同胞愛と協力──選集

Brotherhood and co-operation – a compilation

「同胞愛と協力」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第㈵巻と第㈼巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人間がこの豊かな世界の産物を共に分かち合うことを決断するとき、途方もない神秘的な出来事が起こるであろう──一瞬にして、人は戦争の必要は過去のものであることを、テロリズムの脅威は速やかに消え去ることを認識するだろう。分かち合いによって生み出される信頼によって、環境問題や領土問題など人間が直面する問題は開花する善意の中で解決可能なことを認識するだろう。分かち合いを通して、人間は自分たちが兄弟姉妹であることを認識するだろう。そして密接に協力する兄弟姉妹として行動し、この世界の変容の過程を始めるだろう。
(『覚者は語る 1』─人生の秘密─より)

前進するために、人は古きものに対して死なねばならない。いつの時代もそうであった。だから、我が友よ、この転換の時に、古き機構を放棄しなければならない。そしてただ同胞愛の中で、すべての人は分かち合わねばならない。
(『いのちの水を運ぶ者』第118信より)

人間が宇宙と自分自身をひとつとして見るとき、すべてが可能になります。すべてがそのことについてなのです。私たちは自分たち自身をひとつとして、宇宙と一体として見なければなりません。私たちと宇宙との間に何の違いもありません。私たちは地球上のすべてのいのちと、すべてのものと本質的に関連しているのです。私たちを構成する原子構造が宇宙全体に私たちが見ることのできるすべてを構成しており、唯一なる和合が存在するのみです。
ですから、和合へのこの願いが、グループに参加することが、グループの集合が、そして来るべき新しいアクエリアス(宝瓶宮)の時代におけるグループのこの真剣な努力こそが重要な仕事となるでしょう。重要な仕事で個人ベースで行われるものはないでしょう。グループ(集団)の時代です。その活動を世界全体が共に行い、地球という惑星の基本的和合を表現するようになるまで拡大していくでしょう。
(『協力の術』)

世界的相互依存というリアリティ(現実)がわれわれの認識の中で確立された事実となるだろう。そうなる時「すべての人間は兄弟姉妹である」という事実が制度機構や実際的活動計画の中にますます取り入れられて、この実体を反映するものとなるだろう。諸国家も同胞愛、共通の目標、共通の抱負を体験することができ、そうなるだろう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』ーマイトレーヤの予報ーより)

今から数年後に振り返ってみるとき、人は、明らかな最も自然な行動、すなわち世界の資源の分かち合いを実施するのに、なぜあんなに長い間躊躇していたのか不思議がるだろう。新しい安定感と緊張の欠如、国際的な協力の容易さを心から体験してみて、人は自分たちがいかに自明のことに対して盲目であり、自分たち自身の最大の利益に対してあれほど頑迷で破壊的であり得たのか不思議がるだろう。
人類は今や全く新しい体験の瀬戸際に立っており、すべての惑星的な決定や行動がより良いもののためであり、人生を豊かに、神聖なものにし、同胞愛の絆を強めるものとして見られるであろう。それまで同胞愛の絆を彼らは無視して、ほとんど忘れていたのである。喜んで、人間は今や共通の善のために共に働くだろう。過去の憎しみと不信感はきっぱりと彼らの背後に置かれるだろう。
(『覚者は語る 2』ー人間が振り返ってみるときーより)

我が友よ、子供たちよ、わたしは、恐らくあなたがたが期待したよりもさらに時を早めてやってきた。しかしなすべきことは多い、世界には変化を必要とするものがあまりにも多い。多くの者が飢え死にし、多くの者が不必要に苦しんでいる。これらすべてを変えるためにわたしはやってきた。あなたがたに前進への道を示そう、もっと簡素で、健全な、より幸せな生活へ向かって、共に進む道を。人が人に、国が国に相対立することなく、兄弟同胞として、共に新しい御国へと前進しよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第1信より)

来るべき時代にわれわれは意識の転換を行い、「霊的」という定義の中にわれわれの存在のすべての面を含めなければならない。われわれの機構のすべてが、人類の内的一体性に基づき、そしてその現実を反映するものでなければならない。魂としてわれわれは一つである。分離した個々の魂は存在しない。そのような内的神性が表現されることを可能にするような政治、経済、社会のシステムを、われわれはつくらねばならない。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

新しい簡素さをキリストは人間に提供し、そして彼らはすべて兄弟同胞として分かち合うだろう。協力がこの簡素な生活の基調であり、資源の分かち合いが毎日のなすべき事項になるだろう。このようにして人間の神性は表され、このようにして大計画は人間を通して成し遂げられるだろう。
(『覚者は語る 1』ー新しい簡素さーより)

わたしに手伝わせてください。道を示させてください——誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第3信より)

人類自身も一つであるという感じを抱き始めています。来たるべき時代には一つになるでしょう。進化における前進のための次のステップです。同胞愛というものは、持てるかもしれないし、持てないかもしれないというような単なる理想ではないのです。自然界の事実なのです。ただわれわれがそれを具現していないだけなのです。来たるべき時代には、この事実を具現することがわれわれの運命であり、神の意志であります。ハイアラキーのすべての活動と指導はこの目標に向かってなされるでしょう。これは正しい関係を通してのみ実現されるのです。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

人の道とは、同胞愛であり、密接な協力と相互の信頼であり、奉仕であるということを示そう。これが唯一の道である。他はすべて失敗に終わった。我が友よ、もしこれをなさなければ、人間はこの地上に存続し得ないのである。脅しているのではない。真実を述べているに過ぎないのである。時間は残り少ない——自然とこの世界との間に均衡をとりもどす時間は。
神の子として、すべての者が兄弟同胞として、人間の尊厳をもって生きるための手段を全人類に伝えなさい。これをあなたの第一の仕事としなさい。世界の産物をすべての国々に譲り渡し、すべての人間に委託しなさい。自由な人間として、今日、これをなし、真なる神の子として、明日の栄光を刈り取りなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第12信より)

多くの者が自由を求めて闘うのだが、それを他の者に対しては否定する。自由そのものが、正義と同様に、分割できないものであることを忘れている。多くの者が自分自身が必要と感じるものに対する解決を求めるが、相互依存を通してのみ、すべての者の必要が満たされ得ることを忘れている。マイトレーヤの呼びかけが人間の耳に響くだろう——分かち合って世界を救いなさい、協力して真の自由を知りなさい。「あなたの兄弟の手をとって、彼をあなた自身として知りなさい」。そのようになるだろう。そのようにして、偉大なる主は世界にとって、古きものと新しきものの間で苦闘しながら呻いている世界にとって、非常に必要とされる変化を鼓舞するだろう。
(『覚者は語る 1』—変化の中にある世界—より)

今日の教育のほとんどは、ある意味では、職業教育です。人々は、外的な商業主義社会での生活を送るために、競争という鞭を当てられて装備を整えています。これは変わるでしょう。競争は協調に変わらなければなりません。とりわけ、競争というのは、人類の重要な表現——その一体性の表現、つまり一つのグループの一部分である意識の表現——との関わりにおいて、人類を拘束し引き戻す貪欲と恐怖の要素です。これは変わらなければなりません。これが変わると、魂の事実を人々は認識し、覚者方がそれを実証するでしょう。
(『光の勢力は集合する』)

我が愛しき子供たちよ、神を愛することと人を愛することは同じであることをあなたがたに示したい、兄弟たちを愛するとき、われわれは神の愛を顕すのである。あなたがたは、理屈としてはこれを知っている、しかし、親愛なる友よ、愛の実践こそが基本である。なぜなら愛によってのみ、この地球は支えられるのであるから。
(『いのちの水を運ぶ者』第38信より)

人間はまさに深淵なる真理の体験、彼ら自身の本質的『存在(Being)』についての認識を体験しようとしている。大多数の人々にとって、それは遠い過去の中に長い間失われていた(心の)状態に生まれ変わるような体験としてやって来るだろう。各人が、それぞれの方法で、あがなわれ、新たに再生し、浄化され、清められるのを感じるだろう。『同胞愛』の歓びと美が、彼らの『存在』を震わせるだろう。そして各人が己自身をあの美と愛の一部として見るだろう。
(『覚者は語る 2』—同胞愛—より)

マイトレーヤは、われわれが非常に高位のレベルから、物質主義の中にどっぷりと浸かったこのレベルにまで落ちてしまったことを示し、分かち合いの原則を受け入れて、ひとつの兄弟同胞感を表すことで、再び、競争ではなく一体性につながる霊的な道を歩むことができることを示してくださるだろう。新しい時代、統合の時代とはそのことである。統合とは分離分裂した様々な部分を共に引き寄せ、一体性を、和合をつくることを意味する。
(『人類の目覚め』)

わたしの使命は、すべての人間の裡に愛の原理を呼び起こすことであり、用意のできている者たちに、さらに高位の真理を示すことである。方法は単純である。すべてのための正義と自由を通して、その愛は表される。人間の同胞愛の顕現を通して、すべてのものの本源を識ることができる。速やかにこのことに気づき、人生の目的を理解し、あなたの兄弟たちに道を示すように。そのようにして、あなたがたは世界の変換の仕事に参加できるのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第41信より)

マイトレーヤと覚者方の一団のインスピレーション(鼓舞)と導きのもとで、人間は、正しい決断を行う能力、大計画との関係の中で正しく行動する能力が増大することを知るだろう。これが必然的に同胞愛についての感覚の増大につながり、人間は共に行動することによってのみ前進があるという理解につながるだろう。
(『覚者は語る 1』ー同胞愛の夢ーより)

