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「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように!」ーマイトレーヤ

論説

シェア・インターナショナル誌のことをよく知っている人々は、マイトレーヤと他の覚者方が長年にわたり、「ファミリア」として、あるいは自分自身として、様々な姿で世界中の協働者たちに現れてきたことをご存じだろう。以下に掲載されている抜粋は、そのような訪問によるものである。ベンジャミン・クレームの師はのちに、その訪問者がマイトレーヤであることを確認した。

 こうした抜粋は、マイトレーヤが 2003年にシェア・インターナショナルの協働者たちのグループに語ったことを言葉どおり記した重要な記録である(全文についてはシェア・インターナショナル誌2004年2月号を参照)。彼は3週間前にもシェア・ネザーランドのインフォメーションセンターを訪れており、マイトレーヤのファミリアであると確認されていたので、私たちは彼が誰であるかを知っていた。これといった特徴もないかのようにその会話は始まったが、私たち全員が息をひそめて、彼の訪問による非日常的な感覚を共有していた。

2003年11月15日、9人がアムステルダムのインフォメーションセンターで働いていた。……

マイトレーヤ:さて、こうしたグループには、「いつ出てこられるのか?」「どのくらい待ち続けなくてはいけないのか?」「なぜこんなに時間がかかるのか?」といつも尋ねてばかりいる人がいるものです。……しかし、なぜこうした問いを発するのでしょう?  本当にはやって来られるとは言えないのです、なぜならここにおられるからです。彼はすでにここにおられるのです。彼らはそれを知らないのですか?  彼に会っていないのですか? 彼はこの世界に臨在している、このことは起こっているのです。おそらく彼らが望んだよりも時間がかかっているかもしれません。私が望んだよりかかっているし、おそらく私たちが期待した方法とは違う形で進行しているのかもしれないし、私が期待してきたものとも違う形ですが、うまくいっています。彼はここにおられる。私はこのことがうまくいっていることにいかなる疑いも持っていません。うまくいくでしょう。うまくいっているのです。わずかな疑いも、いかなるものもありません。多くの人々は彼がここにおられることを知っています、彼らは心の中で直観的に知っているのです。多くの人々はマイトレーヤがここにおられるという情報にオープンなのです。……(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:人々に情報を伝えたり、新聞や雑誌を渡したりすると、このアイディアにオープンになってくれることを、より一層望みます。それを信じてくれることを期待します。

マイトレーヤ:あなたが望むことではないのです。何かを望んだり、欲したりするべきではありません。ただやりなさい、求められたら、ただ情報を伝えなさい。いいですか、私たちは人々を変えるつもりはありません。改宗させるつもりもありません。私たちは伝道師ではない。私たちは求めに応じて語るのです。最も重要なことは、本質においてすべてはここにあるということです。もし、あなたがオープンなら、あなたはただそれを知り、考える必要もありません。あなたがオープンならば話をする必要もないのです。本質においてそれがすべてだとあなたは知っているのです。……

グループ:私たちが無執着であるべきだという意味ですか。

マイトレーヤ:そうです。結果はあなたに関係ありません。ただやること、結果を求めてはいけない。結果を探してもいけない。それは西洋的な態度、マインドの習慣であって、私たちはいつも何か起こさなければならないと考えるのです。私たちは、事を成さなければ、事を起こさなければならないと考えます。しかし、それは不要なのです。……

マイトレーヤ:すべての変化はゆっくりと起こります。大変に漸次的なものです。一体何度、何回の人生を送ったのか考えてみれば、自分でどのようなものか分かるでしょう。一体何度転び、そして再び立ち上がり、転んではまた試みて、転んではまた立ち上がってきたのか。人生の繰り返しです。変化には時間がかかります。

グループ:私はこの惑星の状態が心配です。私たちがこの星を救うのに間に合うのでしょうか。

マイトレーヤ:好きなだけ心配していいのですが、それでは何事も変わりません。心配は助けになりませんが、すべてのことはうまくいくでしょう。私たちが困難な時代に差しかかるのは本当です。私たちは奈落の底の淵まで行くでしょうが、落ちません。なんとか切り抜けて、淵から落ちたりはしません。……すべてのことはうまくいくでしょう。すべてはよくなります。恐れることは何もありません。私は全く疑っていませんよ!(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:全く疑っていないのですか?

マイトレーヤ:いかなる疑いもありません。

グループ:あなたは権威をもって話されます。それはあなたの経験によるものですか。

マイトレーヤ:私には他の人より権威があるわけではありません。しかし、それが私の信です!  私は知っているのです。人々は希望について話しますが、信じているなら希望は必要ありません。

私たちは黙って坐り、彼の言葉が続くのを待っていました。彼もまた沈黙し、そしてこう言いました。「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように。人々はマイトレーヤがどんなに強力な方かを忘れるのです!」……(ゴシック体は筆者による強調)
 彼が残したものは疑いもなく「彼はここにおられる」ことと「すべては良くなるだろう」ということでした。この訪問者がマイトレーヤだと考えるのは正しいですか。

