人類、結び付ける王国――選集

Humanity, the linking kingdom ── a compilation

「自然界の王国──人類の役割」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 われわれは、この惑星の生命(いのち)の全体と、──人類の仲間と、動物・植物・鉱物界と── 一体になることができるということを示さねばならないのです。この地球を搾取することをやめ、その資源の悪用をやめねばなりません。動・植物界の搾取やそれらの生命の悪用をやめ、一つの世界、一つの人類、一つの生命(いのち)であることを示さねばならない。これが人間の運命です。
 人間の役割は、動・植・鉱物界、その霊的エネルギーの伝導者として働くことであり、そうすることによって、神の共働者となるのです。これが人間の真の約束です。もし人間が霊的生活を宗教生活にだけ委ねているのでは、この約束を果たせません。人間が真の霊性を生活のすべての面にあらわすときに初めて、それを行うことができるのです。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

 社会の再建が、分裂を最小限にとどめながら、徐々に行われるだろう。分かち合いと愛に基づいた社会を願う人間の希望は、徐々にかなえられるだろう。新しい時代は、各人にそれぞれの正当な場を保証するだろう。……
 ……社会形態はすべての創造物との相互関連性についての人間の感覚を反映し、すべての王国(動、植、鉱物界)との正しい関係の確立につながるだろう。再び、人はすべての生命の尊さを認知し、その生命を害から守るために必要な手段を取るだろう。すべてのグループの間の創造的な交流が盛んになるだろう、そしてそれが人間の──そして神の──潜在力についての認知を確実に促すだろう。
(『覚者は語る』─社会生活への新しいアプローチ─より)

 世界が分かち合いと正義と平和を通してますます和合していくにつれて、人間の構成の特質や地球上における人生の目標が認識されるようになり、ますます多くの人々がもっと知りたいという欲求にかられるでしょう──自分が誰かについて、人生の目的について、そして自分の進化の段階について。人々は進化について話すでしょう。それが地球上における最も重要な要素となるでしょう。人類の意識の進化、そして自然界におけるすべての王国の発展が、至るところにいる男女の思考と目的を支配するでしょう。
(『光の勢力は集合する』)

 わたしは、新しい姿で、人間に、彼らの前にある選択の対象を提示し、未来の可能性を描写し、神の法を明かす。そのようなわたしを、もうすぐあなたがたは見るだろう。我が友よ、神の法は、あなたがたの生活を包むものである。神の計画なしには、人は無に等しい。これをいつも心に留めて、均衡を保ちなさい。人間の偉大さと、すべての者との一体感と、そして人間の聖なる目的を、常に心に留めておきなさい。しかしながら、人間は一人では何もできないのである。これを悟り、真(まこと)の道を抱きしめなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第119信より)

 人間は自分たちが住むこの惑星に対する責任を自覚せねばならない。人間は、強くはあるがしかし敏感な有機体の世話人なのであり、それを害から守らなければならない。これを行っていると主張できる者は今日ほとんどいない。それどころか、人間は自然界の豊かな寛大さを濫用し、その上を土足で踏み荒らす。多くの者がこの問題に目覚めつつあることは本当だが、それがすべての者の関心事として理解されて、世界的規模で取り組まれるようになるまで、方向を転換させる上での進歩はほとんどないだろう。
 もし人間がこの差し迫った困難を無視すれば、それが人類にとってどれほど危険かを、マイトレーヤが心に留めていることは確かである。マイトレーヤはすべての人間がこの惑星の復興のために働くことを促されるだろう。そしてより簡素な、より幸せな人生への道を指し示されるだろう。
(『覚者は語る』─偉大なる母─より)

 マイトレーヤの教えの基礎は正しい関係です──人と人、人と神との間、人とその環境、惑星との間の正しい関係です。人間と自然と神は一つであり、惑星(とその中のすべての王国)の適切な保護は全体の福利のために欠くことができないことを、我々は理解するようになるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

 人類は神の王国と人間より下位の王国を結ぶ王国であり、そのような王国として大きな責任を抱える。なぜなら、いつの日か人類王国自体が、下位の王国の進化の過程の幕を開け、コントロールするようになることが計画されているのだから。これは多くの者が考えるように遠い未来のことではない。なぜなら、人間はいま意識の大いなる拡大の瀬戸際にあり、それが達成されるとき、想像しがたいほどの力(パワー)と知識が人間の手のうちに提供されるだろう。……
 ……動物王国の中に、人間のエネルギー的刺激を通して、深遠な変化が起こるだろう。知性の要素が急速に成長し、人間のマインドの影響のもとに、二つの王国の間に新しい協力が可能になるだろう。多くのいにしえの形態は、彼らの目的を果たし終えて、死に絶えるだろう。しかし、人間によって鼓舞され、導かれて、思考に対する新しい感覚と反応が動物の中に顕(あらわ)れるだろう。それが動物と人間の間の新しい関係の樹立につながる──神の大計画に沿って進行するもう一つのことである。
(『覚者は語る』─結び付ける王国─より)

 人類は意識の大変革を経験する時点に近づきつつあり、お互い同士の関係、宇宙や自然との関係、そして私たちが普通「神」と呼んでいるものとの関係を全く新しいやり方で認識し始めています。宇宙のあらゆるものは互いに関連し合っている、とマイトレーヤは言われます。つながっていない部分はありません。だから私たちが自分自身に対してすることは自然に対してもすることであり、自然に対してすることは、神の反映としての私たち自身にしていることなのです。私たちは神と呼ぶ全的意識の一部分、反映なのです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 人類は自己(真我)に目覚め、人間の真の目的に気付く門口に立つ。目的とは、すなわちこの惑星に入って来るエネルギーの区分室として働き、またこれらのエネルギーを最も科学的な方法で、自然界の下層王国(動・植・鉱物界)へ伝導する働きである。これをなすことによって、人間は、われわれが神と呼ぶすべての顕されたものの源である、あの大いなる実在の共働者となっていく。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

 私たちの価値観を変えねばなりません。生活の優先順位は第一に地球惑星を太陽系内の生存に適した存在として存続させることにあります。それゆえ、環境が根本的な関心事の一つとならねばなりません。自然と人類、そしてすべての生命の間に相互関係があるということを私たちは認識するようになるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

ノック、ノック!

次の2通は同じ人物からのものです。

編集長殿
 (1)私たちの家は9カ月近くも売りに出されています(手紙は2005年6月に書かれた)。多くの見学者が来て、二度売却にこぎ着けましたが、契約不成立に終わりました。ほんの数日前に家は売れたと思っていましたが、その女性は買わないと決心したことが分かりました。私たちにとって売りに出す理由は、私が階段を使うのに不自由があり、また日曜日に瞑想をするグループがあって、私たちの購入したい平屋の住宅のほうが、居間を使う必要がなくなるために、より瞑想にふさわしいからなのです。
 金曜日に私たちは諦めの心境でした。土曜日の昼食時に二人連れがドアをノックして、1時30分に家を見学する予約をしたと言い、予約は不動産業者(仲介業者)が行ったということでした。
 私たちは予約について何も知りませんでしたが、彼らに家の見学をしてもらいました。男性は黒人で、女性は白人でした。それはとても風変わりな見学でした。彼らは大変に陽気で楽しそうで、家の肯定的な所ばかりを取り上げてくれました。彼らは名前もどこから来たかも言いませんでした。
 私は階段に大きなイエスの像を置いていますが、その女性はそれを見ると、とても興味深い物を持っていると言いました。彼らが帰る時、私たち両方と握手をして、不動産業者に連絡して、知らせを受けなかった懸念を伝えるべきだと言いました。
 彼らが帰ると、私は売買を担当している業者に電話をしましたが、誰もその二人連れに私たちの家のことを伝えていませんでした。最初私たちは誰かがドアをノックして、見学することにしただけだと思いましたが、もっと良く考えてみて、それがイエスとマイトレーヤだったかもしれないのではと思うようになりました。その二人連れの訪問の後、私たちは売却を続けていく元気が出たと感じました。不動産業者からは危険なので、このようなことを二度としないように忠告されました。どうかあなたの師に、我が家に来た二人連れについて尋ねていただけますか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

