カテゴリー別アーカイブ: 読者質問

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 覚者方に止めることができるのなら、なぜ人々は毎日死んでいくのですか。

A なぜなら覚者方にはそれを止めることができないからです。止めることは許されていません。私たちは止めることができます。明日にでも止めることができます。明日から誰も死ななくて済むように、世界の資源を分配することができます。しかし、何百万もの人々が飢え死にしています。しかし、それは覚者方の責任ではありません。私たちの責任です。
 自由意志と呼ばれる偉大な法則があります。自由意志を支配する法則は、覚者方が、私たちが自分ですべきことを私たちのためにすることを許しません。そうするならば、私たちは決して成長しないでしょう。進化しないでしょう。覚者になることはないでしょう。もし覚者方が私たちのためにすべてをしてくださるならば、私たちはこの世における私たちの運命である進化を達成することは決してないでしょう。私たちはそれが自分の責任であることを認識しなければなりません。
 人々が死んでいくというのは恐ろしい犯罪です。人々は言います、「なぜ神はこれを許されるのだろう?」それは神とは関係がありません。私たちに関係があるのです。私たちは互いに責任を持っています。そのために私たちはここにいるのです。私たちはお互いの面倒を見るためにここにいるのです。それが家族のしていることであり、それに気づくのが早ければ早いほど、私たちの暮らしはよくなるでしょう。
 ですから、それは覚者方の問題ではありません。私たち個々人が、人間としての責任を担うべきであり、人間であるということは神であるということです。それは同じことです。
 個々の人類が、人類と呼ばれるものと神と呼ばれるものは同じであることに気づくときが来るでしょう。そこに区別はありません。何の分離もありません。それは全宇宙を通して同じです。すべての部分、生命のあらゆる要素は他の部分に関係しており、宇宙全体を通して分離しているものはありません。私たちは分離しているという考えは大いなる異端です。

Q 「愛」という言葉についてほとんどの人は、ロマンチックな愛や母の子に対する愛のようなことを思い浮かべると思います。愛にはそれ以上のものがあるのですか。愛についてもっと深い理解が存在するのですか。

A はい、そのとおりです。母子愛や恋愛も愛の一様相ですが、愛とは本当はとてつもないエネルギーです。それはキリスト原理、キリスト意識と呼ばれます。それは意識のエネルギーであり、物質の構成要素を結び付け、惑星を現実の凝集した状態に保つものです。「愛は世界を動かす」という言葉がありますが、文字通り愛は世界を動かしています。なぜなら、すべての生命の原子を共に保つあの凝集的な磁力的フォースがなければ世界は存在しないからです。
 この太陽系の本質は愛です──私たちの太陽系は第2光線であり、第2光線の本質は愛です。ですから、この太陽系に関する限り、神は愛です。イエスは人間として初めてこのことを示しました。愛としての神を人間として初めて完全な形で示しました。仏陀は、弟子であるゴータマを通して、同じ愛のエネルギーの知恵の様相を人間として初めて完全な形で示しました。マイトレーヤは、まだ完全な形で人間が示していない神の別の様相を持ち込まれます。私は彼の秘密を明かしたくありませんが、彼は私たちがまだ認識しておらず、来るべき時代に示すことになるであろう神の新しい様相を啓示されるでしょう。それが彼のもたらす啓示です。それはまだ知られていない神の新しい様相であり、まだこの世で断片的にしか示されていないものです。

Q マイトレーヤは愛の主と呼ばれますが、彼は「悲しみの男で悲嘆を知る者」であるとも読んだことがあります。マイトレーヤに関するこの記述はどちらも正しいですか。

A 「悲しみの男」という記述は、マイトレーヤを代理したイエスについてのものです。イエスはマイトレーヤによってオーバーシャドウされましたが、それは単にイエスについての記述ではありません。イエスは「悲しみの男であり悲嘆を知る者」であると考えられていますが、実際にそのとおりです。彼は十字架につけられましたが、この記述の真の意味は、マイトレーヤは世界の悲しみについて知っている者であるということです。彼はこの世の苦しみについて知っています。もしあなたが愛の主であるマイトレーヤの心の中を見ることができれば、そこには疑いなく神の愛を見るでしょう。しかし同時に、そこにあなたが見るのは彼が毎瞬、携えているものです。つまり、あらゆる悲しみ、悲嘆、苦しみ、屈辱、恥辱、全人類の絶望です。それがマイトレーヤの心にあるものです。あなたはそれに一瞬でも耐えることはできないでしょうが、彼はそれと共に歩んでおられます。彼はこの世におり、絶えず私たちの悲しみと共にあります。
 彼が言われたように、彼の見地からは彼と私たちの間に分離は存在しません。私たちのすべての悲しみ、痛み、苦しみ、悲嘆を彼は分かち合われます。絶望、何百万もの人々の絶望的な貧しい暮らしは、彼が日々働かれる中で、キリストにとっての生きた現実です。あの記述の意味はそういうことです。そしてそれ故に、彼が愛の主であるが故に、彼はこの悲しみの叫びに応えることできるのです。それが彼がこの世にいる理由です。私たちが彼を世界に呼んだのです。1914年から1918年と1939年から1945年の世界大戦を通じて(マイトレーヤの見地からはそれは一つの戦争です)、私たちの助けを求める叫びはマイトレーヤが何千年も暮らしているヒマラヤの高所に届きました。そして彼は応えられたのです。私たちは、「助けてください。私たちが苦しんでいるのをあなたはご存じです。これはあまりに恐ろしく、これ以上はやって行けません」と呼びました。そして彼は応え、決断し、1945年6月に、世界に戻るという彼の意図を発表しました。その決定は1977年7月に彼がロンドンに来た時に成就し、そこで認知されるのを待っています。
(1996年7月、ロサンゼルスでのディック・ラーソンによるインタビュー)

Q これらのグループにおける合意とは何を意味するのですか。

A 合意が生じるのは、あるグループの「すべての」メンバーが、自由意志から、その自由意志を、大計画のために用い、自己の意志ではなく、神の意志のために、大計画への奉仕のために用いるときです。そのとき合意は自動的に生まれます。誰もが客観的で「自己から離れて」、仕事の価値と仕事の活動のみを客観的なものとして見るならば、彼らは自由意志を正しく用いています。そうでなければ、彼らの動機は入り混じっています。

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「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 大宣言の日の後、人類が変化すると、宗教は崩壊するのですか。

