「分離は全くありません……」

エベン・アレグザンダー博士へのインタビュー
シェリーン・アブデル=ハディ・テイルズ

 ハーバード・メディカル・スクールや評判の高い大学病院で数十年にわたって医師や准教授として働いた経歴を持つ脳神経外科医、エベン・アレグザンダー博士はかつて、唯物的な世界観──物質世界が存在するすべてのものだという信念──を断固として支持していた。彼の科学的な信念体系は2008年の超自然的な臨死体験(NDE)によって一変することになった。それは1週間続いた昏睡状態の間に体験した別の領域への旅である。病気の経過予想は厳しいものであったが、不可解なことに、アレグザンダー博士は目覚めると完全な健康を回復した。彼の症例と回復は、論文審査のある「神経・精神疾患ジャーナル」で検証された。
臨死体験以来、アレグザンダー博士は自分の豊かな霊的体験と、量子物理学や宇宙論、マインドの哲学との折り合いをつけてきた。意識が健康や治癒、回復で果たす役割について教えるために、アレグザンダー博士は世界中で講演を行っている。
 アレグザンダー博士は先駆的な科学者、現代思想のリーダーとして、ワトキンスブックスが選ぶ「2020年度マインド・ボディ・スピリット・リスト(精神世界で最も影響力のある人物ランキング100人)」に名前が挙げられている(ダライ・ラマやフランシスコ教皇、エックハルト・トール、デズモンド・ツツらと共に)。2013年以来、このリストには何度も登場してきた。アレグザンダー博士は400回を超えるメディアのインタビューを受けてきた。その中には、ABCテレビの「グッドモーニング・アメリカ」と「20/20」、「ドクター・オズ・ショー」、オプラさんの「スーパー・ソウル・サンデー」、「ラリー・キング・ナウ」「フォックス・アンド・フレンズ」「ディスカバリー・チャンネル」「バイオグラフィー・チャンネル」、ラジオやデジタル、ポッドキャスト番組の数多くの国際インタビューが含まれる。シェリーン・アブデル=ハディ・テイルズがシェア・インターナショナル誌のためにエベン・アレグザンダー博士にインタビューを行った。

「他に言いようがありません──神と私との間に分離は全くありませんでした」
──アレグザンダー博士

シェア・インターナショナル(以下SI):あなたは著書『マインドに満ちた宇宙に生きる』の中で、レイモンド・ムーディ博士が臨死体験という主題についてさらに探求することにつながった彼自身の体験について書いておられます。ムーディ博士はプラトンの『国家』を読みました。プラトンがその本の中に書いているのは、死んだ後に生き返ったアルメニア人兵士の話です。彼は仲間の兵士たちにこう語りました。人が死ぬと、人生の最も顕著な出来事を振り返る過程をたどることになるが、「審判を受ける際に最も重要となる特質は、ここ地上で生きている間に現すことのできた愛だ」と。これは、あなた自身や他の人々の臨死体験において共通の特徴なのでしょうか。結局のところ、最後に残るのは「愛」なのでしょうか。
エベン・アレグザンダー:これは、臨死体験を通して明らかにされた霊的領域の核心を突くいい質問だと思います。レイモンド・ムーディ氏の本を読んで直接お会いし、この探求に深く関わり始め、さらに自分自身の体験を通して理解してからは、プラトンが2,400年前に起きた体験について書いたという事実には、私にとって途方もない意義がありました。今日、戦場にいる兵士にも同じことが言えるでしょう。
 もちろん、最も大事な部分は、愛が実際にすべてのものの核心にあるということです。私たちが共有しているこのつながり、私たち全員が本当につながり合っているというこの素晴らしい感覚の核心にあるのです。それはまるで、私たちが一つのマインドの夢を共有しているようなものです。このアルメニア人兵士が2,400年前に、こうした体験に関して起こっていることや、そうした体験が私たちと宇宙との関係、特にお互いとの関係について示唆することをうまく言い当てていることをうれしく思います。また、ムーディ博士がその話を紹介し、1975年に『かいまみた死後の世界』(評論社、1989年)という本を執筆する勇気を持っておられたことを本当にうれしく思います。その本をきっかけにして、この途方もない研究の傾向全体が実際に生じることになったと思います。
 臨死体験で感じられる一体感は、まさしく普遍的なものです──あの愛の感覚、愛の癒す力のことです。人生を振り返る瞬間に、それは感じられます。とても大事な要素の一つは、その人自身の見方ではなく、その人の行動や思考によって影響を受けた周りの人々の観点から人生を振り返ることになるということです。ですから、この人生の振り返りによって明らかになるのは、こうした人々に大きな影響を与えていると考えられる自我の境界とは実際のところ、私たちが生きているドラマを支える架空の話のようなものだということです。もっと深いところでは、そうした自我の境界は偽りのものであり、私たちは実際、全員が一緒に学び合ったり教え合ったりするこのドラマの一部なのです。このことを理解するのに臨死体験をする必要はありません──これについて知り、それから自分自身の意識を探究するだけでいいのです。そうすれば、必要なものすべてがしばしば与えられます。
 多くの方法で、この臨死体験についての現代の研究と意識の科学は、一つのマインドという概念へと間違いなく収れんしつつあります。つまり、私たちは一つのマインドを共有しているということです。2,400年前のアルメニア人兵士の話だけでなく、今日の非常に多くの体験で描写された、人生を振り返る瞬間の話を聞けば、そのことが分かります。それは実際のところ、人にされてうれしいことを人にしなさい、という黄金律です。これはまさに、宇宙の基本構造の中に書き込まれてい
ます。

SI:それはまさに、時間は存在しないことを実証しています。この生きるという体験は個人的なものではなく集団的なものです──たとえ大抵の人が個別の体験をしていると本気で考えているとしても。しかし、それは見当違いの信念です。
アレグザンダー:そのとおりです。そうすると、意識そのものの進化の力を垣間見始めることができます。それはまさに、この対談全体の主題にほかなりません。意識は脳の一部ではないため、意識は死で終わらないということです。無に反するものが宇宙にあるのはなぜでしょうか。それはどこかに行くのでしょうか。
 そのようなわけで、カレン〔『マインドに満ちた宇宙に生きる』の共著者であるニューウェル氏のこと〕と私はよく、スティーブ・ジョブズがこの世を去ろうとしていた時に発した最後の言葉が「すごい、ああ、すごい。ああ、すごい」であったことを指摘するのです。彼が目撃していたのは、単にあらゆるものが暗くなるということではなく、信じられないような認識の拡大だったのです。