王子の風格

編集長殿
 (2)最近の(手紙は2004年6月に書かれた)イタリアのローマへの訪問で、私はスペイン階段のふもとにある噴水に腰掛けていました。一人の若者が私の隣に座っているのに気づきましたが、彼は(英国の)ウィリアム王子に似ていました。彼は座ってほとんど前を向いていたので、彼の瞳は見ることができませんでしたが、彼から目を離せませんでした。彼はとてつもなく特別な人物だと感じていました。会話を始めたかったのですが、自分から話しかけることはできませんでした。
 20分ほどすると、彼は立ち上がり、去っていきましたが、その間も全く振り返ることはありませんでした。私は彼が去ってがっかりしましたが、同時に気持ちが高揚していました。
 その若い男性はどなたでしたか。
A.ラム
英国、サットン・コールドフィールド
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

抵抗し難い存在

編集長殿
 (1)私は(2005年に)地元のモントリオールにある(大きな商店街の)モン=ロワイヤル通りを、親しい友人と連れ立って散歩していました。突然、どうしてかわからないまま振り返らなければという気持ちになり振り返ると、通りの反対側にハンサムな男性が見えて、とても背が高く、インドの男性のような格好で、白と茶と黒のチュニックに黒いターバンを頭に巻いていました。
 彼は力強い輝きを放っていました。私は友人に振り返って自分の目で、その男性がどれほど美しいか見るように言いました。まさにその瞬間、その男性が私たちをチラッと見て、手を振ったのです。彼はどなたでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

名で呼び合う間柄

 (2)私はある小さな店にウールの毛糸を買いに行ったことがあります。そこの男性がたまたま店のオーナーで、私になぜ100%の純毛が欲しいのか尋ねてきました。私は彼に「ヨガ用マット」を編んで、瞑想用クッションの上に置きたいと思っていることを伝えました。彼は私に一体どんな瞑想なのか尋ねてきて、私たちは長い時間、イエスについて、その男性自身の信念や、私の信念などといった様々な話題について話しました。私たちがおしゃべりをしていた時、彼が私を名前のシルヴィーで呼んだので、私は一瞬心臓が止まりました。私は本当に怖くなり、どうであろうと、その男性が以前は私を知らなかったし、私も自分の名前を言わなかったのですから。少し経って会話がさらに続くと、彼がまた私の名前を言いました。私はどうして名前がわかったのか尋ねました。彼はリラックスしたままで、「ああ、そうだね、私は腕の良い心理学者だから」と言ったのです。私が帰ろうとすると、彼から私の両頬にキスしてもいいか尋ねられて、私は「もちろん!」と答えました。私は涙を見せないように相当我慢しなければなりませんでした。彼は私を店のドアへと連れていき、「もし戻ってきたくなったら、私とまた会うことができますよ。でも6月までにはこの店を閉めるつもりなので、もう店はなくなってしまいます」と言いました。
 この男性はどなたでしたか。ありがとうございます。
シルヴィー・ロドリゲス
カナダ、モントリオール
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

二度の目撃?

編集長殿
 少し前に(手紙は2005年に書かれた)、三人の仕事仲間と私は飛行機で、政府機関との特別会合のためにストックホルムへ行きました。スウェーデン南部にあるエンゲルホルム空港で出発を待っていた時、私たちは背が高く黒い髪のハンサムな男性で、素晴らしく青い親しみの持てる瞳の人物を見ました。彼は私たちを通り過ぎてから腰を下ろしました。気づくと、彼に魅了されているのは私たちだけでした。その男性は飛行機の中で、私たちのちょうど前の席に来て座りました。ストックホルムに到着すると、シティ・ターミナルに向かう空港バスの中では彼を見かけませんでした。私たちはターミナルから直接数ブロック先の会議場に向かいました。実り多い会議を終えて、私たちがちょうど帰ろうとしていた時、空港での同じ男性が、その事務所のラウンジを横切る通路から出てくるのを見たのです。私たちは空港へのバスに乗らなければならなかったので、近寄って見てみる時間はありませんでした。ストックホルムの事務所での二度目の出会いは偶然だったのか、それとも……。
カール・B・インゲルソン
スウェーデン、クリッパン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

ただの映画以上のもの

編集長殿
 2020年1月に、二人の友人と私は新しく公開されたサム・メンデスの映画『1917 命をかけた伝令(邦題)』を見るために映画館に出かけましたが、その映画は第一次世界大戦での塹壕戦の容赦のない現実を描いているものです。私は行きたくありませんでした。これまでとてもたくさんの戦争映画を見てきましたが、すべて同じ物語を描いているものだったからです。けれども批評によると、単にこの映画は特別だというだけではないと言われていて、友人は新しい物の見方をもたらすかもしれないと考えていました。それで私も一緒に行くことにして、最善を求めるのはやめました。
 満員の映画館で席に座るとすぐに、帽子のように頭の周りが、柔らかなエネルギーのクッションで包まれる感じがしました。驚きと困惑がありました。この感覚の中でリラックスしていようと決心して、動揺しないようにと思っていました。けれどもこの決心は映画が始まる前から試練にあったのです! ユニセフの広告を含む宣伝が流れ、子供たちが戦争で荒廃した都市の景観の中で歌っている映像や、1年で300万人に上る子供たちの飢餓による死亡を追悼するものでした。それは非常に痛ましいことで、何とか泣くまいと頑張っていました。泣かずにいられた唯一の理由は、私の霊的ハートセンターであると信じているものにも、等しく強力な反応があったからでした。それは温かく、力強く、そして解放されていると感じました。
 この反応は、私が映画そのものに引き込まれ、私には人類の旅路を暗示するものに思われる物語が展開するのを、見ていくにつれて高まっていきましたが、それは『こちら側』とか『あちら側』、あるいはこの恐ろしい戦火をもたらした勢力やエネルギーとは関係のないものであり、自分たち自身を越えて手を差し伸べること、その過程で同胞愛、思いやりや人間性を見いだすことと大いに関係があるのです。深い感動の体験は、疲弊の果ての平和としか表現しようのない解決へと導く主人公として、視聴者を同じ旅路に連れていくのです。私が怖れていたよりも、ずっと重い苦悩が残りましたが、同時に溢れる思いやりと人間性への強い願望も感じていました。
 エネルギーの効果は私の中に2時間の映画の間中と、翌日まで留まっていました。それは持続する強烈な祝福のようでした。これを体験したのが、私だけだったのかどうかはわかりません。観客は初めから終わりまで映画にくぎ付けでした。誰も動きませんでした! つまりおそらく似たようなことが、そこにいた他の人々にも起こったのかもしれません。私がそう思いたいのは、覚者方があらゆる機会をとらえて、私たちにとって最善なものをもたらしてくださると知っているからなのです。
匿名希望

手を取り合って

編集長殿
 良き友人であり、共働者でもある人がたくさんの問題を抱えていて、私は彼女をとても気の毒に思っていました。ベンジャミン・クレーム氏や覚者方の仕事との長年の関わりから、私は人々がどのような状況でも、神様かマイトレーヤ、あるいは覚者方に助けを求めても良いと知っています。
 私は友人に、アジュナセンターに集中して助けを願い、マイトレーヤの名の下に助けを求めるある種の祈りを捧げるように伝えました。私も一緒に祈り、私たちは二人共非常に強力なエネルギーを感じました。
 その同じ日の後になって、私の家のベランダにあるテーブルに大きな手形を見つけたのです。それは私の手形ではなく、私は2階に住んでいて、私のアパートの部屋は建物の裏側になります。間違いなく、真昼間に私のベランダに上ろうとは考えもしないでしょう。
A.A.
オランダ、アムステルダム
【編集者注:マイトレーヤはスペインのバルセロナにある、アパートの鏡に3次元の手形を現した。初出は本誌2001年10月号で、手は治癒のエネルギーやマイトレーヤの助けを喚起する手段である】

次の3通は同じ人物からのものです。

希望のビジョン

 (1)2020年3月31日に、私が猫に餌をやるために朝7時20分に起きて、カーテンを開けると、丘の前の地平線の驚くべき光景に本当にびっくりしたのですが、非常に明るく輝く光が巨大な星のように見えていたのです。私はメガネを取りに行きましたが、その瞬間『星』がゆっくりと雲の背後に消え始めたのです。まるでもはや自分の身体に存在しないかのような、素晴らしい平安を感じ、この感覚は一日中残っていました。そのひと月の間、私に現れてくれるように宇宙の兄弟方に訴え続けていたのです。この手紙を読み直していると、ハートチャクラに再び温かさを感じて、泣き出さずにはいられません。

今でも私たちと共に

 (2)2020年4月1日の水曜日、私は伝導瞑想のためにパリのグループとつながっていました。数分後、私はベンジャミン・クレーム氏の存在を感じ、彼からの祝福を受けて泣き出してしまいました。ベンジャミンさんありがとう、彼は(まだ)私たちと共にいます!

