カテゴリー別アーカイブ: 覚者より

商業至上主義の呪い

──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 

もし人類が地球温暖化の影響からこの惑星を救おうとするならば、計画されている炭素排出量制限よりもはるかに多くのことをなさなければならない。しかも、一般に必要な期間として受け入れられているよりもずっと短期間に行わなければならない。人々がこの危険を認知するのに時間がかかった。今でさえ、多くの者たちは問題を真剣に受けとめることを拒否する。そのような態度がこの地球という惑星の未来を危険にさらすことは疑いない。取り返しのつかないダメージがなされる前に均衡を確立するために人間に残された時間は、最大に見積もっても、10 年か 15 年しかない。

この目標を達成するために、人間は現在の生活様式を劇的に変えて、より簡素な生活の仕方や仕事の仕方を採用しなければならない。後に続く世代に対する何の配慮もなく、徐々にそして必然的に衰退してきた環境を見ようともせず、どうにでもなれという態度で、この惑星を意のままに荒らし、略奪してきた日々は過ぎた。

長年の間、毎年、毎年、大昔の原始林の巨大な領域から、純粋に商業的利益のためにいのちを与える樹木が切り払われてきた。商業至上主義が人間の喉元をさらに締めつけていくにつれ、それはまさに人類にとっての凶兆である。商業至上主義は人間にとって原子爆弾よりも危険であると、マイトレーヤは言われる。そして今日、世界を支配する経済破局にその破壊的な力を示している。

諸国の政府や国民がこのことを認識するのにどのくらいかかるのだろうか。商業至上主義が人類の生き血を搾り取り、人類自身が衰えて死ぬまであとどのくらいだろうか。突然、失業し、ホームレスになり、絶望している大勢の人々の心(マインド)に、ますますこれらの言葉の真理が生まれる。

これが、マイトレーヤが公の仕事のために人類の自由意志を侵すことなしに前面に出て来る状況を提供した。マイトレーヤは、現在起こっているこの出来事が確実に明るみに出るという知識に確信をもって、辛抱強く長年の間、この時を待っておられた。

商業至上主義はその牙をむき出し、危害をくわえる力を見せた。何百万の人間の自己満足感は商業至上主義と古いやり方への憎しみと不信に変わりつつある。至るところで人々はやっと、人生の意味と目的についての新しい解釈分かち合い、正義、平和;正しい関係、同胞愛とより大きな幸せを受け入れる用意ができた。彼らはついにマイトレーヤの呼びかけに応える用意ができたのである。

もちろん、すべての人間がこの変化を通っているわけではない。この不況じっと持ち堪えれば、また以前のように富を再び築きあげることができると想像する人々がたくさんいる。非常な金持ちと如才のない者たちは、何も失っていない。彼ら自身と他の人々との間のギャップは、単に彼らにとって有利な方向にさらに広がった。今のこの時は、他のいずれの時とも違うことを彼らは理解していない。われわれは、古い秩序の終わりに到達したのである。宇宙のフォース(エネルギー)が変化を命ずるのであり、それは起こらなければならず、起こるだろう。そうでなければ、この地球上の生命は繁栄しないだろう。

用意のある者たちは、マイトレーヤが、彼らの心からの要望を簡潔で感動的な言葉に表す彼の教えに速やかに反応するだろう。他の者たちは自分たちが馴れ親しんできたものを捨てるのにより長くかかり、一時期、反対するだろう。やがて、世界中の何千万の人々は、変化の必要とその論理に納得するだろうそれらの変化のみが、この惑星とその住民を救うだろう。

2009417日)

 

神性へ向かう

──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

 世界中で、人々は自分たちが長い間保持してきた信念や確信がそれまで思っていたほど確かなものではないことに気づき始めている。社会や政治の機構の崩壊が彼らの既存の思考方法の価値に疑問をもたせ、彼らを二者択一のジレンマに陥れる──現在の思考様式や行動様式はもはや機能しないようであり、未来の様式はいまだ明確ではない。かくして、人間は決めかねており、過去のあり方を維持しようとしたり、未来を予知しようとしたり、無益な試みの中に迷い、手引きを待っている。そのような状況の中で、変化への機は熟している。

必要とされる変化の方向やその規模を、あるいはそれらがいかにして達成されるかを知る者はほとんどいない。しかし、現在の生き方は、その意味を欠いており、人間の幸せのためのあらゆる可能性を欠くということに、多くの人々が徐々に気づき始めている。かくして、大勢の人間が苦闘することをやめて、増大する古今の宗教や思想やいわゆるカルトに慰めと平衡を求める。必要な変化は、人間の手や心(マインド)が始動させていくにはあまりにも膨大で、あまりにも過激なように思える。そこで彼らは裡に向かい、人間の諸事をコントロールしておられるのではないかと彼らが想像するところの神へ向かう。

