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助けが必要とされる——そして提供される

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は記事を提供してくださった。それらは書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思わる時にいつでも掲載されるように提供されているのである。

助けが必要とされる——そして提供される

──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 2006年9月

もし助けがなければ、地球の人々の大多数に大きな混乱と危険とひどい心痛をもたらす生態系、政治、経済の問題を直すための時間を、人間はもうほとんど持たないことが間もなく明らかになるだろう。地球の歴史において類のない状況である。人間が、管理人として、この惑星とそのすべての王国(動・植・鉱物界)の福祉を注意深く管理し、そして未来の世代のために活気にあふれた健康な惑星の住み処を引き渡す責任を持つことに気づくことに、多くがかかっている。人間の捕食的行動と無頓着な無視ゆえに、この惑星はあまりにも不健康になっており、もしこれが人間だったならば、回復の見込みはほとんどないだろう。人間と低位王国の住み処は、進化の大計画におけるその役割を果たすために、看護しながら健康を回復させなければならない。

同様に政治の領域においても大混乱が君臨する。諸国家は、過去に専念し、自分たちの方法がもはや今日や明日の必要に適応しないことを見ることができないグループによって導かれている。盲目で傲慢な彼らは、いのちの舞台を時代遅れの役者のように、方向も台詞も不確かなまま、威張って歩く。これらの破壊的な権力の強奪者に対して、『出口』と書かれたドアが大きく不気味に浮かび上がる。

経済と社会の領域は最も嘆かわしいものである。世界の富がますます少数者の手に流れ入るかたわら、数え切れないほどの人間が生き延びるための最低限を乞う。さらに何千万の人々は乞う力もなく、見捨てられて、人生を味わう前に死ぬ。これらの嘆かわしい、そして危険な状況を直すために、人間に何ができるか。彼らは苦悶の中で誰に助けを求めることができるのか。

極端な窮乏の中にある人間が助けを求める源は一つしかない。その助けは、求めさえすれば彼らのものである。あなた方の兄たちであるわたしたちは、あなた方の福祉と幸せのみを求め、いつでも喜んであなた方を援助し、そしてすべてのもののためのより良い未来への道を指し示す用意がある。

わたしたちはすべての人間をひとつとして、大いなる家族の兄弟姉妹として見る。同様に、人間は分離感を彼らの心(ハート)から払いのけ、そして人間の条件の中核にある同胞愛のリアリティ(実相)を再発見する必要がある。人間は、すべての人間は、潜在的に神であり、彼らすべてが栄える条件をぜひともつくらなければならない。これをなすために、あなた方がその方向へ最初の小さなステップを踏み出すとき、わたしたちは喜んであなた方を助けるだろう。その最初のステップは難しくもないし、危険をはらむことでもない。

失うものは何もなく、得るものはあなた方の神性である。その最初のステップは「分かち合い」と呼ばれる。

 

神への道──選集

The Path to God──a compilation

「神への道」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』と『シェア・インターナショナル』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

わたしの計画は、あなたがたの真なる姿をあなたがたの裡に気づかせ、あなたがたが神御自身そのものから出でた者であり、その聖なる本源へ戻らねばらないことを示すことである。わたしの任務は、その行程を、正当なる嗣業に辿りつくためのあの長い道程を、楽にしてあげることである。わたしたちがお互いに兄弟として出会うときに、我が友よ、あなたがたはわたしの中に、その道をよく知っている案内人を、教師を、見るであろう。なぜならわたし自身ずっと昔にその同じ道程を辿り、その道の道標をよく知っている者である。

(『いのちの水を運ぶ者』第66信、p.196)

 

一歩一歩、人間は将来の必要条件を始動させるだろう。それらはすべての人間の運命と自由意志を尊重しなければならない。人生の基本的必要に対する権利、すなわち食物、住居、医療、教育がすべての施政活動の方向を条件づけなければならない。環境──そしてそれに必然的に伴うところのものすべて──の保護が、神聖なる義務とならなければならない。そしてそれは、人間が やがてこの惑星を健康に戻すために手当てをすることを可能にするだろう。もし人間が彼らの生得の遺産を受け継いで、再び神への道を見つけようとするならば、そうでなければならない。

(『覚者は語る』—将来の必要条件—p.519〜520)

 

マイトレーヤは、われわれが非常に高位のレベルから、物質主義の中にどっぷりと浸かったこのレベルにまで落ちてしまったことを示し、分かち合いの原則を受け入れて、ひとつの兄弟同胞感を表すことで、再び、競争ではなく一体性につながる霊的な道を歩むことができることを示してくださるだろう。新しい時代、統合の時代とはそのことである。統合とは分離分裂した様々な部分を共に引き寄せ、一体性を、和合をつくることを意味する。

(『人類の目覚め』p.15)

 

神への道はただ一つ。我が友よ、あなたがたはすでにそれを知っている。神への道は、同胞愛と正義と愛の道である。他の道はない。すべてがこれに含まれている。この道はつらくきびしい道であると思う者は多い。しかしそれよりもはるかに多くの者たちが、喜び勇んでこの道を歩むだろう。古くすたれた役に立たない過去の小事を捨て去って、その荷の軽さに喜びながら。互いに同胞愛を実践し、すべての者と親しみながら、己自身の真性を受け嗣ぐ者の数は多い。そしてますます増えるだろう。

(『いのちの水を運ぶ者』第15信、p.63〜64)

 

人間の現在のジレンマの結果をわたしたちは知っている。そしてカルマ(因果)の法の許す範囲内で、最大限に援助する。また、わたしたちは、人間が自分たちの自由意志で未来の栄光への道を選ばなければならないことを知っている。それは人類同胞愛と愛と正義と分かち合いの道である。わたしたちは人類の必要にはせ参じる。わたしたちは教え、そして仕えることに励む。人間自身が行動しなければならない。そして体験の厳しい試練の中で、自分の神性を試さなければならない。

(『覚者は語る』—飢餓の終わり—p.346)

 

覚者方の見解では、宗教的な行路は私たちの生来の神性を実演するためのたくさんの行路の一つにすぎません。宗教は神性の認識を助けるかもしれませんが、神は宗教にあるのではありません。人生のすべての側面、つまり政治、経済、宗教、全体としての社会、芸術、文化、科学、教育、および人間活動のすべての分野で、私たちは神と呼ぶところのものを表現するような生き方をすることが可能です。

(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.267〜268)

 

新しい時代は新しい見識をもたらし、人間は人生を冒険として、発見の旅路として対処するだろう──神と人間は一体であるという事実の発見、探求者の限られた視界以外に分離するものは何もないという発見、そしてすべての人間が同じゴールに向かって異なったコースを歩むということ、われわれが努力しているすべてのゴールは、認識されるのを待つわれわれの神性を実現することであるという事実発見の旅路である。

大いなる再生誕の法則のもとに、われわれはその旅路を何度も何度も繰り返したどり、そしてついには自己を完成した「神の子」として、われわれ自身の理解の光の中に入るのである。

(『覚者は語る』—再生誕の法則—p.114〜115)

 

完全に到達する道はたくさんある。しかし単純な道が最良である。わたしの道が、愛の道が、人間を最も速やかに本源なる神に至らしめる。もしあなたがこれを見ることができれば、間違うことのない、真なる道を進むだろう。これはすべての人間にとってそうである。

(『いのちの水を運ぶ者』第58信、p.172)

 