心に触れて

 (3)2005年6月にパリで、グループメンバーとのミーティングの時、私たちはその日のテーマを大宣言の日に決めて、マイトレーヤと覚者方の出現についての公開講演で話す練習をしていました。私が話をしようとした時、わっと泣き出してしまい、同時にハートセンターに強烈なエネルギーを感じていました。それは15分ほど続き、その晩家に帰っても、その影響を感じました。翌晩の伝導瞑想で、その出来事についてグループに何と言ったら良いかわかりませんでした。
同じことが起こったのは、オリビエ・ダネスが日曜夜の「ラジオ今&ここ」で大宣言の日について話をした時でした。
ジェシカ・メハディ
フランス、トゥック
【ベンジャミン・クレームの師は、それがイエス覚者からの祝福であったことを確認した】

「元気を出して、平常心で」

編集長殿
 今朝、2020年3月22日に、私の部屋の描画のコピーに強く注意を引かれました。私の机に座って見えやすいものなのに、長い間それを意識して見ていませんでした。けれども今になってそこにあるのです!
 それは驚くほど美しく力強い描画で、当時シェア・インターナショナル誌に特集で掲載されたことがあり、2011年の福島のメルトダウンの時、意気消沈した日本の人々に向けて、マイトレーヤが奇跡的に与えられました。幸福そうで穏やかに瞑想している人物の絵の下に、日本語の美しい(書道の)メッセージがあり、その意味をはっきりとは覚えていません。「元気を出して、平常心で」というようなものでした。
 マイトレーヤがこの素晴らしい贈り物を、あの特定の時期に日本の人々に贈られましたが、この現在の困難な時期にあって、それはやはり苦悩するすべての人類に向けての贈り物であり、メッセージであることは明らかでしょう。
匿名希望
【編集者注:正確な言葉は、「平常心、祈り」であった。本誌2011年5月号参照。津波の時に慰めと希望を与えるために、マイトレーヤが現されたものであった】

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 覚者方に止めることができるのなら、なぜ人々は毎日死んでいくのですか。

A なぜなら覚者方にはそれを止めることができないからです。止めることは許されていません。私たちは止めることができます。明日にでも止めることができます。明日から誰も死ななくて済むように、世界の資源を分配することができます。しかし、何百万もの人々が飢え死にしています。しかし、それは覚者方の責任ではありません。私たちの責任です。
 自由意志と呼ばれる偉大な法則があります。自由意志を支配する法則は、覚者方が、私たちが自分ですべきことを私たちのためにすることを許しません。そうするならば、私たちは決して成長しないでしょう。進化しないでしょう。覚者になることはないでしょう。もし覚者方が私たちのためにすべてをしてくださるならば、私たちはこの世における私たちの運命である進化を達成することは決してないでしょう。私たちはそれが自分の責任であることを認識しなければなりません。
 人々が死んでいくというのは恐ろしい犯罪です。人々は言います、「なぜ神はこれを許されるのだろう?」それは神とは関係がありません。私たちに関係があるのです。私たちは互いに責任を持っています。そのために私たちはここにいるのです。私たちはお互いの面倒を見るためにここにいるのです。それが家族のしていることであり、それに気づくのが早ければ早いほど、私たちの暮らしはよくなるでしょう。
 ですから、それは覚者方の問題ではありません。私たち個々人が、人間としての責任を担うべきであり、人間であるということは神であるということです。それは同じことです。
 個々の人類が、人類と呼ばれるものと神と呼ばれるものは同じであることに気づくときが来るでしょう。そこに区別はありません。何の分離もありません。それは全宇宙を通して同じです。すべての部分、生命のあらゆる要素は他の部分に関係しており、宇宙全体を通して分離しているものはありません。私たちは分離しているという考えは大いなる異端です。

Q 「愛」という言葉についてほとんどの人は、ロマンチックな愛や母の子に対する愛のようなことを思い浮かべると思います。愛にはそれ以上のものがあるのですか。愛についてもっと深い理解が存在するのですか。

A はい、そのとおりです。母子愛や恋愛も愛の一様相ですが、愛とは本当はとてつもないエネルギーです。それはキリスト原理、キリスト意識と呼ばれます。それは意識のエネルギーであり、物質の構成要素を結び付け、惑星を現実の凝集した状態に保つものです。「愛は世界を動かす」という言葉がありますが、文字通り愛は世界を動かしています。なぜなら、すべての生命の原子を共に保つあの凝集的な磁力的フォースがなければ世界は存在しないからです。
 この太陽系の本質は愛です──私たちの太陽系は第2光線であり、第2光線の本質は愛です。ですから、この太陽系に関する限り、神は愛です。イエスは人間として初めてこのことを示しました。愛としての神を人間として初めて完全な形で示しました。仏陀は、弟子であるゴータマを通して、同じ愛のエネルギーの知恵の様相を人間として初めて完全な形で示しました。マイトレーヤは、まだ完全な形で人間が示していない神の別の様相を持ち込まれます。私は彼の秘密を明かしたくありませんが、彼は私たちがまだ認識しておらず、来るべき時代に示すことになるであろう神の新しい様相を啓示されるでしょう。それが彼のもたらす啓示です。それはまだ知られていない神の新しい様相であり、まだこの世で断片的にしか示されていないものです。

Q マイトレーヤは愛の主と呼ばれますが、彼は「悲しみの男で悲嘆を知る者」であるとも読んだことがあります。マイトレーヤに関するこの記述はどちらも正しいですか。

A 「悲しみの男」という記述は、マイトレーヤを代理したイエスについてのものです。イエスはマイトレーヤによってオーバーシャドウされましたが、それは単にイエスについての記述ではありません。イエスは「悲しみの男であり悲嘆を知る者」であると考えられていますが、実際にそのとおりです。彼は十字架につけられましたが、この記述の真の意味は、マイトレーヤは世界の悲しみについて知っている者であるということです。彼はこの世の苦しみについて知っています。もしあなたが愛の主であるマイトレーヤの心の中を見ることができれば、そこには疑いなく神の愛を見るでしょう。しかし同時に、そこにあなたが見るのは彼が毎瞬、携えているものです。つまり、あらゆる悲しみ、悲嘆、苦しみ、屈辱、恥辱、全人類の絶望です。それがマイトレーヤの心にあるものです。あなたはそれに一瞬でも耐えることはできないでしょうが、彼はそれと共に歩んでおられます。彼はこの世におり、絶えず私たちの悲しみと共にあります。
 彼が言われたように、彼の見地からは彼と私たちの間に分離は存在しません。私たちのすべての悲しみ、痛み、苦しみ、悲嘆を彼は分かち合われます。絶望、何百万もの人々の絶望的な貧しい暮らしは、彼が日々働かれる中で、キリストにとっての生きた現実です。あの記述の意味はそういうことです。そしてそれ故に、彼が愛の主であるが故に、彼はこの悲しみの叫びに応えることできるのです。それが彼がこの世にいる理由です。私たちが彼を世界に呼んだのです。1914年から1918年と1939年から1945年の世界大戦を通じて(マイトレーヤの見地からはそれは一つの戦争です)、私たちの助けを求める叫びはマイトレーヤが何千年も暮らしているヒマラヤの高所に届きました。そして彼は応えられたのです。私たちは、「助けてください。私たちが苦しんでいるのをあなたはご存じです。これはあまりに恐ろしく、これ以上はやって行けません」と呼びました。そして彼は応え、決断し、1945年6月に、世界に戻るという彼の意図を発表しました。その決定は1977年7月に彼がロンドンに来た時に成就し、そこで認知されるのを待っています。
(1996年7月、ロサンゼルスでのディック・ラーソンによるインタビュー)

