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最高位からの贈りもの

──覚者より

   ベンジャミン・クレーム筆記

 人間は啓示を拝受する時点に立っており、間もなくそれが、一致しない様々な声や態度を押し流すだろう。人間は自分たちの存在の意味と目的をよりいっそうはっきりと知り、その知識が彼らの認識の中にもたらされた手段を知るだろう。間もなく、非常に間もなく、人間はあたかも一夜にして、と思えるほど、急速に成長するだろう。
 この新しい知識は多くの者たちをこらしめ、驚かすだろう、しかし彼らの理解について完全な調整をもたらすように、彼らを刺激し、啓発するだろう。これが人生の意味と目的と彼らが呼ぶところのことについて、新しい価値を与えるだろう。より一層の真剣さとより大きな歓びが人間の信念と行動に浸透するだろう。そして徐々に彼らを全く新しい啓示に熱中させるだろう。その時は遠い先ではない。偉大なる主は、公に、認知される存在として世界に現れて、恩寵をもたらすことをしきりに願っておられる。
 恐れることはない。新しい世界がつくられつつあり、それが人間の信と勇気を同等の順序で回復させるだろう。

(シェア・インターナショナル誌、2015年5月10日)

「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように!」ーマイトレーヤ

論説

シェア・インターナショナル誌のことをよく知っている人々は、マイトレーヤと他の覚者方が長年にわたり、「ファミリア」として、あるいは自分自身として、様々な姿で世界中の協働者たちに現れてきたことをご存じだろう。以下に掲載されている抜粋は、そのような訪問によるものである。ベンジャミン・クレームの師はのちに、その訪問者がマイトレーヤであることを確認した。

 こうした抜粋は、マイトレーヤが 2003年にシェア・インターナショナルの協働者たちのグループに語ったことを言葉どおり記した重要な記録である(全文についてはシェア・インターナショナル誌2004年2月号を参照)。彼は3週間前にもシェア・ネザーランドのインフォメーションセンターを訪れており、マイトレーヤのファミリアであると確認されていたので、私たちは彼が誰であるかを知っていた。これといった特徴もないかのようにその会話は始まったが、私たち全員が息をひそめて、彼の訪問による非日常的な感覚を共有していた。

2003年11月15日、9人がアムステルダムのインフォメーションセンターで働いていた。……

マイトレーヤ:さて、こうしたグループには、「いつ出てこられるのか?」「どのくらい待ち続けなくてはいけないのか?」「なぜこんなに時間がかかるのか?」といつも尋ねてばかりいる人がいるものです。……しかし、なぜこうした問いを発するのでしょう?  本当にはやって来られるとは言えないのです、なぜならここにおられるからです。彼はすでにここにおられるのです。彼らはそれを知らないのですか?  彼に会っていないのですか? 彼はこの世界に臨在している、このことは起こっているのです。おそらく彼らが望んだよりも時間がかかっているかもしれません。私が望んだよりかかっているし、おそらく私たちが期待した方法とは違う形で進行しているのかもしれないし、私が期待してきたものとも違う形ですが、うまくいっています。彼はここにおられる。私はこのことがうまくいっていることにいかなる疑いも持っていません。うまくいくでしょう。うまくいっているのです。わずかな疑いも、いかなるものもありません。多くの人々は彼がここにおられることを知っています、彼らは心の中で直観的に知っているのです。多くの人々はマイトレーヤがここにおられるという情報にオープンなのです。……(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:人々に情報を伝えたり、新聞や雑誌を渡したりすると、このアイディアにオープンになってくれることを、より一層望みます。それを信じてくれることを期待します。

マイトレーヤ:あなたが望むことではないのです。何かを望んだり、欲したりするべきではありません。ただやりなさい、求められたら、ただ情報を伝えなさい。いいですか、私たちは人々を変えるつもりはありません。改宗させるつもりもありません。私たちは伝道師ではない。私たちは求めに応じて語るのです。最も重要なことは、本質においてすべてはここにあるということです。もし、あなたがオープンなら、あなたはただそれを知り、考える必要もありません。あなたがオープンならば話をする必要もないのです。本質においてそれがすべてだとあなたは知っているのです。……

グループ:私たちが無執着であるべきだという意味ですか。

マイトレーヤ:そうです。結果はあなたに関係ありません。ただやること、結果を求めてはいけない。結果を探してもいけない。それは西洋的な態度、マインドの習慣であって、私たちはいつも何か起こさなければならないと考えるのです。私たちは、事を成さなければ、事を起こさなければならないと考えます。しかし、それは不要なのです。……

マイトレーヤ:すべての変化はゆっくりと起こります。大変に漸次的なものです。一体何度、何回の人生を送ったのか考えてみれば、自分でどのようなものか分かるでしょう。一体何度転び、そして再び立ち上がり、転んではまた試みて、転んではまた立ち上がってきたのか。人生の繰り返しです。変化には時間がかかります。

グループ:私はこの惑星の状態が心配です。私たちがこの星を救うのに間に合うのでしょうか。

マイトレーヤ:好きなだけ心配していいのですが、それでは何事も変わりません。心配は助けになりませんが、すべてのことはうまくいくでしょう。私たちが困難な時代に差しかかるのは本当です。私たちは奈落の底の淵まで行くでしょうが、落ちません。なんとか切り抜けて、淵から落ちたりはしません。……すべてのことはうまくいくでしょう。すべてはよくなります。恐れることは何もありません。私は全く疑っていませんよ!(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:全く疑っていないのですか?

