脅かす汚染や略奪行為の脅威を止めるだけでも、何年にもわたる献身的な行動が要求されるだろう。幸いに、未来にあるものすべてが、そのような暗い調子ではない。人類はいつもながら独りではない。そして、エネルギーを発生させるための新しい、きれいな、安全な様式に関する知識を人間に解き放つステップが取られた。全く新しいテクノロジーが日常生活を変容させるだろう。そして人間は、己の真の存在と目的を探求するための時間と刺激を得るだろう。(ベンジャミン・クレームの師『覚者は語る(1)』—責任に目覚めて—)

私の師は、資源の再分配の後、第一番の優先事項は世界の環境問題に取り組むことであると言いました。マイトレーヤは、これはすべての人々が関わることであると言いました。これに参加するのに若過ぎる人も年を取り過ぎている人もいないと彼は言います。小さな紙切れを無駄にしているにしろ、食肉用の牛を放牧するために森全体を焼いているにしろ、私たちは変わらなければなりません。(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 第3巻』)

人間の窮乏を知り、そのビジョンを見ていながら、時の緊迫性を知らない者たちが世界に大勢いる。兄弟たちの窮乏を知り、非常に多くの者たちの苦しみに同情の思いを持ち、そしてそれらすべてを変える意志を持つ者たちに、わたしは頼る。わたしが召集する者たちの仲間に、あなたがたも入るように。そして共に新しい、より良い世界を招じ入れることができるように。(『いのちの水を運ぶ者』第46信より)

人間は地球を荒らし、汚染し、そして自分自身の住む環境をひどく破壊した。今人間は自分たちが傷つけたところのものを救済することを最優先と見なし、自分たちの病んだ惑星を健康に戻さなければならない。惑星に対する要求を簡素化し、簡潔さの美を学び、分かち合いの歓びを学ばなければならない。人間はほとんど選択肢を持たない──その仕事の緊急性は即刻の行動を要求する。すでになされたダメージ(損傷)の本当の規模を認識する者はまさにほとんどいない。問われなければならない問題は、地球という惑星を救済することができるか、それはどんな方法によってできるのか、ということである。答えは大きく鳴り響く「然り」であり、その方法には大多数の人間による現在の生活様式の変容が含まれる。(ベンジャミン・クレームの師、『覚者は語る(2)』—地球は産みの苦しみの中にある—より)

わたしは、新しい姿で、人間に、彼らの前にある選択の対象を提示し、未来の可能性を描写し、神の法を明かす。そのようなわたしを、もうすぐあなたがたは見るだろう。我が友よ、神の法は、あなたがたの生活を包むものである。神の計画なしには、人は無に等しい。これをいつも心に留めて、均衡(バランス)を保ちなさい。人間の偉大さと、すべての者との一体感と、そして人間の聖なる目的を、常に心に留めておきなさい。しかしながら、人間は一人では何もできないのである。これを悟り、真の道を抱きしめなさい。(『いのちの水を運ぶ者』第119信より)

地球温暖化によって引き起こされる危難は大きいことは確かだが、残念なことに、これは人間が今日直面している最大の、あるいは最も危険なものではない。知ってか知らずにか、人間はゆっくりと、しかし確実に人類種族と低位王国(動植物界)をますます中毒させる行為に従事している。あらゆる種類の、そうしてすべての分野に存在する毒性、汚染はいまや人間と動物、そして地球そのものにとって最大の危険である。すべてが毒され、それぞれに病んでいる。人間には知られていないが、わたしたち(知恵の大師たち)に明らかなことは、この悲しむべき物語の中で、人間と惑星が被っている最大の害は核放射能によって引き起こされているということである。人間はこの最も危険なエネルギー源の開発において、あまりにも間違った道に進んでしまった。貪欲と、巨大な利潤を求める誤った望みによって邪道に導かれ、彼らは人間によってこれまで発見されたものの中で最も危険なエネルギー源を“手なづける”実験に集中してきた。そしてその一方、原子のエネルギーの完全に安全な別の用い方を無視してきた。低温で無害な原子核融合は、大洋に、海に、河川で、そして雨が降るごとにどこででも入手できる水の簡単なアイソトープから得ることができるのである。……この目に見えない危難を軽減しようと、カルマの法則の許す範囲内でたゆみない努力をしてくれているわれわれの宇宙の兄弟たちの助けがなければ、われわれの窮状は実に危険なものであろう。目覚めよ、人類!(ベンジャミン・クレームの師、『覚者は語る(2)』─目に見えない迫り来る危険─より)

