2018年8月号目次

 

-覚者より
繰り返し起こる選択
ベンジャミン・クレーム筆記

世界情勢
新しい臓器形成の分野における飛躍的進歩
3Dプリンターによる角膜の生成

賢者の言葉
帰還の権利
平和を築く

美しさを考える
コルネ・クァテル

推奨映画
フランシスコ教皇  約束を守る人、共通の善に対する希望を語る
エリッサ・グラーフ

グループ-アクエリアス時代の前方への道
破壊のフォースを建設的に用いる方法を学ぶ (第2部)
フェリシティ・エリオット

ディビット・クラーク著『国立公文書館からのUFO図面』
ウィリアム・アレンによる書評

時代の徴
空の徴
原子力発電所の上空で目撃されたUFO

グループ-アクエリアス時代の前方への道
希望と忍耐は時間の重荷を軽くする
ゲラート・アートセン
「人類がこれほどまでに、用意を整えたことはかつてなかった」

グループ-アクエリアス時代の前方への道
統合の必要
-覚者より ベンジャミン・クレーム筆記

グループ-アクエリアス時代の前方への道
グループワークー選集

編集長への手紙
やり続けなさい! 他

読者質問欄
回答ベンジヤミン・クレーム

 

覚者より

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は毎月記事を提供してくださった。それは、それらが書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くはそれらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。この記事は、最初1996年7・8月号に掲載され、そして今、これまで以上に、われわれは万民のためにより安全で、正気の世界への選択をするように求められている。われわれには将来の出現に関するマイトレーヤの判断に関係するすべてのことを知ることができないので、彼の行動の熟達を信頼するのが賢明であろう。

繰り返し起こる選択
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

人類の大いなる決断の時は近い。大主たち自身が、期待のうちに、その決定的な瞬間を待つ。大衆の中に、今のこの時の重要性を、人間のための大選択を知る者はまさに非常に少ない。不注意に、大災難に向かって頭からまっ逆さまに突っ込んでいくか、あるいはすべての人間の生活を立て直して、正義と自由で人生を神聖なものにするか。
それはもちろん、絶えず繰り返される選択であるが、今それがかつてなく集中されているのである。人間の決断の正しさにこれほど多くのことがかかっていたことはかつてなかった。なぜなら今日、人間の掌中に抑制しがたい破壊力を持つ武器があるからである。したがって、落ち着いた注意深い思慮が非常に必要である。
人間に彼らの行動の結果を理解させるために、マイトレーヤは公の場に入っていこうとしている。彼は、正気さと平和を呼びかける声に、彼の説得力のある智恵を加えるだろう。彼は鼓舞し、教えるだろう。人々は、その数を増しながら、彼の行動と態度を熱心に見習い、そしてやがて世界は彼の賢明な勧告に従い、人間の生得の権利である平和を復興させるだろう。そのようになるだろう。かくして、マイトレーヤは人類への彼の約束と義務を全うされるだろう。
多くの者がこの時を待ちかねている。彼らは、法を成就するためにマイトレーヤがバランスをとらなければならない多くの宇宙的な要素やその他の要素についてほとんど知らない。人間の自由意志を侵害することは何もなされてはならない。法のみが、そしていまの時についての理解が、公の出現の日を定める彼の判断に影響を与える。一つだけあなたがたに保証しよう。マイトレーヤが公に奉仕の使命を始めることを可能にする瞬間が来るときは、一瞬たりとも遅延することを彼は許さないだろう。マイトレーヤのみがその瞬間の審判者である。待ちなさい。そして彼の判断を信頼しなさい。
その判断は人間の知らない知識に基づく。宇宙的(レベルについての認識の)把握のみがその正しい評価を可能にする。そうではあるが、マイトレーヤは重大な決断を心もとない──しかも変化する──データに基づいて行わなければならない。必要なことと、可能なことを分ける線は、実に微妙である。
であるから、「愛の主」の、行動における巧みな技を信頼しなさい。彼の出現が遅れているように見えることにいらいらしてはならない。すべてを包含する「今」にそのような遅延は存在しない。
間もなく「人の子」は人類の教師としての彼の正当な位置につくだろう。大多数の人間は喜んで、心から彼の勧告に従い、彼の教えを真剣に受け入れるだろう。一歩一歩感謝を込めながら、彼らは未来の機構を創っていくだろう。そして古い過ちは加速度的に消滅し、許され、そして忘れられていくだろう。そのようになるだろう。かくして、偉大なる主であり人類のリーダーである方は、彼のさだめを全うされるだろう。かくして人類は真の歓びを知るだろう。
(1996年7月号)

 

グループ――アクエリアス時代の前方への道

グループワーク──選集
Group work──a compilation

「グループワーク」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

グループ活動は将来のあり方です。来るべき時代にはすべての活動がグループを通して行われ、グループ提携、グループ思考、そしてやがてグループ意識に到達するでしょう。これは宝瓶宮星団から流れ入るエネルギーの特質に沿ったものであり、そのエネルギーはグループ形成を通してのみ知ることができ、理解することができ、利用することができるのです。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.551)

多様性の中の和合

和合の中には多様性がある。目覚める時が来た。あなた自身のままでありなさい。お互いを追随してはならない。徐々にあなたは進化するだろう。二人と同じ人間はいない。二人とそっくり同じに模倣される人はいない。他人の人格を装った瞬間、あなたはわたしとあなたの間に距離をつくる。自分自身である瞬間、あなたは至福を、静謐を、平穏を、楽しみ始める。そのとき、わたしとあなたとの間に距離はない。
(『いのちと目的』p.265)
グループはそれぞれ異なった進化の段階にいる個人で構成されています。先ほど、グループ・イニシエーションの条件の一つはおよそ同じ程度の進化の段階にある弟子たちのグループであることだと述べました。それは一般的なステートメントです。実際には、すべてのグループが様々な段階にある人々から成っています。第1段階のイニシエーションを受けた人々がいます。それが大多数ですが。それから第2段階のイニシエーション、あるいは第3段階さえ受けた人々が数人いるかもしれません。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.647~648)