A 全く違います。その反対です。しかし宗教は新しくなり、若返り、純化されるでしょう。古いドグマや教義はすべて宗教から取り除かれるでしょう。新たな生命と活力を持ち、人々のために新しい純粋さと現実性を持つようになるでしょう。そして進化し続けるでしょう。
 しかし、様々な宗教の中から次第に人々は神への新しいアプローチに引き寄せられるでしょう。それは新しい宗教と呼ぶことはできません。なぜなら信仰に基づいていないからです。それは信条に基づくものではありません。それは進化の科学であり、進化の過程の底にあるその科学に十分な関心を持つ人々がそれによって、マイトレーヤを通して、私たちが神と呼ぶものは私たちを超えたところ、空中、宇宙、私たちの周りのすべてに存在するという理解に至るでしょう。実際に、神が存在しない場所はありません。それが、神が存在するすべてです。しかし、マイトレーヤを通して、多くの人々は様々な宗教から引き寄せられ集合し、神への新しいアプローチを見いだすでしょう。それは、神と私たち各々の中にある神は同じ一つのものであるという認識です。私たちに内在する神性と私たちが神と呼ぶ超越的なものの間には分離や違いはありません。ですからもしそれを宗教と呼ぶならば、それが来るべき時代の宗教でしょう。
 しかしまだ長い間は様々な宗教がその純化された状態で続くでしょう。例えば、イエス覚者は、至るところのキリスト教団体の長です。彼の仕事は、これらの団体から、今日までキリスト教の多くを支配している人間のつくった教義やドグマを取り除くことです。

Q 魂が転生するのは、受胎の時ですか、誕生の時ですか。

A 実際、どちらでもありません。魂は赤ん坊の肉体のために器を準備します。魂はそれをエーテル肉体の中に設置し、それが次第に固い物質体になります。およそ第4週に、魂は将来の赤ん坊が第4週から5週になる頃にその物質に生命を与えます。

Q マイトレーヤは神の唯一の子ですか。

A 決してそうではありません! 全宇宙にそのような存在はいません。神の唯一の息子や娘であるような人間は存在しません。すべての男女、すべての子供は聖なる存在──神の息子や娘です。マイトレーヤにお会いしたら、「あなたは神の唯一の子ですか」と尋ねてごらんなさい。またはパレスチナでマイトレーヤを代理したイエスに対して、聖書に書かれているように彼は神の唯一の子なのかどうかを尋ねてみなさい。彼は、そうではない、そのような人はいない、と言うでしょう。「どうして私がそうであり得るでしょうか?」と。
 それは、聖パウロとして知られている弟子パウロであった──聖パウロ※としても知られている──偉大なる存在によって最初に提示され、拡張され、知られるようになった空想です。聖パウロはキリスト──つまりイエスを通して働いたキリスト──の神性を強調しすぎました。実際、彼はキリストに会ったことはありませんでした。彼は初め、「大管区指導者」としてキリスト教徒を迫害していました。彼は第3段階のイニシエートだったので、その仕事をとてもよく行いました。ダマスカスに行くまでは。ダマスカスへの途上で、彼は落馬し、3日間盲目になり、それから視力が戻りました。
 彼は元々サウルと呼ばれていました。そしてダマスカスへの路上でパウロになりました。彼は偉大なイニシエートであり、途方もない力と勇気を持っていましたが、狂信的でもありました。その狂信性がキリストの実在性についての歪曲の理由であり、実際、キリストを人類から切り離しました。彼の教えは神を人類から切り離しました。誰も神ではなく、それでもすべては神です。独自の神の子というような存在はいません。
※「聖パウロは確かに鼓舞されましたが、マイトレーヤによってオーバーシャドウされたのではありません。彼は第3段階のイニシエートでした。(この出来事は、聖書の中で、ダマスカスへ行く途中での彼の『転向』と彼が3日間盲目であったという話の中で、劇的に記録されています)。ジュワル・クール覚者の聖パウロに対する批判は、パウロが古いユダヤ教の教えに順応させるために、新しい教えを部分的に歪めたことに関連しています(にもかかわらず、パウロのことを『あの偉大なるイニシエート』と呼ばれていますが)。彼はイエスの神聖さを強調しすぎ、排他的なものにしてしまいました。聖パウロのあの神秘主義が、今日に至るまでキリスト教の教会のアプローチを彩っています」
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命 第1巻』)

Q 私が自分自身の個人瞑想の形式を持たないならばどうすべきですか。

A あなたが個人瞑想のやり方を持たないなら、一つ簡単なやり方があります。あなたの頭の上に、輝かしい黄金の球体が火のように光っているのを視覚化しなさい。「アスピレーション」と呼ばれるリトグラフは、この黄金の光の球を描いています。このように視覚化できます。それは黄金の火のようですが、球体の形をしています。大きなグレープフルーツくらいの大きさで火のような球として思い描き、そこからエネルギーが黄金の雨のように降るところを想像しなさい。あなたが座っているところに、黄金の雨が降り注ぎ、とても微細な雨が静かに柔らかくあなたの頭と肩と周囲全体にシャワーのように降ってくるところを思い描きなさい。あなたはそれを視覚化し、想念形態を築きます。時々それが消滅し、どこにあるか分からなくなるでしょうが、何の緊張も感情的障害もなしに、ただ静かにそれを築き、再び頭上にそれを視覚化し、頭と肩を取り巻くのを想像しなさい。それが消えたら、何の興奮もなしに、ただ静かにもう一度築くのです。

アスピレーション(志向)

ベンジャミン・クレームの絵画「アスピレーション」(1964年)の解説:
「白い光で包み込んでいるような、白い形態に囲まれたバラ色の形態の中に、燃えるような金色の玉がある。金色の玉は魂を表している。黄金の火の玉、金色の火は、瞑想中、瞑想者の頭上に、人間の魂として思い描くことができる。これは人間の魂についての認識、魂との一体化へ向かっての志向を象徴的に表している。
 志向と瞑想を通して、パーソナリティー(肉体人間)はアンタカラーナ、すなわち光の橋によって魂と連結される。この絵では、アンタカラーナはバラ色を取り囲む白色の輪で象徴されている」
(『現代のマンダラと不朽の知恵──ベンジャミン・クレームの秘教芸術』)