SI:死の瞬間に人の信念体系が果たすことのある役割について話していただけますか。信念体系はそうした体験の解釈の仕方に影響を及ぼしますか。
アレグザンダー:いい質問だと思います。私たちの信念はとても大切だと思います。信念は一定の枠組みを定めるからです。その枠組みは例えば、死ぬ時に、最初の段階をどう解釈するか、あらゆることが起こるということをどこで学ぶかを決定づけます。信念は人々を袋小路に迷い込ませるような可能性がある、と私は考えています。もしあなたが筋金入りの唯物論者であれば、死につつある時に、自分の存在は続くということを認識し、戸惑いがそこでの何らかの閉塞へとつながるかもしれません。しかし、ここで是非とも指摘しておきたいのは、例えば私自身の場合は、宗教教育はノースカロライナ州の伝統的なメソジスト教会の中で行われたということです。私は脳神経外科での25年間にわたる学者生活の中で聞いたことの多くを信じたいと思っていました。私がそのことで苦労したのは、意識的な認識が脳と肉体の死を超えて存続することがいかに可能となるのかを、科学的な観点から全く理解することができなかったからです。そのようなわけで、臨死体験は自分にとって非常に重要だったと思います。臨死体験は、肉体脳の束縛から解放されることによって意識が実際に豊かになることをはっきりと示しました。
 ここで指摘しようとしているのは、私の宗教的な信念に従えば、神と本当に一体になる、あるいは、あの神聖な存在者、あの創造的な源と一つになるという概念を心に抱くことはないということです。しかし、それこそ、昏睡状態の中で体験したことです。他に言いようがありません──神と私との間に分離は全くありませんでした。
 重要なのは、何が起こり得るかに関して、昏睡状態以前の信念には制約されなかったということです。実際に起こることは、とても現実的な世界を目にし、自分が見ているもっと大きな世界──霊的な宇宙と、霊的な存在としての私たちの実相──について容易に説明できるよう、自分自身の信念を修正しなければならないということです。そのため、こうした体験は信じられないほど貴重なのです。私たちは本当に、現代の個人的体験とこうした体験の科学的説明の時代にもっと十分に順応できるよう、様々な宗教体系を拡大させていくことができます。
宗教はこの世界を正しい軌道に乗せるのに5,000年余りを費やし、最善を尽くしました。この現在の革命について私が気に入っている点は、意識と実在の性質についての理解──私たちは本質的に、はるかに理に適った前進の道を見つけようとしているという理解──が深まっていることです。この唯物主義は、究極的には崩れ去らなければなりません。紛れもなく人を惑わしているからです。
 しかし、こうした古代の霊的伝統の一部は最もなことを述べており、現代科学はそれと完全に一致します。そのようなわけで、この革命はとても異なったものになると私は考えます。この革命は意識に関わるものです。それはまさに、人類すべてが進んでいく道であり、科学に基づくものです。一つであることと愛の癒す力に関して、科学は何千年も前の深遠で神秘的な教えと実際に一致しており、そうした教えを支えています。

愛の大海の中での日光浴

SI:あなたの体験と教えは、死の恐怖、したがって生の恐怖を根絶するのを助けるために非常に有益であると思います。また、それは魂の存在の事実を確立するのに役立ち、私たちが本来の自分と正しく同一化するのを助けてくれます。また、少なくとも、本来の自分でないものに気づかせてくれます。あなたの体験や他の人々の臨死体験は、そうした体験をしていない人々を他にどのような方法で助けるとお考えでしょうか。その体験はあなたと共にあるのでしょうか。
アレグザンダー:そうですね、それが本格的に役立つのは、何千件もの臨死体験を見渡してみて、人生を振り返る瞬間について聞き、人々が愛──あの限りなく愛情深い力──の中に浸ることについて聞く時でしょう。それを神やアラー、ブラフマン、ヴィシュヌ、エホバ、ヤハウェ、偉大なる霊など、何と呼ぼうと変わりありません。それにどんな名前を付けたいと思おうと私は気にしません。実際のところ、それらは同じものを描写しているからです。それだけでなく、その力と一つになった感覚や、その愛の大海の中で日光浴をすることについてもよく描写されます。それこそが、次のことを認識する勇気を与えてくれるのです。つまり、死について恐れるものは何もないということ、私たちの意識的な認識そのものがそうした神の力に由来するということ、そして本質的には、私たちは全員、自分たちが進化していく未来を共に創造している者たちであるということです。
 ご存じのとおり、唯物主義の科学は、自由意志のようなものはない、とあなたを説得しようとします。意識は脳内の化学反応と電子束の付帯現象にすぎない、と唯物主義の科学は誤認しています。その場合は意志が全く働いておらず、だだの偶然にすぎないように見せかけようとします。意識は、自然法則や物理学、化学、生物学の法則に従っている脳内の質料にすぎないといいます。それから、そうしたあらゆるものから漏れ出すものが意識の体験であり、それは偶然にすぎず、何の意味も目的もないといいます。そこが、明らかに焦点が大幅にずれているところです。というのは、神との一体性と共同創造の精神というこの概念は、この宇宙が進化していく中で私たちが目撃するすべてのもの、すなわち、すべての人類の歴史、宇宙の歴史、私たちが知り記録し理解できるすべてのものの歴史は、私たちの意志を表すものであることを認めるための方法なのです。そこにはとてつもない規模の意志が作用しているのです。電子や陽子、クォークが衝突するだけではなく、そうしたすべての中にはとてつもない規模の意志と目的があります。そういうわけで、私たちの対談は宇宙の心理層に近づくことにとても関連しているのです。
 そうした宇宙との一体感のようなものに触れれば、決して忘れることはできないと思います。なくなりようがありません。そうした体験は、人生の出来事の記憶や夢、あるいは幻覚よりもずっと現実的であり安定しています。脳と連結した目や耳によって情報にフィルターがかけられることはもうありません。こうした霊的な旅においては、そのようなフィルターは作用しません。それはまさしく、情報の膨大な流入なのです。それが、説明するのがとても難しい理由の一つであり、そのようなわけで言語に絶すると言われます。そうした体験は空間と時間の外で起こります。それは言葉で物語ることができる単純過ぎる小話のようなものではありません。その体験はそのようには流れないからです。情報の流れははるかに壮大であり、そのようなわけで人々は人生のすべての主要な出来事を完全に振り返ることができます。すべてのことが、心停止した2分間で起こり得ます。
 しかし、臨死体験をしている人にとって、2分は1年のように思えるかもしれません。とても効率良く機能するのは、物事を知るための方式が全く異なっているためです。同一化するような知識であり、あなたは周囲の場面そのものになります。この人生の振り返りの瞬間には、あなたは他の存在者になり、自分の行動と思考が周りの人たちに与えた影響を、そうした人たちの観点から目の当たりにします。そうした瞬間をとても確固とした、詳細な、超現実的な形で再度生きるのです。こうした信じられないような和合があります。それによって明らかになるのは、地上での時間の流れという概念そのものが間違っているということです。ここで、こうした人生を生きることが進行中の架空の話だということが裏付けられます。しかし、時間と空間の外にあるはるかに深い現実が存在します。そうした現実においては、精神的観点から舞台装置を見ることができ、脳内にいるという意味での「ここ」や「今」にはそれほど限定されません