マイトレーヤ:いかなる疑いもありません。

グループ:あなたは権威をもって話されます。それはあなたの経験によるものですか。

マイトレーヤ:私には他の人より権威があるわけではありません。しかし、それが私の信です!  私は知っているのです。人々は希望について話しますが、信じているなら希望は必要ありません。

私たちは黙って坐り、彼の言葉が続くのを待っていました。彼もまた沈黙し、そしてこう言いました。「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように。人々はマイトレーヤがどんなに強力な方かを忘れるのです!」……(ゴシック体は筆者による強調)
 彼が残したものは疑いもなく「彼はここにおられる」ことと「すべては良くなるだろう」ということでした。この訪問者がマイトレーヤだと考えるのは正しいですか。

月刊誌チーム
オランダ、アムステルダム、インフォメーションセンター

【ベンジャミン・クレームの師は、その『訪問者』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 今、2022年の始まりにあたり、世界中の多くの人々は、世界が「奈落の底」の淵に近づいたことを恐れるのも尤もだと言うだろう。なぜこんなことが起こってしまったのかと問わずにいられない人々もいる──私たちが今、奈落の底の周辺にいることは本当だと考えて。マイトレーヤが「私たちは落ちません」と保証された2003年からほぼ20年がたった──ただし、マイトレーヤは「困難な時代に差しかかる」と確かに主張された。何が起こったのだろうか。また、私たちは当時、現在の状況と関係しているかもしれない何を許してしまったのか。
 ここ2年間が困難であったことから、多くの人々が将来について心配している。私たちは短期的な傾向についての判断に基づいて、進歩したとか、見かけ上は進歩していないと考えがちである。覚者方は一過性のもの──圧倒的なように思えることもある変動する日々の出来事──に基づいて判断することを戒めておられる。ベンジャミン・クレームの師はシェア・インターナショナル誌でこう書かれた。「ハイアラキーの任務は、神の大計画を『我らが人類と呼ぶ中心』を通して実施することである。このことは、人間の神聖なる自由意志を絶えず尊重しながらなされなければならない。かくして、大計画が進んでいく過程の中における一日一日、一年一年ごとの成り行きに完璧さを求めてはならない。長期の目標は保証されている。それについては疑う余地はない。人間のみが大計画の進行していく道が突飛なものになるかどうかを決めるのである」(「大計画は進む」より、1992年10月号)
 しかし、すべての「秘教をよく学んでいる人」が知っているように、時間は存在しない。それでも、歴史上のこの瞬間、時間は重要である。多くの賢者たちの声が、衝動的な反応か、人を無能にしてしまう無気力かのどちらかによって、未来──この惑星と私たち自身の未来──を危険にさらしてしまうことについて警告している。(ジミー・カーター元大統領やエルダーズ、ダライ・ラマ、フランシスコ教皇、著述家、エコノミスト、社会評論家の)こうした声や、あらゆる分野の何百万人もの活動家の声がすべて、「今でなければ、いつなのか?!」と一斉に述べ立てている。
 生活のあらゆる分野の二極化は明白である。私たちのほとんどは毎日、あつれきを招くその影響を体験している。しかし知的に理解し対処するなら、この同じ二極化は、私たちが過去の失敗を繰り返すのを防いでくれるだろう──私たちが「通常」として受け入れている優勢な考え方や構造の支配から私たちを解放さえしてくれるだろう。私たちは二極化してお互いに対立している状態から、一つであることを受け入れ、国際社会が合意した制度を通した世界資源の分かち合いを選ぶことへと移行していく必要がある。分断を避けて、共通の利益──万人の利益、いのちそのものの利益──を選択することを目指すことができる。
 人類は極端な二極化に直面しており、選択することを迫られていることを理解する必要がある。その選択をすべき時は今であり、かつてないほど急を要している。私たちの惑星は、そして惑星上のすべてのいのちは、汚染や劣化、病気で苦しんでいる──それは貪欲や商業至上主義、分離主義の副産物である。分かち合い、公正で健全な社会を選ぶことが早ければ早いほど、それだけ速やかに世界の主要な問題──貧困や飢餓、想像し得るあらゆる形の不正義──を解決するために大挙して働くことができる。私たちは地球と自分たち自身の健康を回復する必要がある。
 明らかに、既得権益──軍産複合体、1%の超富裕層、自己満足や無気力と組み合わさった経済的・政治的なファシズム──は、「光に包まれた」未来への集団的な移行にとってのブレーキとなっている。その未来は、私たちが本質的に一つであることを体験することから生まれるだろう。マイトレーヤと覚者方のインスピレーションの下に、いま人類に求められているのは、意志とエネルギーのすべてを奮い起こし、力を結集し、行動を起こし、「いのち」に、私たちの不可侵の権利である「正義」に賛成する立場を一丸となって明確にすることである。
 現在の危機に対する人々の反応が近未来を決定するだろう。しかし、最終的な結果は初めから知られている。私たちが集団的に見て見ぬふりをしてきたあらゆる不正義と、未解決の悪事を前にしての腹立たしさや苦痛、悲哀、義憤を生むあらゆるものをしかと見、認めなければならない。私たちがつくり出し許容している世界の醜悪極まる不正義を認めなければならない。私たちはどのような不正行為を無視したり犯したりしてきたのか。過ちを癒し始めるための「真実和解委員会」をどこで必要としなくなるのか。
 これまでのところ、私たちは時間を無駄にしてきた。世界の指導者たちは大体において、正義を求める市民の要求に耳を傾けていない──それは単に、子供を養うのに十分な食料のあるまっとうな生活と、繁栄していくための居住可能な惑星に対する要求である。マイトレーヤが次のように言っておられたということを本誌の定期購読者はご存じだろう。人類は正しく反応し、彼の助言に耳を傾け、分かち合いの原則が柱となる公正な地球社会を選ぶことをマイトレーヤは知っておられるということを。私たちは変わることができるということを覚者方は知っておられる。正義、自由、愛、美、一体性を選ぶことは私たちの本性に適うことである──私たちの霊的なDNAである。
 事態は急を要している。あらゆることをやらなければならず、一刻の猶予もならない。私たちの本性を主張し、私たちがすべてのいのちと相互につながり合っていることを知るとき、そこにこそ希望がある。「希望は、あらゆるものが内的につながり合っているという認識にあります。自分の生活や自分の日常の活動が、宇宙的な枠組みとつながり合っているという認識です」(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌、1990年)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

