カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

 本誌に掲載される手紙は、最近起きた出会いについてのものもあり、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていないものもある。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断する自信を体験者に与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

井戸の発見

編集長殿
 最近シェア・インターナショナル誌で、ダービーにある古い井戸がイエスによって『磁化』されたことを読んだので、2005年6月5日、友人数人と一緒にそれを見つけるために出かけました。ダービーでの紆余曲折を経て、私たちはついに住宅地区にある静かな通りに行き着きました。私たちは井戸の付近に座っていた二人の若い男性に、井戸通りの場所を尋ねて、道を上った所を教わりましたが、帰り道では彼らはいなくなっていました。
 私たちがやっとそれが本当に目当ての井戸だと確認した時、どこからともなく一人の若い女性が現れ、立ち止って井戸について話をしてくれました。二人の若い男性(兵士?)が通り過ぎていき、地元の男性が井戸について少し詳しく教えてくれました。
 それらの人々のうち誰かが、イエスかマイトレーヤでしたか。私は旅をする前に、どちらか、あるいは両方と会うことができますようにとお願いしていたのです。
ドリーン・エディン
英国、バーミンガム
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い女性』がイエス覚者であったことを確認した】

ここかしこと彼らは必死に探した、彼の姿を
(訳注:20世紀初頭の英国小説『紅はこべ』の一節)

編集長殿
 2005年4月14日、木曜日の午後7時頃、伝導瞑想グループのメンバーのヨーゼフと約束がありました。私たちの待ち合わせ場所は、ドイツのレーゲンスブルクにある石橋のたもとでした。少し遅れて彼が到着し、私の方へ歩いてきました。彼は赤いジャケットを着て、真面目な顔をして、いつも見慣れているように頭を少しかしげていました。彼がやって来るまであと数分という時に、彼の姿を見失ったのは、道が曲がっていたせいでした。もう間もなく角を曲がって彼がやって来ると思い込んでいました。けれども彼は現れませんでした。私はイライラしました。ヨーゼフの振る舞いがあまりにおかしかったからでした。それで私は彼を探しました。すると彼を見つけたのですが、彼は背中を向けて私の頭上の橋の上に立っていたのです。
 本当にびっくりして、この出来事について彼に尋ねました。ヨーゼフは待ち合わせ場所から動かなかったと請け合いました。私が数分前にとてもはっきりと彼を見たと伝えると、彼はただ一つの説明しかないだろうと言い、私が見かけた、その『ヨーゼフ』は覚者だったに違いないと言いました。彼が言うには、そこは彼が最初にマイトレーヤのファミリアとの出会いをした、全く同じ場所だったということでした(本誌1996年10月号参照)。
 あの『ヨーゼフ』に思いを集中させるといつでも、すぐに感知できる素晴らしいエネルギーを体験するのです。あの『ヨーゼフ』はどなたでしたか。
ヴァルトラウト・ニーダーマイヤー
ドイツ、レーゲンスブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『ヨーゼフ』がマイトレーヤであったことを確認した】

無言のコミュニケーション

編集長殿
 2002年の4月か5月に私たちの伝導瞑想グループは、(オランダの)フィールハウテンでのパースベルグ・フリータイム・フェスティバルにブースを出しました。雨の降る嵐のような日で、午後にはブースを訪れる人もほとんどいませんでした。突然グレーの服を着た二人の紳士がどこからともなく現れました。あごひげの男性がブースの前に座り、UFOの写真をじっと眺めていました。
 もう一人の紳士は巻き毛で、テーブルに置かれた本やポスターに、大いに興味を示していました。
 私はこの男性に、マイトレーヤのことを聞いたことがあるかどうか尋ねました。彼はいきなり笑い始めたのです。何も言葉を発しませんでした。彼は『不朽の知恵の教え』というタイトルの本を買って、その後二人とも帰っていきました。
 私の直感では、その紳士たちはマイトレーヤとイエス覚者でした。正しいでしょうか。
ヴィルヘルミナ・ヴィラルト
オランダ、エーペ
【ベンジャミン・クレームの師は、マイトレーヤが笑った方の人であったことを確認した。もう一人はイエス覚者であった】

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

驚異的なエネルギー

編集長殿
 2005年5月、私たちは大変楽しみにしていたあなたの講演を聞き、伝導瞑想会に参加しました。
 日曜日の朝、私たちは古代エジプトに関する展示を見るために、アラブ世界研究所に行くことにしていました。入口のホールにはツタンカーメン王の大きな像がありましたが、彼の名前が説明文のプレートの中でホレムハブと入れ替わっていました。私たちが入場していた時、突然その像から放たれた素晴らしいエネルギーに満たされ、私たちが完全にはっきりと感じ取れる類のエネルギーでした。その像は私たちには本当に生きている人物像のように見えたのです! このファラオの生と死に関連した数多くの理由のために、私たちはこの現象に驚きました。
 これが自然の現象だったのかどうか教えていただけますか。もしそうでないなら、誰からこの素晴らしいエネルギーは送られたのですか。
 さらにその訪問の間、背の高いエレガントな男性で、白髪交じりの髪に素敵な赤のコートを着た人物が、私たちのごく近くに付いて来ていたことに気づいていました。彼は見たところ、滞在中ずっと熱心にオーディオガイドに集中していたようでした。その像の現象とその男性との間に関係はありますか。
フランソワーズ・ラヴーヴ、ピエール・コシェリと彼の母クレメンス、マルク・フェリー
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その『エレガントな男性』がマイトレーヤで、彼からエネルギーが送られたことを確認した】

完全無欠の天使たち

編集長殿
 私の夫は2002年8月に亡くなりました。その日以来、ノーサンバーランドのヘクサムの通りを散歩していた時に、私は三度もひどい転び方をして、つまずいただけで顔からバタンと転んで、鼻の骨を折ってしまい、とても親切な人たちが車で病院に連れていってくれたのです。
 別の時には歯が一本折れて、小さな破片が今でも下唇に入ったままです。けれどもその時には二人の男性に大変優しく助けてもらいました。一人はヘクサム修道院近くの店の人で、私は彼を知っていました。もう一人は全く見知らぬ人でしたが、私の息子が到着して車で病院に連れていってくれるまでの約15分間、私のそばに静かに座っていてくれました。彼は私の歯が唇から突き抜けていないと言って安心させてくれて、あとの時間は非常に物静かでしたが、とても慰められました。
 私の息子が到着した時、その男性は私と一緒に車まで歩いて座席に座らせてくれて、優しく車のドアを閉めて、お元気でと言ってくれました。その後二度と彼に会うことはありませんでしたが、そのお店の人にお礼を言うため訪ねた時に、彼はもう一人の男性が何者なのか全くわからないと言っていました。私は彼らが「完全無欠の天使の二人」だったと伝えましたが、時折その言葉が、物静かな人には本当だったのではないかと思っています。
ドリーン・ビスコウ
英国、ノース・ヨークシャー、ノーザラートン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『物静かな男性』がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

ノック、ノック!

次の2通は同じ人物からのものです。

編集長殿
 (1)私たちの家は9カ月近くも売りに出されています(手紙は2005年6月に書かれた)。多くの見学者が来て、二度売却にこぎ着けましたが、契約不成立に終わりました。ほんの数日前に家は売れたと思っていましたが、その女性は買わないと決心したことが分かりました。私たちにとって売りに出す理由は、私が階段を使うのに不自由があり、また日曜日に瞑想をするグループがあって、私たちの購入したい平屋の住宅のほうが、居間を使う必要がなくなるために、より瞑想にふさわしいからなのです。
 金曜日に私たちは諦めの心境でした。土曜日の昼食時に二人連れがドアをノックして、1時30分に家を見学する予約をしたと言い、予約は不動産業者(仲介業者)が行ったということでした。
 私たちは予約について何も知りませんでしたが、彼らに家の見学をしてもらいました。男性は黒人で、女性は白人でした。それはとても風変わりな見学でした。彼らは大変に陽気で楽しそうで、家の肯定的な所ばかりを取り上げてくれました。彼らは名前もどこから来たかも言いませんでした。
 私は階段に大きなイエスの像を置いていますが、その女性はそれを見ると、とても興味深い物を持っていると言いました。彼らが帰る時、私たち両方と握手をして、不動産業者に連絡して、知らせを受けなかった懸念を伝えるべきだと言いました。
 彼らが帰ると、私は売買を担当している業者に電話をしましたが、誰もその二人連れに私たちの家のことを伝えていませんでした。最初私たちは誰かがドアをノックして、見学することにしただけだと思いましたが、もっと良く考えてみて、それがイエスとマイトレーヤだったかもしれないのではと思うようになりました。その二人連れの訪問の後、私たちは売却を続けていく元気が出たと感じました。不動産業者からは危険なので、このようなことを二度としないように忠告されました。どうかあなたの師に、我が家に来た二人連れについて尋ねていただけますか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