核放射能やその他の汚染物質は人間(および動物)の免疫組織を破壊し、私たちの生活環境の中に注ぎ込まれているその他の毒素による害に対して無防備にさせます。この問題は、宇宙の兄弟たち(UFO)の仕事の負担が重くなりすぎる前に、速やかに対処されなければなりません。彼らは、核放射能やその他の汚染物質を処理するにあたって、人類のカルマの許す範囲内でしか行うことが許されていません。そうでなければ、私たちの自由意志の侵害になるでしょう。彼らが行っていることに関して、彼らは特別の許可を得なければなりませんでした。彼らは毎日、長時間にわたって、世界中のあらゆる場所で核放射能や大気中に放出されるその他の有毒ガスの影響を中和し、減少させてくれています。私たちは彼らにたくさんのカルマ的な負債を負っており、いつの日かお返ししなければなりません。(ベンジャミン・クレーム、『光の勢力は集合する』)

今ではわたしの周りに、わたしをリーダーとして、未来への案内人としてみる兄弟姉妹たちの集団が存在する。わたしは、人間の苦悩について、人間の不完全さについて、変化の必要について、彼らに語る。同時にまた、人間は神であり、神聖なる光の存在であり、いつの日かそのようなものとしてこぞって立つであろうということも語る。選択は人間のみがなすのである。もしわたしの指す道を選べば、人間の霊性はまことに輝き出でるあろう。さもなくば、我が兄弟姉妹たちよ、人間の未来はきわめて致命的である。しかし我が友よ、あなたがたの答えと選択をわたしは前もって知っている。恐れるでない、わたしの愛しき者たちよ、あなたがたの愛を通して──あなたがたの心に宿る兄弟たちへの愛を通して──あなたがたは正しく選択するであろう。(『いのちの水を運ぶ者』第78信より)

核エネルギーの融合のプロセスがすべての人類の将来のエネルギーの必要を満たすでしょう。これは普遍的に入手可能な水の同位元素を使う安全で低温で廃棄物のないプロセスです。これは、私たちが経済システムに分かち合いを実施するようになるとき、入手できるようになるでしょう。(ベンジャミン・クレームの師とのインタビュー『マイトレーヤの使命 第2巻』)

指導原理は浪費ではなく、充足でなければならない。現在、世界の経済制度は浪費によって支配されている。その浪費の乱行が様々な汚染問題をつくり出し、惑星の健康に対する危害を形成する。これはまだ半分しか認識されていない。持続可能な経済とは、惑星の健康の可能性の範囲内においてすべての者の必要を供給するものである。現在では、それは達成不可能のように見える。しかし光のテクノロジーが人類のためにその状況を変換し、われわれすべての必要を満たすために無限で生態系的に健全なエネルギーを提供する。これがこの需要と供給の問題、したがって市場のフォースの問題に対する人類の対処の仕方を変えるだろう。(ベンジャミン・クレームの師とのインタビュー、『マイトレーヤの使命 第2巻』)

究極的で完全な解決策は覚者方の助言を待たなければならないでしょうが、私たち自身でできることもたくさんあります。とりわけ、土壌や川や海を、私たちの貪欲な成長への欲望のごみ箱として用いるのをやめることです。(ベンジャミン・クレーム、『光の勢力は集合する』)

