新しい状況の到来

シェア・インターナショナル誌には創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者が提供してくださった記事を毎月掲載してきた。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。2015年3月に最初に書かれたこの記事は、人類の前に横たわる厳しい時代を予期させて、急激に変化する世界について警告し、人類がこの挑戦に向けて立ち上がることができる可能性を示唆している。数年経過後に振り返って見た場合の現在の問題は、「古い生き方からいかに新しい生き方を確立していくのか」ということであるに違いない。

新しい状況の到来

ー覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 今まさに間近に起こる出来事は多くの人々を当惑させるだろう──政治、経済、社会に現れる変化のスピードはあまりにも速く、しかもそれは非常に頻繁に起こるだろう。
 多くの者にとって、彼らの主な反応は不安と困惑であろう。それらの変化の性質とその規模の大きさに当惑し、怯えながら、それを変容する社会の徴として見るだろう。他の者たちは新しい顕現を恐れ、憤るだろう。あらゆるところで人々は、自分たちが取るべき正しい方向に確信がなく、用心深く行動するだろう。
しかしながら、人々がそのように行動するのもあまり長くないだろう。彼らは、自分たちがまことに変化しつつある世界に住んでいることに気づき、彼らの信念や価値観に対するより大きなチャレンジに悩まされるだろう。
 かくして、人は古いものから新しいものを確立し始め、この時代のチャレンジに応えるために彼らの能力をますます発揮し始めるだろう。
2015年2月8日(2015年3月号より)

今月号の内容概説

 現在、世界の現状を困難なもの、不可解なものとして経験していない人はほとんどいないはずである。今月号でベンジャミン・クレームの師である覚者の記事「新しい状況の到来」を選んだのは、このような時代の落ち着かない状態から尻込みすることなく、人類の苦境の中から生じて「この時代のチャレンジに応えるために彼らの能力をますます発揮」するかもしれない可能性を指摘しているからである。

 チャレンジに応えるというテーマは、今月号の記事やインタビューで取り上げられている。例えば、コロナウイルスの衝撃で悪化した不景気、失業、貧困や、(たとえ臨時措置としてであれ)国連が最近提案したようにユニバーサル・ベーシックインカム(全世界市民向けの最低所得保障)のようなアイディアを推進することによって人々がどのように応えているかが取り上げられている。フランスの経済学者、セバスチャン・ヴィユモ氏は、主流の資本家たちがどう言おうとも、分かち合いがいかに現実の選択肢であるかを指摘している。

 日常生活の大部分が今や新型コロナウイルスという観点から見られており、科学はウイルスの起源を調査しているが、本誌は動物たちとの関係や動物たちの意識について探るマクネア・エザード氏によるインタビューを掲載する。

 本誌は哀悼の意を表することなく、ジョン・ルイス米下院議員のような公民権運動の英雄の逝去を忘れてしまうことはできなかった。彼の価値観はシェア・インターナショナル誌の価値観をかなりの程度反映しているからである。オバマ前米大統領はジョン・ルイス氏とその業績を思い起こしながら、すべてのアメリカ人のために一票を投じることによってルイス氏を称えるようアメリカ人に熱心に訴えかけた。「もし時間があれば行うようなこととして、投票を扱うことはできません。民主主義のために取ることのできる最も重要な行動として、投票を扱う必要があります」

 もし現在、国家経済が苦しんでいるとしたら、社会的に疎外された人々──パンデミック(世界的大流行)以前から生活が不公正な闘いそのものであった難民や移民労働者──の苦境を想像するよう、ジャーナリストのグラハム・ピーブルズ氏は私たちに求めている。

 今月号は、より良い世界や、この惑星への奉仕、改善に向けた、実際的な志向の模範を提示している。ジョン・ルイス氏であれ、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス米下院議員であれ、あるいは原住民の環境保護活動家であれ、「普通の」人々の生活上の英雄的行為も繰り返しテーマとなっている。オカシオ=コルテス氏は米国の保守層の既得権益と闘う一方、本誌のブラジルの通信員が描写しているように、アマゾンでは、熱帯雨林の商業化や搾取、破壊を阻止するために活動家たちが文字通り自分の人生を犠牲にしている。オカシオ=コルテス氏へのインタビューの書き起こし記事では、彼女独特の実際的理想主義と、彼女が代表する人々の生活状況を改善しようという決意が掘り下げられている。どのような霊的態度が効果的な仕事に最もつながると思うかと問われて、彼女はこう答えた。「私が最もよく実践している霊的な訓練は、無執着であると思います。私の使命は、より良い世界の原則を推進することです。この『ポスト』に過度に執着していると、仕事をすることができません。……私は自我や評価に対する無執着を実践する必要があります。強力で裕福な人々の小さな階級による社会的受容に執着することはできません。彼らは連邦議会の同僚です。この富裕層による社会的受容に執着する場合、私は自分の仕事をすることができません」

動物王国のために

マクネア・エザードによるマーク・ベコフ氏へのインタビュー

 マーク・ベコフ哲学博士はコロラド大学の生態学および進化生物学の名誉教授である。彼はジェーン・グドール氏と共に、「動物の倫理的扱いのための動物行動学者」を共同で設立した。彼はまた、グドール氏の国際的なプログラム「ルーツ&シューツ」の特使でもあり、そこで学生、高齢者、受刑者と共に活動している。彼の研究や関心の分野は、人と動物の関係学、動物保護、行動生態学、動物の行動と感情、人道的自然保全を中心としていた。ベコフ氏は30冊の著書を著した。その中には、『動物マニフェスト──共感の範囲を広げる六つの理由(The Animal Manifesto: six reasons for expanding our compassion footprint)』および『動物たちの感情側面の生活── 一流の科学者が動物の喜びや悲しみ、共感、そして動物が大事である理由を探究する(The Emotional Lives of Animals: a leading scientist explores animal joy, sorrow, and empathy-and why they matter)』などがある。マクネア・エザードが本誌のために彼にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): 動物の意識と感情の研究へのあなたの関心は、どのようにして始まったのですか。
マーク・ベコフ: 私は2歳くらいのときから動物の感情と意識に関心を持っていました。母はとても思いやり深く、親身な性格でした。父はとても気さくで、前向きな考え方をしていました。こうしたことが私に大きな影響を与えました。私の家族は、私が小さいときに近所の動物によく話しかけていたと言っています。私は動物がどのように感じ、考えるかを気に掛けていました。

SI:動物の感情の分野は認知行動学と呼ばれる広範囲な科学的専門分野に分類されますが、それはどのようなものでしょうか。
ベコフ:私は認知行動学を動物の心のアイディアと定義します。それは、動物が活発な心を持っていて、動物の中で何かが起こっているという仮定に基づいています。認知行動学は、異なった状況に直面したときに動物が考えていることや感じていることに細心の注意を払います。認知行動学の分野は急速に拡大しています。多くの比較研究が進行中です。それは、ヒトではない膨大な数の多様な動物が非常に活発で豊かな心と感情を持っていることを明確に示しています。

SI:あなたは動物の意識をどのように定義しますか。
ベコフ:それは私たちが人間の意識を定義する場合と全く同じ方法によります。単純な定義は、動物は起こっていることを知覚し、熟考するというものです。次に動物は、特定の状況で何をするかについて決定を行います。ヒトではない多くの動物は起こっていることを見ることができ、その状況で何が行うべき最良な選択であるかを決定します。行動の柔軟性が意識の良い指標です。

SI: ヒトではない動物の異なった種の間で、意識の現れ方は違いますか。
ベコフ:答えは意識の定義方法によって異なります。生物学的、動物行動学的な視点からは、それは状況を評価し、何が行うべき最良の行動であるかを判断する能力です。生物学的に言えば、行うべき最も適応性のあることは何かということです。ですから答えはいいえであり、現れ方が違うとは思いません。動物としてのヒトを含む異なった動物が多様な状況に適用するやり方は違っており、その理由は、感覚能力と運動能力が異なるからです。しかし、それを一般的な方法で見ると、与えられた状況下で何をすべきか最良な選択を行う能力は、多くの種に共通する意識の表現なのです。