宝瓶宮のエネルギーの顕著な特質は統合であり、従ってその活動の結果は、現在の分裂した分離主義的人類を一つの総体に交じり合わせ、融合させるでしょう。現在の分離的感覚が、(天地万物との)新しい一体感に取って代わるでしょう。社会、政治の分野では、これは同胞愛、正義、分かち合いとして顕されるでしょう。今日の恐怖と混乱は、新しい自由と人生における意味と目的の意識に道を譲るでしょう。それは、人類が生得の神性を
——全体として初めて——実現し顕す時代でしょう。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美である。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。
(『覚者は語る 2』—民衆の声が将来を先導する—より)

わたしの覚者たちもあなたがたに仕え、真なる同胞愛と正義と調和のうちに共に生きることを教えるだろう。忘れるでない、我が友よ、あなたがたは一つであることを。すべての者の御父が、あなたがたを聖なるイメージに似せて創られたのであることを。あなたがたを通して父の聖なる愛と真の光が輝いていることを。
時は近づけり、我が友よ。真理の光があなたがたの周りすべてに輝き、人が兄弟を己の心に迎え入れ、己自身としてお互いを知るようになる時がやってくる。
(『いのちの水を運ぶ者』第51信より)

金融システムはどこで持続可能性と衝突するのか

マリーケ・オプテンノールとアネリース・オプテンノールによるクラース・ファン・エグモンド氏へのインタビュー

クラース・ファン・エグモンド氏は、オランダ、ユトレヒト大学の持続可能性と環境学の教授である。彼はまた、国立衛生環境研究所およびオランダ環境アセスメント局の理事でもある。エグモンド氏は、今でも名誉教授として環境問題(エネルギー、気候変動、汚染など)のゲスト講師を務めており、価値指向(世界観)や文化的側面、金融経済システムなどを含む、より広い持続可能性の問題へと焦点を移すようになった。ごく最近では、エグモンド氏は財政経済的、社会的、文化的な側面の持続可能性に関する著書や記事を発表しており、中でも注目すべきは、2014年の『持続可能な文明(Sustainable Civilization)』である。マリーケ・オプテンノールとアネリース・オプテンノールが、本誌のためにエグモンド氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): 1972年にはローマクラブの報告書『成長の限界』があり、1980年にはブラント報告書がありました。地球上のすべての生命と共に、私たちの地球は大きな危険の中にあることを、私たちが約50年後の今になって初めて理解し始めたのはなぜなのでしょうか。このような情報を積極的に妨害する既得権益や勢力があったのでしょうか。
クラース・ファン・エグモンド:まさにそのとおりです。私たちの社会には、現在でもそのような意識を妨害する巨大な勢力があります。過去40年間、圧力団体は彼らの利益を守るために「科学者」を雇ってきました。何千万人もの人々が、これに巻き込まれてきました。歴史を通じて、必ず反対に働く勢力がありました。これを保守主義と呼ぶことができ、既存の構造や現行の経済にしがみ付く傾向を示します。なぜなら、ここが彼らの利益が埋め込まれているところだからです。私は学生への講義で、ジャレド・ダイヤモンド氏の著書『文明崩壊』(草思社、2005年)をよく引用します。ダイヤモンド氏は、環境変化の結果として、なぜ様々な文化が消滅しているかという疑問に踏み込んでいます。彼の(1,000ページ後の)結論は、このようなすべての文明では、問題の発生に直面することになり、物事は悪化していきますが、結局は若い世代が間に合ううちに対処することを上の世代が妨げます。現状にしがみつくことは悲劇的な現象であり、発展への障害を形成する様々な既得権益の結果です。経済学では、すべてのものが自らを刷新し、変化は正常であることを学びます。動いているシステムでは、静的であることは不可能です。オランダでは鉱夫はすでに鉱山にはおらず、イギリスでは列車はすでに蒸気では走っていません。機関士は、今では別の職に就いています。つまり、テクノロジーや経済構造そのものに継続的な技術革新があるのです。しかしながら、例えば石炭や鉱山に既得権益を持つ人々には、問題があります。一方で、少数の下にある経済的な力の集中は継続し、手に負えなくなります。私が興味をそそられ、驚いたことは、過去数百年の間、西側の覇権が続いてきたことです。テクノロジーは西側を優位な立場に置き、私たちは土地や企業など、すべてを実際に購入することができました。今では中国やインドの力が本当に大きく、彼らは西側で何でも買うようになりつつあり、私たちは政府にそのことから私たちを守るように求めています!  私たちが現在経験しているのは、転換点です。それでも、ローマクラブの報告書が発表された1972年から、少なくとも私から見て、人類は進歩していません。

SI: 私たちは、クリーンで持続可能な環境と健全な地球を達成しながら、同時に「市場の力の神話」のルールである競争と貪欲を維持できると、あなたはお考えですか。
エグモンド:そうは思いません。私はそれに関して本を書いており、2番目の本でもこの疑問を検証しています。持続可能性の問題は価値観の問題であり、テクノロジーの問題ではありません。ある程度のテクノロジーは必要ですが、持続可能な開発の議論をする場合、開発したいものは何なのかを知る必要があり、それは「価値が込められた」選択肢です。それは主観的で、相対的です。私たちは、所有ともっと多くの物質が自分を幸福にすると考えており、その場合、地球の資源を使い果たそうとする地点にまで達します。経済の構造全体が、素早く「買って捨てる」ことに基づいています。物を買い、それをすぐ後で投げ捨てるのです。このようなことを続けることはできません。価値観と優先順位を調整することに成功した時に初めて、私たちはより良い人類になるでしょう。私たちは物への執着を減らす必要があります。ヨーロッパの文化、宗教、哲学、神話、大河小説、伝説、お伽話など、すべての歴史には二つの極、つまり物質と精神の間での均衡の維持に関するメッセージが含まれています。それは動的な均衡です。あなたは物質的な姿勢を選ぶことができますが、「精神的な」姿勢を持ち、芸術や音楽を愛することもできます。基本的な疑問の一つは、自分のことに夢中になり自分のエゴに没頭するか、他人や隣人や自然ともっと関わるかということです。私たちは自由意志を持っていますが、意思が一つの方向に極端に偏った場合、その傾向は、他のすべての人の価値を犠牲にするような強迫観念となる可能性があります。そのような一方向への偏りは、しばしば他のすべてを犠牲にして追求されるものであり、通常は暴力や衝突に向かう傾向があります。そして「持続可能性」の概念は不可能になります。

SI: リンカーンは1865年に、通貨を創り出し流通させることは政府の義務であると語ったとあなたは書かれましたが、現在では世界中の銀行に委ねられています。政府による通貨の創造は、社会や一般大衆に対してどのような影響があるのでしょうか。
エグモンド:通貨を創造し流通させることは原則として社会の問題であり、したがって政府の問題ではないことに確信を持つ人々は、私を始め、私の同僚で増加しています。これは新しい問題ではありません。アリストテレス以来、多くの歴史上の人物、哲学者、経済学者、政治家などが同じような考えを持っていました。金融システムは現在のシステムの中心に深く組み込まれているため、システムを真に持続可能な方向に動かすことは、あなたがその変え方を知っているときだけに可能です。そうすると、非常に異なった価値のアイディアが意味を持ってきます。1865年にリンカーンは、政府は通貨を創り出し流通させるべきだと言いました。「通貨を創造し発行する特権は、政府の最高の権限であるだけでなく、最大の創造的な機会である。……通貨は人類の主人であることをやめ、召使いとなるであろう。民主主義は、通貨の力から脱するだろう」もし銀行ではなく政府(つまり私たち)が、通貨を創造することを許されるとしたら、現在起こっているように、住宅価格や株価を押し上げるだけの悪いタイミングではなく、良いタイミングで通貨の創造を行うことができます。2008年の前回の危機は大惨事でした。そこからポピュリズムが生まれました。一般に言われているように、難民危機から生まれたのではありません。それは後の付加的な要因であり、2008年の財政危機の背後にある主要な問題ではありませんでした。私たちは今、次の危機に向かっています。銀行は悪いタイミングで通貨を創造しており、それは経済において高値と安値をつくり出します。リンカーンによると(アリストテレスの例に従うと)、私たちは(政府として)通貨を適切なタイミングで自ら創造する権利を持っています。もし経済が崩壊し始めれば、国民に雇用を再び提供するために、私たちはインフラなどに投資します。これは、浮き沈みを抑えることにつながり、より平衡したシステムをつくり出します。そして別の利点として、私たちは、コミュニティーとして何十億ユーロもの資金を利用できるでしょう。現在は私的領域に漏れている資金を、教育、医療、ベーシック・インカムなどに使用できるのです。そして、選択は議会制民主主義にかかっており、銀行が現在しているように、国民が一定水準のインフレを許容すれば、もっと多くの資金が利用可能になるでしょう。リンカーンの論点は、管理は政府の下にあるべきだというものでした。その場合、労働コストはもっと安くなり、原材料はもっと高くなり、全く違った社会になるでしょう。システム全体は別の方向にゆっくりと動き、それは革命ではなく、緩やかな過程です。あるものは、例えば航空運賃などは、より高度なテクノロジーが利用可能にならない限り、より高価になるでしょう。銀行で働く金融専門家に対して私たちがしばしば説明する必要があることは、銀行が通貨を創造するということです!
危機が再び発生すれば、状況全体が不安定になると私たちは考えています。人々はもはやこれを許容することはないでしょうし、それは変化を意味します。政府は、国民の雰囲気を常に気にかけます。グローバリゼーションのため、政府は株式市場を怖がります。これはあり得ない状況です。過去には政府はローマ法王の恐怖に震えていましたが、今では株式市場を恐れています。政府にとっては、グローバリゼーションに従うこと、つまり国中で起こることを決定する強力な多国籍企業が揮う市場の力に従うことは、政治的に持続可能ではありません。そのような国では、国外の投資家が市内の全区画を購入し、若い人々が家を購入できないようなことが起こります。フランスの「黄色いベスト運動」のような政治的抗議やヨーロッパのポピュリズムを見てみてください。金融秩序の根本的な改善は、公的な機能と民間の機能のバランスを改善することによってのみ、実行可能です。