人間自身が、顕現する機会を待っているまさにその神である、ということを彼らは知らないだけである。彼ら自身が、良きにつけ悪しきにつけ、自分たちの人生をコントロールするのである。人間自身が、彼らの行為によって、諸事の歯車の輪を回し、葛藤や平和を生み出し、悪意や善意を植え付けるのである。

人間は人生における自分たちの役割と内在する力を学ばなければならない。かくして人生の質と方向に対する責任を取らなければならない。これをしない限り、人間は揺籃期を決して抜け出すことはできないだろう。

マイトレーヤは今や世界の舞台に入って来られ、人間に、彼らが潜在的に神であることを、まさに強力な存在であることを教え、そしてこれまでの条件づけのみが彼らを迷信と恐怖、競争と貪欲の虜にしていることを教えるだろう。マイトレーヤは人間に過去のあり方を放棄する方法を示し、そして彼の賢明な手引きのもとで、神性へと向かう人間に相応しい文明の建設を鼓舞するだろう。人間がマイトレーヤの召集を聞く日は、そしてそれを聞いて応える日は、あまり先のことではない。長い暗い夜は終わり、世界に入ってきた新しい光を喜んで迎え入れる時がやって来たことを知る時は、あまり先のことではない。

かくして、人間は再建の仕事を始めるだろう──その仕事にはすべての者の力と意志が要求されるだろう。すべての者がこの時を、奉仕しそして成長する機会として、彼らを現在この世界にもたらしたところの運命を成就する機会として、見なければならない。

将来、人間がこれらの最高潮の日々を振り返って見るとき、自分たちが現在の不正を、人間の生活をあまりにも汚した残酷さと無意味な苦しみをいかに容易に許容していたかを、信じがたい驚きで見るだろう。マイトレーヤはこのいにしえの不正と闘うために、そして人間を『光の時代』へと導くためにやって来られる。あなたの歓迎の手を彼に差し延べ、そしてあなたの真我へと案内してもらいなさい。        (『覚者は語る』p527529

 

最も輝かしい未来

人間に過去のあり方—— 戦争、競争、惑星の破壊—— をやめさせて、分かち合い、正義、平和への道の創造に導くのを鼓舞するビジョンはどこから来るのか、と尋ねるかもしれない。それが実行可能だという徴を、人はあとどれだけ待たなければならないのか。彼らのかすかな希望の光でさえも、どこに探せばよいのか。この非常に望まれる出来事が可能なばかりか、保証されているということを最も確信している者を除いて、すべての人間の信が歪められるようなことが世界にたくさん起こっていることは疑いもない。

どんな根拠に基づいてそのような主張ができるのか。どれほど卓越した知識からそれが出てくるのか。この不安定な世界で、そのような自信をいかにして維持できるのか。これらの正当な疑問に対する答えは、ハイアラキー全体に知られている事実にある(しかしすべての人間にはまだ知られていない)。それはハイアラキーの長であり、リーダーであるマイトレーヤご自身が、今や何年もの間、日常世界に臨在しておられるという事実であり、ハイアラキーの傑出した兄たち(覚者たち)が同じく、再び人間と共に歩くという事実である。この事実のみが極めて先例のないことである。それは人間にとって、何か素晴らしい、そして新しいものの前兆である。数え切れない長い時を経て初めて、これらの“欠点のない男たち”が、いかにして平和と正しい関係の中で簡素に、そしてよく生きるかを、人間に教えるだろう。

かくして、人間の未来は保証されていると言えるのである。しかしながら、人間は平和のための仕組みを受け入れて、それを構築しなければならない。すべての人間が平等で、ひとつであり、一人ひとりがあらゆる存在に浸透する神性の表現であるという認知、これが明確に理解されるとき、人は平和への道を創造するのに困難を感じないだろう。そして正義と自由という神の様相について新しい意味と重要性が与えられ、資源の分かち合いが人間の現在のジレンマと争いへの答えとして自然で論理的な位置を占める時の到来が速められるだろう。

今まで、そのようなアイディアやスピリチュアルな生き方の実演は、人間によってのみなされてきた。彼らの勇敢な模範に対する反応はまさに遅々としたものであった。にもかかわらず、状況が今や異常な耐えがたい圧力を人間にかけている。人々は境遇に順応して変化しなければならない。あるいは消え去るか。

彼らが問題への答えを探すにつれて、マイトレーヤと彼の一団は反応する用意ができており、人類を危険とさらなる愚劣な行動から引き上げようとしていることを発見するだろう。人類は答えを持っているのだが、これまでのところ、その答えは彼らの目を逃れてきた。それのみで、人類種族にとって未来を、最も輝かしい可能な未来を保証する、そのような答えなのである。

(『覚者は語る』[1] 613頁)

 

自由と正義の未来

-覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

世界がこれほどまでに様々な問題に悩まされたことはこれまでほとんどなかった。地球全体にわたって、ほとんどすべての国において、あらゆる均衡と安全を妨げるフォース(力)が働いている。無秩序と暴力の規模はますます大きくなり、恐怖は増大する。何百万の人間がもっとも悲惨な苦難に喘ぐかたわら、国全体が変化の激痛の中で痙攣する。