SI:あなたはシアトル・タイムズの記事で、多くの動物が善悪の区別をすることができると書かれました。動物王国での意識は、私たちが物事の道徳観と呼ぶようなものに反映されているのでしょうか。
べコフ:はい、それは多くの種に見られる遊びの行動の例に反映されています。動物の遊びを観察していますと、遊びが攻撃にエスカレートすることは滅多にありません。動物たちは互いに評価し合っています。動物たちは遊びで一定のルールに合意しており、一定のルールに従います。彼らは別の個体がしていることを評価します。
 私はそれを『走りながらの微調整』と呼んでおり、もし私とあなたが遊んでいて私たちが犬であったとしたら、私が何かをすると、次の瞬間にこう言います。「何ということだ。彼はどうしているのだろうか。彼は起こっていることに満足しているのだろうか。私は行動を変える必要があるのだろうか。彼を強く叩き過ぎたのだろうか。彼を強く噛み過ぎたのだろうか」。食べ物を分け合ったり、困っている個体を助けたりするなど、このようなすべての道徳的、倫理的な判断を動物に見ることできます。長い間、このことはあまり注目されていませんでした。あり得ないこととして除外されていました。このような分かち合いと正義のルールが存在し、幅広い種がこうした特質を持つことを示す研究が増加していることに私は励まされています。

SI:動物の意識は、動物が魂を持つことを意味しますか。
ベコフ:私はその問題を深く研究したわけではありませんが、動物としてのヒトが魂を持っているとしたら、ヒトではない動物が魂を持たないと考える理由はありません。多くの議論が異なった宗教的、神学的な立場から来ています。それを熟考することは興味深いです。私はそれを行う能力や知識を持っていません。魂を持っているとはどういうことでしょうか。もしマーク・ベコフが魂を持っているのなら、犬や他の動物が魂を持たないと考える理由はありません。

SI:最も意識的で最も知的な動物は何でしょうか。
ベコフ:私はそのようには考えません。動物は、それが属する種の『会員証を持つメンバー』となるためにする必要のあることをしなければなりません。生物学的な観点から知性の違いを話すことは、あまり意味があるとは思いません。例えばねずみは、ヒトではない霊長類ができない多くのことをすることができます。ねずみはゴリラが持たない一定の嗅覚能力を持っています。ねずみはゴリラにはできない問題や迷路を解決することができますが、ねずみはゴリラよりも頭が良いと言う人はいないでしょう。
 さて、もしゴリラやチンパンジーや犬が、ねずみができない何かをする場合、犬やこのような他の動物がねずみよりも頭が良いと言うことをためらう人はほとんどいません。生物学的な観点からは、個体が生き残り繁栄するために何をする必要があるのかを見る必要があります。私は犬に関する研究をしているために、「犬は猫よりも頭が良いでしょうか」という質問をよく受けます。それは重要な質問ではありません。猫は一定のことをします。犬は一定のことをします。もし彼らが生き残り繁栄することができれば、そのことが、種のメンバーとして彼らがそれをどのように上手く行えるかについてのリトマス試験となります。
 種の中でも違いはあります。ある動物は一定の作業についてより上手く学びます。また、種の中で複数の知性を見ることができます。例えば、社会的知性を持つ犬がいれば、路上を生き抜く知性を持つ犬もいます。ある犬は他の犬よりも一定の問題を上手に解決できますが、一方がもう一方よりも必ずしも頭が良いとは私は言いません。彼らは違った種類の知性を持っているのです。私の犬たちの多くは非常に賢かったのですが、路上で自力で生きることができたのは、その中の2、3頭だけでした。

SI:人間には一定の非言語のコミュニケーション手段が知られており、ある人はそれをテレパシーもしくはESPと呼びます。それは動物王国にも存在するのでしょうか。
ベコフ:様々な種の観察に無数の時間を費やして私が学んだことは、ヒトとしての私は動物と同じ感覚能力を共有していないことです。私は、犬や他の動物が持つ嗅覚能力や聴覚能力を持っていません。特定の動物に見えるものが見えません。紫外線や超音波、可聴下音の領域を使ってコミュニケーションをしません。最も単純な定義は、動物たちは私たちが持たない異なった感覚能力、感覚器官を使いながら互いにコミュニケーションをしているというものです。「うちの犬や猫やある種の野生動物はテレパシー的です」といったストーリーを頻繁に聞きます。私は科学者として扉を開いたままにし、「そうですか。私は知りません」と言うだけです。

SI:動物は、人間に見られるような同じ種類の感情を持っていますか。
ベコフ:私たち人間は、喜び、悲しみ、困惑、不幸と幸福などの同じ感情を持っていますが、それらを違ったやり方で表現します。あなたの喜びが私の喜びと同じものかどうか、あなたの悲しみが私の悲しみと同じものかどうか私には分かりませんが、私はそれを持っているがあなたはそれを持っていないと言うことは間違いでしょう。
 ヒトではない多くの動物の間で様々な感情の違いが見られますが、動物の個体間でも違いがあるでしょう。犬や猫やねずみやシャチは私たちと同じようには感じないと言う人がいたら、私はこう言います。「第一に、私たちはそれを知りません。第二に、それは実際には問題ではありません。というのは、特定の状況で私はあなたと同じように感じないかもしれないからです。私たちは、悲しみや喜びや嫉妬を違ったやり方で表現するかもしれません」

SI:2012年にケンブリッジ大学で科学者の会議があり、「意識に関するケンブリッジ宣言」という文書が公開されました。この文書は、意識の能力において人間はユニーク(独特)ではないと結論づけました。それはまた、動物王国にも拡大できるものです。科学者たちの結論は、非科学分野の人々にとって驚きであったとあなたは思われますか。
ベコフ:いいえ。意識に関するケンブリッジ宣言は長年の懸案でした。当時私は、ヒトではない動物の扱い方にこの宣言は影響を及ぼすだろうと期待していました。そこでは16人の著名な科学者が発表され、ケンブリッジ宣言に署名しましたが、それまでにヒトではない動物の行動の研究をしたことがある科学者はその中の2、3人だけでした。それに関して大きな課題のリストがありました。スティーブン・ホーキング氏がその中にいました。それは大きなニュースとなりました。全体的には、それは大きな失望でした。宣言そのものは、研究や食用や娯楽や狩猟のために使用されている動物の福利に対して、ほとんど影響を及ぼしませんでした。私たちの他の動物との関わり合い方に関して、大きな影響はありませんでした。

SI:そのことは、新型コロナウイルスに関する問題を提起します。このウイルスはコウモリから発生し、中間の動物を通して人間に伝播されたと考えられています。この種の疾病伝播は、人間と動物王国の間の間違った関係を示しているのでしょうか。
ベコフ:私はこの件に関して多くのインタビューに応じましたが、私は専門家ではありません。しかし、中国の賑やかな市場や他の場所などで他の動物と関わり合う中で、ウイルスがヒト以外のある種の動物から動物としてのヒトに伝播されたことは間違いありません。
 必ずしもベジタリアンやヴィーガン(完全菜食主義者)ではない多くの人々が食事メニューを変える決断をしたのは、その関係が不明瞭だからです。こうしたヒトではない動物たちの扱われ方、彼らが消費され、処理され、接触される方法はこの恐ろしいウイルスの永続化にとって重要であると、私たちが知っていることが示していると私は考えます。

SI:動物王国との関わり合い方について、あなたは未来に希望を持っていますか。
ベコフ:私は希望を持っていますが、長い時間が必要でしょう。多くの人がこの大流行の中でストレスを感じ、大いに苦しんでいます。ヒトではない動物への態度を変えるように頼むことは難しいです。頼むこと自体は簡単ですが、何かをさせることは難しいのです。私たちは改善するために変化する必要があり、さもなければ破滅に向かう運命にあります。他の動物を殺し、消費し、彼らの家を盗むことを続けながら、地球がある種の生態学的なバランスを保つと考えることはできません。

