前例のない時

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。以下の記事は、最初2003年12月号に掲載されたものである。

前例のない時
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

そのようには見えないかもしれないが、人類はその運命(さだめ)に向かって着実に歩んでいる。現在の状況の緊張や不安にもかかわらず、あなた方の兄たちであるわたしたちは、人間がその危険に目覚め、それらに対処するために時宜(じぎ)を得た行動を取るだろうということに完全な信を持つ。その信の大半は、人間が孤立しているのではなく、まさにわたしたちからの救援と保護の受領者であるという事実についての知識に由来する。わたしたちは人間を別個の存在ではなく、進化の旅路にある弟たちとして見ており、その旅路が愚者にも賢者にも同様に提示する多くの困難や危険に対して、人間はわたしたちの助けを借りて、直面し、解決していくのである。

今この時が尋常な、あるいは通常の時ではないということを、人は理解すべきである。それはまさに規模と性質において絶頂の時であり、前例のない時である。この理由のためだけでも、その問題と危険は拡大されており、人類とわたしたちの両方による最も慎重な扱いを必要とする。わたしたちが、いまだ比較的限られた数ではあるが、人類の中に物理的に存在するために、わたしたちの助けをこれまでになくより大きく人類に提供できることが保証される。それはその任務に相応するものだろう。

わたしたちの自信は、わたしたちの偉大なるリーダーであるマイトレーヤご自身が人類の中におられるという事実によって強められる。彼の供給源は膨大である。いまだ舞台の背後におられるのだが、彼は絶え間なく働き、人事に平和と進歩をもたらし、法の規制の枠の内でたくさんの相容れない利害の糸を解きほぐし、本当の平和が確立される条件をつくりだそうとしておられる。正義(公正)のみが人間が欲する平和をもたらすだろう、そして正義が支配するときにのみ、戦争は褪(あ)せた過去の記憶となるだろう。ほとんどすべての国において、マイトレーヤはあらゆる分野にヘルパー(助け人)たちのネットワークを作っておられる。そのようにして彼は新しい時代の骨組みをつなぎ合わせておられる。これらの選ばれた働き人(ワーカー)は彼らの任務を良く知っている。彼らは間もなく表面に出てきて、新しい思考を世界にもたらし、正義を人間の第一の目標にすることがいかに緊急なことかを示すだろう。このことのみが戦争の災いに、恐怖という疫病に、永久に終止符を打つことを示すだろう。そしてわれわれの経済制度の合理的な再構築のみが正義を可能にし、信頼という基盤に基づいて人類を共に歩み寄らせるだろう。そのようになるだろう。かくしてマイトレーヤの智恵と教訓は人間の思考に浸透し、影響するだろう。

多くの人々が今すでにこの教えに反応しつつある。すべての国において、様々なグループが形成されており、人間のためにより良い生活のためにデモ行進をし、戦争の終結を呼びかけ、すべての者に対する正義と自由を、人類種族の将来を保証するための自然な唯一の方法として分かち合いを、呼びかけている。恐れることはない。人間は召集に目覚めつつあり、そして確実に勝利するだろう。

 

メッセージ

マイトレーヤは、あなたがたと共に居る
第86信
1979年10月17日

親愛なる友よ、再びあなたがたの中に居ることを非常にうれしく思う。

我が友よ、我が愛しき者たちよ、昔のわたしの同志たちよ、
わたしの道を整えるために働くことを、以前に何度も、わたしはあなたがたに勧めた。
もう一度、重ねて言う、この仕事がいかに大切なものであるかを。

わたしが戻ったことを知る者が増えれば増えるほど、それだけ早くわたしの顔は知られよう。
わたしのメッセージが、すべての人に届くように、
わたしの言(ことば)が伝えられていくように、
遠くに近くに住むあなたの兄弟たちに、これを送り、
わたしの臨在に目覚めさせてあげなさい。

わたしの表向きの仕事は進んでいる。
わたしは、一日毎に予定を立て、人間の反応を注意深く見守っている。
このようにして、わたしの出現のリズムは決められる。
だから我が友よ、あなたがたの働きがわたしの計画にいかに影響するか分かるだろう。

あなたがたが試みさえすれば、効果をあげないものはないのである。
このことをわたしの覚者たちが示すであろう。
人間にとって、すべてが可能である。
人間が必要とするものはすべて、本源なる神によって与えられている。
偉大なる供給者は、その子供たちを覚えておられる。
未来の時を怪しんで見るのではなく、同胞愛と信頼が当たり前となることを知り、
両手を広げて喜んで迎え入れなさい。

我が友よ、兄弟姉妹たちよ、あなたが、現在立っている位置を検討しなさい。
あなたは、わたしと共に祝福された愛の島に行く用意がありますか。
あなたが現在持っているすべてのもの、を分かち合う用意がありますか。
人生を勇敢に直視して、我が友よ、
なし遂げるべきチャレンジとして受けとめる用意がありますか。
もしあなたが、わたしと共に行くならば、どどめるものは何もない。
我が友よ、古い惰性は消え、光と愛に包まれて、
父の近くに在る喜びを知ることができる。
その喜びをあなたがたに授けることが、わたしの特典である。
それなら、我が友よ、勇気を携えて、
あなたの本源へ戻るためにわたしに従いてきなさい。
決して誤ることはない、我が友よ、
マイトレーヤがあなたと共に居るのである。

永遠なる神の光と愛と力とが、
あなたがたの心の裡に、今顕されるように。
それによって、あなた自身の魂の目的を果たすことができるように。

 

ジミー・カーター著『信仰──すべての人の旅』

ベッツィー・ホィットフィルによる書評

この最新刊の題名が示唆するように、福音派キリスト教徒であると自称する元米国大統領(任期1977年~1981年)のジミー・カーター氏は、『信仰──すべての人の旅』の中で、一般の人々と聖職者の両方にとっての信仰の意味を探求している。