生まれ変わり

SI:あなたの研究を通して、生まれ変わりに対する信念を支持するような情報や体験はありましたか。
アレグザンダー:生まれ変わりがよく話題になりますが、私自身の観点から、大事なことを指摘すべきでしょう。昏睡状態以来の13年間に私が調べたあらゆることや昏睡状態そのものによって非常にはっきりしたことは、生まれ変わりは現実だということです。
 当時は、生まれ変わりを裏付けるあらゆる科学的データがあることや、生まれ変わりは合理的疑いの余地なく証明されていることを認識していませんでした。生まれ変わりにはどうやっても反論できません。これまで科学界で却下されてきたのは、当然ながら、唯物主義がそれを支持しないからです。ところが、生まれ変わりは実証的なデータに基づき、絶対に現実のものです。私たちはもっと深い理解に到達しなければなりません。生まれ変わりは確かに、この意識の進化の科学と合致しています。脳はフィルターである一方、意識は宇宙全体を通してもっと統合されているようです。すべてはこうした思考の進化と完全に符号しています。
 最近執筆された論文もいろいろあります(bigelowinstitute.orgを参照)。そうした論文を読めば、死後の生命だけでなく生まれ変わりも支持する途方もない量の科学的データがあることが分かり始めるでしょう。そうした論文の多くが、この難題の非常に大きな部分としての生まれ変わりについて深く研究しています。これは大ニュースです。唯物主義の科学者が全く無知なことに、文献をろくに参照しないで「こんなことはどれも現実ではなく全部妄想だ」と言い放つという馬鹿げたありさまを、私たちはついに乗り越えようとしているからです。ですから、文献を理解する人たちと一緒に前進していきましょう。また、そうした論文は良い出発点となります。生まれ変わりは本当に現実だということを確認せずに読むことはできないでしょう。信じてください、皆さん──生まれ変わりは私たちの現実です! 生まれ変わりについてもっと理解を深めましょう。
 覚えておきたい大事なことは、メソジスト教会での私の宗教教育において、生まれ変わりのようなものは決して認められていなかったということです。しかし、私の旅を通してやがて非常に明白になったことは、生まれ変わりが果たす非常に幅広い普遍的な役割を認めることなく、こうしたことについて何かを理解することはできないということです。その役割とは、私たちの魂が何度も何度も戻ってこられるようにすることです。
 生まれ変わりは、こうしたすべてのものを支える一連の科学的データの絶対に欠かせない部分ですが、『マインドに満ちた宇宙に生きる』で指摘していることは、この話は生れ変わりだけに関するものではないということです。2冊目の本『マップ・オブ・ヘブン』で指摘されているように、ある種の恩寵が存在するということと、このすべては実際の進化に関するものだということを認識することが決定的に重要です。私たちは何かに向かって進んでおり、目的を共有しています。宇宙全体がこのような変容の過程に従事しているのです。
[第一部終わり]

詳しくは ebenalexander.com をご覧ください。

参照文献
エベン・アレグザンダー著、白川貴子訳『プルーフ・オブ・ヘブン──脳神経外科医が見た死後の世界』早川書房、2013年
エベン・アレグザンダー&トレミー・トンプキンズ著、白川貴子訳『マップ・オブ・ヘブン──あなたの中に眠る「天国」の記憶』早川書房、2015年
エベン・アレグザンダー&カレン・ニューウェル著『マインドに満ちた宇宙に生きる──意識の中核への脳神経外科医の旅(Living in a Mindful Universe: A Neurosurgeonユs Journey into the Heart of Consciousness)』ピアトカス、ロンドン、2017年

余暇の真の価値

エリッサ・グラーフ

パンデミックの中で生きることで得られる希望の兆しがあるとしたら、時間をより重視することを学んだことが、その一つかもしれない。相次ぐロックダウンにより日常生活が立ち往生する中で、何百万もの人々が自分にはもっと時間があることに気づいた。多くの職が失われ、企業が倒産したが、こうした厳しい状況下で、多くの人々が優先順位を再考する機会を得ることにもなった。

 キャスリン・ハイムズ氏は、ワイアード誌の2021年11月号の記事でこう述べている。人々は現在、「……転職したり、キャリアの梯子上で『ダウンシフト(ゆとりある生活への切り替え)』をしたり、労働から完全に離れた時間をとったりしています。一部の労働者は、新型コロナウイルス時代以後の新たな明晰さと貯蓄により、パンデミックで大変な重労働となった最前線の不安定な仕事から退きました。他の人々は、より大きな柔軟性や自己決定と引き換えに金銭や地位を得る機会を放棄したことを報告しています」。その結果、記録的な数の人々が退職している。米国労働省によると、2021年4月だけでも、かつてない400万人の人々が仕事を辞め、観測筋はこの時期を「大量退職時代」と呼ぶことになった。ハイムズ氏は、この呼び方は的外れであるとして、次のように述べる。「大量退職は、表面上は職業上の地位の用語を前提としていますが、同時に存在する間違いなくより大きな物語を見落としています。それは価値観の根本的な再編であり、そのために、家庭での生活、家族や友人との生活、そして労働以外の生活との関わり方に人々は直面し、それを見直しているのです」
 約1世紀前のもう一つの同様の歴史的瞬間──大恐慌のために数百万人が突然失業した時──には、哲学者、バートランド・ラッセルは著書『怠惰への讃歌』の中で、すべての人間にとって意味のある余暇の必要性を概説し、人の価値はその人の経済的生産性によってのみ測定可能であるという依然として根強い文化的仮定に挑戦した。シェフィールド大学の哲学講師、マックス・ヘイワード氏は、2020年のニューステイツマン誌の記事でラッセルの議論の今日における関連性を指摘し、こう説明している。「ラッセルは、一部の人が身を粉にして働き、他の人が失業中の貧困に苦しむような経済制度を改革するだけではなく、『経済的に生産的な』労働の能力に応じて自分自身を評価するような文化的倫理に挑戦する必要があると考えました。人間は単なる労働者以上の存在です。私たちは怠惰を評価する方法を学ぶ必要があるのです」
 ヘイワード氏はこう指摘する。GDPを成功の標準的な尺度だとすると、「……その市民が隣人よりも収入が年平均で1,000ポンド少ない場合に、ある社会を相対的な失敗と考えなければなりません。たとえ、その市民がより多くの余暇を過ごし、より多くのスポーツをし、より多くの散歩をし、より多くの本を読み、より多くの音楽を聴き、より多くの絵を描いたとしてもそうなのです」。しかし、この考え方は次のように私たちを運命づけている、と彼は述べる。「ラッセルが想像する社会──意味のある怠惰に投資する社会──は真に革命的です。その経済構造が刷新されただけではなく、それが社会の理解の仕方と価値観そのものを変えたために革新的なのです」
 ベンジャミン・クレームは著書『生きる術』で、余暇を神に賦与されている特質と定義している。「……〔余暇とは〕あなたが本来やりたいことをやることです。それは創造的です。それは創造的になる機会です」。彼は、魂から来る創造的な活動を人生の本質と説明し、生きる術は実際には創造的に生きることであり、それは人生のあらゆる側面に関係していると言う。これが、余暇が不可欠である理由であると彼は言う。しかし、今日のストレスの多い生活環境の結果として、「ほとんどの人が、反復的な作業プロセス、劣悪な環境、日々の活動の空虚さと反復性によって全く活力を失っているため、創造性はほとんど期待できません」とクレーム氏は付け加えている。
 さらに、広範囲にわたる貧困と社会的不公正の結果、地球上の大勢の人々は深く満たされない人生を送っている。彼らは、生き残るために十分な収入を得ることにのみ専念し、したがって余暇の機会を見つけることもない。クレーム氏は、人類の内なる真の霊的特質が現れるのを妨げているのは、この強制された貧困であると主張している。解決策は、世界の資源を分かち合うことである。これにより、すべての人が自分の基本的ニーズを満たすことができる物品を利用できるようになる。これは、国連の世界人権宣言に定められている基本的権利でもある。
 ベンジャミン・クレームは次のように書いている。「余暇のための教育は、内面のスキル、才能、潜在能力を伸ばす可能性を、現在では想像もできないようなやり方で人々に解放します」。そうした教育はどのようなものだろうか。バートランド・ラッセルにとって、創造的な余暇を楽しむために必要な能力、知識、習慣を人々に身に付けさせることは、教育の主要な目標の一つでなければならない。マックス・ヘイワード氏は次のように示唆する。「これは改革を意味します。高等教育の機会を大幅に拡充する必要がありますが、大学や学校のカリキュラムは、雇用に必要なスキルと同様に、創造的な芸術と純粋な好奇心の追求に重点を置く必要があります」
 この余暇教育の時代は遠い夢ではないかもしれない。今日利用可能なオンライン教材の膨大な多様性──あらゆることに興味を持つ人々が新しいスキルを学べるYouTubeのDIY動画、生涯学習の探究に利用可能な無料の大規模公開オンライン講座(MOOC)の拡大など──を考慮すれば、それはすでに進行中である。
 この前例のない地球規模の危機の時代において、より多くの余暇を可能にし、人間を解放することは、ルネッサンス──世界を真に変えることができる人間の創造性の繁栄──を推進する可能性を秘めている。