この激しい動揺の中に、キリストはやって来られた。認知されようとされまいと、キリストの御手が外的な混乱の背後に見られ、フォース(エネルギー)を良い方向に導き固めておられ、最終的な勝利を確実にする。まったくそのようには見えないかもしれないが、新しい秩序がこれらの相争うフォースからつくり出されている。死滅する形態の灰から新しいいのちが生まれる。

商業至上主義がその癌を世界中に広げて、人間の生命線である商業と政府を毒するにつれて、ますます多くの人々がその危険に目覚め、新しい関係と貿易の様式を探し求める。

残酷な野心的な人間が自分たちの祖国に破壊をまきちらし、国民の心の中に長い間眠っていた憎悪の火を焚きつける一方、その犠牲者たちを助け、その攻撃に対抗しようとする新しい意図が国々のフォーラム(公開討論の場)の中に頭を持ち上げつつある。

キリストの手は決して舵から離れることはない。法の成就のみが、キリストの行動範囲を規制する。キリストのフォース(勢力)はいつも目ざとく、あまりにも重過ぎる荷が人類の大義を打ち砕きそうなときには、介入する用意がある。

であるから、これらの火と恐怖の日々は終わることを知って、勇気を出しなさい。人間の長い間の苦難と苦痛は間もなく終わるだろう。人類は孤立していないことを、人類の兄たちが、この痛々しい変遷の過程を一つ一つ知っており、そして見守っていることを知って、勇気を抱きなさい。

今、未来を見、そして築く用意をしなさい。それがあなたの最高の志向の中に包まれるのを、心に描きなさい。現在の混沌の直中で、無執着になることを学びなさい。そしてあなたの恐怖を差し迫ってくる闇にさらに加えないようにしなさい。あなたが思うよりもずっと近くに歓びの日がある。憎悪もまた、そのコースを走り終えるだろう。

もうすぐ、その新しい日に目覚めなさい。各々の明るい志向をまた新たに磨きなさい。新しい光、「世界の光」が今、再びあなたたちの中にある。いま生きとし生けるもの一つ一つの中に入る増大する光を明示しなさい。そして古い不均衡を正しなさい。

わたしたちは見守り、待ち、あなた方と共にいる。日ごとにわたしたちの存在をあなた方の視界により近づける。あなた方がわたしたちを見るとき、人類種族の護衛のために共に働くときがやって来たことを知るだろう。もはや「市場主義のフォース」が人間の上昇への道に破壊をもたらしてはならない。もはや残酷な野心が国民の生活を左右するようであってはならない。大勢の人間が豊かな世界の直中で飢えることが、再びあってはならない。若者たちの未来が彼らの頭上で売られてはならない。自由と正義の未来が招く。それを受け入れなさい、受け入れなさい。 (1993年5月号)

 

“野蛮な”時代の終わり

この特異な時代において、世界は明らかに相容れない対立する両極に極化している。同時に、分割に橋を架け、癒しの過程を始める唯一の可能な方法は、人類が自らをひとつとして見ることである。ベンジャミン・クレームの師による次の記事は、諸問題と解決策の両方を明らかにし、描き出しており、そのようにして前方への道を指し示している。

“野蛮な”時代の終わり

 ──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 

人類が今のこの時期を振り返って、“野蛮な”時代と見るようになる時が来るだろう。現在のこの死にかけている文明は可能な理想からあまりにもかけ離れているので、未来の人類は、われわれが一体いかにして、しかもこれほど長い間、それを持続することができたのか不思議がるだろう。

この悲しい状況には多くの原因と要素が含まれている——人間の人間に対する関係の、長い、ゆっくりとした頽廃が、ますます精巧になる武器の開発と並行しており、またそれを反映している。大陸を飛び越して殺戮することのできる現在の武力を、人間は大得意とするが、それは自己破壊への盲進を確実なものにする。戦争は冷徹な非個人的なものになった。もはや戦士は犠牲者(敵)の顔に恐怖の脅えを目撃する必要はない。

この状況の中で、政治経済の制度が、人間の生活の泉からの疎外感の増大を反映するのは不思議ではない。商業至上主義、すなわちあの急速に発展した、しかし陰険な、しばしば隠れた脅威が今や数え切れない何千何百万の人間の生活と運命を支配する。そして人間の天与の個人性を取るに足らないものにしている。今や人間は統計にすぎず、そこには人間の目的も必要も考慮に入らず、人間は市場エネルギーと企業の利潤というチェスゲームのポーン(歩)の駒である。

われわれが現代世界と呼ぶところの荒涼たる砂漠は、人間を人間らしくするもの、すなわち幸せや、創造的な充足感、お互いの必要に速やかに反応する特質、自由というものを人間から奪う。破壊的な競争は人間の精神を腐食させ、そして今や、人生の“戦い”の審判の座にある。人生、すなわち「偉大なる冒険」は腐敗し、単なる生存のための苦しい不公平な苦闘に置き換えられた。