本書の序文で、カーター氏は政治と宗教の共通部分についてこう語っている。「キリスト教徒は俗世間に飛び込み、信仰の道徳的、倫理的な価値観を政治のプロセスに投入するように呼びかけられている、と私は考えます。同時に、政府が私たちの宗教的自由を支配することは絶対に禁止しなければなりません」
米国憲法修正第1項の中に正式に記されたこの立場は、カーター氏のような大統領がキリスト教の信仰の理想を、個人的なレベルはもちろん国民生活にも応用できる道徳的、倫理的な行動基準として自由に思い描くことを可能にする、と彼は書いている。
1978年に行ったバプテスト派の同胞への講演の中で、カーター氏は大統領として、世界における道徳的な権威と影響力を国家に与えると彼が考える価値観について次のように描写した。
「人間や、宗派や、国家の目標とは何でしょうか。それらはすべて驚くほど似通っています。つまり、平和の希求、謙虚さの必要、自分の欠点を調べてそれに背を向けること、欠乏や憎悪、飢え、肉体的苦痛による苦しみを和らげることに関心を持つ道徳的な社会を基盤とした、広い意味における人権への取り組み、自分の理想、自分の信仰を他者と分かち合い、人間の愛を正義へと転換しようという意欲、もしくは熱意です」
カーター氏にとって、信仰には世俗的な基盤と宗教的な基盤の両方がある。事実、信仰は、確かさや保護、希望に対する必要に基づいた人間的傾向のように思える。彼は信仰を他者への信頼として体験する乳児期について描写している──赤ちゃんが母親の胸で感じる安心のことである。そうした初期の確かさから、信頼し依存する能力が培われる──紆余曲折を経るにしても、人生における究極的な結果は良いものであるという信を持つ能力である。そのような信は、行動の心理的な基盤でもあるし、また、私たちの危険な失敗にもかかわらず神は将来の人類の生存を確実にしてくださるという宗教的な希望もしくは保証でもある。
カーター氏は本書の中でこう述べている。「ルカによる福音書18:8について最初にじっくり考えたときにびっくりしました。実際に次のように問いかけているからです。『人の子が来るとき、はたして地上に信仰を見いだすだろうか』と。この問いかけが、神への私たちの将来の信仰のことなのか、あるいは、お互いへの信や、生活のほとんどあらゆる様相を形作り導く原則への信のことなのかは分かりません。民主主義や自由、正義、平等、慈悲心といった道徳的な価値観は、宗教的な信仰なくして、はたして次の世代へと伝えることができるのでしょうか。そうであってほしいと思いますが、宗教的な信仰はそのように伝えられる可能性を高めるものと確信しています」

強固な基盤

人は、信じることのできる安定した強固な基盤を必要としている、とカーター氏は強調する。私たちを相互の信頼と理解のうちに結びつける共通の大義をつくり上げるのは、すべての人が共有するそうした必要性である。キリスト教徒にとって、そうした基盤は何世代にもわたってそのまま継承されてきた「十戒」である、と彼は考えている。しかし、俗世間では、そうした共有された基準の土台はより脆弱であり、それを維持するために必要な犠牲を行おうとする当初の熱意が時間と環境によって損なわれるにつれて崩れていく傾向がある。
例えば、永続的な平和へのインセンティブ(刺激)を創造するために第二次世界大戦の終わりに発表された世界人権宣言は、「世界の偉大な宗教の最高の道徳的、倫理的な理想」を含んでおり、「すべての国家の立法者と一般市民が理解することのできる世俗の言葉でその理想を表現しました」。そうした宗教的な理想とは、恐怖と欠乏からの人間の自由の基礎を形成し永続的な平和を保証する、社会的、経済的、政治的、文化的、市民的な諸権利である、と彼は書いている。
大統領在任中とそれ以降、カーター氏は自分の行動を導くためにこうした原則を活用しようと努めた。人権の領域での業績を称えて授けられた国連人権賞や、地球規模の大義に貢献した立役者を表彰するフーバー・メダルを含めて多数の賞を受賞したカーター氏は、「国際紛争の平和的解決策を見いだし、民主主義と人権を推進し、経済的、社会的な開発を促進するために、何十年にもわたってたゆまず努力した」という理由で2002年度のノーベル平和賞を受賞した。
しかし、カーター氏が大統領職を離れて以来、アメリカは世界のあちこちで絶えず戦争に関与してきた。一方、アメリカ国民は、戦争の経費についてはほとんど知らされず、世界平和の維持という大義には無関心になってしまった。さらに悪いことに、多くのアメリカ人は、選出された指導者と、真理や平等、善意といった絶対不変のものだと教えられてきた原則に対する信頼を失った、と彼は書いている。
もし私たちが信を失えば、信は回復されなければならないものになる。つまり、自分自身への信、他者への信、最高の理想を顕現させる私たちの能力への信である。カーター氏は、自省と想像力という人間の能力によって証明されている意識の進化を信じると記している。そうした認識を踏まえてこう書いている。核戦争と地球温暖化の可能性によって生存が脅かされており、私たち自身がこうした脅威の媒体であることが今や知られている、と。したがって、自己破壊から自分たちを救うことはできるのだという、自分自身への、お互いへの、そして神への信へと、回帰しなければならない。そうした善への信を飛躍的に高めなければならない。なぜなら未来は、お互いと、そして自然界と協力して働くようになる能力にかかっているからである。カーター氏は、世界人権宣言、十戒、コーランつまりイエスの教えにある原則を見返すことを
勧めている。それは正しい人間関係を回復させ、「……お互いへの信に基づいた、平和な共存関係の未来を進化させる」方法を明らかにするからである。