参考文献

ニューステイツマン誌およびワイアード誌
ベンジャミン・クレーム『生きる術』シェア・ジャパン出版、2006年
『いのちの水を運ぶ者』シェア・ジャパン出版

「当面の必要は、仕事の過程を変革し、日々の仕事の他は何も知らない無数の人々を、単純作業の苦痛から解放することです。……『道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである』(マイトレーヤ、『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第3信)

余暇とは、やりたいことをやり、肉体やマインドやハートを休ませることをやり、あるいは共同体のための仕事以外にあなた自身のために何かをやる時間を提供するものです」

──ベンジャミン・クレーム、『生きる術』

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

癒しの愛

 2021年11月の終わり、夜遅く私の寝室で二つの特別な体験をしました。
 私は最近、10月26日に、アムステルダム東部の45平方メートルのアパートから、タインドルプ・ニーウェンダム(アムステルダム北部)の、周囲を庭と草木に囲まれた29平方メートルの角家に引っ越しました。そこを愛情と冗談を込めて私の『タイニーハウス(小さな家)』と呼んでいますが、近頃の最新流行でもあり、私はこの家でとても幸せを感じています。本当の『アクエリアス』の場所なのです。すでにここで伝導瞑想を行い、新しい時代の祈りと統一のマントラムを毎日唱えています。それからマイトレーヤの教えをできる限り日常生活に適用しようと努力し、勉強方法として、シェア・インターナショナル誌オランダ語版の既刊分をたくさん読んでいます。
 体験1:11月29日から30日にかけての夜に、『誰か』が私のベッドの右側にそっと腰を下ろしたのが分かりました。『誰か』は溢れるほどの豊かな愛を放射していました。私は「大丈夫、リラックスして、起こることそのままにまかせよう。この人は明らかに良い意図をもって来ているから」と思っていました。それから私の肩甲骨の間に手が置かれたのをはっきりと感じ、首のところが何か変化したのも感じられました。両肩がひどく引きつってしまうのでしばしば目が覚めてしまうのです。どうやって快適に横たわったらよいかもう分かりませんでした。私の頸椎に『経年劣化』があって、首をひねると砂利道の小石のような音が聞こえるのです。ひどく痛むので、時々動きも制限されてしまいます。突然、両肩に温かさを感じ、何かがひび割れている音が聞こえて、少し刺すような痛みが起きましたが、その後私は再び眠りに落ちました。翌朝目が覚めると、幸福で気力も充実していました。
 体験2:これは11月30日の夜に感じ始めたエネルギーについてです。新しい時代の祈りと統一のマントラムを唱え終えて、その日の感謝を捧げ、明かりを消すと、空が北極光(オーロラ)のように見えて、青味がかった色になっていました。ベッドの足元側の右隅に垂直の光の柱のような閃光が見えました。それだけでなく、星のような青と白の光の小さな点もあり、それらは消えたり回転したりしていました。そして私の右耳に「さあ眠りなさい、コリンダ」という声が非常にはっきりと聞こえたのです。大変に申し訳なかったのですが、どうしてもトイレに行く必要があることと、行っても大丈夫であってほしいということを声に出して伝えなくてはなりませんでした。実際、大丈夫でした。いったんベッドに戻ると、右側に霊妙な人物がいるのに気づき、この人物もたくさんの愛を放射していました。『誰か』が私の寝室にいることが、全く不思議ではなかったのです。それで私はその『存在』に感謝して、身体を右側に向けました。その後、肩甲骨の間に温かさが再び入るのを感じました。白っぽい黄色の燦然と輝く光も頭の中に入ってきて、目もくらむほどでした。それから私は眠りに落ちて、朝目覚めると再び幸福で、この手紙を送ろうと決めたのです。

コリンダ・デ・ヘール
オランダ、ニーウェンダム

オープンハートな団結

2021年11月の初め頃、シアトル郊外の住宅地での二日間の大規模エキスポで、再臨の情報を展示しました。コロナのパンデミックが始まって以来、対面での広報の最初の再開となりました。
 近年では、このようなイベントは一人で運営してきました。長年のグループメンバーが仕事の関係で一時的にたまたまシアトルにいて、私を手伝うことに同意してくれています。それは最高に励みになることです。助けがあると知ることで、自分の能力を過大評価しがちになりました。イベントを行うことに加えて、二つの講演を行うことに決めてしまったのです。さらに努力を『磁力化』することを願って、郊外の様々な住宅地で広報用のポスターの配布を思い切って行いました。イベントが近づいてくる頃には、私はすっかり疲れ果てていました。以前のイベントと比較すると、週末を通して、より多くの人々が立ち寄り、会話のためにとどまっているように思いました。ある女性は「これにはすごく覚えがある気がします。どうしてか分からないけど」と言っていました。
 二日目の朝、私はあまり眠れず、服装を決めるのはなかなか難しいことでした。私の色合いが暗かったので、見た目を明るくするためにジュエリーが必要だと分かりました。私の頭をよぎったのは、「和合を表現するために、輪がつながったネックレスを付けよう」という考えでした。
 その日の午後遅くに、一人の女性がブースにやって来ました。私たちが驚いたことに、彼女はとても大きな黒いマスクを着けていて、そのマスクは様々な色のライトをピカピカ光らせていたのです! これまでそのようなものを着けている人を見たことがなく、ソーシャルメディアでも見たことはありませんでした。マスクの中央に奇妙な形が付いていて、はっきりとは分からないのですが、それは奥歯のように見えました(私はインプラントと歯根管処置を今年終えていました)。その女性は大変に朗らかでした。瞑想に興味を示していて、ある日どのように自分の「ハートをオープンに」したかを語り、できる限り学びたいと言っていました。
 私たちには共通点がいくつかありました。彼女は米国でフィリピン人移民のもとに生まれ、父親は高齢でした。その前に、私はグループメンバーと自分の父親について話し、彼女には父親が1910年生まれだと伝えていました。ずいぶん昔のことだと思っていました。ところがこの女性は、父親は1908年に生まれたと言ったのです。私がびっくりしたのは、彼女は26歳以上にはとても見えなかったからです!  彼女の名前はイマキュレイトでした。必ず伝導瞑想の冊子を読んで、オンライン瞑想にも参加申し込みをすると断言してくれました。
 イマキュレイトはとても元気な人で、私たちは長い間会えなくなっていた友人同士のように心が触れ合っていました。彼女は帰る前に、彼女自身の首を指差して「あなたのネックレスを見た時に、あなたと話をするのは大切なことだと分かったのよ!」と言ったのです。