可能なかぎり最も早い時期に、一刻の猶予も許さず、わたし自身を現し、世界の前にあなたがたの友として、教師として登場することが、わたしの意図であった。あなたがたがわたしをただちに発見してくれることに多くのことがかかっている。なぜならそれによって、わたしは、あなたがたの救世の仕事を、援けることができるのであるから。わたしは援助し、教え、未来への道を示すために、そしてあなたがたに神としてのお互いを見せるために、ここに居るのである。(『いのちの水を運ぶ者』第140信より)

マイトレーヤはすべての人間に彼の救援隊に加わることを呼びかけるだろう──環境を維持し、浄化し、人々を彼ら自身のために行動へと活気づけ、惑星を汚染する毒素を浄化し、そして諸国家の間に融和を再確立するためである。マイトレーヤの任務は小さなものではないが、彼は現在の悪と戦い、そして征服しようとしている。(ベンジャミン・クレームの師、『覚者は語る(1)』─その時は来た─より)

資源の間違った使用、市場のフォースへの盲目的な追従、競争こそが、汚染をつくり出したのであり、それが今、生態系への大きな害となって現れております。私たちはこの惑星を非常に急速に害しているので、ただちに方向転換しなければ、間に合わなくなるでしょう。そうして未来の世代は信じられないほどの苦難を味わうでしょう。幸いなことに、自然は非常に柔軟性を持っており、立ち直るだろうと、私は信じます。様々な国々における種々のグループの力説で、すでに多くの人々が、政府でさえも、汚染の問題を扱い始めております。……しかし製造方法や方針の中に非常な競争意識がある限り、それは止められないでしょう。製造に対する私たちの現在の態度を貪欲や浪費や競争に基づくものから充足に基づくものに変えなければなりません。「どれだけ多くの量を、そしていかに早く製造できるか」と言う代わりに、「必要とされるのはどれくらいか。この商品をどれだけ使わずに済むか。すべての個人が豊かで満ち足りる生活を分かち合うための最小限の量はどのくらいか」という思考をするようにならなければなりません。(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしの心(ハート)はこの大いなる努力を完成するための強い衝動で満ちている。これは人類同胞を愛する人々すべての援助を必要とするだろう。人間は非常に病的な状態にあるこの世界を救わなければならない。世界の一般の人々によって、その努力がすでに始められているのを見て、わたしたちの心(ハート)は喜ぶ。わたしはそのような人々に今語りかけている。あなた方の声を大きく上げなさい。あなた方の必要を世界に告げなさい──平和の必要を、正義と自由の必要を、宗教や皮膚の色や人種が何であれ、すべての人間が調和のうちに生きることの必要を告げなさい。すべての人間は本質的にひとつである。彼らはわたしの兄弟であり、わたしは一人ひとりを愛する。(マイトレーヤ、2008年3月27日、『覚者は語る(2)』)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

編集長殿
『奴隷制度は過去のものではない』(本誌2019年4月号)という記事の中で、シャノン・スクリブナーは数人の世界のリーダーたちによる『他者』への恐怖の宣伝が、市民を移民に対抗させていることを正しく暴露しています。しかし、いわゆる『民主主義』全般に属する、ほとんどすべての政治政党は、民主主義が穏健であるとか、あるいは責任能力があると私たちの多くが思っていることも含めて、『現実の』難民、つまり政治的、社会的、宗教的圧力から逃れ、避難所を求める機会を与えられ、もし幸運であれば新しい未来を築く人たちと、『経済難民』またの名を『幸運希望者』という、私たち自身には当然のこととしている、防衛手段を利用することを許されるべきではないとされている人たちとの間の、誤った区別をしています。私たちがこれらの『穏健な』政治家を、世界人権宣言の第25条の1が明確に、経済的圧力に対しても防護を拡大しているという事実に、取り組ませることに失敗している限り、世界的な社会経済的正義を要求する投票者としての私たちの不活動は、外国人嫌いの恐怖をかき立てる人たちに劣らず、この永続的な人類の悲劇に加担していることになるのです。
敬具
ゲラード・アートセンオランダ、アムステルダム