ただ与えること

 2000年の夏に、私は約2週間ロンドンに滞在しました。私は学生で、初めて一人での海外でした。あまりにたくさんのホームレスの人々を見かけたことに、ショックを受けていました。以前にも他の場所でホームレスを見たことはありましたが、その時にはどういうわけか気が滅入ってしまい、ダウンタウンへ行って、お客で混み合ったファストフード店の隣に座り込んでいる人たちを見た時には、特にひどい気持ちになりました。私は混乱していました。
 ある日、ダウンタウン近くの通りを歩いていた時、二人の少女が走り寄ってきて、彼女たちの母親が病気なので、母親のために食べ物を買う必要があると言いながらお金を求めてきました。この小さな子供たちが困窮しているのか、あるいはホームレスなのだろうかと思っていました。私がそのうちの一人にお金を渡しましたが、もっと必要だと言われました。もう一人にお金を渡すと、また同じことを言われました。私が渡すと、彼女たちの「もっとちょうだい!」が繰り返されて、近くの店から店主が出てきて二人を怒鳴るまで、私は逃げ出せなくなっていました。二人は逃げていき、私は何が起こったのか分かっていませんでした。私はすでにたくさんのお金を渡していましたが、彼女たちが何者なのか、私はどうすべきだったのか分かりませんでした。私はさらに混乱してしまいました。
 同じ日の後になって、歩いていた時にスーツを着た男性に出会い、話しかけられました。その男性は背が高く、体格の良い黒人でした。ビジネスマンに見えました。彼はグループの仲間たちと金曜日に集まって、ホームレスの人たちに食べ物を提供していると話してくれて、寄付を頼まれました。あの少女たちが頭に浮かんできて、少しの間ためらっていました。私は彼にほんの少しのお金でも大丈夫かどうか尋ねました。彼に1ポンドくらいを渡すと、彼は微笑んでお礼を言ってくれました。彼の微笑みで気持ちが良くなりました。
 再び歩き始めると、彼から呼び止められました。彼は微笑みながら私にヨガについての小さな本を渡してくれたのです。私は彼にお礼を言いました。私に本をくれたことで持ち出しになってしまっていると思い至って、後になって奇妙な感じがして申し訳なく思っていました。けれども私は彼に会ってからのほうが幸せでした。彼は特別な方だったのか、それともただのボランティアだったのですか。これらの体験が意味するのは、渡すお金よりも時には動機がより大切だということですか。

匿名希望

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

ぴったりのところに

 2008年5月31日の早朝に、私は美容室の予約があって、村へと車で向かっていました。あまり眠れていなかったので、車を駐車していた時、街灯にぶつけてしまいました。これが起きる直前、歩道に一人の紳士が立っているのが見えました。彼は薄いベージュのスーツとネクタイで、メガネをかけていました。
 車が止まった後、バンパーの部品のいくつかが落ちていました。その紳士がそれを拾って、元の場所に戻してくれました。彼は私を慰めてくれて、「新しい車なのに残念でしたね」と言ってくれました。

ヴィルヘルミナ・ヴィラルト
オランダ、エーペ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

判断の問題

 2007年9月26日に、私はアムステルダムでのベンジャミン・クレーム氏の講演に参加しました。オーバーシャドウによる感動を覚える体験によって、非常に感銘を受けました。何という愛だったでしょう!  紛れもなく本当の祝福でした!
 講演の1週間後、以下のことが起こりました。ドアを開けたままにして玄関で作業していた時、外にいた二人の女性の大きな声にびっくりしました。その二人はとても一般的な話をしていて、そのことで私は一つの見切りをつけてしまいました。それは「その女性たちに何も間違っていることはない、二人は全く大丈夫で、誰でも、すべての人たちは完全に十分な存在だ」という思考によって修正されました。私の感じ方が変化したのです。
 それから二人がゆっくりと玄関を過ぎて歩いていくのを見ていました。70代の年配の女性たちで、きれいな服装をしていて、手に手を取って歩いていました。一人はかなり大柄で驚くほどカラフルな服を着ていて、もう一人は小柄で全体に灰色がかって見えました。私の家の玄関の前で立ち止まり、お互いに大声で話しかけて、おしゃべりに夢中でした。その後二人は歩き続けながら、実際には何でもないことについて熱心に話し続けていたのです。それは私の印象で、この時には判断を下してはいませんでした。
 数メートル歩くと、二人はまた立ち止まりました。つまり、極めて重要なのは二人の会話ということなのです。背の高い女性は大声で持論を述べると、もう一人がそれを肯定するというふうでした。おかしくて愛すべき女性たちでした! 二人は歩いていきました。少し雨が降っていて、背の高い女性がとても小さな傘を持っていて、それがまた驚くほどカラフルなボールがプリントされているもので、実際に使うにはあまりにも小さいものでした。それから忙しく話しながら、二人はゆっくりと通りを渡っていきました。私は自分の仕事を続けました。
 またすぐに二人の声が聞こえてきました。その時二人は道路の反対側から戻ってきていて、その間中、話をしていました。一方で、私は家の前にあるバンの中ですることがありました。バンの中で立っていると、またそこに二人がいたのです!  私のすぐ前を歩きながら、完全に会話に没頭していました。
 こうしたことを観察していた間中、奇妙な感覚がありました。講演でクレーム氏は、覚者方がファミリアとして現れる時には、しばしば何か奇妙なところがあると言っていました。また目撃している人物の何らかの特徴を、優しく指摘することもあるということでした。あの女性たちについてはどうなのでしょうか。二人は人目を引く以上の存在なのでしょうか。
 この出来事の前の晩に、また別のことが起こりました。妻と私が車に乗っていて、恥ずかしながら自分たちの会話にかなり熱中していました。相当のスピードを出して運転していた時、前方の信号が黄色から赤へと変わりました。反応が遅れながらも、今にも道路を渡ろうとしていた歩行者が見えていました。強くブレーキを踏むと、その歩行者の女性のほんの90センチかそこら手前で止まりました。信じられないほどの短時間で停止できたことと、ブレーキを踏む動作の滑らかさが普段と違っていたことに私は驚いていました。私たちは助けられましたか。