SI:人類は一つであり、魂として文字通り結び付けられていて、家族のように互いに支え合う義務を伴うことを大人や子供が教えられるとしたら、どのような影響がありますか。
エグモンド:はい、このことを子供たちに伝えるべきです。多くの人は、自然に触れ合っている時などに、いわゆる「一体性の体験」をしたことがあるかもしれません。そのとき、私と他者、天国と地球、霊と物質など、すべてのものがつながっていることを認識します。イレーネ王女は、その意識を少しでも伝えるために、オランダで「自然大学(NatureCollege)」を設立しました。彼らの特別に訓練を受けた森林監督官は、都会の子供たちに、人生で一度だけであっても、自然界の体験を提供しています。あなたが実際に言われているのは、私たちの真の性質は何かを、自分と他者とのつながりと共に、子供たちに教えるべきだということではないでしょうか。そこにすべての人の責任があります。過去500年から600年の間のすべての文化的な物語、例えばパルジファルのオペラやシェイクスピアの作品などは、すべて同じ考え方に関するものです。あなたは部分であり、同時に全体でもあります。学校ではこのことを取り上げるべきであり、あなたはこれを子供に教えるべきであり、そして宗教的な構成要素もその一部となるでしょう。しかしながら、宗教的な人々は、自分たちが唯一の真実を持っていると主張することはできません。この考え方は、ヨーロッパに間違いなく深い傷跡を残しました。科学もまた、唯一の真理を持っているわけではありません。しかし、現在世界中で起こっていることですが、科学者の発見を否定し、気候変動は作り話だという主張は、受け入れることはできません。客観的事実を疑うことができるのであれば、地球は失われてしまいます。それは、私たちが環境の状態に関して同意できないことを意味することになります。医学の分野では、診断が不可能になります。基本的な科学的事実に同意できないのなら、手術前の血液検査をどうして信用しなければならないのでしょうか。根本的な哲学的疑問は、もちろん次のようなものです。つまり、私たちは自分たちが誰であると思っているのか、そして、それをどのように知るのか、ということです。文明が何千年も続いているのにもかかわらず、依然として欠けているものは、多かれ少なかれ、人間の本質的な性質のビジョンと、その結果としての社会の目的です。個人と社会の両方にとって何が本当に重要であるかについての意見は、依然として大きく分かれています。私たちは、何を開発すべきなのかについて明確でないままに「持続可能な開発」について議論します。ビジョンが欠けているため、一方的な力が優位に立ち、漂流している社会が自分自身の戯画になります。そして、安定への模索は、しばしば原理主義的な宗教や全体主義の形を取り、別の場合には、物質主義、快楽主義、同様に原理主義的な資本主義の形を取ります。社会や文明を維持するためには、人間や社会にとって不可欠な価値観に基づく新しい倫理と「持続可能性」という新しい視点が必要です。アルベルト・シュヴァイツァーは、著書『文明の哲学(The Philosophy of Civilization)』の中で、文明を次のようなものとして描写しています。「進歩が各個人の霊的完成のために役立つ限りにおいて、あらゆる視点から、あらゆる行動を行う人間と個人によって成されたすべての進歩の総和」として。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

次の2通は同じ人物からのものです。

冷静沈着

編集長殿
(1)数年前に(手紙は2004年1月に書かれた)、初めてBC(ベンジャミン・クレーム氏)のフレンズハウスでの講演に参加して間もない頃、私はワージングのサウス通りを歩いていました。大手銀行の一つの店舗の外に背が高く長い髪の男性が座っていて、お金を求める小さな紙の看板を持っていました。
私は少し遠くから彼に気づいていたので、彼には必ずいくらかお金を渡そうと思っていました。彼が私を見上げる距離まで近づきました。私はちょうど銀行へ行くところなので、お金を渡しに戻ってくるつもりだと説明しました。彼はただ「OK、兄弟」と言ってうなずきました。彼は長い黒髪に黒いジャケットを着ていました。真っ直ぐに私を見つめて、大変に物静かな落ち着いた雰囲気があり、ごく薄いブルーの瞳をしていました。
私は彼にお金を渡すために戻りました。彼は再び私を見つめて、ただ「ありがとう、兄弟」と言いました。その後もその出会いが印象に残っていて、ツキに見放された人で、あのような『雰囲気』を持った人物に出会ったことはありませんでした。この人はマイトレーヤかそれともイエス覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

完全なサークル

(2)2003年5月の間中、私はワージングのモンタギュー通りを歩いて、その地域で撮影してきた『光のパターン』のフィルムを現像してもらいに行くところでした。
病気の動物のための慈善市民救護所の、深い青色の店の看板の上に、小さくてかすかな光のサークルがあるのに気づいたので、それを見るために急いで立ち止りました。私が立ち止ると、かすかな青いサークルの一つが突然白く輝く完全なサークルに変化して、その後同じくらいの速さでまた薄くなって元の姿に戻りました。
それはヘッドライトが非常に素早く付いて、消えたかのようでした。1時間ほど後で同じ店の前を通ってもう一度見てみました。驚いたことに、再びそれが起こり、同じように薄くなる前に完全な白いサークルに変化したのです。
それよりも以前に私は『かすかな』サークルの写真を何枚も撮ってきて、いつかもっと良い写真を撮りたいと願っていました。これらの『輝くサークル』はマイトレーヤによって現されたのですか。
リチャード・エルフィック
英国、ウェストサセックス州ワージング
【ベンジャミン・クレームの師は、そのとおり、輝くサークルはマイトレーヤによって現されたことを確認した】

すぐ近くに

2003年12月30日に、私は息子と彼のガールフレンドを車に乗せて、ムランの鉄道駅に向かっていました。ティエール大通りの真ん中で、白い修道僧の服を着た男性が歩道にいるのを私たちは目撃しました。彼はメガネをかけていました。スーツケースは持っていませんでしたが、「目的地エタンプ」と書かれたプラカードを持っていました。私は彼に手を振りました! 運転をしながらバックミラーを見ると、彼が私を見ていました。彼の眼差しはとても近くにあるように思えて、まるで車の中の私の真後ろにいるかのようでした。
息子のガールフレンドが私に、「彼は誰ですか?」と尋ねてきました。「マイトレーヤかもしれない、世界教師よ」と私が答えました。「それで彼はイエスみたいだったのね、どんな人の姿にもなれるんですか?」。「そうよ」。「それなら本当に確かなんですね?」。「そうよ、すごく楽しい休日になるという徴ね」と私が言いました。
彼女は自分の家族に会えるのを喜んでいましたが、同時に不安にもなっていました。彼女には元気づけが必要だと感じていたのです。これが本当にマイトレーヤだったのか、それとも妄想だったのか知りたいと思います。
ポーレット
フランス、ムラン
【ベンジャミン・クレームの師は、『修道僧』がマイトレーヤであったことを確認した】

天候への果敢な挑戦

編集長殿
1998年の冬の最中のことだったと思うのですが、ネルソン・ボランティアセンターで公開伝導瞑想会を開いていた時、カトリックの司祭と若い友人が参加してきました。その若い男性は露出度の高い短い袖のシャツを着ていました。私たちは彼に寒くないか尋ねました。彼は大丈夫だと言いました。その時私も他のグループメンバーもエスキモーのように着込んでいたのです。私がその背の高い紳士にどこへ行く予定なのか尋ねると、オーストラリアと答えました。彼らは1時間の瞑想の後、帰っていきました。彼らに普通でないところはありませんでしたが、夏のような格好をしていたのが少し奇妙だと思いました。彼らは誰でしたか。
ボブ・ヒューズ
ニュージーランド、ネルソン
【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

何事も可能

編集長殿
数年前に(手紙は2004年4月に書かれた)、私は車の事故に巻き込まれて、内臓出血のために入院しなくてはなりませんでした。私は薬とベッドでの静養という治療を受けることになっていました。
2週間を過ぎても改善しませんでした。訪ねてきた友人が効くかどうか試してみるように、いくつかのハーブ薬を持ってきてくれました。私の日課の一部は治療のための祈りと瞑想を行うことでした。予定されていた外科手術の前の晩に、私の身体全体を流れるエネルギーの力強いうねりを感じていました。
翌朝、出血は止まっていたのです。医師はなぜなのか説明できませんでしたが、まさに「何事も可能」と言ったのです。
完全に回復して、私は数日中に退院しました。回復は病院の手当てのおかげか、ハーブの療法か、覚者による治療か、あるいはその三つすべての組み合わせでしたか。
バリー・ナイズワンダー
カナダ、アルバータ州エドモントン
【ベンジャミン・クレームの師は、治療がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】

分かち合いの美

編集長殿
(2004年6月に書かれた)その月の最終日のことでした。仕事を終えて、私は数冊の状態の良い本を少しのお金のために売りました。けれどもそのことを気に病まないようにして、とても美味しい魚料理を手頃な値段のビストロで食べました。それから近くの公園に行きました。ここ数日大雨だったのですが、それにもかかわらずバラの庭では、あらゆる色と形、香りの花々が咲いていて、宝石のような美しさでした。太陽は照ったり曇ったりしていました。素晴らしい庭園のこの辺りでは、人々はより優しく動いたり、話したりしていました。とても美しかったので、私は喜びと感謝でいっぱいになりました。
その時若い男性を見かけました。物乞いの人で芝生に腰を下ろしていましたが(その区域では芝生は花壇の一部なので、通常人々はベンチに座ります)、とても優しげで柔和な様子で、まるでバラの中で生きているようでした。彼は景色に溶け込みながらも、同時に注意を引くことなく、平穏さの満ちた磁石のようでした。彼がいることで私はうれしくなりました。通り過ぎる時、「きれいですよね?」と言うと、「そうですね」と彼が言いながら微笑みました。
少し後になって、残っているお金をどうしても彼と分かち合いたいという、ものすごい衝動を感じて、戻りました。彼はお金を求めたりしていなかったので、私は慎重にもなっていました。注意深く、少しドキドキしながら、彼に私の手持ちのユーロを分かち合ってもらえるか尋ねました。彼は心底驚いた様子で、「あまりにびっくりして……」と言いました。私自身もその状況と、あの美しさやお金を分かち合って、「あなたと分かち合いたい」という言葉を伝えたいという強烈な衝動に驚いていたのです。
また私はこの手紙を書いていて、とても幸せを感じていますが、私の人生の状態はある意味『バラ色』ではありません。たとえその若い男性が『普通の』物乞いであったとしても、この出会いは祝福だと感じています。私の質問は、それは私のハートの中のマイトレーヤだったのか、それとも肉体を持った人としてのマイトレーヤだったのですか。
ヒルデガルト・ピンゲン
ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『物乞い』がマイトレーヤであったことを確認した】