信念

編集長殿
これは1998年7月に私に起こったことです。私はエクスタシーというドラッグを使用していました。コンサート会場の音楽で意識が吹き飛んでしまったので、回復不能の損傷を負う前にはい出ることができたのを、神に感謝しています。私は完全に意識を失い、気づくと会場の外で群衆が私の周りを囲んでいて、友人たちもそこにいました。女の子が私を助けようとやって来ました。彼女は片手を私の頭に置きました。彼女がそうしていた間、私は心の中で祈りを捧げ始め、助けを求めていました。私はその夜、死にかけていたのだと思います。私は独り言で、こんなふうに死にたくないと言っていました。私は指に十字架の付いた指輪をしていて、それは私がクロアチア(両親の故郷)を離れる1週間前に、祖母がくれたものでした。私はその指輪を握り、助けを祈っていました。私が祈っていると、男性が通りかかりました。彼は私に近づいてきて、医師だと言い、助けを申し出てくれました。私は大丈夫だと答えました。その時、私の心の内に彼は天使だという声がして、実際には声というよりも、パチンと指を鳴らすようにわかったということでした。私は頭に手を当ててくれていた女の子に、彼は天使だから彼を呼び戻すように伝えました。彼は戻ってきて、とても静かに簡潔に語りかけてきました。彼はまさに光を放っているように見えました。それが頭上の灯りなのかわかりませんが、この輝かしい男性は黄色の髪で、顔はキャンドルの火のような色でした。彼は親指と人差し指を、私の目の間に置いて鼻をつかみながら、私に深呼吸をするように言いました。彼はこれで肯定的なイオンと否定的なイオンのバランスが取れると言いました。それから彼は私に彼の目を見るように言って、私がそうすると、それぞれの目に光の十字架が見えました。しばらくの間、私の注意はそこに留まっていました。それからすぐに、私は心の中で彼にごめんなさいと伝えました。私がこの言葉を心の中で繰り返すと、彼は私の母国語で私は良い娘だと言って返事をしてくれました。その瞬間、私は泣き出してしまい、全身が震えていました。すると彼は私の両腕を彼の手でさすりながら慰めてくれて、私の周りにいた友人たちに、私はショック状態だけれども大丈夫だと言っていました。それから彼は私を見て、帰らなければならないと言い、ここまでやって来た車の中で彼の友人が待っているということでした。私が見上げるとその車が見えて、1950年代から60年代の古い車でした。それもまた黄色で、彼の友人も光を放っているように見えて、彼らは似た資質を共有していました。彼の友人を見た時、その人も私を見ましたが、彼はこれまでに会ったもっとも悲しそうな人物に見えて、悲しみと痛みを感じました。彼の顔には両頬に傷跡がありました。このことを先に話すのを忘れていましたが、コンサート会場をはい出た時、左頬に刺すような痛みを感じていました。まるで顔に消えない傷跡が残るかのように思えました。どうやって傷がついたのかわかりませんし、階段から落ちる時に擦りむいたのかもしれませんが、そう思えないので、落ちた時に擦り傷ができたのではなく、誰かに引っかかれたように感じていました。そして彼の友人を見た時、彼の顔の傷は治っても跡が残っていたのです。その後、その医師は去っていき、私は彼が車に乗ったのを覚えていませんが、彼は行ってしまいました。彼が去った後、私はどういうわけか起こったことを忘れ、彼がクロアチア語をどのように話したかも忘れましたが、その後すべて思い出したのです。私は友人たちに彼の言ったことが聞こえたか尋ねました。彼らは何も聞いていなかったので、おそらく私の精神状態のせいで作り上げたことだろうと言われましたが、私は彼が私の母国語で、心の内に語りかけてきたのを知っています。私は心の奥深くから、彼が上(天)から来た人で、その晩、私を救ってくれたのだとわかっているので、その晩のことを思い返すたびに、私は涙を流し、彼に感謝しています。この素晴らしい男性が近づいてくる前に、私に手を置いてくれていた女の子が、そうしていた間、彼女は私のために祈っていると言いました。その後、私は彼が言ったことを彼女に伝えると、彼女も私を信じてくれて何かを感じたとも言っていました。私がこの手紙を送るのは、この男性が覚者かどうか確認するためではなく、私は彼がそうだと知っています。私が手紙を送るのは、何か超越したものがあること、神が実際に存在し、あらゆる所にいる私たちと共におられることを人々に信じてもらうためです。彼は私たちの裡に、あなたのそして私の裡にいます。探すのをやめて、信じ始めましょう、答は裡に存在しています。愛と光を持って。
ミシェル オーストラリア、シドニー【ベンジャミン・クレームの師は、助けてくれた男性がイエス覚者であったことを確認した。車で待っていた男性はマイトレーヤであった】