月刊誌チーム
オランダ、アムステルダム、インフォメーションセンター

【ベンジャミン・クレームの師は、その『訪問者』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 今、2022年の始まりにあたり、世界中の多くの人々は、世界が「奈落の底」の淵に近づいたことを恐れるのも尤もだと言うだろう。なぜこんなことが起こってしまったのかと問わずにいられない人々もいる──私たちが今、奈落の底の周辺にいることは本当だと考えて。マイトレーヤが「私たちは落ちません」と保証された2003年からほぼ20年がたった──ただし、マイトレーヤは「困難な時代に差しかかる」と確かに主張された。何が起こったのだろうか。また、私たちは当時、現在の状況と関係しているかもしれない何を許してしまったのか。
 ここ2年間が困難であったことから、多くの人々が将来について心配している。私たちは短期的な傾向についての判断に基づいて、進歩したとか、見かけ上は進歩していないと考えがちである。覚者方は一過性のもの──圧倒的なように思えることもある変動する日々の出来事──に基づいて判断することを戒めておられる。ベンジャミン・クレームの師はシェア・インターナショナル誌でこう書かれた。「ハイアラキーの任務は、神の大計画を『我らが人類と呼ぶ中心』を通して実施することである。このことは、人間の神聖なる自由意志を絶えず尊重しながらなされなければならない。かくして、大計画が進んでいく過程の中における一日一日、一年一年ごとの成り行きに完璧さを求めてはならない。長期の目標は保証されている。それについては疑う余地はない。人間のみが大計画の進行していく道が突飛なものになるかどうかを決めるのである」(「大計画は進む」より、1992年10月号)
 しかし、すべての「秘教をよく学んでいる人」が知っているように、時間は存在しない。それでも、歴史上のこの瞬間、時間は重要である。多くの賢者たちの声が、衝動的な反応か、人を無能にしてしまう無気力かのどちらかによって、未来──この惑星と私たち自身の未来──を危険にさらしてしまうことについて警告している。(ジミー・カーター元大統領やエルダーズ、ダライ・ラマ、フランシスコ教皇、著述家、エコノミスト、社会評論家の)こうした声や、あらゆる分野の何百万人もの活動家の声がすべて、「今でなければ、いつなのか?!」と一斉に述べ立てている。
 生活のあらゆる分野の二極化は明白である。私たちのほとんどは毎日、あつれきを招くその影響を体験している。しかし知的に理解し対処するなら、この同じ二極化は、私たちが過去の失敗を繰り返すのを防いでくれるだろう──私たちが「通常」として受け入れている優勢な考え方や構造の支配から私たちを解放さえしてくれるだろう。私たちは二極化してお互いに対立している状態から、一つであることを受け入れ、国際社会が合意した制度を通した世界資源の分かち合いを選ぶことへと移行していく必要がある。分断を避けて、共通の利益──万人の利益、いのちそのものの利益──を選択することを目指すことができる。
 人類は極端な二極化に直面しており、選択することを迫られていることを理解する必要がある。その選択をすべき時は今であり、かつてないほど急を要している。私たちの惑星は、そして惑星上のすべてのいのちは、汚染や劣化、病気で苦しんでいる──それは貪欲や商業至上主義、分離主義の副産物である。分かち合い、公正で健全な社会を選ぶことが早ければ早いほど、それだけ速やかに世界の主要な問題──貧困や飢餓、想像し得るあらゆる形の不正義──を解決するために大挙して働くことができる。私たちは地球と自分たち自身の健康を回復する必要がある。
 明らかに、既得権益──軍産複合体、1%の超富裕層、自己満足や無気力と組み合わさった経済的・政治的なファシズム──は、「光に包まれた」未来への集団的な移行にとってのブレーキとなっている。その未来は、私たちが本質的に一つであることを体験することから生まれるだろう。マイトレーヤと覚者方のインスピレーションの下に、いま人類に求められているのは、意志とエネルギーのすべてを奮い起こし、力を結集し、行動を起こし、「いのち」に、私たちの不可侵の権利である「正義」に賛成する立場を一丸となって明確にすることである。
 現在の危機に対する人々の反応が近未来を決定するだろう。しかし、最終的な結果は初めから知られている。私たちが集団的に見て見ぬふりをしてきたあらゆる不正義と、未解決の悪事を前にしての腹立たしさや苦痛、悲哀、義憤を生むあらゆるものをしかと見、認めなければならない。私たちがつくり出し許容している世界の醜悪極まる不正義を認めなければならない。私たちはどのような不正行為を無視したり犯したりしてきたのか。過ちを癒し始めるための「真実和解委員会」をどこで必要としなくなるのか。
 これまでのところ、私たちは時間を無駄にしてきた。世界の指導者たちは大体において、正義を求める市民の要求に耳を傾けていない──それは単に、子供を養うのに十分な食料のあるまっとうな生活と、繁栄していくための居住可能な惑星に対する要求である。マイトレーヤが次のように言っておられたということを本誌の定期購読者はご存じだろう。人類は正しく反応し、彼の助言に耳を傾け、分かち合いの原則が柱となる公正な地球社会を選ぶことをマイトレーヤは知っておられるということを。私たちは変わることができるということを覚者方は知っておられる。正義、自由、愛、美、一体性を選ぶことは私たちの本性に適うことである──私たちの霊的なDNAである。
 事態は急を要している。あらゆることをやらなければならず、一刻の猶予もならない。私たちの本性を主張し、私たちがすべてのいのちと相互につながり合っていることを知るとき、そこにこそ希望がある。「希望は、あらゆるものが内的につながり合っているという認識にあります。自分の生活や自分の日常の活動が、宇宙的な枠組みとつながり合っているという認識です」(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌、1990年)

今月号の内容概説

 この12月号では、ベンジャミン・クレームの師である覚者によって書かれた二つの記事を再掲載する。一つは2004年に、もう一つは2009年に書かれた。両方とも決定的に重要な指針を提供しており、時宜に適っている。両方とも私たちの窮状を明らかにし、援助を申し出ている──次のようにしさえすればよい、と。「要求されることは人間自身からの要請のみである。必要とされることは『同胞団』の助言と知恵を喜んで受け入れる用意ができていることであり、方向を変えることである」
 グラスゴーでの国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)の後、学者や活動家、科学者たちは成果を分析しているところである。世界が期待したことは非常に多く、もっと多くのことが達成できたはずである。いくつかの小さいけれども重要な突破口が開かれたが、一般の観客は悲しみに包まれたまま取り残された。「方向転換」をしてほしいという望みは先送りされたからである。「またもや戯言だ」と、活動家たちはサミットでの検討を却下し、地球の未来を守るために民衆のフォーラムや現在進行中のキャンペーンで頑張り続けることを決意している。
 今月は、変化を求める民衆の希望や要求を表す記事を掲載したものの、分断された世界の恥ずべき結果を明らかにせざるを得なかった。一方、マイトレーヤの──世界資源を分かち合いなさいという──助言に従えば、ほとんどの主要な問題は一挙に解決されるだろう。世界は良い方向に変化していることや、前に進もうとする勢いがあり、覚者方の助けはそこにあって求めることができるということは疑いない。私たちが依然として苦しみや惨めさと共にあるということも事実であり、今月の選集は、理想を現実の具体的なものにする必要があることを強調している。意図は良いかもしれないが、世界規模の関与と合意が欠けているため、地球の破壊が続くことになる。一方、難民にとって、それは生存のための闘いを意味する──地中海や英仏海峡の海上をすし詰めの船で漂っているにせよ、ベラルーシとポーランドの中間地帯で氷点下の気温に耐えているにせよ、あるいは、干ばつに見舞われたマダガスカルや、戦火に引き裂かれたイエメンで死にそうになっているにせよ。「リトル・アマル」の話は最も心を揺さぶるものである。彼女は移民を代表している──扉をたたいている異邦人である。
 毎年この時期には、より良い未来の希望を象徴するものが大事にされる。マイトレーヤは、私たちの未来とこの惑星の未来のために交渉した活動家たちや代表団と共におられた、と期待することができるだろうか。「至るところで人々はやっと、人生の意味と目的についての新しい解釈、分かち合い、正義、平和……を受け入れる用意ができた」のだろうか。

今月号の内容概説

 若者たちの声が世界の指導者たちに異議を申し立て、若者たちの言葉が世界教師マイトレーヤの言葉をほとんどそのまま伝えるとき、それはきっと、私たちの心(ハート)に共感を呼び起こすに違いない。あらゆる宗派の宗教指導者が科学者と手を取り合うとき、私たちはきっと、常識的に考えることにより自己満足からゆっくりと抜け出すに違いない。「人類は、崩壊するか突破口を開くかという緊急の厳しい選択に直面している」と国連事務総長が警告を発するとき、今こそきっと、目を覚まして耳を傾けるべき時であるに違いない。
 今月号のいくつかの記事の中に、こうした理性への呼びかけを読み取っていただきたい。
 全く途方もないことであるが、ベンジャミン・クレームの師による記事「新しい時代の始まり」は、2005年に書かれたにもかかわらず、まるでパンドラ文書を暴露しているかのように読み取れる。世界を構造的な不正義にはまり込ませている既得権益について、覚者は描写しているからである。「現在、世界の富の80%がわずかな数の一族や機関によって所有されている。その富の多くが“静的”であり、不動産や船舶、金、宝石、美術品につぎ込まれており、したがってほんのわずかな人々を益するのみである」
 覚者は続けて次のように描写している。マイトレーヤは「人々の意識を上げ、そして彼らが自分たちの窮状の理由を理解するのを助けるだろう。互いに深く依存し、非常に多くの危険な問題に直面している世界にとって、そのような不均衡は耐えられないことを示されるだろう」。
 今月号の記事の中では、変化を求め、私たちに行動を起こすよう促す多くの声が聞こえてくる。また、自分の「声」を聞いた、もう一人の恐れを知らない若者についても読むことになる──ジャンヌ・ダルクについて。信によって駆り立てられ、全く恐れを知らなかった、何という驚くべき人生なのか。今では多くの国で、表現の自由と、デモを行って声を聞いてもらう権利が奪われているのを目にする。グラハム・ピーブルズは、抑圧が大きくなる中で、メディアがいかに健闘しているかを調べている。ノーベル平和賞が二人のジャーナリストに贈られ、事実に基づいた自由な報道が民主主義には不可欠だということが明確に示された。地球がいかに不均衡な状態にあるかということに目覚めるよう促す別の声が、ポーリン・ウェルチの「気候変動から隠れる場所はない」という記事から聞こえてくる。
 まねのできないような表現方法で、ベンジャミン・クレームはインタビューの質問に対し、包括的で洞察力に富む答えを提供している。まるで彼も、今日の世界について語っているかのようである。
 こうした記事と報告の集まりが、2021年の終わりに近づいている今、シェア・インターナショナル誌の独特な声となっている。分かち合いというアイディアが聞こえ、見え始めており、多くの人々の心(マインド)に定着しつつあるようである。