短く、簡潔に

編集長殿
私には2、3の奇妙に思える出会いがありました(手紙は2004年6月に書かれた)。
最初のものは暗く冷たい12月の夕方の、6時30分のことで、小柄な年配の女性が室内着だけを着て、早足で私の方へ道を渡ってきたのですが、素晴らしく大きく熟した枝付きトマトを手に持って高く掲げて、笑っていました。少し彼女が心配になり、大丈夫か尋ねました。彼女は「私、酔っ払っているかしら、どう?」と言いました。そのようには見えませんでした。「あなたは大丈夫ですね」と私が言うと、彼女はそのまま行ってしまいました。
次は、若い男性が微笑みを浮かべて、まるで私が最も素晴らしい存在であるかのように見つめていたことで、私が作家なのか尋ねてきて、普通列車を待つ間おしゃべりをしました。その後彼はお辞儀をして「さようなら、マダム」と言いました。どちらの出会いも普通には思えません。
あなたの師はコメントをくださるでしょうか。
アン・リンチ
アイルランド、ダブリン、ダン・レアリー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『小柄な年配の女性』がマイトレーヤで、『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】

認 知

編集長殿
2004年4月にマルク・フェリーはパリでの伝導瞑想研修会に参加するため、出かけていきました。彼はその二日間で完全に変容し、元気づけられていました。彼は以下の体験が本物であるかの確認をお願いできるかどうか尋ねています。
日曜日の伝導瞑想の間、マルクの隣の男性が瞑想から出ていきました。誰かがやって来て席に座りましたが、突然別の背の高い美しい男性が、ブルージーンズに赤いポロシャツ姿で自信に溢れた様子で現れて、もう一人の男性に向かってマルクの右側の席に座りたいという身振りをしたのです。マルクはすぐにこの男性が大変に進化した人だという印象を持ちました。けれどもこの男性が手を重ねてきた時(ベンジャミン・クレーム氏が出席する時には、瞑想者全員が手をつなぐことになっています)、マルクはあまりにすさまじいエネルギーを受けたので、部屋の中で『彼』がここにいると叫びそうになりました。マルクが心の中でもし徴をいただければ(叫んだり)しませんと言うと、その男性はうなずいて、手を押さえることで応えてくれました。
その男性が瞑想を離れる時、彼が出ていく前に、その日は寒い日だったのでコートを持っていくだろうとマルクは予想していましたが、驚いたことに彼は赤いポロシャツを着ただけの姿で真っ直ぐ外へ出ていきました。
この男性は覚者のお一人でしたか。
マルク・フェリー
フランス、モンティヴィリエ
ピエール・コシェリ(代筆)
フランス、アラドン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

ガイダンス

編集長殿
あなた、あるいはあなたの師は、24年ほど前の同じ月のうちに起こった以下の出来事について説明していただけますでしょうか(手紙は2004年5月に書かれた)。
(1)赤信号で止まっていた時、私ははっきりと内なる声が「聞こえて」、信号が青になると「進むな。ここにいて」と言ったのです。幸運にも私が声に従うと、数秒後に1台の車が高速で赤信号を通り過ぎていきました。
(2)あの特別な土曜日に、とても落ち着いて調和した気持ちだったので、南カリフォルニアの自宅から遠くない200エーカー(約24万5千坪)の牧場で乗馬をして過ごすことにしました。その半年前に同じ牧場で乗馬をしていた時、貴重なアメリカン・インディアン・ジュエリーで、ズニ族が作ったシルバーとトルコ石でできた「サンダーバード(伝説の生物)」を首に掛けていましたが、無くしていました。そこまで運転しながら、「今日『サンダーバード』を見つけられたら素敵じゃないか?」と思っていたのを覚えています。けれどもその考えをすぐに打ち消したのは、ジュエリーを無くして以来、大雨が度々降っては止み、その上私も何度か戻ってきていたからでした。
3時間の乗馬の中頃で、しばらく止まって休みを取りました。馬にまたがろうとした時、馬の前足の間の泥の中から突き出た物に、太陽の光が反射するのが見えました。そうです、それは私の「サンダーバード」でした!
リチャード・モラノ
米国、カリフォルニア州ロサンゼルス
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)警告はイエス覚者からのものであり、(2)その場所までイエス覚者によって導かれていたことを確認した】

覚者方と働く、いつでもどこでも

編集長殿
何年も前に(1980年代後半だと思います)、有名なオランダの霊能者との会合に参加しました。40名ほどの聴衆が集まっていました。その霊能者が講演を行い、続いて質問のできる時間がありました。私は彼女に世界教師マイトレーヤ、キリストが日常世界に戻ってくることについて知っているか尋ねることにしました。そう尋ねた瞬間、非常に強力な流れ込んでくるエネルギーを感じ、私はマイトレーヤのエネルギーだとわかったのです。それはあまりにも強力で、他の人たちも感知していて、もちろん霊能者自身も感じていたので、彼女は聴衆に向かって、何かとてつもない、非常に特別なことがその時起きていると告げました。
私はエネルギーのために震えながら座っていたのを覚えていますが、それほど強烈だったのです。その晩はほとんど眠れず、私には珍しいことでしたが、十分に『祝福によって充電された』のは明白でした。
一日か二日後、私はメンバーに電話をかけて、その体験を伝えました。
クレーム氏はその出来事とエネルギーの源について尋ねられて、電話の会話で確認してくださったのですが、それは実際にマイトレーヤからの祝福で、私を通して会場と聴衆に送られたということでした。
何年も前に起きたことですが、その体験を非常に鮮明に覚えていて、特に霊能者と聴衆の反応は忘れられません。
もし私たちがエネルギーの伝導にオープンで、覚者方が適切で有用だと考えられる時はいつでも、マイトレーヤや覚者方が、このような方法で私たちを通して働かれることは、私にとって全く明らかなことなのです。
匿名希望
追伸:私の体験では、同じ出来事がコンサートやその他の同じような大きな集会でも起きるものです。

読者質問欄

Q なぜ伝導瞑想や他の瞑想は最良の奉仕なのですか。(大阪での講演会、2005年5月)

A 私は伝導瞑想や瞑想一般が「最良の奉仕」だと言った覚えはありません。伝導瞑想は奉仕ですが、多くの異なった種類の奉仕があります。奉仕の一形態としての伝導瞑想を行うことと他の種類の奉仕との違いは、伝導瞑想は覚者方によって創られた完全に科学的な瞑想であり、完全に効果的で科学的であるということです。それは世界への奉仕の方法であり、そこに費やす時間とエネルギーの支出を考えれば、最も強力な方法でしょう。マザー・テレサのようになって恐ろしい環境にある人々を援助することもできます。それはとても困難な奉仕の形態です。伝導瞑想の特徴は、それがとても軽い方法であると同時に、途方もなく強力な奉仕の形態であるということです。伝導瞑想を今初めて紹介することが可能になったのは、今世界にはそれを可能にする十分な人々がいるからです。
霊的ハイアラキーの覚者方は進化の大計画の管理者であるばかりでなく、大計画を可能にするエネルギーの管理者でもあります。これらのエネルギーは宇宙、太陽系、惑星外から覚者方によって放出され、非常に高度な波動を持っています。今まで、マイトレーヤが世界に帰還するという決断の前は、これらのエネルギーは宗教的グループを通してしか放出することができず、その大部分は情緒界を通してでした。ですから世界の進化したイニシエート以外は、エネルギーは情緒界を通して放出され、必然的に彼らの仕事はそのレベル以下に制限されることになりました。
今日初めて、十分な数の弟子や志向者たちが存在し、これらのエネルギーを少なくともある程度はアストラル(情緒)・レベルのみではなくメンタル・レベルで吸収できるようになりました。覚者方が彼らの受け取ったレベルでエネルギーを放出すると、高度すぎて人類によって「跳ね返されて」しまうでしょう。しかし今では世界中に伝導瞑想グループが存在し、エネルギーが吸収され、アストラル・レベルよりもメンタル界のあるレベルにステップ・ダウンできるようになりました。
この仕事はマイトレーヤのための道を整える仕事と並行しており、これに関わる人々に対して、必要となる時間とエネルギーに比例してまたとない奉仕の分野を提供しています。それをするのに必要な時間を考えれば、これほど強力な結果を生み出すものは他にありません。

Q 覚者方は事故の時に人々を援助しますか。私は最近の列車事故について考えています。

A 2005年4月の列車事故の場合、マイトレーヤは少なくとも私たちの知っている一人の人に電車に乗らないよう警告しました。衝突の間、警報機の信号がなぜかひとりでに点灯し、これが近づいてきた別の急行列車への警告となり、運転手はすでに衝突していた列車にぶつかるのを防ぐことができました。警報機の点灯は東京の覚者によって行われました。彼は1975年以来この世におられます。
マイトレーヤとイエス覚者(ローマに拠点を持つ)と東京の覚者は力の三角形を形成し、その力を事故に向けました。事故があるところにはどこでもこのような力が現場に送られ、事故に巻き込まれた人々を助けるためにできることはすべて行われます。