これらの悲惨な状態がすべてに同じように存在するわけではないのは確かだが、しかし膨大な数の人間にとって、それは彼らの生活の現実を表している。そして人間が方向を変えない限り、それはますます悪化するだけである。

マイトレーヤが世界の舞台に公に入って来られるとき、そのような苦痛と苦闘の人生は必然ではないことを、それが人間の唯一の選択ではないことを示すだろう。人間がそれを意志するならば、彼らの生得の権利として他の道があることを示すだろう。

混乱とますます増大する貪欲の直中にあって、人間はすでに、人生の聖なる絆をそのように弱めるものに抵抗しはじめていることを、マイトレーヤは示すだろう。そして大きな新しい力(エネルギー)が新しい始まりを生じさせており、現在の混迷の中から、時代の挑戦に対処し、困難に打ち勝つために、生まれ備わった人間の能力がより高位に、より本当のすがたで徐々に現されつつあることを示すだろう。

マイトレーヤは人間に、彼ら自身の高位の出所と運命を思い出させるだろう。そして新しい生活方法の創造を、融和のうちに、正しい人間関係の中で、戦争や競争の手段に訴えることなく、完全な協力と相互尊重の中で生きる道を鼓舞するだろう。そのようになるだろう。

19994月号)

 

裂開の剣を創造する

この特異な時代において、世界は明らかに相容れない対立する両極に極化している。同時に、分割に橋を架け、癒しの過程を始める唯一の可能な方法は、人類が自らを一つのものとして見ることである。ベンジャミン・クレームの師による次の記事は、諸問題と解決策の両方を明らかにし、描き出しており、そのようして前方への道を指し示している。

 

裂開の剣を創造する

——覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 2011年9月8

 

人間が示すことのできる最高の特質、あるいは最悪の特質を体現する人物が、時々、人類の中に現れる。そのような人物は最も人々に愛されるか、最も憎まれるようになる。いずれにしろ、彼らは通常、大勢の信奉者や帰依者を自分たちに引き付ける。そのような人物は大多数の人間にとって、途方もない磁力的なアピールを持つか、時によっては、大規模の破壊的な力(パワー)を奨励する手本である。歴史の本は両方のタイプの例で満ちている。

今日、両方のタイプについてのたくさんの例が世界中に非常に多く顕現している。この顕現の影響は人類の前に二つの対立する行動路線を置いており、人類の将来を決定する選択について緊張をつくり出している。聖書の言葉を使えば、これは「裂開の剣」である。長年の間、マイトレーヤから放出され、そして方向づけられてきたエネルギーは、そのような対立するものの対決を促そうとしてきた。それは多くの人々にとって確かに不思議に思えるかもしれないが、人類がその将来のために正しい選択をするのに重要なことである。そうでなければ、将来はまさに荒涼たるものであろう。

「裂開の剣」はわれわれが「愛」と呼ぶエネルギーである。マイトレーヤによって振るわれて、それは「兄弟を兄弟に対立させ」、至るところに住む人間のまことの神聖な意識を試す。すべての進化の究極的な目標は地上に「神の王国」を確立することであり、「裂開の剣」は人間にその道を示す。マイトレーヤの教えは単純である。彼の優先事項はすべての人間にとって明らかであるように思えるだろう。残念ながら、そうではない。分かち合いとすべての人間のための正義(公正)の確立、「誰も欠乏することのない世界を、二日と同じ日が繰り返さない世界を、すべての人間を通して同胞愛の歓びが顕現する」世界の創造の必然的な結果として、平静で平和的な活動の将来をマイトレーヤは示されるのである。いかにして、そのような希望のメッセージに反駁することが可能なのかと思うかもしれない。それがすべての人間によって切望されている将来ではないのか。それは大多数の人間によって望まれている将来である、しかしすべてによってではない。人類は進化の梯子のそれぞれ異なった段におり、ある一定の段より上では人間にとってすべてが良い前兆である。しかし、自分たちの神聖な真我についてその程度までいまだ顕現していない者たちが、分かち合いは神聖なことであり、正義と正しい関係は神聖なことであることを認めないのであり、神(神聖)を競争と葛藤として見て、人間の価値を自分の金の重さによって測るのである。

多くの人間が恐れ、苦しんでいる——仕事も将来への希望もなく、彼らは一日一日を苦闘する。しかし、その他の多くの者たちは自分たち自身のための将来をつくっており、そしてまた多くの者たちがその過程の中で死んでいる。世界中で、人々は、自由と正義をその中核においた、より良い生活の可能性に目覚めつつある。恐れるでない、民衆の声は高まっており、接触伝染のようにますます多くの人々に影響を及ぼしている。自由、正義、そして人間の和合という真理のために生きる——あるいは死ぬ——人々の背後にマイトレーヤは立っておられる。若者が道を先導する、そしてその将来は彼らのためにある。