王子の風格

編集長殿
 (2)最近の(手紙は2004年6月に書かれた)イタリアのローマへの訪問で、私はスペイン階段のふもとにある噴水に腰掛けていました。一人の若者が私の隣に座っているのに気づきましたが、彼は(英国の)ウィリアム王子に似ていました。彼は座ってほとんど前を向いていたので、彼の瞳は見ることができませんでしたが、彼から目を離せませんでした。彼はとてつもなく特別な人物だと感じていました。会話を始めたかったのですが、自分から話しかけることはできませんでした。
 20分ほどすると、彼は立ち上がり、去っていきましたが、その間も全く振り返ることはありませんでした。私は彼が去ってがっかりしましたが、同時に気持ちが高揚していました。
 その若い男性はどなたでしたか。
A.ラム
英国、サットン・コールドフィールド
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

抵抗し難い存在

編集長殿
 (1)私は(2005年に)地元のモントリオールにある(大きな商店街の)モン=ロワイヤル通りを、親しい友人と連れ立って散歩していました。突然、どうしてかわからないまま振り返らなければという気持ちになり振り返ると、通りの反対側にハンサムな男性が見えて、とても背が高く、インドの男性のような格好で、白と茶と黒のチュニックに黒いターバンを頭に巻いていました。
 彼は力強い輝きを放っていました。私は友人に振り返って自分の目で、その男性がどれほど美しいか見るように言いました。まさにその瞬間、その男性が私たちをチラッと見て、手を振ったのです。彼はどなたでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

名で呼び合う間柄

 (2)私はある小さな店にウールの毛糸を買いに行ったことがあります。そこの男性がたまたま店のオーナーで、私になぜ100%の純毛が欲しいのか尋ねてきました。私は彼に「ヨガ用マット」を編んで、瞑想用クッションの上に置きたいと思っていることを伝えました。彼は私に一体どんな瞑想なのか尋ねてきて、私たちは長い時間、イエスについて、その男性自身の信念や、私の信念などといった様々な話題について話しました。私たちがおしゃべりをしていた時、彼が私を名前のシルヴィーで呼んだので、私は一瞬心臓が止まりました。私は本当に怖くなり、どうであろうと、その男性が以前は私を知らなかったし、私も自分の名前を言わなかったのですから。少し経って会話がさらに続くと、彼がまた私の名前を言いました。私はどうして名前がわかったのか尋ねました。彼はリラックスしたままで、「ああ、そうだね、私は腕の良い心理学者だから」と言ったのです。私が帰ろうとすると、彼から私の両頬にキスしてもいいか尋ねられて、私は「もちろん!」と答えました。私は涙を見せないように相当我慢しなければなりませんでした。彼は私を店のドアへと連れていき、「もし戻ってきたくなったら、私とまた会うことができますよ。でも6月までにはこの店を閉めるつもりなので、もう店はなくなってしまいます」と言いました。
 この男性はどなたでしたか。ありがとうございます。
シルヴィー・ロドリゲス
カナダ、モントリオール
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

二度の目撃?

編集長殿
 少し前に(手紙は2005年に書かれた)、三人の仕事仲間と私は飛行機で、政府機関との特別会合のためにストックホルムへ行きました。スウェーデン南部にあるエンゲルホルム空港で出発を待っていた時、私たちは背が高く黒い髪のハンサムな男性で、素晴らしく青い親しみの持てる瞳の人物を見ました。彼は私たちを通り過ぎてから腰を下ろしました。気づくと、彼に魅了されているのは私たちだけでした。その男性は飛行機の中で、私たちのちょうど前の席に来て座りました。ストックホルムに到着すると、シティ・ターミナルに向かう空港バスの中では彼を見かけませんでした。私たちはターミナルから直接数ブロック先の会議場に向かいました。実り多い会議を終えて、私たちがちょうど帰ろうとしていた時、空港での同じ男性が、その事務所のラウンジを横切る通路から出てくるのを見たのです。私たちは空港へのバスに乗らなければならなかったので、近寄って見てみる時間はありませんでした。ストックホルムの事務所での二度目の出会いは偶然だったのか、それとも……。
カール・B・インゲルソン
スウェーデン、クリッパン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

ただの映画以上のもの

編集長殿
 2020年1月に、二人の友人と私は新しく公開されたサム・メンデスの映画『1917 命をかけた伝令(邦題)』を見るために映画館に出かけましたが、その映画は第一次世界大戦での塹壕戦の容赦のない現実を描いているものです。私は行きたくありませんでした。これまでとてもたくさんの戦争映画を見てきましたが、すべて同じ物語を描いているものだったからです。けれども批評によると、単にこの映画は特別だというだけではないと言われていて、友人は新しい物の見方をもたらすかもしれないと考えていました。それで私も一緒に行くことにして、最善を求めるのはやめました。
 満員の映画館で席に座るとすぐに、帽子のように頭の周りが、柔らかなエネルギーのクッションで包まれる感じがしました。驚きと困惑がありました。この感覚の中でリラックスしていようと決心して、動揺しないようにと思っていました。けれどもこの決心は映画が始まる前から試練にあったのです! ユニセフの広告を含む宣伝が流れ、子供たちが戦争で荒廃した都市の景観の中で歌っている映像や、1年で300万人に上る子供たちの飢餓による死亡を追悼するものでした。それは非常に痛ましいことで、何とか泣くまいと頑張っていました。泣かずにいられた唯一の理由は、私の霊的ハートセンターであると信じているものにも、等しく強力な反応があったからでした。それは温かく、力強く、そして解放されていると感じました。
 この反応は、私が映画そのものに引き込まれ、私には人類の旅路を暗示するものに思われる物語が展開するのを、見ていくにつれて高まっていきましたが、それは『こちら側』とか『あちら側』、あるいはこの恐ろしい戦火をもたらした勢力やエネルギーとは関係のないものであり、自分たち自身を越えて手を差し伸べること、その過程で同胞愛、思いやりや人間性を見いだすことと大いに関係があるのです。深い感動の体験は、疲弊の果ての平和としか表現しようのない解決へと導く主人公として、視聴者を同じ旅路に連れていくのです。私が怖れていたよりも、ずっと重い苦悩が残りましたが、同時に溢れる思いやりと人間性への強い願望も感じていました。
 エネルギーの効果は私の中に2時間の映画の間中と、翌日まで留まっていました。それは持続する強烈な祝福のようでした。これを体験したのが、私だけだったのかどうかはわかりません。観客は初めから終わりまで映画にくぎ付けでした。誰も動きませんでした! つまりおそらく似たようなことが、そこにいた他の人々にも起こったのかもしれません。私がそう思いたいのは、覚者方があらゆる機会をとらえて、私たちにとって最善なものをもたらしてくださると知っているからなのです。
匿名希望

手を取り合って

編集長殿
 良き友人であり、共働者でもある人がたくさんの問題を抱えていて、私は彼女をとても気の毒に思っていました。ベンジャミン・クレーム氏や覚者方の仕事との長年の関わりから、私は人々がどのような状況でも、神様かマイトレーヤ、あるいは覚者方に助けを求めても良いと知っています。
 私は友人に、アジュナセンターに集中して助けを願い、マイトレーヤの名の下に助けを求めるある種の祈りを捧げるように伝えました。私も一緒に祈り、私たちは二人共非常に強力なエネルギーを感じました。
 その同じ日の後になって、私の家のベランダにあるテーブルに大きな手形を見つけたのです。それは私の手形ではなく、私は2階に住んでいて、私のアパートの部屋は建物の裏側になります。間違いなく、真昼間に私のベランダに上ろうとは考えもしないでしょう。
A.A.
オランダ、アムステルダム
【編集者注:マイトレーヤはスペインのバルセロナにある、アパートの鏡に3次元の手形を現した。初出は本誌2001年10月号で、手は治癒のエネルギーやマイトレーヤの助けを喚起する手段である】