信への挑戦

「信への挑戦」という章で、カーター氏は戦争や人種差別、貧困と人権の動態、攻撃用武器、気候変動、政治や選挙に対する裕福な寄付者の過度の影響力などに関する自分自身の見解を記している。こうした課題はアメリカの民主主義の安定を脅かしている、と彼は書いている。彼はアメリカの強い軍事力を維持することを支持しているが、かつて大将であったドワイト・D・アイゼンハワー元大統領がアメリカの「軍産複合体」がアメリカの政治と外交政策において支配的な力になることについて発した警告にも触れている。カーター氏は世界の警察官としてのアメリカの役割について嘆いている。その主な理由は、次第に危機的になっている国内のニーズから資源を逸らすことになるからである。
キリスト教徒であるからといって平和主義者になることが要求されるわけではないとカーター氏は考えているが、シリアやアフガニスタン、イラク、イエメンでのアメリカの継続的な空爆は罪のない一般市民の死傷を引き起こし、人権のために尽くす平和国家であるというアメリカの主張と矛盾すると書いている。こうした攻撃的な行動はアメリカへの憎悪を助長し、テロに油を注ぐ、と彼は述べている。アメリカ政府は「自国民の間でも国際社会においても自由と人権の揺るぎない擁護者」として見られ得るし、見られるべきだという信念をカーター氏は抱いている。
カーター氏は、基本的な人間の必要は社会的、経済的、政治的な必須事項であり、イエス・キリストは、お互いとの関わり合い方やそうした必要を満たす方法を示すために神が遣わされた模範的な人物である、と個人的に信じている。イエスの熱心で敬虔な信者としての個人的生活についてのカーター氏の記述は、簡単で控え目であり、わずかに個人的である。この本の中に説教は全くない。むしろ、それはアメリカ南部の安定したキリスト教徒の家庭に生まれた人物との体験の共有である。彼は生涯にわたる探求と時おり抱いた疑念を通して神への信を持つようになり、助言者、友、案内人である人物の教えを本当に生きようと意識的に努めている。
イエス・キリストはいつも彼と共にあり、人間の形をとった神として自分の模範になっている、と彼は述べている。カーター氏にとって、信仰は名詞ではなく、動詞である──神への宗教的な信仰であるにせよ、あるいは共通の体験と必要を通した、お互いに対する世俗的な信であるにせよ、人生において前進していくにあたっての基本前提である。彼は聖書のヘブライ人への手紙11-1を引用している。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。……信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造され、したがって見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。私たちがやろうとすることは何であれ達成可能であるという信を持たなければならない──そうでないと、それを達成しようとさえしないだろう。
宗教ニュースサービスの記者、アデル・バンクス氏との2018年4月のインタビューで、カーター氏は未来に関する予測を次のように要約している。これはアメリカにも世界にも当てはまる。
「私たちにとっての次の本当の課題は、調和と相互信頼のうちに、そして意見を異にする人々への愛さえも抱きながら、お互いにいかに生きるかを学ぶ際に、キリスト教や他の宗教の原則をいかに応用するかについて学ぶことです。それは達成することが非常に難しい大きな課題ですが、私たちが今日直視する必要のある最も重要な課題です」
カーター氏は悪化しつつある自分の健康状態と前方にある旅路について書くときは楽天的である。彼は自分の現在の反応と、戦時中に死の可能性に直面した若い潜水艦将校としての反応を比較している。両方の場合に、生活上の多くの心配からの解放、結果を統御できないという事実の受容、日常生活の日課への集中がある、と彼は書いている。個人的には、イエスに対する強い信仰が彼に慰めと強さを与えている。カーター氏は基本的に楽観主義者であり、神が地上において最終的に優位な立場になると信じている。「私の信仰が、私の楽観主義への鍵なのです」と彼は述べている。

ジミー・カーター『信仰──すべての人の旅路(Faith: a journey for all)』サイモン&シュスター社、2018年、180ページ

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

植物のパワー

編集長殿
私は家の居間に二つの植物を置いていて、二つとも大変に元気です(手紙は2003年7月に記述)。その植物の一つはベゴニアだと思っていますが、定かではありません。一本支柱が必要で付けているのですが、世話をしなくても天井まで育っています。それがあまりにも丈夫で、わずかに斜めになっても、いまだに育っていることは驚きです。切っていないのですが、どうしたら良いのかと思っていますので、説明をお願いします。
モウリーン・サドラー夫人
ニュージーランド、ワイララパ
【ベンジャミン・クレームの師は、その植物の成長はイエス覚者からの祝福であったことを確認した】

鏡のイメージ

編集長殿
2003年にロンドンのシスル・ホテル・タワーブリッジでの、3日間の『ヒーリング・フェア』の終了の間際、私が荷物を載せる車を取りに、ちょうど部屋を出ていこうとした時、60代くらいのインド人かパキスタン人の風貌の女性が一人入ってきて、杖にもたれ気味に歩いていました。彼女が印象に残ったのは、とりわけ彼女が白いアジア風スタイルのズボンとぴったりのターバンに、黒い厚地のキャンバスのような生地でできた、おかしな場所に縫い目のある作業着を着ていたからでした。それが彼女を貧しい人のように見せていました。
私は引き返して、彼女が色々と眺めながらドアの近くのブースを動き回っているのを、しばらくついて歩きました。彼女の顔が見えた時、彼女が少し出っ歯で、鼻に大きな『ダイヤモンド』を付けているのがわかりました。彼女はそれからホテルの方へと歩いていき、私は彼女が去るのを見ていました。私はフェアの間、大体黒と白の服を着ていたので、不思議な気持ちになったのですが、彼女はもしかしてマイトレーヤでしたか。
ヘザー・スミス
英国、オックスフォード
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

サイレント・メッセージ

編集長殿
2003年8月22日の午前9時30分頃、ドーバーの中心街がにぎわい始めていました。その区域を歩いていた時、道路の真ん中に非常に背が高くやせ型の男性がいて、薄いグレーのシャツとパンツにブルー系のバッグを肩から提げていました。彼は巻き毛のグレーの髪を耳の下まで伸ばし、大きな麦わら帽子で、しっかりとしたつばの上にぐるりと色あせたバラの花が飾ってあるのを被っていました。
嘲笑が沸き起こったりはせず、誰もが興味を持って彼が通り過ぎるのを見つめていました。彼の周りには大いなる平安と喜びの雰囲気がありました。彼は何も語らず、ただ市役所の方向へ歩いていってしまいました。
この『幸いなる者』はマイトレーヤでしたか。
M.N.フレッチャー
英国、ケント州ドーバー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