 

人類の一体性

——覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 200865

 人類が現在進んでいる方向は間違いであり、彼らの将来の幸せにとって無益であり、失敗するよう運命づけられているということを、彼ら自身で気づくときは間もなくやって来る。それを見て、彼らは質問をするだろう:なぜこんなに虚しいのか? なぜ求めている平和を達成できないのか? どこで間違ったのか? そうしてマイトレーヤに注目を向けて、彼の言葉を検討し、彼らの窮状の打開に適切であるかを試すだろう。マイトレーヤの思考の中心的なものは、一体性についての概念であることを発見するだろう。人間は彼ら自身をひとつとして見なければならないことを、各人が和合した全体──人類家族──の部分であり、そして彼らがやることすべてがその一体性を反映しなければならないことを、マイトレーヤは請け合うだろう。このリアリティ(実相)を十分理解し得ないことが、われわれのすべての困難や苦労、不調和や恐怖、葛藤や戦争につながっていると主張されるだろう。「あなたの兄弟を自分自身として見なさい」とマイトレーヤは言われる。すべてのものがそこから取ることのできる国際的な貯蔵庫をつくりなさい。そのようにして分かち合うことによってのみ、世界は再生される、というのがマイトレーヤの教えである。分かち合いによってのみ、人間は自分たちが求める幸福を見つけるだろうと、彼は確言するだろう。分かち合いのみが正義と平和をもたらすだろう。このようにして、マイトレーヤは彼がもたらす真理に向けて人間の思考を導くだろう。このようにして、マイトレーヤは人間に彼らの間違いを示し、彼らのジレンマへの解決法を示されるだろう。このようにして、人間は自分たちの状況をつくづくと眺めるだろう、そしてますます多くの人々がマイトレーヤの助言の真理に気づくだろう。マイトレーヤの導きが、すべての者が心のうちに切望する幸福と平和を達成する唯一の方法であることを、ますます多くの者が知るだろう。それまで恐怖心によって抑えられていた人間は、マイトレーヤの単純な教えが彼らのすべての恐怖と災いへの答えであることを知るだろう。当然ながら、すべての人間がマイトレーヤのうちに彼らが求める導きを見つけるわけではないだろう。多くの者は、まさに、彼の教えの中に、彼らが恐れ、憎むことのすべてを見るだろう。しかしながら、徐々に、彼の単純な真理の言葉に応え、共鳴することのできる人々の熱意が何千万の人々を正義と平和への彼の大義に引き付けるだろう。彼の教えは単純であるが、愛の火がまだ消されていない人々の心(ハート)に浸透するだろう。このようにしてマイトレーヤは世界中で働き、新しいスタートを、家族を平和と調和のうちに育てるための、より簡素でより幸せな世界を切望するすべての人々を彼の側に引き付けるだろう。大宣言の日が地球というこの惑星の新しいスタートのための合図であろう。前例のないその日に、人間はマイトレーヤが言われる一体性を体験するだろう。彼らは、すべての人類が同じ体験をしているということを感じるだろう。その心(ハート)は全く新しい愛のうちに共に鼓動している巨大な家族の兄弟姉妹の一人であることに慎ましい誇りを感じるだろう。共に属しているというこの感覚が彼らを取り巻き、各人一人一人に長い間忘れられていた歓びの涙をもたらすだろう。

 

裂開の剣を創造する

この特異な時代において、世界は明らかに相容れない対立する両極に極化している。同時に、分割に橋を架け、癒しの過程を始める唯一の可能な方法は、人類が自らを一つのものとして見ることである。ベンジャミン・クレームの師による次の記事は、諸問題と解決策の両方を明らかにし、描き出しており、そのようして前方への道を指し示している。

裂開の剣を創造する

——覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 2011年9月8日

人間が示すことのできる最高の特質、あるいは最悪の特質を体現する人物が、時々、人類の中に現れる。そのような人物は最も人々に愛されるか、最も憎まれるようになる。いずれにしろ、彼らは通常、大勢の信奉者や帰依者を自分たちに引き付ける。そのような人物は大多数の人間にとって、途方もない磁力的なアピールを持つか、時によっては、大規模の破壊的な力(パワー)を奨励する手本である。歴史の本は両方のタイプの例で満ちている。

今日、両方のタイプについてのたくさんの例が世界中に非常に多く顕現している。この顕現の影響は人類の前に二つの対立する行動路線を置いており、人類の将来を決定する選択について緊張をつくり出している。聖書の言葉を使えば、これは「裂開の剣」である。長年の間、マイトレーヤから放出され、そして方向づけられてきたエネルギーは、そのような対立するものの対決を促そうとしてきた。それは多くの人々にとって確かに不思議に思えるかもしれないが、人類がその将来のために正しい選択をするのに重要なことである。そうでなければ、将来はまさに荒涼たるものであろう。