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「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q イエスは、彼を神として信じることが唯一の救いであると言っているのに、どうしてすべての教えは新しい時代のメシアへと導くのですか。(1997年11月18日、米国アトランタ州のベンジャミン・クレーム講演)
A イエスが実際そう言ったのかどうか、私には分かりません。ヨハネ福音書14章6節で彼はこう言っています。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」
 マイトレーヤはキリスト原理の体現者です。現在はイエス覚者である弟子イエスをオーバーシャドウすることによって、そのキリスト原理がイエスを通して顕現されたのです。ですから、イエスがそう言ったとき、イエスを通してそれを言っていたのはマイトレーヤでした。
 キリスト原理と呼ばれるものは愛のエネルギーであり、それは意識のエネルギーそのもので、右胸にある中心である(ハート)チャクラの中で目覚めます。聖書では、「賢者の心臓は右側にあり、愚者の心臓は左側にある」と書かれています。
 右胸には霊的なハート・センターがあり、人体における魂の座です。それは濃密な肉体ではありません。エーテル肉体であり、精妙な肉体です。濃密な肉体はエーテル体が凝縮したものです。エーテル体は、それが濃密な肉体として顕現する前に母胎に入ります。
 キリスト原理と呼ばれるものが意識の小さな種子、右胸のチャクラの小さな炎として目覚めるとき、あなたは賢者になります。キリスト原理が内部に宿ることを知り、キリスト原理に出合うたびにそれに反応します。そのエネルギーが目覚めると、より大きな度合いで、より大きな目的と、そのエネルギーに反応します。
 「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。つまり、右胸のハートにおけるキリスト原理が顕現されることなしには。キリスト原理がそこで目覚めると、どんな人生を歩んでいようが、あなたはその霊的生命に方向づけられます。
 それは宗教的になるということでしょうか? 宗教の道は神に至る多くの道の中の一つにすぎません。それらはすべて最後には一つのものに導かれます──唯一なる神です。ひとつの神性、ひとつの神があるだけです。あなたはそれであり、私たちはそれであり、実際のところ、神以外のものは存在しません。それは存在するすべてです。
 私たちはこの肉体が実在のものだと考えています。そうではありません。それは相対的な実在にすぎません。それはあの神性の器ですが、私たちは皆その神性を分かち合っています。唯一の神性があるだけです。だからマイトレーヤはこう言われるのです。「わたしを崇拝してはならない。もしあなたがわたしを崇拝するなら、あなたは自分自身を低めていることになる。わたしはそれを欲しない。わたしはあなたに対等であってほしい。あなたは至高の存在の閃光である。あなたがわたしよりも低いと考えてはならない」
 一つのレベルがあるだけです。それが神性であり、私たちと覚者方との唯一の違いは、彼らはその神性を顕示することができるということです。私たちが進化の過程を辿るにつれて、その神性は肉体を通してそれ自身を表現できるようになります。ですから、すべての生命は進化しており──後退することもありますが──常に前進しているのです。すべての転生があの神性をますます顕示する能力を与え、遂にはマイトレーヤが真我実現と呼ばれる状態になります。
 彼はこう言われます。「わたしは新しい宗教をつくるために来たのではなく」、あらゆる伝統の枠組みの中で進化し続けることができるよう援助するためであると。あなたがキリスト教徒なら、最良のキリスト教徒でありなさい。あなたがヒンズー教徒なら、最高のヒンズー教徒でありなさい。「わたしは人類に真我実現の術を教えるために来た」。そのために私たちはここにいるのです──真我(神)実現を達成するためです。彼は「真我のみが重要である」と言われます。
 「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。キリスト原理が人間のハートの中に目覚めない限り、誰も自分の神性を実現することはできず、真我実現や神実現──それが父のもとに行くことです──に至ることはできない。イエスが意味したのはそういうことです。
 それは、ルネサンス初期の絵画の中で、洗礼を受けるイエスの頭上に黄金の光の中で鳩が下りてくることに示されています。それがキリスト原理です。それがマイトレーヤの意識であり、当時はイエスを通して働いたのです。それが何らかの程度で私たちの中で目覚めると、マイトレーヤか個人的な師によって強化されます。
 奉仕と瞑想を通して、しかしとりわけ人類への奉仕を通して、その目覚め、キリスト原理の強化が進み、それがあなたが誰であるかの目覚めに導きます。「誰も父のもとに行くことはできない」。まず、人間のハートの中にキリスト原理が目覚めなければ、誰もその神性を実現することはできないのです。
 もしそうでないなら、キリスト教徒だけが神のもとに行くことになります。それは現実のあり得ない解釈です──ヒンズー教徒、仏教徒、無神論者、合理主義者、人道主義者、ユダヤ教徒、イスラム教徒などは神のもとに行くことはできないということになります。なんという傲慢さでしょうか! それはイエスを完全に間違って解釈しています。
 イエスが「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」と言われたとき、彼は自分を神の唯一の子として信じなさいと言ったのではありません。イエス覚者に会ったら、あなたはこう尋ねることができます。「あなたは神の唯一の子なのですか?」彼はこう言うでしょう。「馬鹿なことを言わないでください。パレスチナの唯一の神の子なのかですって? そんなことがあり得るでしょうか。誰もが神の子なのです。この世のあらゆる男女が神の子なのです。宇宙全体の中で、唯一の神の子などという存在がいるでしょうか?」

Q マイトレーヤによって特別に磁化されたテキサス州サンアントニオの水はまだ見つかっていないのですか。
A まだ見つかっていません。マイトレーヤがよいと思われるときに見つかるでしょう。

Q 「アンタカラーナ」と呼ばれるあなたの絵画について説明していただけますか。
A 弟子は科学的に瞑想するにつれて、頭脳から魂に向けて光の回路を築きます。その間、魂は同様の光の回路を魂から頭脳に向けて築きますが、さらに明るい性質のものです。瞑想の根本的な目的は人を魂と接触させることです。ほとんどの人にとって魂とは単なる概念にすぎません。信じる人もいるし、信じない人もいます。進化した男女は、魂を信じているだけでなく、魂を真我として知っており、真我とは真の自己であり、何度も転生します。瞑想の実践を始めるや否や必然的に魂と接触するようになり、魂との整列は次第に深まっていきます。この整列は、この絵画が表現しているアンタカラーナの創造を通して形成されます。上部にある明るい黄色の形は魂を表現しており、下部の暗い黄色はパーソナリティーを表しています。パーソナリティー、頭脳と魂との間にこの光の回路(アンタカラーナ)があり、それは瞑想を通して形成されます。

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Q (公の場で)話をすることはなぜ重要なのですか。(2001年5月、滋賀の伝導瞑想会議)