心に触れるメッセージ

編集長殿
2003年8月26日火曜日、ニュージーランドのウェリントンでのことでした。私が職場であるドミニオン・ポストビルに戻っていた時に、一人の年配の男性が出てくるところでした。彼は長いグレーの髪にふさふさの白いあごひげと口ひげを生やしていました。彼は私を呼び止めて、「お目にかかったことがありますか?」と言いました。私は「いいえ、でもおそらく新聞で私の写真をご覧になったのでしょう。コラムをやっていますから」と答えました。彼は続けて「ああ、そうですね、たぶんその通りですね。今ちょうど中で、今年サンタクロースが必要か尋ねてみたのですが、必要じゃないそうです。ご存じでしょうが、私は地震が起こると思うのです。私の猫と犬が神経質になっていて、二匹がそんな風になると必ず地震があるのです。それにご承知の通り、金融市場の上がったり下がったりが、あらゆる所で起きていますから」と言いました。
この時点で彼はマイトレーヤだと思いました。彼はさらに「ともかく、ストレスでまいらないように。そしてあなたは私のハートの中にいるのを知っておいて」と言いました。私は彼を見て、「メッセージをありがとうございます。あなたも私のハートにいます」と言いました。私が彼の腕に触れると、あまりにも大きな愛を感じて泣きたくなりました。彼はお別れを言って去っていきました。私はエレベーターに乗り込むと、すっかり頭が混乱して、別世界にいるような感じでした。エレベーターの中で「迷子」になり、やっとのことで職場のフロアに到着したのです。この男性との出会いの後の感覚は、有頂天といえるものでした。
この男性はマイトレーヤでしたか。
マーリーン・ストロード
ニュージーランド、ウェリントン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『ひげの男性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q どうすれば兄弟たちの窮乏を自分自身のこととしてとらえることができますか。(2009年8月、サンフランシスコでの講演会)
A 分かち合うことを学び、分かち合いを提唱しなさい。あなたに可能な限り、あるいはそれより少し多く、世界の最も貧しい国々の兄弟たちを援助するための機関にお金を与えなさい。彼らは私たちが大量に食べて肥満している一方で飢え死にしているのです。
実際に行動しなさい。霊的な使命においては実用的でなければなりません。霊性とは実践するものです。マイトレーヤは宗教教師として来られるのではありません。彼は宗教には反対しませんが、宗教とは梯子のようなものであると言われます。それは屋根に上る助けにはなるが、いったん屋根に上れば、梯子は必要なくなります。あなたはそれを捨てて誰かに与えることができます。

Q マイトレーヤが新しい宗教をつくらないのだとすれば、彼は何をするのですか。
A マイトレーヤは新しい宗教をつくるために来られるのではありません。彼は私たちを神に近づくための別の方法へと導くために来られます。神の存在を知り、私たちが神であることを知り、神を崇拝するよりも神を呼び起こすための方法です。崇拝は過去のものです。
神はすべてのものの内に存在し、あなたが考える至るところに存在します。さらに、私たちの内にも存在します。宇宙のいかなる原子も他の原子と分離しては存在しません。私たちは完全に統合された宇宙、統合された原子の中に生きており、それはエネルギーです。顕現する宇宙全体の中にはエネルギー以外のものは存在しません。そのエネルギーは神的なものです。それは、愛、力、目的、知性などのあらゆる神的な特質を持っています。これらの神的なエネルギーが人類の上に作用するにつれて私たちは変化します。それが今起こっていることです。

Q アクエリアスのエネルギーとその影響についてもっと説明していただけますか。
A アクエリアスの時代には、アクエリアスのエネルギーが私たちを結びつけて統合するでしょう。それは統合のエネルギーです。それらは個人を通しては働かず、グループを通してのみ働きます。ですから、そのように試みている人もいますが、あなたは完全に個人的なやり方でアクエリアスの方法で働くことはできません。それは不可能です。アクエリアスのエネルギーは個人を通しては働きません。グループを通して働き、統合を生み出します。

Q 個人を犠牲にしての統合とはどういう意味ですか。
A 次の2500年、アクエリアスの時代の間に、私たちはあの和合、多様性の中の和合を生み出すでしょう。それは統合です。統合とはすべて同じであることではありません。異なるものすべてが一つになることです。私たちは皆個人です。すべての国家は個別に異なった特性、特質、光線構造、エネルギーの流れを持っています。それらは世界の中で異なった役割を持っています。
同時に、アクエリアスのエネルギーを通して、すべての違いが統合され、競争なしに共に働くようになるでしょう。競争は生命に反するものです。それは商業主義、市場のフォースに関係しています。それは競争のフォースです。しかし、人生とは協力であり、それが和合をもたらします。その和合は多様性の中から和合をつくり出すことの結果であり、多様性の中から統合を生み出すことの結果です。そうして世界の豊かな織物がつくられます。

Q これらのエネルギーは国際政治にも影響を与えますか。
A 他の国々が自分と同じようであることを求める国があります。彼らの態度は、自国と同じでなければ悪であるというものです。他の国々は同じようでなければならず、そうでなければ罰が下され、戦争が起きます。これは真理のこじつけです。人類は同じではありません。私たちは同じものを必要としますが、私たちは異なっています。異なった特質、果たすべき異なった役割があります。異なる集団、異なる国家、異なる人種は人類に与えるべき異なったものを持っています。そのすべてが必要です。それは巨大な大計画であり、有機的に、協力と正義と正しい関係と共に起こります。それが私たちがつくり出さなければならないものです。それ以外のことを唱える人々は幻想とグラマーに満ちています。

Q ソクラテスがギリシャで最も賢明な人物だったのは、彼が自分が賢明であると知らなかったからです。しかし、智恵の覚者方と呼ばれる存在は智恵の権威であると主張しています。ここに矛盾はありませんか。(2008年、サンフランシスコでの講演会)
A いいえ。矛盾はありません。なぜなら賢明であると主張した覚者は決しておらず、マイトレーヤも賢明であるとは主張されないからです。私は彼が賢明であると言えます。彼らは智恵の大師方です。それは彼らがブッディ界(聖なる直観の界)のレベルで働くことができる能力のための言葉です。それはすべての覚者方が働くレベルであり、それが神性の愛と智恵をもたらします。本当の意味はそういうことです。
彼らは賢明であり、彼らを見れば信じられないほど賢明であることが分かるでしょう。彼らは自らを智恵の権威であるとは呼ばないので、彼らになぜそうするのかと尋ねることはできません。彼らは決してそうしませんし、これからもしないでしょう。マイトレーヤもそうです。マイトレーヤは単純な男であり、信じられないかもしれませんが、自己の感覚を持ちません。覚者方もそうです。マイトレーヤはすべての覚者方の師であり、異常なまでに単純で謙虚な方です。これほど謙虚でありながら、その知識と智恵と愛が広大な人物はいませんでした。それでいて素朴で謙虚なのです。
彼は言われます。「私を追いかけてはならない。私を追いかけるならば、あなたは私を見失うだろう。」彼が「私を追いかけるならば」と言われるのは、彼の後を追いかけ、彼をキリストでありイマム・マーディでありマイトレーヤ仏であるなどと主張して自分のポケットに入れようとすることです。彼は全人類のための存在です。あなたがそうするならば彼を見失うでしょう。それが実際に起こっているのを私は知っています。

 

 

2019年3月号目次

 