ロール・プレイ
編集長殿
2003年5月19日の午後10時30分頃、ウィルフレッドと私はトロントの地下鉄フィンチ線に乗って、毎週の伝導瞑想から帰宅するところでした。列車がブロア・ヤング駅を出発するとすぐに、私たちの車両にいた一人の男性が大声で叫び始めたのです。彼は全員にフィンチ駅への正しい列車に乗っているのか尋ねていました。彼は間違って教えられて、それより前に別の駅に着いてしまったため、正しい方向にいるのか確かめたいと、大声で文句を言っていたのです。彼は痩せこけて背が低く、長い髪にあごひげを生やし、緑のTシャツとジーンズを着ていました。手に古いバックパックを持っていました。彼は見るからに、話す様子からも明らかに酔っていましたが、私は彼と関わり合いになる気分ではなく、列車内の他の人たちも皆そうでした。けれどもウィルフレッドは彼に大声で返事をして、今回、彼は正しい列車に乗っていると伝えました。これで彼はとても機嫌が良くなり、誰彼無しにとても大きな声で話し続けていました。彼の話というのは、彼が3日間のバス旅行でサンダー・ベイからやって来て、フィンチ駅近くのティム・ホートンズ(コーヒー店)でのパーティーに行くことになっていて、その後、彼の兄弟が彼を釣りに連れていく予定があるということでした。彼はティム・ホートンズの正確な場所を知らず、何日ではないとしても、何時間約束に遅れているのかもわかっていなかったのです!
彼は騒々しく、制御不能に見えて、そのため車両内のほとんどの乗客は次の駅で降りていきました。するとその男性は私たちの座席の近くにやって来て、ウィルフレッドと話し始めたのです。ウィルフレッドはトロントの公共交通の地図を持っていて、この男性が正しいバスに乗るために向かうべき場所や、どのバス停で降りるべきかという良いアイディアがありました。今や明らかになったのは、彼と私は同じ方向へ向かっていたので、ウィルフレッドが私に向かって、そのご機嫌で酔っ払った男性をバス停まで連れていくことを提案しました(実際に、ティム・ホートンズの店は私の自宅にとても近いのです)。その酔った男性は私が面倒を見ることになって、あまりにも喜んで、『彼の持ち物』をウィルフレッドに売ろうとしました。彼は売りたいものが多少違法な物資であることを、はっきりとは言いませんでしたが、ほのめかしてはいました。もちろん、ウィルフレッドも私も関心を持ちませんでした。彼をバス停まで連れていくというアイディアには、あまり良い気分ではありませんでしたが、それにもかかわらず私は彼に無条件の愛をおくることに決めて、このことが彼を落ち着かせてくれることを願っていました。彼はフィンチ駅に着くまで、彼の話を大変な大声で繰り返していました。けれども地下鉄の車両から降りるや否や、彼はしらふになりました。彼がうっかり階段から転ばないように、私は抱えようとしましたが、列車を降りた後、彼は完全に問題なく、穏やかで状況が把握できていました。バス停では彼は私の親切にお礼まで言ってくれたのです。彼から離れられて喜んでいましたが、彼の行動の変化はいつまでも私の印象に残っていました。どうかこの『ご機嫌な』男性がマイトレーヤだったのか、あるいは他の覚者だったのか教えていただけますか。
A.T. カナダ、トロント【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