Q これらのグループにおける合意とは何を意味するのですか。

A 合意が生じるのは、あるグループの「すべての」メンバーが、自由意志から、その自由意志を、大計画のために用い、自己の意志ではなく、神の意志のために、大計画への奉仕のために用いるときです。そのとき合意は自動的に生まれます。誰もが客観的で「自己から離れて」、仕事の価値と仕事の活動のみを客観的なものとして見るならば、彼らは自由意志を正しく用いています。そうでなければ、彼らの動機は入り混じっています。

2020年5月号目次

 

覚者より
分かち合いの弁護論
ベンジャミン・クレーム筆記

マイトレーヤからのメッセージ 第101信

視点
この物理的に離れた時代に一つになろう
デビッド・スズキ

今月号の内容概説

最低所得保障を実現するのは今
エリッサ・グラーフ

変化、愛、和合の必要性
グラハム・ピーブルズ

50個のサンドイッチ――アメリカでホームレスの人間性を回復する
ジェイソン・フランシスによるジャスティン・ワイルダー・ドーリング氏へのインタビュー

危機から生まれる親切さ
ワンジャ・アムリン

「私たちは最も弱いものと同じ程度にしか強くはない」
アントニオ・グテーレス氏が世界へ訴えかける

時代の徴
世界中に溢れる奇跡
世界中で目撃されるUFO

回復力
ドミニク・アブデルヌール
商業至上主義と市場のフォース

正義と和合 一選集
Justice and Unity — a compilation

“いかなる犠牲を払ってでも”——次にやって来る(津波のような) 波
リュック・ギロリー

編集長への手紙
マイトレーヤ以外に誰が 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

分かち合いの弁護論

 シェア・インターナショナル誌には創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者が毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。覚者によって書かれた記事は常に時間を超越して関連性を保っている。1987年3月に書かれたこの記事が選ばれたのは、これがこの惑星上のあらゆるいのちの相互依存性を明らかにしており、また特に集合体としての人類と個人の特有の役割が、マイトレーヤと覚者方の援助のもとで、正義ある未来を創造するであろうこと、そしてそれができることを強調しているからである。

分かち合いの弁護論

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人類が大いなる決断をしなければならない時が間もなくやって来るだろう。至るところで分離分裂に悩まされている今日、人類を取り巻く多くの問題に対して新しい対処の仕方が見いだされなければならない。そのような新しい対処なしには、不気味な未来が人類を待つことは疑いない。
 歴史上、現在のような状況や条件が地上に存在した時はかつてなかった。地球上にこれほど多くの魂が共存したことはなかった。グループ間の不和分裂がこれほど痛ましいものであったことはなかった。今、人間が握っているような大きな破壊の力を、人間はかつて支配したことはなかった。これは、地上のすべての王国の生命を破壊する力を人間に与える。そのような破壊の恐れがあるとき、人はよく吟味し、新しい進み方を案出しなければならない。
 可能な限りのすべての方法の中で、いまだ試みられていないことが一つだけ残っている。人間の歴史を通じて、一つの単純な答えを人間は把握し得なかった。分かち合いの原則が、人間の必要に応え、多くの問題を解決する唯一のものである。なぜなら、それは神ご自身の計画にとって根本的なことであるから。分かち合わなければ、人間は己の神性を否定し、未来のすべての災いを貯えることになる。分かち合わなければ、邪悪な無秩序が君臨し、人間の生得の権利である神の正義は人間から差し控えられるであろう。分かち合いのみが、同胞愛という神の計画を確立し、分離という罪悪を世界から取り除く機会を提供する。
 分かち合いを欠いて、いかに人間は存続し得るだろうか? 分かち合いなしに、いかに生き延びることを望み得ようか? 国家間の現在の不均衡はあまりにも大きく、運だけでは人間を見届けるに十分でない。致命的な病──分離と貪欲──は地上に蔓延し、治療の効果をあげるには徹底的な手段を要する。
 外的な混乱にもかかわらず、単純な治療が手近にある。長いこと引き延ばされた人類の試験はほとんど終わりにきている。人間をいまだ奴隷の身分に縛りつけている勢力に向かって勢揃いした光のハイアラキーが、彼らの歩んできた道をもう一度引き返し、真理の旗印のもとに共に立つ。
 マイトレーヤの使命は分かち合うことを人間に訴えることで始まる。人間の心(ハート)を知るマイトレーヤは、人間の選択を、そして彼らが必要な変化を起こす用意があることを確信しておられる。「人間は生きるか、死ぬか」とマイトレーヤは言われた──人間が分かち合うことを選び、そして生き、彼と共により良い未来を創造するだろうと、十分に承知しながら、言われたのである。
 現在まで、人間が問題解決のために行ってきた努力はすべて、現存の機構を維持することに向けられてきた──それらがいかに不公平なものであるかが証明されているにもかかわらず。至るところにある不和分裂が解決を叫び求め、正義の法が適用されることを待つ。
 彼らの指導者たちが言い争うのを聞きながら、恐怖が多くの者の心を捉える。彼らの指導者たちを後方に置き去りにする時がやって来つつある。人間は自由への呼びかけに目覚めつつあり、世界を正すために真のリーダーシップのみを必要とする。マイトレーヤは道を示し、人間を同胞愛と正義に導くためにやって来られた。彼の賢明な指揮のもとに、新しい時代が始まり、人間の真の神性が顕示されるだろう。分かち合いと協力の手段が確立され、このようにして神の計画は成就されるだろう。

マイトレーヤからのメッセージ 第101信

1980年3月26日発

親愛なる友よ、
再びこのようなかたちで、あなたがたと共に居ることをまことにうれしく思う。

もうすぐ、我が友よ、あなたがたはわたしを見る。
昔の兄の再来を、あなたがたは実際に、目撃する。
かくして神の計画が成就されるのを見るのである、
なぜならわたしは、神の命令によってここに居るのであるから。
同じように、人類自身もわたしを呼んだ、
そしてわたしは喜んでその呼びかけに応えたのである。

正義は、行われねばならず、必ずや、行われるであろう。
世界は正義を切望する。
正義と愛の欠如こそが、今日、人間を取り巻く問題の真の原因である。
これらの聖なる様相が、もし明日にでも施行されるならば、
新たな楽しさが、あなたがたの生活を彩るであろう。
愛と公平なる分かち合いというありがたい贈物は、神から出づるものである。
それを正しく実践することによってのみ、神を識ることができる。
人々にこれを教えなさい、我が友よ、
それは、偉大で単純な真理を教えることになる。

人は、わたしを見るとき、素朴なそして義にかなった男を見るであろう。
神を識るものはすべて、この特性を顕している。
そのような特性を持つ者の中に、わたしを探しなさい。

いまやわたしの臨在は確立された事実であるから、
わたしは人間の問題をより明確に見ることができる。
それらは多様である、我が友よ、しかし一つの単純な原因から発している。
単なる愛の欠如が、今日の人間の苦悩の根源である。
これこそが、人の聖なる素質の顕現を妨げている。
神の様相のすべては人の裡に在る、しかし愛がなければ苦悩のみ生じる。
長い間、我が友よ、あなたがたはこのことを知っていた。
以前に、何度も愛の必要を聞いた。
にもかかわらず、その聖なる様相が、あなたがたの生活の中に欠けている。

愛を通して神に至る単純な道を示すために、
愛の技術を教え、
愛と正義とを通して前進する道を教え、
人と人との間の正しい関係、そして人と神との間の正しい関係を教えるために、
わたしはやってきたのである。

