氷山の雄大さと人間の静けさ

アリアン・イーロイによる カミール・シーマン氏へのインタビュー

写真家のカミール・シーマン氏は1969年、アメリカ原住民(シネコック族)の父とアフリカ系アメリカ人の母との間に生まれた。ニューヨーク州立大学で写真術を学び、1992年に卒業した。それ以来、シーマン氏は受賞歴のある写真家となり、首都ワシントンにある全米科学アカデミー博物館で作品が常設展示されている。何十年もの間、北極と南極を旅し、氷山の写真を撮影したり、そこで起こっている急激な環境の変化を記録したりしてきた。
 「カミール・シーマン氏は、人間が自然から分離していないことを雄弁に物語る写真を撮ることを強く信じている」と、彼女のウェブサイト(camilleseaman.com)には書かれている。アリアン・イーロイがシェア・インターナショナル誌のために彼女へのインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):「私はとても幼い頃から、私たちはすべてのものとつながっており、すべてのものがライフ・フォース(生命力)を持っていると教えられた」と、あなたは述べたことがあります。このことについてもっと話していただけますか。

カミール・シーマン:私の祖父は、真の人間であるとはどういう意味かを孫たち全員が理解すべきだ、と非常に真面目に考えていました。彼にとってそれは、私たちがすべての人や──人々だけでなく──すべてのものと相互に関係し、つながり合っていることを知ることを意味しました。そのため、祖父は私たちにただ言うだけでなく、示すことによって教えようとしました。何かを信じることと何かを知ることの間にある違いは、実際の体験だということを理解していたからです。そうした物理的なつながりこそが、知るための方法です。
 私にとっていまだに印象深いのは、祖父が私を森の中に連れて行った時のことです。私たちはよく、それぞれの木の前で立ち止まりました。祖父は文字通り、私をそれぞれの木に紹介し、私の手を木に当てさせ、こう言いました。「私があなたの親戚であるのと同様に、この者はあなたの親戚です。敬意を払っていただきたい」と。木にはそれぞれ、顔や個性があると私は考えます。
 英語については大きな問題があります。英語は「所有」の言語だからです。英語は物を、従属させて「資源」へと転化できる物体にします。もし森を自分の親戚と見なすなら、親戚である森をどうやって伐採できるでしょうか。そのようにして木に紹介されるのは本当に強烈な体験でした。多くの人はいまだに、すべてのものが「管理」されるべきだと考えています。魚も管理されるべきであり、海も管理されるべきであり、川も物として──文字通り物体として──管理されるべきであると。
 私たち[シネロック族]と関係するワンパノアグ族から学んだ驚くべき話があります。ヨーロッパ人が来てから最初の10年で、ヨーロッパ人は直径6フィート(180cm)以上のすべての木に対する権利を王の名のもとに主張しました。そのため、王は伐採する権利を持つことになりました。そうした木材はすべてイギリスへと出荷されました。ニューヨーク州から沿岸部にかけて、すべての大木、こうした大原生林がなくなり、天候さえも変わりました。そこに暮らす動物さえも変わりました。
 ですから、こうしたつながりの話になるのです。私たちはつながりをますます感じ始め、気候変動を認識するようになります。しかし、幼い子供の頃、これは私がいつも認識させられていたことでした。子供の頃、祖父は、私が何も考えずに木から葉を引き抜くところをつかまえました。祖父は私をやめさせて、こう言いました。「何の結果ももたらすことなく、自分がやりたいことをその木に対してやることができると思うのか」と。祖父はこう言いました。「お前がその木から分離していると思うなら、自分の息をどのくらい止めていられるか確かめなさい」。そして実際に、私に息を止めさせたのです!
 祖父は雲のない晴れた日に、ロングアイランド(ニューヨーク)の暑さの中、私たちを屋外で座らせました。数分もすると、汗をかき始めます。小さな白い雲が現れると、祖父は空を指さしてこう言います。「あれが、雲になろうとしているお前の汗だ。それは雨になり、植物に水をかけ、動物を養い、動物は私たちを養う」。それは周期です。分離はありません。このことを知り、幼い者には多くの混乱──多くの怒り──が生じました。それは認知的不協和だったからです。ここに自分が知っている一つのことがあるけれども、周りの世界のとても多くが、全く違ったやり方で行動しているのが目に入ります。ですから、知るのは簡単なことではありませんでした。認識するのは簡単なことではありません。