A 話をするときに何が起こるでしょうか。話をするとき、明らかに言葉は多かれ少なかれ、あなたの意味やアイディアを体現します。そして大半の人々はそれが話すときに起こることのすべてだと考えています。それは重要な一部ですが、それが公の場で外的な分野で人が誠実さと知識を持ってこれらの途方もない重要な啓示、ハイアラキーの存在とハイアラキーの出現について知らせるときに起こるすべてではありません。
 しかし、シェア・インターナショナル誌の手紙で報告されているような、後にマイトレーヤやイエス覚者や他の覚者と確認された方々に何らかの形で接触を受け、話しかけられ、道ですれ違うなどした体験の話について考えるならば、彼らがその話を手紙に書いて送った理由は何でしょうか。なぜ他の出来事ではなく、その出来事なのでしょうか。たとえ体験の中で何も起こっていないように思えたとしても(そしてしばしばそれは束の間で、ほとんど何も起こっていないように思えますが、マイトレーヤや覚者と手紙を書いた人との間で何かが伝わったために、それは真の体験であれば確認されます)、彼らの間では何かが起こったのです。それが話をするときに起こることです。彼らの間で体験の中で何かが伝わり、それは話の中でも伝わります。
 話をするときに人々が伝える最も重要なものは、それは話し手であれ聴衆としてであれ、彼らのオーラです。あなたは話を聞きに行き、それに関心を持ち、後で何の話だったかを尋ねられたとき、それが何なのかを伝えることはおそらく難しいでしょう。しかし、あなたはその「感じ」を知り、話をした人のオーラを感じ、話し手と聴衆の間の交流を感じ、それはおそらく忘れ難いものでしょう。肉体には誰もが気づきますが、エーテル体とそのエネルギー、エーテルを通して世界に流れたフォースに気づく人はほとんどいません。チャクラを通したそのエネルギーの過程はあなたがどこへ行くときにもその個人のオーラを形成します。そのオーラは、エーテル物質体、アストラル情緒体、四つのレベルのメンタル体、そして魂の三つのレベルのどれかで構成され、もしその人が十分に進化していれば、モナッドのエネルギーの何らかの様相、つまり霊の様相も関わるでしょう。人が話をするとき、そのすべてが明らかになります。それらのフォースはその磁力を聴衆に感じさせます。伝導瞑想をしている人々やハイアラキーの再臨のために働く人々は人類の中でより進化しています。彼らのオーラはどんどん磁力的になります。
 大衆に向けて話すとき、あなた自身のオーラは機能し、あなた自身の磁力が生き生きとします。あなたは鏡を見て、「私ですか? いいえ、私はあまりに臆病です」と言います。あなたが臆病に感じるのは、あなた自身を臆病にしているからです。人々は自分にはできない、話すことはできないと考えます。内気すぎて、話をすることを誰かに任せます。全体として、彼らは容易にできる話をしません。しかし、話せば話すほど、自信がつきます。自信が深まり、ますます容易になります。それはあなた自身のグラマーを克服するという問題だけではありません。それは最終的な「生産物」を見ることでもあります。それはあなたの外部にあるもの──あなた自身ではなく、仕事、大計画、あなたがそのために働いている大義──であるということを理解することです。自分がしていること(例えば本屋に本を持っていくこと)と同一認しているならば、あなたは自分自身を売っているような気になるでしょう。しかし、自分自身に集中することをやめて、仕事に集中するならば、あなたがしていることを単に大計画や大義に関連付けるならば、あなたは何でもできることに気づくでしょう。

Q どのようにグラマーを理解すべきですか。

A グラマーは、(通常私たちが定義するようなものとは)異なる方法で見れば、自由意志の誤用です。私たちは自由意志を持ちますが、その自由意志はそれが「神の意志」と呼ばれるものと一致しているときにのみ正しく用いることができます。つまり、それが惑星ロゴスの進化の大計画と一致しているということです。そして、それが私たちのレベルで理解できる大計画と調和していれば、あなたはあなたの自由意志で自分が言うべきと思うことを言ったり行ったりできます。自由意志とは権利でもありますが、責任でもあります。そしてグループにとっての責任は、あなた自身の自由意志と同じくらい重要です。
 グラマーの本質は、人間は非人格的、客観的にはなれないということです。非人格性あるいは客観性はグラマーの正反対であり、それは常に、何らかの程度で、人格的で非客観的です。グラマーの本質は無知です。書物や情報の無知ではなく、自分自身についての無知です。それはしたがって、客観性と主観性の違いが分からないということです。あなたの動機が、オープンで明瞭で非人格的か、完全に個人的なものであるかの違いが分からないことです。
 世界の人々の99%がアストラル偏極しているというのが事実です。それは彼らの注目がアストラル界にあることを意味します。それが人々の生きている世界です。彼らの意識はアストラル界に偏極しています。もちろん程度はあります。世界の伝導瞑想グループにいる人々の大半は、第1イニシエーションのあたりにいます。そして彼らの大部分は1から1.5の間にいます。つまり、ほとんどの人々は、大計画に沿って意識的に働こうとしている伝導瞑想グループの人々でさえ、比較的に言って、アストラル偏極しているということです。彼らは本を書くことができ、計画を立て、ロケットを月に飛ばすことなどはできるかもしれませんが、それでも1.5か1.6以下なのです。つまり彼らはある種の思考はできますが、秘教的な見地からは、本当には思考できないのです。それは真の思考というより推論です。思考のうちの最低の部分であり、(メンタル界の)最低のレベルにおける具体的思考です。
 要するに、アストラル偏極していれば、それがあなたの意識の座であり、したがってマインドのレベルであり、アストラル界より上位のマインドの魂のレベルは(あなたにとって)失われます。あなたはそれ以上のレベルには行けません。行けたとしても束の間です。それは継続性の問題です。
 簡潔に言えば、人々はあらゆる種類の刺激に反応し、その刺激についての「考え」を言葉にして反応しています。実際、それはまだ感覚の問題です。彼らが話している刺激に対する感情的、感覚的反応です。それは「思考」ではなく反応の感覚です。それが彼らを怒らせたり、不幸にしたりするのです。

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Q あなたの本を勉強するために教師は必要ですか。秘教の知識を多く持つ人々は教師になりますが、それは必要なことでしょうか。教師の意見は尊重されます。それはその人の教えの理解に影響しませんか。(2010年5月、ベンジャミン・クレーム日本・滋賀の研修会)

A 私の哀れな書物が他の人々に解説するための教師を必要とするでしょうか? 私は「絶対に必要ない!」と考えます。私の本は全く明快に書かれています。私は難しく書くことができません。なぜなら私は単純な人間だからです。あらゆる国のあらゆるグループに、秘教の教えはとても難しいのでそれを理解するには天才が必要だという考えが出回っています。それはナンセンスです。
 秘教の教えは通常のものではなく、ありふれたものではありませんが、必ずしも理解が難しいものではありません。主な問題は、誰も十分に時間をかけて読まないことです。私が、例えばジュワル・クール覚者によって書かれたアリス・ベイリーの本を開き、何かを読むとしたら、それは覚者の書いたものなので、私にとっては全く意味をなさないかもしれません。そこで私はもう一度読みます。そしてまだ理解できなければ、もう一度読みます。理解できるまで読み返します。それには時間を使わなければなりません。それがどういう意味かを教えてくれる人は必要ありません。彼らはその意味について自分自身の考えを持っているだけです。しかしそれはあなたにとって意味がないかもしれません。あなたはあることについてのその人の意見を知り、それがすべてです。
 価値があるのは、覚者が伝えようとしたことに対するあなたの特定の理解だけです。50人が読めば、その意味について50通りの異なった考えがあるかもしれません。そのことに価値があります。教えを通してあなた自身のやり方を知ることです。このグループでは、他の人よりも深いレベルの洞察を持つ人は誰もいません。教師や指導者の時代は終わりました。私たちはアクエリアスの時代におり、アクエリアスのエネルギーは個人の教師を使いません。それはグループによってのみ吸収されることができます。
 秘教的な見地からは、あなた方がしようとしていること、あなた方の真の目的は、グループとしていかに考え、行動し、振舞うかを学ぶことです。グループ意識をいかに開発するかを学ぼうとしているグループにとって、個人的な教師は無用です。グループとしていかに行うかを学ぼうとし、教師については忘れなさい。彼らはあなた方より多くを知っているわけではありません。彼らの洞察が役に立つとすれば、それは彼ら自身にとってです。グループの中で個人であることを学びなさい。そのやり方であなたはアクエリアスのエネルギーを引き付け、それを正しく使うでしょう。
 世界のどこのグループにも、自分は他の人よりも優れていて、教養があり、あらゆることを他の人よりも理解していると思っている人がいます。それは正しくありません。グラマーです。教師として認められたいというグラマーです。私は教師にはなりたくありませんが、この地位を強いられました。私は本を書きましたが、すでにブラヴァツキーやベイリーなどの本に書いてある秘教の教えについて人々に教えるためではありません。私は嫌いであるにもかかわらず書いたのです。私が書いたのはマイトレーヤの再臨の話を人々に伝えるためです。できる限り広く知らせるために書いたのであり、秘教的なこととは関係ありません。それは難しくありません。書くことは私の専門ではなく、私の仕事のやり方ではありません。ですから、自分より目覚めておらず、教養がなく、賢くないと考える人々を教えるのをやめなさい。それはグラマーです。私の本は解釈を必要としません。陽の光のように明快です。真っ直ぐに書かれており、読みやすく、理解も容易です。