SI:長年の間、私たちは罰を受けずにそのようなことを行いました。私たちは危機の淵にあります。
ベコフ:はい、私たちは淵にあります。多くの人が苦しんでおり、それは、ある種の満足できる人生を送っている人々より遙かに多いのです。私たちは変化する必要がありますが、同時に私は希望を持っています。私は見知らぬ人と多くの電子メールのやり取りや議論をしました。例えば、動物と人間の関係や新型コロナウイルスの伝播などについてです。おそらく明るい側面の一つは、人々が態度を変え、ヒトではない動物の利益にもなるようにするだろうということです。

SI: あなたの著書『動物マニフェスト』についてお話しいただけますか。
ベコフ:この本は、動物が自分たちの生活をより良いものにするために人間に何を求めているのだろうかという視点から書かれました。私は、炭素フットプリントに相当するような共感フットプリントと呼ぶアイディアを提示しています。誰でも自分の共感フットプリントを増加させ、ヒト以外の動物の扱い方を改善する能力があることを議論しています。人間が支配する世界で、彼らが何であり、何を必要としているかを尊重する必要があります。動物を害し、殺すことをやめるのです。彼らもまた、この世界に属しているのです。

SI:動物の意識と感情を理解するために活動するあなたの人生が、この惑星においてあなたとあなたの人生観にどのように影響を与えたのかをお話しいただけますか。
ベコフ:アリから蜂、犬、猫、鯨、象、ペンギンに至るまで、野生で興味を持ったあらゆる動物を見るとき、私はいつも動物の足下に踏み込もうとします。動物の心やハートに踏み込もうとし、動物が人間に対して実際に望んでいることを見つけようとします。近しい距離感は、動物が求め必要としているものや、ますます人間が支配する世界で動物の生活を改善するために私や他の人間ができることを知ろうとする動機を私に与えてくれます。
 私たちは「人新世」と呼ばれる時代に生きています。人々はそれを「人間の時代」と呼びます。私はそれを「非人間性の猛威」と呼びます。この惑星を人間が支配しているという意味での人間の時代です。一歩下がり、私たちがこの惑星に及ぼしている信じ難い破壊を見るとき、動物が良い生活を送るために必要なことにもっと注意を払い、ヒトではない多くの動物が平和で安全に暮らし繁栄するために同じことが必要であると認識する人が増えていけば素晴らしいなと、私は感じます。

SI:なぜ人類は、動物王国や自然世界との関係で、正しい管理、より一層の共感、より一層の理解を体現するアプローチではなく、支配のアプローチを採用したのだとあなたは思われますか。
ベコフ:一番目の理由は、私たちにはできるからです。私たちにはその能力がありました。多くのアプローチが、人間だけが神の姿に似せてつくられ、そのため人間には他の個体の生命を支配する権利があると述べる様々な宗教の伝統の影響を受けています。人間に他の動物への支配権が与えられたとき、支配権は共存や保護管理とは反対である支配として再定義されました。私より読書や研究の経験が深く、支配権は支配を意味するものではないと主張する多くの人々がいます。それは、ヒトではない動物が人間と共に平和に生きる権利を持つことを理解しつつ、平和的な共存を意味するものでした。私たちは、このような平和的な関係を発展させ維持するためにできることを行う義務を負っているのです。それは支配の問題ではなく、保護管理の問題です。

勇気と恐れないこと──選集

Courage and fearlessness – a compilation

「勇気と恐れないこと」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 人間が変化の必要を理解するとき、今日彼らを恐れさせているものを喜んで受け入れるだろう──理解と勇気は携え合って進む。新しく見いだされる寛容が古い不信感を一掃するだろう。古い借金はご破算にされ、智恵の黎明が人間の心(マインド)と行動に差し込むだろう。人間が自分たちの一体性を悟るとき、そしてその認識に基づいて行動するとき、すべてが可能になる。
(『覚者は語る(Ⅰ)』─変化の中にある世界─より)

 恐れるでない、我が友よ。困窮しているすべての人々を助けるために、勇敢に、そして喜んで与えなさい。あなた方がこれをなすとき、あなた方が出でたあの本源なる神(神性)の領域に入るのである。それは神御自身の行為である。だから、我が友よ、来るべき偉大な変化の顕現をもう(ただ)待つのではなく、それらの変化をあなた方の行動によってもたらしなさい。
(マイトレーヤ、2006年4月6日、『覚者は語る(Ⅱ)』)

 競争の中で表現される恐怖を人類の意識から除去してしまわなければなりません。ではどうすればよいか、その方法を見つけなければなりません。マイトレーヤに訊ねるならば、彼はこう言うでしょう──「わたしを信頼しなさい。いのちを信頼しなさい。あなた自身を信頼しなさい。裡なる神を信頼しなさい。そして世界の資源を分かち合いなさい」。私たちが分かち合いの原則を受け入れるや否や、そしてそれによって世界に正義がもたらされるや否や、競争はなくなるだろうと私は思います。
 競争の災いは二つのことに基づいています──貪欲と恐怖です。貪欲は恐怖の結果です。恐怖は、いのちに反するところのものについての基本的、根本的表現です。恐怖を取り去るとき、いのちのエネルギーを解き放ちます。
(『協力の術』)

 民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美である。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。それを達成するためにはどのような犠牲も大き過ぎることはないことを彼らは知っており、その名の下に死ぬことを厭わない。
 かくして、世界の民衆は、彼らに定められた自由と正義という生得の権利を受け継ぐだろう。かくして、民衆の声は次の数カ月、数年のうちに、よりいっそう大きく、よりはっきりと持ち上がるだろう。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─民衆の声が将来を先導する─より)

 脅えながら生きる必要はないのです。誰も恐怖の中に生きる必要はありません。恐怖心はグラマーです。他のいかなるグラマーよりも悪いものであり、ほとんどのグラマーの底にあるものだと思います。(イニシエーションを授ける)イニシエーターの御前に立つ望みを持つ者は誰でもそれを克服しなければなりません。
 恐怖心の中で生活している間はイニシエーションを受けることができません。イニシエートになれません。恐怖心を完全になくすまで、覚者になることはできません。恐怖心に取り組み、そして真のディサイプル(弟子)の上向きの、緊張した前進への勢いを人生の中で顕示するためには勇気が必要です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 わたしの軍は動く。わたしの副官たちは戦いの結果を知っており、戦闘の計画を知っている。その戦闘はあなたがたすべてを巻き込む。なぜなら、我が友よ、兄弟たちよ、あなたがたを通して新しい世界は作られねばならないのであるから。それでは、この雄々しい仕事に参加し、あなたの気概を示しなさい。わたしの愛が、あなたを支えるであろう。わたしの法が、あなたを導く。わたしの心は、いつもあなたを包む。我が友よ、恐れるでない──あなた自身の恐れる思い以外に、恐れるものは何もないのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第45信より)

 変化は一度にすべて起こるのではない。しかし間もなく、正義と自由のための最初の確固とした強打が加えられ、年月を経るにつれて勢いを増していくだろう。やがてすべてが刷新され、世界中の人間はより澄んだ、より健全な空気を吸うであろう。
 この重大な仕事には勇気が必要である。多くの挑戦に応じなければならない。世界を完全に変えることも、過去の遺跡の上に新しい世界を築くことも、容易なことではない。だから、勇気を持ちなさい。そしてあなた方の世界を再建しなさい。恐怖心を捨て、両腕を広げて未来を迎え入れなさい。
(『覚者は語る(Ⅰ)』─未来への道─より)

 神と愛は一つであるというわたしの単純な真理が、人を未来の約束に目覚めさせている。これがわたしの仕事をやり易くする。我が友よ、喜びと愛に満ちて、英雄のように、昔の武者のように行動する用意の整っている男女として、あなたがたに与えられた救援と愛の任務をなしていく用意の整っている者として、自分たちを示しなさい。恐れることはない、我が兄弟よ、あなたがたの肩はわたしによって強められる。
(『いのちの水を運ぶ者』第99信より)