マイトレーヤの関与

あなたがた自身をわたしの友達とみなし、わたしと共に働きなさい。あなたがた自身をわたしの伴侶と考えて、世界を救いなさい。あなたがた自身をわたしの弟子として顕し、新しい世界を創造しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第102信、p.306)

合意──グループ意識

いかなるグループにも智恵や知性や明瞭さを独占する人はいません。グループがグループであるのは、仕事を適切に行うためにグループの持つすべての特質を必要とするからです。グループワークの術とは、これらの異なった観点、異なった態度、異なった才能や経験を一つのツール(手段)に集中させて、それが合意を通してグループ全体のために語ることができることです。グループや光線について話すときにはいつでも年々出されることですが、グループと共に働くことはできない人々(いつも同じ光線ですが)がいます。彼らはグループのために働きますが、グループと共に働くことができません。彼らは自分の考えはほかの人々の考えをすべて合わせたよりも優れていると想像します。おそらく彼らはこのことを全く意識しておらず、そう言われると否定することでしょう。基本的に彼らはグループのほかのメンバーと競争しています。協力と柔軟性の特質をグループ関係のあらゆる側面に取り入れようとする意図が絶えずあるべきです。
一瞬一瞬、絶えず自分の動機を見なければなりません。絶え間ない、根深い競争心から自分を解放しなければなりません。というのは今日の世界ではすべての人に競争心が根深く植え付けられていますから。そうすれば、自動的に、それについて考えることもなしに、自然にあなたは協力的になります。
(『協力の術』p.107)

グループワークは世界の弟子たちを、これと同じような種類のグループ意識に向けて準備します。合意を生み出すのはグループ意識です。合意は多数決ではありません。合意は、グループの認識を通じて、すべての人々の直観的なメンタル認識が、時間をかけた話し合いの結果として、それが取るべき決定であるという相互の結論に達したときに生じるものです。「こちらには何人の人が賛成しますか? あちらには何人が賛成しますか? 賛成多数の方に決めましょう」と言うやり方によってなされるのではありません。それは共に働き、お互いのマインドがそれぞれの違いを持ちながら互いに関係することができ、あることに対して一つの合意に達することを可能にするグループの認識の成長から生まれるものです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』p.568)

献身

あなた方は献身し、専念しなければなりません。もしあなたの魂が献身するように告げているならば、打ち込むことができるのです。献身は魂の特質であり、和合を育みゆっくりと築いていくのが魂の特質であるのと同様です。グループはその魂の衝動の下に機能しているときにのみ、本当にグループとして機能することができます。おそらくこのことを本当に理解することができない人々がグループにいます。それを聞いているかもしれませんが、本当に把握せずに、またすぐそれを忘れてしまいます。日常のこととしてやっていません。それが本能的にならなければなりません。自分ができる限りのすべてを本能的に特定の大義に(それが何であろうと)捧げるのです。
(『協力の術』p.296)

献身的な者たちを相変わらず取り巻いている志向の光を見て、わたしはうれしい。今日、わたしはそのような者たちを非常に必要とする。人類の歴史の中で、兄弟たちを愛し、そして奉仕することを望む者たちの存在を、わたしがこれほどまでに必要とした時は、かつてなかった。その奉仕と愛の炎が、まさに今日多くの者の心に明るく燃えている。この理由だけで、わたしの使命は勝利すると確信をもって言える。
(『いのちの水を運ぶ者』第122信、p.365)

『有機体』対『組織体』では、なぜこのような条件が出されたのか。役員を置いてはならないというのは、責任者を置かないということであり、その人の言葉がグループの中で唯一の決定権を持つような人を置かないということです。代表を置かないというのは、その人の言葉がほかのメンバーのアイディアを支配することがないようにするためです(もし誰かが代表になるとすれば当然、それは私でしょう。私がこのグループをつくり、そして覚者との接触を持つのですから)。秘書を置くべきではないというのは、その人がグループの日々の運営を自動的に処理していくうちに、権力を握るようになる可能性を避けるためです。そして私たちは自分たちの周りに囲いをつくり、「われわれが信じることはこれであり、あなたたちはそれを信じない」というようなことがあってはならないのです。
これらの条件はハイアラキーの外的顕現の仕事に対して分離主義的なアプローチをつくり出すのを避けるためです。それを実行することによって、少なくともロンドンにおいては、有機体をつくり維持することを可能にしたのです。
(『協力の術』p.141)

正しい関係──同胞愛

人間が同胞愛を人生の本質的な特質として受け入れるとき、われわれの日常生活のあらゆる面がより良い方向に変わるだろう。同胞愛が顕現されるたびに、人間同士の間につくられ、誤解と不信につながる障壁が溶かされる。同胞愛は喪失や不幸の痛みを和らげる。それは育て、はぐくまれるべき貴重な贈物である。同胞愛を宝としなさい。それは心(ハート)の中の最もすぐれた部屋への入り口の鍵である。あなた方の兄たちであるわたしたちは、同胞愛をわたしたちの最高の特質として大事にし、そしてそのリアリティを維持し、強化することに努める。人間もまた同胞愛の有益な真理を把握するとき、その特性が表す美を認識するだろう。そして神聖そのものの美の何がしかをつかみ取るだろう。人間が神聖であると同様に同胞愛は神聖である。それ以外ではあり得ない。
(『覚者は語る(2)』―同胞愛―p.188~189)
[2010年6月号]

敬意

リーダーシップがそのように強調される場合には、それはグループワークの反対です。グループを指導し、教え、前進させるリーダーの周りにあるグループという概念は古いパイシスの概念です。それは急速に消え去りつつあり、またそうあるべきです。人類にとっての新しいアクエリアスの経験に関連しているグループでは、すべてのグループメンバーは平等であるべきです。より低位の人々に取り囲まれたリーダーというのは存在すべきではありません。この場合のリーダーとは大抵、調整力のある人、ほかの人々よりうまく組織化できる人、グループの役割についてのより明快なビジョンと理解を持つ人のことです。リーダーシップそれ自体について言えば、それは古い死につつある概念です。リーダーはどうすればグループワークでの指導力を効果的にすることができるか? リーダーであることをやめることによってです。
(『協力の術』p.110~111)

