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なぜ「通常」に戻ることが最悪の事態を招くことになるのか

フェリシティ・エリオット

 1942年にジュワル・クール(DK)覚者は、二つの世界大戦の後で、各国が復興に向けて動き出したときに、人々が警戒すべきある種の危険性について警告し書かれています。それは今日にも当てはまることですが、「いわゆる『通常』の状態に戻ってしまうという大きな危険性である。今、人類が直面している際立った危険は、戦争が始まる以前の状態に戻ることであり、帝国主義(帝国であれ金融であれ)、苦境に立たされ搾取されている少数民族を抱えた民族主義、また富裕層と貧困層の間、東洋人と西洋人の間、あらゆる国に例外なく存在するカーストと階級の間の卑劣な差別と分離の障壁を持つ、古い馴染みのある世界への復活である」。

(『ハイアラキーの出現』)

 仮説として、第一次・第二次世界大戦の原因や状況とその影響、2020年・2021年の最近の状況、そして呼吸器系の病気の出現を、現在とアトランティス時代で比較して描いています。その忘れられた時代に、私たちはいくつかの貴重な教訓を学ぶ機会を与えられました。それは、「原因と結果の法則」、つまり、良くも悪くも変化をもたらす思考と感情の力という教訓です。

 最初の教訓は、その古代の時代に提示されましたが、私たちが学ぶことができなかったのは、人類の本質的な一体性(ワンネス)と社会的な相互依存の事実です。私たちが「一人に影響し得るものはすべての人に影響し得る」という単純な事実を知らないか、あるいは受け入れていないことを、メディアは日々裏づけています。一体性が私たちの基本的な実相である以上、この事実に反するものには、避けて通れない否定的な結果がつきまとうのです。

 それでも私たちは今、世界の歴史の中で重要な瞬間を迎えています。今の状況は、例えば10万年前や100年前と何が違うのかという疑問を生じさせます。何が今を極めて重要なものにし、世界を根本的に変えるような特別な機会を与えているのか。また、世界はこれまでに同じような状況に直面したことがあったのでしょうか。間違いなく、現在の状況の複雑さは尋常ではありません。私たちが直面しているのは、新型コロナウイルスという一つの災害だけではなく、緊急に同時に対処しなければならない複数の災害です。新型コロナウイルスによって亀裂が生じ、世界の主要なシステム(医療、経済、環境、政治、社会)が崩壊しつつあることが明らかになりました。このような状況は、ちょうど100年前に似たような状況があったことを除けば、ほとんど例のないことです。1918年、戦後の世界は疲弊し、心理的なショックを受けていましたが、突然、さらに致命的な敵、パンデミック(大流行)であるスペイン風邪と戦うことになりました。ワクチンのない、インフルエンザウイルスによる呼吸器疾患です。「世界人口の3分の1にあたる約5億人がこのウイルスに感染したと推定されています」死亡者数は全世界で少なくとも5,000万人、米国では約67万5,000人と推定されています。(cdc.gov)

 アトランティス文明の主要な出来事、20世紀の災害、そして現代を比較検討することができます。水がアトランティスを覆ったとき、知恵の覚者方が日常生活から撤退したことに読者は気づかれるかもしれません。そして10万年後の今、「光の勢力」である彼らが再び日常生活に戻ってきています。

 これらの時代に共通しているのは、致命的な呼吸器系疾患の蔓延、貪欲さと分離意識の高まりと優勢です。その分離主義が深刻な紛争や戦争を引き起こし、アトランティスの場合、文明の終焉をもたらしました。

 私はこの現代文明の終わりを指摘しているのではなく、私たちが「通常」だと思っている思考の錯覚、つまり外側に見えているものを抜本的に見直し、変革するかつてない最善の機会だと考えています。過去の経験から考えても、現在の幾つもの危機の重なりを通して、過ちから学び、「通常」を永遠に捨て去ることができるのではないでしょうか。早く通常に戻りたいと思っている人たちは、実際に「通常」を直視したことがあるのでしょうか。「通常」とは、社会的不公正、飢餓、貧困、戦争、汚職(腐敗)、無慈悲、生態系の破壊を継続させることです。それが私たちの望むことなのでしょうか?

はるか昔

 当時の覚者たちが警告したにもかかわらず、私たちは歴史を通じて繰り返し「度を超して」きました。古代の神話や伝説、聖典には、あまりにも遠い昔にさかのぼるため、気味の悪いおとぎ話として片付けられる出来事に満ちています。しかし、実際には、それらはアトランティス文明の滅亡に至った歴史的な出来事を描いています。世界を一変させるようなこの大異変は、貪欲のカルマ的な結果であり、また、導きを聞き入れようとしない、あるいは聞き入れられなかったことによるカルマ的な結果でした。

 様々な情報源、例えばDK覚者、ヘレナ・ブラヴァツキー、ベンジャミン・クレームは、アトランティス文明の時代に、肉体的な欲求に対する自然で単純な本能的反応がいかにしてゆがめられ、対象や所有物、物質的な満足を求める過度の欲求へと至ったかについて書いています。自然な肉体的本能が異なったレベル──思考の始まりと共に感情・アストラルのレベル── へ「溢れ出す」ようになったのです。貪欲と盗みがはびこるようになり、物質的なものを重視することで、「自分を豊かにし、他人にどんな犠牲を払わせてでも欲しいものを手に入れようとする人々」は、魔法や「不道徳」な行為をするようになりました。(アリス・A・ベイリー『秘教治療』)

 人類を人類自身から救うために、また、それ以上深い物質主義の奴隷とならないように、「光の勢力」である覚者方は、「物質性もしくは混沌の勢力」との戦いに突入しました。アトランティスは、人々の貪欲の重さで沈み、カルマの波に飲み込まれましたが、それは、強欲による直接的な当然の結果を非常に生々しく見せられる前のことでした。

 その時に明らかになるべきであったことは、分離主義と物質主義という原因とその結果の間には、直接的なつながりがあるということでした。「人々は、極度の贅沢と、非常に多くの物質的な所有物や財産を手に入れることに熱中した。彼らは欲望によって窒息させられ、決して死ぬことなく生き続けて望むものすべてのものをもっともっと手に入れたいという夢に悩まされていた」。(アリス・A・ベイリー『秘教治療』)   DK覚者は、当時蔓延していた状況をさらに次のように描写しています。「あるのは見境いのない無情で強欲な欲望だけであった」と。そのため、当時の覚者方は新たな法を定めました。「物質的な財産のためだけに生き、永続できないものを得るためにすべての美徳を犠牲にする者は、生きながら死に、呼吸によって自分が蝕まれていくことに気づくが、呼び出しが来るまで死について考えるのを拒絶するであろう」

 余談ですが、次のような奇妙な事実を指摘したいと思います。私たちは現在、アトランティス末期と第一次世界大戦直後と現代を結びつける、繰り返し起こる強力なテーマ── 息そのもの、すべてのいのちの基盤──に付きまとわれ、息をしようと必死にあがいています。2020年の初め以降、ウイルスが広まったため、世界は空気を求めて喘いでいます。ジョージ・フロイドは息ができず死亡したため、「息ができない」という怒りの叫びが新たな意味を持ちました。インドやブラジルなどの国では酸素が欠乏し、ぞっとするような結果を招きました。最近のパレスチナ人による抗議活動のプラカードには、「I can’t breathe since 1948!(1948年以降、息ができない!)」と書かれていました。この日付けはパレスチナとイスラエルにおける分離と不正義の始まりを示しており、世界は未だにこうした状況に束縛されています。