「裂開の剣」は、われわれが「愛」と呼ぶエネルギーである。マイトレーヤによって振るわれて、それは「兄弟を兄弟に対立させ」、至るところに住む人間のまことの神聖な意識を試す。すべての進化の究極的な目標は地上に「神の王国」を確立することであり、「裂開の剣」は人間にその道を示す。

マイトレーヤの教えは単純である。彼の優先事項はすべての人間にとって明らかであるように思えるだろう。残念ながら、そうではない。分かち合いとすべての人間のための正義(公正)の確立、「誰も欠乏することのない世界を、二日と同じ日が繰り返されない世界を、すべての人間を通して同胞愛の歓びが顕現する」世界の創造の必然的な結果として、平静で平和的な活動の将来をマイトレーヤは示されるのである。いかにして、そのような希望のメッセージに反駁することが可能なのかと思うかもしれない。それがすべての人間によって切望されている将来ではないのか。それは大多数の人間によって望まれている将来である、しかし、すべてによってではない。人類は進化の梯子のそれぞれ異なった段におり、ある一定の段より上では人間にとってすべてが良い前兆である。しかし、自分たちの神聖な真我についてその程度までいまだ顕現していない者たちが、分かち合いは神聖なことであり、正義と正しい関係は神聖なことであることを認めないのであり、神(神聖)を競争と葛藤として見て、人間の価値を自分の金の重さによって測るのである。

多くの人間が恐れ、苦しんでいる——仕事も将来への希望もなく、彼らは一日一日を苦闘する。しかし、その他の多くの者たちは自分たち自身のための将来をつくっており、そしてまた多くの者たちがその過程の中で死んでいる。世界中で、人々は、自由と正義をその中核においたより良い生活の可能性に目覚めつつある。恐れるでない、民衆の声は高まっており、接触伝染のようにますます多くの人々に影響を及ぼしている。自由、正義、そして人間の和合という真理のために生きる——あるいは死ぬ——人々の背後にマイトレーヤは立っておられる。若者が道を先導する、そしてその将来は彼らのためにある。

人類の一体性

—ー覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記(2008年6月5日)

人間が示すことのできる最高の特質、あるいは最悪の特質を体現する人物が、時々、人類の中に現れる。そのような人物は最も人々に愛されるか、最も憎まれるようになる。いずれにしろ、彼らは通常、大勢の信奉者や帰依者を自分たちに引き付ける。そのような人物は大多数の人間にとって、途方もない磁力的なアピールを持つか、時によっては、大規模の破壊的な力(パワー)を奨励する手本である。歴史の本は両方のタイプの例で満ちている。

今日、両方のタイプについてのたくさんの例が世界中に非常に多く顕現している。この顕現の影響は人類の前に二つの対立する行動路線を置いており、人類の将来を決定する選択について緊張をつくり出している。聖書の言葉を使えば、これは「裂開の剣」である。長年の間、マイトレーヤから放出され、そして方向づけられてきたエネルギーは、そのような対立するものの対決を促そうとしてきた。それは多くの人々にとって確かに不思議に思えるかもしれないが、人類がその将来のために正しい選択をするのに重要なことである。そうでなければ、将来はまさに荒涼たるものであろう。

「裂開の剣」は、われわれが「愛」と呼ぶエネルギーである。マイトレーヤによって振るわれて、それは「兄弟を兄弟に対立させ」、至るところに住む人間のまことの神聖な意識を試す。すべての進化の究極的な目標は地上に「神の王国」を確立することであり、「裂開の剣」は人間にその道を示す。

マイトレーヤの教えは単純である。彼の優先事項はすべての人間にとって明らかであるように思えるだろう。残念ながら、そうではない。分かち合いとすべての人間のための正義(公正)の確立、「誰も欠乏することのない世界を、二日と同じ日が繰り返されない世界を、すべての人間を通して同胞愛の歓びが顕現する」世界の創造の必然的な結果として、平静で平和的な活動の将来をマイトレーヤは示されるのである。いかにして、そのような希望のメッセージに反駁することが可能なのかと思うかもしれない。それがすべての人間によって切望されている将来ではないのか。それは大多数の人間によって望まれている将来である、しかし、すべてによってではない。人類は進化の梯子のそれぞれ異なった段におり、ある一定の段より上では人間にとってすべてが良い前兆である。しかし、自分たちの神聖な真我についてその程度までいまだ顕現していない者たちが、分かち合いは神聖なことであり、正義と正しい関係は神聖なことであることを認めないのであり、神(神聖)を競争と葛藤として見て、人間の価値を自分の金の重さによって測るのである。

多くの人間が恐れ、苦しんでいる——仕事も将来への希望もなく、彼らは一日一日を苦闘する。しかし、その他の多くの者たちは自分たち自身のための将来をつくっており、そしてまた多くの者たちがその過程の中で死んでいる。世界中で、人々は、自由と正義をその中核においたより良い生活の可能性に目覚めつつある。恐れるでない、民衆の声は高まっており、接触伝染のようにますます多くの人々に影響を及ぼしている。自由、正義、そして人間の和合という真理のために生きる——あるいは死ぬ——人々の背後にマイトレーヤは立っておられる。若者が道を先導する、そしてその将来は彼らのためにある。