Q ほとんどの人は感情的な生活を送っていて、それは現在の時代に一致しており、それを変えるのは難しいと思います。私は人生をもう一度やり直せたらと思います! どうすればいいでしょうか。コメントをお願いします。

A 人生に対する完全に異なった態度に基づいた未来を創造するのが非常に困難な人々がいることは確かです。それはある程度年齢によります。高齢者はたぶん若い人々よりも困難でしょう。世界は二つの人々のグループに分かれています。感情的で知的な人生観を持ち、過去に縛られている人々がいます。彼らは過去を愛し、過去にはうまくいっており、それが失われることを嘆き、古い仕組み、政治的、経済的、宗教的、社会的なものがすべて崩壊することを非常に恐れています。彼らはパイシス(双魚宮)の人々です。パイシスの概念、現実、仕組みが彼らの知っているものであり、それがそのままであるべきだと彼らは考えます。彼らは変化を欲しません。変化は苦痛です。彼らの態度は、現在が非常に苦痛だとしても、変化がより悪いものでないとどうして言えるのだ? というものです。彼らが被っている感情的な毛布はそのようなものです。
それから、新しいものを冒険と見なす人々がいます。彼らは主に若者です。彼らは過去にうんざりし、現在にもうんざりしています。彼らは変化を欲しています。何もしない若者たちについての質問もあります。学校や仕事に行かず、何もせず、それでもたぶん幸せなのです。古きものは惨めで混乱しているが、その一方で若者たちは何もせず幸せだというのです! 日本の教育制度の一つの問題点は、1日28時間、生徒を絶えず勉強させ続けることです! それが極端過ぎるので、若者は就職や教育を見捨てるのです。若者を働かせ過ぎるから、働かなくなるのです。1日に20時間学校に行かせれば、もう1時間勉強したいとは思わないでしょう。極端過ぎるのです。すべてが極端まで推し進められます。良いものでもあまりに極端過ぎると良いものではなくなります。日本人はリラックスすることを学ぶ必要があります! 休みを取りなさい。コンピューターやその他のがらくたを閉じなさい。公園に行き、木々を眺めなさい。そうすれば若々しい気分になるでしょう。日本人はいつも実際よりも若く見えますが、実際より2倍も年を取っているように感じています!

10月号目次

 

覚者より
光あらしめん
■ベンジャミン・クレーム筆記

視点
アマゾンの先住民女性が呼びかけを発する
母なる地球のための闘いは、あらゆる闘いの生みの親である
オスプレー・オリエル・レイク

弟子道 —弟子(第1部)
アート・ユリアーンス

高次元意識への接近
ダンジャ・ミュラーによるフィリス・クリスタル氏へのインタビュー

懲罰ではなく社会復帰
アナ・スウィーストラ・ビエ

政治的武器としての過激な愛

時代の徴
時代の 「徴を探し求める者は……」

一度に関節の置換を行い、暮らしが一変する
ジェイソン・フランシスによるローレンス・ドール医学博士へのインタビュー

一兆本の植林には、実際に何が必要だろうか?
ティム・クリストファーセン

良心的兵役拒否者:「我々の名前を使うな!」
シリーン・アブデル・ハディ・テイレス

人類の選択 —選集
Humanity’s choice — a compilation

「編集長への手紙」 幻の衝突事故 他

読者質問欄 回答 ベンジャミン・クレーム

光あらしめん

ベンジャミン・クレームの師である覚者は、シェ ア・インターナショナル誌の創刊以来、毎月記事 を提供してくださった。それは、世界の状況に応 じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際この記事は、それが最初に 掲載された1983年12月の時よりも今の方がより 関連性があるように思われる。

光あらしめん

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 各世紀を経るごとに、人間はその目標に、完璧 なる「神の光」の示顕(じげん) に、さらに近づいていく。 このようにして人間は本来あるべき姿──生きた 神々──となっていく。各々の転生がその登山道 に一つのステップを切り開く。そのような体験ご とに、人はその乗り舟(器 うつわ )にわずかずつ光を加え ていき、それによって体 (たい)[*] の波動を微妙に変える。 このようにして、人間のすべての体 (たい) が光の波動で 振動するようになるとき、その仕事は完了し、旅路は終わる。すなわち人間の視点から見れば、その旅路は終わるのである。それを成し遂げた者の 視点から見れば、旅路は始まったばかりである。
 このようにして各々の男女が人間から神へと変 容を遂げる。物質の限界のすべてを備えたさなぎ から、完全に自由になった「覚者(マスター)」が 現れ出て、神の光を輝かせる。この光は広大な宇宙を横切って持続する。すべての次元と界を通し てその特性を表し、それ自身を表現する様々な形 態によってのみ条件づけられる。これらの形態が、 物質の世界に意識がある者に対して、その「光」 に近づく手段を与える。しかし、本質的に光は無形であり、その存在を維持するのに構造を必要と しない。
 われわれ一人ひとりの裡(うち) 深くに、そのような光 が宿っており、輝き出る機会を待っている。各人 の裡にすべてのコスモス(完全体系)の可能性が光 っている。また、各人の裡に、その光を輝き出さ せようとする意志もあり、このようにして神の特性 は顕わされる。その光とその意志とは魂に固有の ものであり、魂との整列ができるときその結果と してその活動が始まる。だから魂との整列を確立 するようにして、神の目的を実践しなさい。自らの裡を探究し、すべての知識と愛の源を見つけなさい。魂の光を世に顕 あらわ し、奉仕する者の列に加わりなさい。
 世界はもっと光を受け入れる用意ができている。 至るところにいる人間は、己自身についての、そ して神についての新しい知識に渇(かわ)いている。人類 の用意ができているゆえに、新しい「光の時代」 の幕開けをするために、覚者たちは自分たち自身 を準備してきた。進歩への無限の機会が人類に与 えられるだろう。自然のエネルギー(フォース)に 精通する扉を開く様々な発見に、人間は驚嘆する だろう。このようにして、人間に明らかにされる神 秘と美に、彼らは仰天するだろう。神の事実と、 その神聖と人間との関係を、しかと知るだろう。 そして喜んで神の大計画に協力するだろう。
 宝瓶宮 ほうへいきゅう (アクエリアス)の時代の入口にあって、 これらすべてが人類を待っている。それは、神の 大計画が再び栄え、人間がついにはその運命を意 識的に受け入れることになる時代である。
 今日、人は分裂と緊張で満ちた世界を見わたす とき、このことを疑うだろう。問題はあまりにも複 雑であり、分裂はあまりにも大きいように見える。 しかしまさにその時に、最も危急の瞬間に、大教 師は来られ、新しい「光」をもたらそうとしてお られる。そのようなお方が今、あなた方の中に在 あ り、舞台脇で奉仕への招待を辛抱強く待っておら れる。
 この方のもたらす「光」を放ち、すべてを神聖 の中に包みなさい。彼の教えを奉じ、困窮する者 すべてに救いをもたらしなさい。彼の光を顕して、 この世界を新たに創造しなさい。

〔*〕体 たい =パーソナリティー、メンタル体、アストラル体、肉体

高次元意識への接近

ダンジャ・ミュラーによるフィリス・クリスタル氏へのインタビュー

フィリス・クリスタル氏は1914年にロンドンで生まれた。彼女は大学の教育学部を卒業後、アメリカに移る前に3年間高等学校で教えた。91歳の2004年に、彼女はドイツのミュンヘンに移り、95歳の時にスイスのチューリッヒに移り住み、2016年の12月に102 歳でイギリスで亡くなった。1950年代の終わりころ、クリスタル氏と一人の親友は、彼らが高次元意識(HiC:Higher Consciousness)と名付ける内面の英知の源に、実験的かつ定期的に接触することを始めた。それ以来、高次元意識に接触するのにシンボルを使用し、これを発展させて視覚化の方法を採用した。この技術は、外的な安心と支配への執着から人の意識を解き放ち、個人を、外部の何かではなく自己内部の高次元からの助力と指導を求めるものである。フィス・クリスタル氏は、この方法を分かち合うために多くの国でセミナーを開いてきた。彼女の最初の本『束縛の鎖から解き離たれて(Cutting the Ties that Bind)』は1982年に発行され、続いて『束縛の鎖からさらに解き離たれて(Cutting More Ties that Bind)』が発行された。また、この2冊に付けるワークブックも発行された。彼女は他にも、『サイババ:究極の体験』を発行している。彼女は生前、インドのマスターであるサイババをとても崇敬しており、この本でサイババとの体験を回顧している。フィリス・クリスタル氏は、この方法が即製のものではないことを強調している。彼女によると、人は変化を求めて外のものを無暗に求める代わりに、自ら進んで自己変革と自己向上の必要性に集注するならば、必ず支援が与えられると強調している。ダンジャ・ミュラーは、クリスタル氏の2013年の集中講義コースに出席し、シェア・インターナショナル誌のためにクリスタル氏にインタビューした。