 当時も今も、心理的な状態が、肯定的にも否定的にも、身体的な影響をもたらすことが明らかになっています。また、人々が認識したもう一つのことは、人の思考、感情、行動、健康、死の間には、はっきりとした、辿っていくことのできるつながりがあるということです。こうした認識に至る前、アトランティス時代の人類はただ単に、すべてのものが死ぬことを理解していたので、死を自然な過程として受け入れていました。言葉での指示に反応できない当時の一般大衆に因果関係をどう伝えたらよいのか。DK覚者は、「特に略奪的で強欲な人間が、自分自身の中から生じるように思える悲惨な病気に苦しみ始めたのを見たとき……そのとき初めて、個人の行動と死との間のメンタル的な関係が認識され…… 一つの大きな前進が人間の意識に起こった」と説明しています。

(アリス・ベイリー『秘教治療』)

原因

 この記事では、内的で、霊的で、「秘教的」で、心理的な原因と、主流の医学が検証可能でより明白な外因と見なすものとを区別しています。歴史は繰り返し教訓を与えてきました。何か意味があるに違いない追跡可能なパターンがあるのだと。ベンジャミン・クレームと彼の師である覚者は、大きな緊張──安楽でない状態(dis-ease)つまり病気をつくり出す不均衡──の影響について、たくさんの情報を提供してくれました。

 主要な原因は、自己知識が乏しいことと、全体の一部としての自分自身を体験することができないことにあります。神性を共有しているという性質を自分の本性として未だに知らないので、疎外され、空虚で、分離しているように感じ、そのためいつも満足できず、ややもすると貪欲になってしまう。さらに、そうした落ち着きのない空虚さのせいで、手軽に満足できる簡単な解決法を取ってしまいがちです。また、そうした空虚さのせいで、私たちは簡単に、商業主義を通して現されるあの邪悪なエネルギーの餌食になってしまうのです。アトランティス人が感染した退化や物質主義の同じエネルギーは、光の勢力によってほんの少し打ち負かされましたが、追い払われたわけではありません。

 アトランティスの破壊にもかかわらず、利己主義へと向かう同じ傾向と、物質主義への過度の強調は生き続けています。それは、もう一つの時代、ローマ帝国の時代の終わりにかけて再び表面に現れました。ネロ皇帝の治世を際立たせた退廃は、アトランティスの邪悪さへの回帰であり、同じ破壊的なエネルギーへの扉を開けたと、DK覚者は記しています。

 不朽の知恵の教えでは、第一次と第二次世界大戦は、一方の「光の勢力」と他方の「混沌もしくは物質性の勢力」とによって戦われた一つの戦争でした。物質性の勢力の狙いは昔も今も、人類の進化を引き止め、人類が物質性に捕らえられ、競争や貪欲、紛争、商業主義という習慣によって事実上、牢獄に閉じ込められたままにしておくことです。物質性のエネルギーは、覚者方の助力を得て連合軍によって打ち負かされたように見えましたが、そうではありませんでした。歴史は繰り返します。つまり、光の勢力は優勢でしたが、完全ではありませんでした。「この戦争は、物質性の勢力の破壊ではなく、敗北に終わりました」(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌、1994年12月号)

 大祈願の中では、「悪の棲処の扉」を封じられるように、「愛と光の大計画を成させ給え」と呼びかけています(第二次世界大戦直後、世界教師マイトレーヤが世界に与えられた。彼が1945年6月に世界への「帰還」を決意された際、初めて使われた)。

 注意すべきは、分離主義から生じる物質性や貪欲へと向かう傾向は、ただ一つの国や諸国のグループに限られるのではなく、地球上のすべての国に存在し表現されているということです。

 これまでに、アトランティスの大惨事があり、数え切れない戦争や危機的状況を経験し、加えて感染力の強い病気(この20~30年間においても、SARS〔重症急性呼吸器症候群〕、MERS〔中東呼吸器症候群〕、AIDS〔後天性免疫不全症候群〕、NIPAH〔ニパウイルス感染症〕、エボラ出血熱などが発生)の急速な蔓延に見舞われたにもかかわらず、多くの政府や国民はひたすら「通常」が前進の道だと主張し続けます。それは、さらなる混沌と物質性(物質主義にはまり込む)への隷属へと逆戻りする道であるのは明らかです。

 「他方、人類の一部は日ごとに彼らの飢えた貪欲な心(マインド)を驚嘆させるあぶく銭を楽しみながら、(現実に気づくことなく)満足しながら先へ先へと進む。彼らは、自分たちの危うい成功以外に対しては盲目であり、世の中の緊張を感知せず、警告の鐘が鳴り響くのも聞こえない。投機という病気が彼らを奴隷にしており、古代ローマの行き過ぎた行為を思い起こさせる。

 これらの異なった矛盾する姿勢を見守るハイアラキーは、でき得る限りの方法で助けようとしている。人間の自由意志のみが直接介入を阻むものだが、『法』は法であり、それは決して侵してはならない。にもかかわらず、人類が決して目にすることのないところで、多くの援助の手が差し伸べられている。」(覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記、人類のための新しい時代、2001年4月号)

 「私たちが生きている奇妙な時代」──このようなよく耳にする言い回しが2020年を表すのによく使われました。2021年になっても、この言葉は日常の雑談の一部となっています。私たちはこの時代の状況と何の関係もないかのようにこれを口にします──まるで、私たちの苦境が自分たちと全く何の関係もないかのように。私たちの状況をいったい他の誰がつくっていると言うのでしょうか?

 一般に知られていないのは、私たちの惑星とそこに存在するすべての生命のための青写真が存在するという重大な事実です。この表明は、私たちの惑星が意識的な存在であり、どういうわけだか、この大意識が「責任を負って」おり、認識しているということです。自然界では、これは形態の進化を意味しますが、人類にとっては、私たちが知る知らないにかかわらず、意識の進化が目標です。マイトレーヤと覚者方はその大計画の管理者であり、すべての生命形態の意識を拡大することに、人類の場合には、リアリティ(実在)についての、つまり私たちがその不可欠な一部である「神聖なる存在」の本質についての認識を高めるよう刺激することに尽力しておられます。私たちが現在の危機における自分の役割に気づき始めた今、個人や共同体の意志を、でき得る限りその青写真に沿わせる方法を探し始めるのが賢明でしょう。あるいは、覚者方はそれを私たちに示されるかもしれません。

市場のフォース

 マイトレーヤは1989年に次のように警告されました。「軍隊を戦場に送り込み、空を爆撃機で埋めるエネルギーのスイッチが切られた。しかし、そのエネルギーは世界を彷徨っており、突然、新しい子宮を見つけた──市場のフォース(エネルギー)によってつくられた商業主義である。超大国の新しい信条は経済であり、それは商業主義の魂である。これが世界に深刻な新しい脅威を呈しており、人間の生命をも危うくし得る。商業主義の特質は貪欲であり、それはすべての国に影響を及ぼすだろう。戦場から巻き戻されたこの否定的(破壊的)エネルギーは、目も心(マインド)も持たないフォース(勢力)であり、非常に敵意に満ちた風潮を世界につくるだろう。政治家は商業主義が人類の未来だと信じるが、彼らはこのエネルギーをコントロールすることができない」(マイトレーヤ教え、いのちの法則)〔文中のゴシック体は著者による〕