 誰でも、その人の能力以上のことが課せられることは決してないということを覚えておくべきです。決してありません。それは法則なのです。その人が素質的に──すなわち光線構造、進化の段階、認識の度合い、健康、年齢などから見て──行える仕事以上に多くをなすことが要求されることは決してありません。このことをしっかりと覚えておくべきです。あなたがやれることすべてを遂行するのを阻むものは恐怖心であり、怠惰、惰性、無力感であり、それはまた恐怖心の別名です。勇気の欠如、これも恐怖心の別名です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 変化のための青写真が何百万もの人々の想像力を引き付け、間もなく世界の注目を集めるだろう。結束し、そして勇敢であるとき、彼らは無敵であることを、人々は理解した。この変化への運動を止めることのできるものは何もない。それは未来の、そして大計画の概念を包含する。マイトレーヤはそれに声を与えたのであり、それが今や世界の民衆の声である。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─和合への道─より)

 わたしの覚者たちは彼らの仕事のために用意を整えている。あなたがたの生活の中に入り込み、あなたがたに教える覚者たちの数は増している。あなたがたは彼らを友として、兄弟として、師として持つのであるから、失敗するはずはない。あなたがたの中に彼らが臨在しているのに、なぜ恐れるのか。このことを良く知り、希望を持って未来を望みなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第133信より)

 弟子は、何にも増して、勇気と着実性と忍耐と「そこに留まる」ことのできる能力を持たなければなりません。そして私たちの裡にある最高のものを引き出すために自分の前に置かれた困難から逃避してはいけません。人生において様々な困難に出会うのは、私たちがそれらを克服していくときに進歩があるように魂が整えるからです。進化の旅路において前進へのステップを踏むことになるからです。
(『協力の術』)

 マイトレーヤは、人間を彼ら自身の生得の権利の中に掲げようとしている。
 新しい、そしてより幸せな世界の創造を鼓舞しようとしている。
 偉大なる主は、一人ひとり個々の人生に尊厳と価値を付与しようとしている。
 マイトレーヤは、彼のヘルパー(助力者)たちをどこに見つけるだろうか?
 応える用意のできている者は誰か?
 愛の主を援助する勇気を持つ者は誰か?
 マイトレーヤは、すでに彼が頼ることのできる者が誰かをご存じである。
 マイトレーヤを見る用意をしておきなさい。
 あなたの決意をぴかぴかに磨いておきなさい。
 任務の膨大さにうろたえてはならない。
 何事をするにも、気取らずに、真心を込めてやりなさい。
 マイトレーヤは輝かしい白馬に乗って急速に近づいてくる。
 マイトレーヤのマントラ(言霊)は、「恐れるな!」
(『覚者は語る(Ⅰ)』─マイトレーヤのお出まし─より)

 ジュワル・クール覚者は、すべての弟子はまず真っ先に勇気を持たなければならないと言われます。私たちが勇気を持つまで世界は決してイリュージョンを取り除くことはないでしょう。真の弟子の義務の一つは、世界に存在する権威に対して、それが科学、宗教、政治あるいはいかなるレベルのことであろうとも、自分たちが反対だと思うこと、それらについてより明確に見通せることについては、公に声を上げることである、とジュワル・クール覚者は言います。
 もし彼らが間違っていると思うならば、弟子にとってそれを指摘することは義務であります。もし弟子たちがただふくれて、そのテーマについて見解を持たず、それ以上に良い、より明確な、より当を得た、より真実なことを提供できない振りをするならば、それは名ばかりの弟子であります。真の弟子とは恐怖心を知らない弟子です。
(『生きる術』)

 人間は啓示を拝受する時点に立っており、間もなくそれが、一致しない様々な声や態度を押し流すだろう。人間は自分たちの存在の意味と目的をよりいっそうはっきりと知り、その知識が彼らの認識の中にもたらされた手段を知るだろう。間もなく、非常に間もなく、人間はあたかも一夜にして、と思えるほど、急速に成長するだろう。……恐れることはない。新しい世界がつくられつつあり、それが人間の信と勇気を同等の順序で回復させるだろう。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─最高位からの贈りもの─より)

 多くの者が恐れながらわたしを待つ、その混乱の原因も知らずに。我が友よ、恐怖のあるところに信頼は存在しない。それなのに何故、恐怖にしがみつくのか。わたしの存在は、あなたがたの周りを見ても明らかである。この事実に目覚めなさい。世界に起こっている変化に、あなた自身の心に起こっている変化に、あなたの子供の目に輝く喜びの光に、目を見開きなさい。このようにしてわたしがあなたがたと共に居ることを知りなさい、我が友よ、そして世を救う手助けをしなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第134信より)

 変化は、それが小さなものであっても大きなものであっても、人々にとってはいつも困難です。世界を大きく変容させるような変化は特に多くの人々にとっては恐ろしいものです。彼らが知らないのは、キリストであり世界教師であるマイトレーヤの力(パワー)です。彼は大勢の弟子たち(覚者方)と共に、肉体を持たれて私たちの中に今存在するのです。
 彼らのエネルギーが人類の持つ最良のものを刺激し、変化を認識させ、実施させていきます。マイトレーヤが言われたように、「恐れるでない。終わりは始めから知られている。すべては良くなるだろう。あらゆる事柄は良くなるだろう」。
(『人類の目覚め』)

 マイトレーヤは、すでに彼が頼りにすることのできる者を知っておられる。マイトレーヤは、人類の心(ハート)は健全で強く、それを頼りにすることができることを知っておられる。彼の軍勢は「共通の善」のために善戦を戦う用意が整っている。至るところにいる善意の男女はマイトレーヤの臨在を感知しており、世界の必要に反応しつつある。マイトレーヤは、今日の男女が普遍的善のために彼らの票を投じ選択をするという運命的な機会を見逃しはしないかということに懸念を抱いていない。彼らは、恐れることなく、未来へ向かう準備ができており、奉仕することを願望している。
(『覚者は語る(Ⅰ)』─人類の選択─より)

 我が友よ、兄弟姉妹たちよ、あなたが、現在立っている位置を検討しなさい。あなたは、わたしと共に祝福された愛の島に行く用意がありますか。あなたが現在持っているすべてのものを、分かち合う用意がありますか。人生を勇敢に直視して、我が友よ、成し遂げるべきチャレンジとして受けとめる用意がありますか。もしあなたが、わたしと共に行くならば、とどめるものは何もない。我が友よ、古い惰性は消え、光と愛に包まれて、父の近くに在る喜びを知ることができる。その喜びをあなたがたに授けることが、わたしの特典である。それなら、我が友よ、勇気を携えて、あなたの本源へ戻るためにわたしに従いてきなさい。決して誤ることはない、我が友よ、マイトレーヤがあなたがたと共に居るのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第86信より)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されている。その他の手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認、もしくは示唆することはできないが、読者の考慮のために、掲載している。

したたかな知恵

編集長殿
 以下の出来事は20年(あるいはそれ以上)前に起こりましたが、いつだったか正確に覚えていないので申し訳ありません。私は今まで何年もの間たびたび、それはマイトレーヤの現れだったのではないかと思ってきました。
 友人と私はロンドンのフレンズハウスの外にいて、クレームさんの講演に来ていました。私たちがドアに近づくと、ひどく取り乱した様子の若い男性が私のところにやって来ました。彼が言うには、彼にはお金が無くて、その夜8時までに工面できないと、住む場所を無くして路頭に迷うことになるということでした。もちろん、私は彼に同情し、持っていたお金を彼に渡しました。それで終わりです。
 やはり、その(素敵な顔立ちの)若い男性はマイトレーヤだったかもしれないと思うのです。
ベティ・ファラジャラ
英国、サリー州
【ベンジャミン・クレームの師は、その『取り乱した若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

一人二役

編集長殿
 (1)2004年4月30日の四街道市で、私たちの伝導瞑想グループメンバーのAさんが、車で家に帰って駐車場に車を止めました。その瞬間、彼の目の前をクレームさんがビニール袋を持って通り過ぎたのです。クレームさんは見たところスーパーマーケットからの帰りのようでした。Aさんは非常に驚いて、即座にその人がマイトレーヤに違いないと思ったのです。車から降りて、すぐに後を追いかけようとしました。けれども、どこにも姿は見つかりませんでした。その人はマイトレーヤでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その人がマイトレーヤであったことを確認した】