だから、あなたがたがこの素朴な男を見るとき、彼を認知しなさい。
そして彼を兄弟と呼びなさい、
なぜならわたしはすべての人間の兄弟として現れるのであるから――
あなたがたの手を取って、御父のもとにお連れしよう。
あなたがたの未来のすばらしき光景を見せ、
あなたがたの裡に、奉仕しようとする意志を確立し、
あなたがたと共に真理の都を、愛の宮殿を創り、
あなたがたを前方へと導き、神のもとへ連れて還るために、わたしは現れる。

唯一にして最も聖なる神の光と愛と力とが、
あなたがたの心(ハートとマインド)の裡に、今顕されるように。
それによって、あなたがたの本源に、わたしと共に還れるように。

今月号の内容概説

 至るところの人々や私たちの貴重な惑星が遭遇した恐ろしい窮状を私たちは共に経験している。そのため、シェア・インターナショナルの協働者たちは世界の人々と共に悲しみ、そして悲嘆している。人類は、たとえ辛くとも、私たちが一つであり、相互依存の関係にあり、私たちと私たちの制度すべてが脆弱であることを学んでいる。私たちに共通の人間性とすべての生命に配慮する義務に基づいた非常に違った世界を創造する必要性が、私たちに明らかになりつつある。時代は困難であり、何百万もの人々が苦しんでいる。そして、私たちに共通の困難のために、今月号では、問題を検証し、人類が今直面している悲惨な状況に説明と癒しをもたらす希望と前向きなアイディアを提供する。
 世界が再び「いつも通りの状態」に戻ることができないことは今や明らかであるが、中央銀行、株式市場、巨大化した多国籍企業、既得権益を有する人々はこの現実を受け入れるだろうか。世界的な制度が崩壊の危機に瀕しているため、政府と「マネーの男たち」は、分裂、社会的不正、および現在の沈滞につながった構造を補強する方法をすでに計画している。今月号の本誌のページは、グローバルな変革を求める世界中からの叫びを反映している。例えば、全国民向けの最低所得保障(ユニバーサル・ベーシック・インカム)の要求の高まり(次ページの「最低所得保障を実現するのは今」を参照)であるが、ベンジャミン・クレームの師である覚者は明白な解決策を指し示している。「分かち合いの原則が、人間の必要に応え、多くの問題を解決する唯一のものである。なぜなら、それは神ご自身の計画にとって根本的なことであるから」
 「世界は正義を切望する。正義と愛の欠如こそが、今日、人間を取り巻く問題の真の原因である。これらの聖なる様相が、もし明日にでも施行されるならば、新たな楽しさが、あなたがたの生活を彩るであろう……。
単なる愛の欠如が、今日の人間の苦悩の根源である。これこそが、人の聖なる素質の顕現を妨げている」
 マイトレーヤのメッセージ第101信を読むと、問題と解決策はより明確になる。
 多くの人がこの危機を機会と見ている。今月号に掲載できればと思ってきた尊敬されている著名な方々の声は、根本的な変化を促している。著作家のジェレミー・レントの言葉を引用すると、私たちは「もっと大きく考える」べきである。「コロナウイルスの流行による長期的な影響について何かを考えたとしても、おそらく十分に大きく考えてはいないでしょう」。フランシスコ教皇は「希望の感染」について語った。「今やこれまで以上に、人々、地域社会、国民を中心に置いて、癒し、配慮し、分かち合うために団結しなければなりません。……私たちの文明──とても競争的で、とても個人主義的で、生産と消費の熱狂的なリズム、浪費的な贅沢品、極少数の人々のための不相応な利益を有する──を切り詰め、吟味し、そして生まれ変わらせることが必要です」
 今月の通信者たちは、新型コロナウイルスの危機がもたらす機会を強調し、暗闇の中で開花しつつある回復力と生来の優しさを見ている。
 今月の「選集」でベンジャミン・クレームの師である覚者は私たちすべてに要求しているが、その答えは次のように示されている。「世界は一つであるのに、いかで二つの世界が存在し得ようか。法はすべての人間に対して同じであるのに、いかで分割があり得ようか。やがて人間は、大勢の人々の苦しみは総体の病であることを理解し、そして正義のみがその治療法であることを理解するだろう」

50個のサンドイッチ―アメリカでホームレスの人間性を回復する

ジェイソン・フランシスによる
ジャスティン・ワイルダー・ドーリング氏へのインタビュー

「50個のサンドイッチ(Fifty Sandwiches)」は非営利のプロジェクトであり、ホームレスになってしまった人々と、ホームレスの横を通り過ぎておそらく無視することを選ぶか、ただ単にホームレスを理解しない人々との間に理解の架け橋をつくり出そうとしている。ジャスティン・ワイルダー・ドーリング氏は「50 個のサンドイッチ」の創設者である。彼はアメリカ中を巡り、ホームレスの人々にインタビューをしていた。その過程でドーリング氏は、ホームレスであるとはどういうことか、ホームレスとは誰かということに関して厳しい現実を見た。それは多くの場合、社会の先入観に反するものである。彼はまた『50個のサンドイッチ──ホームレスの人間性を回復する(Fifty Sandwiches: Humanize the Homeless)』という本を著した。ジェイソン・フランシスが、本誌のために彼にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): あなたは何をきっかけとして、アメリカ中を巡り、ホームレスになってしまった人々にインタビューをするようになったのですか。
ジャスティン・ワイルダー・ドーリング: 私は15歳の時にある考えを持ちました。私はよく路上でホームレスの人々を見てきました。しかし、本能的な反応、特に私の家族の本能的反応は、ただ単に近寄らないというものでした。家族を守るために、威圧的に見える人には近寄りたくないと思うでしょう。誰もホームレスから始めようとするわけではなく、そこには物語があるはずだと私は思いました。ですから私は、大学卒業後にこのアイディアを行動に移すことに決めました。幸運にも「キックスターター」というクラウドファンディングのサービスを見つけ、プロジェクトを開始しました。私はバンを購入して105日間アメリカ中を巡り、物語や体験談を集めました。

固定観念を破る

SI:あなたの仕事は、ホームレスに関して「認識と現実の間の隔たりに架け橋をつくる」ことです。あなたは、そうした認識について少しお話をされました。現実とはどのように違うのですか。
ドーリング: 認識は相当異なり、それは実際、ホームレスは依存症や精神疾患や選択の結果であるという固定観念に基づいています。たとえそのような固定観念に多少の根拠があったとしても、私はそれ以上のものがあることを物語によって示したかったのです。もしホームレスを選んだり依存症になったりするとしたら、明らかにその人には精神疾患よりももっと多くのいろいろなことがあります。私は問題の背後にある複雑さを示したかっただけなのです。プロジェクトが進行する中で、私がインタビューした人々はそれぞれが違っていて多様であり、アメリカのホームレスの状況を少しでも理解することができました。

SI:人々がどのようにホームレスになったのか、家のない生活はどのようなものかについて、あなたが聞かれた物語をお話しいただけますか。
ドーリング:私は大学教授をしていたある男性と話をしました。彼はカビが見つかったために自宅から立ち退くことになりました。また、お母さんが亡くなり医療費が払えないというだけの理由でホームレスになった女性とも話をしました。多くの人が予期していなかったことに遭遇し、路上生活をしなくて済むような貯蓄や援助がないだけでホームレスになりました。私は長期プログラムに従う避難所でインタビューを行いました。路上生活をしていれば、脆弱な立場にあります。手元から離した荷物が盗まれたり、他人に付け込まれたりする恐怖の下に常に置かれます。本当に多くの人が私に物語を話したがることに驚きました。私はバンの中に住んでいて、綺麗だったとは言えません。そして、カメラを持ち運んでいました。人々がホームレスの体験と、ホームレスになった経緯について明かすことを望んでいることに驚きました。

SI:多くのホームレスの家族や子供がいましたか。
ドーリング:非常に多くのホームレスの家族がいました。私の本で紹介した家族は、その中の一部です。問題は、こうしたインタビューを集めることが非常に難しいことです。なぜなら、彼らのほとんどはすでに避難所に入っているか、ウォルマートの駐車場で自分の車の中で寝ているからです。物語を集めることに関して、問題の大きさを公平に評価することはできないと思いました。