 別の惑星から来た人は、現代をどのように描写するのでしょうか。鍵となる特徴は、自分の本質とのつながりを欠くことから生じる分離感に基づく利己主義であり、また私たちを物質性への依存症に陥らせる、貪欲や競争、自己満足です。私たちは社会正義に対して敏感にならないように教え込まれます。こうした病んだ状況に権力への渇望が加わり、その結果、今日の人類の大部分は商業主義と消費主義に隷従しています──これは物質性の勢力によって刺激され助長された、麻痺した存在状態です。2020年、2021年のパンデミックによって浮き彫りになったのは、経済システムの不公正です。超富裕層が極度の金持ちになる一方で、生計を立てる手段を失い、子供を養うのに苦闘する人々がいる──これは最も豊かな国々のことです。

 DK覚者による『人類の問題』は、1944年10月から1946年12月にかけて書かれ、戦時中と戦争直後の問題を扱っていますが、覚者が書かれた多くの文章と同様に、それ以降のいつの時代にも当てはまる内容です。「私たちの現在の文明は、極めて物質主義的なものとして歴史に残るだろう」。戦後に増大した物質主義は、歴史上他のどの時代よりも遥かに広くはびこっており、多くの世界の人々を巻き込んでいると説明しています。「私たちの生活水準は、所有の観点から見れば、あまりにも高すぎるが、霊的な価値観の観点から見れば、あまりにも低すぎる……。人類は利己主義が習慣になっており、物質的所有物への愛着を受け継いできている。これが私たちの現代文明を生み出してきたが、そのため、それは変革されているのである」(『人類の問題』)

原因とその影響

 原因は、基本的には私たち自身の間違った関係であり、その結果は外側に、物質世界へと現れます。この場合は特に、自然界に対する態度に関係しています。私たちは自分の内面の状態を環境に投影しています。その原因は、間違った考え方や狂った優先順位の結果です。例えば、私たちの経済的な信条は、いのちを維持するすべてのものを犠牲にしても、無限の成長を信じるよう促します。金融上の教義は、私たちの命と人類および惑星の未来を犠牲にして、短期的な解決策を信頼することを奨励します。そのため、手つかずのまま残っているものはほとんどありません。

 ウイルス学者は何年も前からパンデミックを予測し、各国政府に備えを促してきました。パンデミックが起こることを知らないことが、どうしてあり得たでしょうか。気候科学者、活動家、学校の子供たちは、地球の破壊を食い止めるために、二酸化炭素の排出量を削減する政策変更と行動を求めてきました。先住民や農村社会、森の住人たちは抗議し、自分たちの土地を守ろうとしてしばしば命を落としてきました(そして今も落とし続けています)。このリストは挙げればキリがありません。私たちは自然界を絶滅へと追いやり、自らを人獣共通感染症にさらされています。人獣共通感染症とは、野生動物では無害なウイルスが、人間に感染すると致命的なウイルスに変化する「スピルオーバー(漏出)」のメカニズムです。本誌の読者は、新型コロナウイルスの最初の兆候が現れる少し前の2019年12月に、シェア・インターナショナル誌がロニー・ツナミと名乗る男が11月に発した警告を記した手紙を掲載したことを覚えているかもしれません。彼は正義を強調し、相乗効果の重要性を語り、津波のような変動が次々と押し寄せてくることを警告していました。この人物は果たして、覚者のお一人の代弁者か、あるいはマイトレーヤご自身だったのでしょうか──高まりつつある健康とモラルの危機について警告するために。

 なぜ今、このような危機と機会があるのでしょうか。私たちはまたしても「度を超して」しまったからです。人間性への挑戦に適切に対応するための道徳的テストに合格できませんでした。飢餓、ホームレス、難民、拒絶され虐待される人々、環境破壊。そして今はパンデミックという挑戦です。パンデミックが鮮やかに示したのは、私たち全員が相互に依存し合っており、新しいあり方と新しい規範を必要としているということです。では、なぜ今なのか? 状況があまりにも悲惨で逼迫しているので、変化の機会をつかまなければならないからです。さもなければ、さらなる大きな災害に直面することになるでしょう。また、貪欲の物語が唯一の物語ではないからです。人類はその最良の瞬間には素晴らしいのです。愛情に溢れ、利他的で、善意に満ちていて、他者のために、より高い価値のために働き、自己犠牲を行うことができます。人々は変化に向けて準備ができており、社会的に公正な世界を切望しています。これこそが、光の勢力が今、現代世界にある理由の一つです。光の勢力を体現し、代表しているのは知恵の覚者方であり、光の勢力を率いているのはマイトレーヤです。光の勢力は、グローバル社会への彼らの出現を可能にする適切な状況を私たちがつくり出すのを待っておられるのです。

 幸いなことに、そして不幸なことでもありますが、私たちには自由意志があり、それが私たちの進化が見かけ上は氷河期のようにゆっくりとした速さで進んでいることを説明しています。この速度は、私たちの惰性的で怠惰な傾向と、平均的な進歩の段階によって、ある程度は説明することができます。それは、まさに、アトランティスでの戦争の終わりや、第一次および第二次世界大戦の終わりに完全には封じられなかった扉の背後にあるものから影響を受けやすい状態にあるからです。その邪悪なエネルギーは、商業至上主義や自己満足、恐怖、分裂、冷笑、混沌をその武器として獲得してきました。そのエネルギーの擁護者たちは、私たちを未来へと連れて行くことができる唯一の力は、民衆の集合的な力、つまり私たちの力であることを認識しています。

 民衆の力、より良い世界を求める一般大衆の要求は、物質性・混沌の勢力によって部分的に蝕まれ、一時的に歪曲されてきた、と私は思います。非常に広い範囲にわたって適用される民衆の力が世界の希望となることを、その勢力は知っています。教養ある大衆世論が解決策であり、変化への鍵です。それは、正しく情報を知り、科学的事実を備え、専門知識を活用し、また、地方行政や地域社会の活動、地域や国内や国際的な条約、請願やボイコット、ストライキなど、利用可能なあらゆる手段を用いるデモ行動が解決策であり、変化への鍵である、といったことを特徴とする世論です。しかしながら、事実への信頼は侵害されてきました。私たちの時代は狂気じみた概念を特徴としています。「フェイクニュース(虚偽報道)」が幅を利かせるところでは、現実そのものが却下され、真実はフェイクニュースとして拒絶され、非常識な概念が蔓延しています。このような大混乱の中で、陰謀論が花開きました。多くの人にとって、主流メディアは疑わしいということになります。抗議活動を組織するための素晴らしい道具となっているソーシャルメディアは、裏づけのない極端な意見で溢れかえっています。代表的なメディアは信頼性の高い報道を提供しますが、非商業的であるため、しばしば生き残りに四苦八苦していることが多いのです。世界は、明瞭な声を切望しています。