よく似たイメージ

 (2)2005年5月15日に、クレームさんが出席する東京の公開伝導瞑想会に参加するため、友人と私は東京へ向かう列車の席に座っていました。途中で50代の女性が黒い杖を手に持って、孫息子と一緒に列車に乗ってきました。座席は満席でした。男の子は女性を心配して、「あぁ、おばあちゃん、どうしようか? 席に座れないね」と言いました。彼らは私の前に立っていたので、私が彼女に席を譲りました。彼女に席を譲った時、彼女は真っ直ぐに私の目を見てお礼を言ってくれました。表情のない彼女の顔が、私の顔にとても近くなったのは、彼女の腰がひどく曲がっていたからでした。私は心の中で、「この女性は若く見えるけど、美しくも醜くもない人だわ。彼女の顔は本当に特徴がない」と思っていました。彼らの会話から、(推測すると)彼女はニューヨークでの事故で腰を骨折し、手術を受けたとわかりました。現在彼女はリハビリの運動として、時折列車で出かけているのです。彼女は『丁寧な物腰』で話をする人で、孫息子に向かって「その当時、私は本当にとてもたくさんの人たちに助けられました」と話していました。いくつか駅を過ぎて、彼女の隣の席が空くと、彼女はそこへ移動して私に「どうぞ座ってください」と言いました。それで私は彼女の隣に座り、彼女の孫息子の顔が小学生のようなのに、背丈が大人の男性の平均よりもずっと高いことに気づきました。彼らが列車を降りる時、彼女が私の目を真っ直ぐに見つめながら、もう一度お礼を言ってくれましが、やはり(以前と同じように)彼女の顔は無表情だったのです。その時には、彼らが普通の人たちだと思っていました。けれども後になって鏡に映った私の顔を見た時、その女性に顔が良く似ているとわかったのです! 彼らはマイトレーヤとイエス覚者でしたか。
O.M.
日本、千葉県四街道市
【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がマイトレーヤで、彼女の孫息子が東京の覚者であったことを確認した】

わざと転ぶ?

編集長殿
 4月8日の土曜日(2006年)、私は友人と一緒にパリにいました。午前11時に私たちはサン・シャペル地下鉄駅から出て、サン・ジェルヴェに向かって歩いていました。とある街角で松葉杖をついて歩いていた男性が歩道で転び、地面で顔を「ゆらゆらさせて」いました(どこかわざとやっていたように見えました)。私たちには彼の顔は見えませんでした。彼はホームレスに違いないと思い、背が高くがっしりとした人だったので、私はあえて近づいて助けることはしませんでした。一人の通行人が彼の方に数歩近づきましたが、何もしないうちに、その男性はパッと立ち上がりました。彼は次に壁にもたれて、まだ杖を持っていましたが、彼の顔が見えました。彼は若い黒人の男性で、ハンサムで実に陽気に微笑んでいました。私は助けてもいなかったのに、彼は実際私にお礼を言いました。私の印象では、彼は転ぶふりをしたという感じで、まるで彼自身に注意を引きたかったかのようでした。
 私はそのまま歩いていましたが、この印象はますます強くなったのです。彼はどなたでしたか。
モニク・ラルシェル
フランス、ブルゴワン=ジャイユー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

読者質問欄

Q あなたがアクエリアスのエネルギーの特質として「統合」という言葉を使われるとき、未来のために実際には何を意味するのですか。
A エネルギーが強力になるにつれて、人々はますます統合や全体性に反応します。アクエリアスのエネルギーは世界の様々な人々──異なった文化、人種、背景、宗教、異なった国家運営の方法──を一つの巨大なグループに融合し、すべてを統合して融合します。
 それが人類全体として私たちが次の2,000年間に行う仕事の本質でしょう。これらの新しいエネルギーは巨大で宇宙的で微妙なものであり、その特質が文明を特徴づけます。将来、来るべき2千年周期に私たちは協力を通して共に建設するでしょう。私たちは統一された文明を築き、和合を創造し、その和合は様々な違いから成り立っています。差異をなくし個性を消すような統一ではなく、その個性は人類というより大きなグループへの奉仕に使われるでしょう。ですから、そのようにして人類は、個別の国家の行動としてではなく、世界のすべての人々の最良の目的のために共に働くでしょう。

Q 天才という現象を説明していただけますか。天才とは何ですか。
A すべての天才の背後には覚者がいます。人類はその事実に気付いていませんが、覚者方は特定の時代の文明の鼓舞者です。どんな分野であれ、彼らの弟子たちを通して新しいものを鼓舞するのは覚者方です。それは新しい交通様式かもしれないし、新しい芸術や科学、教育かもしれません。要するにテクノロジーや新しい思考方法など私たちが発見したと考えているものすべては覚者方によって刺激されたものです。そのようにして私たちは進化します。実際、進化することが「生活の中の私たちの仕事」です。偉大な概念やあらゆる仕事を行ったように見える天才たちの背後には覚者方がおり、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、レンブラントがそうです。彼ら各人の背後には覚者がおり、彼らのマインドを鼓舞して彼らに創造させたのです──もちろん、芸術だけでなく、人間生活のあらゆる分野においてそうです。主に芸術家を扱う覚者方がおり、主に政治家を鼓舞する方々もおり、哲学者、宗教指導者などを扱う方々もいます。覚者方は専門分野をお持ちです。

Q では、個人としての私にとってのマイトレーヤの目的とは何ですか。
A マイトレーヤの目的は人類を神へともたらすことであり、それは自分自身の神性を認識し、それを表現することです。つまりあなたが神であるかのように生きることを意味します。それは宗教に入ったり修道僧や尼僧になることではなく、あなたが接触するあらゆる人々との関係において彼らが自分自身であるかのように行動することです。そのためには私たちは戦ったり競争したりせずに、平和の中に生きなければなりません。共に生きるという考えから競争を消さなければなりません。誰もが潜在的には神であり、誰もが自分自身の成長のリズムを持っています。速い人もいればゆっくりな人もおり、一つの線に沿って発達する人もいれば、様々な発達をする人もいます。そしてこのようにしてすべての生活様相が網羅されます。

Q 難民や移民についてどうお考えですか。
A 先進国の多くが抱える大きな問題の一つが移民問題──移民の到着です。アメリカとEU諸国の中には、巨大な障壁を設け、国境に壁を築きました。彼らが言っているのはこういうことです。「彼らはここに来てはいけない。私たちは彼らを欲しない。彼らはここに来て私たちの仕事を奪う。彼らは迷惑で、数が多すぎる。私たちの国は何千人もの移民を受け入れるほど大きくはない」。その一方で、ますます多くの難民や移民が仕事を求めてやって来続けます。彼らは途上国から来て、国では仕事がないため、先進国に来て仕事を得ようと思い、合法かさもなくば非合法にやって来ます。英国は過去の帝国である英連邦の中心です。ある時代には、英連邦に属する国々のどこからも英国に来ることが許されていました。それは多かれ少なかれ英国人と同じでした。今ではそれは困難になり、入国には何年も待たされます。そして自国民と移民との間には巨大な壁や障害が存在します。
 しかし、何世紀にもわたって移民の波を受け入れてきた国家はすべて、彼らによって豊かになっています。移民は地域の生活に異なった特質を持ち込みます──異なった料理、異なった考え方、異なった宗教、予想もしなかった多くの異なったやり方です。それらは私たちの生活の質を豊かにします。そしてアメリカについて言えば、移民が現代のアメリカをつくったのです。
 マイトレーヤの仕事は、このことを理解するように人類を鼓舞することであり、私たちが一つであり、人類という一つのグループとして一つの世界に住むことを目指すべきであるということを知らせ受け入れさせることです。彼はいかに生きるかを人類に教えなければならず、私たちはそれに応えなければなりません。私たちはそれを自分で考えたかのように必要なものと見なければなりません。マイトレーヤは人類に助言する仕事を持ちますが、彼が言うことの現実性を見るのは私たちの仕事であり、それは単なる別のアイディアではなく、私たちに絶対的に不可欠な行為であることを知らなければなりません。そしてそれを欲しなければなりません。それを歓迎し喜ばねばなりません。私たちは分かち合いの原則を受け入れ、それを実施しなければなりません。