コース・ヤンソン
オランダ、ザイスト

【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その『背の高い女性』がマイトレーヤで、もう一人がイエス覚者であったことを確認した。(2)マイトレーヤが車を止める手助けをされた】

熱心な訪問者

 私たち『ダブリン・グループ』のメンバーは、2008年3月のダブリンでのマインド・ボディ・スピリットフェアに出店しました。三日目の終わりに、帰宅するため荷物をまとめていました。ほとんど興味を持ってもらえませんでしたが、もしマイトレーヤが現れたらすばらしいのではないかと思っていました。その時、20代後半か30代前半の女性が現れました。彼女は笑みを浮かべた丸い顔をしていました。茶色の髪を後ろで束ねてほっそりとした三つ編みにしていて、淡いブルーのジャケットと無地のシルクのやや長めのスカートという格好でした。
 彼女が「マイトレーヤはどこにいますか?」と言いました。私は「ロンドンです」と答えました。彼女が「彼に会ったことはありますか?」と聞いてきました。私がいいえと答えると、彼女が帰ろうとしたので、私から「彼に会ったことはありますか?」と尋ねました。クスクスと笑いながら、彼女は「分かりません」と言って、素早く立ち去りました。この人は覚者でしたか。
 眠りに就く前に、アンと私は伝導瞑想をした時に感じる同じエネルギーを、それぞれ体験しましたが、私たちは大祈願を唱えていませんでした。これはなぜでしょうか。

ノラ・ハート
アイルランド、ダブリン県ブラックロック

【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がマイトレーヤご自身であったこと、体験したエネルギーがマイトレーヤからの祝福であったことを確認した】

読者質問欄

2003年、アメリカ、ロサンゼルスでの質疑応答

Q これは希望のメッセージなのでしょうか。(2003年のロサンゼルスでのベンジャミン・クレーム講演会より)

A これは希望のメッセージであり、私はそう信じます。しかし、この希望のメッセージを広めるにあたっては、その希望の表れとは何で、私たちが共に平和に、安全に生きる前に世界に起きなければならない深い変化の障害となるものは何かを指摘する必要があります。
 誰もが平和、平等、正義、自由を求めていますが、正義、平和、安全はどこにもありません。なぜでしょうか。私たちは月に行ったり、火星にロケットを送ったり、あらゆる素晴らしい技術的な偉業を行うことができます。なぜ私たちは世界平和をつくれないのでしょうか。なぜ豊かな世界の中で何百万もの人々が飢え死にしているのでしょうか。なぜでしょうか。なぜ私たちは文明と呼ばれるものをつくりながら、貧しくて困窮している人々を追い詰めるような行為を日々行い、正しい関係の概念に反するようなことを行っているのでしょうか。

Q 「正しい関係」とは何を意味するのですか。

A 人間の進化における次のステップは、正しい人間関係を創造することです。豊かな世界の中で一人でも飢える子供がいるのなら、私たちは正しい人間関係を持つとは言えません。今日の政府が人々の最大の利益に反し、国連総会の賢明な助言に従わないのであれば、正しい人間関係など存在しません。この世界は恐怖心に満ちています。人間のあらゆる行動の中心には恐怖があります。恐怖が政府の行動を支配しています。それは文明と呼ばれるものの喉元にある第一の癌です。この恐怖心のために、私たちは害を及ぼすことのないように、良識や精神的能力、経験、志向が要求するような調整を行うことができないのです。

2021年12月号目次

 

覚書より
教える者たちと教えられる者たち
ベンジャミン・クレーム筆記

商業至上主義の呪い
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
お金のない世界
ロバート・C・ケーラー