帰還の道は今あるがままのこと(WHAT IS)についての意識、そしてそうあるもしれないところのこと(WHAT MIGHT BE)についての意識が進化しつつある個人としての探究者に知られるようになっていく道であります。言い換えれば、あなたが探究するにつれて、志向するにつれて、自分の前に、ジュワル・クール覚者の言葉によれば『蜘蛛が自分自身の存在の裡から絹のような糸を創る』ように、それと全く同じように帰還の道を、まだ敷かれていない道を創っていくのです。それは全体に対する己の関係を構成するところのものについての認識の増大です。それによって私たちが自分たちと全体との、大宇宙との連結性についての認識と経験をますます深めていく手段であります。

(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.474)

 

前方の道が思ったよりも簡単であることを、あなたがたはまもなく知るだろう。前方の道は、我が友よ、太初からあなたがたを招いていたのである。わたしの計画の中では、未来への道と神への道は、結びついたものである。あなたがたが正義と愛の径に足をのせるとき、神に向かう上昇を始めるのである。神において本質的に変わるものはない。

(『いのちの水を運ぶ者』第108信、p.324)

 

彼[マイトレーヤ]は人間に、彼らの長い歴史と、彼らが克服してきた多くの危難について思い出させるだろう。マイトレーヤはわれわれ自身の光り輝く未来についての信の種を蒔き、人間の永遠の神聖を保証するだろう。人生の道、進化の旅路は絶対確実に前進へ、そして上へと導くことを示すだろう。そしてその旅路を、兄弟姉妹として共に歩むことが最も確実な方法であり、最も歓びに灯された道であることを示すだろう。

(『シェア・インターナショナル』2007年3月号、

「覚者より」—光の勢力は集合する—)

 

我が友よ、わたしはその他にもあなたがたを必要とする──あなたがたの歓びを感じることのできる能力を必要とする。この聖なる様相を、すべての人の心に喚び起こし、人類の先方には、輝ける真理の道、本源に直接つながる道が広がることを示す。愛と歓びを顕すことによって、最も速やかに、あなたがたはそこへ導かれる。

(『いのちの水を運ぶ者』第92信、p.272)

 

奉仕は進化の梃子のようなものです。奉仕を通して、われわれが奉仕する相手と自分を同一認するようになるのです。そして、われわれの意識の焦点が自己から他へ移行する。個人的な利己的なところから、非個人的な非利己的なところに移るのです。……

われわれは奉仕をし始めると、ますます視野が拡がり、より多くの人々と一体化し、やがてすべてのものと一体化できるようになります。自己をすべてのものと同じと見ることができるようになるとき、われわれはそのすべてのものになるのです。われわれは神であります。われわれの神性を解放するのです。

(『世界教師と覚者方の降臨』p.191)

 

神に到達する道はたくさんある。しかし、もっとも速く確実なのは奉仕の道である。これほど神の特性を十分に宿す道は他にない。この道の上にあなたの位置を占め、あなたの魂の指図を遂行しなさい。あなたの心(ハート)の命令に従い、世界の必要に目覚めなさい。奉仕の道に入り、大計画の中におけるあなたの位置を受け入れなさい。そして神への道にしっかりと足を踏みしめなさい。

(『覚者は語る』—勝利は保証されている—p.84)

 

人類がひとつの巨大な集団(グループ)として、進化の旅路における様々に異なった段階において共に旅していることを人々は理解し始めるでしょう。私たちはみな、本当に途方もないところへ向かう進化の道に沿って一緒に歩んでいるのですが、私たちのマインド(頭脳)は現在の段階ではそれを本当に理解することが困難です。

『人は神の特質のすべてを表示する神のような存在となる』と言うことは、覚者にとっては容易です。私たちは神の特質のすべてが何かさえ知りません。神の知(インテリジェンス)については知っていると考えます。巨大な知力がどのようなものか、あるいは完全に無条件に愛する能力がどんなものかについて、何となく分かるような気がします。神の愛はそのようなものに違いないと想像します。……『神の意志』という神秘的なものが多くの人々の心(マインド)を引き付けはじめるでしょう。あの途方もない神秘──神の意志とか目的がどのようにして知られるのか、それは何か、どのようにして表されるのか──を理解したがるでしょう。これらの(私たちはすでに知っていると思っている)ことを十分に理解するためには、他にさらなる神の様相を知らねばならないのか。

やがて、これらのことすべてがますます、より多くの人々の関心事になるでしょう。理解するためには、人々は教育されていなければなりません。覚者がいのちの教育、新しい時代の教育について話すとき意味するのは、そのような教育です。そして人々は、自分たち自身を潜在的な神々として認知するのです。私たちが自分たちを潜在的な神々として認知すると、それにつれて志向が増大します。

(『光の勢力は集合する』p.181〜182)

 

わたしの使命は、あなたがたに神への道を示し、本源への単純なる道を示すことである。多くの者にとっては、その道は終わることのない困難に満ちたものに思えることを、わたしは知っている。まことに、我が友よ、そうではないのである。その道に入り進むにつれて、わたしたち自身がそれを規定するのである。わたしたちが道であるとき、道はわたしたちの前に、法に基づいて開かれていく。非常に単純なのが神への道である。非常に単純なのがその上のステップである。そしてその聖なる道には多くの手伝い人や案内人が居る。

(『いのちの水を運ぶ者』第126信、p.378〜379)

 

必要に迫られて、人々は再分配の可能性とそれから必然的に生じる正義に新鮮な目を向けるのに気づくだろう。そしてそれが良いことを知るだろう。このようにして、一歩一歩、人間は、貪欲と搾取で築かれた彼らの壊れた殿堂を、すべての人々の必要に応える素晴らしいものに変容させていくだろう。かくして、マイトレーヤは人間をこれまで見たことのなかった霊的な旅路のために整えさせるだろう。その旅は、やがて人間を本来の彼ら自身の姿である神にしていくだろう。

(『覚者は語る』—未来の声—p.518)

 

正しい人間関係は私たちが一つであることを認識するときに起こります。人間種族を一つのグループと認識すること──肌の色が違っていても、経歴が違っていても、歴史が違っていても、同じ源から来た一つのグループ、つまりすべてが転生している魂であると認識することが根本的に必要なのです。魂としての私たちは神聖であり、完全です。そしてその完全さの具現へ向けた進化の旅路の途上にあるのです。

(『大いなる接近』p.225)

 

わたしの到来が間近であることを心の裡に悟っていない者は、世界中にほとんどいない。意識のすべての次元においてこの真理は響き渡る。あなたがたが兄弟たちに近づくとき、このことが確かであることに気づくであろう。あなたがた一人ひとりが心の裡に、遠くから招く新しい光を見たのである。その光は未来の約束を携えている。人類が神に還える径を歩むとき、その光は、それまで地上で見たこともないような炎になるであろう。

(『いのちの水を運ぶ者』第23信、p.83〜84)

 

その逆を示すあらゆる証拠にもかかわらず、人間は、変化を、同胞愛と正義のリアリティ(実相)の再主張を、調和と平和の必要性を、受け入れる準備ができている──事実、切に願っているのである。かくして人々は、今や実践に翻訳されたこれらの往古のシンボルを呼びかけるマイトレーヤに応えるだろう。

であるから、未来への前進を、そしてあらゆる国々の民の間の正しい関係の確立を阻むことのできるものは何もない。そうして、人間を彼らの予め運命づけられた完成への道へ復帰させるための一つの計画が展開するだろう──大胆でしかも単純、複雑でしかも明確、古来のものでしかも輝かしく現代的である。

(『覚者は語る』—「世紀の終わり」—p.443)

 

神への道

——『覚者は語る』p.369

 