変革の担い手

 変化を起こす可能性のあるものは、何であり、誰なのか。パンデミックそのものです。それが、今私たちに人生の意味を再考させ、価値観を吟味して、新たな目標を設定するための時間を与えてくれたのです。自分たちとこの惑星を破壊せずにこれまでのやり方を続けることはできないという認識もついに生まれました。変化を求める人々の決意が高まり、一方、悪化する気候と極端な異常気象によるさらなる苦しみ、食糧生産への影響、さらなる飢餓、難民や行き場を失った流民、その結果としての紛争、崩壊する医療システム。内情に通じた人々は長いこと、金融・経済の崩壊を待っています。これらの要因のいずれか一つ、または複数の要因の組み合わせは、促進剤として作用し、永続的な変化をもたらし得ます。 

 「至るところにいる人々は変化を感じており、その呼びかけに彼らの声を添えている。また彼らは、行動することへの自分たちの力(パワー)を感じており、そして多くの者たちがそれを証明するために死ぬ。昔のようなやり方はほとんど終わっており、それらのフォース(エネルギー)は使い果たされたことを感じる。彼らは、他に、より良い生き方があることを感じており、明日を期待している。まさに古いやり方は廃れつつあり、人類種族を阻害している。車輪は回り、大ローマは再び崩壊しつつある。マイトレーヤの火は数え切れない何千万の人々の心(ハート)に灯され、彼らは反応し、正義と調和が支配する新しい世界を築くことを願っている。マイトレーヤの約束はこの新しい世界がやってくる途上にあるということである。」(覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記、マイトレーヤの約束、2011年11月号)

 私たちの時代がきわめて重要で、10万年前と大きく異なるのは、覚者方が撤退してから初めて、ついに日常の世界に戻って来られたからです。それまでは、学ぶ機会を与えられても、その導きに応えることができなかったのです。そして、空想的なことを言えば、何十万年もの間ずっと鳴り響いているのをかろうじて聞くことができる、微かだがなじみのあるあの響きは何でしょうか。なじみがあるのは、それが依然として私たち次第だからです。悲しいかな、マイトレーヤと覚者方は未だに、彼らの出現を可能にするような条件を私たちがつくり出すのを待っておられます。彼らはまたしても、私たちが変わろうと決意するのを再び待たなければなりません。

 ベンジャミン・クレームの師である覚者は、マイトレーヤが当てにすることができるのは、およそ20億人であると語りました。2020年と2021年の苦しみや制限、機能停止によって生まれた機会を私たちは是非つかみ取らねばなりません。 

 「通常」とは、少なくともこの70年間における私たちのあり方の歪みです。自分を20億人の中の一人だと思っている人たちこそ、完全な真我となるために必要とされる新しい文明の建設において正義と完全な参加を要求していくために、社会のあらゆる部門の枠を越えて団結しなければなりません。相乗効果によって大勢が団結し、新たな通常が確立されることになるでしょう。その通常は、私たちの真の神聖なる本質を自由に表現するのに適したものでしょう。

今月号の内容概説

 この合併号により、通常より幅広い題材を扱うことが可能になった(訳注:日本語版では7月号と8月号に分けて掲載)。寄稿者たちは世界を見て、内的な話題と外的な話題の両方に焦点を当てている。アナンド・ギリダラダス氏は、アメリカ人の著述家でありニューヨーク・タイムズ紙の元コラムニストである。彼は著作物の中で、グローバルエリート層への批判を強めている。その後にぴったりと収まるのがリチャード・ウルフ博士の最新刊『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救えないとき』である。ウルフ氏の論文は、何百万もの人々が必然的だと見なし体験している過程──資本主義の現形態の崩壊──を指摘しているが、経済学者のセバスチャン・ヴィユモ氏はその論文についての正確で洞察に満ちた要約を提供している。ヴィユモ氏もウルフ氏も、今月号に掲載された記事「人類のための新しい時代」にある考えをほとんど是認しているように思える。知恵の覚者によって2001年に書かれたこの記事は、「すでに予告された株式市場の崩壊」に言及している。
 変化、変化、変化! 新しい健全な未来についての感覚が身に染みついている何百万もの善意の人々は、あらゆる努力分野において変化を促進している。世界中の多くの運動は、今こそが変化の機会だという合図を送っている。地球を救うことができるように、急速な変化が必要とされている。グラハム・ピーブルズ氏が「排出量ゼロを目指す競争」について書いている一方、ウォーターエイドのジョナサン・ファー氏は「2021年:世界で最も貧しい人々にとって重要な一年」という記事でこう書いている。「今年は気候変動にとって重要な年と言われている」と。
 変化を選びましょう。変化、変化、変化を! 深刻な貧困や飢餓、ホームレスの状況を終わらせるための変化を。私たちの心(マインド)と存在のあり方を矯正するための変化を。簡素さと持続可能性を選びましょう。同情心、正義(例えば、パレスチナ人にとっての正義)を選び、相互のつながりを大事にしましょう。ジェレミー・レント氏は新刊『意味のウェブ』の中でこうしたことについて書いている(8月号に書評あり)。
 日本からは、悲劇がもたらした肯定的な影響について個人的に述懐した、心を打つ記事が提供された。人間の共同体という内的な感覚が強調される一方、災害資本主義の否定的な影響と、津波と福島の悲劇から10年が経過して生活がどう変わったかについても書かれている。
 「米国のUFO報告:開示か隠蔽か?」の中で、ウィリアム・アレン氏は政府の方針について探っている。こうした報告書やUFO活動を注視しているアレン氏のような人々は、「活動の増大」が紛れもなく進行していることを確信している──地球の至るところと、私たちの集合意識の中を席巻している根本的変化のもう一つの徴である。

今月号の内容概説

ほぼ1年半続いたパンデミックの後、世界が今や示しているはずだと期待できる反応が一つあるとすれば、それは協力の精神である。私たちは皆、世界中で同じ潜在的な危険に直面しているため、共通の「敵」に対しては完全な協力が最も適切な対処の仕方となるだろう。しかし、私たちの政府も、システムも、精神構造も、あまりに競争に固執しているため、私たちはこれまでのところ、この最近の「テスト」には合格していない──新型コロナウイルスとそれに付随するあらゆるものによって課せられたテストである。
 しかし、ベンジャミン・クレームの師である覚者はこう再確認している。「競争は人間を絶壁に導いた。協力のみが道を見いだすのを助ける」。問題は、私たちがその絶壁のふちのすぐ近くをヨロヨロと歩いていることを私たちと指導者たちが認識する──そして行動する──かどうかである。
 社会の不正義に反応して、地元レベルであれ国家レベルであれ、市民による共同の努力は拡大しており、労働者による改革に向けた行動は変化の力として認識されている。「民衆の力」はもはや、世界中の都市で行進し抗議する、元気づけてくれる大勢の人々だけではない。住民による活動もまた、意思決定に実際に直接参加するほどまで拡大してきた。「参加型予算編成」で描写されているように、そうした根本的な政策変更によって、状況の改善、労働者の権利の擁護、資源の公正な割り当てが確実に行われている。
 今月号の内容の大部分は、地球規模の問題に対する実施可能な解決策について概説している──こうした問題のすべては、私たちの幸福感を含めて、私たちの仕組みに対して競争が強いている緊張を反映している。あらゆる種類の不正義に特に焦点が当てられている。例えば、奴隷制、環境破壊、金融化、労働者の搾取である。こうした問題のそれぞれが他の諸問題を悪化させるいきさつを読むと、心がかき乱されると同時に興味がそそられる。奴隷制と気候危機が一緒になって悲劇をつくり出していることなど、誰が考えたことがあったろうか。「気候変動と現代の奴隷制には同時に取り組む必要がある」をご覧いただきたい。
 「人類へのマイトレーヤの接近」は、人類に近づき、導こうとする霊的ハイアラキーの継続的な努力について詳述している。今月号の選集「真の内向性」では、マイトレーヤ、偉大なアバターであるサイババ、覚者、ベンジャミン・クレーム、スワミ・ニリプタナンダの声に耳を傾けることになる。それぞれの方が私たちに対して内面に向かうよう、熟考するよう、自分自身の中に静けさを見つけるよう、そして真我とつながるよう促し、助言している。この教えはおそらく現在にはなおさら当てはまるものであり、自分自身と真我についての新しい体験を与えてくれる。内面に向かおうとする十分な姿勢が培われると、今日の難問にもっと的確に対処することができ、自然界と至るところの人々に恩恵をもたらすということが分かり始めることになるかもしれない。至るところのすべての人が繁栄できる状況を確実にもたらすために、以前にもまして今、その内的なビジョンを実際的な行動へと変換する必要がある。