SI:あなたがアメリカ中を巡ってインタビューをしていたときに、身の回りの必要をどのように満たしていたのですか。
ドーリング:私はプラネット・フィットネスというジムの会員であり、そこでシャワーを浴びることができましたが、衛生状態は急落しました。しかしながら、私はミニマリストのライフスタイルを楽しみました。しかし大抵の場合、ほとんど例外なくウォルマートの駐車場で寝ていました。米とソーセージを食べ、わずかな予算で生活しました。私がホームレスの真似をしたがっていると思う人もいました。バンに住んでいましたが、本当に素晴らしい援助の制度と行く場所がありました。決してホームレスの体験の真似をしたかったわけではありません。ホームレスについて学びたかっただけなのです。

SI:あなたは旅をする中で、幾つの州や都市や町に行きましたか。
ドーリング:1万4,000マイルを走り、34の州と、同じ数だけの都市に行きました。

SI:ホームレスの人にインタビューをする際に、どのようにアプローチするのですか。気配りや共感やプライバシーの尊重が必要に違いありません。
ドーリング:私は最初のうち神経質でしたが、人々にインタビューをし、心を開いてもらうことが少しずつ上手くなっていきました。堅苦しくならないように話しかけました。二人の見知らぬ人が議論しているようでした。もっと心地よく感じて、自分について打ち明けてもらえるように、私自身の個人的な苦難と、私がどのような逆境に遭遇したかを話すことが必要だと感じました。それは、会話をしながら体験を分かち合う二人の間の一時的なつながりのようでした。

SI:「50個のサンドイッチ」という名前はどこから来たのですか。
ドーリング:私の当初のアイディアは、国中を巡り、インタビューと引き換えにホームレスの人々に食事を提供するというものでした。アイディアは、二人の見知らぬ人同士がランチを囲んで話をするというものでした。もちろん実際の旅では、誰かが一時避難所にいて長期プログラムに従っている場合、インタビューのために外出できないことが分かりました。路上生活者の場合は、所有物を後に残してレストランのランチに出かけることはできません。私が誰かをランチに連れ出すことができたのが数回だけであることを考慮すれば、プロジェクト名自体がほとんど不適切なものになりました。

SI:今までに何人の人にインタビューしましたか。
ドーリング:およそ150人から200人です。

それはあなたにも起こるかもしれない

SI:あなたが会った人や聞いた物語の中で、何か特別に感銘を受けたものはありますか。
ドーリング:毎回のインタビューで、私の最後の質問はこうです。「ホームレスの体験がどのようなものかについて社会に対して何か言うことができるとしたら、何と言いますか」。 そのような答えの圧倒的多数は、次のような気持ちに行きつきます。私たちは皆同じであり、それはあなたにも起こるかもしれません、という気持ちです。それが、ホームレスを避けるために道を横切る人とホームレスの人自身を隔てる細い線を私が認識した時でした。大部分の人は予期しないことに遭遇してしまっただけであり、その場にいてどうしてよいか分からないのです。答えは、あなたが横を通り過ぎる人々には生涯にわたる経験、物語、苦難などがあることを結局は示しており、それはあなた自身のものと同じく複雑なものです。

SI:ホームレスの人々や家族と一緒に時間を過ごし彼らの人生の物語を聞くことは、あなたの人格やあなた自身のホームレスに対する見方をどのように変えましたか。
ドーリング:私が話したあらゆる人に関して、彼らと話をし、彼らの人生を掘り下げ、彼らをより深く理解するまでは、何を期待するかについて何も考えはありませんでした。まず私が学んだことは、一つひとつの物語がいかに多様であるかということです。ホームレス問題は、実際の問題というよりはむしろ、精神衛生事業や退役軍人、あるいは医療のいずれにせよ、失敗した社会構造の結果であると私は思いました。個人的な成長と発展の観点では、相手がホームレスであってもなくても、毎日路上で見かける人に対する新たな共感が得られました。それは私を個人的に大きく成長させてくれたと思います。特に見知らぬ人に話しかけ、体験を分かち合い、個人として成長し発展するために自分に可能なことを取り入れようとする姿勢においてです。

SI:精神疾患、物質使用障害、HIV/エイズなどの深刻な健康問題を抱える人々への支援サービスと居住支援を組み合わせた恒久的な支援住宅については、どのようにお考えでしょうか。それはホームレス問題への費用効率の高い成功した解決策だと一般には考えられています。
ドーリング:恒久的な住宅という選択肢は、ホームレスの人々が恒久的に自立できるように支援する活動を行う極めて重要なプログラムの有効性を高めます。簡単な食事や数ドルが問題を解決すると信じたいところですが、短期的な解決策は長期的な安定性をもたらしません。より没入型のプログラムは、援助を受ける人々から一貫性と専念を要求します。そのような姿勢があれば、このようなプログラムは包括的アプローチを提供します。それはホームレスに住宅を提供するだけではなく、先に進むために単なる安定した住宅の提供以上のものを必要とする人々への援助を提供することで、ホームレス問題の原因に対処するものです。

(詳しくは次を参照: fiftysandwiches.com)

正義と和合――選集

Justice and Unity ── a compilation

 世界は一つであるのに、いかで二つの世界が存在し得ようか。法はすべての人間に対して同じであるのに、いかで分割があり得ようか。やがて人間は、大勢の人々の苦しみは総体の病であることを理解し、そして正義のみがその治療法であることを理解するだろう。
(『覚者は語る 1』─正義は神聖なり─より)

 これまで愛してきたものすべてを、蓄積し獲得してきたものすべてを失うことを恐れて、わたしの到来を恐怖のうちに待つ者が多い。恐れるでない、我が友よ、失うものは単に分離や分割であり、恐れや妬みや憎しみである。これらを地上から捨て去るために、すべてが創り直されねばならない。これを悟りなさい、我が友よ、そして分かち合う覚悟をし、あなたの兄弟をあなた自身として見、彼と腕を組み、そして友と呼びなさい。このようにして、我が兄弟よ、あなたがたは神の計画を顕すのである。その計画の完成に向けてわたしは働き、あなたがたをわたしの側に招く。わたしと共に働きなさい、我が友よ、一緒にすべてのものを新しくしよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第125信より)

 私たちは霊性についての概念を拡大しなければなりません。そして霊的基盤にたつ政治、経済機構をつくらなければなりません。つまりそれは分かち合いと公正です。これらが霊的な様相です。マイトレーヤは言われます。「分かち合いは聖なることである……あなたが分かち合うとき、あなたの兄弟の裡に神を認知する」。これは単なる良いアイディア(観念)ではなく、聖なるアイディアです。神性の特性です。公正ということは聖なることです。自由は聖なることです。マイトレーヤは分かち合いを通して公正と自由を築く方法を私たちに示すためにやって来られます。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 もし人類が平和を知ろうとするならば、人類を一つとして見なければならない。それ以外のものは何も、人類をあの幸いなる状態に導かない。正義が支配し、貧乏人がもはや慈悲を請うことがなくなるとき、平和は確立される。正義なくして和合を考えることは不可能であり、人間は永久にそれをつかみとることはできないだろう。であるから、正義の支配を確立し、この苦悩する世界に和合と平和をもたらしなさい。
(『覚者は語る 1』─和合の必要─より)

 世界的相互依存というリアリティ(現実)がわれわれの認識の中で確立された事実となるだろう。そうなる時「すべての人間は兄弟姉妹である」という事実が制度機構や実際的活動計画の中にますます取り入れられて、この実体を反映するものとなるだろう。諸国家も同胞愛、共通の目標、共通の抱負を体験することができ、そうなるだろう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 ……和合へのこの願いが、グループに参加することが、グループの集合が、そして来るべき新しいアクエリアス(宝瓶宮)の時代におけるグループのこの真剣な努力こそが重要な仕事となるでしょう。重要な仕事で個人ベースで行われるものはないでしょう。グループ(集団)の時代です。その活動を世界全体が共に行い、地球という惑星の基本的和合を表現するようになるまで拡大していくでしょう。
(『協力の術(ルビ=すべ)』)