シェア・インターナショナル誌(以下SI):過去50年間、あなたは、人々がしがらみに満ちた習慣や過去の苦痛に満ちた経験から解き放たれることのできる方法を発展させて来られました。この方法がいかに有効かについて話してくださいませんか。
クリスタル氏:私たちは、何かまたは誰かの支配から私たちを解放する方法を伝えてまいりました。もし私たちが、自分たちの生活を素直に(虚心坦懐に)見つめれば、私たちは、他人や記憶や習慣が私たちを支配しているばかりではなく、私たちもまた、他人を支配していることに気がつくことでしょう。そこで私たちに最初に与えられるものは、「数字の8」です。これは個々の人は自分自身のサークル(円)を持っており、二人が数字の8を共有していることを示す象徴です。私たちは、この数字を使うことで、一時的に誰か一方が他方を支配することをやめるのです。そうすれば(人間関係が)うまく機能するようになります。子供は特にこれに反応します。今日、とても多くの子供、幼稚園児でさえもが問題を抱えています。一方で他の子供は大変に攻撃的です。彼らが数字の8を使う作業を行うと、自分たちが一つのサークルにいて、他の子供がもう一つのサークルにいることを知るようになり、攻撃が収まります。要するに事態が動くのです。

SI:どのようにしてあなたはこの方法を見つけたのですか。
クリスタル氏:ある友達と私がある日、昼食を摂っていて、主婦であったり母親であったりの立場から、自分たちの命についておしゃべりをしていました。当時私たちには仕事が与えられておらず、私たち二人は大学を卒業していたのですが、それは正常ではありませんでした。私たちは、これはただ二人だけの問題ではないと考えました。そして私たちは、時々、問題に直面し、意識的にそれを解決しようとベストを尽くすのですが、解決に至らないことに気づきました。私たちは時に腹を立てて投げやりになったりします。そしてもうだめだと言います。でも夜に夢を見て、答えが見つかったりします。または、次の朝目覚めてみるととても明瞭な答えが得られたりします。そこで私たちは、心のどこかに答えをもたらす部分があるに違いない、そこに触れてみようと的を定めました。私たちは漫然と「潜在意識」や「現在意識」そして「超意識」という言葉を知っていました。私たちはただ漠然と(その存在を)気づいていた超意識にコンタクトしようとしました。その結果うまくいったのです。このようにして、(超意識と接する)方法を行い始め、それを広めることになったのです。

SI:あなたの本で紹介されている視覚化のエクササイズはとても簡単なように見えます。あなたが行うセミナーでは、参加者は、この方法がいかに自分の人生を変えたかの体験を分かち合います。自分たちの子供時代に受けた奥深くに潜んでいるトラウマでさえ解決できています。このような単純な視覚化と、明らかに進行している深層での癒しとの間に働くメカニズムは何でしょうか。
クリスタル氏:とても単純なステップを踏んで行われます。まさにそれは私たちに与えられているものであって、時にはわずかなステップにすぎないように見えます。最初私たちは数字の8についての見方が教えられます。それから、私たちの親が何らかのステージで私たちをいつも支配しようとしていたことが示されます。過去の思春期の儀式を振り返ってみましよう。古代の人々は若い人が思春期に達したときに賢い方法でその時期を通過させました。彼らは少女を「ロングハウス」と呼ばれるところに呼び出します。少年は別なロングハウスに呼ばれます。それから賢い婦人が少女に、賢い男性が少年に、どのようにして両親から独立し、どのようにしてグループの立派な一員になれるかを教えます。世界のあるところでは今もなおこの方法がとられています。多くの本に、動物が自分たちの縄張りを守ろうとする行動について書いてあります。この方法では、私たち人間よりも動物の方が熟達しています。もしあなたが犬や猫を飼っているなら、特に1匹以上の動物を飼っているならば、このことをよく知っておられるでしょう。それぞれのペットは家の中に自分自身の居場所を持っています。そしてもし他の動物がこの場所に入り込もうとすると、争いが始まります。しかし人間はそのことの意味を認識してはいません。これが、私たちがこの方法を使って始めるために数字の8を採用した理由です。このことは、私の最初の本である『束縛の鎖から解き放たれて』の中に記されており、ワークブックの中に非常にはっきりと描かれています。『束縛の鎖から解き放たれて』の儀式はかなり長くかかります。約1時間かかります。それは徹底的であり、両親との束縛を断ち切り、次に私たちの生活を「支配」している誰かの束縛を断ち切ることから始めます。次の本『束縛の鎖からさらに解き放たれて』は、習慣とか常習的な癖、そしてあらゆる種類の非人間的な要素といった、他の種類の支配から自由になるように導きます。

SI:あなたはワークショップで、参加者にいつも視覚化の初めに「高次元意識」に接触することを勧めておられます。「高次元意識(Higher C)」は何を意味しているのでしょうか。
クリスタル氏:高次元意識とは精神(spirit)の魂(soul)です。街に住んでいる男女にとっては、高次元意識について考えることすらとても難しいことです。私たちは七つまたは八つのシンボルのある小冊子を用意しています。この冊子の中では私たちが日常使っている意識と、記憶として蓄えられている潜在意識の概要が示されており、次にこの高次元意識が示されています。この冊子は、いかにすればこの接近が私たちの助けになるかを、シンボルを使って説明しています。この種の事柄について何のバックグランドもない読者のために2冊目の冊子もあります。この中で私は残りのシンボルについて紹介しています。これらすべてによって、高次元意識にどうしたら接触できるかが説明されています。高次元意識とは、私たちの本来の自己であり、身体が死んでもわれわれと共にあり続ける存在なのです。

SI:あなたは訓練のセッションの中で、この方法が「新時代の心理学」になると語っておられます。このことについてもっと話してくださいませんか。
クリスタル氏:あなたはおそらくサイババについてお聞きになったことがあるでしょう。この事柄について本を書くことを促したのはまぎれもなく彼(サイババ)でした。そうでなければ私は決して本を書こうとは思っていませんでした。本を書くことは私の心にはありませんでした。私がサイババの前に座っていた時に、彼は「あなたは本を書くべきです」と言ったのです。彼の言葉によって私は本の執筆を始めました。彼は私にまた、原稿を持ってきなさい、そうすればそれを祝福してあげましょうとおっしゃいました。彼が原稿に祝福を与えた時、彼は私に、できる限り多くの世界の人にこの方法を知らせるために本が出版されるべきであると語りました。サイババは後日、別なインタビューにおいて、これは人々が自己変革するのを助けることができ、同時にもっと愛のある、もっと哀れみと助け合いのある世界をつくることができる方法が示されていると説明しました。彼はいつもその時代のことを「黄金時代(The Golden Age)」と呼んでいました。そして四つのユガがあると説明したものです。(彼によると)私たちはまさに第4番目の、もっとも破壊的な時代を終えつつあり、最も建設的なユガの時代に入りつつあるというのです。この方法は、否定的な習慣や状況、そして「新時代(New World)」にふさわしくないものを取り除く機会を私たちに与えてくれます。

SI:この世界は、環境危機や世界規模の飢餓や核廃棄物などの数々の大問題に直面しています。あなたの方法は世界にもっとバランスの取れた状況を招く助けとなり得ますか。
クリスタル氏:この方法は人々が自己変革するのを助けます。そして世界は人々が集まってできていますから、もしたくさんの人々が個人として変われば、必然的に世界が変わるはずです。なぜならば、最終的に「積極的な力」は否定的な力を凌駕するからであり、その力によって加速度的に人々は自由になるからです。

SI:あなたはこの積極的な方法を行っているモデルとして、今もなおこの方法を世界中に広げるために働いておられます。あなたが99歳というのに、このような挑戦的な試みを続けておられるそのエネルギーはどこから来るのでしょうか。
クリスタル氏:それはただ高次元意識に接触し続けることによってです。サイババは私に、可能な限りこの方法を世界中の人に届けなさいとおっしゃったのです。この言葉が支えとなって、なおもこれを喜んで続けているのです。

SI:あなたの「ライフワーク」をお続けになる個人的な望みを何かお持ちでしょうか。
クリスタル氏:もっと多くの人が心を開いて、一人ひとりを高次元意識と呼ぶ存在に結び付けるこの方法を受け入れるにつれて、やがてもっと一般的に受け入れられるようになるでしょう。

詳細は:Phyllis Krystal foundation:www.phylliskrystal.com 参照

人類の選択──選集

Humanity’s choice – a compilation

「人類の選択」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。この新しい美の顕現は無数にある。人類の前に開かれる未来のビジョンは多く、驚くべきものである。人間は未だ新しい始まりの門口に立っているにすぎない。しかし、見る目を持つ者には、すでに進歩の徴が見える。われわれはいま両極化を目撃しており、それが人類に選択を強いる。現在の生活の様式の中にある危険があまりにも恐るべきものであるゆえに、人間の霊性はこれに反抗し、新しいものを探求する。このようにして、人は神の意志を認識するようになる。すべての背後に「大計画」があり、神の「意志」を包含している。人間は、知ろうが知るまいが、今やその大計画を実施する用意ができている。新しいものを顕現するために、すべての分野において、人々はグループを形成している。愛と必要の精神に鼓舞されて、彼らはより簡素な、より健全な世界を心に描く。現在の不均衡と緊張の中から正義と融和が育たなければならないことを知る。自分たちが聖なる存在であり、変化の奇跡を行うことができるのを知っている。彼らは時の危急を知覚し、奉仕のために己を捧げる。彼らはすべての地において「善」を代表する。
(『覚者は語る 1』ー勝利は保証されているーより)

今ではわたしの周りに、わたしをリーダーとして、未来への案内人としてみる兄弟姉妹たちの集団が存在する。わたしは、人間の苦悩について、人間の不完全さについて、変化の必要について、彼らに語る。同時にまた、人間は神であり、神聖なる光の存在であり、いつの日かそのようなものとしてこぞって立つであろうということも語る。選択は人間のみがなすのである。もしわたしの指す道を選べば、人間の霊性はまことに輝き出でるであろう。さもなくば、我が兄弟姉妹たちよ、人間の未来はきわめて致命的である。しかし我が友よ、あなたがたの答えと選択をわたしは前もって知っている。恐れるでない、わたしの愛しき者たちよ。あなたがたの愛を通して──あなたがたの心に宿る兄弟たちへの愛を通して───あなたがたは正しく選択するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第78信より)