次の3通は同じ人物からのものです。

希望のビジョン

 (1)2020年3月31日に、私が猫に餌をやるために朝7時20分に起きて、カーテンを開けると、丘の前の地平線の驚くべき光景に本当にびっくりしたのですが、非常に明るく輝く光が巨大な星のように見えていたのです。私はメガネを取りに行きましたが、その瞬間『星』がゆっくりと雲の背後に消え始めたのです。まるでもはや自分の身体に存在しないかのような、素晴らしい平安を感じ、この感覚は一日中残っていました。そのひと月の間、私に現れてくれるように宇宙の兄弟方に訴え続けていたのです。この手紙を読み直していると、ハートチャクラに再び温かさを感じて、泣き出さずにはいられません。

今でも私たちと共に

 (2)2020年4月1日の水曜日、私は伝導瞑想のためにパリのグループとつながっていました。数分後、私はベンジャミン・クレーム氏の存在を感じ、彼からの祝福を受けて泣き出してしまいました。ベンジャミンさんありがとう、彼は(まだ)私たちと共にいます!

心に触れて

 (3)2005年6月にパリで、グループメンバーとのミーティングの時、私たちはその日のテーマを大宣言の日に決めて、マイトレーヤと覚者方の出現についての公開講演で話す練習をしていました。私が話をしようとした時、わっと泣き出してしまい、同時にハートセンターに強烈なエネルギーを感じていました。それは15分ほど続き、その晩家に帰っても、その影響を感じました。翌晩の伝導瞑想で、その出来事についてグループに何と言ったら良いかわかりませんでした。
同じことが起こったのは、オリビエ・ダネスが日曜夜の「ラジオ今&ここ」で大宣言の日について話をした時でした。
ジェシカ・メハディ
フランス、トゥック
【ベンジャミン・クレームの師は、それがイエス覚者からの祝福であったことを確認した】

「元気を出して、平常心で」

編集長殿
 今朝、2020年3月22日に、私の部屋の描画のコピーに強く注意を引かれました。私の机に座って見えやすいものなのに、長い間それを意識して見ていませんでした。けれども今になってそこにあるのです!
 それは驚くほど美しく力強い描画で、当時シェア・インターナショナル誌に特集で掲載されたことがあり、2011年の福島のメルトダウンの時、意気消沈した日本の人々に向けて、マイトレーヤが奇跡的に与えられました。幸福そうで穏やかに瞑想している人物の絵の下に、日本語の美しい(書道の)メッセージがあり、その意味をはっきりとは覚えていません。「元気を出して、平常心で」というようなものでした。
 マイトレーヤがこの素晴らしい贈り物を、あの特定の時期に日本の人々に贈られましたが、この現在の困難な時期にあって、それはやはり苦悩するすべての人類に向けての贈り物であり、メッセージであることは明らかでしょう。
匿名希望
【編集者注:正確な言葉は、「平常心、祈り」であった。本誌2011年5月号参照。津波の時に慰めと希望を与えるために、マイトレーヤが現されたものであった】

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

マイトレーヤ以外に誰が

編集長殿
 2020年3月13日、私は親しい友人とその人の自宅で会話していました。私たちはこの時期の、コロナや株式市場、難民や生態系についての、多くの出来事について話をしていました。私たちは競争と利己性から協力と分かち合いへの、世界的規模の変化が今必要だとはっきりわかったのです。
 会話の中のある時に私が、「こうした全部の出来事を通して、マイトレーヤは活気づけて……」と言いかけました。私はちょうどマイトレーヤのとてつもないエネルギーや、統合の大聖と仏陀によってオーバーシャドウされていることを話そうとしていたのです。けれども『活気づけて』という言葉を言うのがせいぜいでした。即座に友人は息をはずませて、ほぼ同時に私もそれに続きました。数分間話せなくなってしまったのは、非常に強力なエネルギーのうねりを私たちが分かち合っていたからでしたが、マイトレーヤが応えてくださったことがわかり過ぎるほどで、他に誰がこのようなことをこれほど強力に行えるでしょうか。
 それはまるでマイトレーヤが私たちに、「その通り、私はこのことの直中にいる、そしてまさしく人類を正しい行動へと活気づけている」ことを明らかに示されたように感じました。それは全く思いがけない応答でした。彼の存在と助けがこの緊急の時にあるという徴によって、私たちは大変勇気づけられました。
匿名希望
オランダ

人類は目覚める

編集長殿
 2020年4月3日の金曜日の午後早く、室内ベランダでの午後の昼寝の最中に、突然物音(私の携帯へのショートメールのメッセージ受信の音)が聞こえました。
 私は起き上がり、目を開けました。居間とベランダの間にある窓に、ナイロビのマイトレーヤのような格好の人物のシルエットが見えて、彼の腕は「イエス・キリストの聖心」の彫刻か絵画にあるように伸ばされていました。
 それは長く続きませんでした。信じられないような思いだった他には、何も覚えていないのです。その人物はマイトレーヤだったと思います。
テレーズ・デリッサン
ベルギー、ナミュール州ジャンベス

助けはすぐに

編集長殿
 グループメンバーのティリーと私は度々、キリストの再臨についての広報用印刷物を通りで配っています。けれどもティリーは、次第に腰にひどい痛みを覚えるようになりました。彼女は医師の所へ行き、腰の手術が必要だと言われました。彼女はチラシ配りもほとんどできなくなりました。それで最初彼女は理学療法を受けて、その後再びチラシ配りに参加しました。療法は痛みを和らげましたが、ほんのしばらくの間だけだったので、私はマイトレーヤの『手』を使って助けをお願いするようアドバイスしました。けれども彼女はマイトレーヤを煩わせたくありませんでした。
 数日後、彼女から電話があって「結局マイトレーヤに助けをお願いしたら、奇跡が起こった」と言ってきました。「何でもできるわ。階段の上り下りも、お使いに行くことや歩くことも、自転車に乗ることも。広報のチラシを配るためにまた一緒に出かけられるわ」
 (マイトレーヤからの)助けを得て以来、彼女はどこにでも出かけています。しかも彼女はとても早いのです! 彼女はもはや理学療法士の所へ行く必要がありません。
ティリー・スリイケルマン、カタリーナ・ニイマン
オランダ、ベルゲン