COP26(2021年、グラスゴー)で発表された 世界各国の政府および国際機関への公開書簡

理想を具現する必要-選集
The need to make manifest our ideals ― a compilation

インドの農民たちの抗議―民衆の力の勝利

種子の保存と共有 単純だが根本的な行動
エリッサ・グラーフ

時代の徴
「徴を求める者は……」

勇気を奮い起こして

「リトル・アマル」の大きな影響
タラ・クレーム

民衆の力は、歴史上の汚染者がやらないことを成し遂げる

接触と伝達の科学
アート・ユリアーンス

4,500万人が飢餓の危機に瀕している
ペイバンド・コーサンディ、ポール・アンセム

重要な時代における弟子の責任一 第五部
アンネ・マリエ・クヴェルネヴィック

編集長への手紙
美しい挨拶 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

教える者たちと教えられる者たち

──覚者より

   ベンジャミン・クレーム筆記

 人類はその長い歴史の中で、道に迷ったときが幾度もあったが、今ほど大きく運命られた道から逸れたことはかつてなかった。今ほど人類が救助を必要としたことはかつてなかった。そして今まで、その助けがこれほどまでに入手可能であったときはかつてなかった。長い長い間、人類に与えられる援助の程度は法によって制約されてきた。人間の自由意志は神聖であり、侵されてはならないものである。今日、数え切れない何世紀もの間で初めて、かつてないほどに多くの援助が自由に提供され得るのである。今日、人類の必要と絶望感が最大のときに、彼らの兄たちの豊かな援助の手が開かれ、そして彼らが切望する援助を提供する。
 要求されることは人間自身からの要請のみである。必要とされることは「同胞団」〔訳注=覚者たち〕の助言と知恵を喜んで受け入れる用意ができていることであり、方向を変えることである。
 この危機のときに、多くの者たちは希望を失い、すべてが終わるのを恐れながら待つ。彼らの未来に満ちている希望について何も知らず、変化の真っ只中で思い悩む。さらに多くの者は現在の状況にいらだち、何が何でも変化を求める。彼らは未来が招いているのを感じるが、それが何かを知らず、新しいものを経験することを切望して、じれったがっている。すべての者が、この変化の時を特徴づける緊張とストレスの影響下にさらされており、彼らの性質に照らして、それぞれに反応する。
 この複雑な状況の中に、覚者たちは接近してくる。彼らは人間の自由意思が侵されないように行動しなければならないが、「法」が許す限りのあらゆる方法で助けることを求める。すべての者に受け入れられるやり方が発展するまで、多くの状況と場合において、緻密な判断が必要とされるだろう。
 あなた方の兄であるわたしたちは、自由と正義を一人ひとりにもたらすものとしての完全参加による民主的プロセスを勧める。しかしながら、進化(の旅路)におけるわたしたちの長い経験と展望から、提供される助言を受け入れることが人間の利益であり向上のためであることが多々あるだろう。
 このようにして、教える者たちと教えられる者たちは、調和と信頼のうちに共に働く。そしてそのようにして、人間は過去のやり方を、彼らの先達のやり方を学び、彼らの志向をあらかじめ定められた目的にそわせるだろう。
 そのようになるだろう。そのようにして、人間は人生の本質を知り、今日、彼らのビジョンを歪め、不幸をつくり、存在そのものを脅かす多数の無益な執着を放棄し始めるだろう。
 間もなく、覚者たちの中の覚者であるマイトレーヤは彼の公の使命を始められるだろう。間もなく、人間はマイトレーヤの教えを聞くことができ、そして自分たち自身でそれを評価することができるだろう。その中にある「真理」があまりにも単純に明らかなので、多くの者が速やかにマイトレーヤの勇士たちの群れに参加して、彼の重荷を分かち合うだろう。これらの言葉を読む者たちすべてがその中に含まれるように。

(シェア・インターナショナル誌2004年7、8月号)

商業至上主義の呪い

──覚者より

   ベンジャミン・クレーム筆記

 もし人類が地球温暖化の影響からこの惑星を救おうとするならば、計画されている炭素排出量制限よりもはるかに多くのことをなさなければならない。しかも、一般に必要な期間として受け入れられているよりもずっと短期間に行わなければならない。人々がこの危険を認知するのに時間がかかった。今でさえ、多くの者たちは問題を真剣に受け止めることを拒否する。そのような態度がこの地球という惑星の未来を危険にさらすことは疑いない。取り返しのつかないダメージがなされる前に均衡を確立するために人間に残された時間は、最大に見積もっても、10年か15年※しかない。
 この目標を達成するために、人間は現在の生活様式を劇的に変えて、より簡素な生活の仕方や仕事の仕方を採用しなければならない。後に続く世代に対する何の配慮もなく、徐々にそして必然的に衰退してきた環境を見ようともせず、どうにでもなれという態度で、この惑星を意のままに荒らし、略奪してきた日々は過ぎた。
 長年の間、毎年、毎年、大昔の原始林の巨大な領域から、純粋に商業的利益のためにいのちを与える樹木が切り払われてきた。商業至上主義が人間の喉元をさらに締めつけていくにつれ、それはまさに人類にとっての凶兆である。商業至上主義は人間にとって原子爆弾よりも危険であると、マイトレーヤは言われる。そして今日、世界を支配する経済破局にその破壊的な力を示している。
 諸国の政府や国民がこのことを認識するのにどのくらいかかるのだろうか。商業至上主義が人類の生き血を搾り取り、人類自身が衰えて死ぬまであとどのくらいだろうか。突然、失業し、ホームレスになり、絶望している大勢の人々の心(マインド)に、ますますこれらの言葉の真理が生まれる。
 これが、マイトレーヤが公の仕事のために人類の自由意志を侵すことなしに前面に出て来る状況を提供した。マイトレーヤは、現在起こっているこの出来事が確実に明るみに出るという知識に確信をもって、辛抱強く長年の間、この時を待っておられた。
 商業至上主義はその牙をむき出し、危害をくわえる力を見せた。何百万の人間の自己満足感は商業至上主義と古いやり方への憎しみと不信に変わりつつある。至るところで人々はやっと、人生の意味と目的についての新しい解釈──分かち合い、正義、平和=正しい関係、同胞愛とより大きな幸せ──を受け入れる用意ができた。彼らはついにマイトレーヤの呼びかけに応える用意ができたのである。
 もちろん、すべての人間がこの変化を通っているわけではない。この“不況”を“じっと持ち堪えれば”、また以前のように富を再び築きあげることができると想像する人々がたくさんいる。非常な金持ちと如才のない者たちは、何も失っていない。彼ら自身と他の人々との間のギャップは、単に彼らにとって有利な方向にさらに広がった。今のこの時は、他のいずれの時とも違うことを彼らは理解していない。われわれは、古い秩序の終わりに到達したのである。宇宙のフォース(エネルギー)が変化を命ずるのであり、それは起こらなければならず、起こるだろう。そうでなければ、この地球上の生命は繁栄しないだろう。
 用意のある者たちは、マイトレーヤが、彼らの心からの要望を簡潔で感動的な言葉に表す彼の教えに速やかに反応するだろう。他の者たちは自分たちが馴れ親しんできたものを捨てるのにより長くかかり、一時期、反対するだろう。やがて、世界中の何千万の人々は、変化の必要とその論理に納得するだろう──それらの変化のみが、この惑星とその住民を救うだろう。