今月号の内容概説

 シェア・インターナショナル誌の今月号のために選ばれた記事「前進の道」にあるベンジャミン・クレームの師の言葉を引用すると、2020年と2021年は世界の「沈黙のひととき」と見なされるようになるかもしれない。確かに、多くの人にとって、この時期は再評価の機会と、価値のないものや廃れたものを捨て去る好機となっている。今月号の内容はまさしく、このような選択肢を反映している。その覚者の記事にある力強い約束は、次のような形でこだましている。シェア・ギルモアの「地球規模の気候行動への楽観的な見方」を読めば、私たちがこの惑星に及ぼした破壊に対処しようとする際の無気力は消え去るはずである。また、マニングとマネウィッチが、共著書『隠れたエネルギー:テスラに触発された発明家たちと豊富なエネルギーへの気づきの道』で提示したように、すべての人にとっての新しい無限のエネルギーの可能性について読めば、化石燃料への依存はなくなるに違いない。R.D.ウルフ教授は資本主義について説明し、問い直している──その余命はいくばくもない。
 新しいエネルギーや新しい戦略、そしてジェレミー・レントが説明しているように、私たちの本質的な相互のつながりについての認識の高まりを通して、世界は古びてボロボロの状態のものを、先住民の文化の知恵を認めるリアリズム(現実主義)の高まりに置き換えようとしている。「先住民たちは認知、互恵性、新しい社会契約を必要としている」は、私たちが「前進の道」を進み始めるとき、法の支配や平等、社会正義が必要であることを認めている。ジェフリー・サックス教授は正義を呼びかけ、また、私たちの必要にもはや役立たない腐敗したシステムの拒絶を呼びかけている。サックス教授はまた、万人の普遍的な権利が守られることや、国連が世界情勢の中心に据えられることを求めている。
 熟慮のために休止した後、今こそは「未来に目の焦点を合わせ」、徴を正しく読み取り、知恵の覚者方が提供する援助とインスピレーション(鼓舞)の方を向き、責任を受け入れるべき時である──内的にも、社会において外的にも、あらゆるレベルにおいてそうすべきである。そして、見かけ上は分離しているこれらの現実を一つにまとめるべきである。クロード・シャボッシュが「魂の存在の科学による説明」という記事で模索しているように、私たちは今、自分たちの理想を現実にするために行動を起こし、転生している魂としての私たち自身の本性のリアリティ(実相)を喜んで受け入れる機会を得ている。世界は、万人の権利を認めるようなより簡素で、健全で、存続可能な生き方へと向かう前進の道の途上にあることを、私たちは保証していただいている。今月号のシェア・インターナショナル誌が提供しているのは、インスピレーションやアイディア、理想、希望、安心感、分析、再評価である。

今月号の内容概説

 現在のニュースの見出しを見れば、なぜこの惑星とその住人はこれほどまでに苦しんでいるのだろうか、と人々が思うのも無理はないだろう。恵み深い神への信仰は浅はかで愚かだということを今日の状況は示唆しているのだろうか、と多くの人が疑問に思うかもしれない。「人間の責任」という記事の中でベンジャミン・クレームの師は、私たちを苦しませている圧倒的な外的出来事と、この状況における私たちの役割とを結びつけている。これらは、断然、「神の働き」でも「自然災害」でもなく、私たち全体の行く手に立ちはだかっているものなのかもしれない。覚者は、すべてのいのちの相互のつながりを明らかにしている。私たちは、原因と結果の法則を生きており、私たちがその原因であることを理解し体験し始めている。幸いにも、覚者は慰めと解決法も提示しておられる。私たちはその両方をつかみ取るべきである。「われわれは自分たち自身をひとつとして見なければならない。一人一人が神の反映であり、兄弟姉妹であり、唯一なる御父の息子や娘たちである。……われわれはお互いに調和した未来を知るようになるために、惑星自体と調和して生きることを学ばなければならない」

 今月号のすべての記事とレポートは、肯定的な変容の可能性を提示している。私たちは、生態系を調査し、より公正な方法を見つけることができる。どのような不正義と苦悩が続くのを許しているかをはっきりと見定めることができる。この惑星の未来を確かなものにするために、より良い、より精妙なエネルギー形態を選ぶことができる。自然を回復させ、世界資源を分かち合うことを選択することができる。すべての人とこの惑星を益するために、いのちのあらゆる様相に奉仕し、あらゆる様相を救い、拡大させることができる。なぜか。それが将来の青写真だからである。そのために、世界教師マイトレーヤは今ここにおられる。「マイトレーヤは人間に道を示し、人間の活動を活気づけるためにやって来られた。世界中で、人々は彼らの声を見いだし、正義と自由を呼びかけている」

 ニュースの見出しを見て、人々と惑星の両方の苦しみを体感し、次のことを確実に理解しなければならない。今こそ、私たちの声に、知性を加え、責任を取り、私たち自身のすべて、持っているものすべてを、地球上のすべてのいのちの必要に奉仕すべき時であり機会であるということを。

なぜ「通常」に戻ることが最悪の事態を招くことになるのか

フェリシティ・エリオット

 1942年にジュワル・クール(DK)覚者は、二つの世界大戦の後で、各国が復興に向けて動き出したときに、人々が警戒すべきある種の危険性について警告し書かれています。それは今日にも当てはまることですが、「いわゆる『通常』の状態に戻ってしまうという大きな危険性である。今、人類が直面している際立った危険は、戦争が始まる以前の状態に戻ることであり、帝国主義(帝国であれ金融であれ)、苦境に立たされ搾取されている少数民族を抱えた民族主義、また富裕層と貧困層の間、東洋人と西洋人の間、あらゆる国に例外なく存在するカーストと階級の間の卑劣な差別と分離の障壁を持つ、古い馴染みのある世界への復活である」。

(『ハイアラキーの出現』)