善意

グループワークは楽しくあるべきです。満ち足りた純粋なグループワークから生じる歓びということを誰かが言いました。それは本当です。グループワークはあらゆる仕事の中で最も歓びに満ちたものです。一人でやる仕事よりもはるかに勝っています。……
グループの中ですべての人が持たなければならないのは、お互いに対する善意です。その善意がグループを団結させるセメントです。……魂の観点から見ることができるようになればなるほど、憤慨することなく、協力して働くことができるでしょう。……善意のエネルギーはグループワークの潤滑油であるばかりでなく、グループの存在の性質そのものです。
(『協力の術』p.85、92)

宝瓶宮(アクエリアス)のエネルギー

……非常に間もなく、人々はますます宝瓶宮(アクエリアス)のエネルギーの恩恵に反応し、競争の分離的特質を理解し、喜んで協力の習慣を身に付けるだろう。このようにして、人間が彼らの奉仕を待つ再建の多くの仕事において対等な仲間として共に働くにつれて、世界は途方もない恩恵を勝ち取るだろう。かくして、世界は喜んで働く人々の手によって変容させられるだろう。かくして、新しい世界はつくり上げられるだろう。
(『覚者は語る(2)』―協力の道―p.231)
[2012年6月号]

女性の役割

来るべき時代は「母性の原理」が花開く時代です。マイトレーヤの時代はターラ、つまり「世界の母」の時代です。母は子供を育み、家族を育み、そして女性の原理は文明を育成します。その理由のためだけでも、女性の原理が完全に表現されなければなりません。ということは、すべての女性が男性と完全なる平等の人権を持たなければなりません。
このことは、通常、男性よりも女性のほうがずっと活動的なニューエージ・グループにおいて、何にもまして本当であります。新しい宝瓶宮の時代のグループ活動の概念で正しく活動するためには、男も女も、すべてのメンバーが自分自身をグループの完全な、平等な、責任あるメンバーとして見なすべきであり、他の者よりも高位や低位の人はいません。真の民主主義とは実際にグループのすべての参加を意味します。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.554)

グループの和合

グループを全体として動機づけるべきものは、そしてグループの和合にとって本質的なことは、グループの中の人々の間の言外の愛です。すべての人々を結び付けるのは、言外の、理解ある愛なのです。真の結合要素はこの仕事自体であり、それにすべての人が自分自身の本質から、すなわち各々の魂のレベルからアプローチすることです。この仕事がすべてです。ですから、自分たちがやることすべては、共働者の一人としてこの仕事のために行うのです。グループの活動のすべての根本的な核となっているのは、具体的にはこの仕事で
す。……
もし人々が自分自身のことを忘れるなら、それは正しい関係を築いていることになるのです。単純なことです。そのとき人々は魂として仕事をしているからです。魂はただ正しい人間関係しか知りませんから、それが本能的になるのです。
(『協力の術』p.201~202)

マイトレーヤご自身が非常に間近な将来に出現されるとき、われわれのすべての行動の中に和合の必要性を強調されるだろう。われわれが、人間の問題を解決するに当たって、人間として、国家として、目的のアイデンティティーを見つけることがいかに大切であるかを、マイトレーヤは示されるだろう。かくして、われわれの強力な個人性をグループのために供するのである。
(『覚者は語る』─和合─p.559)

大計画に焦点を合わせる

わたしの覚者たちはいのちの規律を、あなたがたに教えるであろう。わたし自身は人類を招くあのより高度の光を、あなたがたに見せるであろう。わたしの教えは二重である。一つは、人間の物質面に関わることであり、人生の必要事項である。もう一つは、われわれが神と呼ぶあの聖なる存在と人間との関係についてである。わたしの言語の中では、これらは同じものである。なぜなら人間同士が正しい関係を築いてこそ、神との正しい関係を築くことができるのであるから。わたしの計画は、これをあなたがたに示し、人が己自身の裡に、分かち合い、愛し、信頼する能力を見いだす時、その瞬間から神へ向かう登り道が始まることを教えることである。
(『いのちの水を運ぶ者』第29信、p.99)

個人よりもグループのほうが大切です。そして全体としての日本のグループのほうが個々のグループよりも大切です。そしていかなる個人よりも、いかなるグループよりも重要なものは大計画であり、すべてのグループがそのために働いています。
その計画はマイトレーヤと覚者方が世界に戻って来られることを含み、人類を通して新しい文明を創っていくための彼らのインスピレーションを含みます。自分がどこに位置し、自分が誰であるか、そして自分がなすことを評価するとき、これをいつも尺度とするならば、あまり大きく間違うことはないでしょう。そうすると、あなたは大計画そのものの方向に向かって働きます。マイトレーヤの助けを喚起しなさい。あなたの仕事にマイトレーヤのインスピレーションと導きを呼びかけなさい。彼は言われています。「わたしの助けはいつでもあなたがたの意のままにある。ただ求めればよいのである」
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.557)

マイトレーヤの呼びかけ

わたしをあなたの裡に入れ、わたし自身を見せてください。わたしをあなたのものとなし、あなたの兄弟の手を取りなさい。彼らをわたしのもとに導き、大計画に奉仕しなさい。わたしを愛し、わたしと共に働き、奉仕の喜びを知りなさい。
わたしと共に来なさい、我が友よ、新しい時の中へ、新しい世界へ、新しい愛の御国へ。そこで共に真理の光で、神の愛の輝きで、身を飾り、そして神の聖なる足下の前にひざまずこう。わたしの祝福はあなたがたすべてと共に行く。
(『いのちの水を運ぶ者』第110信、p.331)

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

やり続けなさい!