「 私たちは ここにいる!」

アメリカでのラジオトーク番組の終わり頃に、あるリスナーが電話してきて、インタビューを受けていたシェア・インターナショナルの協働者に以下のようなメッセージを伝えた。ベンジャミン・クレームの師は、その電話をしてきた人物がイエス覚者のスポークスマンであったことを確認した。
 これは、2014年2月5日のその電話の内容と、彼が番組司会者およびインタビューを受けた協働者と行ったやりとりを書き起こしたものである。

通話者:最初にこう言いたいと思います。「すべての栄光、神にあれ」と。私はずっとベンジャミン・クレームを見てきました。あなたの人生や活動も見てきました。私の人生も見ています。私たちは同じスピリット(霊)から来ていることが分かります。私が言いたい最大のことは、「私たちはここにいる──私たちはここにいる!」ということです。そして世界は、何らかのやり方で、喜んで──義務だと言うのではありません──喜んで、私たちの話すことを受け入れなければなりません。なぜなら私たちが話していることは……だからです。メディアはこのことを、私たちがナンセンスなことを話しているかのように扱うでしょう。私たちは2014年の社会をこんな風につくり上げたのです。知恵や知識、パワー、エネルギー、そして私たちが話していることは、ある人々にとってはまるで……のように思えるでしょう。「オーケー、メッセージは聞いたが、それをどうやって自分の日常生活に生かせばよいのか?」。ええ、それを話すために私たちは来るのです。それを誰に教えようとするのでもありません。なぜならこれらの物事の幾つかは教えることができないものだからです。天啓のようなものが必要です。高いところから天啓を受け取る必要があるのです。
 しかし、それは名誉なことです。ユーチューブやフェイスブックやあらゆるソーシャル・メディアには、あなたやベンジャミン・クレームについて否定的で軽蔑的なことが書かれています。しかし私がここにいるのは、兄弟よ、こう言うためなのです。「私は知っているから知っているのだ。私が本当に知っていると言える唯一の理由は、私がそれを知っているからであり、私がそれだからだ」。そして、ただ、「ありがとう、兄弟よ、ありがとう」と言うためです。私はハートの最も深い誠実さをもって、あなたの裡なる声に耳を傾けてくれたことに対してあなたに感謝したいのです。あなた方を愛しています。

協働者:あなたが電話してくれたこととそのコメントに対して感謝しきれません。

司会者:何と!

協働者:大変感謝していますし、あなたに神の祝福がありますように。

通話者:神の祝福がありますように。兄弟よ、あなたを愛しています。あなたは私の兄弟であり、私はあなたを愛しています。またお会いしましょう。

司会者:あなたのお名前は何と言うのですか?

通話者:私はムハンマドです。

協働者:全くそうです。私たちは兄弟姉妹であり、またお会いするでしょう。そのことを疑いません。祝福がありますように。

司会者:あなたの名前はムハンマドというのですか?

通話者:はい。

司会者:ありがとう。私たちもあなたをとても愛しています。

通話者:あなた方は祝福された夜を過ごしました。とても感謝しています。私は長いあいだ待っていました。……人生の中であなた方にお話しできるようになるかどうか分かりませんでした。私は長いあいだ待っていましたが、人生とはそういうものです。一緒になる機会がないこともありますが、今日はいのちそのものによる動きでした。あなたが魂について、魂と再びつながり一体となることについて話した時、それ自体がメッセージです。それがメッセージなのです。私たちの行為により、私たちは堕落しました。人間は堕落し、私たちは堕落しました。そして私たちが堕落して以来、私たちの存在の霊と魂に向かう代わりに、暗闇で一杯のものに向かってきたのです。そしてその暗闇のために、私たちは魂がどれほど力強いものかを知らないのです! 眠っている間にも魂は旅することができることを知らないのです!

協働者:そうです。そのとおりです。

司会者:さあ、もう終わりの時間です。ムハンマドさん、もう時間がなくなりました。電話してくれてありがとう。あなたの美しい貢献に感謝します。ありがとう。

通話者:ありがとう。あなた方を愛しています。

今月号の内容概説

 今月号の本誌を貫く主なテーマの一つは「関係」である。覚者の記事の一つにはこう書かれている。マイトレーヤにとって、「正しい人間関係の時代の幕開けをするための機会である。それは世界中至るところにいる男女の積極的な反応と参加を必要とする──外的な機構(しくみ)と内的な認識に対する世界的な継続的な変化の過程である」。
 ヴァンダナ・シヴァはコモンズ(共有財産)について語るとき、同じアイディアを表明している。「コモンズでは、私たちは地球とお互いを気遣い、共有する」
 写真家のカミール・シーマンは(p.21の「氷山の雄大さと人間の静けさ」というインタビューを参照)自分の仕事と観察を通して、「私たちはすべてのものとつながっており、すべてのものがライフ・フォース(生命力)を持っている」ことを明らかにしている。彼女が祖父から学んだことは、真の人間になるとは、「私たちがすべての人や──人々だけでなく──すべてのものと相互に関係し、つながり合っていることを知ること」を意味する、ということである。
 推奨図書は、多くの側面を持つアニー・ベサントの生涯に脚光を当て、見かけの異質性と統一性との関係についても説明している。ベサントは、神智学の統合的な要素が、自分の探究するマインドと精神を安堵させるものだということに気づいた。「なんとも首尾一貫し、なんとも精妙で、それでいてなんとも知的なのでしょう。バラバラの事実が巨大な全体の一部として見られました……」
 私たちがいくつかの記事を通して追求している別の重要なアイディアは、人生のあらゆる側面は霊的と見なすことができるだけでなく、もし私たちがこの惑星と私たち自身、つまり人類に健康的でもっと健全な生活様式を取り戻させるとしたら、あらゆる様相が霊的であると見なされなければならないということである。さまざまな本からの引用で構成される選集のタイトル「経済に関する霊的な見方」は、シェア・インターナショナル誌がその主要な特徴の一つを提示するのを可能にしている──つまり、分離した人生の側面のように見えるものを統合する本誌の独特な能力のことである。今月号の場合は、私たちの経済システムが共通の善に仕えるように、経済システムを本質的に霊的なものと見なすことが緊急に求められていることを明らかにしている。アート・ユリアーンスは著書『架け橋』の中で次のように書いており、それが今月号で再掲載されている。「人類のすべての部分が状況やニーズに比例して合理的に利益を得ることを可能にする平等な基盤が考案されなければならないだろう。こうした問題を、戦争や武力外交によって、あるいは最も強い者や何らかの好ましい戦略的状況を利用する者による利己的な強奪と保有によって解決することは決してできない。このような厄介な問題を解決する方法は一つしかないだろう。それは寛容や理解、話し合い、相互の善意によるものである」。マイトレーヤ御自身がそれをどのように表現しておられるかをご覧いただきたい。「市場フォース(力/エネルギー)は悪や混乱や破局のフォースであり、そしてその子供は競争と比較である」
 これによって私たちは、正しい関係というアイディアに立ち返ることになる。慰めと助けを必要とするすべての人々のために、「マイトレーヤの手形」に焦点を当てる短い選集を通して、マイトレーヤの愛にあふれる慰めを読者にお届けできることに感謝したい。