人類が現在進んでいる方向は間違いであり、彼らの将来の幸せにとって無益であり、失敗するよう運命づけられているということを、彼ら自身で気づくときは間もなくやって来る。それを見て、彼らは質問をするだろう:なぜこんなに虚しいのか? なぜ求めている平和を達成できないのか? どこで間違ったのか? そうしてマイトレーヤに注目を向けて、彼の言葉を検討し、彼らの窮状の打開に適切であるかを試すだろう。マイトレーヤの思考の中心的なものは、一体性についての概念であることを発見するだろう。人間は彼ら自身をひとつとして見なければならないことを、各人が和合した全体——人類家族——の部分であり、そして彼らがやることすべてがその一体性を反映しなければならないことを、マイトレーヤは請け合うだろう。このリアリティ(実相)を十分理解し得ないことが、われわれのすべての困難や苦労、不調和や恐怖、葛藤や戦争につながっていると主張されるだろう。

「あなたの兄弟を自分自身として見なさい」と、マイトレーヤは言われる。すべてのものがそこから取ることのできる国際的な貯蔵庫をつくりなさい。そのようにして分かち合うことによってのみ、世界は再生される、というのがマイトレーヤの教えである。分かち合いによってのみ、人間は自分たちが求める幸福を見つけるだろうと、彼は確言するだろう。分かち合いのみが正義と平和をもたらすだろう。

このようにして、マイトレーヤは彼がもたらす真理に向けて人間の思考を導くだろう。このようにして、マイトレーヤは人間に彼らの間違いを示し、彼らのジレンマへの解決法を示されるだろう。このようにして、人間は自分たちの状況をつくづくと眺めるだろう、そしてますます多くの人々がマイトレーヤの助言の真理に気づくだろう。マイトレーヤの導きが、すべての者が心のうちに切望する幸福と平和を達成する唯一の方法であることを、ますます多くの者が知るだろう。それまで恐怖心によって抑えられていた人間は、マイトレーヤの単純な教えが彼らのすべての恐怖と災いへの答えであることを知るだろう。

当然ながら、すべての人間がマイトレーヤのうちに彼らが求める導きを見つけるわけではないだろう。多くの者は、まさに、彼の教えの中に、彼らが恐れ、憎むことのすべてを見るだろう。しかしながら、徐々に、彼の単純な真理の言葉に応え、共鳴することのできる人々の熱意が何千万の人々を正義と平和への彼の大義に引き付けるだろう。彼の教えは単純であるが、愛の火がまだ消されていない人々の心(ハート)に浸透するだろう。

このようにしてマイトレーヤは世界中で働き、新しいスタートを、家族を平和と調和のうちに育てるためのより簡素でより幸せな世界を切望するすべての人々を彼の側に引き付けるだろう。

大宣言の日が地球というこの惑星の新しいスタートのための合図であろう。前例のないその日に、人間はマイトレーヤが言われる一体性を体験するだろう。彼らは、すべての人類が同じ体験をしているということを感じるだろう。その心(ハート)は全く新しい愛のうちに共に鼓動している巨大な家族の兄弟姉妹の一人であることに慎ましい誇りを感じるだろう。共に属しているというこの感覚が彼らを取り巻き、各人一人ひとりに長い間忘れられていた歓びの涙をもたらすだろう。

 

ベンジャミン・クレームの師である覚者からの特別の声明

2016105日、ベンジャミン・クレームはメンタルテレパシーを通して、

この特別なメッセージを彼の師である覚者から受け取った。

 「困難な時代はもうほとんど終わり、マイトレーヤは彼の高潔な存在を示し、万人が彼をこの時代の教師と認めるだろう新しい時代を、人々は自信をもって待つべきである」

 シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は記事を提供してくださった。それらは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われる時にいつでも掲載されるように提供されているのである。

未来の約束

——覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 SI19925月号 

 折りに触れて、人間の要求に応えて、ハイアラキーを人類から分けている扉が開かれる。そしてその程度に大小の差はあるが、一定の教えや情報が、それを役立たせることのできる者たちのために発表される。今はそのような時期である。“見る目を持ち、聞く耳を持つ”者たちにとって、これらの記事は、今のこの時期に発表される新しい情報を提供する手段の一つである。いにしえの真理が思い出され、新しい光が人間の進化の底に横たわる永遠の価値に集注された。

過去何年間にかけて、わたしがなしてきた努力は、この雑誌の読者に未来の人生を描き、その未来に対して楽しく積極的にアプローチ(接近)するように鼓舞し、日毎に彼らの途上に持ち上がる問題に正しく対処するための知識のツール(道具)を用意することであった。わたしの経験と洞察に基づく有利な視点から、わたしは“見張り番”として、守衛として働くことを求め、近づきつつある危険について警告し、あなたたち読者が大計画への奉仕に勇気と確信をもって行動することができるように努めてきた。