-覚者より
未来への鍵
ベンジャミン・クレーム筆記

マイトレーヤのメッセージ
第12信 1978年1月10日

視点
右翼ナショナリズムは、民主主義の規範と人権と報道の自由を脅威にさらす
タリフ・ディーン

世界の独裁者たちは高まる抵抗に直面している
ヒューマン・ライツ・ウォッチの世界人権年鑑 2019

若いメディア作成者に力を与える
ジェイソン・フランシスによるマリエル・ライズマさんへのインタビュー

英国とEU
より広い視点

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領とマイトレーヤ
一選ばれなかった選択
ウィリアム・アレン

時代の徴
世界中の光の現象

ジャーナリストであることがこれほど最悪の時はなかった
エル・ホルト

世界平和と共生のための友愛に関する文書

ジェイソン・ヒッケル著
『分断――世界の不平等とその解決策のための簡潔な手引書』
ビクトリア・ゲーターによる書評

S.O.P. (Save Our Planet) ―われわれの惑星を救え!
非常に多くの学生たちが気候変動対策を要求する

編集長への手紙
消えた人 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

 

未来への鍵

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。以下の記事は、最初2005 年11月号に掲載されたものである。

未来への鍵

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

人間が過去の古い方法で彼らの問題を解決する努力を続けるのを、わたしたちは悲しく見守る。問題は多く、これらは現在に関連するとともに将来にも関連する。主に、それらは過去の遺物であり、急速に発展する今日の社会にとって非常な重荷を意味する。市場を獲得するための猛烈な闘いに夢中になって、至るところの政府は安全と強さ、開発と革新を達成するために、そして変化の直中で安定を求めて、あらゆる常套手段を試みる。それは不可能な仕事である。彼らの問題すべてに対する答えは一つしかない。すべての問題に対する解決策は一つである。しかるに、これまで誰もその言葉を、あっと言う間に彼らをそして世界を解放するあの言葉を、思い切って囁く者はいない。それはこの世界を一気に正義(公正)と真理の新しい時代に乗り出させるであろう。

あの言葉を鳴り響かせよう。新しい文明を、新しい社会を顕示させよう。至るところにあの言葉を聞かせよう。人間に応えさせよう。その言葉は正義の響きである。真理の響きである。その言葉はすべての人間を近づけて人類同胞愛を築く。その言葉は心(ハート)の上に軽やかに座して、すべてのものに幸せをもたらす。その言葉は賢明で寛大であり、愛に満ちている。その言葉とは分かち合いであり、未来への鍵である。分かち合いが人間のすべての問題への答えである。分かち合いは神(神性)についてのもう一つの言葉である。分かち合いは人間にとって可能な最高のものを始動させる、なぜならそれは信頼への扉を開くから。分かち合いは人間を神の足元に連れて行くだろう。人が分かち合うことを学ぶとき、いのちの意味を知るだろう。分かち合うとき、人は高揚を感じ、自分たちの為すことを賛美する。分かち合いは人を全くさせるだろう。分かち合いは人類をひとつにするだろう。分かち合いの概念には限りがない。それは人間の救済になることが証明されるだろう。

人類がマイトレーヤを見るとき、これらの真理の言葉を聴くだろう。マイトレーヤの宣言を、彼らは大きく開かれた心(ハート)で聴くだろう。そしてそれに応えて、圧政と不正の終止を呼びかけるだろう。彼らはマイトレーヤの周りに集い、マイトレーヤは彼らのスポークスマンになるだろう。人類は間もなく彼の顔を見るだろう。間もなく、マイトレーヤは世界に彼のアイディア(理念)を提示し、古い時代を送り出すだろう。マイトレーヤは今、人々の近くにおられる。彼が拒絶されることはあり得ない。彼の愛がいまやすべての界に充満しており、変化を前面にもたらす。これを考慮しなさい――マイトレーヤの助けなしには、人類は破滅の運命にある。わたしたちは人類からの応えを心から待っている。

 

若いメディア作成者に力を与える

ジェイソン・フランシスによる

マリエル・ライズマさんへのインタビュー

 

ヨーロッパ・ユース・プレス(EYP)は、ベルリンを本拠とするヨーロッパの若者のメディア団体の非営利の協会であり、若者に対してメディア教育や実地研修を提供している。EYPは、若者が「公正で独立した責任のあるメディアをつくり上げ、民主主義、国際開発、持続可能な未来を育むような」社会を目指して活動している、と団体のウェブサイトには書かれている。現在では、EYPには27の加盟団体があり、6万人を超える若いジャーナリストに影響を与えている。マリエル・ライズマ氏はEYPの理事であり、外部コミュニケーションを統括しており、EYPの機関誌「Orange Magazine」の編集長でもある。ジェイソン・フランシスが、本誌のために彼女にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):メディアにおいて若い人々の参加は、どのくらい大切でしょうか。

マリエル・ライズマ:まず第一に、これはバランスの問題です。すべての社会団体は、メディア・コンテンツの創造に関わるべきです。メディアの出力の試みがどの程度公平であっても、各団体は所属するジャーナリストの特定の見解を依然として持っています。このような見解は、どの話題を特集記事にするか、また記事の中で何に焦点を当てるかの選択に影響を与えます。社会団体の代表者は、その団体の関心事や、彼らが直面している課題や問題に対して、よリ敏感です。

若い人々の見解は、物事の成り立ちの歴史的理由に関して、社会観がより広く、メディア論理の理解がより発達している年長で経験豊富なジャーナリストの見解よりも優れています。若い人々は、思いも寄らない刺激的なアイディアや見解で、新鮮なエネルギーを持ち込みます。

人は関係を持つ誰かの目を通して世界を見ようとすることが多いため、バランスもまた大切です。したがって、メディアの設立に参加する若い人々は、自分たちが扱う主題や、自分たちが議論する疑問、問題、アイディアに、他の若い人々が興味を持てるように援助します。

若い人々が、読んだり見たりすることができ、良いメディア習慣を育めるような高品質なメディア・コンテンツを持つことは重要です。そのような習慣には、複数のソースから情報を確認すること、コンテンツに対する高い標準を持つこと、著者と共に考え、議論されている問題を分析することなどがあります。それはまた、コンテンツが高い標準に合致する限り、著者に同意しなくても、同意しないコンテンツを依然として読む勇気を持つことなどです。これは、若い人々が広い視野を持ち社会や世界で起こることを気にかけるような市民に成長できるようにするためです。若い人々が参加した良いメディア・コンテンツは、社会に貢献したいという気持ちを育て、その改善を助けられるようにします。それは、若い人々が他者に刺激を与える方法を見つける助けになります。