今月号の内容概説

 原因と結果の法則は、私たちと自然界との関係にどのように関わっているのか。また、気候危機に緊急に注目するよう呼びかける今月号のいくつかの記事とどのように関わっているのか。私たちの健康上の危機は、惑星の健康とどのように関連しているのか。今月号のために選ばれた記事で示されているのは、すべてのシステムの相互のつながりや、正しい関係の必要性、惑星の健康を回復するための行動の必要性である。イギリス政府は、生態系、生物多様性、経済成長の間にあるつながりを調査する報告書を委託した。この『ダスグプタ・レビュー』は、環境に対する現在の経済モデルの影響の概略を描いている。
 「エルダーズ」は、国際的な合意や誓約が、地球の持続可能性を確保するのに決定的に重要な、必ず守るという約束を危険なほどに欠いていることに警鐘を鳴らした。エルダーズの一員であるラクダール・ブラヒミ氏は、2020年と2021年に経験した苦しみの増大について熟考している。そして、パンデミックに対処し、戦争や紛争、気候変動、核拡散のような人類の生存を脅かすものと闘う、地球規模の協調した努力を呼びかけている。
 (2010年に書かれた)「同胞愛(ブラザーフッド)」というベンジャミン・クレームの師による記事を再掲載することにした。このように選択したのは、人類は相互に依存し合っており、すべての者のために国際的な協力活動に取り組む必要があるのは明らかだという真理が、危機によって明白になっているにもかかわらず、分断した世界の状態が続いていることに影響されたためである。「疑いもなく、今は人類にとって非常に重要な時である。今人類が行う決断が、大体において、この惑星の未来のすべてを決定するだろう」
 「時代の徴」のセクションでは、NASAのSTER-EO探査機によって惑星間規模の同胞愛が偶然にも確認されているようである。この探査機は太陽の近くの巨大な構造物のイメージを再び捕らえた。一方、世界中でUFOの目撃件数は増加しているようであり、スペース・ブラザーズ(宇宙の兄弟たち)は控えめながら空中における自分たちの存在に注意を促している。
 気候変動、感染症、汚染の影響は、国境を全く尊重しない。石油会社に立ち向かった当時9歳の少女の努力は、人々が結束した行動を取れば何を行うことが可能であるかを示す、希望を奮い起こすような模範である。彼女と地域社会の住民たちは、再び息を吸うことができるようになり、毒性汚染から解放されるように努力した。がんを生き延び、現在は健康である若い女性、ナレリ・コボさんはこう述べている。「私にとって環境正義とは、年齢、性別、民族、社会経済状況、居住地にかかわらず、きれいな空気を吸うことができることです。それは闘いであり、自分の地域社会、自分の故郷を守ることなのです」。ベンジャミン・クレームの師の記事で描写されたような同胞愛を彼女が体験しているのは明らかである。覚者は私たちに「同胞愛を宝とする」よう強く勧めている。「すべての行動の基盤として同胞愛のリアリティ(現実)なしには、人間のすべての努力は無に帰する」からである。

今月号の内容概説

 健康や生死の問題、そして世界の注目を奪っている病気への新しい対処方法の模索に関連して、ベンジャミン・クレームの師による二つの記事を提示する。こうした記事は、病気の原因と治療に関わる非常に複雑な問題を取り上げている。クレームの師は世界が大いなる発見の寸前にあると指摘しており、幾つかの記事がこのような発展を示唆している。新しいエネルギー形態に関する先駆的な科学的研究を扱った「空間からエネルギーを捕らえる」や、エーテルの性質についてのアート・ユリアーンスによる詳細な描写に加えて、ベンジャミン・クレームによる回答もこのエーテルの性質について説明している。異なった観点からアプローチをしているものの、これらすべての記事は、世界が受け入れ始めている「新しい」事実を指摘している──つまり、世界は一つであり、分離の終わりは良好な健康状態の始まりだという認識である。
 今月号の選集は、霊的な心が生きる上で中心的なものであることを強調する一方、スワミ・ニリプタナンダは、平和の基盤としての真理や、真我との結びつきを意図的に保持することの重要性、真我についての知識の増大、奉仕の重要性を指摘している。
 それとは際立って対照的に、グラハム・ピーブルズによる「富裕層、貧困層、そして気候変動」は、人々が知っていること、つまり、なぜ世界の3分の2の人々は、気候変動が世界規模の緊急事態であると考えているかを裏づけている。2020年の状況により、民衆や各国政府は、条件を平等にする措置について考えることを強いられている。これまでのところ実験的でしかないにしても、ますます多くの人や国がそれについて考えている。債務救済はそのような措置の一つの可能性である。
 芸術は、アイディアや志向を目に見えるものにする──今月号の場合はカンディンスキーである。彼は不朽の知恵の教えの教義によって影響を受けていた。人類と地球に利益をもたらすために活用することが比較的早く期待できるという意味で、今月号では、目に見えないエネルギーが見えるものになる。そして、私たちを結合させる目に見えない驚嘆すべきエネルギーにより、マイトレーヤはこう語ることができる。「あなたの心のうちに感じられる愛の律動の一つ一つが、わたしの心に記録される。これがわたしとあなたがたとの関係を表す端的な真理である」。さらに、驚くべき簡潔さにより、彼はすべての人を抱きしめ、ご自身に引き寄せる。「あなたがたとわたしとは、同じ目的のために共にここに居る。あなたがたは、心の裡にすべての人を愛し、世のために責任を感じ、人間の要求に反応し、奉仕することを願うからこそ、ここに居るのである」

マイトレーヤのメッセージ:彼は私たちに何を求めているのか

パトリシア・ピッチョン

1977年9月6日から1982年5月27日まで、ベンジャミン・クレーム氏は、ロンドンのフレンズ・ハウスでの毎週の講演中に、メンタル・オーバーシャドウの過程を通して、マイトレーヤから合計140信のメッセージを受け取った。