シエリート・パスクアル
米国、シアトル

読者質問欄

2003年、アメリカ、ロサンゼルスでの質疑応答

Q 恐怖心は社会に、そして私たちにどう影響しますか。

A それが最大の問題です。私たちは平和に生きる方法を知りません。同時に、28カ国が大量破壊兵器を持っています。それはもし使用されれば、人間も人間以外も地球上のすべての生命を破壊します。人類は何度も絶滅の危機に直面しました──動物により、気候変動により。しかし、自ら発明した兵器による絶滅に直面したことはありません。
 戦争の恐怖、戦争に向かうという見込みという意味での冷戦は終わりました。過去10年から15年の間に途方もない変化が起こりました。冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊し、国家が独立し、ドイツが統一され、南アフリカでアパルトヘイトが終わり、ネルソン・マンデラが 27年ぶりに解放されました。これらはほんの一例です。そして、9.11テロが起こるまでは、世界は再組織、再構築、回復と再生の道にありました。それは世界の歴史上かつてない達成でした。しかし突如として、世界貿易センタービルとペンタゴンへのテロ攻撃、そしてホワイトハウスへのテロ未遂事件以来、すべての局面はアメリカ国民、そしてとりわけ、この出来事に対するアメリカ政権の反応によって変化しました。
 その出来事では、何が攻撃の対象となったのでしょうか。世界貿易センタービルのツインタワー(西側の貿易力による世界の他の地域に対する支配の象徴)、ペンタゴン(世界最強の軍事力の象徴)です。ホワイトハウスは西側世界の権力の象徴と見なされました。なぜこれらの象徴が選ばれたのでしょうか。なぜ世界はこの災難に苦しんだのでしょうか。この世界の均衡の乱れが私たちを何十年も後退させました。

Q アメリカは9.11の攻撃にどう反応すべきだったのですか。

A あなた方の政府は大きな間違いを犯しました。英国政府に援助されて、9.11テロ攻撃への対処において恐ろしい間違いを犯しました。これらの西側権力と西側支配の象徴に対する攻撃は、悪意から起こったのではありません。それは世界全体の貿易、食料、福祉に対する傲慢なやり方の下で長年苦しんできた世界の一部とのカルマ的関係から起こったのです。世界の先進国のすべては、世界が彼らに属しているかのように開発と貿易の計画を所有し、好きなだけ侵略して分け前を取り、特定の国からすべてを奪い、それから他の国に移るというようなことをしてきました。彼らは世界を荒廃させました。西側諸国が世界資源を搾取してきたのです。これは私の考えではありません。私がでっち上げたことではありません。世界の誰もが知っている情報であり、誰もがそれが起こるのを許したのです。誰もが影響を受けることが起こるのを、なぜ許したのでしょうか。それが世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃を起こしたのです。この国や他の国に対するテロ攻撃もそこから起こるのです。
 これは希望のメッセージです。あまり希望に満ちているようには聞こえませんね。しかし、いつでも希望はあります。人類にはいつでも希望があり、あらゆる困難にもかかわらず、人類は1,850万年生き延びてきました。それは大したことです。人類という実験は破棄されなければならないようにも見えますが、人類の良識と創意が勝利した時代があり、今日の私たちも、希望をもって将来を待ち望んでいます。

2022年1月号目次

 

覚者より
新たな始まりの先触れ
ベンジャミン・クレーム筆記

最高位からの贈りもの
ベンジャミン・クレーム筆記

表紙の絵――ベンジャミン・クレーム「山頂」

視点
環境運動と労働運動は、グローバルなグリーン・ニューディールを受け入れて力を合わせる必要がある
C.J.ポリクロニウ

論説
「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように!」ーマイトレーヤ

デズモンド・ツツ元主司教(1931 -2021) 逝く

ジミー・カーターは警告する:
米国の民主主義が「瀬戸際をさまよっている」
ブレット・ウィルキンス

チリでの左派の勝利を世界中が祝う
ジェイク・ジョンソン

自由市場はいかにしてあなたの脳を蝕んだのか、そしてなぜ気候変動を解決できないのか?
グレアム・マクストン

時代の徴
世界中の徴

ユニバーサル・ベーシックインカムの驚くべき事例
ミッチ・ウィリアムズ

東日本大震災の教訓:地震予知の研究はどこまで進んだか
伊藤信子

接触と伝達の科学
アート・ユリアーンス

希望の書:困難な時代のサバイバル・ガイド
ベッツィー・ウィットフィルによる書評

編集長への手紙
ただ与えること 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

表紙の絵ーベンジャミン・クレーム

「山頂」(1965)

 秘教文献ではよく、志向の象徴として、あるいはイニシエーションを表しているものとして山への言及が見られる。山は神々に近い神聖な場所とされているためである。
 ベンジャミン・クレームは自分の絵画について語ることを望まなかった。この特定の絵画についてはほとんど語らなかったが、尋ねられたときは、弟子の人生における象徴としての山の意味に言及した。
「わたしの務(つとめ)は、あなたがたに聖なる大計画を徐々に示し、神の意志と目的を執行し、あなたがたを本源へ連れ戻すことである。わたしの覚者たちも、仕える用意が整っている。彼らの位置は、やがて、あなたがた世にある男女によって占められるであろう。そして覚者たちはさらに高度な道に進むべく、解放される。山の麓にいると、我が兄弟たちよ、登りは実に険しいように見える。しかし最初のステップを踏み出すと、前進は速く、頂上近くに至ると、あなたは羽の生えた足を持つようになる、そしてその高所から神の栄光を見る」

(マイトレーヤからのメッセージ  第89信)

「人間が選択するのを助けるために、彼らの判断を助けるために、覚者たちは再び世界に戻る──今日の人間と同様に、彼ら自身もその道と必要な行動についてはっきりと分からずに苦闘し、苦しんできたことのあるその世界に戻るのである。彼らの広大な知識と経験から助言を与え、人間を奈落の底から無事に戻れるように導くだろう。そのようになるだろう。そのようにして、人間は再び山頂を目指して登り始めるだろう。彼らの良き指導者が、彼らの長兄が彼らを見捨てたり、誤った道へ導かないというしっかりとした知識を得て登る」

(ベンジャミン・クレームの師、「人生の秘密」、
シェア・インターナショナル誌2003年11月号)