集中してやり続けなさい

編集長殿
 2020年3月、私はメキシコシティで数日間過ごし、地元の瞑想グループの共働者と一緒に活動してから戻りました。私たちはメキシコシティのダウンタウンでブックフェアにブースを出しました。
 私が町に到着してから最初の夜には、夜遅くにフェアに立ち寄りました。私たち3人のメンバーが少し話をして、現在の出来事について、分かち合いのアイディアや解釈を話し合いました。見たところどこからともなく、アジア人の紳士が現れ、ブースに立ち寄りました。彼は見るからに場違いでした。そのイベントに外国人は多くありませんでしたし、まして彼のようにとてもエレガントな装いの人はいませんでした。彼は仕立ての良い緑色のスーツを着て、ピンを止めていましたが、それが旗のようであり、ベンジャミン・クレーム氏の絵画の一つにも似ていると思いました。彼は60代後半くらいの短い髪で、一人のメンバーがその髪を銀色と紫色と形容していました。「輝いているように見えた」と彼女は翌日語っていました。
 ざっと本を見た後、彼がマイトレーヤとは誰ですかと尋ねてきました。彼はスペイン語を話しにくそうにしていたので、英語の方が良いかどうか尋ねました。彼の訛りがひどかったので、話したことのすべてを完全に理解するのは困難でした。私が彼の質問にできる限り答えると、彼は私の答えを楽しんでいるようでしたが、それと同時に完全には満足していないように見えました。彼は続けて、どうしてわかるのかというような質問をしてきました。どうして確信できるのですか。まるで私にもっと深く掘り下げるよう後押ししているかのようでした。2、3質問した後、彼はアプローチを変えてきて、質問をするのではなく、教え始めました。
 彼は私のよく知らない仏教の伝統に属していたことがあり、マイトレーヤについて知っていると話していました。彼はマイトレーヤの名前を三つの異なったアクセントで発音し、サンスクリット語かあるいはパーリ語かと、私たちが想像するしかできない言葉で、マントラを唱えました。彼は私たちが三つの諸体、あるいは様相を持っていることについて語り、それは肉体と感情、そしてマインドで、マインドが他の二つの上位にあると言いました。彼はマインドには二つの選択肢があり、感情的であるか、理性的であるかで、理性的であることを探し出すようにと言いました。それから彼はベンジャミン・クレーム氏の著書の『伝導瞑想(21世紀のヨガ)』を指差しながら、瞑想について尋ねてきました。前の答えと同様に私の答えには完全に満足していないように見えたので、彼がもう一度会話の主導権を握ると、瞑想はマインドの完全なコントロールであり、完全な集中である(!)と言ったのです。マインドが気を散らさないようにすること、それは簡単ではないが、成し得ることなのです。
 私たちに話をしている間、彼は常にうれしそうな態度のままでした。彼はまるで楽しい時間を過ごしているかのようでした。また彼は鼻の先にメガネをかけていました。彼が私を見る時、彼は頭を下げてメガネの上から見上げるようにして、真っ直ぐ私の目を見ていました。他に彼が言ったことで覚えているのは、「でも覚えていてください、ヒンズー教の伝統では、肉体は幻想なのです」ということです。そして瞑想について話をした後、「忘れないで、アインシュタインが語ったように、すべては相対的なのです」と言いました。
 ここからは個人的なことですが、彼が私にどこから来たのか尋ねてきました。私がサンディエゴから来たと言うと、彼が私に(簡単に言うと)「ああそう、私はサンディエゴをよく知っています。ロサンゼルスとサンバーナーディーノには親戚がいます。新年は一緒に過ごしますよ。TJ(メキシコのティファナ)へ飛行機で飛んで、CBXブリッジ(越国境用の搭乗橋)を渡ります」と言いました。これは個人的に関係していることで、ちょうど1時間前に私がCBXブリッジを渡って、サンディエゴからティファナへ入り、メキシコシティへ飛んできたからなのです。
 彼は私たちに会話のお礼を言ってくれて、このような会話ができることは稀で、楽しかったと言っていました。私たちも彼に対して、言うまでもなく素晴らしい出会いだったことに感謝しました。
 彼が帰ってから、夜の間私たちはその出会いについて話をして過ごし、私たちに集中を維持して、その瞬間に存在し、受け取る結果を気にせずに、やり続けるように言われたようだったということで意見が一致しました。
 私の個人的な解釈は彼のタイミングに関係していますが、私たちが現在と未来の出来事について話していたので、彼が最初の夜に現れたのは、あたかもその後のイベントへの祝福のようだったのです。(彼の緑のスーツの選択については、数日後に大規模な女性のデモ行進が、メキシコシティやその他の地域の通りを埋め尽くし、多くの参加者が緑色のハンカチを連帯の印として身に付けていました)
A.M.
米国、サンディエゴ

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

まだここに

編集長殿
 この出来事は2020年2月27日の朝早く、毎土曜日に伝導瞑想をしている私の家の一室で起こりました。毎朝夜明けの陽が差す前に一人で瞑想をするのが好きなのは、陽が昇るのを待ちながら、鳥たちが新たな1日を告げるさえずりのシンフォニーと、共に瞑想する大変に静かな時間だからです。
 陽の光が見えるので、グループで瞑想をする同じ場所で、普通は朝の瞑想をしますが、太陽が目の前の大きな木々の枝の間まで昇ってくると、私は素晴らしい平安を感じ、人々はまだ眠っていて、物音もしないのです。
 その木曜日に、私は少し気持ちが落ち込んでいて、自分の内面に援助を探さなければならないと感じたので、いつもよりもっと深く瞑想していました。スミレの香りがし始めましたが、エーテルの香りがするのは私には普通のことなので、必要以上の注意を払わず、瞑想を続けていました。
 突然、最初の太陽光が目に入り、部屋の中の私から3mの所に差し込んだ時、驚くような荘厳な金色の光の中に、善良そうに微笑むベンジャミン・クレーム氏の顔が浮かんで見えたのです。ここではっきりさせておきたいことは、それは「ビジョン」ではなく、肉体レベルでの三次元の「聖なる出現」だったのです。彼の顔は善良さに満ちていて、博愛というものが溢れていました。それと同時に「私はいなくなっていない、ここにいる」という声が心の中に聞こえ、同時にエネルギーで満たされましたが、それはクレーム氏が存命中で、私たち皆が集中していた(オランダでの)ヨーロッパ研修会の、瞑想の時に感じたエネルギーと同様のものでした。その間スミレの香りが部屋に充満していました。私はそうした柔らかで力強く心地よいエネルギーを体験していたので、動くことができませんでした。目に涙が浮かんできましたが、泣いてはいませんでした。それがどのくらい続いたのかわかりませんが、クレーム氏が消えて、私には深い感動と多くの疑問が残りました。
 翌日、再びスミレの香りがしましたが、おそらくその朝不快な医学治療に直面しなければならないストレスを感じていたためでしょう。今ではこうした瞑想の間、私が自分自身に生涯問い続けてきた数々の質問への明快な答えを受け取っています。
 私は心から慎ましやかな気持ちで、ベンジャミン・クレーム氏に対して聖なる出現によって私を祝福してくださったことに、大いなる感謝を捧げ、私がそれを受けるに値するとは思われないことから、大変驚いているのです。
匿名希望
フランス

迷いと発見

編集長殿
 2016年2月に、突然兄が亡くなり、葬儀で私たちは皆、非常な悲しみとショック状態でした。バンドの仲間のミュージシャンたちが墓地で演奏を行う、熱烈なお葬式を終えて、来客に昼食も出し終えた午後に、私は電車に乗る息子を車で駅まで送りました。そこまで1時間かかったと思いますが、私はすっかり疲れ果てていました。
 帰りの運転中には目を覚ましていられないほどで、突然道に迷ってしまいました。完全に迷子になってしまったので、ガソリンスタンドにいた人に主要道路について尋ねました。暗くなっていて、私は主要道路から遥か彼方の田舎の方へ来てしまい、明かりもなければ、人もおらず、何もありませんでした!
 さらに1時間間違った方角へと運転していくと、完全に疲労困憊して途方に暮れていました。携帯電話に電波が入らず、森や穀物畑が続くだけで、道路脇に車を止めると涙がこぼれました。
 すべてのことが酷すぎたので、私は心の内に覚者方に向かって「もう本当に助けてください!」と言いました。
 夜空を見上げました。星の一つがだんだんと大きくなり、突然消えました。それは私の想像にすぎないと思いました、私の疲れてかわいそうな脳の。再び輝く星が現れ、それが3回続きました。私はびっくりして、星の出現に感謝しながら、戻る道を見つける手助けも得られるかどうか尋ねました。
 ちょうどその時、1台の車が私のすぐ横に止まりました。女性が窓を開けると、「あなたをガソリンスタンドで見かけて(20分ほど前)、あまりにも疲れて打ちひしがれて見えたので、あなたを追いかけてきたのです!」と言いました。ああ何てこと! それから彼女は私にゆっくりと主要道路までついてくるように言って、10分間の運転の後、彼女がお別れの手を振ってくれて、私は幸せな感謝の気持ち一杯で両親の家に戻りました。
ドゥーニャ・ミュラー
ドイツ、レーゲンスブルク

生きる喜び!