編集長殿
2018年5月12日に数万人もの抗議者たちは、緊縮政策が英国で始まって以来、最大の労働組合会議のデモに参加しました。雰囲気は陽気な感じでしたが、群衆は労働環境と人権のためのより良い変化を待ちわびて、切望していました。ハイドパークの入場口にいた時、並外れた人物がパークレーン通り入り口にある中央受付所にいて、身体がいくらか植込みに隠れていましたが、デモの人々の方を向いているのが見えました。彼(あるいは彼女)は白い縁取りの付いたノーム(先のとがった帽子を被った老人姿の伝説の小人)の帽子という感じのものを被り、とてもカラフルなカーディガンにクリーム色のタータンチェックのキルト(スカート状の衣装)を着ていました。彼は白髪のカーリーヘアで、満面の笑みを浮かべていました。彼には見覚えがありました。突然、彼は一方の腕を回し始め、それからもう一方の腕も(風車の羽根のように)回して、まるで群衆を激励して、「立ち上がれ! 立ち上がれ! やり続けろ! やり続けろ!」と言っているかのようでした。それはすぐに伝わってきて、私は自分のプラカードをお返しに振って、しばらく彼を見ていましたが、向き直ってジェレミー・コービンの元気が出る演説を聞くために、喜び勇んでハイドパークへ入っていきました。
スザンヌ・フィリップス 英国、ウェストサセックス州

必死の訴え

編集長殿
2001年8月、シェア・インターナショナルの仲間がマイトレーヤに出会いましたが、ユーストン・ロードで車の行き交う危険な状態で、座り込んで食料を求めていた男性として現れたのでした。(本誌2001年9月号参照)2001年9月に、ユーストン・ロードを通って車で北へ向かっていた時、遠くに一人の男性が見えて、彼は速いスピードで走る車の二つの車線の真ん中を走っていたのです。彼は東ヨーロッパの人の風貌で、肩の長さの黒髪が汚れて固まり、あちこちにはねていて、ボロボロになった黒い服を着ていました。彼はフラフラとした足取りながらも、断固として前に進んでいました。後ろから来る車が近かったので、私はスピードを落とせなくて、彼をはねてしまわないかと心配でした。彼が開けた車の窓の近くに来た時、数秒間お互いを見つめました。彼は動揺して切羽詰った表情でした。片方の目が奇妙で、おそらく見えていなかったのが、彼を少し野蛮なふうに見せていました。彼は気も狂わんばかりに自分の口を指差して、「食べ物、食べ物!」と叫んでいました。停車することはとてもできなかったので、ショックを覚えながら運転を続けました。その時、仲間が見かけた人物を思い出して、彼は同じ人物、つまりマイトレーヤではないかと思ったのです。
ジル・フライ 英国、ロンドン【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

クローンで行こう
編集長殿2001年6月12日の火曜日、その晩のベンジャミン・クレーム氏講演会の準備のため、書籍やその他の備品を車一杯に詰め込んで、コンウェイ・ホールに向かって運転していました。キングスクロスに近づいていた時、巨大なガス工場近くの裏通りで、急なカーブを曲がって驚くべき光景を目撃したのです。二人のアジア人の男性が、反対側の道をこちらに向かって腕を組んで歩いてきたのですが、完全に瓜二つだったのです! 彼らの身体も顔も同じで、同じこげ茶のウールの帽子とジャケットとズボンに靴までお揃いで、まさにクローン人間のようでした。外側の肩から斜めがけにして、それぞれ身体の内側になるように提げた、大きくて重そうな鮮やかなオレンジ色の新聞配達用バッグも、ぴったり同じ分量で中身が一杯に詰まっていたのです! 彼らは笑ったり、話をしたり、前を見たりしていました。まさに子供が描く『蝶々』の絵そのものに見えました。私たちは彼らを眺めながら車で通り過ぎて、彼らが離れていくのを見ていました。車の中の一人が、「あれは私が思っている人たち?」と言ったので、私たちは噴き出してしまいました。それはあまりに面白くて、マイトレーヤとイエス覚者に違いなく、中でもすばらしく見事な変装でした! 私たちはコンウェイ・ホールまでの道のりを笑いっぱなしでした。あなたの師は、あの一卵性の双子が誰だったのか教えていただけますか。
アネット・ポンズフォード 英国、イースト・グリンステッド、ジル・フライ 英国、ロンドン
【ベンジャミン・クレームの師は、その二人の男性が実際にマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、事実上生涯において毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載する。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものである。

Q  マイトレーヤの再臨について緊急性の感覚を持たないグループが存在するのはなぜでしょうか。

A  あるグループにとっての問題の一つは、彼らが緊急性の感覚を持たないことです。ジュワル・クール(DK)覚者の書いたことを誤解して、マイトレーヤは2025年か2050年までは現れないと信じている二つの大きな秘教グループがあります。しかし、DK覚者は、彼が後述した最後の書物である『キリストの再臨』の中で、マイトレーヤは20世紀の半ば、1950年ころからその終わりにかけて肉体で現れるとはっきり述べています。実際には、20世紀の終わりに向けた、1977年でした。これらすべてにもかかわらず、彼らは2025年か2050年にマイトレーヤを待っています。なぜでしょうか。なぜなら、最初の本、『イニシエーション、人間と太陽系』の中で、DK覚者は、2025年か2050年ころにキリストの再臨を期待できるかもしれないと書いたからです。それは最初の本であり、1919年に書かれました。これらのグループは、最初の本を読んだが最後の本は読んでいないということでしょうか。最初の本と最後の本の間には30年の開きがあります。もちろん、ハイアラキーのアイディアと計画は、変化する状況に合わせて変化します。
その間、マイトレーヤは、1945年に、彼ご自身が可能な最も早い時期に戻って来られると発表されました。それは、およそ5年後の、20世紀の中間である1950年頃か、必要であれば、その後になると期待されました。ですから、最初の本の情報は、30年後には、最後の本が書かれた1948年か1949年の新しい状況に合わせて変化しており、マイトレーヤは20世紀の半ばか終わりにかけて出現されるだろうと言うことができたのです。ですから、状況は完全に新しくなっていたのです。なぜこれらのグループは、1919年に書かれた最初の本で与えられた情報を信じ、1949年に書かれた最後の本で与えられた情報を無視しているのでしょうか。一つの答えしかあり得ません――彼らのグラマーです。
彼らが後の日付よりも前の日付の情報を見て受け入れるのは、彼らのグラマーのためです。それはすべて同じ覚者によって、教えの計画の最初と最後に書かれたものです――そこには30年の違いがあります。
同じように、マイトレーヤが、非常に間もなくと言われるとき、私の言うことや私の師である覚者が言われることを受け入れることができます。それは本当に非常に間もなくであり、差し迫っており間近なことです。彼はそう言われるが、実際には間もなくではないのだと思うかもしれません。本当はまだ10年か20年かかるのだと思うかもしれません。それはあなたが選ぶことです。あなたのグラマーが、賛成か反対かのあなたの選択を決めます。その結果として、これらのグループは、マイトレーヤのための道を準備するという特定の奉仕の機会を失っています。彼らはもちろんまだ本を通して一般的な情報を知らせるという有益な仕事をしています。しかし、現実の間近な出来事については、彼らはバスに乗り遅れています。
幾つかのグループは眠っています。眠っているグループの一つは、私たちは第7ラウンドの終わりまでマイトレーヤを見ないと信じています。私たちは現在、惑星的表現の第4ラウンドの中間にいます。