 次から次へと続く諸国家において、民衆の声はより焦点が絞られて明確になっている。何千万の人々が今や教育があり、彼らの必要──平和、仕事、将来への希望──について確信を持つ。ますます大きくなる和合への感覚もまた彼らの期待と要求を告げ始めている。彼らは自分たちが世界の中で孤立していないことを、至るところに同じ問題と必要を抱える多くの兄弟姉妹たちがいることを知っている。このようにして、マイトレーヤの臨在と教えに気づかなくても、彼らはマイトレーヤのエネルギーと影響に反応しつつあり、将来の枠組みを築きつつある。
(『覚者は語る 2』─和合へ向けた変化─より)

 神は多くの名前で知られている。わたしは神を愛と呼ぶ、また正義とも呼ぶ。愛と正義はどちらも我々の生活の礎である。わたしを探し求め、昔の兄を知りなさい。わたしのメッセージに耳を傾けなさい、我が友よ、そして共に喜びのうちにこの世を変えていこう。
(『いのちの水を運ぶ者』第38信より)

 政治、経済、社会、宗教、教育、文化のすべての制度と構造の根本的な変化を、我々は今まさに目撃しようとしている。これらの変化は、人類がその本質的な一体性を徐々に理解し、それを具現するために必要な手段を取るにつれて起こるだろう。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

 アクエリアス(宝瓶宮)の本質的特質は統合である、地球上における今日の生活の中には滅多に見られない特質である。しかしながら、統合の特質がますます勢いをつけて、生活のすべての分野で今日の分裂と不調和に取って代わるだろう。人々は和合の意味を理解するようになり、自分たちが発見という航海を共に旅しているひとつの人間家族の兄弟姉妹であることを認知するだろう。
 人間がこの時を振り返って見るとき、それを「神の恩寵」への踏み石として見るだろう。今日の混沌とした騒乱はただの騒乱ではない。この混乱から新しい形態が生まれ、それが新しい文明を飾るだろう。新しいより良い形態が、至るところに住む人々のために寄与し、すべての者のハートを喜ばせるだろう。
 人間自身はそのような刺激の中を通っているので、未来について不安を感じるのも当然である。
 彼らはすでに進行している途方もない変化をほとんど見ることも理解することもなく、無為に過去にしがみつく。間もなく、この恐れと不安は、変容の仕事への決意と勇気に置き換えられるだろう。マイトレーヤと彼のグループの導きの下に、人間は新しいより良い生活、すべての人間が様々な形で夢見る人生の礎石を敷くだろう。
(『覚者は語る 2』─顕現しつつある人間の神性─より)

 平和と正義と同胞愛を呼びかける者すべてを、わたしは支える。兄弟たちを愛する者たちすべてを、わたしのもとに招く。彼らはあらゆる党派から、あらゆる国家から、わたしの周りに集い来るだろう。わたしは彼らの心を希望と愛で満たす、そして彼らはその数を増し、勢いを増して、世界を征服する。この過程は始まった。すでに人々の声は聞かれ始めている。ますます声を大にして、彼らは正義と平和を求める。
(『いのちの水を運ぶ者』第131信より)

 すべての人間が自分たちよりもより大きなものと自分を同一認しようとします。和合という感覚は非常に重要です。なぜなら、すべての人間が、知ろうが知るまいが、それを求めているからです。和合は宇宙の和合についての魂の認識です。それ以下ではありません。あなた方が自分の仕事の中に、グループの中に、国家の中に、諸国家の集合体の中に和合を創造するとき、人類のために益することになるのです。
(『協力の術(ルビ=すべ)』)

 ついに、これらの声は聞かれつつある。ついに、マイトレーヤの慈悲のエネルギーは、いまだ彼の臨在に気づいていない大勢の人間の心(ハート)の中に反応を見いだした。やっとのことで、富裕国の政府は正義と平和を求める国民の要請に応えつつある。彼らの将来は、国民の声に、ますます明確に強力に響いてくる国民の意志表明に、耳を傾けるかどうかにかかっていることを、彼らは感知する。
 諸国の政府に理解させよう、国民の声は智恵の声であることを。それはリアリズム(現実感)と真理への呼びかけであり、健全なより良い世界につながる唯一の行動への呼びかけである。
(『覚者は語る 2』─暗闇の中から─より)

 我が兄弟姉妹よ、わたしの仕事を援けて、正義こそが、わたしたちの生活における至上のものであることを、あなたの知っているすべての人々に知らせなさい。これが欠如するだけで、人を人から分離させ、人類そのものを脅かす。これを悟りなさい、我が友よ兄弟よ、そして光が勝利することを知りなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第126信より)

 私は、今、この政治的影響、すなわち政治的行動を通しての和合の獲得について話をしています。これは、最近発表された覚者の記事「和合」の後半部分に主に語られているものです。すなわち、世界に対する危険とすべての人間による気づきの必要性についてですが、特に教育を受けた人、権力行使の立場にある人、自らの意志を表明できる人が、国家間の垣根を越えたレベルでの和合の必要性を理解し、悟り、知らしめることの重要性です。それゆえ、すべての国が共に働く必要があります。それが起こらなければ何も変わらないでしょう。
(『多様性の中の和合』)

 あなた方がわたしたちを見るとき、人類種族の護衛のために共に働くときがやって来たことを知るだろう。もはや「市場主義のフォース」が人間の上昇への道に破壊をもたらしてはならない。もはや残酷な野心が国民の生活を左右するようであってはならない。大勢の人間が豊かな世界の直中で飢えることが、再びあってはならない。若者たちの未来が彼らの頭上で売られてはならない。自由と正義の未来が招く。それを受け入れなさい、受け入れなさい。
(『覚者は語る 1』─自由と正義の未来─より)

 もうすぐ多くの者がわたしを見るであろう。そして、わたしの容貌を見て驚くかもしれない、わたしが昔の伝道者ではないから。わたしはただ道を指し示す。いのちの本源にかえり、調和と美と正義へ辿りつくために歩まねばならない道を、示すためにやってきたのである。わたしの任務は単純である。あなたがたに道を示すことである。我が友よ、あなたがたは困難な仕事をなさねばならない、新しい世界を、新しい国を、新しい真理を築きあげる仕事を。しかし我らは共に勝利するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第15信より)

 人間に選択を強いて、こう言うことはできません──「私に投票するなら、自由を与えよう。しかし正義のことは忘れなさい」とか、「私に投票するなら、正義を与えよう、だが自由については忘れることだ」。それはどちらも不可欠なものです。なぜなら両方とも人間の、したがって神の本性の一部だからです。それらは魂から来ます。魂がその人を通して顕現しているならば、その人はすべてのために自由と正義の両方を欲するでしょう。それらは本質的に同じものです。分離することはできません。なぜなら、霊(スピリット)は分離できないからです。神性は完全なもの(whole)であり、それの表現は完全であることを必要とします。それは和合(unity)についてであり、和合は正義と自由の融合からのみ生じます。
(『大いなる接近』)

 現在の混迷と分離の時は徐々に新しい時代に道を譲るだろう。たえず増大しつつあるアクエリアス(宝瓶宮)のフォース(エネルギー)がその魔法を演じて、分裂し、荒れ狂うそれぞれの部分を融合させ、一体にまとめていくだろう。かくして人類は、彼らの長い歴史の中でかつてなかったほどの大いなる、そしてより急速な途方もない変容をなすだろう。
(『覚者は語る 1』─アクエリアス、和合の贈与者─より)

 ……和合が独りでに起こることがないように──つまり栄養と世話と意識的な培いが必要なように──グループや国家を結び付ける絆も同様に、強められ、滋養を与えられ、培われなければなりません。そして世界に法の規制、自由と正義と分かち合いのルールを築かなければなりません。それのみが和合を可能にします。
(『協力の術(ルビ=すべ)』)

 忘れるでない、我が友よ、あなたがたは一つであることを。すべての者の御父が、あなたがたを聖なるイメージに似せて創られたのであることを。あなたがたを通して父の聖なる愛と真の光が輝いていることを。時は近づけり、我が友よ。真理の光があなたがたの周りすべてに輝き、人が兄弟を己の心に迎え入れ、己自身としてお互いを知るようになる時がやってくる。
(『いのちの水を運ぶ者』第51信より)