 仮説として、第一次・第二次世界大戦の原因や状況とその影響、2020年・2021年の最近の状況、そして呼吸器系の病気の出現を、現在とアトランティス時代で比較して描いています。その忘れられた時代に、私たちはいくつかの貴重な教訓を学ぶ機会を与えられました。それは、「原因と結果の法則」、つまり、良くも悪くも変化をもたらす思考と感情の力という教訓です。

 最初の教訓は、その古代の時代に提示されましたが、私たちが学ぶことができなかったのは、人類の本質的な一体性(ワンネス)と社会的な相互依存の事実です。私たちが「一人に影響し得るものはすべての人に影響し得る」という単純な事実を知らないか、あるいは受け入れていないことを、メディアは日々裏づけています。一体性が私たちの基本的な実相である以上、この事実に反するものには、避けて通れない否定的な結果がつきまとうのです。

 それでも私たちは今、世界の歴史の中で重要な瞬間を迎えています。今の状況は、例えば10万年前や100年前と何が違うのかという疑問を生じさせます。何が今を極めて重要なものにし、世界を根本的に変えるような特別な機会を与えているのか。また、世界はこれまでに同じような状況に直面したことがあったのでしょうか。間違いなく、現在の状況の複雑さは尋常ではありません。私たちが直面しているのは、新型コロナウイルスという一つの災害だけではなく、緊急に同時に対処しなければならない複数の災害です。新型コロナウイルスによって亀裂が生じ、世界の主要なシステム(医療、経済、環境、政治、社会)が崩壊しつつあることが明らかになりました。このような状況は、ちょうど100年前に似たような状況があったことを除けば、ほとんど例のないことです。1918年、戦後の世界は疲弊し、心理的なショックを受けていましたが、突然、さらに致命的な敵、パンデミック(大流行)であるスペイン風邪と戦うことになりました。ワクチンのない、インフルエンザウイルスによる呼吸器疾患です。「世界人口の3分の1にあたる約5億人がこのウイルスに感染したと推定されています」死亡者数は全世界で少なくとも5,000万人、米国では約67万5,000人と推定されています。(cdc.gov)

 アトランティス文明の主要な出来事、20世紀の災害、そして現代を比較検討することができます。水がアトランティスを覆ったとき、知恵の覚者方が日常生活から撤退したことに読者は気づかれるかもしれません。そして10万年後の今、「光の勢力」である彼らが再び日常生活に戻ってきています。

 これらの時代に共通しているのは、致命的な呼吸器系疾患の蔓延、貪欲さと分離意識の高まりと優勢です。その分離主義が深刻な紛争や戦争を引き起こし、アトランティスの場合、文明の終焉をもたらしました。

 私はこの現代文明の終わりを指摘しているのではなく、私たちが「通常」だと思っている思考の錯覚、つまり外側に見えているものを抜本的に見直し、変革するかつてない最善の機会だと考えています。過去の経験から考えても、現在の幾つもの危機の重なりを通して、過ちから学び、「通常」を永遠に捨て去ることができるのではないでしょうか。早く通常に戻りたいと思っている人たちは、実際に「通常」を直視したことがあるのでしょうか。「通常」とは、社会的不公正、飢餓、貧困、戦争、汚職(腐敗)、無慈悲、生態系の破壊を継続させることです。それが私たちの望むことなのでしょうか?

はるか昔

 当時の覚者たちが警告したにもかかわらず、私たちは歴史を通じて繰り返し「度を超して」きました。古代の神話や伝説、聖典には、あまりにも遠い昔にさかのぼるため、気味の悪いおとぎ話として片付けられる出来事に満ちています。しかし、実際には、それらはアトランティス文明の滅亡に至った歴史的な出来事を描いています。世界を一変させるようなこの大異変は、貪欲のカルマ的な結果であり、また、導きを聞き入れようとしない、あるいは聞き入れられなかったことによるカルマ的な結果でした。

 様々な情報源、例えばDK覚者、ヘレナ・ブラヴァツキー、ベンジャミン・クレームは、アトランティス文明の時代に、肉体的な欲求に対する自然で単純な本能的反応がいかにしてゆがめられ、対象や所有物、物質的な満足を求める過度の欲求へと至ったかについて書いています。自然な肉体的本能が異なったレベル──思考の始まりと共に感情・アストラルのレベル── へ「溢れ出す」ようになったのです。貪欲と盗みがはびこるようになり、物質的なものを重視することで、「自分を豊かにし、他人にどんな犠牲を払わせてでも欲しいものを手に入れようとする人々」は、魔法や「不道徳」な行為をするようになりました。(アリス・A・ベイリー『秘教治療』)

 人類を人類自身から救うために、また、それ以上深い物質主義の奴隷とならないように、「光の勢力」である覚者方は、「物質性もしくは混沌の勢力」との戦いに突入しました。アトランティスは、人々の貪欲の重さで沈み、カルマの波に飲み込まれましたが、それは、強欲による直接的な当然の結果を非常に生々しく見せられる前のことでした。

 その時に明らかになるべきであったことは、分離主義と物質主義という原因とその結果の間には、直接的なつながりがあるということでした。「人々は、極度の贅沢と、非常に多くの物質的な所有物や財産を手に入れることに熱中した。彼らは欲望によって窒息させられ、決して死ぬことなく生き続けて望むものすべてのものをもっともっと手に入れたいという夢に悩まされていた」。(アリス・A・ベイリー『秘教治療』)   DK覚者は、当時蔓延していた状況をさらに次のように描写しています。「あるのは見境いのない無情で強欲な欲望だけであった」と。そのため、当時の覚者方は新たな法を定めました。「物質的な財産のためだけに生き、永続できないものを得るためにすべての美徳を犠牲にする者は、生きながら死に、呼吸によって自分が蝕まれていくことに気づくが、呼び出しが来るまで死について考えるのを拒絶するであろう」

 余談ですが、次のような奇妙な事実を指摘したいと思います。私たちは現在、アトランティス末期と第一次世界大戦直後と現代を結びつける、繰り返し起こる強力なテーマ── 息そのもの、すべてのいのちの基盤──に付きまとわれ、息をしようと必死にあがいています。2020年の初め以降、ウイルスが広まったため、世界は空気を求めて喘いでいます。ジョージ・フロイドは息ができず死亡したため、「息ができない」という怒りの叫びが新たな意味を持ちました。インドやブラジルなどの国では酸素が欠乏し、ぞっとするような結果を招きました。最近のパレスチナ人による抗議活動のプラカードには、「I can’t breathe since 1948!(1948年以降、息ができない!)」と書かれていました。この日付けはパレスチナとイスラエルにおける分離と不正義の始まりを示しており、世界は未だにこうした状況に束縛されています。

 当時も今も、心理的な状態が、肯定的にも否定的にも、身体的な影響をもたらすことが明らかになっています。また、人々が認識したもう一つのことは、人の思考、感情、行動、健康、死の間には、はっきりとした、辿っていくことのできるつながりがあるということです。こうした認識に至る前、アトランティス時代の人類はただ単に、すべてのものが死ぬことを理解していたので、死を自然な過程として受け入れていました。言葉での指示に反応できない当時の一般大衆に因果関係をどう伝えたらよいのか。DK覚者は、「特に略奪的で強欲な人間が、自分自身の中から生じるように思える悲惨な病気に苦しみ始めたのを見たとき……そのとき初めて、個人の行動と死との間のメンタル的な関係が認識され…… 一つの大きな前進が人間の意識に起こった」と説明しています。