今や非常に間もなく、世界は、長い待ち時間が終わったことを、「人の子」はその約束を守られたことを、そして新しい時代が始まったことを知るだろう。人々がこの方を見るとき、その出現の理由を、そして彼らの協力が必要なことを理解するだろう。なぜなら、この方はこの時代の主な必要を示し、地球の再建のために、彼らの助けを招くだろうから。成すべきことはたくさんある、なぜなら世界全体がその変容を待っているのだから。たくさんの手が必要とされる、なぜなら変化はすべての人間に関わるから。マイトレーヤが現代の人間の舞台に公に入られるとき、彼は喜んで手を貸す助力者の軍勢を傍らに招くだろう。

マイトレーヤの御顔が見られ、彼の臨在が知られ、彼の勧告に注意深く耳が傾けられるようになるまでの時間は今や本当に短い。マイトレーヤの助言は現在の病の全領域を網羅し、それらの緩和と治癒の方法を指し示すだろう。

彼は、もっとも苦難を被っている者たち──虐げられ、見捨てられた者、つまはじきされる者、貧しい者──のために語るだろう。黙って不必要に苦しみに耐えている者たちのために語るだろう。彼は、兄弟姉妹を助けたいと願う者たちを活気づけ、新しい奉仕の改革運動を始動させるだろう。そのようになるだろう。そのようにして、マイトレーヤは、地球的規模の先駆者のグループの形成を鼓舞するだろう。彼らの任務は、長い間苦難の中に生きてきた世界中の窮乏する者たちに救いをもたらすことだろう。これまでのどのような企画をもはるかに凌ぐ継続的な援助のプログラムが、もっとも窮乏する者の生活を速やかに回復させるだろう。

すべての分野において、進歩への障害物は一つ一つ対処されるだろう。今日蔓延する貪欲と利己主義は、社会共同体についてのより広い見解に取って代わるだろう。すべての者の基本的な必要が優先されるだろう。自然と環境に対する新しい関心が律法の中に組み入れられて、普遍的に受け入れられるだろう、そして自然の贈り物への賢明な管理につながるだろう。大幅に増える国際的な旅行が、今日何百万の人間の視野を狭め彼らを無知の中においている孤立と偏見を減少させるだろう。人々の心(マインド)をつかんでいる古いイデオロギーの力は徐々に弱まり、新しい寛容と信頼に道を譲るだろう。

そのようにして新しい環境が生まれ、その環境の中で、最も野心的な変化は善意の精神の中に起こり得る。人間の行動の尺度として、「普遍的な善」が己の利害に置き換わり、そして増大する融和の中で地球の人間は新しい時代へ前進するだろう。そのようになるだろう。そのようにして、マイトレーヤと彼のグループの指導の下で、人々は再び正しい道を、神への道を歩むようになるだろう。

(シェア・インターナショナル誌1994年1月号)

 

若者の大志ーソール・ブラザーズ社

2016年に米オハイオ州シンシナティで開催された NAACP(全米黒人地位向上協会)の大会期間中、私たちシェア・インターナショナルのブースが、3人の啓発された若者のブースと直接隣り合っていた。彼らは、親の助力と励ましを受けて、スニーカーを買うことのできない若者たちに新品または「あまり使用していない」スニーカーを提供するソール・ブラザーズ社と名付けられたサービス・プロジェクトを今年度に開始した。この13歳の少年たちは、コネティカット州の有名私立校に通っているエリート運動選手や学業優秀者であった。私は彼らの話をもっと知りたくて、私たちの雑誌に紹介したいのでインタビューに応じてくれないかと尋ねてみた。彼らは人類の多様性の中の和合という私たちの簡明なメッセージに共感して、喜んでインタビューを受けてくれた。

このプロジェクトのアイディアが浮かんだのは、ある日、最新の高価なスニーカーを少年たちがほしいと声を上げた時であった。その時一人の少年の母親が、世界中の非常に多くの子供たちがシューズを買うことさえできないのに、豊かな国の人々はシューズをたくさん持っているのは気がかりだと話したのである。彼女はジャマイカに行き、ダンボール紙を靴代わりにしている子供たちを見たことがあった。これは悲しいことだと少年たちは考え、使い古したシューズをそこに送りたいとごく自然に言うようになった。そのようにして、これをどのように実行するかについての話し合いが始まり、発展していった。それからわずか数カ月の間に、地域のいろいろな店で「足の祭日」という名前のイベントを定期的に行い、人々が使用済みのシューズか新しいシューズの購入資金を提供できるようにした。彼らによると、このアイディアはジョークのような響きを持っていたにもかかわらず、人々は喜んで援助してくれて、とても楽しいものであったため、着実に企画を進めることができたという。

NAACP大会で少年たちは、1,000足以上のシューズをジャマイカの現地NPOの人たちと共に配って帰国したところであると述べた。彼らの旅行には、スポーツ分野で20歳までの子供を励ます目的を持つルジョン・ファウンデーションが行う毎年のサマーキャンプへのボランティア参加も含まれていた。私は少年たちに、旅行の感想と出会った人々に関する感想を尋ねたところ、ある少年が次のように答えた。「そこの子供たちは快活で、大きな口を開けて笑います。……ここアメリカでは見られない光景です。彼らはいま持っているものに感謝しており、たとえそれが何であれ、幸せに思っています。ここアメリカでは、例えば私の学校では、私たちは楽しそうではありません」。別の少年は、キャンプ内での自尊心養成のセッションで、若者たちが将来何をしたいかと尋ねられた時に、とても多くのジャマイカの少年たちは、親が過労にならないように親を助けたいと答えたことが印象に残ったという。

少年たちはソール・ブラザーズの将来の計画として、来年は寄贈されたシューズをガーナに持っていくための支援と申し出を受けていて、その次はハイチになるであろうと述べた。彼らはまた、ルジョン・ファウンデーションのキャンプに戻ってくるよう招待されている。彼らはジャマイカの若者たちや、喜んで彼らの手助けをしたいと思うすべての人に会ったことにより、世界を変える仕事に手を貸すのに若過ぎることはないことをひしひしと感じたと語った。そして彼らは、自分たちの仕事がひるがえって、他の人々が地域社会の人々を助ける刺激になってほしいと願っている。

(詳細については、solebrosinc.orgを参照してください)

 

宇宙全体のために歌う

編集長殿

2016年8月6日の朝、夫と私がフランス南部の地元のキャンプ場からディー・センターまで、日課の散歩に出かけた時、ディーのノートルダム大聖堂の、教会の鐘の音が聞こえました。

歩きながら、私たちはたとえ他の人の考えや期待に沿えないとしても、人生で正直であることや、人生の道のりに真に全力を捧げることについて話し合っていました。生まれ変わりやマイトレーヤのこの世界への出現、地球外生命の存在のような話題は、他の人々との会話に持ち込むことがしばしば困難なもので、大抵はバカにされているように感じるのです。

私たちはマイトレーヤの教えや、真に自分自身であることの必要や、適応のための行動の中で仮面を被らないことについて議論していました。その週の初めに、私は助けを求めて祈りを捧げ、この混沌として不安定な現代世界で、霊的ハイアラキーの光の仕事の枠組みに、つながりを保てるようにお願いしたのです。