金持ちの国と貧乏な国の生活水準の間にある大きな隔たりを許容する余裕を、世界はもう持ちません。その不均衡が今日の政治的、経済的問題の中核です。基本的にそれは精神的霊的な問題です。一方に物質主義と分離、そして他方に霊的な分かち合いと正義と同胞愛、この間の選択です。われわれの選択が人類の運命を決定するでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしはあなたがたの友であり、兄である。しかし神ではない。御父が、再びわたしをあなたがたのもとに遣わされたのは事実である。わたしは、兄弟であるあなたがたのところへやってきた。あなたがたが望むならば、祝福された未来に案内し導くために、やってきたのである。わたしの役割は、道が岐れていることを人類に示すことである。道標は置かれた、そしてこの地球の未来はあなたがたの決定にかかっている。正しい道を、神につながる唯一の道を、人類が選ぶのを確実にするために、我々は(あなたがたとわたしとは)ここに集うている。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第19信より)

間もなく世界は、人類種族の長老たち、覚者たち、神の子たちが世界に戻るのを知るだろう。予言はわたしたちの再臨を告げ、弟子たちの期待を活気づかせてきたが、彼らの多くは、今のこの時の出来事に気づかずに眠りこけている。わたしたちの到来を熱望して待つ者は多いが、それを遠い未来のことと心に思い描いている。わたしたちの手が今、扉を叩いているのを彼らは知らないのか。目覚めなさい、友よ! 目を覚ましなさい、善意の働き手たちよ! 世界を変容させるために、わたしたちと共に働く者すべてを必要とする。あなた方の希望と信頼をわたしたちは慈しむ。わたしたちを見、あなた方の生活の中にわたしたちを歓迎する用意をしなさい。……今、世界の救済計画が進行中である。これは、世界に奉仕することを願う者すべての協力を必要とする。奉仕することは、今日、むずかしくない。なぜなら、奉仕の方法は手近にあり、地球そのものが救済を求めて叫んでいるのだから。あなたの奉仕の分野を選び、熱意を込めて行いなさい。あなたがそうすると、あなたの魂は、その仕事のために必要なことをあなたに授けることを知りなさい。さらに、わたしたちの手があなたがたの手を強め、重荷を分かち合うことを知りなさい。多くのことが変わらねばならないことは確かだが、その変化の速度はあなた方にかかっている。計画の詳細を実施するために、わたしたちはあなた方の協力に頼っている。奉仕が、新しい文明の先兵に向かって、明日のより良い世界の基礎を築くことを呼びかける。その点呼の列の中にあなたの位置を占め、わたしたちを助けて救済の仕事をしなさい。時刻の合図が鳴るときに、これを逃がさないように。
(『覚者は語る 1』ー奉仕への召集ーより)

過去の長い間には、気候の変化の結果、人類の大部分が生存をかけて動物と戦っていたときがあった。今日とは比較にならない規模で、彼らは飢餓を体験した。テクノロジー(科学技術)と科学と急速なコミュニケーション手段が、今日、大多数の人間にとって、大規模の飢餓の災難を除去した。問題は、それだけの遺産に恵まれた世界に、なぜ、あのような規模の飢えが存在するのか、ということである。すべての人間のために十分過ぎる食糧が存在しながら、なぜいまだに何百万の人間が悲しくも飢えており、人間の神性に恥辱をもたらすのか。人間は、誰が生き、誰が死なねばならないかを決める権利を、どの法によってわがものにするのか。自己満足感のどれほどの深みから、そのような審判が下せるのか。どのようなイニシアチブによって、どのような新しく見いだした恩寵によって、人間はこの不正行為の潮を堰き止めることができるか。間もなく、一連の出来事が人間に自分たちの人生の目的を再考させ、共通の遺産を認知することを強いるだろう。間もなく、新しい平等化が金持ちと貧乏人の両方に、彼らの自然な同胞愛を教えるだろう。程なく、偉大なる教師自らが、あらゆるグループ、あらゆる種類の人間との連帯を実演なさるだろう。そして大師に負けまいとして、今日の分割は癒されるだろう。これらの時をよく銘記しなさい。古き時代の終わりの始まりであり、新しきものの誕生の日である。今日、世界の指導者たちは統御することのできない出来事に苦悶している。彼らがまったく知らないフォースが、彼らを計画していなかったしばしばヒステリックな反応へと押しやる。彼らは自分たちの独断的教義に導かれて、混沌から混沌へと逃げる。その間、わたしたちは忍耐強く待つ。人間の現在のジレンマの結果をわたしたちは知っている。そしてカルマ(因果)の法の許す範囲内で、最大限に援助する。また、わたしたちは、人間が自分たちの自由意志で未来の栄光への道を選ばなければならないことを知っている。それは人類同胞愛と愛と正義と分かち合いの道である。わたしたちは人類の必要にはせ参じる。わたしたちは教え、そして仕えることに励む。人間自身が行動しなければならない。そして体験の厳しい試練の中で、自分の神性を試さなければならない。徴はすべての者に見ることができる──新しい時、もはや飢えがなくなる時の徴である。
(『覚者は語る 1』ー飢餓の終わりーより)

いま転生している私たちは尋常ならざる責任を担っている。私たちがいま世界にいるのはそのためである。すべての世代がその時代の問題を解決する知識と経験を携えた人々(魂)を転生へともたらす。私たちは将来の問題を解決するために、人類が存続し続けるかしないかを──正義、分かち合い、正しい関係、平和への選択をするか、すべての生命を破壊するかを──決定するために転生して来た。マイトレーヤは人類が正しい選択をすることを疑わない。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしに手伝わせてください。道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである。わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない、わたしの両手は「法」によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第3信より)

[大宣言の日の]この経験を通して、人類は自分たちの魂としての本来の姿に目覚め、そして新しいより良い正しい線に沿った文明を創造していくためのビジョンを得るでしょう。その体験に対する人類の反応が、この惑星の未来を決定します。マイトレーヤは二つの選択を人類に提供します。一つは、私たちがこれまでと同じように、古い貪欲で利己主義な自己満足感に満ちた過去の生活を続けて、自分たち自身を破壊するか、あるいは分かち合いの原則を受け入れ、人類が一体であることを受け入れて、これまで知られたことのない素晴らしい文明を創造するか。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第3巻』)

これから、人生は今までとは異なったものになるに違いないし、またそうなるだろうという事実に、多くの人々が目覚めつつある。新しい方向が招いており、過去のあり方に飽き飽きし、新しい道を試みる用意とあいまって、人々は人間の事態の中に一つの頂点を感知している。外的な出来事がこの体験の現実感を確認させてくれる──メディアは日ごとに、最新の発明や医学的洞察や、予期し得なかった妥協や長いあいだ疎遠だった人々の間の歩み寄りなどについて、世界中に一瞬のうちに通信し、報道する。不安や疑いが多くの領域にあるにもかかわらず、新しい希望が勢いを集めている。ひどい欠乏や恐怖だろうが、豊穣だろうが、永遠に続くものは何も存在しないことを人々は知っている。……人々は彼らを抑制する教義やイデオロギーから解放されて、かつては不可能と思われた合意に達することができる。不可能という言葉そのものが、様々な出来事がその逆を証明するにつれて、その意味を急速に失いつつある。これはいずれも偶然に起こるのではない。各々の成果の背後には、多くの働きと長い間練られた計画がある。人類がこの変化の唯一の誘発者であると考えるのは思い違いである。数え切れない長い長い間、人間は、彼らのために設置され、他者によって監督された道をたどってきたのである。「道の管理者」であるわたしたちは、その道を人間がたどるように示し、途上の多くの障害を無事にくぐり抜けられるように導くことを求める。……人類は道案内がいないことを恐れる必要はない。人類種族の兄たちであるわたしたちは、各々の必然性を予見してきており、人間の窮状に対する答えを熟知している。わたしたちの助けがあることを、わたしたちの助言はあなたがたが求めるならばいつでも提供されることを確信しなさい。わたしたちは人類の本当の必要を知っている。しかし人間は自分たちの自由意志で選択し、喜んで受け入れなければならない。もし人間が正しい選択をするならば、つまり資源の公平な分割を選ぶならば、わたしたちの手は解放され、さらに多くの助けを提供することができる。わたしたちの体験と知識はふんだんに与えられ、わたしたちの智恵と愛はすべての人々のために供される。わたしたちは確信をもって人間の嘆願を待つ。そうして、わたしたちは信頼される兄として、友として、あなたがたの生活の中に公に入っていくだろう。わたしたちの教師であり、あなたがたの教師である偉大なる主マイトレーヤが、ご自身の使命を始めるために舞台の袖に立って待っておられる。あなたがたからの呼びかけがわたしたちを前面に連れ出すだろう。
(『覚者は語る 1』ー新しい現実感ーより)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

幻の衝突事故

編集長殿
私が妊娠8カ月だった時(手紙は2004年2月に書かれた)、医師の健診を終え、車で帰宅途中のことでした。反対方向から来ていた1台の車が、突然店の入り口の車道目がけて、私の真ん前を横切ったのです。衝突は避けられないと思いました。私は思い切りブレーキを踏んだので、車は横滑りして、他の車のキィーッというブレーキ音が私の背後で聞こえていました。私は衝突を覚悟していましたが、まさにぶつかる瞬間が目前だったにもかかわらず、あの車のちょうど後ろをかすり傷ひとつなく通過して、それはまるで幽霊のような車だったのです! その時に私は心の中で、誰かが私と生まれていない赤ん坊を、本当に見守ってくださっていると強く感じていました。何が起こったのですか。どなたが私たちを助けてくださったのですか。
サラ・ボスバーグ
米国、ウェストバージニア州アイランド・ラン
【ベンジャミン・クレームの師は、それが『マイトレーヤによる奇跡の救出』であったことを確認した】