(アリス・ベイリー『秘教治療』)

原因

 この記事では、内的で、霊的で、「秘教的」で、心理的な原因と、主流の医学が検証可能でより明白な外因と見なすものとを区別しています。歴史は繰り返し教訓を与えてきました。何か意味があるに違いない追跡可能なパターンがあるのだと。ベンジャミン・クレームと彼の師である覚者は、大きな緊張──安楽でない状態(dis-ease)つまり病気をつくり出す不均衡──の影響について、たくさんの情報を提供してくれました。

 主要な原因は、自己知識が乏しいことと、全体の一部としての自分自身を体験することができないことにあります。神性を共有しているという性質を自分の本性として未だに知らないので、疎外され、空虚で、分離しているように感じ、そのためいつも満足できず、ややもすると貪欲になってしまう。さらに、そうした落ち着きのない空虚さのせいで、手軽に満足できる簡単な解決法を取ってしまいがちです。また、そうした空虚さのせいで、私たちは簡単に、商業主義を通して現されるあの邪悪なエネルギーの餌食になってしまうのです。アトランティス人が感染した退化や物質主義の同じエネルギーは、光の勢力によってほんの少し打ち負かされましたが、追い払われたわけではありません。

 アトランティスの破壊にもかかわらず、利己主義へと向かう同じ傾向と、物質主義への過度の強調は生き続けています。それは、もう一つの時代、ローマ帝国の時代の終わりにかけて再び表面に現れました。ネロ皇帝の治世を際立たせた退廃は、アトランティスの邪悪さへの回帰であり、同じ破壊的なエネルギーへの扉を開けたと、DK覚者は記しています。

 不朽の知恵の教えでは、第一次と第二次世界大戦は、一方の「光の勢力」と他方の「混沌もしくは物質性の勢力」とによって戦われた一つの戦争でした。物質性の勢力の狙いは昔も今も、人類の進化を引き止め、人類が物質性に捕らえられ、競争や貪欲、紛争、商業主義という習慣によって事実上、牢獄に閉じ込められたままにしておくことです。物質性のエネルギーは、覚者方の助力を得て連合軍によって打ち負かされたように見えましたが、そうではありませんでした。歴史は繰り返します。つまり、光の勢力は優勢でしたが、完全ではありませんでした。「この戦争は、物質性の勢力の破壊ではなく、敗北に終わりました」(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌、1994年12月号)

 大祈願の中では、「悪の棲処の扉」を封じられるように、「愛と光の大計画を成させ給え」と呼びかけています(第二次世界大戦直後、世界教師マイトレーヤが世界に与えられた。彼が1945年6月に世界への「帰還」を決意された際、初めて使われた)。

 注意すべきは、分離主義から生じる物質性や貪欲へと向かう傾向は、ただ一つの国や諸国のグループに限られるのではなく、地球上のすべての国に存在し表現されているということです。

 これまでに、アトランティスの大惨事があり、数え切れない戦争や危機的状況を経験し、加えて感染力の強い病気(この20~30年間においても、SARS〔重症急性呼吸器症候群〕、MERS〔中東呼吸器症候群〕、AIDS〔後天性免疫不全症候群〕、NIPAH〔ニパウイルス感染症〕、エボラ出血熱などが発生)の急速な蔓延に見舞われたにもかかわらず、多くの政府や国民はひたすら「通常」が前進の道だと主張し続けます。それは、さらなる混沌と物質性(物質主義にはまり込む)への隷属へと逆戻りする道であるのは明らかです。

 「他方、人類の一部は日ごとに彼らの飢えた貪欲な心(マインド)を驚嘆させるあぶく銭を楽しみながら、(現実に気づくことなく)満足しながら先へ先へと進む。彼らは、自分たちの危うい成功以外に対しては盲目であり、世の中の緊張を感知せず、警告の鐘が鳴り響くのも聞こえない。投機という病気が彼らを奴隷にしており、古代ローマの行き過ぎた行為を思い起こさせる。

 これらの異なった矛盾する姿勢を見守るハイアラキーは、でき得る限りの方法で助けようとしている。人間の自由意志のみが直接介入を阻むものだが、『法』は法であり、それは決して侵してはならない。にもかかわらず、人類が決して目にすることのないところで、多くの援助の手が差し伸べられている。」(覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記、人類のための新しい時代、2001年4月号)

 「私たちが生きている奇妙な時代」──このようなよく耳にする言い回しが2020年を表すのによく使われました。2021年になっても、この言葉は日常の雑談の一部となっています。私たちはこの時代の状況と何の関係もないかのようにこれを口にします──まるで、私たちの苦境が自分たちと全く何の関係もないかのように。私たちの状況をいったい他の誰がつくっていると言うのでしょうか?

 一般に知られていないのは、私たちの惑星とそこに存在するすべての生命のための青写真が存在するという重大な事実です。この表明は、私たちの惑星が意識的な存在であり、どういうわけだか、この大意識が「責任を負って」おり、認識しているということです。自然界では、これは形態の進化を意味しますが、人類にとっては、私たちが知る知らないにかかわらず、意識の進化が目標です。マイトレーヤと覚者方はその大計画の管理者であり、すべての生命形態の意識を拡大することに、人類の場合には、リアリティ(実在)についての、つまり私たちがその不可欠な一部である「神聖なる存在」の本質についての認識を高めるよう刺激することに尽力しておられます。私たちが現在の危機における自分の役割に気づき始めた今、個人や共同体の意志を、でき得る限りその青写真に沿わせる方法を探し始めるのが賢明でしょう。あるいは、覚者方はそれを私たちに示されるかもしれません。

市場のフォース

 マイトレーヤは1989年に次のように警告されました。「軍隊を戦場に送り込み、空を爆撃機で埋めるエネルギーのスイッチが切られた。しかし、そのエネルギーは世界を彷徨っており、突然、新しい子宮を見つけた──市場のフォース(エネルギー)によってつくられた商業主義である。超大国の新しい信条は経済であり、それは商業主義の魂である。これが世界に深刻な新しい脅威を呈しており、人間の生命をも危うくし得る。商業主義の特質は貪欲であり、それはすべての国に影響を及ぼすだろう。戦場から巻き戻されたこの否定的(破壊的)エネルギーは、目も心(マインド)も持たないフォース(勢力)であり、非常に敵意に満ちた風潮を世界につくるだろう。政治家は商業主義が人類の未来だと信じるが、彼らはこのエネルギーをコントロールすることができない」(マイトレーヤ教え、いのちの法則)〔文中のゴシック体は著者による〕

 別の惑星から来た人は、現代をどのように描写するのでしょうか。鍵となる特徴は、自分の本質とのつながりを欠くことから生じる分離感に基づく利己主義であり、また私たちを物質性への依存症に陥らせる、貪欲や競争、自己満足です。私たちは社会正義に対して敏感にならないように教え込まれます。こうした病んだ状況に権力への渇望が加わり、その結果、今日の人類の大部分は商業主義と消費主義に隷従しています──これは物質性の勢力によって刺激され助長された、麻痺した存在状態です。2020年、2021年のパンデミックによって浮き彫りになったのは、経済システムの不公正です。超富裕層が極度の金持ちになる一方で、生計を立てる手段を失い、子供を養うのに苦闘する人々がいる──これは最も豊かな国々のことです。