新たな始まりの先触れ

──覚者より

   ベンジャミン・クレーム筆記

 多くの人々は今のこの時期を試練と緊張と動乱の時として記憶するだろう。しかし、より洞察力のある目で見るならば、それは新しい始まりのための再生と準備の時である。かくして、人間は現在の様々な変化から大いに希望を得てよいのである。過去はその日々を終え、人類を益することは急速にできなくなりつつある。若者たちはその長い間の支配にますます飽き飽きし、苛立ち、彼らの魂の倦怠と絶望感を癒すために麻薬や犯罪に走る。
 他方、新たな始まりの先触れが、あらゆるところに住む人間の必要に心をとめる積極的な活動家たちの新しい世代を静かに鼓舞しており、彼らはすべての国に出現するだろう。知ってのとおり、すでに新しい制度を求める活動家のグループが多くの地において、公に、勇敢に活動し、新しい志向を示しており、それは何百万の人々の心(ハート)に生まれつつある──すべての者への敬意と、協力であり、古い、分離的な貪欲への終止である。
 かようにして、彼らはマイトレーヤの単純な教えに自分たち自身を一新することによって、新しい時代の青写真を見いだしつつある。何百万の人々の心(マインド)の中に、平和と正義が中心的な場を占め始めている。分かち合いのみがこれらの大事な概念を実現することができるだろうということに気がつくとき、人間はこれまでの想像を超える社会の大変換に着手するだろう。段階的に、これらの変化は選択されて、一般的な利用に試されるだろう。今日の痛みと喪失感は、世界がついに正しい道の上にあるという新たな希望と満足感に取って代わり、かくしてそれらの試みは安全に始められる。
 そのようにして、変化への恐れは消え去るだろう。人間が新しい方式の美を認識するにつれて、大いなる変容が順序よく進められるだろう。徐々に、過去の古い、分離的なやり方が過去の過ちとして見られ、新しい和合に役立たないものとして消え失せるだろう。
 マイトレーヤのことばと模範が和合の感覚を速め、それが宝瓶宮(アクエリアス)のエネルギーをますます顕現させることになり、人々を今日はいまだ知られざる統合へと引き寄せるだろう。
 現在、様々なセンターにおいて覚者たちは、社会的混乱を最小限に留めながら、これらの変化をもたらすために、彼らのグループを通して働いている。彼らの仕事は、革命よりもむしろ許容可能な速度の進化で変化を推し進めることである。これは容易いことではない、なぜなら、人間は、特に若者は新しいものを性急に求め、年老いた者たちは変化に抵抗する。かくして現在の混乱があるのである。
 多くがこの時を希望と歓びをもって待つ。さらに多くの者は絶望と恐怖の中に閉じ込められている。多くの者が戦争とひどい貧困から解放される未来の世界を切望している。さらに多くが疲れ果てて彼らの重荷が軽くなるのを待つ。
 マイトレーヤは人々を彼らの運命に目覚めさせて、彼らを恐怖と疑いから解放するだろう。また彼は、人々を絶え間ない疎外感と不信感から解放するだろう。荒野の中での長い冬が、人間を将来のより簡素で、より幸せな時のために準備させたのである。

(シェア・インターナショナル誌 2011年12月号)

最高位からの贈りもの

──覚者より

   ベンジャミン・クレーム筆記

 人間は啓示を拝受する時点に立っており、間もなくそれが、一致しない様々な声や態度を押し流すだろう。人間は自分たちの存在の意味と目的をよりいっそうはっきりと知り、その知識が彼らの認識の中にもたらされた手段を知るだろう。間もなく、非常に間もなく、人間はあたかも一夜にして、と思えるほど、急速に成長するだろう。
 この新しい知識は多くの者たちをこらしめ、驚かすだろう、しかし彼らの理解について完全な調整をもたらすように、彼らを刺激し、啓発するだろう。これが人生の意味と目的と彼らが呼ぶところのことについて、新しい価値を与えるだろう。より一層の真剣さとより大きな歓びが人間の信念と行動に浸透するだろう。そして徐々に彼らを全く新しい啓示に熱中させるだろう。その時は遠い先ではない。偉大なる主は、公に、認知される存在として世界に現れて、恩寵をもたらすことをしきりに願っておられる。
 恐れることはない。新しい世界がつくられつつあり、それが人間の信と勇気を同等の順序で回復させるだろう。

(シェア・インターナショナル誌、2015年5月10日)

「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように!」ーマイトレーヤ

論説

シェア・インターナショナル誌のことをよく知っている人々は、マイトレーヤと他の覚者方が長年にわたり、「ファミリア」として、あるいは自分自身として、様々な姿で世界中の協働者たちに現れてきたことをご存じだろう。以下に掲載されている抜粋は、そのような訪問によるものである。ベンジャミン・クレームの師はのちに、その訪問者がマイトレーヤであることを確認した。

 こうした抜粋は、マイトレーヤが 2003年にシェア・インターナショナルの協働者たちのグループに語ったことを言葉どおり記した重要な記録である(全文についてはシェア・インターナショナル誌2004年2月号を参照)。彼は3週間前にもシェア・ネザーランドのインフォメーションセンターを訪れており、マイトレーヤのファミリアであると確認されていたので、私たちは彼が誰であるかを知っていた。これといった特徴もないかのようにその会話は始まったが、私たち全員が息をひそめて、彼の訪問による非日常的な感覚を共有していた。

2003年11月15日、9人がアムステルダムのインフォメーションセンターで働いていた。……

マイトレーヤ:さて、こうしたグループには、「いつ出てこられるのか?」「どのくらい待ち続けなくてはいけないのか?」「なぜこんなに時間がかかるのか?」といつも尋ねてばかりいる人がいるものです。……しかし、なぜこうした問いを発するのでしょう?  本当にはやって来られるとは言えないのです、なぜならここにおられるからです。彼はすでにここにおられるのです。彼らはそれを知らないのですか?  彼に会っていないのですか? 彼はこの世界に臨在している、このことは起こっているのです。おそらく彼らが望んだよりも時間がかかっているかもしれません。私が望んだよりかかっているし、おそらく私たちが期待した方法とは違う形で進行しているのかもしれないし、私が期待してきたものとも違う形ですが、うまくいっています。彼はここにおられる。私はこのことがうまくいっていることにいかなる疑いも持っていません。うまくいくでしょう。うまくいっているのです。わずかな疑いも、いかなるものもありません。多くの人々は彼がここにおられることを知っています、彼らは心の中で直観的に知っているのです。多くの人々はマイトレーヤがここにおられるという情報にオープンなのです。……(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:人々に情報を伝えたり、新聞や雑誌を渡したりすると、このアイディアにオープンになってくれることを、より一層望みます。それを信じてくれることを期待します。

マイトレーヤ:あなたが望むことではないのです。何かを望んだり、欲したりするべきではありません。ただやりなさい、求められたら、ただ情報を伝えなさい。いいですか、私たちは人々を変えるつもりはありません。改宗させるつもりもありません。私たちは伝道師ではない。私たちは求めに応じて語るのです。最も重要なことは、本質においてすべてはここにあるということです。もし、あなたがオープンなら、あなたはただそれを知り、考える必要もありません。あなたがオープンならば話をする必要もないのです。本質においてそれがすべてだとあなたは知っているのです。……

グループ:私たちが無執着であるべきだという意味ですか。

マイトレーヤ:そうです。結果はあなたに関係ありません。ただやること、結果を求めてはいけない。結果を探してもいけない。それは西洋的な態度、マインドの習慣であって、私たちはいつも何か起こさなければならないと考えるのです。私たちは、事を成さなければ、事を起こさなければならないと考えます。しかし、それは不要なのです。……

マイトレーヤ:すべての変化はゆっくりと起こります。大変に漸次的なものです。一体何度、何回の人生を送ったのか考えてみれば、自分でどのようなものか分かるでしょう。一体何度転び、そして再び立ち上がり、転んではまた試みて、転んではまた立ち上がってきたのか。人生の繰り返しです。変化には時間がかかります。

グループ:私はこの惑星の状態が心配です。私たちがこの星を救うのに間に合うのでしょうか。

マイトレーヤ:好きなだけ心配していいのですが、それでは何事も変わりません。心配は助けになりませんが、すべてのことはうまくいくでしょう。私たちが困難な時代に差しかかるのは本当です。私たちは奈落の底の淵まで行くでしょうが、落ちません。なんとか切り抜けて、淵から落ちたりはしません。……すべてのことはうまくいくでしょう。すべてはよくなります。恐れることは何もありません。私は全く疑っていませんよ!(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:全く疑っていないのですか?