 私たちは繰り返し、霊的教師や案内者に多くを求めたり、あるいは、私たちが信じる聖なる力が何であれ、その聖なる力に多くを求めたりするが、たとえ不完全であるにしても、私たちに求められているものについてどれほど頻繁に考え、実行しているだろうか。自分自身への言い訳は、「それは難しすぎるし、なぜ私が試さなければならないのか」という疑問から、「ああ、そうね、いつかやってみよう」に至るまでいろいろとあるが、その後、その意図はいつの間にか失われてしまう。
 マイトレーヤのメッセージには幾つかユニークな特徴が見られる。それぞれのメッセージが一定の朗々としたスタイルを持っており、厳粛さに満ちているが、多くの場合は直接的で、ほとんど親密な語り口と、全く尊大さを感じさせない単純さがある。
 最初のメッセージにおいて、マイトレーヤは人々を「兄弟姉妹たち」または「我が友、子供たち」と呼んでいる。彼はまた私たちにこう告げている。「わたしの顕現は完了し、成就した。まことにわたしはこの世に在る」。続けて彼は「しかしなすべきことは多い、世界には変化を必要とするものがあまりにも多い。多くの者が飢え死にし、多くの者が不必要に苦しんでいる」と語り、さらにこう付け加えている。「これらすべてを変えるためにわたしはやってきた。あなたがたに前進への道を示そう、もっと簡素で、健全な、より幸せな生活へ向かって、共に進む道を。人が人に、国が国に相対立することなく、兄弟同胞として、共に新しい御国へと前進しよう」
 2番目のメッセージで、彼は「世界の倉庫で腐敗している食物」について語り、「教師として、守護者として、友として、案内人として」私たちに対して援助を申し出ている。ここではまた、マイトレーヤは、彼と一緒に働く覚者方、知恵の覚者方も私たちの中にいることを公表し、「彼らの仕事を助けなさい」と、私たちに直接呼びかけている。彼はこう説明している。「彼らは、あなたがたを通して、新しい時代を建設するということも知りなさい」
 ただし、これは自然に起こることではない。ほんの少数であっても人々が集まり、他の人々のために働き始めるとき──利益ではなく奉仕によって、個人的な野心や見当違いの競争精神ではなく協力的な精神によって動機づけられ、人々が生き、希望し、繁栄することを可能にする基本的な必要に応えようとするとき──覚者方は、エネルギーを送ることによって私たちの努力を強化する。最も緊急を要するのは、十分な食料と水、そして住居の提供であり、また、それだけでなく、様々な形を取り得る教育や訓練、医療支援の提供である。さらには、人々が出会い、話し、食事を共有し、単純に交際を楽しむことを可能にするプログラムの提供である。これらの取り組みは、多くの場合、より広範な共同体の取り組みへと発展し、それが成功すると今度は、他の人々を鼓舞する青写真となる。現在、多くの人が自分自身の輪を越えて活動を広げており、そうした活動による結果は、非常に寛大な寄付による壮大なものであれ、ささやかな始まりからの発展であれ、深刻な世界規模のパンデミックの最中にあっても喜びと本当の安堵感をもたらしている。
 したがって、救済の仕事は明らかに集合的で協力的なものであり、マイトレーヤと知恵の覚者方が自分たちで成し遂げるものではない。この側面は、私たちを単独で救済する「救い主」を待っている人々にとっては受け入れ難いかもしれない。変化を起こし、その「新しい御国」の創造のために私たちが手を差し伸べ、共に行動しなければならないという認識は、まさしく厳粛なものである。
 マイトレーヤは以下の励ましの言葉を追加している。「心に深く留めなさい、我が友よ。すべては良くなるだろう。あらゆる事柄は良くなるだろう」
 まさにどれだけの責任が私たちの肩にかかっているかを、マイトレーヤは3番目のメッセージで明らかにしている。「わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない。わたしの両手は『法』によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ」
 マイトレーヤが「法」について語るとき、彼は自身が従わなければならない霊的な「法」について述べている。この場合明らかなことは、彼は援助を申し出ているが、行動しなければならないのは私たちだということである。全能の救い主が独りで働いているという、一部の人々が抱くイメージは正確ではない。私たちの協力がまさに要求されている。私たち自身は重要であり、貢献することができ、このようにして新しい世界を構築することができる。
 穏やかに、しかも粘り強く、私たちがどのように彼と一緒に働くことができるかを理解するよう、マイトレーヤは私たちを励ましている。メッセージ第116信で、彼は次のように述べている。「我が兄弟たちよ、世界は愛を切望し、同胞愛と正義の顕現を切望する。
 わたしを援けて、あの聖なる歓びをこの世に創造しなさい。わたしの側にあなたの位置を占め、これまでにないほど働きなさい。我が友よ、わたしを手伝って愛の貯蔵池を非常に深く創り、すべての人間が渇きを癒せるようにしなさい。
私の教えは単純である──正義と愛、分かち合いと平和が、人を神に近づける」
 私たちによる手助けを求め、多くの方法で援助を申し出ていることに加えて、マイトレーヤはこれらのメッセージをマントラとしても創造した。このことが意味するのは、声に出して唱えるとき、彼のエネルギーを呼び起こすということである。実際に、このエネルギーを肉体的に感じるかどうかにかかわらず、このことから恩恵を得ることは可能である。ベンジャミン・クレーム氏の最初の本、『世界教師と覚者方の降臨』をスペイン語に翻訳していたとき、私はこのことに気付いていなかった。翻訳中に、これらのメッセージの特定の質を保持する方法を何とかして見つけようとしていたことを覚えている。この目的のために、私は一日の大部分、両方の言語で何度も何度も声に出してメッセージを唱えていた。午後になってこの仕事を終えた時、私は突然、泣き出してしまった。内奥から涙が込み上げてきて、心臓が破裂するかのようにさえ感じられた。幾分回復した後、戸惑いや驚きを感じながら、ベンジャミン・クレーム氏に電話をかけ、このことの意味について思い巡らしながら、今しがた起こったことについて説明した。彼は、「ああ、それは驚くべきことではありません。あなたは一日中マイトレーヤのメッセージを唱えていたので、彼のエネルギーも呼び起こしていたのです!」と説明した。
 私はためらうことなく、こう言うことができる。彼のエネルギーは愛のエネルギーとして説明することができる、と──通常の愛ではなく、力強く、直接的で、並外れたものとして。それを神聖なる愛として説明する以外の方法を私は知らない。彼の見解によれば、それは私たちが自然に、生まれながらに持っているものであり、私たちの「内なる神」、私たちの真我である「神聖なる自己」の表現である。言葉と行動を通してそれを表現することが私たちの仕事であり、この努力において私たちを援助することが彼の仕事である。
 このように一般の人々に届けられたすべてのメッセージの広がりと深さを一つの記事で正当に評価することはできないが、ここに、少なくともマイトレーヤの一つのメッセージ全体を掲載することは適切だと思われる。そのことは、メッセージすべてを含む書籍(『いのちの水を運ぶ者』)を入手できないかもしれない人々に読む機会を提供し、あるいは声に出して読み、マイトレーヤの言葉の意味を熟考する機会を提供する。こうしたメッセージは、彼の裡にある神性から私たちの裡にある神性へと語りかけているようである。