 DK覚者による『人類の問題』は、1944年10月から1946年12月にかけて書かれ、戦時中と戦争直後の問題を扱っていますが、覚者が書かれた多くの文章と同様に、それ以降のいつの時代にも当てはまる内容です。「私たちの現在の文明は、極めて物質主義的なものとして歴史に残るだろう」。戦後に増大した物質主義は、歴史上他のどの時代よりも遥かに広くはびこっており、多くの世界の人々を巻き込んでいると説明しています。「私たちの生活水準は、所有の観点から見れば、あまりにも高すぎるが、霊的な価値観の観点から見れば、あまりにも低すぎる……。人類は利己主義が習慣になっており、物質的所有物への愛着を受け継いできている。これが私たちの現代文明を生み出してきたが、そのため、それは変革されているのである」(『人類の問題』)

原因とその影響

 原因は、基本的には私たち自身の間違った関係であり、その結果は外側に、物質世界へと現れます。この場合は特に、自然界に対する態度に関係しています。私たちは自分の内面の状態を環境に投影しています。その原因は、間違った考え方や狂った優先順位の結果です。例えば、私たちの経済的な信条は、いのちを維持するすべてのものを犠牲にしても、無限の成長を信じるよう促します。金融上の教義は、私たちの命と人類および惑星の未来を犠牲にして、短期的な解決策を信頼することを奨励します。そのため、手つかずのまま残っているものはほとんどありません。

 ウイルス学者は何年も前からパンデミックを予測し、各国政府に備えを促してきました。パンデミックが起こることを知らないことが、どうしてあり得たでしょうか。気候科学者、活動家、学校の子供たちは、地球の破壊を食い止めるために、二酸化炭素の排出量を削減する政策変更と行動を求めてきました。先住民や農村社会、森の住人たちは抗議し、自分たちの土地を守ろうとしてしばしば命を落としてきました(そして今も落とし続けています)。このリストは挙げればキリがありません。私たちは自然界を絶滅へと追いやり、自らを人獣共通感染症にさらされています。人獣共通感染症とは、野生動物では無害なウイルスが、人間に感染すると致命的なウイルスに変化する「スピルオーバー(漏出)」のメカニズムです。本誌の読者は、新型コロナウイルスの最初の兆候が現れる少し前の2019年12月に、シェア・インターナショナル誌がロニー・ツナミと名乗る男が11月に発した警告を記した手紙を掲載したことを覚えているかもしれません。彼は正義を強調し、相乗効果の重要性を語り、津波のような変動が次々と押し寄せてくることを警告していました。この人物は果たして、覚者のお一人の代弁者か、あるいはマイトレーヤご自身だったのでしょうか──高まりつつある健康とモラルの危機について警告するために。

 なぜ今、このような危機と機会があるのでしょうか。私たちはまたしても「度を超して」しまったからです。人間性への挑戦に適切に対応するための道徳的テストに合格できませんでした。飢餓、ホームレス、難民、拒絶され虐待される人々、環境破壊。そして今はパンデミックという挑戦です。パンデミックが鮮やかに示したのは、私たち全員が相互に依存し合っており、新しいあり方と新しい規範を必要としているということです。では、なぜ今なのか? 状況があまりにも悲惨で逼迫しているので、変化の機会をつかまなければならないからです。さもなければ、さらなる大きな災害に直面することになるでしょう。また、貪欲の物語が唯一の物語ではないからです。人類はその最良の瞬間には素晴らしいのです。愛情に溢れ、利他的で、善意に満ちていて、他者のために、より高い価値のために働き、自己犠牲を行うことができます。人々は変化に向けて準備ができており、社会的に公正な世界を切望しています。これこそが、光の勢力が今、現代世界にある理由の一つです。光の勢力を体現し、代表しているのは知恵の覚者方であり、光の勢力を率いているのはマイトレーヤです。光の勢力は、グローバル社会への彼らの出現を可能にする適切な状況を私たちがつくり出すのを待っておられるのです。

 幸いなことに、そして不幸なことでもありますが、私たちには自由意志があり、それが私たちの進化が見かけ上は氷河期のようにゆっくりとした速さで進んでいることを説明しています。この速度は、私たちの惰性的で怠惰な傾向と、平均的な進歩の段階によって、ある程度は説明することができます。それは、まさに、アトランティスでの戦争の終わりや、第一次および第二次世界大戦の終わりに完全には封じられなかった扉の背後にあるものから影響を受けやすい状態にあるからです。その邪悪なエネルギーは、商業至上主義や自己満足、恐怖、分裂、冷笑、混沌をその武器として獲得してきました。そのエネルギーの擁護者たちは、私たちを未来へと連れて行くことができる唯一の力は、民衆の集合的な力、つまり私たちの力であることを認識しています。

 民衆の力、より良い世界を求める一般大衆の要求は、物質性・混沌の勢力によって部分的に蝕まれ、一時的に歪曲されてきた、と私は思います。非常に広い範囲にわたって適用される民衆の力が世界の希望となることを、その勢力は知っています。教養ある大衆世論が解決策であり、変化への鍵です。それは、正しく情報を知り、科学的事実を備え、専門知識を活用し、また、地方行政や地域社会の活動、地域や国内や国際的な条約、請願やボイコット、ストライキなど、利用可能なあらゆる手段を用いるデモ行動が解決策であり、変化への鍵である、といったことを特徴とする世論です。しかしながら、事実への信頼は侵害されてきました。私たちの時代は狂気じみた概念を特徴としています。「フェイクニュース(虚偽報道)」が幅を利かせるところでは、現実そのものが却下され、真実はフェイクニュースとして拒絶され、非常識な概念が蔓延しています。このような大混乱の中で、陰謀論が花開きました。多くの人にとって、主流メディアは疑わしいということになります。抗議活動を組織するための素晴らしい道具となっているソーシャルメディアは、裏づけのない極端な意見で溢れかえっています。代表的なメディアは信頼性の高い報道を提供しますが、非商業的であるため、しばしば生き残りに四苦八苦していることが多いのです。世界は、明瞭な声を切望しています。

変革の担い手

 変化を起こす可能性のあるものは、何であり、誰なのか。パンデミックそのものです。それが、今私たちに人生の意味を再考させ、価値観を吟味して、新たな目標を設定するための時間を与えてくれたのです。自分たちとこの惑星を破壊せずにこれまでのやり方を続けることはできないという認識もついに生まれました。変化を求める人々の決意が高まり、一方、悪化する気候と極端な異常気象によるさらなる苦しみ、食糧生産への影響、さらなる飢餓、難民や行き場を失った流民、その結果としての紛争、崩壊する医療システム。内情に通じた人々は長いこと、金融・経済の崩壊を待っています。これらの要因のいずれか一つ、または複数の要因の組み合わせは、促進剤として作用し、永続的な変化をもたらし得ます。 

 「至るところにいる人々は変化を感じており、その呼びかけに彼らの声を添えている。また彼らは、行動することへの自分たちの力(パワー)を感じており、そして多くの者たちがそれを証明するために死ぬ。昔のようなやり方はほとんど終わっており、それらのフォース(エネルギー)は使い果たされたことを感じる。彼らは、他に、より良い生き方があることを感じており、明日を期待している。まさに古いやり方は廃れつつあり、人類種族を阻害している。車輪は回り、大ローマは再び崩壊しつつある。マイトレーヤの火は数え切れない何千万の人々の心(ハート)に灯され、彼らは反応し、正義と調和が支配する新しい世界を築くことを願っている。マイトレーヤの約束はこの新しい世界がやってくる途上にあるということである。」(覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記、マイトレーヤの約束、2011年11月号)