すべての人が、生涯のプロのジャーナリストになる必要はありませんが、若い時期にメディアに参加することは、若いジャーナリストが最終的にジャーナリストとなる機会を与えます。その長い経験は、熱望を持つ次世代のジャーナリストや、一般的にメディアに関心を持つ若い人に援助とアドバイスを提供するのです。

公正で責任のあるメディア

SI:EYPでは、どのような種類の教育や実地研修を提供していますか。

ライズマ: EYPは、独立した公正で責任あるメディアを発展させる能力を持てるようなトレーニング・プログラムやワークショップを、若いジャーナリストが利用できるようなプラットホームを目指しています。また、私たちのネットワークには多くの若い人たちが参加していて、彼らもメディア・トレーニングを提供することができ、そのようなトレーニングに興味を持つ団体に彼らを推薦しています。私もまた、活発にメディア・トレーニングを行っています。

さらにEYPは、加盟団体と共に多くのトレーニング・プログラムを企画しています。例えば、最近では、データ・ジャーナリズムとメディア・リテラシーに焦点を当てたプログラムを提供しました。このようなプログラムは、他国の同業者に会い、協力のための人脈や機会をつくり出し、仕事に適用できる新しい技術を学ぶ機会を提供します。

私は、特にEYPの機関紙「Orange Magazine」をご紹介したいと思います。ここでは、ヨーロッパのトップ・メディアの会議を特集しており、国際的な指導者とメディア界で出会い、人生が変わるような人脈をつくれる機会を若いジャーナリストに提供しています。

例えば、私たちの長年のパートナーであるドイチェ・ヴェレ(ドイツの国際放送局)が毎年主催している世界メディア・フォーラム(Global Media Forum)は、国際的なフィールドで最高のものから学ぶまたとない機会を提供します。

異文化間の理解を促進する

SI:あなた方の中東および北アフリカ委員会(Middle East and North Africa Committee=MENAC)の活動についてお話しいただけますか。

ライズマ:MENACはEYPのブログ・プラットホームであり、寄稿者はそれぞれの地域に関連した話題について、定期的に投稿しています。またMENACは、2015年から、ヨーロッパや中東、北アフリカ地域の若いジャーナリストやメディア設立者のためのプロジェクトやイベントの企画にも携わっています。

MENACは、メディア関連のプロジェクトやイベントを通して、異文化間の理解を促進し、ヨーロッパや中東、北アフリカの若いメディア設立者の持続可能なネットワークの強化を目指しています。MENACは、中東および北アフリカ地域の若い人の声がヨーロッパで聞かれるようにすること、両方の地域に関連した問題がメディアでより深い理解を得られるようにすることが使命だと考えています。MENACは、型にはまった思考を避け、多様性をより深く理解するだけではなく、異文化間の対話を奨励するなど、良いメディア慣行の意識を推進することを目指しています。

SI:人権支援や様々な背景を持つ人々の間で一体感をつくり上げる上で、メディアはどのような役割を持っているのでしょうか。そして、このような目的を、メディアはどのようにして最もうまく達成できるのでしょうか。

ライズマ:メディアは、社会で価値を創造し守ることに貢献するという基本的な役割を持っています。うまく機能する民主主義社会では、これは人権を保護し共通の基盤を提供することを意味します。メディアが社会の進歩を助けるという価値の姿を失うべきではないことは重要です。メディアは『4番目の権力』(政府の立法、行政、司法の各部門の次)であり、強調されたものに影響を与える能力を持っています。メディアは、気づかれなくなった主題に光を当て、それを最も必要としている人々に声を与えることができます。

すべての人が大切で受け入れられていると感じられるようにする上で、メディアは重要な役割を持っています。他の人があなたを気にかけていると、あなたが感じれば感じるほど、より気分が良くより安全に感じます。もしメディアが特定の価値に取り組み、このような価値に基づいてストーリーを創造すれば、メディアはこれらすべてをより良く行うことができると、私は思います。そして、このようにして、何としても注目する必要のある社会の特定の側面に光を当てることができます。

メディアの道具は注目です。注目は誰もが望むものです。もし別の背景を持つ人々がメディアで取り上げられ、彼らにとって重要な主題が注目を受けるなら、彼らは社会の重要な部分であると感じられることでしょう。

私は、個人的なストーリーが最も効果的だと思っています。なぜなら、私たちは多くの場合、記事に登場する人と共感しようとするからです。そのような個人的なストーリーは、その数によって強調され、一般的にならなければなりません。その良い例は、タイム誌の、シリア人の難民家族、タイマアとモハンマドのストーリー、「Finding Home」です。彼らには、亡命中にヘルムという娘が生まれました。このストーリーは多くの注目を集め、その中心にいる人々を無視したり軽視したりしていた問題について人道的な観点を提供しています。また、タイム誌は、ストーリーを語るために様々な媒体を使用しており、特にWhatsappというアプリケーションでのメッセージを視覚化しています。これにより、読者は直ちにストーリーに共感できます。

メディアには相当な権力があり、共感、平和、連帯感を重んじる社会に貢献するような方法でストーリーを報道する責任を持っています。将来は、価値を基盤としたジャーナリズムがさらに重要になると、私は信じています。

 

メディア・リテラシー

――鍵となる21世紀のスキル

SI:メディア・リテラシーとは何でしょうか。もしそれが大衆に欠けている場合、その結果はどのようなもので、EYPは、それをどのようにして高める活動をしていますか。

ライズマ:メディア・リテラシーとは、(マス)メディアに関して、それを利用し、発言し、批判的に評価し、創造し、参加する能力のことです。これらの能力は、21世紀の鍵となるスキルです。メディア・リテラシーは、正直で独立した責任感のあるメディアを支持する人々の世代をつくり出す助けとなります。なぜなら、その世代はそのようなメディアの価値を理解するからです。

もし、若い人々が、たとえ短期間であってもメディアに参加すれば、彼らは情報の検証手段に関して、ずっと詳しくなるでしょう。このことは、特にインターネットで受信した情報が健全な懐疑主義で見られる状況をつくる助けとなり、虚偽の情報の拡散を止めます。読者が教育され、メディア意識を持てば持つほど、彼らが真実だと確信できる情報だけを発信する機会が増えます。なぜなら、彼らは信頼できる情報源を見つける能力を持っているからです。