私は大聖堂へ行って、キャンドルに火を灯すように強く促されたように感じました。内部に入ると、とても美しく感動的な音楽が、大聖堂を満たしているのが聞こえて驚きました。キャンドルに火を灯すと、気持ちが高揚したのを感じ、まるで私のハートに染み込む音の中に融合したかのようでした。私は立ったまま音楽のエネルギーに夢中になりながら、その音楽の源を見て驚きました。一人の男性が最前列の椅子の前の、石の床の上に足を組んだ蓮のポーズで座っていたのです。彼は体の前側にインディアン・ハルモニウム(携帯オルガン)を持っていて、完全に没頭して演奏していました。彼はとても自然な感じで、心を込めて歌い、演奏をして、まるで彼の存在全体が演奏の中に浸されているかのようでした。彼の演奏の強烈さがそれ自体を特別で馴染みのないものにしていました。それは全く美しいのですが、その独特の性質がどこか地球的でない感じでした。外の通りにいるミュージシャンたちのように聴衆もなく、お金を集めてもいませんでした。彼は自分の歌と完全に同調していたのです。

私は自分の個人的な状況について考え、食べ物や子供たちの面倒を見ること、請求の支払いやその他の義務、世界のニュースなど日々の関心事に、いかに簡単に心をかき乱されてしまうかを思いました。このミュージシャンが完全な注意と真の集中状態にあることと、どれほど異なっているでしょうか。言葉もなく、マントラもなく、彼はインディアン・ハルモニウムを伴奏しながら、心から歌っていて、それはまるで宇宙全体のために歌っているかのように感じられ、彼の存在が全くの奉仕の仕事の中に溶け込んでいるようだったのです。その音楽のエネルギーは、伝導瞑想中のマイトレーヤからのオーバーシャドウの時のエネルギーのようでした。この人はマイトレーヤなのだろうかと思ったのです。

それから礼拝者のグループが聖堂内に入って来ました。彼らはそのミュージシャンが歌っているのを聞いて、予期せぬ状況について意見を交わしていました。しばらくすると、聖具保管担当の人が彼らのところへやって来ました。私は腰を下ろして、その担当者がミュージシャンに美しい演奏を続ける許可をして、その特別な音楽を楽しんでくれたらと望んでいました。私はこの世界にもっと愛と寛容が必要だと思いながら、このディーの街で寛容の象徴的な行為を受け入れることになるなんて(!)と思ったりしていました。

私は一人で笑ってしまったのですが、もしこの男性がマイトレーヤならば、ご自身が完璧に状況を把握することができたのですから! その担当者はミュージシャンを数秒間眺めてから、演奏を続けることを許可しました。

私の夫のヤンは、この美しい活動が人生の道のりであるなら、何より深い敬意が示される必要があると思っていました。このことで彼は、私たち皆が、自分自身の人生の道のりをたどらなければならないと感じたのです。ヤンはそのミュージシャンの写真を撮り、お金をいくらか渡しました。「(フランス語で)あなたはとても気前がよいですね」と彼は満面の笑みでヤンに答えました。ほんの一瞬、彼は演奏を止めました。私たちは、10 代の私たちの娘を迎えに行かなければなりませんでした。

ミュージシャンが演奏している間、私たちは彼の前を歩いて通り、演奏を邪魔したくはありませんでしたが、彼の喜ばしい音楽に感謝の気持ちを示したかったのです。

「(今度は英語で話し始めて)私の音楽は純粋なインスピレーションによるもので、私のハートから、フィーリングから演奏しています」と話してくれました。

そのミュージシャンはインド人の風貌で、黒っぽい瞳で、彼の瞳は愛と優しさに溢れていました。私たちはマイトレーヤに出会ったかのように感じていました。私には他の写真を見ても、伝導瞑想の時でも、その瞳やエネルギーが分かっていました。私たちはうなずくだけで、何か口が利けない感じがして、強烈な愛と至福の喜びに満たされていました。

二人一緒に黙ったまま大聖堂を出て、日に照らされた人通りの多い市場のある広場に戻ると、マイトレーヤによる音楽とエネルギーで祝福を受けたのではないかと、二人ともが思っていたのです。

マリヤンヌ・ラエフェン、ヤン・カールハト

オランダ、フォーレンダム

【ベンジャミン・クレームの師は、その『ミュージシャン』が変装したマイトレーヤであったことを確認した】

 

クリスマス物語

編集長殿

2015年12月18日に、プレゼントのためのクリスマスの買い物中に、私はスロバキアのトレンチーンにある大型の電器店で息子に出会いました。私たちが別々のノート型のパソコンを見ていた時、一人の男性が店にやって来ました。即座に彼に注意を引かれました。彼は上機嫌で楽しそうに通路を歩く間、親しげな打ち解けた様子で人々に挨拶をしていました。彼は楽しそうな様子のサンタクロースのように思えました。彼の長いあごひげはあらゆる方向に向いているように見えました。彼の瞳はきらめいていました。彼の格好はとても変わっていました。ホームレスのような服装だったのです。長い丈の明るい青色のコートを着て、頭には毛糸の玉がてっぺんに付いた、クリスマスツリーの形のグレーのウールのキャップを被っていました。私は、コンピューターを比べることに忙しくしていた息子に、彼のことを教えました。彼の楽しげな様子は、私を笑顔にしてくれました。しばらくすると、警備員が彼を店から連れ出してしまいました。あの男性はマイトレーヤだったのではないかと思うのです。

ペテル・ヴァイス

スロバキア

【ベンジャミン・クレームの師は、その陽気な男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

保護

編集長殿

2014年12月30日、冷たく暗い夕方の午後6時45分の道路で、ラッシュ時も終わりかけていて、ほどほどのスピードで運転でき、所々凍った郡の道路には適切に思えていましたし、車線上の亀裂にタイヤがはまったとしても十分に乾燥していましたが、車線の外側は凍結状態が残っていました。

ボールダーの伝導瞑想メンバーである私たち二人は、近隣のコロラド州ロングモントにあるコニー・シェイファーの家での伝導瞑想に参加するため、毎週のドライブ中でした。私たちが追い越し車線にいた時、1台の車が突然、右の車線から私たちの方へ曲がってきて、ほとんど助手席の私にぶつかりそうになりました。私の自動反応機能が働き、「ああ、神さま」と叫んでいました。メンバーのザック・キャッスルマンは衝突を避けるために、道路の左端へとハンドルを切りました。道路の凍結のために、車は制御できなくなり、後部が左右に振れたり、何度も前後に曲がったりしながら、180度回転すると、私たちの車に向かって進行してくる車線に対して後ろ向きに走っていました。

車は後ろ向きで進み続けましたが、左側の北方向の車線から、道路の一番右端へと移動しました。この逆向き運転はゆっくりとなっていきました。車の後ろ向き進行はとても深い溝の脇に沿って進みました。それから車の後部が溝へと向かっている感じがして、その溝は夜の暗がりの中で果てしなく深く見えたので、横転するのではと思いましたが、その後、車は後部から溝の中をゆっくりと進み、驚くほど穏やかで、幾分唐突に止まったのです。

車の流れは途絶えていませんでしたが、私たちの車の前部はその流れから逸れていました。車は道路に対して鋭角に止まっていましたが、私たちは安全でした。私は助けを求めて電話をしましたが、要請が多いため3時間待ちになると言われました。それほど時間が経たないうちに、小型のトラックに乗った二人の若いヒスパニックの男性が車を止めて、私たちの車を溝から引っ張り上げることを申し出てくれました。彼らが何の苦もなく私たちの車を引っ張り出した様子には、本当に驚きました。私たちは心からお礼を言い、面倒をかけたことへのいくらかのお金を、彼らはためらいながら受け取ってくれました。その間に、私たちに衝突しかけた運転手が、私たちの車を探して謝罪してくれました。その人が言うには、私たちは彼の『死角』にいて、バックミラーでも見えていなかったということでした。私たちはそのままドライブを続け、ほんの 30分しか遅れず、その体験に少し動揺もしていていましたが、どこにも悪い所もなく、無事でいることをとても幸せに感じていました。