 私たちの時代がきわめて重要で、10万年前と大きく異なるのは、覚者方が撤退してから初めて、ついに日常の世界に戻って来られたからです。それまでは、学ぶ機会を与えられても、その導きに応えることができなかったのです。そして、空想的なことを言えば、何十万年もの間ずっと鳴り響いているのをかろうじて聞くことができる、微かだがなじみのあるあの響きは何でしょうか。なじみがあるのは、それが依然として私たち次第だからです。悲しいかな、マイトレーヤと覚者方は未だに、彼らの出現を可能にするような条件を私たちがつくり出すのを待っておられます。彼らはまたしても、私たちが変わろうと決意するのを再び待たなければなりません。

 ベンジャミン・クレームの師である覚者は、マイトレーヤが当てにすることができるのは、およそ20億人であると語りました。2020年と2021年の苦しみや制限、機能停止によって生まれた機会を私たちは是非つかみ取らねばなりません。 

 「通常」とは、少なくともこの70年間における私たちのあり方の歪みです。自分を20億人の中の一人だと思っている人たちこそ、完全な真我となるために必要とされる新しい文明の建設において正義と完全な参加を要求していくために、社会のあらゆる部門の枠を越えて団結しなければなりません。相乗効果によって大勢が団結し、新たな通常が確立されることになるでしょう。その通常は、私たちの真の神聖なる本質を自由に表現するのに適したものでしょう。

今月号の内容概説

 この合併号により、通常より幅広い題材を扱うことが可能になった(訳注:日本語版では7月号と8月号に分けて掲載)。寄稿者たちは世界を見て、内的な話題と外的な話題の両方に焦点を当てている。アナンド・ギリダラダス氏は、アメリカ人の著述家でありニューヨーク・タイムズ紙の元コラムニストである。彼は著作物の中で、グローバルエリート層への批判を強めている。その後にぴったりと収まるのがリチャード・ウルフ博士の最新刊『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救えないとき』である。ウルフ氏の論文は、何百万もの人々が必然的だと見なし体験している過程──資本主義の現形態の崩壊──を指摘しているが、経済学者のセバスチャン・ヴィユモ氏はその論文についての正確で洞察に満ちた要約を提供している。ヴィユモ氏もウルフ氏も、今月号に掲載された記事「人類のための新しい時代」にある考えをほとんど是認しているように思える。知恵の覚者によって2001年に書かれたこの記事は、「すでに予告された株式市場の崩壊」に言及している。
 変化、変化、変化! 新しい健全な未来についての感覚が身に染みついている何百万もの善意の人々は、あらゆる努力分野において変化を促進している。世界中の多くの運動は、今こそが変化の機会だという合図を送っている。地球を救うことができるように、急速な変化が必要とされている。グラハム・ピーブルズ氏が「排出量ゼロを目指す競争」について書いている一方、ウォーターエイドのジョナサン・ファー氏は「2021年:世界で最も貧しい人々にとって重要な一年」という記事でこう書いている。「今年は気候変動にとって重要な年と言われている」と。
 変化を選びましょう。変化、変化、変化を! 深刻な貧困や飢餓、ホームレスの状況を終わらせるための変化を。私たちの心(マインド)と存在のあり方を矯正するための変化を。簡素さと持続可能性を選びましょう。同情心、正義(例えば、パレスチナ人にとっての正義)を選び、相互のつながりを大事にしましょう。ジェレミー・レント氏は新刊『意味のウェブ』の中でこうしたことについて書いている(8月号に書評あり)。
 日本からは、悲劇がもたらした肯定的な影響について個人的に述懐した、心を打つ記事が提供された。人間の共同体という内的な感覚が強調される一方、災害資本主義の否定的な影響と、津波と福島の悲劇から10年が経過して生活がどう変わったかについても書かれている。
 「米国のUFO報告:開示か隠蔽か?」の中で、ウィリアム・アレン氏は政府の方針について探っている。こうした報告書やUFO活動を注視しているアレン氏のような人々は、「活動の増大」が紛れもなく進行していることを確信している──地球の至るところと、私たちの集合意識の中を席巻している根本的変化のもう一つの徴である。

今月号の内容概説

ほぼ1年半続いたパンデミックの後、世界が今や示しているはずだと期待できる反応が一つあるとすれば、それは協力の精神である。私たちは皆、世界中で同じ潜在的な危険に直面しているため、共通の「敵」に対しては完全な協力が最も適切な対処の仕方となるだろう。しかし、私たちの政府も、システムも、精神構造も、あまりに競争に固執しているため、私たちはこれまでのところ、この最近の「テスト」には合格していない──新型コロナウイルスとそれに付随するあらゆるものによって課せられたテストである。
 しかし、ベンジャミン・クレームの師である覚者はこう再確認している。「競争は人間を絶壁に導いた。協力のみが道を見いだすのを助ける」。問題は、私たちがその絶壁のふちのすぐ近くをヨロヨロと歩いていることを私たちと指導者たちが認識する──そして行動する──かどうかである。
 社会の不正義に反応して、地元レベルであれ国家レベルであれ、市民による共同の努力は拡大しており、労働者による改革に向けた行動は変化の力として認識されている。「民衆の力」はもはや、世界中の都市で行進し抗議する、元気づけてくれる大勢の人々だけではない。住民による活動もまた、意思決定に実際に直接参加するほどまで拡大してきた。「参加型予算編成」で描写されているように、そうした根本的な政策変更によって、状況の改善、労働者の権利の擁護、資源の公正な割り当てが確実に行われている。
 今月号の内容の大部分は、地球規模の問題に対する実施可能な解決策について概説している──こうした問題のすべては、私たちの幸福感を含めて、私たちの仕組みに対して競争が強いている緊張を反映している。あらゆる種類の不正義に特に焦点が当てられている。例えば、奴隷制、環境破壊、金融化、労働者の搾取である。こうした問題のそれぞれが他の諸問題を悪化させるいきさつを読むと、心がかき乱されると同時に興味がそそられる。奴隷制と気候危機が一緒になって悲劇をつくり出していることなど、誰が考えたことがあったろうか。「気候変動と現代の奴隷制には同時に取り組む必要がある」をご覧いただきたい。
 「人類へのマイトレーヤの接近」は、人類に近づき、導こうとする霊的ハイアラキーの継続的な努力について詳述している。今月号の選集「真の内向性」では、マイトレーヤ、偉大なアバターであるサイババ、覚者、ベンジャミン・クレーム、スワミ・ニリプタナンダの声に耳を傾けることになる。それぞれの方が私たちに対して内面に向かうよう、熟考するよう、自分自身の中に静けさを見つけるよう、そして真我とつながるよう促し、助言している。この教えはおそらく現在にはなおさら当てはまるものであり、自分自身と真我についての新しい体験を与えてくれる。内面に向かおうとする十分な姿勢が培われると、今日の難問にもっと的確に対処することができ、自然界と至るところの人々に恩恵をもたらすということが分かり始めることになるかもしれない。至るところのすべての人が繁栄できる状況を確実にもたらすために、以前にもまして今、その内的なビジョンを実際的な行動へと変換する必要がある。