読者質問欄

以下の「代弁者」についての質問は、2013年と2014年にベンジャミン・クレームが答えたものであるが、当時は掲載されなかった。質問者は「代弁者」の特定の体験について述べているが、その人物はベンジャミン・クレームの師によってイエス覚者の代弁者であることが確認されていた。

Q 「代弁者」とは何ですか。その背後にはどんな過程があるのですか。
A 誰かの代わりに話す者です。もし覚者が誰かに何かを知ってほしいとか何かを言いたいと思ったとき、可能ならば自己創造による肉体、マヤヴィルーパによって直接話をされます。そのような形でエネルギーを使うことを望まないときは、ある段階の弟子に頼み──必ずしも彼に密接な者とは限りません──その人物に彼に代わって話をしてもらいます。覚者は情報を出す多くの方法を使われ、後になって正確にどの方法が用いられたのかを言うのはしばしば非常に困難です。

Q「代弁者」は常に「代弁者」であるとは限らないと私は考えています。つまり、あるときには「代弁者」であり、あるときにはアリス・ベイリーやあなたの本を学ぶその人自身であると。それは正しいですか。
A そういうこともあり得ます。それはどの種類の「代弁者」が使われるかによります。覚者により近い場合もあれば遠い場合もあります。私が知っているある場合には、覚者は訪れるグループにとてもよく知られる人を使って、その人自身が話すのですが、時々、直接的あるいは間接的に、ある情報について知らせるように頼まれます。このような弟子の中には秘教の教えにとても詳しい人もいるかもしれませんし、比較的初心者の段階でこの代弁者の役割を初めて演じる人々もいるかもしれません。

Q なぜイエス覚者は代弁者を使うのですか。なぜ彼自身が来ないのですか。
A 彼の時間とエネルギーの節約のためです。平均的なグループ・ワーカーにとって重要な問題のすべてが覚者のエネルギーの多くの消費に値するとは限りません。期待しすぎないようにしなさい!

Q 「代弁者」はかなり進歩した人ですか。それともあらゆる人が「代弁者」になり得ますか。
A 代弁者は覚者によって選ばれます。

Q 「代弁者」は覚者とテレパシー的な接触を持っていますか。
A そうである場合もありますが、常にではありません。

Q 「訪問者」は、イエス覚者が彼を通して語っていることに気づいていますか。
A あなたが考える事例においては、彼は気づいていました。

Q なぜイエス覚者はある時にはご自身で来られ、ある時には弟子が、またある時には「代弁者」が来るのですか。
A 彼がそれを選びます。

Q 何年か前、パトリシア・ピッチョンがマイトレーヤの「代弁者」と話をしました。これらの「代弁者」を比べていただけますか。
A それは非常に異なっています。「側近」と呼ばれたロンドンの人物は、マイトレーヤが知らせたいと思ったことを伝えるために使われました。彼は「代弁者」であると共にマイトレーヤの近しい側近でした。