 

2018年7月号目次

 

覚者より
繰り返し起こる選択
ベンジャミン・クレーム筆記

視点
世界海の日を前に:
アッテンボロー卿は重大なしかし希望に満ちたメッセージを伝える

宗教間に橋を架ける
マクネア・エザードによるウィリアム・スウィング司教へのインタビュー

われわれの新しい幸福な生活? 開発のイデオロギー
チャールズ・アイゼンシュタイン

時代の徴
ニューメキシコの涙を流す聖母像
セルビアの火事で焼け残った宗教的イコン/他

世界情勢
「愛を示すことを忘れないで」
ルワンダでドローン(無人飛行機)が命を救う医薬品を配送する

賢者の言葉
賢者の言葉ー愛と正義と平和への呼びかけ
「愛のカ」/ヨルダンにおける抗議行動の拡大

読書の勧め
ナオミ・クライン著『NOと言うだけでは十分でない』

汚染を終わらせるには生活様式の劇的な変化を必要とする
グラハム・ピーブルズ

「見取り図と計画」:緑の牧草地が炎暑の砂漠になるとき
ムボム・シクストゥス

編集長への手紙
路上の出会い 他

読者質問欄
回答ベンジャミン・クレーム

繰り返し起こる選択

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は毎月記事を提供してくださった。それは、それらが書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くはそれらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。この記事は、最初1996年7・8月号に掲載され、そして今、これまで以上に、われわれは万民のためにより安全で、正気の世界への選択をするように求められている。われわれには将来の出現に関するマイトレーヤの判断に関係するすべてのことを知ることができないので、彼の行動の熟達を信頼するのが賢明であろう。

繰り返し起こる選択

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

人類の大いなる決断の時は近い。大主たち自身が、期待のうちに、その決定的な瞬間を待つ。大衆の中に、今のこの時の重要性を、人間のための大選択を知る者はまさに非常に少ない。不注意に、大災難に向かって頭からまっ逆さまに突っ込んでいくか、あるいはすべての人間の生活を立て直して、正義と自由で人生を神聖なものにするか。

それはもちろん、絶えず繰り返される選択であるが、今それがかつてなく集中されているのである。人間の決断の正しさにこれほど多くのことがかかっていたことはかつてなかった。なぜなら今日、人間の掌中に抑制しがたい破壊力を持つ武器があるからである。したがって、落ち着いた注意深い思慮が非常に必要である。

人間に彼らの行動の結果を理解させるために、マイトレーヤは公の場に入っていこうとしている。彼は、正気さと平和を呼びかける声に、彼の説得力のある知恵を加えるだろう。彼は鼓舞し、教えるだろう。人々は、その数を増しながら、彼の行動と態度を熱心に見習い、そしてやがて世界は彼の賢明な勧告に従い、人間の生得の権利である平和を復興させるだろう。そのようになるだろう。かくして、マイトレーヤは人類への彼の約束と義務を全うされるだろう。

多くの者がこの時を待ちかねている。彼らは、法を成就するためにマイトレーヤがバランスをとらなければならない多くの宇宙的な要素やその他の要素についてほとんど知らない。人間の自由意志を侵害することは何もなされてはならない。法のみが、そしていまの時についての理解が、公の出現の日を定める彼の判断に影響を与える。一つだけあなたがたに保証しよう。マイトレーヤが公に奉仕の使命を始めることを可能にする瞬間が来るときは、一瞬たりとも遅延することを彼は許さないだろう。マイトレーヤのみがその瞬間の審判者である。待ちなさい。そして彼の判断を信頼しなさい。

その判断は人間の知らない知識に基づく。宇宙的(レベルについての認識の)把握のみがその正しい評価を可能にする。そうではあるが、マイトレーヤは重大な決断を心もとない──しかも変化する──データに基づいて行わなければならない。必要なことと、可能なことを分ける線は、実に微妙である。

であるから、「愛の主」の、行動における巧みな技を信頼しなさい。彼の出現が遅れているように見えることにいらいらしてはならない。すべてを包含する「今」にそのような遅延は存在しない。

間もなく「人の子」は人類の教師としての彼の正当な位置につくだろう。大多数の人間は喜んで、心から彼の勧告に従い、彼の教えを真剣に受け入れるだろう。一歩一歩感謝を込めながら、彼らは未来の機構を創っていくだろう。そして古い過ちは加速度的に消滅し、許され、そして忘れられていくだろう。そのようになるだろう。かくして、偉大なる主であり人類のリーダーである方は、彼のさだめを全うされるだろう。かくして人類は真の歓びを知るだろう。
(1996年7月号)

宗教間に橋を架ける

マクネア・エザードによるウィリアム・スウィング司教へのインタビュー

ウィリアム・スウィング司教は「宗教連合イニシアチブ(URI)」の会長であり設立者である。これは、異なった宗教や土着の伝統を持つ人々に正義と平和のために協力して働くよう促す異教徒間の世界的ネットワークである。スウィング司教は元カリフォルニア聖公会主教であり、1980年から2006年までその立場にあった。20年近く全米エイズ研究財団の理事であったため、主教のときに、エイズ危機対応のために国内外で指導者として奉仕した。スウィング司教は『ある司教の追求──宗教連合の設立(A Bishop’s Quest: Founding a United Religions)』(2015年)の著者である。マクネア・エザードが本誌のために彼にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):宗教連合イニシアチブ(URI)の使命はどのようなものでしょうか。
スウィング司教:URIは、世界中のおよそ270の地域出身の草の根の人々と75から85の部族集団で構成されており、地域社会で問題に取り組んだり地球規模の問題に対処したりするために団結しています。
人々は「協力の輪」により団結し、それぞれの輪が独自の路線を決めます。URIの前提や目的、原則に沿う限り、希望するどのような問題にも目を向けることができます。一つの協力の輪には、三つの異なった伝統出身の少なくとも7人がいなければなりません。
URIは橋を架ける組織です。世界には十分な数の宗教がありますが、それらの間には十分な意思疎通や橋渡しがありません。ですから、もし私たちが絶えず殺し合ったり競争し合ったりすることをやめれば、神の名のもとに幾つかのことを一緒に行うことができるでしょう。