多くの者たちにとって、わたしのこの仕事は無駄ではなかった。多くの者たちがわたしの言葉の中に鼓舞とガイダンス(導き)を見いだした。多くの者たちが彼らの月毎の真理という献酒を熱心に待つ。またある者たちは隔たった目で、そしてそれよりもさらに冷やかなマインドとハート(心)で、穏やかに読む。さらにまた他の者たちは困惑し、どう考えればよいのか分からないでいる。

最近の記事の中で、わたしはマイトレーヤとわたしたち自身、つまりマイトレーヤの弟子たちである覚者たちの出現のことに集中してきた。これが今のこの時期の中心的な出来事であり、過去何千何万年もの間に前例のないことである。この過程は今クライマックスに達した。マイトレーヤは現在、しばしば何百人もの人々の前に姿を現しておられ、御自身の臨在について彼らに伝え、彼らの援助を喚起される。間もなくこれらの出現がメディアの耳に届き、調査が始まるだろう。その調査の結果、尋常ならざる力と贈り物を備え、人間の問題と必要に対して通常とは異なった回答を持たれる、とてつもない男の存在が明らかにされるだろう。

われわれは新しい時代の瀬戸際に立つ。今日、ほとんどの人間が世界に吹きまくっている変化の風を、新しい時代への指標を感じることができる。古い確信や形態が崩壊し、混乱の直中に、生まれようとして待っている新しい世界が感じられる。より良い世界である。より安全で、より健全で、より公平な世界である。

わたしの任務はこれらの希望と計画をあなたたちの前に保ち、あなたたちの協力と積極的な奉仕を鼓舞し、あなたたちの足取りを転ばないように導き、あなたたちの裡に自分たちが助けを欠く独りだけの存在ではないという認識を目覚めさせることであった。

わたしはこの奉仕ができることをうれしく思う。あなたたちの荷を軽くし、あなたたちの前に未来の黄金の約束を掲げる機会を歓迎する。

 

人間の必要

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は記事を提供してくださった。それらは書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思わる時にいつでも掲載されるように提供されているのである。

 

 人間の必要

 ──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 201012月 

 人間が現在の状況をよく吟味するとき、到達できる結論は一つ——最近の行動様式ですら、もはや機能しないということである。すべての面において、特に金融、経済の部門において、継続的なそしてますます増大する混乱がある。四苦八苦する政府が何らかのコントロールを回復するのを助けるために‘専門家’たちが召集されるが、ほとんど役に立たない。古い、これまでに試みられてきた方法は、首相や財務大臣がどんなに経験豊かな人材であろうとも、彼らの意志に従うことを拒む。世界の諸々の政府は何をすべきか? 何ができるのか? 事態が‘落ち着く’ことを、そして古いパターンが生き延びることを願いながら、彼ら(世界の諸政府)は古い制度機構をしばしの間操作し続けることはできる。しかし、これはまさに虚しい望みである。一般的に言って、ほとんどの国の政府は彼らの役割を‘現状維持’の保護者として、支持者として見る。すなわち、人生は静的であり、したがってすべての変化を反抗だとか、望ましくないものとして見るのである。

この姿勢は、‘右派’だろうが、‘左派’だろうが、資本主義だろうが、社会主義だろうが、ほとんどの政府に当てはまる。いずれの場合にも、彼ら(諸政府)は、変化を、生きることについての新しい概念を、家族を平穏と安全と福利安寧のうちに育てることを求める国民の熱望を認知し損なう。政府の失敗は、まさに、彼らの真の役割は国民の福利安寧のための面倒を見ることであるということを理解しないゆえである。競争と‘市場エネルギー(フォース)’の追従の中に迷っている政府は、大体において、自分たちが代表すると主張するその国民の必要を熟知していない。権力と権威のグラマーが、非常にしばしば彼らの奉仕への願望に打ち勝つ。国民の本当の必要からかけ離れて、彼らはイデオロギーと理論に退く。そうではあるが、すべてが彼らのせいではない。彼らは、闘おうとしているそのエネルギー(フォース)について何も知らないのである。無知であるがゆえに、彼らは過去の破壊的エネルギー(フォース)のたやすい餌食になる。

その間、国民は苦しみ、待ち、祈る——大体において、彼らが祈り求める助けは、今でさえ彼らの中にあり、彼らの苦しみに手をさし延べ、彼らの運命を和らげる用意も熱意もあることに気づいていない。国民は自分たちの必要の本当の性質を知っている。ただそれに声を与えてくれる強い勇敢な代表を必要とするだけである。その代表者、マイトレーヤはすでに存在しており、諸々の出来事の方向に影響を与えるべく、静かに働いておられる。間もなく、その声はより強い口調になるだろう、そしてそれに多くの人間が応える用意があるだろう。かようにして、大計画はすべての人間の将来を安全にするためにその情け深い目的を成就する。