マイトレーヤ:いかなる疑いもありません。

グループ:あなたは権威をもって話されます。それはあなたの経験によるものですか。

マイトレーヤ:私には他の人より権威があるわけではありません。しかし、それが私の信です!  私は知っているのです。人々は希望について話しますが、信じているなら希望は必要ありません。

私たちは黙って坐り、彼の言葉が続くのを待っていました。彼もまた沈黙し、そしてこう言いました。「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように。人々はマイトレーヤがどんなに強力な方かを忘れるのです!」……(ゴシック体は筆者による強調)
 彼が残したものは疑いもなく「彼はここにおられる」ことと「すべては良くなるだろう」ということでした。この訪問者がマイトレーヤだと考えるのは正しいですか。

月刊誌チーム
オランダ、アムステルダム、インフォメーションセンター

【ベンジャミン・クレームの師は、その『訪問者』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 今、2022年の始まりにあたり、世界中の多くの人々は、世界が「奈落の底」の淵に近づいたことを恐れるのも尤もだと言うだろう。なぜこんなことが起こってしまったのかと問わずにいられない人々もいる──私たちが今、奈落の底の周辺にいることは本当だと考えて。マイトレーヤが「私たちは落ちません」と保証された2003年からほぼ20年がたった──ただし、マイトレーヤは「困難な時代に差しかかる」と確かに主張された。何が起こったのだろうか。また、私たちは当時、現在の状況と関係しているかもしれない何を許してしまったのか。
 ここ2年間が困難であったことから、多くの人々が将来について心配している。私たちは短期的な傾向についての判断に基づいて、進歩したとか、見かけ上は進歩していないと考えがちである。覚者方は一過性のもの──圧倒的なように思えることもある変動する日々の出来事──に基づいて判断することを戒めておられる。ベンジャミン・クレームの師はシェア・インターナショナル誌でこう書かれた。「ハイアラキーの任務は、神の大計画を『我らが人類と呼ぶ中心』を通して実施することである。このことは、人間の神聖なる自由意志を絶えず尊重しながらなされなければならない。かくして、大計画が進んでいく過程の中における一日一日、一年一年ごとの成り行きに完璧さを求めてはならない。長期の目標は保証されている。それについては疑う余地はない。人間のみが大計画の進行していく道が突飛なものになるかどうかを決めるのである」(「大計画は進む」より、1992年10月号)
 しかし、すべての「秘教をよく学んでいる人」が知っているように、時間は存在しない。それでも、歴史上のこの瞬間、時間は重要である。多くの賢者たちの声が、衝動的な反応か、人を無能にしてしまう無気力かのどちらかによって、未来──この惑星と私たち自身の未来──を危険にさらしてしまうことについて警告している。(ジミー・カーター元大統領やエルダーズ、ダライ・ラマ、フランシスコ教皇、著述家、エコノミスト、社会評論家の)こうした声や、あらゆる分野の何百万人もの活動家の声がすべて、「今でなければ、いつなのか?!」と一斉に述べ立てている。
 生活のあらゆる分野の二極化は明白である。私たちのほとんどは毎日、あつれきを招くその影響を体験している。しかし知的に理解し対処するなら、この同じ二極化は、私たちが過去の失敗を繰り返すのを防いでくれるだろう──私たちが「通常」として受け入れている優勢な考え方や構造の支配から私たちを解放さえしてくれるだろう。私たちは二極化してお互いに対立している状態から、一つであることを受け入れ、国際社会が合意した制度を通した世界資源の分かち合いを選ぶことへと移行していく必要がある。分断を避けて、共通の利益──万人の利益、いのちそのものの利益──を選択することを目指すことができる。
 人類は極端な二極化に直面しており、選択することを迫られていることを理解する必要がある。その選択をすべき時は今であり、かつてないほど急を要している。私たちの惑星は、そして惑星上のすべてのいのちは、汚染や劣化、病気で苦しんでいる──それは貪欲や商業至上主義、分離主義の副産物である。分かち合い、公正で健全な社会を選ぶことが早ければ早いほど、それだけ速やかに世界の主要な問題──貧困や飢餓、想像し得るあらゆる形の不正義──を解決するために大挙して働くことができる。私たちは地球と自分たち自身の健康を回復する必要がある。
 明らかに、既得権益──軍産複合体、1%の超富裕層、自己満足や無気力と組み合わさった経済的・政治的なファシズム──は、「光に包まれた」未来への集団的な移行にとってのブレーキとなっている。その未来は、私たちが本質的に一つであることを体験することから生まれるだろう。マイトレーヤと覚者方のインスピレーションの下に、いま人類に求められているのは、意志とエネルギーのすべてを奮い起こし、力を結集し、行動を起こし、「いのち」に、私たちの不可侵の権利である「正義」に賛成する立場を一丸となって明確にすることである。
 現在の危機に対する人々の反応が近未来を決定するだろう。しかし、最終的な結果は初めから知られている。私たちが集団的に見て見ぬふりをしてきたあらゆる不正義と、未解決の悪事を前にしての腹立たしさや苦痛、悲哀、義憤を生むあらゆるものをしかと見、認めなければならない。私たちがつくり出し許容している世界の醜悪極まる不正義を認めなければならない。私たちはどのような不正行為を無視したり犯したりしてきたのか。過ちを癒し始めるための「真実和解委員会」をどこで必要としなくなるのか。
 これまでのところ、私たちは時間を無駄にしてきた。世界の指導者たちは大体において、正義を求める市民の要求に耳を傾けていない──それは単に、子供を養うのに十分な食料のあるまっとうな生活と、繁栄していくための居住可能な惑星に対する要求である。マイトレーヤが次のように言っておられたということを本誌の定期購読者はご存じだろう。人類は正しく反応し、彼の助言に耳を傾け、分かち合いの原則が柱となる公正な地球社会を選ぶことをマイトレーヤは知っておられるということを。私たちは変わることができるということを覚者方は知っておられる。正義、自由、愛、美、一体性を選ぶことは私たちの本性に適うことである──私たちの霊的なDNAである。
 事態は急を要している。あらゆることをやらなければならず、一刻の猶予もならない。私たちの本性を主張し、私たちがすべてのいのちと相互につながり合っていることを知るとき、そこにこそ希望がある。「希望は、あらゆるものが内的につながり合っているという認識にあります。自分の生活や自分の日常の活動が、宇宙的な枠組みとつながり合っているという認識です」(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌、1990年)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