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Q 私はマイトレーヤに会うことができますか。(2008年5月、ベンジャミン・クレーム日本講演会)

A あなたは、マイトレーヤに対してでさえ、無執着でなければなりません。私はマイトレーヤがどこにいるのか知っていますが、マイトレーヤに会いに行くことは許されません。私は彼の近くには決して行きません。彼がある会合に出席されていることを知っていても、私は決してその会合には行きません。実在する誰かと握手する必要はありません。ハートの中で、彼があなたにとって実在するか、そうでないかのどちらかです。もし彼があなたのハートの中にいれば、あなたは彼に会って握手する必要はありません。

Q あなたや覚者方は、再臨のタイミングについて話すとき、なぜいつも「間もなく」と言われるのですか。

A 覚者方はいつも「間もなく」と言われます。なぜなら、彼らの観点からは、それは非常に間もなくだからです。彼らにとって10年や20年は「間もなく」であり、私たちの時間で2週間程度のものです。もし覚者方が「それは20年以内に起こるかもしれない」と言われたら、誰も何もしないでしょう。私が1959年にマイトレーヤに知らされたのは、彼は「誰が可能と思うよりも早く」やって来るということでした。彼は約20年と言われました。実際には、その出来事は18年後(1977年)でした。私は「20年! 急ぐ必要はない!」と思いました。私にとって20年は途方もなく長い時間でした。それで私は何もしませんでした。私の師が外に出て話すよう私を「プッシュ」するまで、私はそれについて何もしませんでした。私には切迫感はありませんでした。秘教グループにとっての問題の一つは、彼らが切迫感を持っていないことです。

Q 私たちはグループとして、例えば自分だけの活動をしたり他のグループのメンバーなしに話をしたがる人々に、どう対応すべきでしょうか。彼らにグループのミーティングに来るよう頼んでも拒否されます。

A どのグループにもそういう人がいます。彼らは、自分には言うべきことがあり、それを知らせたいと思っているが、自分自身でそれをする力を持たない人々です。彼らはグループと「共に」働くことができません。彼らはグループの「ために」働くことはできますが、「共に」ではありません。彼らはグループのアイディアのために働くことはできますが、グループと共には働けません。なぜなら、彼らはグループを信頼していないからです。彼らはグループ意識を開発していません。彼らは本当は競争的であり、グループと競争しているのです。そのような人々はグループには無用です。グループ・ミーティングに出席しないならば、彼らはグループのメンバーではありません。彼らはグループ・ミーティングのための時間はありませんが、自分自身の話を大衆に伝えたいのです。それは奉仕とは何の関係もありません。彼ら自身に関係があるだけです。彼らは注目されたく、ひとかどの人物でありたいのです。何とかして彼らは他の人々に、彼らがグループの代表者であると知ってほしいのです。それは競争的であり、グラマーであり、エゴにすぎません。そのような人はグループにいるべきではありません。彼らはエゴが強すぎます。自分自身を認めてほしいのです。
 秘教とは何でしょうか。90%は常識で、10%は少し謎めいています。つまりその10%以外は常識です。しかし、どこに常識があるでしょうか。
(2010年5月、滋賀でのベンジャミン・クレーム講話)

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「世界中のあらゆる講演において、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q マイトレーヤが公に現れた後に変化を欲しない人々には何が起こりますか。例えば、キリスト教原理主義者のような人々です。(アメリカのラジオ・インタビュー、1991年11月27日)
A 変われない人々は、変わらないでしょう。彼らはたぶん次の転生で小さな赤ん坊として生まれ、そのときに変わるでしょう。しかし彼らは彼らのマインドを条件づけ遮蔽(しゃへい)する教えや教義やドグマにあまりにも条件づけられているので、目の前のリアリティを見ることができません。実際、これらのキリスト教団体は最後までキリスト――「彼らの」キリストを認知しないでしょう。彼らはキリストについて間違った考えを持っています。彼は天国の神の右手に座っていると思っています。そうではありません。彼らは、キリストが唯一の神の息子であると思っています。そうではありません。彼らはあなたや私のような人間であり、偉大な霊的存在、一人の神にまで進化した存在です。すべての覚者方は神であり、私たちも潜在的にはそうです。キリストや仏陀、または「普通の」覚者との違いは、彼らはある種の完成を達成していますが、私たちはその途上にあるということです。彼らは私たちがいつかそうなるべき模範です。それは誰にとっても真実です。彼らは既製品の天国から降りて来る神々ではありません。彼らは、ちょうど私たちが神々となるのと同じように、進化のプロセスを経て神々となったのです。今日の人類と初期の動物人間を比べたら、そこには膨大な距離があります。しかし覚者方と比べたら、私たちは何者でもありません。彼らの見地からは、すべての可能性はそこにあります。彼らは潜在的な可能性を知っています。私たちは自分の可能性を知りません。
彼らはこの可能性を私たちに示すためにもっと多く世界にやってきて、私たちがいつかそうなれることを示します。彼らを見るとき、彼らのマインドの輝きが分かるでしょう。彼らのビジョンの広大さ、世界を愛し仕える能力は、計り知ることができません。キリスト教原理主義者たちは、マイトレーヤを恐れ、憎んでいるので、頑かたくなになっています。彼は彼らを傷つけたりしません。彼は彼らを愛しており、愛するのが容易な人々よりも愛しています。なぜなら彼のマインドには、彼と彼らの間に分離がないからです。いつか彼らは、彼が愛の主であり、いかに愛するかを教えるために来たことを知るでしょう。それを学ばなければなりません。

Q どうすれば愛のエネルギーを今、今夜、今日受け取り始めることができますか。それは可能ですか。
A それは受け取るという問題ではありません。それはすでにそこにあります。あなたの本性に本能的に備わっているものです。あなたは転生した魂です。魂の性質は愛です。それは自然なことです。しかし、あなたはそれを放出するかしないかです。ほとんどの人はしません。なぜなら恐れているからです。拒絶されることを恐れます。私たちが強くなければ人々は私たちを愛さないと思っています。私たちは競争しており、お互いに競争している限り、愛を表現することはできません。競争は価値あるものではありません。競争は恐怖の結果であり、恐怖があるところには愛はりません。恐怖を取り除きなさい。そうすれば自動的に愛が表現されるでしょう。