度重なる出会い

編集長殿
何年にもわたる長い間、私の姉と離れて暮らしていたので、姉と数日過ごす計画を立てました。2003年8月に私たちはパラマタにある、混み合ったショッピングモールにいました。姉は少しの間別のお店に行ってしまい、私は彼女が帰ってくるのを待ちながら、店のウィンドウを眺めていました。一人の女性が背後から私に近づいてきて、良い美容師がいるところを知っているか尋ねてきて、その女性は髪を切りたかったのです。彼女は背が高くほっそりとした、凛とした感じの人で、ツイードのジャケットとスラックス姿で、ブロンドがかった髪をきれいにセットしていました。私は力になれないけれども、姉は地元の人なのでお手伝いできるかもしれないと説明しました。その女性は私と一緒に待ってもよいか尋ねてきて、その時彼女が杖を持っていることに気づいたので、座って待つことにしました。待っていた間、彼女は最近の膝の手術のことを話して、庭の手入れをするのが難しいと言っていました。彼女は長年その地域が地元だったことがあると言いました。会話は快く、楽しめるものでした。私の姉が戻ってきて、彼女に別の郊外にいる美容師の名前と、そこまでの道順を教えました。その女性はその地域のことは良く知っていると言い、教えてもらえたことにお礼を言いながら去っていきました。翌日私たちは母を連れて別の町に出かけ、母の誕生日のために靴を買いに行きました。店にいた間、私は母の前で膝をついて靴をフィッティングして、サイズ感や履き心地を確かめるために歩いてみるよう母に言いました。母が歩こうと立ち上がり、私が見上げると、前日会った同じ女性がいるのに気づいて驚きました。彼女は横向きに立って棚の方を見ていました。そして同じ服を着ていました。この時には彼女は私たちのことがわからないようでしたが、母が近づいていくと、母の方を向いて静かな声で「とても素敵ですよ」と声をかけてくれて、それから歩いて店を出ていきました。姉と私はお互い顔を見合わせて、偶然ということはないと思いますが、彼女の存在にはどこか私たちの理解できる以上のものがあるように感じられ、彼女には特別な何かを感じていました。その数日間は私たちにとってとても特別で、私たちが離れていた長い年月の後で、再び愛情深いつながりと共有するものを体験したのです。その女性に実際に特別なものがあったかどうか、もし教えていただけるなら大変感謝いたします。私たちは天使の訪問を受けたと感じていました。
ロレイン・ヴァン・ダー・リンデン
オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ビューティーポイント
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

応えられた祈り
編集長殿
(1)2003年9月15日の早朝、広島県にある禅の道場へ向かう友人を見送るために、東京の羽田空港に行きました。それから品川区荏原の別の友人の所へ向かう途中に、その人とは同じ禅の道場で出会ったのですが、その時私はまさにこの瞬間に目覚めていることができるようにマイトレーヤに祈り、それがその道場で実践した生きる技でした。祈りの後すぐに、歩道の陰になった場所に光のサークルを見つけました。その光のサークルはマイトレーヤによって現わされたのですか。

中道

(2)2003年9月28日の午後、私は千葉市の神社に友人と出かけましたが、その友人は伝導瞑想グループのメンバーです。神社でお参りした後、境内の外で羽織袴の日本の昔ながらの装束姿の白人の男性を見かけました。彼は20代か30代で、短い金髪に黒いサングラスをしていて、それがそのような改まった格好にそぐわないものでした。彼は歩道の真ん中を堂々とした様子で歩いていました。私はその人が結婚式の披露宴を終えて家に帰る途中だと思いましたが、しわくちゃの茶色の紙袋を二つ提げているのが、とても不思議でした。彼は一度私たちを見ましたが、そのまま歩いていきました。私たちは彼がマイトレーヤだと思っています。彼は本当にマイトレーヤでしたか。
匿名希望
日本【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)そのとおりであったことを確認した】

読者質問欄

Q 人間は本来、善ですか悪ですか。環境によって人間は変わりますか。

A もちろん、比較的少数の非常に邪悪な男女は存在しますが、人間は概して本質的には神であり、本来は善です。世界には悪への力があります。悪とは単に光の欠如であり、惑星の下降する力と共に働く力が存在します。私たちは進化の道におり、私たちにとってその仕事は悪です。退化の道はそれ自体が悪ではありません。マイトレーヤを長とする光の力が物質性の力に対処しています。

Q 分かち合いが人類を援助する唯一最高の道であることは理解します。その助けに何をすべきですか。祈ったり寄付したりすべきですか。

A 私が話している分かち合いとは地球的な概念です。分かち合いを実践したいなら、たくさんの機会があります。日本には大勢の、定期的な収入がなく、食事がなく公園や公園のベンチで暮らす人々がいます。これは世界のどの国でもそうであり、ますます広まっています。国が豊かになればなるほど豊かな人々と貧しい人々、持てる者と持たざる者の間の違いは広がります。なぜならあまりにも多くのものを持つと人々は自己満足するからです。他の人々の苦しみを本当に理解するためには、人は苦しまなければならないのかもしれません。非常にしばしば、マイトレーヤが使いの精として誰かに現れるとき、彼は乞食の姿を取ります。彼が現れる最もよくある方法の一つは、アメリカやヨーロッパや日本でも、物乞いのホームレスの人々だと私は思います。しかし、あなたがホームレスの人々にお金をあげたくないと思うなら、遠く離れた国々のホームレスの人々に与えようとは思わないでしょう。
私は原則として乞食にお金を決してあげない人々を知っています。なぜでしょうか。なぜなら、彼らはお金を賢く使うことをせず、お酒やその他のことに浪費すると思っているからです。単にお金をあげるよりも、食べ物を買って彼らに与えるほうが、望ましい使い方だと考えます。つまり、全くお金を与えないということです。食べ物に使うという条件でお金を与えるのです。与えるのなら、ただ与えるべきです。彼らの使いたいように使えばいいのです。この国(日本)では何千ものホームレス、失業者、野宿者がいます。彼らには誇りがあるのでお金を乞わないのです。

Q 私たちが貪欲さを放棄して他者と分かち合うことなど本当に可能なのでしょうか。

A それは可能というだけではなく、可能でなければなりません。それは選択肢ではありません。私たちが今のままのやり方を続けるならば、競争はますます激しくなり、そのプロセス全体が破壊的な世界戦争となって爆発し、それは地上のすべての生命を破壊するでしょう。
開発途上国の人々が、現在のような生活状態にいつまで我慢できると思いますか。彼らは世界の他の人々がどんな風に生きているかを知らないと思いますか。日本やヨーロッパやアメリカの人々の暮らしを知らないと思いますか。彼らは永久に我慢するだろうと私たちは思っています。しかしそうではありません。彼らは、今もそうしているように、世界資源への権利を要求するでしょう。資源は人類に属するのであり、日本やアメリカに属するのではありません。私たちは一つの人類として新しい時代に入るのであり、そうでなければ全く入ることはできないでしょう。私たちは脳をつくり直して競争という概念を生活から追い出さなければなりません。競争は生きる意味に反しています。未来は協力を通して知られ築かれるのです。私たちが協力することに失敗すれば、未来に達することはできないでしょう。私たちに選択の余地はないのです。

Q 私は人生をすべてやり直したいと思います! 自殺が減らないのはなぜでしょうか。

A 自殺者の数は世界中で増加しています。ストレスが増大しているからです。私たちは、宇宙的な周期で一つの時代の終わりに達し、このことが真実であると体験し、未来に直面できないと感じる人々がいます。時代の終わりには物事はとても恐ろしく、多くのストレス、多くの競争、多くの憎しみ、暴力、不調和を感じます。こうした人々や、人生をすべてやり直したいと思う人々に、一つ解決法があります。耳を傾けるすべての人々に、マイトレーヤがこの世におられ、覚者方が日常世界に戻られ、世界はつくり直されると伝えることです。もし私がハラキリ(切腹)する寸前で、マイトレーヤと覚者方がこの世におられることを誰かが私に告げれば、私は「やった! 腹を切らなくて済む!」と言うでしょう。自殺の問題は、次の瞬間、何が起こるかは決して分からないということです。あらゆる可能性を調べるまでは自殺を企てるべきではありません。

「興味深い質問……」

私の師である覚者はかつて自殺しようと思っていた男性についての話をしてくれました。彼の人生はむなしく、妻は亡くなり、子供は成長して彼から去り、老いて働くこともできず、彼は不滅の魂を傷つけることなしに自殺することを欲しました。彼は町に出かけ、賢そうな顔をした老人が石のベンチに座っているのを見ました。「すみませんが、私の不滅の魂を傷つけることなしに自殺するにはどうすればよいか教えていただけますか」と彼は尋ねました。賢者はこう言いました。「なんと面白い質問でしょう! 方法はあります。そんなことを一瞬でも考えたことはありませんでしたが、その方法があることは確かです。3カ月してここに戻ってきたら、あなたの問題への答えを与えましょう」。男性は3カ月後に戻ってきて、「答えを教えてください」と言いました。「いいえ、確かにあるのですが、忘れてしまいました。6カ月したら戻ってきてください。そのときには分かっているでしょう」。6カ月後、彼は老人を見つけました。「ご老人、あなたは私が魂を傷つけずに自殺する方法を尋ねたことを覚えていらっしゃいますか?」「はい、覚えています。面白い質問です」彼は再び、1年後に戻ってくるよう言われ、彼はそうしました。戻ってきたとき、彼は質問についてすべて忘れてしまい、老賢者を見たとき、こう言いました。「こんにちは、ご機嫌はいかがですか」「上々です、あなたはいかがですか」「私ですか、上々ですよ」そして彼らは座って話をし、素敵な会話をしました。もちろん、その賢者は彼の師である覚者だったのです。
(2005年5月、大阪での講演会より)

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。