反対に、人々にメディア・リテラシーが欠けている場合には、社会で不信や疑念の雰囲気がつくられます。これは、誰を信頼するのかを決める機会が少なくなり、疑念を解消するために使える手段が少なくなることが理由です

EYPは、プロジェクトの企画や参加によって、メディア・リテラシーを高める活動をしています。例えば、メディアや政治に関心を持つ約8千人の若者がフランス、ストラスブールの欧州議会に集まった昨年のヨーロッパ・ユース・イベントに、EYPは参加しました。そこで、EYPは三つのセッションと一つのパネル・ディスカッションを企画しました。それに加えて、EYPは欧州議会と共に、11回目の、ヨーロッパで最大の若いジャーナリストのためのイベントの一つ、ユース・メディア・デイを企画しました。会議では、今度の欧州議会選挙や、メディア・リテラシー、虚偽情報と闘うことの重要性に焦点を当てました。さらに、問い合わせを受けた団体に対するトレーニング・プログラムを運営しました。

SI:アメリカの大統領は、ストーリーが彼や彼の政権に好意的ではないような場合に、メディアが「フェイク・ニュース」を製造しているとしばしば非難しています。この攻撃は、もし影響があるとしたら、ヨーロッパや世界中のフリーもしくは独立系のメディアに対して、どのような影響を与えているのでしょうか。

ライズマ: そうした攻撃は、主にメディアの評判に対して影響があります。ジャーナリズムの信頼が過去数十年間でかなり低下したので、現在では、メディアの評判は特に重要です。人々がジャーナリズムの信頼性を疑えば疑う程、社会で疑念が高まります。これは不信感をつくり出し、安心感を低下させます。メディアは、重要な主題を議論するフォーラムであり、もし人々がこのフォーラムの真面目さを信じなければ、彼らは議論に本格的に参加しようとはしないでしょう。これは、人々を社会から遠ざける方向にあります。健全な懐疑主義は大切ですが、信頼できる情報源に関しては、それでもその情報に信頼を置くべきなのです。

 

詳しくは次を参照:

youthpress.org および orangemagazine.eu

 

編集長への手紙

本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。

個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。私たちは読者の考慮のためにこれらを提供している。

 

消えた人

編集長殿

(2003年)4月2日に私は朝6時35分に家を出て、散歩に出かけました。気持ち良く歩いていて、別の道へ曲がった時も私だけで、その時は誰も見かけませんでした。その後突然に一人の女性が私の方へ近づいてきたのです。彼女とすれ違う時に、私が「おはようございます」と言うと、彼女も「おはようございます」と言い、とても静かな声でほとんど聞こえないくらいでした。そのまま歩いていって振り返ると、彼女はいなくなっていました。その女性は誰でしたか。

モーリーン・サドラー

ニュージーランド、ワイララパ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

 

本当に近い!

編集長殿

2000年9月20日の午後、私は仕事で意気消沈していて、不思議な体験をしました。私は地下鉄に乗っていました。車両は混み合っていました。これ以上人は乗れないと思われた時、ある駅でさらに数人が乗り込んできました。その中に盲目の男性が二人いて、盲目の人用の特製の杖を持っていました。少し経つと、二人の男性はその状況について若い人たちと冗談を言っていました。私はドアの近くで内側を向いていました。

幾つかの駅を過ぎて、体の向きを変えると30代の女性が本を読んでいるのが見えました。その表紙に「イエスに近づいて」というタイトルが黄色の地に白い大きな文字で(あるいはその反対の白地に黄色の文字かもしれません)書かれていたのです。本で女性の顔は隠れていましたが、私はそのタイトルに惹きつけられていました。最初には、それ以前に彼女に気づいていなかったのはおかしいと思いました(私はそれまでにも体の向きを変えていましたが、彼女を見かけなかったし、彼女が乗り込むのも気づきませんでした)。彼女はこざっぱりとして見えましたが、たくさんの人が乗っていたこともあって、ほとんど顔が見えませんでした。彼女はとても美しいように思えて、その顔には気品と優しさがありました。数秒間彼女を見ていましたが、彼女は読み続けていました。

私は次の駅で列車を降りなければなりませんでした。降りるために出口の方に向いて、その女性のいる方向に目をやりました。彼女はもはやそこにいなかったので、自分の目が信じられませんでした。ほんの数秒過ぎただけで、これほどたくさんの人々に囲まれていて遠くに行けたはずがありません。彼女が空いた席を見つけたかもしれないとも思い、全体を見回しました。列車を降りてから、壁際に寄って車両から降りてくる人たち全部を見ていました。けれども、彼女を再び見かけることはありませんでした。彼女がどうやってそのように姿を消したのか理解できなかったので、完全に困惑しながらもそのまま歩き出しました。

後になって考えてみて、本のタイトルに意味があると気づきました。その女性が目の前で消えたのは単なる偶然だったのか、あるいは彼女は特別な方でしたか。

ラファル・ボーロ

スペイン、マドリード

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

馴染みの顔

編集長殿

2年かおそらく3年前に(手紙は2001年に書かれた)、私はオックスフォード郊外の地元のショッピングセンターにいました。一人の男性がセンター内を横切って私の近くにやって来ました。彼は180cmを越える身長で、体格が良く全身白い装いで、ナイロビに現れた時のマイトレーヤの着ていたものととてもよく似ていました。ターバンは同じでしたが、長いローブではなく、彼が着ていたのは長いシャツとズボンのパキスタンのスタイルでした。よく似ていたのは膝上までで、というのもズボンが少し短すぎたことと、大きなスリップオン式の靴が何となく不作法な感じでした。

彼は30代前半で黒っぽいあごひげのある感じの良い顔で、彼の体格に似合っていました。彼は風変わりで、とりわけこのような場所では目立っていました。

1週間ほど経ってから、彼が再び同じ場所で同じ様子で通り過ぎていきました。それ以来、彼を見かけていません。

その人がマイトレーヤだと思ったことはありませんが、最近その人が普通の人なのか、とてつもない人物なのかを見分けることを促されているように思いました。

お手数ですが、覚者はお教えくださるでしょうか。

ヘザー・スミス

英国、オックスフォード

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

読者質問欄

Q マイトレーヤが知られるとき、何の愛も感じられない人々に対して、信じる人々にとってはどのような未来になるのでしょうか。(サンフランシスコでの講演、2005年8月)