特別な方が車を安全に移動する手助けをされましたか。二人のヒスパニックの若者は特別な方たちでしたか。

ロン・ルークス

米国、コロラド州ボールダー

【ベンジャミン・クレームの師は、あらゆる面でイエス覚者の弟子たちによって助けられたことを確認した】

 

 

読者質問

Q  1947年にニューメキシコ州ロズウェルで何が起こったか、言うことができますか。UFOが墜落したのだとしたら、中にいた人々はどうなったのですか。

A はい、それは(火星からの)UFOの乗組員が意図的に墜落して、アメリカの当局が墜落した乗り物と肉体を調べることができるようにするための幾つかの出来事の一つでした。乗り物と肉体は非常に急速に消滅するので、彼らはこれを迅速にしなければなりませんでした。5人の乗組員がおり、4人は即死し、1人はしばらく生き延びました。全員が当局によって医学的に検査されました。しばらく後に肉体は消滅し、溶けてゼリー状の物質になりました。なぜなら、彼らの肉体はエーテル物質だからです。彼らの肉体と乗り物は高次のエーテル・レベルで現れることもできますが、波動を下げることで私たちに見えるようにもできます。アメリカの当局は多くのことを学びました。彼らは、乗り物が消滅し分解する前に、多くの情報を集めました。

Q  光のテクノロジーを使えるようになるまであとどのくらいかかりますか。

A 私たちが永久に戦争を放棄し、すべての武器を破壊するや否や、私たちは宇宙の兄弟たちから光のテクノロジーを与えられるでしょう。それは私たちにかかっています。戦争を永久に放棄するや否やです。私たちがそのテクノロジーを与えられても戦争を放棄しないならば、それは核兵器よりも数千倍危険でしょう。ですから、私たちが本当に戦争を放棄し、永久に紛争をやめないならば、その知識は決して与えられないでしょう。

Q 火星と金星を植民地化しようとする人々がいます。火星人と金星人はこれについてどう言うでしょうか。

A 彼らはこう言うでしょう。「あなた方が私たちの惑星を引き受けたいというのはとても嬉しいですが、結構です。結構ですが、いずれにせよ感謝します」

 Q すべての人にとって十分な食料があるとしても、水はどうでしょうか。

A 食料と同じ原則が当てはまります。私たちは分かち合うことを学ばねばなりません。水が乏しい国々があります。例えばイスラエルとパレスチナは同じ水を使っています。イスラエルは大半の水を使い、パレスチナは残りでやっていかなければなりません。分かち合うことが必要です。

Q 最近のオーバーシャドウは世界中で起こったのですか。

Aいいえ、それは英国に限定されていました。

Q 人が自分自身の神性を体験するにはどうすればいいですか。

A すべての人が神であり、すべてのものを創造する潜在力を持ちます。マイトレーヤを見るとき、彼は途方もなくそして素朴で、あなたが想像するより素朴であることに気づくでしょう。あなたは彼が信じられないほど謙虚であるのを知るでしょう。彼は信奉者を欲しません。彼は教師です。彼は教えることを欲し、私たちが望むならば、学ぶことができます。マイトレーヤは決して自由意志を侵害しません。しかし彼は、私たちが非常に複雑な問題、人生の意味と目的について理解できるように、慈悲と理解をもって単純に教えます。私たちは人生の意味と目的を知っているでしょうか。私たちはなぜ私たちがここにいるかを知っていますか。地球に存在するものの目的は何でしょうか。私たちは何でもできると思っていますが、何も知りません。私たちはもう一度、子供のようにならなければなりません。覚者方と共に働き、私たちが教えを必要とするところで彼らは助言を与えられるでしょう。

マイトレーヤは神のように崇拝されることを欲しません。人々はキリストについての彼らの観念、仏陀の観念、クリシュナやその他の彼らが求める観念を崇拝します。彼はあなたがあなた自身であることを望みます。あなたであるところのものです。他の誰かではありません。誰かを模倣するのではありません。あなた自身であることです。

神は表現されるべき経験です。あなたは意識を拡大して気づくようになります。それはすべて認識に関わっています。私たちは認識がないので愚かなことをするのです。私たちは忘れます。私たちの生活を支配する法則を理解していません。私たちはそれを存在しないように扱っていますが、法則は存在します。

人生はアート(術)です。それは学ばれなければならず、それを支配する法則は学ばれ尊重されなければなりません。

この新しい時代に人生のアートは信じられないほど発達するでしょう—生活のあらゆる分野において。この時代は生きるに値します。

 

2016年8月号目次

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-覚者より
扉を叩く者

S.O.P. (Save Our Planet) -われわれの惑星を救え!
中国:「生態文明の青写真」
緑の革命一可能性は無限大

マイトレ一ヤの優先順位
世界難民の日

故ヴァーツラフ・ハヴェル氏による賢者の言葉
「人々と地球を気づかうシステム」

子供の難民
アポストリス・フォティアディス

地球外生命の存在について明言する

UFOと核兵器一新しいドキュメンタリーが発表される

新興国主導で、2015年に自然工ネルギーが急成長する
ディアドラ・フルトン

時代の徴
世界中にあふれる徴

世界情勢
国境の先を見る
カナダが北米先住民たちと新たな関係を結ぶ/バイオガラス- 3Dプリンターで作成された画期的な軟骨

単に人間であるための月収
レスリー・グッドマン

編集長への手紙
日本講演レポート

読者質問欄
回答:ベンジャミン・クレーム

 

 

扉を叩く者

ーー覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
折々、国の歴史の中で、深い内省が行われなければならない時期が来る。憲法(書かれたもの、書かれていないもの)の中に祭り上げられた理想を、実際の業績の中で再検討し、その達成を評価しなければならない。これが正直に偏見なしに行われるとき、新しい冷静な現実感が現在の自賛に取って代わるだろう。多くの国々のリーダーは自賛に耽ることによって、国民の生活を握るよろよろした力を維持しようと望む。彼らの時代はほとんど終わっている。
間もなく起こる出来事が政府の力を再分配し、国民を解放するだろう。今日の見せかけの民主主義は本当の参加に道を開け、人間の長い間の正義と自由への希求に新しい一章を開くだろう。
これらの言葉が書き記されている間にも、ある計画が始動しはじめており、それがこの過程を速め、何百万の人間の、痛みで破壊された心(ハート)に歓びをもたらすだろう。彼らは忍耐強く待つ──期待することのない貧しい者たち、乾ききった無情な砂漠の中に牛のように群れをなす者たち、世界の誇り高い都市の中で住処なく職のない者たち、高原のやせた岩土を耕す者たち──彼らは救出を待つ。そしてそれは今、扉を叩く。
もうすぐ彼らは救助してくれるお方を見るだろう。多くの者はすでに見たのである。そしてその方のお願いを再び見るために生きる。この時を汚している戦場の中で、この方はすべての者に平等に恩寵を持って現れる。間もなく、この方が巧みにつくられた多くの奇跡によって、至るところにいる男女の心(ハート)がこの方を慕うだろう。癒しの水は一つずつ発見されるだろう。そして人間の宮殿の大浄化が始まるだろう。
何事もまったく同じ方法で二度起こることはないことを歴史が教える。時と進化が出来事の再生を確実にする。救い主が過去の方法で現れるのを待つ者は空しく待つだろう。新しい時代は新しい方法を要求し、新しい問題は新しい解決法を要求する。
このようにして、マイトレーヤは現在の状況に、すべての人間を取り囲む問題──飢えや争い、惑星の平衡、分かち合いと正義、平和と戦争の道程──に対処する。彼が人類を助けるために来られることは疑いないが、主に教えに来られるのである。であるから、彼の教えをよく聞きなさい。なぜなら、それにはいのちの本質が含まれているのだから。そしてその導きとインスピレーション(鼓舞)によって、あなた方はあの星々にたどり着くのである。「未来は何をもたらすのだろうか」と問われたら、こう答えなさい──輝ける星が天空におけるその正当なる位置を放棄して、われわれの中を歩くことを選ばれた、そして地球上でまだ見られたことのない贈り物を携えて来られるのだ、と。その方の名をマイトレーヤという。この「幸いなるお方」は、人間に彼らがなることのできるところのものについての方法を教えるだろう。人間に神のハートヘの秘密の入口を示して、その中に案内してくれるだろう。人間と天使と共に歩いて、これらの二つを関係づけるだろう。模範と教えによって、自己救済への道を示されるだろう。世界を再生し、活気づけるだろう。この方が扉を叩く音に耳を傾けなさい。
(1993年1月)