SI:あなたは地球上で残っている最も孤立した、汚されていない地域へと導かれました。他の人々とどのように関係を確立したか、そしてこうした調査船で女性として、あるいは観光船で芸術家として働くことはどのようなものか教えてください。

シーマン:メディアで読んだり見たりしただけでは分からないかもしれませんが、極地では実際、科学者としても乗組員としても女性の存在が非常に大きいのです。ですから、女性の代表者がいることが大事です。海洋生物学者や地質学者、氷河学者の隣に立ち、見たり考えたりしたことのないような熱心さで彼らが説明してくれるとき、最も情熱的で、わくわくするような方法でこうした場所に招待されていることになります。
 データは[あまりに多くのものを]与えることしかできません。人によっては、数字やアイディアがあまりに大きすぎます。芸術が──画像であれ、著作や音楽であれ──科学と結びつかなければ、十分に消化されません。ですから、こうした船が、探検写真家となるよう私に依頼してくれたことをとてもありがたく思いました。このような関係はおそらく、フランク・ハーリーと一緒だったシャクルトン[20世紀初めの南極探検家]にまでさかのぼるでしょう。シャクルトンの冒険について私たちが知っているのは、彼が写真家を抱えていたからです。写真が登場する前は、人々がスケッチしたり絵を描いたり書いたりしていました。しかし、探検画家の役割は依然として決定的に重要です──調査船だけでなく観光船でもそうです。ですから、私は解説者のような者です。

SI:目撃者の役割のようですね。その役割はあらゆるものを変えてしまうのではないですか。

シーマン:どこに行くのであれ、私がまず行こうとするのは、このような引っ張る力、このような磁力的な呼びかけがあるためです。何らかの理由である場所に引き寄せられるように感じるのです。または、そこにいたいという必要性や好奇心を覚えます。数カ月か数年が経過した時でなければ、それが、私が記録し、写真に収めてきた長年の目標であったということは分かりません。

氷河と氷山の生命周期

SI:氷山は棚氷から分離してからおよそ3年から6年生きており、氷河ができるには雪がひとひらひとひら積もって10万年かかっている可能性がある、とあなたは述べておりました。氷河の発達度合いや氷山の生命について話していただけますか。

シーマン:二つの物語があります。北極の氷河と氷山があり、また、南極の氷河と氷山があるからです。同じ言葉ですが、非常に異なった生き物です。* グリーンランドでは、景観ははるかにゴツゴツしています。ですから、こうした氷河が移動すると、もっとゴツゴツし、もっとひびが入ります。氷河が割れて──終局を迎えて氷山として分離すると──多様な形を取る傾向があります。すべての氷山は独特だからです。誕生日ケーキのようであったり、王冠のようであったり、とがっていたり、あらゆる形があります。
 南極には、広い範囲を占めるロス棚氷があります。それは文字通り、南極点から始まり、幅が約500マイル(800km)あります。それだけこの氷のかたまりは大きいのです。しかしそれは、雪がひとひらひとひら積もってできたものです。その構造を形作るものは、実際のところ南極の風です。非常に乾燥しているため、フワフワした雪を風が巻き上げ、行ったり来たりして雪の層がゆっくりと形成されます。しまいには、何層にも重なったこうした雪のケーキができます。何千何万という層が圧縮され、重力によってゆっくりと海へと引っ張られていきます。それが海に達すると、ロス棚氷が出来ます。この棚氷から一つのかたまりが割れると、それは文字通り、ロードアイランド(アメリカの一つの州)の大きさとなることがあります。いわゆる板状の、平らなテーブルのようになる傾向があります。沈んでいた部分が上に出てきて、三角形になるものもあります。