編集長殿
 2004年9月に、オランダのケルクラードでのヨーロッパ研修会に向かう途中の、どんよりとした雨の朝、デュッセルドルフの中央鉄道駅で列車を待っていた時、突然二人の若いアフリカ人の女性が階段を上ってきて、その姿でどんよりとした雰囲気を一掃してしまいました。二人共が大変美しく、(外見には)アジア風なところがあり、姉妹のように見えました。年上の方はもの静かで控えめな女性で、長い黒いコートにエレガントなブーツ姿でした。若い方の人は、本当に息をのむほどの美しさで、おそらく18歳くらいで喜びとエネルギーに溢れていました。彼女は短いミニスカートとタイトなデニムジャケットを着ていましたが、彼女は全くスリムではなく、むしろ身の詰まった身体だったので、着こなすには自信の必要な服装でした。けれども彼女にはすべてがぴったりと似合っていました。彼女は子供のように笑いながら前後に動いて踊ったり、(笑みを浮かべる)姉の前で、飛んだり跳ねたりしていました。それにもかかわらず、彼女の振る舞いに厚かましいところは全くなく、陽気で楽しいもので、それより前にはほぼ無関心そうにしていた他の人々が、微笑み始めたことに私は気づきました。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『姉』がマイトレーヤで、『妹』がイエス覚者であったことを確認した】

H.ディールクス
ドイツ

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

個人的訪問

編集長殿
 1982年にキリスト・マイトレーヤがご自身の『霊的体』に輝く白いローブをまとって私の家に現れられて、再び1987年にも、私がハンプシャーのホワイト・イーグル・ロッジを訪れた時、イエス・キリストが洋服を着た『肉体』を持ってその場におられました。
 1990年代後半に私がサイキック・ニュース誌を購入すると、そこに世界教師についての広告が出ていました。その広告を見たのは初めてのことで、その人は私に現れたのと同じ人物でした。その人についてのチラシを配ったのですが、地元で様々なトラブルになりました。トニー・ブレア首相にも世界教師について、また住宅、教育、保健や社会正義についても手紙を書きました。持久戦ですっかり神経が消耗してしまいましたが、世界教師がすべての人々のためのより良い世界に向けた使命を、間もなく開始されることを期待しています。世界教師と皆さんのご多幸をお祈りします。
リリアン・ラング
英国、チェシャー
【ベンジャミン・クレームの師は、『白いローブ姿の男性』がマイトレーヤで、『イエス・キリスト』がイエス覚者であったことを確認した】

船上の出会い

編集長殿
 2003年にフクファンホラント(オランダ)からハリッジ(英国)までのフェリーに乗っていて、自分と友人たちの席を探していました。大変混み合っていたので、明らかに一人旅をしている若い男性との相席になるテーブル席しかありませんでした。私は彼に相席で構わないかどうか尋ねてから、腰を下ろしました。
 私はその若い男性から目を離すことができませんでした。私には同じ年頃の息子がいますが、彼と以前に会ったことがあるかどうかを考え続けていて、船旅の間中ずっと、彼の姿を探している自分がいたのです。彼は多くの様々な人たちに話しかけていて、私たちがデッキから降りて車へ向かっていた時、私は彼の方を再び見て微笑むと、彼が微笑み返してくれて、その様子は私が自分の子供たち(私は里親です)に対してするような、ただ子供たちを気にかけて、大切に思っていることを知らせる仕草で、肩をすくめてにっこりとするというやり方でした。
 私は実際にはそのことについてあまり考えていませんでしたが、出会って目が離せなかった、その男性のことを娘に話していたら、彼女が即座にそれは覚者のお一人かもしれないと言ったのです。大変恐縮ですが、娘が正しいのかどうか教えていただけますでしょうか。もしそうなら、彼はママが『可愛がる男の子』としての役割を大いに楽しまれたように思います。
パット・フォレスター
英国、コルチェスター
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】

知らないまま

編集長殿
 2019年にスピリチュアル・フェアでの1日の活動を終えて、ちょうど片付け始めたところに、一人の女性がやって来て、私たちのブースのポスターのうちの1枚の前に立ちました。彼女はマイトレーヤの出現に関係のある、徴や奇跡の写真を吟味しているようだったので、私が彼女に近づいて、何か特に目を引いたものがあるか尋ねました。彼女はすぐに、「徴を求める者は、それを見つけるであろう。しかし、わたしの顕れ方は、もっと単純である」という引用文を指差しました。彼女はそれを大きな声で読み上げて、「これはどういう意味ですか?」と尋ねてきました。私は気落ちしてしまいました。まさにその日の朝、もし聞かれたら、どう答えたら良いのか自問してきたもので、いまだに答えは出ていないことを、彼女に伝えました。
 彼女は少しイライラとした様子で、私たちのテーブルへ移動していき、資料に向かって腕を広げて、「あら、わかりません。わかりません。何もわかりません。顕れ? どういう意味ですか? 奇術や錯覚がどこにでもたくさんあります。わかりません。わかりません」と言いました。
 彼女の注意を引く方法を何とか見つけようとして、彼女が仏教徒か尋ねました(そのような格好をしていると思いました)。「いいえ! 違います」と彼女はきっぱりと答えました。それから彼女はさらに「顕れ。顕れ。わかりません」と繰り返して、テーブルの反対側に展示してあった『いのちの水を運ぶ者』の本をさっと手に取りました。それを開くと、「ほらここに! 見て! 顕れ!」と勝ち誇って叫びました。それから彼女はまるですべての答えでもあるかのように、メッセージ第83信の終わりの文章を読み上げましたが、その時には私は要点が全くつかめませんでした。彼女は他の箇所を読み上げた時も、彼女の言っていることが理解できませんでした。彼女の熱意と確信のある様子がかえって障害になっていたようでした。けれども彼女が本の他の部分を眺め始めた時、私が納得できる、マイトレーヤの顕れ方についての質問への答えが、突然頭に浮かんだのです! どうしてそうなったかはわかりませんが、『愛』という言葉がパラパラとめくられるページから、飛び出してきたように見えたのです。私はとてもホッとしました。
 それからその訪問者はブースの他の所を見回り始め、ポスターに書かれた様々な引用文を、私にも聞き取れず、まして一緒に読んだりできないほどの速さで読み上げていました。彼女の言う『わかりません』の合間に、読み上げたすべての文章は、まるで言葉が『顕れ』の何か素晴らしい点を、証明するかのような権威の同じ雰囲気を持っていました。けれども私には効果はありませんでした。
 このことで圧倒されるような混乱した気持ちになりました。まるで私が訪問者で、提示された幅広い分野の資料から、一つの単純なつながりを何とか見つけ出そうと苦労している人のようでした。
 その女性は私を連れて、少なくとも20分間はブースにいましたが、それは知らないということの旅をしていたかのようでした。状況が変わったのは、彼女が帰ろうとしていて、彼女が私たちは皆もっと笑うべきだと言った時でした。私たちは心から賛同し、「何よりも、私たちが自分たち自身を笑う(冷静な目で見るの意)必要がありますね」と言いました。彼女はそれに本当にとても賛成だと言い、いきなり爆笑して、お別れの手を振ってくれました。
匿名希望

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

増え続ける私たちへの祝福

編集長殿
 2019年12月8日の日曜日、オランダのグループは『全国の日』を開催し、少なくとも理論上は国中からグループメンバーが参加しました。アムステルダムのインフォメーションセンターを会場にして、ベンジャミン・クレーム氏との初期の研修会からのビデオ(オランダでの1988年の『グラマーの性質』についての年代物のビデオ)を見たり、『霊的エクササイズ』や祝福に参加したりする機会を提供しました。『エクササイズ』というのは「恐怖心の克服」についての研修会のビデオから私たちが抜き出した短い映像で、クレーム氏がグループに新しい時代の祈りを唱えることを指導し、自分たち自身に「私は誰か?」という問いを尋ねることを伝えている内容です。
 『エクササイズ』と私たち皆が体験した強力な祝福の直後に、立ち上がってセンターの正面のドア近くで照明を再び点けようと振り返えると、そこに彼が再びおりました──少なくとも7年間センターを訪問し続けている、(クレーム氏の師によって確認された)大変馴染みのあるイエス覚者の代弁者です。私たちは覚者方からのこの『贈り物』に感謝して、それももう一つの祝福のように感じていました。彼は最近11月4日にだけ現れていました(2020年1月号の「二人でも三人でも集まる所には……」の手紙を参照)。
 その日はグループワークへ輝かしい貢献をし、多くに愛され尊敬されていたメンバーへのお祝いとお別れの日でもあったので、私たちはとても幸福で、それでいてほろ苦いパーティーによって、その行事と一年を締めくくったのです。
グループメンバー
オランダ

励まし

編集長殿
 2019年11月18日の月曜日に、私は電話で、グループの将来について疑問を持っているメンバーと話し合いをしていました。私はこの話し合いにとてもショックを受けました。電話を切ってから長椅子に座っていた時、私の頭に圧倒されるようなエネルギーの波が来るのを感じました。それは30分以上続き、あまりに強烈だったので動くことができませんでした。
 その後、それは活動を続けていくようにという励ましであり、覚者方からの「我々はここにいる」という明確な合図であったとわかったのです。
匿名希望
フランス