マイトレーヤのメッセージ 第123信 1981年4月23日

親愛なる友よ、再びこのようにしてあなたがたと共に居ることを非常にうれしく思う。
わたしの計画は成功のうちに進む。
わたしの希望は叶えられる。
わたしの出現は法のもとに行われ、すべては順調である。
分離、分裂、無法という罪悪は、この地上から消え去らねばならない。
人間の神性の顕現を妨げるものはすべて、この惑星から追い出されねばならない。
わたしの法が分離に取って代わるだろう。
わたしの法は、愛と同胞愛と正義と真理の法である。
これらのことを知り、私に従いてきなさい。
わたしの法は成功するだろう。
なぜなら愛の法は神の本質から出づるものであり、失敗し得ないのである。
わたしがあなたがたと共に居る間に、
あなたがたが夢見ることもできないような不思議をお見せしよう。
新しい方法で、神の特性を示そう。
あなたがたの心から、死の恐怖やいのちそのものへの恐れと、
あなたの兄弟やあなた自身に対する恐れを取り除いてあげよう。
そのような無知を過去のものとなし、
新しい光の中へ、わたしと共に歩けるように手伝ってあげよう。
これらの仕事のために、わたしはあなたがたの助力を求める、我が兄弟よ、
なぜなら人間自身の努力を通してのみ、人は価値あるものを得ることができるのであるから。
これはいつもそうであった。
わたしの手を取りなさい、我が友よ、神としてのあなたがたの真の特性が栄えることのできる、
あの新しい国へお連れしよう。
そこで、すべての人間が共に兄弟として、いのちの夢を成就するであろう。
多くの者はわたしの到来を、恐れを抱きながら待つ。
わたしが踏みしめるところには、良きものしか生えないであろう。
わたしの約束は守られる──
あなたがたに、あなたがた自身と神の本性を明かそう。
すべての人間にとって、人生は祝福されたものであることを示そう。
あなたがたの中に愛の池を創る。そこからすべてのものが渇きを潤すことができる。
わたしの心はあなたの心に代わり、わたしの舌はあなたの舌に代わって語ろう。
指導者も民も応じ、そしてすべてが新しくなる。
わたしがあなたがたの中に居ることを、我が友よ、心に受け入れなさい。
わたしはあなたがたに仕え、あなたがたと共に住み、
あなたがたを愛し、導き、案内するためにやってくる。
もはや闇を探す必要はない。
わたしの祝福はあなたがたすべてと共に行く。

唯一にして最も聖なる神の光と愛と力とが、あなたがたの心の裡に、今顕されるように。
それによって、神としてのあなたの真の姿に近づくことができるように。

今月号の内容概説

 シェア・インターナショナル誌は今月号で40年目を迎える。本誌はこの尋常でない時代において、本誌の主なメッセージもまた常に尋常ではなかったということを思い出させるものとなっている。私たちは真の未来を指摘しているからである。その未来は、とりわけ現状を見れば、達成不可能だと考える人もいるかもしれないが、これほど切実に必要とされたことはかつてない。今月号に選ばれたベンジャミン・クレームの師の記事、「愛と平和の道」には、人類が見放されたことは決してなく、心を開きさえすれば私たちのものになる導き(ガイダンス)もなく放っておかれたことは決してない、とある──まさしく最悪の時代のように見える場合でも。
 年初の本誌は常に合併号であり、それによって非常に広い範囲の話題やアイディアを掲載することが可能になる(訳注:日本語版では1月号と2月号に分けて掲載)。最前線での奉仕における女性の役割から始まって、インドの最年少── 21歳──の女性市長の選出に至るまで、女性の業績に注目している。霊性、責任、奉仕──同胞に対するものであれ地球に対するものであれ──というテーマは、この合併号の至るところで扱われている。パトリシア・ピッチョンは、世界教師マイトレーヤが私たちに求めているものを考察している。「弟子の責任」についての記事もある。ゴールドマン環境賞の受賞者たちは、地球の状況を改善しようというたゆまぬ努力の模範である。
 初代編集長であるベンジャミン・クレームはシェア・インターナショナル誌創刊号で、霊性(スピリチュアリティ)の概念を可能な限り包括的に定義することを読者に求めた(6ページの「霊性 第二部」を参照)。「政治、経済、科学、文化、教育は、精神生活のすべての面を宿すものとして、間もなく人類の基本的霊的努力となるだろう。宗教集団やいわゆる『霊的』集団や『ニューエージ』グループは霊性の独占権を持たない」。彼は「霊性」の中で、マイトレーヤによって直接鼓舞されたヴィリー・ブラントの仕事にも言及した。残念なことに、ブラント委員会が1980年に提示したアイディア(基本的には世界資源の公平な再分配を主張しており本質的にマイトレーヤの導きによっていた)を人類が実施することができていたならば、シェア・インターナショナル誌が2021年になっても依然として、「国連が飢饉について警告する」や「インドの農民たちが歴史的な抗議活動を続ける」のような記事を特集することはなかったであろう。パンデミック(世界的な大流行)の悲しい状況下で、すべての人がワクチンを入手できるよう人類家族全体のことを考えるように、教皇が人々に訴えかける必要を認めたこともまた途方もないことである。もし私たちが霊性についてのこの新しい理解を本当に受け入れるならば、現在の問題の多くはもっと容易に解決されるだろう。
すべてが信頼という言語を学ばねばならない」のは、そして導きに対して心を開き、政治や経済、環境の危機を解決しなければならないのは明らかである。私たちが今、これまでになく、ベンジャミン・クレームの師が言われるように「今のこの時を決断の時と見なす」必要があるのは確かである。

表紙の絵── ベンジャミン・クレーム

「ビジョン」(1961年)

「この絵は、オランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が述べたことに基づくインスピレーションの結果である。ファン・ゴッホは素晴らしい手紙を書いた。絵を1枚も描かなかったとしても、彼は手紙だけでも人類史において地歩を得ていたであろう、と私は考える。彼の手紙は、特に弟のテオに宛てたものは、私が読んだことのある手紙の中で最も雄弁なものの部類に入る。そうした手紙は人類への愛や深い内面の探究心を伝えているほか、自分自身や自分の行動、自分の生活を通して、そして何よりも自分の作品の中で、キリスト原理を表現したいという切望を伝えている。彼が絵画にたどり着いたのは後年になってからである。わずか10年で全作品を完成させており、途方もない集中力をもって制作に励んだ。
 彼は未来の芸術について考え始めていた。それについて彼が書いたものを読んだとき、私は未来の芸術についてのイメージを得た── これ[絵画]は、私が見たビジョンである。中心には宇宙の火、内的な霊的火があり、卵の形をした宇宙の形態、つまり「宇宙の卵」がそれを体現している。その宇宙の卵は、私が祭壇の形と考えるものの上にあり、ある媒介を通して人類に捧げられているかのようである。それはたぶん、宗教という媒介かもしれないが、この場合は芸術という媒介である」
──ベンジャミン・クレーム

(編注:これは、新しい作風を模索する、ベンジャミン・クレームの最も初期の作品の一つである)