SI:それらが生まれて死んでいくという感覚はありますか。

シーマン:誕生と死のようだとは言えません。まさしく、連続した過程の一部だからです。生と死の区別はほとんどありません。このように述べたいと思います。それは雪のひとひらとしての生活をし、次に氷河の一部としての生活を送り、それから氷山としての別の生活を送ります。その後、再び水としての生活があり、その水は雪のひとひらとなります。死があると言えるでしょうか。
 最終段階にあるこうした氷山を見ると、海底に引っかかっているものや、文字通りいつ崩壊してもおかしくないので近づけないものもあります。とても不安定で、多くの亀裂が入っています。こうしたものが海へと崩れ落ちていく最後の段階を目撃したことがあります。少しだけ、死のように感じられます。しかし、私はほとんど、この発言を別の言葉で表現する必要性を感じます。それは実際、もう一つの変容なのです。こうした連続的な変容の過程にあります。

静けさについて

SI:あなたの写真のテーマは、自然の雄大さと畏敬、人間のもろさ、孤独、すべての存在のはかなさと独特さ、老化と死を中心に展開しているように見えます。静けさと光についても話したいと思います。

シーマン:いつも信じていたわけではありませんが、写真は実際、写真家の反映だと誰かが言っていました。全く同じ被写体を撮影するよう10人の写真家が派遣された実験が行われたことがありましたが、異なった10枚の写真が出来上がることになりました。私の画像のすべてに、私の世界観や育てられ方が反映されていることは分かっています。
 静けさについて触れたいと思います。それは私の仕事のとても大きな部分を占めていて、祖父のもう一つの教えだからです。およそ5歳の時から13歳の時まで、毎日、寒くても、日が照っていても、雨が降っていても、雪が降っていても──それは関係ありませんでした──私は外に座らされ、1時間、じっとしていました。お気に入りの場所がありました。大きなカエデの木の下にあったテーブルの上によく座っていました。1時間が過ぎると、祖父が私を呼びに来て、「何を見たか」と聞きます。かたくなな気持ちでいて、「何も見なかった」と言うとします。そうすると、祖父は「外へ戻りなさい」と言いました。
 この経験から学んだことは、静けさの中にいると、自分と自然との間のあの境界──あの他者の感覚、あの分離感覚──が消えるということです。そうした境界は私たちによって築かれている、とはっきり述べたいと思います。自然はそうした境界を認めません。私たちが認めるのです。しかし、静けさの中にいると、その境界はなくなります。そして突然、非常に信じ難い体験をすることになります。例えば、鳥がやって来て自分の体にとまったり、蝶がとまったりします。あるいは、何となく魔法のように見えるものに気づきます。「どのようにして起こったのだろうか」。しかし、それはただ、静かにしていたから起こっただけであり、自然界はこう言います。「やあ、戻って来たね! お帰りなさい」と。そうすると、自然界はこういう接客係を派遣して、「また会おうね!」と言うのです。それが雲に起きている現象であれ、動物や蜘蛛に起きている現象であれ、あなたが静かにしていると、こうした魔法のような瞬間が訪れます。その時、あなたはただ存在しているだけでなく、再びつながり合っているからです。
 32歳で写真家になろうと決心した時以来、私が意図したのは、この人生は美しく、私たちが持っているこの惑星は信じ難いということを人々に明らかにしたいということでした。たくさんの人が私に、「フォトショップのようなものを使っていますか」と尋ねました。私の画像で最も大切なことは、あるがままに記録することです。そうであってほしいと自分が考えるものをつくり出すことではありません。ですから、フォトショップを使わないことがとても大切です。それは、私が外に出ていて、そこにいなければならないことを意味します。光がある方向から差しているとき、あるいは、動物がこちらにやって来ようとしているとき、それを写すためにそこにいなければなりません。変更を加えるためにフォトショップに頼れば何十万枚も多くの写真が取れることは確かでしょう。しかし、それは私の画像の意図することではありません。私が意図することは、人々が私たちの惑星とこの人生との自分自身のつながりや関係を築くのを手伝うことです。

より詳しい情報と写真については、
camilleseaman.comをご覧ください。