A 同じであり、それ以上でしょう。世界は変わりますが、マイトレーヤがそれを行うのではありません。あなたがそれを行うのです。私たち皆がそれを行うのです。人類がそれを行うのです。マイトレーヤはずっと以前に言われました。「人間の手によって、人間の足によって、新しい世界はつくられ、時代の寺院は建てられるだろう」。「時代の寺院」とは正しい仕組みのことです。政治、経済、宗教、社会、科学などの。これらが未来の道です。そしてそれらは人々によってつくられるでしょう。※

 

Q マイトレーヤの臨在によって、私たちの生活はどう変わるでしょうか。

A 彼は時代の終わりのアバターとして新しい時代への道を開くために来られ、新しい時代のエネルギーを解放し、私たちを新しい時代へと導きます。それは、彼が言われるところの「誰も窮乏することなく、同じ日が二度と繰り返されることがない」(マイトレーヤのメッセージ 第3信)新しい時代です。

想像できますか。同じ日が二度と繰り返されることがないのです。私は、それを知って、「いや、それには耐えられない。毎日違うことをしなければならないなんて」と思う人々を知っています。まあ残念ながら、すべての人を喜ばせることはできません。

同じ日が二度と繰り返されないとき、すべては創造的で興味深く、すべてが新しくなり、あなた方はその創造性に関わります。どの日も同じようには感じられず、同じようには見えません。あなたはこんな風には思わないでしょう。「今日は何をしようか? 私は昨日あれをしたしその前の日はあれをした。仕事に行かないといけないし、それは同じことの繰り返しで、去年と同じことだ」。それが人類を殺しているものであり、単調な骨折り仕事が、人間をオフィスを運営する機械に変え、世界の企業を経営し、大企業のために金を稼ぐ機械に変えるのです。そのためにすべてが行われています。人々が単調な仕事を好んでいるからではありません。ただ生計を得るために行っているのです。

 

Q では、どうやってその「単調な仕事」から抜け出せばいいのですか。

A それは全く間違って組織されており、覚者方は答えをお持ちです。分かち合いが正義を生み出し、正義が平和を生み出し、その平和の中で私たちは国と国との関係、人と産業との関係のために働き、余暇の必要性を知ることができます。人生とは何かを体験するための余暇です。

 

Q その意味は何ですか。より多くの余暇と転生――その目的は何ですか。

A 私たちは物質を霊化するためにここにいます。それが私たちの役割であり、まず私たち自身の肉体の霊化を通してそれを行います。何度も何度も転生する中で、私たちは魂のエネルギーを引き付けます。それは光です。それはこのエネルギーをつくるものです。それを見れば光と呼びます。見なければそれを何と呼んでよいか分かりません。その光は原子的ですが、その光よりも高次の光があります。亜原子の光があり、人体を完成された覚者の身体に変えるのはそれです。転生するにつれて私たちはますます多くの亜原子の光を身体の中に引き付けます。それで私たちの身体は微妙に変化します。他の人々には同じに見えますが、微妙に変化しています。

レオナルド・ダヴィンチやイエスのような第四段階のイニシエートになるまでに、肉体は普通に見えても、実際にはその4分の3は光で、4分の1だけが実際の物質的素材です。第五イニシエーションは、復活と呼ばれます。聖書の物語は、この復活についてのものです。物質的な身体が覚者の身体に復活し、それは壊すことのできない身体です。死は克服され、その身体の中で自己の本性を知ります。あなたはあなたであるものです。あなたはあなたであるもの――すなわち神の息子として振る舞います。この部屋にいるすべての人が神の息子です。イエスだけが神の子なのではありません。誰もが例外なく神の息子です。私たちとイエスの唯一の違いは、彼は私たちよりも前に始め、私たちよりもずっと先に行っているということだけです。しかし、いつか、誰もが意識的に神の子となる日が来るでしょう。私たちは自分が誰かを知りませんが、実際には私たち自身なのです。覚者方は彼らの本性を知り、それを表現することができます。それが違いです。

 

※ 新しい時代の建設

ベンジャミン・クレームはマイトレーヤがずっと以前にこう述べたと引用している。「人間の手によって、人間の足によって、新しい世界はつくられ、時代の寺院は建てられるだろう」

次の引用文は、アグニ・ヨガの教えである『モリヤの庭の葉㈵(召命)』からのものであるが、これは実際にはマイトレーヤによって与えられたものである。「あなた自身の手によって未来の力は築かれるだろう」。そして「私たちによって、そしてあなた方によって、共に、霊的文化は築かれるだろう」。

『モリヤの庭の葉㈼(啓明)』:

「夜の行進の間に、道案内が道に迷った。しばらくすると、月光あふれる砂を見つめながら、土手に腰掛けておられるキリストを私は見つけた。私はキリストに言った。『私たちは道に迷ってしまいました。星の指図を待たねばなりません』

『ロスル・モリヤよ、全世界が私たちを待っているというのに、道に迷ったくらい何だというのか?』

それから、竹の杖をとり、自分の足あとのまわりに四角を書かれた。そして言われた。『まことに人間の足で』

それから手のひらのあとをつけ、それもまた四角で囲み、『まことに、人間の手で』

四角と四角の間に弧状のものをのせた柱のようなものを書かれた。そして言われた。『おお、アウムは何と人間の意識に浸透することか! ここに私はめしべとその上に弧状のものを描き、四つの方向に土台を置いた。私が用意しためしべが花開く寺院が、人類の足と手によって建てられる時には、建設者たちに我が道を通って行かせよう。道は私たちの前にあるのに、なぜ、道の示されるのを待たねばならないのか?』

それから立ち上がりながら、画を杖で全部消された」

(アグニ・ヨガ協会、1923、1924)

ベンジャミン・クレームも同様の言及を行っている(2001年の研修会基調講話『和合』)。「ずいぶん前に、アグニ・ヨガの教えの最初の本で、マイトレーヤはこう述べました。『人間の手によって、人間の足によって、新しい時代は築かれねばならない』。一つ一つの石が、一つ一つの煉瓦が、一歩一歩が、人間自身によってつくられねばなりません」

そしてキリスト・マイトレーヤからのメッセージの中で、マトレーヤご自身が人類の未来の仕事のこの側面について述べている。「わたしの到来はこの世を変換させる。しかし復興の主な仕事は、あなたがたによってなされねばならない。わたしは、計画の設計者にすぎない。わが友よ、兄弟たちよ、あなたがたが、輝ける真理の宮殿を喜んで築く者たちである」

(メッセージ第65信、1979年3月13日)

 

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。