バラの祝福

編集長殿
 2019年9月21日、ロンドンのフレンズハウスでのパトリシア・ピッチョンさんの講演で、メンバーが部屋に飾るために、マイトレーヤの色である美しく深いローズピンクのバラを持ってきました。彼女はその特別な色にこだわって探して、ついに花屋の角にあるのを見つけました。その日早くに彼女は和合への徴を祈っていたのです。
 パトリシアさんの講演は『生きた体験としてのマイトレーヤの教え』についてで、とりわけ神聖な愛に強調が置かれていて、マイトレーヤの出現を知らせるベンジャミン・クレーム氏の活動の初期の頃に、マイトレーヤを探した彼女の体験に聴衆はくぎ付けになりました。
 彼女の講演を聞いていた時、メンバーが演壇に置いた小さな花瓶の中のバラに私は魅了されて、まるで金色の光で輝いているように見えたのです。後になって別のメンバーがバラの周りに見えたオーラが、あまりにきれいだったと言っていたのが聞こえてきました。彼女は花瓶と花の周りにも内側にも、非常にはっきりとした輝く金色の光があったと表現していました。光があまりにも輝いていたので長く見つめることができなかったとも言っていました。私はすぐに私自身もそれを見ていたとわかりました。私たちが書き留めたメモを比べると、私たちは別々に同じものを目撃したとわかってワクワクしました。
 その日一日中が大盛況で、私たちは皆、マイトレーヤご自身がその存在によって祝福してくださったと感じていました。
アイディナ・ル・ゲイト
英国、ロンドン

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙には、最近起きた出会いについて述べられたものがあり、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

スペシャルな旅路

編集長殿
 数年前の2月に(手紙は2004年に書かれた)、私が伝導瞑想から帰宅していた時のことでした。家までは長い道のりで、最終列車に乗るのに間に合いました。伝導瞑想の後は大抵少しお腹が空くので、かじるための生の人参を買っていました。ロンドンの地下鉄駅構内はガランとしていて、ボリボリと噛む音の一つひとつが地下道の中で反響するように思えました。私がもう一本人参を取り出し、バックス・バニー(アニメのウサギのキャラクター)が食べるように大きな音を立ててかじっていた時、おしゃれでつややかな黒い男性用の靴が私の前へ歩いてくるのが見えたのです! その靴の人物がベンチの私の横に腰を下ろすと、辺り一面の波動のレベルが変わったのがわかりました。私は膝に広げたシェア・インターナショナル誌の、プッタパルティでのサイババの活動についての記事に集中しました。話し方の上品な英語の声が私の集中を中断させ、私がサイババの信奉者かどうか尋ねられたのは、私の読んでいたものがどうしても気になったためでしょう。顔を上げると、エレガントな装いの60歳くらいのアジア人の男性がいて、いぶかしげなアーモンド形の茶色の瞳に、グレーの短い髪に口ひげと短いあごひげの人でした。私が答える前に列車がごう音を立てて駅に入ってきました。彼も列車に乗るために立ち上がり、礼儀正しく私を車内までエスコートして、私との会話を続けたいと言いました。
 その紳士は私を席に案内してくれて、雑誌を指差しながら私がサイババの信奉者なのか尋ねてきました。私は首を横に振って、不朽の知恵の教えを模範としていることを伝えました。彼がそうした教えのことを聞いたことがないと言ったので、ブラヴァツキー夫人がそれを西洋世界にもたらし、神智学協会を設立して、こうした古代のインドの教えが西洋人にも伝わったという経緯について説明しました。彼はブラヴァツキー夫人やアリス・ベイリーのことは聞いたことがあり、ベンジャミン・クレーム氏についての話に興味を持っていました。彼はブラーマや真理について、私には聞き慣れない他のインドの教えの言葉について話してくれて、それから突然一瞬強烈な眼差しを向けてから、私が模範とする最も良い教えはクリシュナムルティの教えだと言いました。あまりにもすぐに私の降りる駅に到着してしまい、私は帰らなければなりませんでした。この魅力的な教師と別れるのが残念だったので、彼の手を握り、彼の配慮と親切にお礼を言いました。この教師はマイトレーヤでしたか。
スザンヌ・フィリップス
英国、ウェストサセックス州
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

歩く喜び

編集長殿
 2004年3月31日に、私が車で娘を学校に送っていた時、60歳くらいの男性が私の家のそばの丘を早足で下りていくのを見かけました。彼は七分丈の革のジャケットに、カラフルなスカーフと帽子を被っていました。私は心の中で、運動をしている男性にしては服装の選択が風変わりだと思いました。
 娘を学校で降ろしてから、私は職場に向かいましたが、学校から800mの所でした。駐車場に到着すると、同じ男性を再び見かけたので大変驚き、私は車で来て彼は歩いていたのに、私よりも先に駐車場にやって来るほど、どうやって早く歩くことできたのかと思いました。私が駐車すると、突然彼がそこにいて私と隣り合って歩いていたのです。普通はハローと言う以外に見知らぬ人に話しかけたりしませんが、どうしても彼と会話をしたくなっていました。
 私が「遠くから歩いて来られましたよね?」と言いました。
 彼は「私は毎日3km歩いています。歩くことは健康やガンの予防に良いのです」と答えました。
 私は彼がプラーナについて話をしていると思ったのですが、私たちのグループで前の晩に勉強していたことだったのです。私は「そうですね、歩くのはどんなことにも良いですね」と言いました。彼は私と一緒に、私の職場の公立図書館の建物の裏口のドアまで歩いてきました。私は「良い一日と良い散歩を」と言いました。すべては全く普通に思えていたのは、私が図書館に足を踏み入れるまでのことでした。思いやりや愛、喜びのすさまじいエネルギーが私に注がれるのを感じたのです。突然目に涙が浮かび、その一瞬で彼が主マイトレーヤだとわかりました。
 この出会いが真にマイトレーヤとのものであったかどうか確認していただけますか。
レイ・ギマレンイス
米国、ウィスコンシン州バラブー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

二人でも三人でも集まる所には……

編集長殿
 2019年11月3日にメンバーの一人がアムステルダムのインフォメーションセンターで講演を行い、かなりたくさんのメンバーたちが参加して、興味深く鼓舞される話し合いに発展しました。翌日、6人のメンバーがセンターにいた時、前の月の10月13日の講演の時だけでなく、参加していた人々が講演の間中、強力なエネルギーを感じていたという話になっていき、世界中でメンバーによる講演の際にしばしば起こっていることなのです。
 私たちはそのエネルギーに対して注意深く敏感であることが、いかに大切かについて、そしてグループのメンバーたちがこのような、あるいは他の類似のイベントにおいて、エネルギー伝導に活用され得ることについて話し合いました。私たちはシェア・インターナショナル誌の11月号に掲載されたばかりの(「覚者方と働く、いつでもどこでも」という題の)手紙を読みました。会話が始まった瞬間から、エネルギーが流れ始め、話が続いていく間にさらに強くなったように思えました。私たちはこの『ストーリー』、つまりマイトレーヤと覚者方の存在とその出現についての素晴らしいことを語り合い、それは現実で、真実であり、出来事や体験、エネルギーが日々それを証明しているのです。私たちがちょうど聖書の、「二人でも三人でもわたしの名において集まる所には……」という言葉を思い起こした時、突然正面のドアに(ベンジャミン・クレームの師によって何年にもわたって何度も確認された)イエス覚者の若い代弁者がいたのです。数カ月間、彼を見かけていませんでした。彼は入ってはきませんでしたが、自転車に乗ったままドアのポスターを読み、それから満面の笑みを浮かべ、大きな身振りで手を振り(私たちも手を振り返しました)、いつもの親指を立てる仕草をしてくれました。彼は来た時と同じように突然帰っていきました。
 彼の登場は、覚者方が全知であること、グループを良く知っていること、私たち皆を援助し、導き、鼓舞していることを、再び私たちに確認させてくれました。この体験は間違いなく彼らの存在と、私たちが有用になることのできるやり方に、目覚めて整列していて機敏であることの必要性を確かなものとしてくれました。
メンバー 一同
オランダ、シェア・オランダ・
インフォメーションセンター