Q 子供には特定のエネルギーがあります。彼らは生き生きしていて、愛の精神に満ちており、私たちもあるレベルでそれを持っています。私たちはどうにかして、最初に転生したときの、この真のフォース、愛の力とつながっていますか。
A 疑いなくそうです。子供たちは世界のあらゆる必要に満たされていません――どうやって生計を立てるか、生活していくかについて知りません。各教師がやってきて、教えを与え、死んで世を去ります。教えを保つために、教師は神へと高められ、彼を天国やニルヴァーナに持ち上げます。そうして私たちは腐敗した日常を続けることができます。彼は私たちの肩越しに私たちが仲間の背中を刺すのを見ていたりしません。子供たちはそのようなことはしません。確かにおもちゃを巡って争ったり、子供たちの中にも利己心はありますが、それは彼らが彼らの問題を備えて転生してくるからです。しかし、彼らは無垢な心を持っています。彼らのマインドは自分たちのために物事をこしらえません。人々を操作したりしません。子供たちは概して他の人々を操りません。私たちは自分の必要を満足させるために誰もかれも操ります。私たちは誰もかれも利用し、それが私たちの有害さです。そうすることで自分を破滅させています。人々が自分を好み、尊敬し、欲するものを与えるべきだと思っています。人生で常に欲望を満足させ続けていますが、進化の道は欲望を殺すことです。仏陀は、「欲望を殺し、真理を悟りなさい」と言いました。私たちが神と呼ぶものは、私たちの裡うちにあります。私たち自身と分離したものではなく、私たちの裡うちに、周りにあります。それ以外のものは存在しません。子供たちはくだらないもので心をいっぱいにしていないので、それを顕あらわします。前世から持ち越した少しのものはあるかもしれませんが、子供たちは素晴らしい無垢さ、不思議を感じる心を持っており、世界は新鮮なものです。子供のころ、クリスマスの前に雪が降ったときのことを覚えているでしょう。今では、雪かきしなければと思うと苦痛に思えます。私たちは不思議を感じる心を失っています。

Q マイトレーヤとイエス・キリストの間の関係は何ですか。
A ロード・マイトレーヤ、キリストは、キリスト原理、神の愛の様相を体現しておられます。彼は弟子イエスを洗礼から磔刑までオーバーシャドウし、イエスは、この3年間、キリストになりました。しかし、キリスト、ロード・マイトレーヤは、つい最近までヒマラヤに留まられました。弟子をオーバーシャドウすることはアバター出現の通常の方法です。イエスは(覚者となった後)モハメッドをオーバーシャドウしました。モハメッドはイエスの弟子でした。イエスはモハメッドを通してコーランを与えました。宗教紛争は完全に人工的で、人為的なものです。ただ一つの教えがありますが、様々な形を取っています。それぞれの宗教が、特定の集団、特定の伝統、思考や感情の様式に向けた時間と空間の中で教えの様相を体現し、彼らは特定のやり方で教えを解釈します。しかし、純粋な形で私たちに与えられた教えは一つもありせん。すべての教えは、多かれ少なかれ、歪曲されています。なぜならそれが普及するのに何世紀もかかるからです――最初は口伝で。必然的に、これらの歪曲が忍び込み、公認の教えと非公認の教えが出てきます。しかし、これらすべての教えの底にあるものは、秘教の伝統であり、この伝統に従う人々以外には隠されています。

読者質問欄

Q なぜ伝導瞑想や他の瞑想は最良の奉仕なのですか。(大阪での講演会、2005年5月)

A 私は伝導瞑想や瞑想一般が「最良の奉仕」だと言った覚えはありません。伝導瞑想は奉仕ですが、多くの異なった種類の奉仕があります。奉仕の一形態としての伝導瞑想を行うことと他の種類の奉仕との違いは、伝導瞑想は覚者方によって創られた完全に科学的な瞑想であり、完全に効果的で科学的であるということです。それは世界への奉仕の方法であり、そこに費やす時間とエネルギーの支出を考えれば、最も強力な方法でしょう。マザー・テレサのようになって恐ろしい環境にある人々を援助することもできます。それはとても困難な奉仕の形態です。伝導瞑想の特徴は、それがとても軽い方法であると同時に、途方もなく強力な奉仕の形態であるということです。伝導瞑想を今初めて紹介することが可能になったのは、今世界にはそれを可能にする十分な人々がいるからです。
霊的ハイアラキーの覚者方は進化の大計画の管理者であるばかりでなく、大計画を可能にするエネルギーの管理者でもあります。これらのエネルギーは宇宙、太陽系、惑星外から覚者方によって放出され、非常に高度な波動を持っています。今まで、マイトレーヤが世界に帰還するという決断の前は、これらのエネルギーは宗教的グループを通してしか放出することができず、その大部分は情緒界を通してでした。ですから世界の進化したイニシエート以外は、エネルギーは情緒界を通して放出され、必然的に彼らの仕事はそのレベル以下に制限されることになりました。
今日初めて、十分な数の弟子や志向者たちが存在し、これらのエネルギーを少なくともある程度はアストラル(情緒)・レベルのみではなくメンタル・レベルで吸収できるようになりました。覚者方が彼らの受け取ったレベルでエネルギーを放出すると、高度すぎて人類によって「跳ね返されて」しまうでしょう。しかし今では世界中に伝導瞑想グループが存在し、エネルギーが吸収され、アストラル・レベルよりもメンタル界のあるレベルにステップ・ダウンできるようになりました。
この仕事はマイトレーヤのための道を整える仕事と並行しており、これに関わる人々に対して、必要となる時間とエネルギーに比例してまたとない奉仕の分野を提供しています。それをするのに必要な時間を考えれば、これほど強力な結果を生み出すものは他にありません。

Q 覚者方は事故の時に人々を援助しますか。私は最近の列車事故について考えています。

A 2005年4月の列車事故の場合、マイトレーヤは少なくとも私たちの知っている一人の人に電車に乗らないよう警告しました。衝突の間、警報機の信号がなぜかひとりでに点灯し、これが近づいてきた別の急行列車への警告となり、運転手はすでに衝突していた列車にぶつかるのを防ぐことができました。警報機の点灯は東京の覚者によって行われました。彼は1975年以来この世におられます。
マイトレーヤとイエス覚者(ローマに拠点を持つ)と東京の覚者は力の三角形を形成し、その力を事故に向けました。事故があるところにはどこでもこのような力が現場に送られ、事故に巻き込まれた人々を助けるためにできることはすべて行われます。

Q ほとんどの人は感情的な生活を送っていて、それは現在の時代に一致しており、それを変えるのは難しいと思います。私は人生をもう一度やり直せたらと思います! どうすればいいでしょうか。コメントをお願いします。