ただ与えること

 2000年の夏に、私は約2週間ロンドンに滞在しました。私は学生で、初めて一人での海外でした。あまりにたくさんのホームレスの人々を見かけたことに、ショックを受けていました。以前にも他の場所でホームレスを見たことはありましたが、その時にはどういうわけか気が滅入ってしまい、ダウンタウンへ行って、お客で混み合ったファストフード店の隣に座り込んでいる人たちを見た時には、特にひどい気持ちになりました。私は混乱していました。
 ある日、ダウンタウン近くの通りを歩いていた時、二人の少女が走り寄ってきて、彼女たちの母親が病気なので、母親のために食べ物を買う必要があると言いながらお金を求めてきました。この小さな子供たちが困窮しているのか、あるいはホームレスなのだろうかと思っていました。私がそのうちの一人にお金を渡しましたが、もっと必要だと言われました。もう一人にお金を渡すと、また同じことを言われました。私が渡すと、彼女たちの「もっとちょうだい!」が繰り返されて、近くの店から店主が出てきて二人を怒鳴るまで、私は逃げ出せなくなっていました。二人は逃げていき、私は何が起こったのか分かっていませんでした。私はすでにたくさんのお金を渡していましたが、彼女たちが何者なのか、私はどうすべきだったのか分かりませんでした。私はさらに混乱してしまいました。
 同じ日の後になって、歩いていた時にスーツを着た男性に出会い、話しかけられました。その男性は背が高く、体格の良い黒人でした。ビジネスマンに見えました。彼はグループの仲間たちと金曜日に集まって、ホームレスの人たちに食べ物を提供していると話してくれて、寄付を頼まれました。あの少女たちが頭に浮かんできて、少しの間ためらっていました。私は彼にほんの少しのお金でも大丈夫かどうか尋ねました。彼に1ポンドくらいを渡すと、彼は微笑んでお礼を言ってくれました。彼の微笑みで気持ちが良くなりました。
 再び歩き始めると、彼から呼び止められました。彼は微笑みながら私にヨガについての小さな本を渡してくれたのです。私は彼にお礼を言いました。私に本をくれたことで持ち出しになってしまっていると思い至って、後になって奇妙な感じがして申し訳なく思っていました。けれども私は彼に会ってからのほうが幸せでした。彼は特別な方だったのか、それともただのボランティアだったのですか。これらの体験が意味するのは、渡すお金よりも時には動機がより大切だということですか。

匿名希望

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

ぴったりのところに

 2008年5月31日の早朝に、私は美容室の予約があって、村へと車で向かっていました。あまり眠れていなかったので、車を駐車していた時、街灯にぶつけてしまいました。これが起きる直前、歩道に一人の紳士が立っているのが見えました。彼は薄いベージュのスーツとネクタイで、メガネをかけていました。
 車が止まった後、バンパーの部品のいくつかが落ちていました。その紳士がそれを拾って、元の場所に戻してくれました。彼は私を慰めてくれて、「新しい車なのに残念でしたね」と言ってくれました。

ヴィルヘルミナ・ヴィラルト
オランダ、エーペ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

判断の問題

 2007年9月26日に、私はアムステルダムでのベンジャミン・クレーム氏の講演に参加しました。オーバーシャドウによる感動を覚える体験によって、非常に感銘を受けました。何という愛だったでしょう!  紛れもなく本当の祝福でした!
 講演の1週間後、以下のことが起こりました。ドアを開けたままにして玄関で作業していた時、外にいた二人の女性の大きな声にびっくりしました。その二人はとても一般的な話をしていて、そのことで私は一つの見切りをつけてしまいました。それは「その女性たちに何も間違っていることはない、二人は全く大丈夫で、誰でも、すべての人たちは完全に十分な存在だ」という思考によって修正されました。私の感じ方が変化したのです。
 それから二人がゆっくりと玄関を過ぎて歩いていくのを見ていました。70代の年配の女性たちで、きれいな服装をしていて、手に手を取って歩いていました。一人はかなり大柄で驚くほどカラフルな服を着ていて、もう一人は小柄で全体に灰色がかって見えました。私の家の玄関の前で立ち止まり、お互いに大声で話しかけて、おしゃべりに夢中でした。その後二人は歩き続けながら、実際には何でもないことについて熱心に話し続けていたのです。それは私の印象で、この時には判断を下してはいませんでした。
 数メートル歩くと、二人はまた立ち止まりました。つまり、極めて重要なのは二人の会話ということなのです。背の高い女性は大声で持論を述べると、もう一人がそれを肯定するというふうでした。おかしくて愛すべき女性たちでした! 二人は歩いていきました。少し雨が降っていて、背の高い女性がとても小さな傘を持っていて、それがまた驚くほどカラフルなボールがプリントされているもので、実際に使うにはあまりにも小さいものでした。それから忙しく話しながら、二人はゆっくりと通りを渡っていきました。私は自分の仕事を続けました。
 またすぐに二人の声が聞こえてきました。その時二人は道路の反対側から戻ってきていて、その間中、話をしていました。一方で、私は家の前にあるバンの中ですることがありました。バンの中で立っていると、またそこに二人がいたのです!  私のすぐ前を歩きながら、完全に会話に没頭していました。
 こうしたことを観察していた間中、奇妙な感覚がありました。講演でクレーム氏は、覚者方がファミリアとして現れる時には、しばしば何か奇妙なところがあると言っていました。また目撃している人物の何らかの特徴を、優しく指摘することもあるということでした。あの女性たちについてはどうなのでしょうか。二人は人目を引く以上の存在なのでしょうか。
 この出来事の前の晩に、また別のことが起こりました。妻と私が車に乗っていて、恥ずかしながら自分たちの会話にかなり熱中していました。相当のスピードを出して運転していた時、前方の信号が黄色から赤へと変わりました。反応が遅れながらも、今にも道路を渡ろうとしていた歩行者が見えていました。強くブレーキを踏むと、その歩行者の女性のほんの90センチかそこら手前で止まりました。信じられないほどの短時間で停止できたことと、ブレーキを踏む動作の滑らかさが普段と違っていたことに私は驚いていました。私たちは助けられましたか。

コース・ヤンソン
オランダ、ザイスト

【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その『背の高い女性』がマイトレーヤで、もう一人がイエス覚者であったことを確認した。(2)マイトレーヤが車を止める手助けをされた】

熱心な訪問者

 私たち『ダブリン・グループ』のメンバーは、2008年3月のダブリンでのマインド・ボディ・スピリットフェアに出店しました。三日目の終わりに、帰宅するため荷物をまとめていました。ほとんど興味を持ってもらえませんでしたが、もしマイトレーヤが現れたらすばらしいのではないかと思っていました。その時、20代後半か30代前半の女性が現れました。彼女は笑みを浮かべた丸い顔をしていました。茶色の髪を後ろで束ねてほっそりとした三つ編みにしていて、淡いブルーのジャケットと無地のシルクのやや長めのスカートという格好でした。
 彼女が「マイトレーヤはどこにいますか?」と言いました。私は「ロンドンです」と答えました。彼女が「彼に会ったことはありますか?」と聞いてきました。私がいいえと答えると、彼女が帰ろうとしたので、私から「彼に会ったことはありますか?」と尋ねました。クスクスと笑いながら、彼女は「分かりません」と言って、素早く立ち去りました。この人は覚者でしたか。
 眠りに就く前に、アンと私は伝導瞑想をした時に感じる同じエネルギーを、それぞれ体験しましたが、私たちは大祈願を唱えていませんでした。これはなぜでしょうか。

ノラ・ハート
アイルランド、ダブリン県ブラックロック

【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がマイトレーヤご自身であったこと、体験したエネルギーがマイトレーヤからの祝福であったことを確認した】

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。