インスピレーションと始まり

SI:URI設立の背後にはどのようなインスピレーション(鼓舞)がありましたか。
スウィング司教:カリフォルニアの主教として、1993年に国際連合から電話をもらいました。彼らは50周年を祝うためにカリフォルニアに来たがっていました。国連憲章はサンフランシスコですべての国によって起草され署名されたからです。
ですから、国連は故郷に帰り、大きな祝賀行事を行いたいと思っていました。彼らはグレース大聖堂〔カリフォルニアの聖公会聖堂〕に来て、祝い事を行えるかどうか、そして私がそれを主催できるかどうか尋ねました。「主催できればうれしく思います」と私は答えました。その儀式について彼らが考えていたことは、すべての国をそこに集め、すべての宗教を一緒にして、1時間の和合の儀式を行うというものでした。「私たちが世界のすべての国の外交官を招きますから、あなたにすべての宗教を招いていただきたいのです」と彼らは言いました。
はい、と言ったものの、その夜ベッドに入ってこう考えました。「何てこった!  何というものに首を突っ込んでしまったんだ。イスラム教やヒンドゥー教のことは何も知らない。こうした宗教関係者をどうやって大聖堂に招くというのか」
諸国家は50年の間、日毎に歩み寄り、全世界の利益のために苦闘してきました。同じ50年の間、世界の宗教は話し合ってきませんでした。しかし、国家間の平和は宗教間の平和がなければ決して実現しないでしょう。そして、一堂に会することのできる冷静な祈りの場を誰かが設けない限り、宗教間の平和は生まれないでしょう。
その夜、宗教連合の創設の旗振り役になることに残りの人生を捧げることを誓いました。国際連合(United Nations)があるのなら、宗教連合(United Religions)もできると考えたのです。それがどのようなものになるかは分かりませんでした。何を行うのか分かりませんでしたし、どうやってそこにたどり着くのか、どうやって経費を賄うのかも分かりませんでした。私はただ、こうしたアイディアを思いついた一人の人間でした。

草の根の人々に働きかける

SI:それを始動させ、人々をその気にさせるにあたっての次の段階は何でしたか。
スウィング司教:世界の国々のリーダーシップが国連で代表されているのであれば、世界の宗教のリーダーのところに行って話をし、宗教連合を創設するにあたって協力してもらえるかどうか聞くべきだと考えました。1995年に、妻のメアリーと私は飛行機に乗りました。私たちはマザー・テレサと話をしました。ローマに行って、法王と話をしました。ロンドンのカンタベリー大主教、インドのシャンカラチャリアの信者、エルサレムのユダヤ教宗教指導者、イスラム教の大法学者、カイロのアル=アズハルのグランドシェイク、韓国の仏教徒と話をしました。思いつくことのできるあらゆる宗教指導者と話をしました。彼らに一つの質問をしました。宗教間の平和を追求するために他の宗教の代理人と会うことになるあなたの宗教の誰かを代理人として派遣する用意があるかどうか、という質問です。宗教間でもっと平和があれば、世界の歴史が変わるでしょう。彼らすべてに同じ質問をしました。「そうする用意がありますか」と。彼らは皆、「とんでもない」と答えました。
私は多くのことを学びました。世界の宗教はお互いに会おうとしないし、接触を保とうともしません。しかし私は、草の根の人々がお互いに会い、地方の問題に対処することを可能にする枠組みを見つけることができれば、世界をより平和で、より健全にすることができるだろうと考えました。あらゆる宗教の人々の間には多くの善意があります。宗教指導者に関してはあきらめ、草の根の人々から始めることにしました。それは転機となりました。

SI:何もしたくないという宗教指導者の態度の背後には何があったのでしょうか。
スウィング司教:宗教を見てみると、宗教は三角形のようです。頂点には、自分の下にいる人々の信仰を擁護することを第一の責務とする誰かがいます。もし彼らが他の信仰の宗教指導者と対等に会っているところを目撃されると、神との彼らの関係が、神との他の人の関係と同等であることを意味することになります。宗教指導者として、他の人々と会い、彼らを対等と見なす自由がありません。「私たちの信仰が最高の信仰だ。すべての信仰のうちで最も大きな真理を含んでいる」ということを前提として他の人々に接しなければなりません。したがって、民主的で冷静な祈りの場というものは宗教の頂点にいる人々にとって不可能なのです。
私は自分が会った人々を愛しています。素晴らしい人々ですが、ほんのわずかな自由しか持っておりません。エルサレムにいた時のことを覚えています。ダライ・ラマと私は会議を開催していました。彼と私はアルメニア正教会総主教に会いに行きました。彼は上の王座におり、ダライ・ラマと私は下の床にいました。私はこう言いました。「諸宗教が世界の利益のために一緒に働くことができれば、あらゆる可能性が生まれますよね。私たちを助けていただけませんか」。総主教はこう言いました。「ご覧のとおり、私は自分の王座で囚われの身になっています。この王座を離れることはできません。あなたたちは世界中を回ることができますが、私にはできません。私の仕事は、この王座に座って私の民を気づかうことです」。これは、私がいま話していることの良い例でした。

SI:宗教指導者によって拒絶されたことで、あなたは実際に、世界に本当に変化を起こす人々を見つけることになったのですね。
スウィング司教:はい。平凡な人を動員することができます。そうすると、世界における真の力を得ることになります。とても勇気づけられることです。