(シェア・インターナショナル誌、2009年4月17日)

※ 以上のように、この記事は12年前に書かれた──ここで伝えられた訴えかけと助言を一層緊急なものにする事実である。

今月号の内容概説

 この12月号では、ベンジャミン・クレームの師である覚者によって書かれた二つの記事を再掲載する。一つは2004年に、もう一つは2009年に書かれた。両方とも決定的に重要な指針を提供しており、時宜に適っている。両方とも私たちの窮状を明らかにし、援助を申し出ている──次のようにしさえすればよい、と。「要求されることは人間自身からの要請のみである。必要とされることは『同胞団』の助言と知恵を喜んで受け入れる用意ができていることであり、方向を変えることである」
 グラスゴーでの国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)の後、学者や活動家、科学者たちは成果を分析しているところである。世界が期待したことは非常に多く、もっと多くのことが達成できたはずである。いくつかの小さいけれども重要な突破口が開かれたが、一般の観客は悲しみに包まれたまま取り残された。「方向転換」をしてほしいという望みは先送りされたからである。「またもや戯言だ」と、活動家たちはサミットでの検討を却下し、地球の未来を守るために民衆のフォーラムや現在進行中のキャンペーンで頑張り続けることを決意している。
 今月は、変化を求める民衆の希望や要求を表す記事を掲載したものの、分断された世界の恥ずべき結果を明らかにせざるを得なかった。一方、マイトレーヤの──世界資源を分かち合いなさいという──助言に従えば、ほとんどの主要な問題は一挙に解決されるだろう。世界は良い方向に変化していることや、前に進もうとする勢いがあり、覚者方の助けはそこにあって求めることができるということは疑いない。私たちが依然として苦しみや惨めさと共にあるということも事実であり、今月の選集は、理想を現実の具体的なものにする必要があることを強調している。意図は良いかもしれないが、世界規模の関与と合意が欠けているため、地球の破壊が続くことになる。一方、難民にとって、それは生存のための闘いを意味する──地中海や英仏海峡の海上をすし詰めの船で漂っているにせよ、ベラルーシとポーランドの中間地帯で氷点下の気温に耐えているにせよ、あるいは、干ばつに見舞われたマダガスカルや、戦火に引き裂かれたイエメンで死にそうになっているにせよ。「リトル・アマル」の話は最も心を揺さぶるものである。彼女は移民を代表している──扉をたたいている異邦人である。
 毎年この時期には、より良い未来の希望を象徴するものが大事にされる。マイトレーヤは、私たちの未来とこの惑星の未来のために交渉した活動家たちや代表団と共におられた、と期待することができるだろうか。「至るところで人々はやっと、人生の意味と目的についての新しい解釈、分かち合い、正義、平和……を受け入れる用意ができた」のだろうか。

理想を具現する必要――選集

 The need to make manifest our ideals ── a compilation

「理想を具現する必要」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 重大な出来事が展開しており、それが顕現するとき、人間に無視できない選択を提供する。その選択の性質をよく検討して、心(ハート)から応えることが人間一人ひとりにとっての義務である。もはや人は傍らに立って、出来事がしばしば悲劇的なコースをたどるままに任せていてはならない。いまこそ和合といのちのために、良識と平和のために誇らかに立つ時である。マイトレーヤは途上にあり、あなた方の選択を、彼の嘆願に対するあなた方の答えを要求するだろう。あなたはまさにそのような時のためにここにいることを知りなさい、そして今日のあなたの決断の力を疑ってはならない。

(『覚者は語る(1)』─真理の領域─より)

 人間は非常に病的な状態にあるこの世界を救わなければならない。世界の一般の人々によって、その努力がすでに始められているのを見て、わたしたちの心(ハート)は喜ぶ。わたしはそのような人々に今語りかけている。あなた方の声を大きく上げなさい。あなた方の必要を世界に告げなさい──平和の必要を、正義と自由の必要を、宗教や皮膚の色や人種が何であれ、すべての人間が調和のうちに生きることの必要を告げなさい。すべての人間は本質的にひとつである。彼らはわたしの兄弟であり、わたしは一人ひとりを愛する。

(マイトレーヤからのメッセージ、2008年3月27日、『覚者は語る(2)』)

 善は必ず勝利します。なぜならそれは、この惑星に魂を吹き込んだ神聖な存在の意志だからです。しかし、私たちがそれを行わなければなりません。それはひとりでに起こりません。マイトレーヤはこのように言われます。「ひとりでに起こるものは何もない。人は行動し、その意志を実行しなければならない」。私たちがどんな理想を持っていても、どんなに平和を望んでいても、食物が十分にあり、何百万の人々が飢えないことを望んでいても、何週間も食べていないために膨らんだお腹を抱えている幼児がいなくなることをどんなに望んでいようと、それは、私たちが行動し、それを実施させるまでは、実現しないのです。

(『人類の目覚め』)