Q また別の経済危機が起こるでしょうか。それとも私たちはすでに最悪のものを経験しましたか。
A それはまだ終わりに達していません。それは続くでしょう。上がったり下がったりするでしょう。特に通貨的な意味では多少の改善はあるでしょうが、労働や産業の見地からは、アメリカやヨーロッパのような国が回復するには長い年月がかかるような崩壊が起こるでしょう。毎週何十万もの職が失われています。途上国ではそれはどんなものか考えてごらんなさい。(2009年9月)

2020年8月号

 

――覚者より
人間の本質的同胞愛
ベンジャミン・クレーム筆記

パンデミックとオーバートンの窓
スコット・チャンピオン

今月号の内容概説

グローバル・マーシャル・プランが再び議題に?
リュック・ギロリー

民衆の声
「息ができない」
―世界の不平等に向けられるゾッとするような合い言葉
ピユーシュ・コテチャ

パンデミック時代のUFO
ウィリアム・アレン

時代の徽

民衆の声
パレスチナ人の命は大切だ( Palestinian Lives Matter)
―ユダヤ人とアラブ人による大規模な併合反対集会
ホワン・コール

ルトガー・ブレグマン著
『ヒューマンカインド(種としての人類) —— 希望に満ちた歴史』
フィリス・クレームによる推薦図書

アリス・A・ベイリーの思い出
ラウル・ウィレムス氏へのインタビュー

エリザベス・ワーノンの著書におけるマイトレーヤ
クロード・シャボシュ

編集長への手紙
井戸の発見 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

人間の本質的同胞愛

シェア・インターナショナル誌には創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者が提供してくださった記事が毎月掲載されてきた。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。2011年に書かれたこの記事は、ウイルスによってすべてが露呈した全面的な不正義という現在の危機をわれわれに示している。何世紀にもわたってわれわれは他者の苦しみに目を背けて、人種差別から得をしてきた。今やついに、われわれには人類の一体性を受け入れる希望が出てきているのである。

人間の本質的同胞愛

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 数え切れない長い間、人間は食物、利得、安全、平和を求めて地球を放浪してきた。部族として、あるいは国家としてでさえも、人間は惑星を何度も何度も縦横に彷徨いながら、長い間連続的に異種の民族と戦い、そして異族間の結婚で結ばれてきた。この尽きることのない放浪の結果が今日のひとつの人類なのである。皮膚の色や宗教や伝統や言語が何であろうとも、すべての人間は共通の先祖からの子孫であり、同じ方法で現在の状態にまで進化してきたのである。現在の状況が、確かにあるグループにとって他よりも有利なのは多くの歴史的要因の結果であり、知性や適応性における先天的な違いの結果ではない。歴史を通じて、様々なグループが長期間あるいは短期間、突出し、名声を上げ、そして、彼らの存在を後々の世代に思い出させるための彼らの創造性を残して、再び埋もれ消えていった。
 これはすべて本当であり、現代の人類は自分たち自身をひとつとして見なし、姿形の違いは、様々な人種タイプの出現を通じて、定期的に顕現してきた光線の影響であると共に、比較的最近の気候的条件の結果であると見なすことが非常に大切である。人類は、ひとつとしての意識を培うことにおいて、まだ共に進化しつつあるのである。
 共に進化成長しながら、各々の種族や亜種族が何らかの新しい特質を全体に寄与する。輪廻転生の過程は、徐々に各人が新しい知識と新しい時代についての認識を受け継いでいくことを保証する。もし人間が本当にこの過程の複雑さと美しさを理解するならば、今日の“人種差別”のような嫌悪感や不信感は永遠に消え去るだろう。本当に、人間は兄弟であり、終わることのないように思える自己発見の行路を共に歩んでいる仲間であることに気づくであろう。
 あなた方の兄であるわたしたちが、より公に働くとき、これが人間の特質と関係についてのわれわれの理解の中心的真理であることを知るだろう。人間家族はわれわれのいのちを養う基礎である。その中でわれわれは協力し、われわれの分かち合われたアイデンティティー(本体)の豊かな織物を形成しながら、共に創造するのである。
 ではいかにして、人間はこの本質的な理解に到達することができるのか。わたしたち同胞団(ブラザーフッド)が、この関係を、わたしたちが行うすべてにおいて実演するだろう。かくして人間は、彼ら自身をすべて同胞として見るようになるだろう。分かち合いが人間をこのうれしい峠に導き、真理についての彼らの新しい実演(デモンストレーション)が彼らに栄光を与えるであろう。そのようになるだろう。
 そうして人間は彼らの知識と経験を分かち合って、達成の高台を征服するだろう。人間はついにお互いを自分自身として認識することで、兄弟たちとの距離を置くために立ててきた偽りの障壁を永遠に消し去るだろう。
(2011年1月号)

パンデミックとオーバートンの窓

スコット・チャンピオン

「オーバートンの窓」とは、政府の受け入れ可能な政策範囲を定めるアイディアを描写する用語である。政治家が成功するためには、国民に受け入れられるこの範囲内に政策を留めなければならない。政治家が政策範囲を拡大するためには、既存のオーバートン内で新しい政治要綱を展開するか、国民が政治家に聞こえるほどの大きな声で新しい政策を求めることが必要である。