若い男性がマイトレーヤを探す

ヤネス・フェルヤンチク

 これは1996年6月の出来事である。その当時、私は数年前から再臨のアイディアに親しんではいたが、スロベニアには活動中のグループがなかったため、活発に活動をしていなかった。1日に長時間の個人瞑想をしていた時期であり、私は若く元気で、おそらく少し繊細で、自分が望むような場所や時期にマイトレーヤを見つけることができると思っていた。
 今振り返ってみると、マイトレーヤを探すことは、若い男性が太陽の下で居場所を見つけるような試みであったと思う。証拠や兆しを求める人は依然として存在し、この体験談は彼らのためのものである。マイトレーヤとベンジャミン・クレーム氏の真我に関する教えが広く理解されるようになれば、兆しは必要ではなくなるだろう。

1996年の夏、私はロンドンに1週間の「波動の調査」の旅行に行くことを決めた。それは私にとって初めてのロンドンへの旅行であり、私はすぐにイスラム教地区でマイトレーヤの『探索』を開始した。私は毎日、ロンドンの様々なモスクで、イスラム教徒と共に祈りに参加した。私はイスラム教徒の偽りのない献身に本当に感銘を受けるようになった。そのような種類の献身を見ることができたのは、これまでキリスト教の修道院や仏教の僧院だけであった。私はあらゆる種類の人々と出会った。ソーシャル・ワーカーからイマーム、スーフィーからサウジアラビアのシークなど、すべての種類のイスラム教徒と終わりのない宗教的な議論にふけった。私は彼らの祈りに参加し、彼らは私の献身に感心してくれた。彼らは、私がイスラム教徒になろうとしており、スロベニアでイスラム教を広め、当時戦争で苦しんでいたボスニアのイスラム教徒を援助するだろうと考えていた。次に私にとっての問題が始まり、私は困惑したのである! 私にとって、すべてが嘘であった。なぜなら、探している人物を彼らが知っているかどうかをどのように尋ねればよいか、私には本当に分からなかったからである。
 マイトレーヤがホワイトチャペル・モスクに定期的に来ていたと聞いていたため、私は東ロンドンのホワイトチャペル地域を散々にさまよい歩いた。私は毎日のようにそこに行き、夕方には当てもなくうろついた。最初の瞬間から、私はモスクのエネルギーに強い印象を受けた。それはちょうど、教会でたまに経験するキリストの波動のようであった。私は後方に立ち、祈りに参加する数十人の人々を毎日注意深く観察していたが、探していた物や人を全く感じることができずに、日々がただ過ぎていくだけだった。
 そして、イスラム教徒にとって聖なる日である金曜日がやってきた。午後1時ごろの大きな祈りでは、モスクは満員で身動きもできないほどであった。500人以上の人々が挨拶や会話をしていたに違いない。その場は、活気があり、興奮した雰囲気であった。祈りのために整列する時間になると、すべての人が、祈りを始めるのではなく、急に静まり返った。まさにその時、群衆の前で、いつもはイマームが祈りを主導する場所に、一人の男性が立っていることに気づいた。彼は190cm程の背丈で、とても痩せており、髭を生やしており、白いアラブ風の被り物を被っていた。彼は深い黄色の長いチュニックを着ていた。人が多く、彼からは実際に何も直接感じることはできなかったが、沈黙は奥深く、彼は深く尊敬されているようであった。彼は静かに話し、ある種の優しい権威により、彼の言葉は音楽のように感じられた。問題は、彼が私の理解できない言語で話していたことであった。男性の青白い顔をはっきりと見るには遠過ぎたが、男性は間違いなく候補者となった!ミーティングが終わった後で、私は彼を入り口で待ち、絶対に彼にインタビューをすると心に決めた。
 男性が10分ほど話をした後で、祈りが始まり、それは10分から15分続いた。祈りが終わり、私が彼にインタビューしようとし始めたとき、私は、以前に会ったことのある何人かのサウジアラビアの若いシークから話しかけられ、私の背景、政治的な状況、ボスニアの戦争など、あらゆる質問が始まった。私は彼らを連れてロビーに行き、男性をそこで待つことに決めた。15分間話をしながら、私は常にドアを見ていた。ようやく彼らが立ち去り、私がメイン・ホールに戻ってみると、そこは半分ほどの人出になっていた。そして私は本当にうろたえてしまった。男性はすでに見当たらず、ホールの反対側には別のドアがあった。私は急いで裏の道路に出たが、彼はどこにもいなかった。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、講演者はマイトレーヤであったことを確認した】

王の帰還
ロンドンに来て前半の時期は、私はいかなるイスラム教徒にもマイトレーヤを知っているかどうかを直接尋ねることはしなかった。私はそれが全くの冒涜ぼうとくとなることを知っていたからである。私はパキスタンから来た教師について尋ねるだけであった。その人物は非常に良い教師で、非常に霊的であると聞いている、などである。後に出発が迫ってくると、私はより大胆になり、ベンジャミン・クレーム氏の著書、『マイトレーヤの使命第Ⅱ巻』から1988年のナイロビでのマイトレーヤの奇跡的な出現の写真を何枚かコピーし、この人物と会ったことがあるかを人々に直接尋ねることを始めた。会ったことのある人は、誰もいなかった。数日間、私はこれをモスクや路上で普通の人々に対して行い、イマームやイスラムショップの店員など、可能だと思われるあらゆる人に聞いて回った。
 私にはリビア出身のハッサンという良い同伴者がいて、私の言葉を通訳してくれた。例えば、パキスタンからロンドンに到着したばかりの宗教教師で、英語はあまり話しません、などである。ハッサンは毎日のように私に同行し、私がイスラム教徒になるだろうという希望の下に、イスラム教を私に説明してくれた。私が彼に写真の男性が誰であるかを説明すると、彼は面白がった。ハウンズローのモスクのイマームも同様であり、彼に写真を見せたとき、彼は何も言わなかったが、彼の目が弾けたように笑っているのが分かった。私はすべての希望を失ったようであった。
 そして、旅行の終わりが近いある日、マイトレーヤが一時期拠点としていたホワイトチャペル地域のブリックレーンをぶらついていたとき、以前に素敵な店員と出会った小さなアラブ・ショップを再訪した。私はお香と香水を幾つか購入し、彼にナイロビの写真を見せた。驚いたことに、彼はその男性を即座に認識したのである!私は自分の幸運を信じられなかった。彼は確かなのだろうか。彼は男性と会ったことがあると主張した。それはいつなのか。数年前である。どこでなのか。エジプトの女性、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会の会場でのミーティングに彼が参加した場所、道路を数本隔てたところで。ザイナブ氏はイスラム国家を設立しようとした団体の一員であったという理由で1960年代にエジプトで投獄されていた女性である。彼女はある種の政治的、宗教的な反逆者であった。彼女は酷い扱いを受け、拷問され、ナセル政権の下で終身刑の宣告を受けたが、その後サダト政権になってから、1971年に予想外に刑務所から釈放された。彼女は後に活動を継続し、講演活動を行い、1990年代の初頭に講演でロンドンを訪れた。店員は、私が見せた写真の男性とそのときに出会ったのである。その男性はメインの講演の前に15分間話をしたが、男性が何を話していたか、彼は何も覚えていなかった。私は彼に再度、それは確かなのかを尋ねると、彼は再度、講演会で会った人物とナイロビの写真の人物は同一であると断言した。私はさらに驚いた。
 ここでついに、私は求めていた物質的な証拠を見つけたのである。次に彼は、店にあったザイナブ・アルガザリ氏の著書を見せてくれた。彼女はその本の中で、エジプトの地下牢での「苦難」と、人並みの精神生活を送る権利のための闘いについて書いている。私は店員に敬意を払いその本を購入したが、未だに全く読んでいない。私が読んだのはタイトルだけであり、それは私の心を即座に貫いた。その本は『王の帰還(The Return of the Pharaoh)』というタイトルである。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会にいた男性は、まさにマイトレーヤであったことを確認した】