 新しい声が人事の中に聞こえはじめており、国家のリーダーたちの中で敏感な心(マインド)を持つ数人によって明確に表現される。この声はわれわれの時代の最も必要とされることをますます表現していくだろう──平和、寛容、過去の過ちの許し、すべての者の利益のための協力と分かち合いである。その声は、人間同胞を愛する者すべてのハートとマインドから発せられるだろう。そして世界の再建と再生への打ち破られることのない要求が出されるだろう。その声は新しい時代の声である。それはマイトレーヤの声である。
 平和と正義を求めて盛り上がるどよめきに、あなたの声を加えなさい。そして歴史の中におけるあなたの位置を悟りなさい。新しい時代の世界がつくられつつあり、すべての者の参加を必要とする。すべての者がこの偉大なる仕事に果たす役割を持つ。自分の志向を声高らかに表現するのに、若過ぎるとか老い過ぎているとか感じるべきではない。

(『覚者は語る(1)』─マイトレーヤの声─より)

 多くの人々が、そして多くの国々がいま助けを必要としている。われわれの意識の中に世界的な相互依存というリアリティー(現実)が確固たる事実となっていくにつれて、『すべての人間は同胞である』という事実が、そのリアリティーを反映する構造や実際的行動のプログラムに移されていくだろう。

(『いのちの法則』)

 神は代理人を通してのみ働くことができます。あなたが神の代理人とならねばなりません。あなたがそうするとき、何か非常に特別のことが起こります。あなたは、自分がそれと同じように感じる人々の、調和について、正義について、正しい関係について同じ理想を持つ人々の、世界中の大きな集団の一員であることを発見します。十分に大勢の人々がそう感じ、そして行動するとき、物事は変化します。

(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 新しいスタートへの呼びかけを聞くとき、あなたは自分が、変化を支持し他の人々もまた生きることができるために自分自身の要求を喜んで減らす先導者の仲間の中にいることを発見するかもしれない。そのようにしてのみ、世界は救われ、再び大計画の方向に向かうことができる。……
 変化への必要がこれほど緊急であり、これほど明らかであったことはかつてない。人間がこれほどまでに不活動の危険を感じ取り、自分の兄弟たちとこの惑星の未来の苦境に対して、今のように心(ハート)を開く用意のあったときはかつてない。

(『覚者は語る(1)』─神の反映─より)

 わたしの教えは単純である。分かち合うことの必要と、すべての人間が平等に汲み取ることのできる資源の溜まり場を創ることの必要を、示すであろう。貪欲を協力と信頼に置き換え、人間の裡なる霊性を顕すことの必要を説こう。

(『いのちの水を運ぶ者』第64信より)

 あなたが公言する理想に従って行動する時が来た。以前にはなかった機会である。あなたの心(ハート)の中に秘められているビジョンを具現しなさい。あなたが独りではないことを、何百万の人間が同じ理想を抱いていることを知りなさい。奉仕することを願う者たちすべてと手をつなぎ、世界の周りに光の織物を紡ぎなさい。あなたは奉仕するために世にあることを、そして奉仕を通してのみ成長することを心にとどめておきなさい。あなたは兄弟同胞の番兵であり、彼らの窮乏に対するあなたの責任を引き受けなさい。

(『覚者は語る(1)』─重要な機会─より)

 金持ちの国と貧乏な国の生活水準の間にある大きな隔たりを許容する余裕を、世界はもう持ちません。その不均衡が今日の政治的、経済的問題の中核です。基本的にそれは精神的霊的な問題です。一方に物質主義と分離、そして他方に霊的な分かち合いと正義と同胞愛、この間の選択です。われわれの選択が人類の運命を決定するでしょう。

(『マイトレーヤの使命  第2巻』)

 今夜、わたしは、真理を求める者としてのあなたがたに語りかける。我が友よ、真理はあなたがたの中に存在する。真理はあなたがたの心の中にある。真理は、我が友よ、兄弟姉妹よ、愛と分かち合いと正義と自由である。これらをあなたがたの生活や社会の中に具現し、神の大計画を再確立しなさい。

(『いのちの水を運ぶ者』第93信より)

 何人も、いかなる階級も、“支配するために生まれる”ことはない。すべての者の必要と権利が公正に満たされるとき、調和が勝利するだろう。まだまだ多くのことがなされなければならない。しかし、すでに人々はそうであることを感じはじめている。新しいエネルギーは数え切れないほど多くの心(ハート)の中に新しい希望と勇気を灯し、人間の最も高貴な理想を体現するような構造と憲法の形成が保証される。

(『覚者は語る(1)』─再生の門口─より)

 問題は、もちろん、霊的理想が大体において理想のみにとどまることである。来るべき時代に我々は意識の転換を行い、「霊的」という定義の中に我々の存在のすべての面を含めなければならない。我々の機構のすべてが、人類の内的一体性に基づき、そしてその現実を反映するものでなければならない。魂として我々は一つである。分離した個々の魂は存在しない。そのような内的神性が表現されることを可能にするような政治、経済、社会のシステムを、我々はつくらねばならない。

(『マイトレーヤの使命  第1巻』)

 わたしが、現在非常に必要とするのは、わたしのビジョンを分かち合う者たちが、行動する責任を引き受けてくれることである。人間の窮乏を知り、そのビジョンを見ていながら、時の緊迫性を知らない者たちが世界に大勢いる。兄弟たちの窮乏を知り、非常に多くの者たちの苦しみに同情の思いを持ち、そしてそれらすべてを変える意志を持つ者たちに、わたしは頼る。わたしが召集する者たちの仲間に、あなたがたも入るように。そして共に新しい、より良い世界を招じ入れることができるように。

(『いのちの水を運ぶ者』第46信より)

 私たちはあまりにも深い物質主義の中に政治や経済を覆い隠したので、今日のような危機的な状況を迎えたのです。私たちはすべての人々のために、分かち合いと正義と自由を通して霊的な政治と経済を持たなければなりません。それがマイトレーヤの目的です。愛とは正しく分かち合う行為です。それが平和への道です。

(『多様性の中の和合』)