 

日本講演レポート

本誌監修者、石川道子講演会は、仙台、東京、大阪、名古屋の4都市で開催され、いずれも盛況のうちに幕を閉じた。
最初の講演は、5月15日に仙台で開催され、2011年の大震災後6年ぶりの開催であった。聴衆は非常に熱心にこの希望のメッセージに聞き入っていて、そのほとんどが初めてこの話を聞く人々であった。収容人員180名の会場は220名ほどの人であふれ、別室が用意され、大画面のスクリーンを通して熱心に講演を聞いていた。途中で音声の不具合が起こったが、人々はホールに移動して、帰ることなく、4時間もの間、ホールに設置された画面をとおして熱心に講演に耳を傾けていた。
東京講演にはおよそ1,000人、大阪と名古屋では、600~700名の聴衆がやってきたが、名古屋では特に若い人々の姿が目立っていた。
どの講演会場でも、ワーカーたちが街中にポスターを貼って歩いたり、電車内ポスターを使ったりして、熱心に準備活動を行った。70万~100万枚のカードやチラシが撒かれ、大阪で産経新聞に掲載された全頁広告はことのほかこのグループの活動と情報を端的にわかり易く知らせる物だったことから、後にチラシとして各地でも使われた(以下の手紙参照)。そして、これはどの講演会場でも共通していたことであるが、聴衆の方々の姿勢がとても真剣であった。一言も聞き逃さないといった態度で、質疑応答を入れると4時間あまりになる講演に熱心に耳を傾ける姿がとても印象的であった。
各講演会主催地では伝導瞑想会も催され、100~300名の人々が参加した。講演旅行の最後に滋賀でワーカーのための研修会が開催され、179名が参加、熱心にこれからの活動について話し合った。研修会では土曜日の瞑想が始まる前に、ロンドンのクレーム氏とスカイプでつながって、マイトレーヤからの祝福のエネルギーを受けた。

ハイアラキーの援助

編集長殿
2016年 5月28日、石川道子氏の講演会がクレオ大阪で開催されました。当日は非常に熱心なお客さんが多く、石川氏のお話はとてもすばらしいものであり、みんなシーンと聞き入っていました。
講演会の広告に関して、4月30日の産経新聞大阪版に掲載された全面広告について、これまでとは全く違った流れがあったことについてお尋ねしたいと思います。
3月末ごろ、まだ講演会の2カ月前なのにいつもの産経新聞の広告代理店から何回も電話がかかり始めました。それは、講演会に向けて新聞の全面広告をやりませんか……というものでした。私はまだ早すぎると思ったので、適当に流していました。しかし、4月になっても何度も電話があり、だんだん次のような提案に変わっていきました。担当者は、「今までに出した全面広告はポスターのようなものだし、書籍を載せているけれど分かりにくいし、もうこれからは読者に伝えたい話の内容をもっと分かりやすく、そして読んでもらえるように提供した方が良いです。そうでなければ全面広告の意味がありませんよ」と言ってきました。
そして驚くことに、担当者は、「……講演の内容まで踏み込んで、このような講演会ですというように話される内容がわかる広告で、……また今までの視点とは違うバージョンをこちら(広告会社)が作ってみたいのですが、どうでしょうか」と言いました。私は内心そんなことは想像もしてなかったので、びっくりしました。また担当者は、「たとえ当日の講演会に来られなくても、読者がこういう話なのかと思ってもらえるものを、今、提供する必要があるんです! それを今、準備することが絶対に必要なのです! もうそういう時期に来ているんです! 石川講演会に向けての全面広告で伝えるインパクトが最も効果的です。今は早いと思っているかも知れないけど、全然早くないですよ! 作るのにも時間がかかるし、後になって、きっと早めに作っておいて良かった! ……と絶対に思いますよ! ……だから今、すぐやりましょう!」と、力説されてしまいました。
私は担当者のすごいパワーに圧倒されたので、本当にこの人が言っているのだろうか、と思ってしまうほどでした。
それから担当者は、「私が知っている範囲ですが、全面広告をやって読者からクレームが一件も来ないのはこのグループだけですよ。だから私は安心して勧められるんです。これまで、あなたたちの広告はいつも審査は一回で通るし……けれどこれは稀なことなんです。大手のメーカーでさえも審査が通らず、何回もクレームが来るんです、全面広告となると本当に難しいんですよ!」と言いました。
最初、私は毎日のように電話をかけてくる担当者に熱意を感じつつも、今までの原稿はこちらのグループで作っていたこともあり、まずグループと相談する必要がありました。講演者である石川さんにもお話すると、「すばらしいニュースでうれしい、思っていることをズバリ言ってくれた担当者に感謝したい……」とも言われましたので、私たちのグループは前向きに検討することにしました。
その旨を担当者に伝えて、パンフレットや石川さんのインタビュー記事、2015年度の石川講演のDVDを含めた数点の資料を渡しました。
そして1週間後に初稿が届きました。石川さんは、「見事な出来栄えで、伝えたいことが一枚にすべて網羅されており、大変すばらしい……」と感心されました。翌日、担当者から電話がかかってきました。「……どうですか。原稿は見ていただけましたか……」と静かに言われた瞬間、私はいつもの担当者とは違う雰囲気を感じました。私が、「……もう王道ですね……」と言うと、染み入るような声でゆっくりと「……王道で作りました……、言いたいことをすべて書きましたよ……」とやさしく言われました。それから担当者は、「自分は少しだけアドバイスをしただけです。私と製作者が決めたのは、クレーム氏がこういうことを言っているという流れでいきましょう、ということだけで、後は製作者が資料をしっかり読み込んで作ってくれました……」と言いました。
「この広告のタイトルの『分かち合いが世界を救う』については、製作者と私はすぐ一致しました。ここが大きすぎる字のように感じるかも知れませんが、これでインパクトを与えるのです。読者の目をここに集中させるのです。ここにはその力が集まっています。そうすると読者はどんどん引き込まれて読んでいくのです。それから、あなたたちはすばらしいボランティアグループだし、しかも、世界中にネットワークとしてつながりをもって活動しているということも分かるようにした方がいいのです……」
次に私は、たくさんのクレーム氏の著書(15冊)の中からよくぞこの2冊を出してくれましたね、と言うと、「この2冊は、今、非常にタイムリーなんです。今出す本はこれなんです。製作者がそうしたんです。これを今、前面に出さなくてはならないのです! ……ここを読めば伝えたいことがすべて書いてあります。それをここに書くのです。最初に書くと最後まで読んでもらえないのです。この場所でいいのです……」とだんだん熱く話してくれました。私はこんなにも真剣に私たちの活動について考えてくれていた担当者に驚いてしまいました。
全面広告は新聞社の審査も問題なく通り、4月30日の大阪版に掲載されました。関東のグループは、石川氏の講演会のお知らせ部分だけを東京、仙台、名古屋のものに変えて、この同じ広告を東日本エリアの産経新聞に全面で出したいということになり、担当者にその旨を伝えました。何度も電話のやりとりをしているうちに、2~3時間たったころ、急展開になり、「もう時間がないのでその原稿を使ってください、時間がないからいいですよ。もう好きなように使ってください!」ということになり、東京オフィスの審査も無事に通り、この全面広告が東日本全域で掲載されました。そして今後もこの原稿は全て自由に使ってもいいと言ってもらえました。
講演者の石川さんは日本全国のワーカーに向けて、今回の全面広告が出来た経緯を説明し、各人がその広告原稿の内容を読んだ上で、是非これを分かち合いたいと思ったら、講演会の案内と一緒にこのコピーを配布することで、情報の内容をより詳しく伝えることができる旨、呼びかけました。全国のワーカーは直ちに反応し、コピーの注文と寄付の申し込みが次々と入りました。すごい勢いで全国のどの地域も、この広告原稿を使って、もっと広報したいという意識になり、全国的に活気づいてきました。広告原稿を大量に印刷するにあたって、石川氏の最初の講演会である5月15日の仙台に間に合わせるためには、(しかも、5月の連休が始まる直前であり)、まさに超特急で印刷の手配が必要になりました(広告を作るのにまったく“早すぎる”ことはありませんでした)。
結果的に、新聞に掲載された他、この広告原稿のコピーは70万枚印刷され、全国のワーカーがそれぞれの地域で活動し、配られました。
石川氏は講演会での質疑応答の部で、情報を人に伝えるためにどうすればよいか、という質問に答えるときに、この広告のコピーについて話されたので、聴衆は帰り際に何枚も持っていく人々も多く、用意されていたコピーは各講演会場とも、あっと言う間になくなってしまいました。
全面広告に関するこれら一連の体験は日本のワーカーたちの広報活動をさらに活発にし、6月10~12日の週末に開かれたシェア・ジャパン研修会において、全国から集まった179名のワーカーはこの情報を伝え続けていくことへの決意を新たにし、今後の1年間を通して、このコピーを使用する方法などを討議しました。
この広告の作成に関して、マイトレーヤか覚者のお助けがあったのでしょうか。
U.M./滋賀県、日本
【ベンジャミン・クレームの師は、日本のグループがハイアラキーからの援助という贈り物をいただいたことを確認された】