 ベンジャミン・クレームは著書の中で、人類はいつの日かかなり深い衝撃をもって深遠な荒野の体験と向き合わざるを得なくなるだろうと主張していた。「荒野の体験とは、特に西洋人にとっては、至るところのすべての人々が生活できるように、よりシンプルな生き方を受け入れることである」とクレーム氏は語った。
 この体験の結果として、世界の諸政府は国民の真のニーズを優先し、それを満たす試練にさらされるだろう。この荒野の体験を引き起こす要因としてパンデミックを予想した人はほとんどいなかったが、パンデミックから生じた経済崩壊と、これまでこの危機の後を追ってきた世界の諸政府の対応は、クレーム氏の著書や講演と一致している。
 2020年4月、米国下院の民主党議長であるナンシー・ペロシ氏は、ユニバーサル・ベーシック・インカム(全国民への基本所得補償)は現在の経済環境において検討する価値があるかもしれないと述べ、米国国民のためのより公正な経済モデルの一端を示した。ペロシ議長は、米国の経済モデルにおけるこのような革命的な変化を公に表明したこれまで最も高位の米国政治家である。これに先立ち、米国大統領候補のバーニー・サンダース上院議員は、多くの進歩的・社会主義的なアイディアをアメリカの有権者の思考に印象付けた。これらの米国を中心とするアイディアは、被雇用者賃金の80%をかなりの限度までカバーするために企業に早急に資金を給付しようとする英国の保守政権に相通じるものであり、労働党政府でさえ数カ月前には想像だにできなかった対策である。
 こうした前例のない提案と社会主義へのステップは、もちろんのことながら、新型コロナウイルスのパンデミックによって引き起こされた経済的苦難によるものである。これは、非常に短期間(10週間)に世界経済に構造上の深い損傷をもたらし、1930年代の大恐慌のときに10年間にわたって発生した雇用喪失と経済活動低下に匹敵するものとなった。ラボバンク社の洞察力に富む経済アナリスト、マイケル・エブリィ氏によると、「経済的損害の深みと速さはまだ始まったばかりであり、それは恐るべきものである」と語っている。
 危機のときに資本家に損失を与えないように諸政府が協調して講じた対策は、先進諸国で特筆すべき歴史を持っている。経済危機の際には、国民よりも株式と債券と不動産市場を最優先する世界の中央銀行が調整する流動性計画案を通して、株式保有者は、繰り返し救済されている。今世紀だけでも、米国、EU、日本、そして先進国全体の資産市場を支援するために、数兆ドルが提供されてきた。
 近年では、中国もこの資産の引き上げに参加している。危機が、住宅ローン、自動車ローン、クレジットカードの不履行につながり、資産保有者の資金繰りを奪うような重大な形で雇用に影響を与えると見られる場合、これらの国々は時として国民に限られた資金を提供する。多くのコメンテーターが述べているように、それは、損失が社会化され、利益は私有化される世界的なシステムである。
 危機の間は、株式の賭け全体が、納税者、欠損、将来の通貨価値を犠牲にして中央銀行によって大幅に埋め合わされるため、2007年から2009年の大金融危機以来、資本市場は時として「カジノ」システムであることをやめたこともあった。個々の企業の成功には依然としてカジノ的な賭けの要素があるかもしれないが、危機的な状況下では、適切に管理された企業と管理が不十分な企業は共に経営業績や資産に関係なく救済される傾向がある。過去10年間に自社株買戻のために多額の借入を行った経営陣は、企業に大きなリスクを負わせた。このように振る舞ったボーイング社のような企業は、貪欲で無能な自己中心的な経営を納税者の金銭を使って救済するという考えに対して国民からの相当な抵抗を受けている。
 株主価値を最大化することに専念し、同時に自社のストックオプションの価値を最大化する上で、経営陣は収益報告に最後の1ドルを詰め込むために、可能な経費と資産をすべて海外移管した。医療検査、化学試薬、マスク、ガウン、手袋、眼の保護、手指消毒剤などの重要な物資が国内生産のどこにも見当たらなかったのは、企業全体に及ぶこの経費削減の結果であった。ほとんどの先進国では、わずかな経費──数百万アイテムに及ぶわずかな経費──を節約するため、実質的にはすべてが最低コストの生産者に外注されてきた。
 2カ月という短い期間に、政府、雇用主、労働者にとって何が必要不可欠かということが全く新しい意味を帯びた。新型コロナウイルス感染者に対処する医療従事者は、突然最も重要になったこと──つまり、生き延びるということ──の比類のない世界的な実現において、世界で最も重大な前線に立つことになった。食料品店のレジ係もこの新しい戦いに送り込まれ、一夜にして不可欠な地位に押し上げられたが、感染している可能性のある顧客や同僚と必要な防護策なしで対面しなければならなくなった。これらの労働者は、有給の病気休暇なしで最低賃金に近い収入しか受け取っておらず、最良の場合でも、加入している健康保険は不確かで高額なものである。
 最前線の医療従事者を含む必要不可欠な労働者が新型コロナウイルスの検査を受けることができないにもかかわらず、プロのスポーツチームは検査を受け、エンターテインメントのスターたちはオンライン・ニュースやソーシャル・メディアに検査結果を投稿し、裕福な人々とその近隣の人々はプライベート・コンシェルジュ・メディカル・サービスを通じて問題なく検査を受けていることがニュースで多く報じられている。重大なのは、新たに評価された必要不可欠な労働者がこの状態を見過ごしていないということである。2020年5月5日、労働者の正義を求める声が上がり、アマゾン、インスタカート、ホール・フーズ(アマゾンが所有)、ウォルマート、ターゲット、シプト、フェデックスの必須労働者の連合が、賃金の上乗せ、有給病気休暇、安全な労働条件を要求するストライキを行った。
 パンデミックの前線に送り込まれた結果、米国の必須労働者は、うまくいく経済制度はどのように機能すべきかという考えも含めて、市場の力は不可侵だと考える人生全般の条件づけを打開することよりも、資本主義の不公平さを即座に理解することのほうがおそらく容易だったのだろう。パンデミックの結果として、多くの人々が新しい現実に目覚めている。彼らは状況のより明確な見方を発達させつつあり、彼らが経験し、家族を危険にさらしている明らかな不公平さに立ち向かい始めている。
 彼らがこの自己尊厳の感覚に新たに気づくようになったのは、直接的で、あからさまで、冷酷なパンデミックが、以前の経験や条件づけの範囲を越えていたため、過去の条件づけから解放されたからである。彼らは公平ではないことを理解している。彼らには、それが自分のせいだと認める理由も、文句を言わずにそのまま受け入れる理由もない。彼らは、同じ労働者の生命が実際のリスクにさらされているにもかかわらず、富裕層が彼らの犠牲によってどれほど利益を得ているかをより明確に見ている。メンタル的な条件づけは、存在の脅威──死ぬ可能性──に直面したときにより簡単に克服できるようである。
 今後、必須労働者は、自分たちが重要であり、しかも非常に重要であることを直接経験しているため、十分に再考することなく自らの運命を受け入れることはないだろう。同じことが、より大勢の人々のために隔離を要求された人々にも言える。彼らはこれが自分のせいではなく、要求された必要なことに従って、立ち退かされたり、家や車を差し押さえられたり、破産を強いられたりされるべきではないことを知っている。このように考えるようになるにつれて、メンタル的な条件づけを打ち壊すことができる余地が生まれるだろう。「私は絶対必要なのです」「私は他の人たちが生きるために最高のことをした」「なぜ私の家族はそのために苦しまなければならないのか」
 現時点では、1987年の株式市場の崩壊、2000年のインターネット・バブルの崩壊、2007年から2009年の大金融危機の際に中央銀行が用いた紙幣印刷のテクニックが、深く相互関連し合い、大きな債務を抱えた今日の世界で再び見られるかどうかはまだ分からない。進行中の新型コロナウイルス・パンデミックは、パンデミック以前の生活の多くの側面が正常に戻るのに長い時間がかかる可能性があることを瞬く間に示している。世界経済を理解することに専心してきた多くの経済アナリストは、業種によっては、多くの産業が2年から8年未満で通常に戻れるとは期待できないと述べている。JPモルガン・アセット・マネジメント社の最高投資責任者は、雇用が最近の最高水準に戻るには少なくとも12年はかかると述べた。金融とヘッジファンドのリーダーである89歳のジョージ・ソロス氏は、これは彼の生涯の危機であると述べた。
 政府の政策と事業運営計画は、供給連鎖の失敗と破壊を伴った純粋なグローバリゼーション・モデルが企業と国民を危険にさらすことを認識して、新しい現実に適応する必要がある。それは、利益を公共の安全、労働基準、生活賃金、市民の福祉と健康、環境基準、地球の健康よりも優先している。地球の健康は、澄んだ空と汚染されていない空気の写真を見ると理解できる。
 企業もまた、この新しい時代に生き残ろうと苦闘する時に、利益の最大化に彼らの将来の存続を危険にさらすだけの価値があるかどうかを再考する必要がある。政府の救済策が効果的でないかぎり、資本市場(株式および債券市場)で資金を調達する能力のない企業は極度の圧力にさらされることになるだろう。われわれがすべてを克服するまでに、この経済的困難はそれほど大したことはないと予想する市場アナリストはほとんどおらず、アナリストの多くは、この不況が1930年代の大恐慌で直面した困難に匹敵するか超えるだろうと予想している。多くの指標から見て、すでに新しい大恐慌に陥っているのである。
 グローバルな売買、利益、雇用、設備投資、税収は、今後も引き続き厳しい状況にあるだろう。航空機製造、航空会社、ホテル、宿泊施設、自動車メーカー、レンタカー、輸送機関、カジノ、レストランなどの以前は収益が高かった業種は、事業の縮小を余儀なくされるだろう。雇用は通常よりも遥かに長期にわたって困難が続き、世界的な景気後退と不況はより長い時間停滞が続くだろう。
 必要不可欠な業種は、より高い賃金、有給休暇、利用可能な健康管理を求める要求に直面するだろう。これは記録的な失業を背景に発生し、雇用者と労働者の対立の爆発につながる可能性がある。パンデミックの結果、事業利益率が圧迫され、供給プロセスは家庭により近くなり、中国などのような単一生産国への依存は少なくなるだろう。企業は、単一の供給源への依存を防ぐために、複数の供給先に供給リスクを分散させるだろう。現在のパンデミックでは、容易な解決策はなく、最初の経済開放がどれほど成功するかに関係なく、遠い未来に影響が及ぶほど生活は大きく変わるだろう。
 景気後退をすぐに和らげることができるものはあるのだろうか。広く利用可能で安全かつ効果的な治療計画、もしくはワクチンの広範な投与の成功は、長期にわたる世界的な不況を回避する最良の機会ではあるだろう。しかし、これら好ましい出来事の一方もしくは両方が当面の視野にあっても、経済的損失は依然として過去のすべての不況を超えるだろう。進行するインフレのために調整された世界のGDPの最近のピークは、世界経済全体の供給と需要の両方がかつてないほど破壊されているため、短期から中期での達成は難しいだろう。
 発展途上国の経済は、米ドルへの依存と、堅調で完全に機能しているユーロドル市場への依存のため、特に困難な時期にある(ユーロドルとは、米国の銀行システム外で保有されている米ドルである)。全体的な経済活動の急激な低下により、米ドルの供給は世界的に急激に減少し、商品価格の低迷と同時に、途上国の経済を強く圧迫している。
 この二重の打撃が、国際通貨基金が特別引出権利の拡大を望んで、途上国の支援のために貸付能力を1兆ドルに引き上げようとしている理由である。しかし、トランプ政権はこの計画に抵抗しており、これまでのところ反対している。これが継続する場合、世界的な崩壊を食い止めるために、外国政府および外国企業のほぼ無制限の額の米ドル債務、融資枠、銀行信用状の引き受けを米国連邦準備制度および米国財務省が引き受けなければならなくなる可能性がある。
 この不幸な状況によって、米国は現在の影響力を遥かに超えて世界の経済活動を支配できるようになり、資金を受ける国や企業を選択するようになるだろう。このシナリオでは、米国政府が国際的な勝者と敗者を選ぶことになる。中国やロシアなどの国々は、かなり大きな経済を抱えているため、イラン、ベネズエラ、北朝鮮と同じ船に乗ることを望まないだろう。すでに米国の制裁下にあるロシアにとって、この考えはそれほど魅力的なものではない。高度な軍事力を備えたこれら政治的および経済的に強力な国々にとって、それは耐え難い状況であり、この米国の支配力拡大が現実になった場合にロシアと中国が検討する可能性のある政策選択の範囲を想像することしかできない。要するに、過去数四半期にユーロドル市場で危機点に到達しようとしていた問題が、新たな世界的危機の種を蒔いているのである。
 しかし、世界の諸政府は依然としてパンデミックに直面しており、どのようにしたらよいのか分からない。政府は道を見失い、協力はどこにも見られない。経済の再開と救済への圧力は高く、新型コロナウイルスの発生に対応して、一連の開始と停止の繰り返しが長期化する可能性がある。社会的距離は、何百万もの大小のビジネス・モデルに悪影響を及ぼしている。この最初の開始のステップがどのように進むかに関係なく、生活は非常に長い間混乱する可能性がある。
 2020年4月の終わりに、JPモルガン・チェース社(JPM)はクライアントに株式市場が発するメッセージを無視するようにと、そして現在のパンデミック経済の状況は見た目通り悪いことを伝える報告書を発表した。米国最大の銀行であるJPMは、経済の最前線に位置しており、可能な限り信用取引を遮断し、他のほとんどの銀行を排斥して政府の支援を受ける信用貸しの発動に焦点を変更することで、自行を保護する重要な措置をすでに講じている。先進国の経済は信用貸しと債務で運営されているため、これは悪い兆候である。JPMは「これらのデータは不快なものであり、さらに悪化するはずである」と述べた。
 パンデミックが米国でニュースの大見出しを飾るようになったため、米国の様々な株式市場は当初、史上最高の高値をつけていた2020年初頭から30~40%下落した。3月中旬から2020年5月下旬までの10週間で、4,000万人以上の米国人労働者が公式に失業した。短期労働者と公式の失業統計に数えられない自営業者を加えると、この短い時間枠に6,000万人以上の米国人労働者が失業したと推定される。
 6,000万人のアメリカ人が失業したため、同じ10週の間に米国の主要な株式市場は30%以上高騰した。米国の最も裕福な人々は資産を4,740億ドル増やし、これがアメリカスタイルの資本主義の間違いのすべてであると多くの金融コメンテーターが発表するに至った。何かがひどく間違っているということを認識するコメンテーター、アナリスト、ビジネスマンが増えるにつれて、現代の資本主義がごく少数(億万長者階級)のみのために機能しているという認識が増大する傾向にある。資本主義の不公平さ、その不平等の急激な高まりを富裕層が認め、新たに見いだした自分たちの価値に労働者が気づいたことにより、効果的な変化に関心のある政治家には知的基盤が提供され、労働者は土地、労働、資本の間の既存の関係に対して新しいアプローチを要求する熱烈で強力な声を持つことになった。
 新型コロナウイルス・パンデミックは、オーバートンの窓に強烈かつ劇的な調整を提供した。2カ月足らずの間に、公の論説に影響を与える状況が根本的に変化した。これは歴史上、類のない瞬間であり、もし人々が実質的な変化を要求し、政治家に責任を負わせる意志があるならば、今日、窓が大きく開かれる可能性がある。国民が主導権を握れば、政治家はわずか数カ月前なら達成不可能と思われた政策を提案するだろう。
 米国の強力な政治家たちは、実施の機会がなかった極端で過激すぎると最近まで考えられてきた政策を明言している。しかし突然、これらの政策は民衆のマインドに受け入れられるようになっているだけでなく、必要なものとしてますます理解されるようになっている。新型コロナウイルスは世界に深く影響を与え、その結果、多くの人が政治、経済、社会の制度を調整する必要性を認識している。この必要性をアメリカほど如実に示している国はない。それはアメリカが自由市場のイデオロギーと、いかなる代償を払ってでも利益を最大化しようとする圧力に骨抜きにされ、パンデミックへの対処を誤って崩壊したからである。今、そうした代償によって急所を突かれているのである。
 オーバートンの窓は動いており、経済不況から抜け出す政策を形作る上で、人々の声が今ほど影響力を持ったことはない。その未来を描写し、それを主張し、それに投票し、思慮深さ、ビジョン、思いやり、良心に欠けている経済的なダーウィニズムにすぎないシステムを存続させるかどうかは、民衆次第である。
 シェア・インターナショナル誌の読者は、「荒野の体験」が世界教師マイトレーヤの出現への道を開くかもしれないと長い間期待してきた。誰も彼の出現の正確な時期を知ることはできないが、今や彼の声は多くの正義を求める様々な声を間違いなく強め、それらを団結させ、善への止めることのできない力を生み出し、日常生活のあらゆる側面に大きな変化をもたらしている。ベンジャミン・クレームの『世界教師と覚者方の降臨』が出版されて40年が経ったが、今後数カ月か数年の間にマイトレーヤが出現することに関して、これほどまでに人の心を動かさずにはおかない時はなかったように思われる。