A 人生に対する完全に異なった態度に基づいた未来を創造するのが非常に困難な人々がいることは確かです。それはある程度年齢によります。高齢者はたぶん若い人々よりも困難でしょう。世界は二つの人々のグループに分かれています。感情的で知的な人生観を持ち、過去に縛られている人々がいます。彼らは過去を愛し、過去にはうまくいっており、それが失われることを嘆き、古い仕組み、政治的、経済的、宗教的、社会的なものがすべて崩壊することを非常に恐れています。彼らはパイシス(双魚宮)の人々です。パイシスの概念、現実、仕組みが彼らの知っているものであり、それがそのままであるべきだと彼らは考えます。彼らは変化を欲しません。変化は苦痛です。彼らの態度は、現在が非常に苦痛だとしても、変化がより悪いものでないとどうして言えるのだ? というものです。彼らが被っている感情的な毛布はそのようなものです。
それから、新しいものを冒険と見なす人々がいます。彼らは主に若者です。彼らは過去にうんざりし、現在にもうんざりしています。彼らは変化を欲しています。何もしない若者たちについての質問もあります。学校や仕事に行かず、何もせず、それでもたぶん幸せなのです。古きものは惨めで混乱しているが、その一方で若者たちは何もせず幸せだというのです! 日本の教育制度の一つの問題点は、1日28時間、生徒を絶えず勉強させ続けることです! それが極端過ぎるので、若者は就職や教育を見捨てるのです。若者を働かせ過ぎるから、働かなくなるのです。1日に20時間学校に行かせれば、もう1時間勉強したいとは思わないでしょう。極端過ぎるのです。すべてが極端まで推し進められます。良いものでもあまりに極端過ぎると良いものではなくなります。日本人はリラックスすることを学ぶ必要があります! 休みを取りなさい。コンピューターやその他のがらくたを閉じなさい。公園に行き、木々を眺めなさい。そうすれば若々しい気分になるでしょう。日本人はいつも実際よりも若く見えますが、実際より2倍も年を取っているように感じています!

読者質問欄

Q 人間は本来、善ですか悪ですか。環境によって人間は変わりますか。

A もちろん、比較的少数の非常に邪悪な男女は存在しますが、人間は概して本質的には神であり、本来は善です。世界には悪への力があります。悪とは単に光の欠如であり、惑星の下降する力と共に働く力が存在します。私たちは進化の道におり、私たちにとってその仕事は悪です。退化の道はそれ自体が悪ではありません。マイトレーヤを長とする光の力が物質性の力に対処しています。

Q 分かち合いが人類を援助する唯一最高の道であることは理解します。その助けに何をすべきですか。祈ったり寄付したりすべきですか。

A 私が話している分かち合いとは地球的な概念です。分かち合いを実践したいなら、たくさんの機会があります。日本には大勢の、定期的な収入がなく、食事がなく公園や公園のベンチで暮らす人々がいます。これは世界のどの国でもそうであり、ますます広まっています。国が豊かになればなるほど豊かな人々と貧しい人々、持てる者と持たざる者の間の違いは広がります。なぜならあまりにも多くのものを持つと人々は自己満足するからです。他の人々の苦しみを本当に理解するためには、人は苦しまなければならないのかもしれません。非常にしばしば、マイトレーヤが使いの精として誰かに現れるとき、彼は乞食の姿を取ります。彼が現れる最もよくある方法の一つは、アメリカやヨーロッパや日本でも、物乞いのホームレスの人々だと私は思います。しかし、あなたがホームレスの人々にお金をあげたくないと思うなら、遠く離れた国々のホームレスの人々に与えようとは思わないでしょう。
私は原則として乞食にお金を決してあげない人々を知っています。なぜでしょうか。なぜなら、彼らはお金を賢く使うことをせず、お酒やその他のことに浪費すると思っているからです。単にお金をあげるよりも、食べ物を買って彼らに与えるほうが、望ましい使い方だと考えます。つまり、全くお金を与えないということです。食べ物に使うという条件でお金を与えるのです。与えるのなら、ただ与えるべきです。彼らの使いたいように使えばいいのです。この国(日本)では何千ものホームレス、失業者、野宿者がいます。彼らには誇りがあるのでお金を乞わないのです。

Q 私たちが貪欲さを放棄して他者と分かち合うことなど本当に可能なのでしょうか。

A それは可能というだけではなく、可能でなければなりません。それは選択肢ではありません。私たちが今のままのやり方を続けるならば、競争はますます激しくなり、そのプロセス全体が破壊的な世界戦争となって爆発し、それは地上のすべての生命を破壊するでしょう。
開発途上国の人々が、現在のような生活状態にいつまで我慢できると思いますか。彼らは世界の他の人々がどんな風に生きているかを知らないと思いますか。日本やヨーロッパやアメリカの人々の暮らしを知らないと思いますか。彼らは永久に我慢するだろうと私たちは思っています。しかしそうではありません。彼らは、今もそうしているように、世界資源への権利を要求するでしょう。資源は人類に属するのであり、日本やアメリカに属するのではありません。私たちは一つの人類として新しい時代に入るのであり、そうでなければ全く入ることはできないでしょう。私たちは脳をつくり直して競争という概念を生活から追い出さなければなりません。競争は生きる意味に反しています。未来は協力を通して知られ築かれるのです。私たちが協力することに失敗すれば、未来に達することはできないでしょう。私たちに選択の余地はないのです。

Q 私は人生をすべてやり直したいと思います! 自殺が減らないのはなぜでしょうか。

A 自殺者の数は世界中で増加しています。ストレスが増大しているからです。私たちは、宇宙的な周期で一つの時代の終わりに達し、このことが真実であると体験し、未来に直面できないと感じる人々がいます。時代の終わりには物事はとても恐ろしく、多くのストレス、多くの競争、多くの憎しみ、暴力、不調和を感じます。こうした人々や、人生をすべてやり直したいと思う人々に、一つ解決法があります。耳を傾けるすべての人々に、マイトレーヤがこの世におられ、覚者方が日常世界に戻られ、世界はつくり直されると伝えることです。もし私がハラキリ(切腹)する寸前で、マイトレーヤと覚者方がこの世におられることを誰かが私に告げれば、私は「やった! 腹を切らなくて済む!」と言うでしょう。自殺の問題は、次の瞬間、何が起こるかは決して分からないということです。あらゆる可能性を調べるまでは自殺を企てるべきではありません。