(以下は同じ人物に関する3人の体験です)

特別な見守り

編集長殿
2016年5月15日、宮城県仙台市のメディアテークで、東日本大震災から6年ぶりに、石川道子氏の講演会を行いました。講演が始まる時間には180名の会場が来場者で満員になり、満員時の予備室として講演の様子をプロジェクターで実況していたスペアルームも一杯になるほど、講演会は盛況でした。ところが間もなく、スペアルーム(予備室)で実況していた講演音声が聞こえなくなるという機器トラブルが発生ました。スタッフは、機器の調整、お客様への説明と、想定外の事態に皆大わらわで対処していました。そのとき私(M.M.)もスタッフの一人として、状況を係に連絡するために走り回っていました。が突然、来場者の一人から声をかけられたのです。
「Mさんのことは、よく知っているよ。大丈夫だから」と、突然、私は名前で呼ばれました。
中背、40~50歳位の男性は、短髪で根元が白髪、整った顔立ちをしており、親しげな笑顔で話しかけてくるのです(服装は白か水色のアウトドア系のジャケットを着ていたような記憶がありますが、こちらも慌てていたので記憶が定かではありません)。見知らぬ人から自分の名前を呼ばれた私は驚きましたが、「あれ?  どこかで上映会をした時に会った人かな? それとも知人か親戚かな?」と考えましたが、思い当たりません。見覚えがないはずなのに、どこかで会ったことがあるような気もします。明るくて快活、言葉は東北弁で訛っていますが、とてもさわやかな印象で、周りの人と異なる雰囲気がありました。その男性とは、その後2回遭遇しました。
スペアルームでは音声が聞こえないからと、来場者たちは廊下設置のTVモニターへと移動していました。彼らは廊下のTV前に人だかりをつくり、座り込んでモニターを見る人もいました。が、これに対して会場側から、「防災上、廊下での立ち見・座り見はやめさせてほしい」という注意が出されました。しかし、音声がなかなか回復せず、スタッフはかなり焦っていました。
慌てていた私の後ろから、また彼がニコニコして現れ、「会場にいくつか空席もあるし、立ち見もできっから(できるから)、俺建築士だからよく知ってっから(知っているから)」と威勢よく言ったかと思うと、「立ち見はできません」と呼び止めようとする私を置いて、ピューっと走り去ってゆきました。かなりのスピードで追いつけないくらいでした。
その後、音声も復旧し、第2部の質疑応答のときには、(休憩時に途中で帰った人もいたので)スペアルームにいた人も全員会場内に座ることができ、スタッフもやっと胸をなでおろしました。
プログラム終了後、他のお客さんに混じった先ほどの白髪の男性とすれ違い、(今日はこのおじさんと何回も出会うな)と思いつつ、「先ほどは、ありがとうございました」とお礼を申し上げた所、彼は目でニコッと笑い返してくれましたが、周りのお客さんの様子を見守っているような感じでした。
人なつこくて活気があり、さわやかで確信にあふれた様子で、大工の棟梁さんかお祭りの仕切り役のような感じの人でした。席に座り講演を聴こうとする来場者の中で、なぜか彼だけが来場者の流れや会場全体を見守ってくれているように目立ち、「スタッフなみの活躍をしてくれて不思議なお客さんだな」と、とても心に残りました。(気仙沼市 M.M.)
講演会直前までたくさんの問合せ電話があり、また、やるべき広報は全てやりつくしたという想いから、私(M.M.)は晴れ晴れした気持ちで当日を迎えました。
第一部の講演後の小休憩の時、私は質問用紙を石川さんに届けようと7階フロアを足早に歩いていました。すると、突然男性から声をかけられました。その男性は白髪の短髪で中肉中背、年齢は40~50代くらい、ベージュでポケットのたくさんついているベストを着ていました。その方は、とてもピュアな明るい、生き生きとした目をされていて、とてもいいお顔をされていました。とにかく明るい雰囲気の方で、私を待っていたかのように、素敵な笑顔で片手を上げて「よっ!!  来たから」と言われたのです。突然だったので、私はどのような対応をしたか忘れましたが「ありがとうございます」と言ったのか、「どうも」と会釈したのか定かでありません。が、驚いたのは、その男性の挨拶の仕方が、私のことを昔からよく知っていて、親友のような旧知の知り合いのような、とてもフレンドリーな挨拶だったのです。私もどこかでお会いしたかもしれないと思うのですが、記憶をたどっても全く思い当たりません。今でもとても不思議な方でした。
あとで夫(M)と話していたら、夫に声をかけた人は私に挨拶された男性と同一人物だと思いました。
スペアルームでのモニターテレビのトラブルにもかかわらず、怒って帰られた方は2名だけで、その他の方たちは熱心に残って話を聞かれていきました。数日前に、電話の問い合わせをされてきた70代の講演者と同じ「道子」というお名前の女性が最後に「当日は、いい日になりますよ」とおっしゃった通り、とてもいい日になりました。(気仙沼市 M.M.)
当日はスペアルームでのトラブルがあり、スタッフは慌ててバタバタしているところで、スペアルームに出たり入ったりしている一人の来場者がいるのに私(U.C.)は気づきました。その方の動きはまるでスタッフのような動きをしていました。その方は、あとで聞いたらスペアルームの来場者を廊下にある大型テレビモニターの所に誘導した方ということでした。スタッフ以上に適切な動きをされて、誘導されたその男性が、普通の方とは思えなかったのです。ベージュ系のジャンパーを着た中肉中背の方でした。(仙台市 U.C.)
これらの男性は、来場者でしたか? それとも、トラブル対応のために助けを与えられたのでしょうか?
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、この助け舟をだしてくれた男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