編注:1980年代、独立系ジャーナリスト、パトリシア・ピッチョン氏は、彼女の著書『マイトレーヤを探して』(アルテ、2007年)に書かれているように、他のジャーナリストに接触し、マイトレーヤを『探索する』活動を調整した。マイトレーヤが一般大衆の前に出現できるようにするためには、メディアが人類の代表としてマイトレーヤの『探索』に十分なエネルギーを費やし、人類の自由意志が侵されないようにすることが必要である。マイトレーヤを『探索』したり、指し示したり、『つくり出し』たりすることは、ベンジャミン・クレームと共に活動する人々や、このグループに近しい人々の課題であったことは一度もない。しかしながら、1996年に起こったこの個人的な物語は、マイトレーヤは実際には遍在ではあるが、ロンドンの特定の地域におけるマイトレーヤの消息を伝えている。


編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

聖母の涙の癒し
編集長殿
 私の友人であるオーストラリアのアントニオ・パレナ氏が、数カ月前ベンジャミン・クレーム美術館に電話をかけてきて、これまでやってきた話し合いを続けるためでしたが、話の流れで私が最近広範囲の頸部手術を受けて、回復が難しく苦しんでいることを話しました。彼から涙を流す聖母像が存在していて、そこから涙を集めているという話をしてきて、ベンジャミン・クレーム氏から涙をホメオパシー薬局に持ち込んで、治療薬を作ることを勧められたということでした。アントニオがその錠剤を私が受け取れるようにしてくれたので、5週間前くらいから飲み始めました(手紙は2019年10月に書かれた)。首の手術の他にも、腰から仙骨にかけての重度の神経圧迫によって、脚に深刻な症状が現れてきていました。この脚の症状のせいで、もう8カ月間もほとんど眠れなくなっていました。治療薬を取り始めると、ハムストリング(もも裏側の腱)、ふくらはぎ、足、つま先の症状が一夜にして消えたのです。さらに以前の手術で飲んでいた薬のとても厄介な副作用で、生活が大変困難でしたが、それも無くなりました。こうした症状が両方とも一夜にして治ってしまい、文字通りたった一夜のうちのことで、症状が戻ったりもしませんでした。私はプラシーボ効果を起こしがちなタイプとは思えませんし、特に症状の一つが無意識の状態から発生していたこともあり、正直に言ってこれまで聖母とは何の関わりもありませんでした。子供時代の信仰でも重要視しておらず、シェア・インターナショナル誌の聖母の奇跡の写真でさえも、私にはほとんど興味のないことでした。イエスが子供時代の中心で、そのことで聖母であった覚者への関心を無くしていました。今考えてみると、それは本当に覚者方と不朽の知恵の教えに対する理にかなった反応ではありませんでした。手術からの首の回復はいまだにありませんが、そのことにも望みは高く持っています。そして解決困難な健康上の問題に苦しんでいる読者の方たちは、この治療薬を試してみたいのではないかと思いました(治療薬はwww.simillimum.co.nzで『泣く聖母の涙〈weeping Madonna tears〉』で注文できます)。
スコット・チャンピオン
米国、カリフォルニア州パームスプリングス35

相乗効果
編集長殿
 2019年11月9日の、ジョージア州アトランタのビーガン・フェスでの、シェア・インターナショナルのブースに、「ロン」という名の男性が訪れました。彼は40代中頃に見えて、メディア用のパスに「ロン・G何とか」と書かれた名札を首からかけていました(彼の名字が見えませんでしたが、ちらっと見えた感じでは、名字はフィリピーノだと思いました)。彼から「これ一体何のことですか?」、「どうして関わることになったのですか?」と尋ねられました。その時からこの情報を彼と分かち合い始めました。
 私たちが伝導瞑想について話すと、彼はノースカロライナ州のシャーロットから来たと言いました。アトランタのグループメンバーのアン・ドハティが返事をして、今はシャーロットにグループがないけれども、他のメンバーたちがそこで展示や講演を行っていて、伝導瞑想がそのうちできることを期待していると言いました。私はロンに何をしているのか尋ねると、彼はエネルギーと相乗効果についてのプログラムを組み立てていると言い、「プログラム開発者」だと名乗りました。彼はそういったプログラムをMIT(マサチューセッツ工科大学)やスタンフォード大学で教えていると言いました。私が彼に研究者たちのみに教えているのか、それとも一般の人たちなのか尋ねると、「両方です。最初にエネルギーを教えるのは、彼らが一体性と相乗効果について理解する前に、エネルギーについて知らなければならないからです。私たちの相互関連性について考えることをせずに、エネルギーについて教えることはできません。この頃人々はあまりに離ればなれです。彼らはエネルギーについて理解しなければなりません。私たちは一体性について話をしています」。
 ロンはさらにプログラムのためにたくさん旅行をして情報を集めていて、行った先の様々な町でブースを訪問していると言いました。彼は「シェア(分かち合い)は知っています。もっとたくさんのシェア(分かち合い)のブースがあります」と言いました。彼によるといつもそうしたブースで同じ質問をするそうで、「それは何についてですか?」と尋ねて彼らの話に耳を傾けるのです。時折、話の中でそれとは異なった「獲得」について語る人もいます。彼は集めた情報をプログラムに利用していると言っていました。
 その時には私たちはロンとの会話にかなり没頭していました。彼は20分ほどブースにいてから、私たちのメッセージをどのように提示するかについての、ヒントを私たちに教えてくれたのです。私たちのテーブルの背後の、「世界資源を分かち合うとき、世界に正義がもたらされる。国々の間に信頼があれば、平和へとつながるだろう」と書かれた旗を、彼が見上げました。「もし私が情報を伝えるなら、『あなたが正義や平等、平和を信じるなら、私たちに加わるように勧めます。私たちは共にもっとずっと多くのことができます。これが相乗効果です!』と言いますね」。会話のこの部分で、彼は「正義」を強調したように思えて、このメッセージをそのように伝えるという提案を二度繰り返してくれました。さらに続けてロンは、「ツナミがやって来ますよ!ツナミのような波が次々にね!」と言っていました。私たちは彼の提案にお礼を言って、私はメッセージを提示する異なったやり方を教えてくれたと彼に伝えました。私たちは彼に再び名前を尋ねると、彼は「ロニー・ツナミ!」と答えました。
 後になって私たちは様々な人たちとのあらゆる素晴らしい交流のあった、ビーガン・フェスでの一日について話をしましたが、ロニー・ツナミは私たちの展示に、正義や平和、平等への強調という、異なった観点を提案することでイベントの展開を暗示していたと皆で確信しました。あるメンバーが「ロニー・ツナミは特別な方だと思う?」と聞いてきました。答えは「もちろん!」
クリスタ・ペレス
米国、ジョージア州アトランタ

クリスマスの精神
編集長殿
 昨年の2018年、私は夫と共に地元の郊外にある劇団による、チャールズ・ディケンズ作のクリスマス・キャロルの製作に参加しました。そのお芝居は当時の貧困の大変に胸の痛むような様子を描いていました。私は静かに泣き始め、マイトレーヤに「どうか急いでください、堕落に苦しむ皆のために、どんどんひどい状況になっています」と無言の訴えをしたのです。
 何とか最後までやりおおせて、劇場から出ていくと、素晴らしい出演者たちがホワイエでホームレスのために募金を行っていました。私は到底十分ではないと思いながらも、20ポンド(約2,800円)を箱に入れました。私たちは少し食料品が必要だったので、地元の食品店に行きました。レジの所で陽気なレジ係が私たちの最後の商品を精算していた時、30代の男性が突然現れて、1本のパンと赤ワイン1瓶をバサッとカウンターに投げ出しながら、自分のカードを機械に押し当てたのです。私は少しイラッとして、私たちはまだ終わっていないと彼に言いました。彼は「ああ、そうね、僕は急ぐから」と答えました。彼はお酒を飲んでいるのではないかと思いながら、レジ係に彼の精算をするように合図しました(その時は私たちが自分たちの買い物の精算をやり直さなければならないだろうと思っていました)。その男性はさっさと歩き出しました。夫が買い物を袋から出し始めると、レジ係からその男性が私たちの買い物の支払いをしたと言われました。私は彼を呼び止めて、「待って、あなたに支払いがあります」と言いました。彼は振り向くと手を振って、「メリークリスマス!」と大声で言って、さっと外へ出ていきました。かなりあ然として、私たち3人はお互いに顔を見合わせました。素敵なレジ係がクスクス笑いながら、「クリスマスには不思議なことが起きるものです」と言いました。
私たちの買い物はちょうど20ポンドと少しでした。
H.S.
英国、オックスフォード