世界規模の協力の輪

SI:協力の輪について話してください。
スウィング司教:2000年に〔URIの〕憲章に署名しました。ある国で最初の協力の輪を始めました。私たちが行った最後の国はサウジアラビアでした。そこに行くことになるとは思ってもみませんでしたが、今ではサウジアラビアでスンニ派、シーア派、キリスト教の人々が一緒に活動しています。これは奇跡的なことです。先程も言いましたが、協力の輪には三つの異なった伝統の出身の少なくとも7人がいなければなりません。人々は自己組織化し、取り組みを始めます。

SI:「自己組織化」とは何を意味するのですか。
スウィング司教:もし協力の輪が環境の仕事を一緒に行いたいのであれば、そうすることができることを意味します。紛争の解決に取り組みたいのであれば、そうすることができます。女性の問題に取り組みたいのであれば、そうすることができます。核軍縮に取り組む協力の輪もあれば、芸術などに取り組む輪もあります。

SI:協力の輪はどのようにして形成されるのですか。
スウィング司教:2種類の協力の輪があります。一つは、既存の団体や、すでに異教徒間の活動を行っている人々のグループがURIのネットワークに加わり、URIの一部になる場合です。もう一つは、異なった宗教や部族の出身で、今まで一度も会ったことのない人々が自分たちで協力の輪を立ち上げる場合です。

異教徒間の英雄的行為

SI:特に啓発的だと思った協力の輪はありますか。
スウィング司教:最近印象に残ったものはスリランカにあります。その協力の輪はサルボダヤと呼ばれています。それは社会の底辺の安全網として機能しています。エイズを扱っているのであれば、それに取り組みます。貧困を扱っているのであれば、それに取り組みます。識字であれば、それに取り組みます。
最近、仏教徒のトラック運転手が3人のイスラム教徒の少年に殴り殺されました。ここは仏教徒の国です。仏教徒は怒り狂い、村々を焼き払い始めました。モスクを焼き、人々を殺し、家から追い出しました。突然、立ち退きと破壊が生じたのです。これについて誰が何をすればよいのでしょうか。
私たちのグループは、人々に水と食料をどうやって届けるか、家やモスクをどうやって再建するか思案し始めました。この状況は、タミル・イーラム解放の虎〔主としてヒンドゥー教徒の少数派〕とシンハリー人〔主として仏教徒の多数派〕との内戦を受けてのものでした。その内戦では多くの人が死にました。協力の輪は国を癒し、断片を元通りにつなぎ合わせるために活動します。
この前、エボラ・ウィルスが発生した西アフリカでは、キリスト教徒はイスラム教徒に血液を提供したくありませんでした。イスラム教徒はキリスト教徒に血液を提供したくありませんでした。そのため、URIの協力の輪は無条件の信頼に基づく血液バンクを始めました。地域の誰もが血液を受け取り、血液を提供することができました。異教徒間で血液の寄付を実施することによって、地域が安定するのに役立ちました。

SI:ヨルダン川を回復させるために、イスラエル人、ヨルダン人、パレスチナ人が活動している中東には協力の輪はないのですか。
スウィング司教:素晴らしい協力の輪があります。イスラエル政府やヨルダン政府、そしてパレスチナ人を相手にするのは、ご想像どおり、本当に大変な仕事です。ヨルダン川はたいていの場所でチョロチョロとしか流れていません。上流で皆が水を吸い上げているからです。下流に届く水からは悪臭がします。あそこでは水が生存への鍵を握っているのです。すべての人が恩恵を被ることのできるように、異なった政治、文化、宗教のグループを水問題に一緒に取り組ませることは大変なことです。

SI:パキスタンには、「パキスタン全体にとってのより良い地域社会」という協力の輪もあります。彼らは世界でも特に不安定な地域にいます。彼らの仕事はどのように進んでいますか。
スウィング司教:信教の自由のあるアメリカのような国に住んでいれば、宗教連合イニシアチブはたくさんの良いことの中の一つの良いことです。神について信じていることのせいで明日殺されるかもしれないような国に住んでいれば、宗教連合イニシアチブは人々にとってすべてを意味します。私たちの若いリーダーの一人はそこで3年前に吹き飛ばされました。クウェッタで死亡した聡明な若者です。私たちが行っている仕事を行うときには大きな危険があります。命を危険にさらす人々もいます。
パキスタンには50の協力の輪があります。私は個人的に何度かそこで働き、最高裁判所や弁護士、草の根の人々と知り合いになりました。私たちの仕事にとっては大いなる国です。

SI:あなたは協力の輪に入っていますか。
スウィング司教:はい。輪に参加している人々の中には、〔アメリカの〕国務長官であったジョージ・シュルツ、〔アメリカの〕国防長官であったビル・ペリー、〔アメリカ軍縮担当外交官であった〕トム・グラハム大使がいます。私たちは電話やズーム〔視聴覚インターネット・コミュニケーション・プログラムのこと〕で毎月連絡を取り、核廃絶に向けて何ができるかを検討します。彼らは核兵器に直面してきた人々です。彼らは私たちが取り扱っているものの恐ろしさを知っています。
私たちはこの惑星を破壊することによって、神が創造したすべてのものを破滅させる可能性があります。瀬戸際まで来てしまったのです。こうした兵器に長らく固執していれば、この世界を破壊してしまう可能性があります。私たちには直ちにそのようにしてしまう力があります。
兵器を近代化しなければならないと言われています。それは兵器をより強力にすることを意味しますが、他の核保有国も同じことをします。そうすると、100年後、200年後には、この世界を破壊するどれほどの力を持つことになるでしょうか。そこから身を引かなければなりません。
そのようなわけで、大勢の人が月に1回、1時間集まります。なお、私たちはいつも、話し合いを始める前に祈りを捧げます。誰かがこう言いました。「祈りを捧げているユーチューブのビデオを作りませんか」と。実際に作り、それは「核の祈り」と呼ばれています。ジョージ・シュルツやビル・ペリーのような人々が信仰や核兵器、そして神とこの地球への深い敬意について話すのを聞くと、心がとても動かされます。