読者質問

Q マイトレーヤの出現を早めるために私たちに何ができますか。

A それについて話しなさい。人々に話しなさい。これは最も重要な情報であり、あなたができる最も重要なことです──あなたが確信を持つレベルで、他の人々にあなたが知っていることを話すことです。あなたがこれを信じるなら、マイトレーヤに仕えるためにできることは何でもするでしょう。
あなたのハートが、あなたがどれほどのことを行い、どれほどのことを言いたいかについて指図するでしょう。もしあなたが100%の確信を持ち、あなたのハートが奉仕する欲求に満たされ、世界にとって何か重要なことをしたいと思っているならば、あなたは昼夜働き、マイトレーヤが現れる前にこの仕事をするためにあらゆることを行うでしょう。あるいは、信じてはいるが怠惰で笑い者になりたくないなら、人々に少し気が変だと思われたくないなら、あなたはもちろん慎重になり、何も言わないでしょう。あなたはマイトレーヤへ奉仕する機会を失うでしょう。何が起こっているかを世界に告げる機会を失うでしょう。
世界中のグループに、自分が関わっており働いていると感じたり、考えている人々がいるのを知っていますが、彼らはそうではありません。彼らが関心を持っているというのは真実ですが、関心を持つことと関わることは異なっています。彼らは自分が関わっていると感じることで自分を欺いています。彼らは私が彼らの国に来ると聞いて、突然興奮して数日間忙しくします。それから家に帰って、しばらくすると何の活動もしなくなります。私が次回行くときになると、再び関わるようになり、興奮します。しかし彼らは本当には関わっていません。彼らは他のグル、教師、このスワミ、あの聖者を巡り歩きます。それはただふりをしているだけです。重要なことは何もしていません。害は与えていませんが、マイトレーヤとは関係がありません。マイトレーヤのための道を整えるための時間はもうほんのわずかです。価値のあることをするための、すべての過去世にも値する機会を利用するか失うかは人々にかかっています。

Q 救世主(メシア)が来るとき、それは世界の終わりが近いことを意味するのですか。

A 世界教師はここにすでにおり、世界の終りではなく、これは人類にとって新しい時代の始まりです。しかしそれは、鍛えられ、グラマーから解放され、愚かさと破壊性から解放された人類です。人類を今の位置、災難に向けて進行している状態に導いたのは、その破壊性、貪欲、利己主義です。それがマイトレーヤ、世界教師がここにいる理由です。人類は変化の用意ができています。私たちはそうは感じないかもしれませんが、マイトレーヤは私たちに用意ができていることをご存じです。彼は世界のすべての人々のハートの中を見て、私たちに変化の用意があることを知ったのです。私たちは正しい選択をする準備をしなければなりません。彼はその選択を示すでしょう。私たちが人類と呼ぶものは一つの単位であり、一つの存在であり、一つの世界の兄弟姉妹です。ですから私たちは、どの家族もすることをしなければなりません──資源を家族全員で分かち合うことです。人類はこの観点から自分を見なければならず、分かち合いの原則を受け入れなければなりません。マイトレーヤは、私たちがそれをするとき、私たちは神性への第一歩を踏み出すと言われます。それをするまでは、それ以上歩みを進めることはできません。

Q イニシエートのリストの中で、ティアナのアポロニウスの生涯が紀元約16-97年となっていました。あなたの著書『大いなる接近』の中で、次のような質問があります。「ティアナのアポロニウスの生涯に関してコメントをお願いします。彼は自然死したのですか、それとも肉体を放棄したのですか。その年齢は幾つですか。(1998年10月)」あなたの答えは、「彼は400歳のときに肉体を放棄しました」というものでした。これらの明らかな回答の違いを説明していただけますか。

A 私はおそらく知らないうちに2度同じ質問を受け、師である覚者に2度質問しました。それは許されていないことです。最初に与えられた日付(『マイトレーヤの使命  第三巻』のイニシエートのリスト参照)が正しいです。

Q 人間の進化が動物の進化とは異なり、デーヴァ・天使の進化とも異なるのであれば、創造説やダーウィンの進化論はどうなるのですか。私たちはみな神によって創られ、他の種族と分けられたのですか。それとも進化したのですか。進化は別々なのか、それとも何らかの方法で出会うのですか。

A それらは別々ですが、すべての種族の進化とつながっています。

Q 『伝導瞑想──新時代のヨガ』というあなたの著書の中に、伝導瞑想は毎日個人瞑想として行うことができると書いてあります。これを行うならば、1日に可能な時間は最長どのくらいですか。

A あまりに個人差があるため特定の時間を示すことはできません。

Q 人が自分自身の神性を体験するにはどうすればいいですか。

A すべての人が神であり、すべてのものを創造する潜在力を持ちます。マイトレーヤを見るとき、彼は途方もなくそして素朴で、あなたが想像するより素朴であることに気づくでしょう。あなたは彼が信じられないほど謙虚であるのを知るでしょう。彼は信奉者を欲しません。彼は教師です。彼は教えることを欲し、私たちが望むならば、学ぶことができます。マイトレーヤは決して自由意志を侵害しません。しかし彼は、私たちが非常に複雑な問題、人生の意味と目的について理解できるように、慈悲と理解をもって単純に教えます。私たちは人生の意味と目的を知っているでしょうか。私たちはなぜ私たちがここにいるかを知っていますか。地球に存在するものの目的は何でしょうか。私たちは何でもできると思っていますが、何も知りません。私たちはもう一度子供のようにならなければなりません。覚者方と共に働き、私たちが教えを必要とするところで彼らは助言を与えられるでしょう。
マイトレーヤは神のように崇拝されることを欲しません。人々はキリストについての彼らの観念、仏陀の観念、クリシュナやその他の彼らが求める観念を崇拝します。彼はあなたがあなた自身であることを望みます。あなたであるところのものです。他の誰かではありません。誰かを模倣するのではありません。あなた自身であることです。あなたであるところの人間と霊的存在であることです。あなたがあなたであるところの霊的存在、魂であるとき、あなたは何物も誰も崇拝する必要がありません。神でさえ。あなたは神なのです。あなたはあなたの神性に気づきます。そしてそれを表現することは、崇拝の問題ではなく、親近感と表現の問題です。
神は表現されるべき経験です。あなたは意識を拡大して気づくようになります。それはすべて認識にかかわっています。私たちは認識がないので愚かなことをするのです。私たちは忘れます。私たちの生活を支配する法則を理解していません。私たちはそれを存在しないように扱っていますが、法則は存在します。
人生はアート(術)です。それは学ばれなければならず、それを支配する法則は学ばれ尊重されなければなりません。この新しい時代に人生のアートは信じられないほど発達するでしょう──生活のあらゆる分野において。この時代は生きるに値します。