「興味深い質問……」

私の師である覚者はかつて自殺しようと思っていた男性についての話をしてくれました。彼の人生はむなしく、妻は亡くなり、子供は成長して彼から去り、老いて働くこともできず、彼は不滅の魂を傷つけることなしに自殺することを欲しました。彼は町に出かけ、賢そうな顔をした老人が石のベンチに座っているのを見ました。「すみませんが、私の不滅の魂を傷つけることなしに自殺するにはどうすればよいか教えていただけますか」と彼は尋ねました。賢者はこう言いました。「なんと面白い質問でしょう! 方法はあります。そんなことを一瞬でも考えたことはありませんでしたが、その方法があることは確かです。3カ月してここに戻ってきたら、あなたの問題への答えを与えましょう」。男性は3カ月後に戻ってきて、「答えを教えてください」と言いました。「いいえ、確かにあるのですが、忘れてしまいました。6カ月したら戻ってきてください。そのときには分かっているでしょう」。6カ月後、彼は老人を見つけました。「ご老人、あなたは私が魂を傷つけずに自殺する方法を尋ねたことを覚えていらっしゃいますか?」「はい、覚えています。面白い質問です」彼は再び、1年後に戻ってくるよう言われ、彼はそうしました。戻ってきたとき、彼は質問についてすべて忘れてしまい、老賢者を見たとき、こう言いました。「こんにちは、ご機嫌はいかがですか」「上々です、あなたはいかがですか」「私ですか、上々ですよ」そして彼らは座って話をし、素敵な会話をしました。もちろん、その賢者は彼の師である覚者だったのです。
(2005年5月、大阪での講演会より)

読者質問欄

Q 数週間前、私は霊媒に会い、その人は、現在世界がこれほど悪い状況にあるのは、テスト(試み)が行われているためだと言いました。彼女は、ある種の移行が行われ、それによってこの惑星の人々が、このテストにどのように反応するかによって霊的進歩が可能になると言います。それについて何かご存じですか。(1989年11月27日のアメリカでのベンジャミン・クレームとのラジオ・インタビューより)

A 人類は長いあいだ試みの下にあります。大きな試み、人類の大きな内的変化の外的な表現は、時代から時代への移行の中で起こります。私たちは今、パイシスの時代からアクエリアスの時代への困難な移行の時期にいます。パイシスのエネルギーは後退していますが、世界を完全に支配しています。私たちのすべての思考、感情、関係においてです。アクエリアスの新しいエネルギーが勢いを増しており、そこから生まれる形式や仕組みはまだできていません。ですから、私たちは古いものと新しいものとの対立、反動的なものと進歩的なものとの対立を抱えています。この緊張は純粋に宇宙的な原因によるものです。
人類は、それぞれの時代の始めに、大きな意識の拡大を経験します。私たちは今これを経験しており、政治、社会、宗教、経済、教育の仕組みが、もはや私たちの意識がそれらを超えたために必要に応えないことに気づきつつあります。
私たちのグローバルな交流は、世界が真に一つであり、人類は一つであることを示しています。より高次のレベル、霊的なレベルでは、私たちは一つです。分離した魂というものはありません。私たちは一つの偉大なオーバーソウルの個別化した一部に過ぎず、私たちの霊的なリアリティは一体性、和合です。しかし、私たちは私たちを一つに結び付け、一体性に気づかせてくれるような包括的な体験を必要とします。それがキリスト(マイトレーヤ、世界教師)の使命です──その内的体験を刺激することです。
私たちは試されており、そのテストは長い間続いています。その大きな表現が1940年から1945年にかけてでした。あの戦争(二つの戦争がありましたが、キリストと覚者方によれば本当には一つの戦争でした)は、私たちがアンチキリストと呼ぶ、神ご自身の破壊的な力が、古い政治、経済、社会の仕組みを破壊して、新しいものの建設のための道を整える時代の表現でした。その破壊的な仕事を終え、いわゆるハルマゲドンは私たちの後ろにあります。それはこれから来るものではありませんが、正統派のキリスト教徒はこの惑星のアンチキリストのようなものを待っています。アンチキリストは、ヒトラーとその側近、日本の指導部、そしてある程度までイタリアでした。枢軸国の敗北は悪の勢力の敗北であり、人類にとって途方もない試みでした。
今私たちが経験しているテストは、私たちが分かち合えるかどうかです。私たちはお互いとの、そして私たちが神と呼ぶ宇宙的リアリティとの直接的な関係を待っています。私たちは今や立ち上がって、分かち合いという偉大な原則との関係で私たちの位置を示さなければなりません。なぜならそれが私たちの神性を示すからです。

Q 人類はマイトレーヤの言うことに耳を傾けるでしょうか。

A マイトレーヤはこの世におられますが、公には知られていません。彼は何年か待ち続けています。彼は世界経済の崩壊を待っておられます。彼は、彼が人類に対して語ることは反応を要求し、その反応と変化への用意は、人類に打撃を与えた時に真にやって来ることを知っておられます。特に先進国にとって、それは初めてリアリティを見ることになるでしょう。
先進国の人々は、一般に非常に自己満足的で、世界の他の地域の問題に無関心で、貪欲で、自分自身の生活で頭が一杯で、利己的なので、いつまでもそのまま続けられると思っています。そのまま続けることはできません。私たちは今、今のやり方を続けていけば世界が「崖っぷち」に立つことになる地点にいます。分断された世界の格差と不正義に内在する緊張はその中に第三次世界大戦の種を宿しています。それは核戦争となり、地上のすべての生命を滅ぼすでしょう。

Q 保守的な宗教の信者は彼をどう見るでしょうか。

A 最初に、多くの人々、特にキリスト教原理主義者、イスラム原理主義者、ユダヤ原理主義者、ヒンズー原理主義者、仏教原理主義者(その数は少ないですが)たちは、マイトレーヤが仏教徒の待つ弥勒菩薩、ヒンズー教徒の待つクリシュナまたはカルキ・アバター、ユダヤ教徒の待つメシア、イスラム教徒の待つイマム・マーディ、キリスト教徒の待つキリストであるとは認めないでしょう。しかし、彼はそのすべてです。それらはすべて一人の同じ人物の名前であり、彼はこれらの人々の欲望に従ってではなく、アバターの教義である法に従ってやって来られました。

Q なぜ私たちはこれほど間違ってしまったのでしょうか。

A 私たちは、まっすぐに世界に向き合っていません。私たちは私たち皆が問うべき質問に直面しておらず、人生と意味や目的について何も知りません。そしてもし私たちがそれを知らないならば、どうやって正しく生きることができるでしょうか。私たちが生きている世界では、人生の意味と目的について知っている人々がほとんどおらず、私たちは戦争や飢饉でぼろぼろになった世界、完全に堕落し何億人もが惨めに生きる世界、世界人口の5分の1が1日1ドル以下で暮らし、貧困のため飢餓と病気で何百万人もが死んでいく世界で生きています。

Q 個人的な問題で援助を求めることが困難なときがあります。どうすれば変えられるでしょうか。なぜそんなに難しいのでしょうか。

A それはプライドの問題です。人生は困難なので、人々は助け合うためにここにいます。ですから、まずあなたの友人に頼みなさい、しかしマイトレーヤに頼りなさい。援助はしばしば覚者方によって与えられますが、援助とは認識されません。覚者方はあなたにとって何が最良かをご存じです。あなたが欲する援助とあなたに必要な援助──彼らはあなたに必要なものを与えるかもしれませんが、それは必ずしもあなたの欲するものではないかもしれません。彼らは絶え間なく人類を援助しています。絶え間なくです。