SI:最近、アメリカで銃に関する法律を変えようとする若者の運動が勢いを増しています。若者はURIの仕事に関与していますか。
スウィング司教:宗教連合イニシアチブのおそらく80%が35歳前後かもっと若い人々、宗教に縛られているという感覚をあまり持たない人々です。寛容さや融通性を持っているのは若い人々です。同行するとき、私たちはこう言います。「あなたの宗教だけがあるのではありません。他の宗教のことも考慮しなければなりません。私たちはここで、もっと大きな世界をつくり上げなければなりません」。若い人々はこのことを理解します。彼らは現在、私たちの重荷を背負っている人々です。

SI:URIの将来についてどのようなビジョンを抱いていますか。
スウィング司教:URIは適応し変化し続けなければなりません。私は自分のビジョンの終点へと到達したような感じがします。私たちはそれを開始させました。世界と聖霊は、私たちが次に何をすべきかを明らかにするでしょう。「未来を知っており、どこに行かなければならないかを知っている」と言ったりする、創設会長のようなものにはなりたくありません。私はいつも神秘の中を歩いており、自分が主のお仕事をしていること、聖霊が私を導いてくれることを望んでいます。創設者は未来を知っているというような、自我が行うものにはしたくないのです。私は過去に関して謙虚であるのと同じくらい未来に関しても謙虚です。すべて奇跡的なことなのです。それは神の手のうちにあると究極的には信じていますが、私は冒険しようと意気込んでいます。要はこういうことです──冒険しようと意気込んでいるということです。

より詳しい情報についてはuri.orgを参照してください。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。
ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

路上の出会い

編集長殿
2018年5月初めのある日、グループメンバーと私はアムステルダムで、交差点の歩道を渡るのを待っていました。モロッコ人の風貌の男性がすでに道路を渡って、私たちの方へ近づいていたのですが、彼が通り過ぎる時に突然振り返り、私たちに話しかけてきたのです。私は少し驚きました。彼は陽気で上機嫌な様子でした。私たちは彼が言ったことを正確には覚えていませんが、大体の意味は、彼が寂しいと感じたことがないのは、人々に話しかけているからだということ、そして彼はどこにいる人たちでも、何が必要であっても助けるのは、私たちが皆ひとつであり、兄弟姉妹だからということでした。それから彼はそのまま歩き続けて、私たちは心が軽くなるのを感じながら、信号が青に変わってから道路を渡りました。
シェア・オランダ・
インフォメーションセンターのメンバー
オランダ、アムステルダム

光のスピード

編集長殿
2018年5月10日に、私たちはアムステルダムのスピリチュアルなセンターである、ザ・ローズ(デ・ルー)で、『存在の美と生命の法則』と題した講演会を催しました。
私たちが(急な階段を上った)3階にある講演会場に到着した直後のことですが、驚いたことに松葉杖の女性が入ってきたのです。私たちがなぜ驚いたかというと、彼女は私たちと同じ停留所でトラムを降りた人で、センターまで歩く距離もあり、その後階段まで上ってきていたからでした。彼女はセンターまでの道のりも階段も、ものすごいスピードでやって来たに違いありませんでした。
講演の終わりに私たちは大宣言の日について話し、マイトレーヤが人類に一体性の体験を与えてくださることを伝えました。その時にあの女性が霊的な体験について私たちに話してくれて、彼女自身と同じく画家であるモスクワの友人が描いた、美しいマイトレーヤの絵を見ていた時に、その瞳が美しく光のようで、まさに輝く光だったそうです。私たちが弟子を通して働く覚者方についても話をすると、覚者方が例えばベンジャミン・クレーム氏やレンブラントを通して働くのを知るのは、すばらしいことだと彼女は言いました。それから彼女は他の催しに参加したいので、帰らなければならないと言いました。
伝導瞑想グループメンバー
オランダ、アムステルダム

 

読者質問欄

Q 私たちがマイトレーヤをまだ見ていないのは、私たちの活動不足や、十分に一生懸命働いていないためでしょうか。(2008年5月、日本の講演会)

A 私はずっと、マイトレーヤ出現のタイミングは大衆の期待の状態に関係していると言ってきました。それはもちろん彼の存在を信じるグループの責任です。しかし、それは単にマイトレーヤの実際の出現の道を準備しているグループの「落ち度」ではなく、政治、経済、社会、科学の分野で働いているすべてのグループの責任です。知ろうが知るまいが、すべてのグループがこの出来事を準備する自らの役割を持っています。
ジュワル・クール覚者は、大衆への準備的なアプローチという任務を担う、これらの少数の人々、大勢の人々ではなく、十分な規模のグループは、政治的なグループを除いて、最も困難な任務を持つだろうと書いています。
政治的グループの任務は、平和が有効であるような状況を生み出すことです。国際主義が創造され、明らかになるべきです。国際連合の創設はこの仕事の一側面でした。最もそれはあまり機能していませんが。
現在の世界の経済制度は、分かち合いの原則の支配にはほど遠い状況です。私たちのマインドがその方向に動いているとさえ言い難いです。ですからそれは準備的な仕事の一部です。
世界に善意はどれほど存在するでしょうか。善意の原則、善意のエネルギーは、人々がマイトレーヤの助言に正しく反応するために顕現されなければなりません。私たちは善意の人々を知っていますが、私たちはそのような人々と接触すべきです。善意を持たない人は世界に何百万人もいます。
人々は世界の状態を彼ら自身の狭い関係性に基づいて判断する傾向があります。マイトレーヤが世界に現れるにあたって、これらすべての要素を考慮しなければなりません。私たちの任務は非常に特別ですが、それは私たちだけの任務ではありません。それは様々なグループの任務であり、彼が語る時にはすでに人々がその方向で考えているように状況を変化させるのは、特に経済的グループの仕事です。
ですから、私たちのようなグループが、十分に働いていないのではないかと自分たちを責める必要はありません。私たちはもっと大きな視点から、私たちの仕事が他のグループ(政治、経済の分野で働くグループ)の仕事と関係していることを見る必要があります。理想的な方法は、緊急性の感覚を持ちながら、期待せずに着実に働くことです。私たちが行うことの結果を毎日気にしすぎないことです。そのうち雨だれが石を穿つということになります。毎日石に空く穴の大きさを調べていたら、惨めになるだけでしょう。

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。