「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」
Q 覚者方に止めることができるのなら、なぜ人々は毎日死んでいくのですか。
A なぜなら覚者方にはそれを止めることができないからです。止めることは許されていません。私たちは止めることができます。明日にでも止めることができます。明日から誰も死ななくて済むように、世界の資源を分配することができます。しかし、何百万もの人々が飢え死にしています。しかし、それは覚者方の責任ではありません。私たちの責任です。
自由意志と呼ばれる偉大な法則があります。自由意志を支配する法則は、覚者方が、私たちが自分ですべきことを私たちのためにすることを許しません。そうするならば、私たちは決して成長しないでしょう。進化しないでしょう。覚者になることはないでしょう。もし覚者方が私たちのためにすべてをしてくださるならば、私たちはこの世における私たちの運命である進化を達成することは決してないでしょう。私たちはそれが自分の責任であることを認識しなければなりません。
人々が死んでいくというのは恐ろしい犯罪です。人々は言います、「なぜ神はこれを許されるのだろう?」それは神とは関係がありません。私たちに関係があるのです。私たちは互いに責任を持っています。そのために私たちはここにいるのです。私たちはお互いの面倒を見るためにここにいるのです。それが家族のしていることであり、それに気づくのが早ければ早いほど、私たちの暮らしはよくなるでしょう。
ですから、それは覚者方の問題ではありません。私たち個々人が、人間としての責任を担うべきであり、人間であるということは神であるということです。それは同じことです。
個々の人類が、人類と呼ばれるものと神と呼ばれるものは同じであることに気づくときが来るでしょう。そこに区別はありません。何の分離もありません。それは全宇宙を通して同じです。すべての部分、生命のあらゆる要素は他の部分に関係しており、宇宙全体を通して分離しているものはありません。私たちは分離しているという考えは大いなる異端です。
Q 「愛」という言葉についてほとんどの人は、ロマンチックな愛や母の子に対する愛のようなことを思い浮かべると思います。愛にはそれ以上のものがあるのですか。愛についてもっと深い理解が存在するのですか。
A はい、そのとおりです。母子愛や恋愛も愛の一様相ですが、愛とは本当はとてつもないエネルギーです。それはキリスト原理、キリスト意識と呼ばれます。それは意識のエネルギーであり、物質の構成要素を結び付け、惑星を現実の凝集した状態に保つものです。「愛は世界を動かす」という言葉がありますが、文字通り愛は世界を動かしています。なぜなら、すべての生命の原子を共に保つあの凝集的な磁力的フォースがなければ世界は存在しないからです。
この太陽系の本質は愛です──私たちの太陽系は第2光線であり、第2光線の本質は愛です。ですから、この太陽系に関する限り、神は愛です。イエスは人間として初めてこのことを示しました。愛としての神を人間として初めて完全な形で示しました。仏陀は、弟子であるゴータマを通して、同じ愛のエネルギーの知恵の様相を人間として初めて完全な形で示しました。マイトレーヤは、まだ完全な形で人間が示していない神の別の様相を持ち込まれます。私は彼の秘密を明かしたくありませんが、彼は私たちがまだ認識しておらず、来るべき時代に示すことになるであろう神の新しい様相を啓示されるでしょう。それが彼のもたらす啓示です。それはまだ知られていない神の新しい様相であり、まだこの世で断片的にしか示されていないものです。
Q マイトレーヤは愛の主と呼ばれますが、彼は「悲しみの男で悲嘆を知る者」であるとも読んだことがあります。マイトレーヤに関するこの記述はどちらも正しいですか。
A 「悲しみの男」という記述は、マイトレーヤを代理したイエスについてのものです。イエスはマイトレーヤによってオーバーシャドウされましたが、それは単にイエスについての記述ではありません。イエスは「悲しみの男であり悲嘆を知る者」であると考えられていますが、実際にそのとおりです。彼は十字架につけられましたが、この記述の真の意味は、マイトレーヤは世界の悲しみについて知っている者であるということです。彼はこの世の苦しみについて知っています。もしあなたが愛の主であるマイトレーヤの心の中を見ることができれば、そこには疑いなく神の愛を見るでしょう。しかし同時に、そこにあなたが見るのは彼が毎瞬、携えているものです。つまり、あらゆる悲しみ、悲嘆、苦しみ、屈辱、恥辱、全人類の絶望です。それがマイトレーヤの心にあるものです。あなたはそれに一瞬でも耐えることはできないでしょうが、彼はそれと共に歩んでおられます。彼はこの世におり、絶えず私たちの悲しみと共にあります。
彼が言われたように、彼の見地からは彼と私たちの間に分離は存在しません。私たちのすべての悲しみ、痛み、苦しみ、悲嘆を彼は分かち合われます。絶望、何百万もの人々の絶望的な貧しい暮らしは、彼が日々働かれる中で、キリストにとっての生きた現実です。あの記述の意味はそういうことです。そしてそれ故に、彼が愛の主であるが故に、彼はこの悲しみの叫びに応えることできるのです。それが彼がこの世にいる理由です。私たちが彼を世界に呼んだのです。1914年から1918年と1939年から1945年の世界大戦を通じて(マイトレーヤの見地からはそれは一つの戦争です)、私たちの助けを求める叫びはマイトレーヤが何千年も暮らしているヒマラヤの高所に届きました。そして彼は応えられたのです。私たちは、「助けてください。私たちが苦しんでいるのをあなたはご存じです。これはあまりに恐ろしく、これ以上はやって行けません」と呼びました。そして彼は応え、決断し、1945年6月に、世界に戻るという彼の意図を発表しました。その決定は1977年7月に彼がロンドンに来た時に成就し、そこで認知されるのを待っています。
(1996年7月、ロサンゼルスでのディック・ラーソンによるインタビュー)
Q これらのグループにおける合意とは何を意味するのですか。
A 合意が生じるのは、あるグループの「すべての」メンバーが、自由意志から、その自由意志を、大計画のために用い、自己の意志ではなく、神の意志のために、大計画への奉仕のために用いるときです。そのとき合意は自動的に生まれます。誰もが客観的で「自己から離れて」、仕事の価値と仕事の活動のみを客観的なものとして見るならば、彼らは自由意志を正しく用いています。そうでなければ、彼らの動機は入り混じっています。