2013年、ベンジャミン・クレームはアムステルダムとのスカイプ・インタビューで以下の質問に答えた。

Q 「特別な体験」は常に覚者と共にありますか。
A 覚者方は彼ら自身を現すのに幾つかの異なった方法を用います。ご自身で現れる場合には、創造された肉体であるマヤヴィルーパをつくり、男女あるいは子供として、それを通して現れます。
もう一つの方法が代弁者(の男性か女性)を用いることです。マイトレーヤは長年ロンドンにおられますが、決して私たちに直接記事を与えたり予測したり話したりしません。彼は多くの講話をし、私たちがメディアに送った多くの予測を行いますが、それらすべてに彼のために語る代弁者を用いられます。私たちは彼を「側近」、P氏と呼び、彼はマイトレーヤではありません。マイトレーヤが彼を使いました。マイトレーヤは彼に情報を与えて、それを私が掲載できるように私に伝えました。それはパトリシア・ピッチョンに与えられ、それから私に伝えられました。マイトレーヤについて、P氏はパトリシア・ピッチョンに「師はこう言われている」と語りました。幾つかの予測はとても長いものでした。

Q 彼は正確でしたか。
A 予測はとても長いものでした。P氏が彼自身の考えを持っていたことを私は知っていますが、彼は予測を覚えておくように言われていました。彼はロンドンの共同体でマイトレーヤによって開かれている会合に行って、「側近」になったのです。
今では、「側近」は何人もいます。X氏(特定の知られた代弁者)はイエス覚者の代弁者です。彼は初心者ですが、ロンドンのP氏はとても経験を積み、マイトレーヤによって与えられた情報を伝えるに際して、60%は正確で、40%は彼自身の考えです。私の仕事は、本物と偽物を見分けること、つまりP氏から来ているものとマイトレーヤから与えられたものを分離することです。私はそれを私の師である覚者と共に行い、彼はどれが実際に言われたことでマイトレーヤによって与えられたものかを示してくださいます。それで結局、およそ60%は正確でした。ちなみに、60%というのはかなり良好です。
イエス覚者はこのような代弁者を多くお持ちです。X氏だけではありません。他の代弁者との違いは、X氏はわずか25%しか正確ではないということです。つまり彼の言うことの75%は不正確でした。彼は初心者にすぎません。25%というのは良好とは言えません。しかし、彼の言うことはあまり重要な情報ではありません。それはシェア・インターナショナルのためのもの(つまり掲載されるためのもの)ではありませんでした。それは重要なものとは考えられていませんでした。X氏はベストを尽くしましたが、4分の1しか正確ではありませんでした。それは、グループやグループのメンバーが援助を必要としているときにはいつでも援助があることを示すための表敬訪問でした。

 

 

 

2019年4月号目次

 

覚者より
前例のない時
■ベンジャミン・クレーム筆記

メッセージ
マイトレーヤは、あなたがたと共に居る
第86信 1979年10月17日

視点
世界のリーダーたちに向けた若者の気候変動対策運動
あなた方が好むと好まざるとに関わらず、私たちは「人類の運命を変えるでしょう」
ジェイク・ジョンソン

世界人権宣言から70年——一縷の望みを抱く
ヨルダン・ハシミテ王国 エル・ハッサン・ビン・タラール王子殿下

若者たちが世界を変える責任を先導する
グラハム・ピーブルズ

世界情勢
世界の指導者たちがメンタルヘルスの汚名に取り組む
世界的なエイズ蔓延における一里塚/単一細胞解析が画期的な技術革新をもたらす/ホワイトハウスの元シェフがホームレスを支援する/「刺激を与える」:ヴァーチャルリアリティのPTSD/1本数ペニー(数円)で木を植える

S.O.P.(Save Our Planet) -われわれの惑星を救え!)
地球は一つしかない

手遅れになる前にエコロジカルな文明が必要である
ジェレミー・レント

時代の徴
空の徴
空に現れたキリストに似た姿

奴隷制度は過去のものではなく、
現在でも何百万もの人々に影響を及ぼしている
シャノン・スクリブナー

ジミー・カーター著
『信仰――すべての人の旅』
ベッツィー・ウィットフィルによる書評

民衆の声
アラブの春の再燃か?

編集長への手紙
植物のパワー 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。