著者注:オーバートンの窓は、ジョージ・フロイド氏殺害に同情して発生した世界的な反人種差別のデモとブラック・ライヴズ・マター抗議運動にも同様に適用される。驚くほど短い時間枠で、オーバートンの窓は、地方、州、および国家の政治団体に対する激しい民衆の圧力の下で開かれようとしており、ますます攻撃的になり軍備化されてきた警察を抑制する法律を制定するように駆り立てている。

今月号の内容概説

 今月号(訳注:英文誌では7・8月合併号として発行された中の8月号部分)で発表された、深く掘り下げた記事やインタビューでも、様々な考え方、様々な声が取り上げられている。
 スコット・チャンピオンは「パンデミックとオーバートンの窓」で、経済システムへの、そして変化を求める一般大衆のますます強くなる決意への、ウイルスの影響を分析している。「変化を引き起こすためには、政治家は政策の範囲を拡大し、既存のオーバートン(国民が受容可能だと思う政策の幅を意味する言葉)内で新しい政治要綱を展開するか、国民が政治家に聞こえるほどの大きな声で新しい政策を求めることが必要である」
 ルトガー・ブレグマンは、コロナウイルス対策のロックダウン(都市封鎖)が明らかにしたように、人類はもともと親切で協力的であることを請け合っている。
 学者たちはあらゆる部門で変化を提唱している。例えば、それはユニバーサル・ベーシック・インカム(全国民向けの最低所得保障)であり、また、リュック・ギロリーの記事「グローバル・マーシャル・プランが再び議題に?」で取り上げられている債務免除である。
 パンデミックの衝撃と人種差別の不正義は、オーバートンの窓を開け放って人生を肯定する正義の空気を吸い込むために、私たちが一致した意志を見いだし、自分たちの声を活かし、賢明な行動をとる必要があることを明らかにしている。

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。