 この時点以後、マイトレーヤは緊急な変化の必要を、正義と分かち合いに基づく平和の必要性を一段と強調していかれるだろう。彼はまた、惑星地球の窮状とその問題に対する人間の責任に注目を向けていかれるだろう。かくして、偉大なる主は、われわれの世界と生活の再建設のための行動を組織化して、クライマックスへと漸次強めていかれるだろう。

(『覚者は語る(2)』─目覚め─より)

 わたしは出現するにつれて、世界の前に変化の必要性を提示しよう。これらの変化は、我が友よ、天与のものである。人は、神に向かって進むにつれて、その霊性を実践する必要がある。人間社会のすべての機構が、聖なる光で輝かねばならない。すべての人間の思考のしかたが、裡なる神を顕さねばならない。この真理が、我が友よ、変化の基礎にある。これを知るとき、あなたがたは喜んでこの必要を受け入れるだろう。

(『いのちの水を運ぶ者』第96信より)

 来るべき時代に、人類は非常に大きな前進をすることが予定されているので、新しいタイプの人間が台頭するだろう。……
 利他主義が彼らのアプローチ(取り組み方)の基調であり、新しい素朴さと実務性が彼らの思考を特徴づけるだろう。それゆえに、彼らは、新しい若い新興成金の中にではなく、むしろすべての国に存在する実務的な理想主義者の中に見いだされるだろう。彼らはマイトレーヤのアイディアの実務性を速やかに認知し、そしてさっそくそれらを実施しようとするだろう。彼らの若さと熱情が、非常に多くの者たちの未来を不明瞭にしている長年の問題に対して、新しい取り組み方を鼓舞するだろう。そして彼らの普通でない成熟した心(マインド)が彼らの成功を保証するだろう。彼らは今日の人類の中にある最高のものを代表し、そして未来への最高の希望を表す。

(『覚者は語る(1)』─民衆は奮起する─より)

 民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美である。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。

(『覚者は語る(2)』─民衆の声が将来を先導する─より)

 恐れるでない、我が友よ。困窮しているすべての人々を助けるために、勇敢に、そして喜んで与えなさい。あなた方がこれをなすとき、あなた方が出でたあの本源なる神(神性)の領域に入るのである。それは神御自身の行為である。だから、我が友よ、来るべき偉大な変化の顕現をもう(ただ)待つのではなく、それらの変化をあなた方の行動によってもたらしなさい。

(マイトレーヤからのメッセージ、2006年4月6日、『覚者は語る(2)』)

 いま転生している私たちは尋常ならざる責任を担っている。私たちがいま世界にいるのはそのためである。すべての世代がその時代の問題を解決する知識と経験を携えた人々(魂)を転生へともたらす。私たちは将来の問題を解決するために、人類が存続し続けるかしないかを──正義、分かち合い、正しい関係、平和への選択をするか、すべての生命を破壊するかを──決定するために転生してきた。マイトレーヤは人類が正しい選択をすることを疑わない。

(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

美しい挨拶

次の2通は同じ人物からのものです。

(1)1977年の夏に、私はイタリアのサン・ダミアーノ教会まで巡礼の旅をしていました。2台の長距離バスに日本人がたくさん乗車していました。教会へと歩いて向かっていた時には私一人だけで、20メートル離れた場所に立っていた一人の日本人女性以外に、周囲に誰もいませんでした。その女性は背が高くなく、顔が完璧な卵形で、黒髪に栗色の瞳をしていて、白と赤と金色の日本の着物を着ていました。彼女は私に微笑みかけてきて、深く三度もお辞儀をしたのです。私はびっくりして、彼女が笑いかけているのが私なのかどうか確かめるために、後ろを振・阨ヤりました。実際のところ、彼女と一緒にいたのは私だけでした。向き直ると、その美しい女性は去っていました。
 あなたの師は彼女が誰だったのか教えてくださいますか。彼女からのメッセージは何でしたか。

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した。メッセージはなかった】

違っても同じ

(2)4年前のイースターの日に、膵炎による17日間の昏睡状態と一度の臨死体験の後、病室の壁に目をやると、栄光に満ちたキリストの半身像が私に微笑んでいたのです。彼の姿はキリスト教絵画にあるような特徴があまりありませんでした。彼はどなただったのでしょうか。イエス覚者でしたか。

アンヌ・ジラン ベルギー、ルタンヌ

【ベンジャミン・クレームの師は、それがマイトレーヤの像であったことを確認した】

真の美

 2008年に姉と私はシャルルロワの病院から帰るところでした。左側の、私たちから15メートル背後に40歳くらいの女性の姿が見えていました。彼女はアフリカ人のようで、身なりが良くメガネをかけていて、宝飾品を身に付けていました。
 私の姉は歯のことで歯科医から言われたことを心配していました。私はできる限り慰めようとして、彼女には良い両親と、困難な時には常に支援する用意がある妹がいることを伝えました。私たちがカルマや受容について話していた時、その女性が私たちに声をかけてきました。彼女から、この憎悪と暴力の世界で、私と姉の周りを囲む愛そのものを見ることができるのはとても素晴らしいことで、その愛は大変美しく、気持ちが安らぐと言われました。彼女に母と娘かと尋ねられました。私たちは姉妹だと答えました。彼女は神の祝福を願ってくれました。彼女にお礼を言って、私たちも彼女に神の祝福を願い、良い一日でありますようにと伝えました。
 私たちはとても感動し、驚いてもいたのです! 私たちが後悔したのは、姉と私の間に愛が存在していたのを、私たちを知らずに彼女がどうやって見ることができたのか尋ねなかったことです。彼女を見つけようとしましたが、彼女はいなくなっていました。彼女は覚者だったのではと思いました。

アニー・ジョルジュ ベルギー、シャトレ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】