「 私たちは ここにいる!」

アメリカでのラジオトーク番組の終わり頃に、あるリスナーが電話してきて、インタビューを受けていたシェア・インターナショナルの協働者に以下のようなメッセージを伝えた。ベンジャミン・クレームの師は、その電話をしてきた人物がイエス覚者のスポークスマンであったことを確認した。
 これは、2014年2月5日のその電話の内容と、彼が番組司会者およびインタビューを受けた協働者と行ったやりとりを書き起こしたものである。

通話者:最初にこう言いたいと思います。「すべての栄光、神にあれ」と。私はずっとベンジャミン・クレームを見てきました。あなたの人生や活動も見てきました。私の人生も見ています。私たちは同じスピリット(霊)から来ていることが分かります。私が言いたい最大のことは、「私たちはここにいる──私たちはここにいる!」ということです。そして世界は、何らかのやり方で、喜んで──義務だと言うのではありません──喜んで、私たちの話すことを受け入れなければなりません。なぜなら私たちが話していることは……だからです。メディアはこのことを、私たちがナンセンスなことを話しているかのように扱うでしょう。私たちは2014年の社会をこんな風につくり上げたのです。知恵や知識、パワー、エネルギー、そして私たちが話していることは、ある人々にとってはまるで……のように思えるでしょう。「オーケー、メッセージは聞いたが、それをどうやって自分の日常生活に生かせばよいのか?」。ええ、それを話すために私たちは来るのです。それを誰に教えようとするのでもありません。なぜならこれらの物事の幾つかは教えることができないものだからです。天啓のようなものが必要です。高いところから天啓を受け取る必要があるのです。
 しかし、それは名誉なことです。ユーチューブやフェイスブックやあらゆるソーシャル・メディアには、あなたやベンジャミン・クレームについて否定的で軽蔑的なことが書かれています。しかし私がここにいるのは、兄弟よ、こう言うためなのです。「私は知っているから知っているのだ。私が本当に知っていると言える唯一の理由は、私がそれを知っているからであり、私がそれだからだ」。そして、ただ、「ありがとう、兄弟よ、ありがとう」と言うためです。私はハートの最も深い誠実さをもって、あなたの裡なる声に耳を傾けてくれたことに対してあなたに感謝したいのです。あなた方を愛しています。

協働者:あなたが電話してくれたこととそのコメントに対して感謝しきれません。

司会者:何と!

協働者:大変感謝していますし、あなたに神の祝福がありますように。

通話者:神の祝福がありますように。兄弟よ、あなたを愛しています。あなたは私の兄弟であり、私はあなたを愛しています。またお会いしましょう。

司会者:あなたのお名前は何と言うのですか?

通話者:私はムハンマドです。

協働者:全くそうです。私たちは兄弟姉妹であり、またお会いするでしょう。そのことを疑いません。祝福がありますように。

司会者:あなたの名前はムハンマドというのですか?

通話者:はい。

司会者:ありがとう。私たちもあなたをとても愛しています。

通話者:あなた方は祝福された夜を過ごしました。とても感謝しています。私は長いあいだ待っていました。……人生の中であなた方にお話しできるようになるかどうか分かりませんでした。私は長いあいだ待っていましたが、人生とはそういうものです。一緒になる機会がないこともありますが、今日はいのちそのものによる動きでした。あなたが魂について、魂と再びつながり一体となることについて話した時、それ自体がメッセージです。それがメッセージなのです。私たちの行為により、私たちは堕落しました。人間は堕落し、私たちは堕落しました。そして私たちが堕落して以来、私たちの存在の霊と魂に向かう代わりに、暗闇で一杯のものに向かってきたのです。そしてその暗闇のために、私たちは魂がどれほど力強いものかを知らないのです! 眠っている間にも魂は旅することができることを知らないのです!

協働者:そうです。そのとおりです。

司会者:さあ、もう終わりの時間です。ムハンマドさん、もう時間がなくなりました。電話してくれてありがとう。あなたの美しい貢献に感謝します。ありがとう。

通話者:ありがとう。あなた方を愛しています。

今月号の内容概説

 今月号の本誌を貫く主なテーマの一つは「関係」である。覚者の記事の一つにはこう書かれている。マイトレーヤにとって、「正しい人間関係の時代の幕開けをするための機会である。それは世界中至るところにいる男女の積極的な反応と参加を必要とする──外的な機構(しくみ)と内的な認識に対する世界的な継続的な変化の過程である」。
 ヴァンダナ・シヴァはコモンズ(共有財産)について語るとき、同じアイディアを表明している。「コモンズでは、私たちは地球とお互いを気遣い、共有する」
 写真家のカミール・シーマンは(p.21の「氷山の雄大さと人間の静けさ」というインタビューを参照)自分の仕事と観察を通して、「私たちはすべてのものとつながっており、すべてのものがライフ・フォース(生命力)を持っている」ことを明らかにしている。彼女が祖父から学んだことは、真の人間になるとは、「私たちがすべての人や──人々だけでなく──すべてのものと相互に関係し、つながり合っていることを知ること」を意味する、ということである。
 推奨図書は、多くの側面を持つアニー・ベサントの生涯に脚光を当て、見かけの異質性と統一性との関係についても説明している。ベサントは、神智学の統合的な要素が、自分の探究するマインドと精神を安堵させるものだということに気づいた。「なんとも首尾一貫し、なんとも精妙で、それでいてなんとも知的なのでしょう。バラバラの事実が巨大な全体の一部として見られました……」
 私たちがいくつかの記事を通して追求している別の重要なアイディアは、人生のあらゆる側面は霊的と見なすことができるだけでなく、もし私たちがこの惑星と私たち自身、つまり人類に健康的でもっと健全な生活様式を取り戻させるとしたら、あらゆる様相が霊的であると見なされなければならないということである。さまざまな本からの引用で構成される選集のタイトル「経済に関する霊的な見方」は、シェア・インターナショナル誌がその主要な特徴の一つを提示するのを可能にしている──つまり、分離した人生の側面のように見えるものを統合する本誌の独特な能力のことである。今月号の場合は、私たちの経済システムが共通の善に仕えるように、経済システムを本質的に霊的なものと見なすことが緊急に求められていることを明らかにしている。アート・ユリアーンスは著書『架け橋』の中で次のように書いており、それが今月号で再掲載されている。「人類のすべての部分が状況やニーズに比例して合理的に利益を得ることを可能にする平等な基盤が考案されなければならないだろう。こうした問題を、戦争や武力外交によって、あるいは最も強い者や何らかの好ましい戦略的状況を利用する者による利己的な強奪と保有によって解決することは決してできない。このような厄介な問題を解決する方法は一つしかないだろう。それは寛容や理解、話し合い、相互の善意によるものである」。マイトレーヤ御自身がそれをどのように表現しておられるかをご覧いただきたい。「市場フォース(力/エネルギー)は悪や混乱や破局のフォースであり、そしてその子供は競争と比較である」
 これによって私たちは、正しい関係というアイディアに立ち返ることになる。慰めと助けを必要とするすべての人々のために、「マイトレーヤの手形」に焦点を当てる短い選集を通して、マイトレーヤの愛にあふれる慰めを読者にお届けできることに感謝したい。