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

マイトレーヤ以外に誰が

編集長殿
 2020年3月13日、私は親しい友人とその人の自宅で会話していました。私たちはこの時期の、コロナや株式市場、難民や生態系についての、多くの出来事について話をしていました。私たちは競争と利己性から協力と分かち合いへの、世界的規模の変化が今必要だとはっきりわかったのです。
 会話の中のある時に私が、「こうした全部の出来事を通して、マイトレーヤは活気づけて……」と言いかけました。私はちょうどマイトレーヤのとてつもないエネルギーや、統合の大聖と仏陀によってオーバーシャドウされていることを話そうとしていたのです。けれども『活気づけて』という言葉を言うのがせいぜいでした。即座に友人は息をはずませて、ほぼ同時に私もそれに続きました。数分間話せなくなってしまったのは、非常に強力なエネルギーのうねりを私たちが分かち合っていたからでしたが、マイトレーヤが応えてくださったことがわかり過ぎるほどで、他に誰がこのようなことをこれほど強力に行えるでしょうか。
 それはまるでマイトレーヤが私たちに、「その通り、私はこのことの直中にいる、そしてまさしく人類を正しい行動へと活気づけている」ことを明らかに示されたように感じました。それは全く思いがけない応答でした。彼の存在と助けがこの緊急の時にあるという徴によって、私たちは大変勇気づけられました。
匿名希望
オランダ

人類は目覚める

編集長殿
 2020年4月3日の金曜日の午後早く、室内ベランダでの午後の昼寝の最中に、突然物音(私の携帯へのショートメールのメッセージ受信の音)が聞こえました。
 私は起き上がり、目を開けました。居間とベランダの間にある窓に、ナイロビのマイトレーヤのような格好の人物のシルエットが見えて、彼の腕は「イエス・キリストの聖心」の彫刻か絵画にあるように伸ばされていました。
 それは長く続きませんでした。信じられないような思いだった他には、何も覚えていないのです。その人物はマイトレーヤだったと思います。
テレーズ・デリッサン
ベルギー、ナミュール州ジャンベス

助けはすぐに

編集長殿
 グループメンバーのティリーと私は度々、キリストの再臨についての広報用印刷物を通りで配っています。けれどもティリーは、次第に腰にひどい痛みを覚えるようになりました。彼女は医師の所へ行き、腰の手術が必要だと言われました。彼女はチラシ配りもほとんどできなくなりました。それで最初彼女は理学療法を受けて、その後再びチラシ配りに参加しました。療法は痛みを和らげましたが、ほんのしばらくの間だけだったので、私はマイトレーヤの『手』を使って助けをお願いするようアドバイスしました。けれども彼女はマイトレーヤを煩わせたくありませんでした。
 数日後、彼女から電話があって「結局マイトレーヤに助けをお願いしたら、奇跡が起こった」と言ってきました。「何でもできるわ。階段の上り下りも、お使いに行くことや歩くことも、自転車に乗ることも。広報のチラシを配るためにまた一緒に出かけられるわ」
 (マイトレーヤからの)助けを得て以来、彼女はどこにでも出かけています。しかも彼女はとても早いのです! 彼女はもはや理学療法士の所へ行く必要がありません。
ティリー・スリイケルマン、カタリーナ・ニイマン
オランダ、ベルゲン

集中してやり続けなさい

編集長殿
 2020年3月、私はメキシコシティで数日間過ごし、地元の瞑想グループの共働者と一緒に活動してから戻りました。私たちはメキシコシティのダウンタウンでブックフェアにブースを出しました。
 私が町に到着してから最初の夜には、夜遅くにフェアに立ち寄りました。私たち3人のメンバーが少し話をして、現在の出来事について、分かち合いのアイディアや解釈を話し合いました。見たところどこからともなく、アジア人の紳士が現れ、ブースに立ち寄りました。彼は見るからに場違いでした。そのイベントに外国人は多くありませんでしたし、まして彼のようにとてもエレガントな装いの人はいませんでした。彼は仕立ての良い緑色のスーツを着て、ピンを止めていましたが、それが旗のようであり、ベンジャミン・クレーム氏の絵画の一つにも似ていると思いました。彼は60代後半くらいの短い髪で、一人のメンバーがその髪を銀色と紫色と形容していました。「輝いているように見えた」と彼女は翌日語っていました。
 ざっと本を見た後、彼がマイトレーヤとは誰ですかと尋ねてきました。彼はスペイン語を話しにくそうにしていたので、英語の方が良いかどうか尋ねました。彼の訛りがひどかったので、話したことのすべてを完全に理解するのは困難でした。私が彼の質問にできる限り答えると、彼は私の答えを楽しんでいるようでしたが、それと同時に完全には満足していないように見えました。彼は続けて、どうしてわかるのかというような質問をしてきました。どうして確信できるのですか。まるで私にもっと深く掘り下げるよう後押ししているかのようでした。2、3質問した後、彼はアプローチを変えてきて、質問をするのではなく、教え始めました。
 彼は私のよく知らない仏教の伝統に属していたことがあり、マイトレーヤについて知っていると話していました。彼はマイトレーヤの名前を三つの異なったアクセントで発音し、サンスクリット語かあるいはパーリ語かと、私たちが想像するしかできない言葉で、マントラを唱えました。彼は私たちが三つの諸体、あるいは様相を持っていることについて語り、それは肉体と感情、そしてマインドで、マインドが他の二つの上位にあると言いました。彼はマインドには二つの選択肢があり、感情的であるか、理性的であるかで、理性的であることを探し出すようにと言いました。それから彼はベンジャミン・クレーム氏の著書の『伝導瞑想(21世紀のヨガ)』を指差しながら、瞑想について尋ねてきました。前の答えと同様に私の答えには完全に満足していないように見えたので、彼がもう一度会話の主導権を握ると、瞑想はマインドの完全なコントロールであり、完全な集中である(!)と言ったのです。マインドが気を散らさないようにすること、それは簡単ではないが、成し得ることなのです。
 私たちに話をしている間、彼は常にうれしそうな態度のままでした。彼はまるで楽しい時間を過ごしているかのようでした。また彼は鼻の先にメガネをかけていました。彼が私を見る時、彼は頭を下げてメガネの上から見上げるようにして、真っ直ぐ私の目を見ていました。他に彼が言ったことで覚えているのは、「でも覚えていてください、ヒンズー教の伝統では、肉体は幻想なのです」ということです。そして瞑想について話をした後、「忘れないで、アインシュタインが語ったように、すべては相対的なのです」と言いました。
 ここからは個人的なことですが、彼が私にどこから来たのか尋ねてきました。私がサンディエゴから来たと言うと、彼が私に(簡単に言うと)「ああそう、私はサンディエゴをよく知っています。ロサンゼルスとサンバーナーディーノには親戚がいます。新年は一緒に過ごしますよ。TJ(メキシコのティファナ)へ飛行機で飛んで、CBXブリッジ(越国境用の搭乗橋)を渡ります」と言いました。これは個人的に関係していることで、ちょうど1時間前に私がCBXブリッジを渡って、サンディエゴからティファナへ入り、メキシコシティへ飛んできたからなのです。
 彼は私たちに会話のお礼を言ってくれて、このような会話ができることは稀で、楽しかったと言っていました。私たちも彼に対して、言うまでもなく素晴らしい出会いだったことに感謝しました。
 彼が帰ってから、夜の間私たちはその出会いについて話をして過ごし、私たちに集中を維持して、その瞬間に存在し、受け取る結果を気にせずに、やり続けるように言われたようだったということで意見が一致しました。
 私の個人的な解釈は彼のタイミングに関係していますが、私たちが現在と未来の出来事について話していたので、彼が最初の夜に現れたのは、あたかもその後のイベントへの祝福のようだったのです。(彼の緑のスーツの選択については、数日後に大規模な女性のデモ行進が、メキシコシティやその他の地域の通りを埋め尽くし、多くの参加者が緑色のハンカチを連帯の印として身に付けていました)
A.M.
米国、サンディエゴ

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。